2021年3月31日水曜日

NEWS2021.03

3月3日(水)
背後にはビッグデータを実験するには中国のような独裁国家が向いているということだと思うのだが。ともかく、中国は米国を抜く気満々だと思う。

3月4日(木)
極端に聞こえるが、おおまかには正しい認識だと思う。日本を豊かにするためには知識社会に適応できる人材を育てるための教育だと思う。

3月5日(金)
ううむ。GAFAの向かう先に何があるのか。AmazonやAppleは核にモノがあって消費者を囲い込む。GoogleやFacebookは核となるモノがない。どうしても広告に頼らざるを得ない。反面、広告で儲けるのは利益率が高い。Googleには邪悪になってもらいたくないのだがなあ。

GAFAは自由主義圏なので市民たちに縛られて不自由を強いられる。一方、社会主義圏の中国は自由に人民を監視して支配できる。テクノロジーはそれに大いに貢献して同時に発展・進歩する。代償に個人の自由や多様性が失われる。まさに全体主義のディストピアが実現してしまう。GAFAは企業であるがゆえにマネー原理に支配されている。自由主義圏では企業と市民のこのせめぎ合いは今後も続く。どこに帰結するかは現時点では分からない。小国・日本は自由主義圏と社会主義圏の間で揺れ動くかもしれない。日本人は個人主義が根付いていないので自由主義圏の市民のように権力と闘う強い意志は持てない気がする。自由主義の仮面をつけた社会主義が似合う。それは社会主義ならぬ会社主義だ。日本は相変わらず未来でも歪んだ会社主義をやっているかもしれない。

3月7日(日)
地域社会の話が心にしみた。自分を省みると反省せねばならない点もあった。地域社会を取り戻すには時間がかかるだろうけど、このままでは日本はなにもかも荒廃してしまうように思う。地道な努力しかないのだろうなあ。

3月8日(月)
有料記事なので冒頭しか読めてないが、おおよそ見当はつく。電子立国・日本の敗戦。もはや、家電や半導体で日本の敗戦は歴然としている。なんでこうなったかすらも日本人は学ぼうとしない。歴史というものを蔑ろにしてきたツケだ。

シン・エヴァンゲリオン劇場版がついに公開された。長かった。しかし、まだ観れてない。ネットでネタバレ情報を集めて、大体のストーリーは掴めた。旧劇場版ではシンジ君が人々との摩擦があっても個を保って生きていくという決意で母離れする話だった。ちなみに母ユイは初号機と融合して永遠の生命を得た。新劇場版は旧劇場版の後始末だったと思う。成長したシンジ君が悩みながら失敗しながらも他のキャラを救済する話だ。ちなみにユイを失った碇ゲンドウのユイへの執着が諸悪の根源だったとも言える。意外だったのはアスカもクローンだった点だ。アスカもシンジ君同様にトラウマを抱えて不安定ながらも人間臭さがあったのだが、庵野監督は彼女をクローンにしてしまった。おそらく、レイ派・アスカ派のような脳内彼女として女性をフィギュア化して人間として見ないオタクたちに対する否定として、アスカもクローンにしてしまったのではないかと思う。旧劇場版ではシンジとアスカがアダムとイヴになったのだけど、新劇場版ではアスカもフィギュアにしてしまうオタクの欲望を否定するためにクローンにしてしまったのだと思う。ともかく、シンジはそんなアスカも救済しているらしい。でも、マリが残るのはなんというか不思議な回収の仕方とは感じる。というのもマリのキャラを深堀りするような内容は無かったからだ。人間としてのマリの内面は序破Qでは描かれていなかったように思う。なので、マリが残るのはなんとなく違和感がある。でも、エヴァンゲリオン自体がたくさんの謎かけをしてその回収に苦労していると思うから、しょうがないのかなとも思うが、それはそれで物語に対する評価にも関わってくる。旧劇場版が問題作だっただけに新劇場版でそれを解消したかったのだと思うが、なかなか難しいと思う。『イデオン』の結末を説明なくそのまま子供に見せるのはちょっとリスクがあるよなと思うのと同じで旧劇場版もちょっと危うさがある。まあ、危うさが面白さでもあったわけで、芥川龍之介の『地獄変』で良秀が地獄絵を描いた後、自殺してしまうのだが、仮に自殺せずに天国を描いて昇華しようと苦心するのだとしたら、『地獄変』という作品は芸術としてそれほど高く評価されなかったと思う。日本のアニメがディズニーと違って子供向けでなく思春期の子供向けに作られることが多いことに、この面白さと危うさがある。なので、新劇場版をあまり高く評価しすぎる風潮も昨今のネットの作法のようであまり好ましくないと思う。まあ、公開当初は興奮があるから少し時間が経てば冷静になるかもしれない。いや、まだ、私は見てないのでこんなことを言うのは何だけど(苦笑)。私も実際に作品を見ればまた感想は変わるだろうし。とにかく、長きに渡って未完だった作品がようやく完結したことに、今は安堵したい。

3月14(日)
この手の話を聞くと私は野口悠紀雄先生の戦時経済体制(統制経済)を思い出す。そして、工業社会から知識社会に変わるとき、すなわち90年代に相当するのだが、統制経済から多様な経済体制に変わるべきだったと思う。結局、日本は構造改革できず、失われた10年がいまや失われた30年になってしまった。その結果、日本のGDPは世界全体の中で相対的に3分の1にまで減少してしまった。日本人一人当たりのGDPも先進国の中で3分の2以下に低下してしまった。端的に言って、変われなかった日本は貧乏になった。そして、今も日本人はどんどん貧しくなっているのに誰も問題を指摘しなくなった。日本人は本当に愚かになってしまった。日本型システムは日本人を従順な家畜にしてしまった。おそらく、外から支配しやすい。日本人を支配する者が出てくるかもしれない。経済戦での日本の負けは確定している。そして、それでも自らシステムを変えることを日本はできないだろう。日本は21世紀の新しい形の属国になるかもしれない。

3月17日(水)
中国の恐ろしさ。恥など少しも感じずにこういうことを押し付けてくる怖さ。

良いニュースだ。しかし、高裁で覆されるだろうけど。

3月19日(金)
微妙。そもそも日本は国産ITが無いに等しい。プラットフォーマーに情報を持っていかれるのは必然な気がする。そのリスクを知りながら、どのプラットフォームを選ぶかという問題になる気がする。

世界はいよいよ中国と米国の二極体制になるということかもしれない。できれば、中国陣営になることは避けたいが、経済を考えるとおそらく中国になびかざるをえないことになるのだろう。そして、日本人の気質からすると全体主義に染まりやすい。個人主義や民主主義や市民社会が根付いているとは言い難い。

体調が悪くてシンエヴァを観れてない。2時間以上映画館で座り続けるのは、今の身体ではけっこうキツい。でも、できれば映画館で観たい。とはいえ、ネタバレ情報を集めたことでストーリーはほぼ見切った。真希波マリに謎を残しつつ、彼女に重点を置いたのはどうかと思う。ちなみに、シンゴジラも官僚や市民の描き方をどうかと思う面があった。そんなこともあるので、物語としては私は庵野監督の力量をあまり評価していない。映画館で見なくてもいいかという気も少しある。しかし、ようやくの完結だし、映画館で終わりにしたいという気も強くある。

3月23日(火)
中国は一歩も引く気なし。

3月24日(水)
製鉄なんかはずっと終わると言われていたことで今更ではあるが、自動車も含めて終わるという点では新しい指摘かもしれない。電機は半導体の敗戦が決定的となったし。自動車は蓄電池でイノベーションが起こったときにガソリンから電気自動車に変わるときに大々的に起こるのだろうと思う。いずれにせよ、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれたバブル絶頂から、1990年代に失われた10年と言われ、その後、ずっと「景気が悪い」という表現にとどまってきたが、実際は世界経済からおいてけぼりにされて30年経った今、日本のGDPは世界経済において相対的に3分の1にまで縮小した。一人当たりの豊かさは先進国で最低で、韓国にも抜かれた。一人当たりの豊かさランキングでは、たしかメキシコより1つ上のランクだったと思う。日本は統制経済でメディアも自主規制しているから、大半の日本国民は現実を知らない。また、仕事以外のことは不真面目だから政治のレベルも低い。自分たちがどんどん貧しくなっていることに気付かないでいる。なぜか日本人は豊かだと勘違いで威張っているという滑稽さ。そのことを外国から見抜かれていて情報戦でまんまと騙されていたりもする。本当におめでたい人々である。後世の歴史家は当時の日本人は愚かだったと判定することだろう。それに経済成長率から考えれば、今後、千年は日本が浮上することはないと思われる。いや、千年以上、もしくは永遠かもしれないが。

3月25日(木)
う~ん、実際、どうなのか?

ふむ。

中国らしい。

3月26日(金)
以前、NBAが中国に日和ったことがあるから、ボイコット運動は効果があると思う。情けないことではあるが、経済で攻めてこられると日和るところが出てくるだろう。それだけ中国支配が世界的に進んでいるということだろう。

3月29日(月)
技術開発で選択と集中はなかなか難しい。当たりハズレは当然出てくる。

3月30日(火)
中国にすれば予定通りだったのかもしれない。

いろいろ結託してる。日本の腐敗。

まとめ
中国の覇権がいよいよ大きくなってきた。米中二大超大国になってきた。いや、米国をも凌駕するかもしれない。一方、日本の凋落がいよいよ目に見えてきた。寂しい話だ。

『シン・エヴァンゲリオン』が公開された。ようやくエヴァンゲリオンが終わった。まだ、観れていないが。それでも終わった感は味わっている。



2021年2月27日土曜日

NEWS2021.02

2月1日
クーデターに驚いた。さらにミャンマーでもスマホとSNSが普及していることに少し驚いた。

インドは民間の仮想通貨を禁止するつもりのようだ。しかし、果たして世界の仮想通貨を実際に止められるだろうか?

日本の電機メーカーが滅んでゆくようで寂しい。

2月3日
ついにジェフ・ベゾスが退任した。Amazonはインターネット通販の先駆けで当初は赤字続きで、途中もけっこう赤字続きと言われ続けてきたと思う。驚かされたのはAWSで知らない間に普及していて、利益の大きな割合を占めるようになっていた。そして、AmazonはGAFAの一角を担うまでになっていた。あのMicrosoftを超えていた。現実は分からんものだ。一方、労働問題ではいろいろと問題が指摘されている会社でもある。

2月5日
これは米国だけでなく、世界各国が貿易収支が悪いのでは?

21世紀の世界情勢がハッキリしてきたように思う。世界は中国と米国の二大超大国の覇権争いになりつつある。特に中国の台頭が著しい。同時に中国はその支配力を世界に浸透させつつある。誰も中国に文句を言えなくなるかもしれない。チベットが蹂躙されたようにウイグルも蹂躙されつつあるようだ。香港ももっと支配されるだろう。一方、米国は国内の分断が叫ばれている。しかし、これは格差問題でもある。元々、米国は格差社会だった。しかし、グローバリズムによって国内の格差が拡大した。その結果、これまで中間層だった白人が貧困層にどんどん転落していった。そのため不満が高まり、現在のような分断が表面化した。これは米国だけではない。日本でも、その他の国でも起こっている。国内の格差が拡大しているのだ。ところが、日本では格差解消のための社会運動が他国に比べると弱い。日本はこれまで労使が協力し合う会社主義の国だったからだ。日本人は会社人間だった。そのため社会運動が起こりにくい仕組みになっている。いや、その他にも、日本人は他国に比べて仕事以外では不真面目な国民性であることも原因だ。デーブ・スペクターがお正月が終わった頃にツイッターで言っていたが、「日本は朝から晩までずっとお笑い番組を流している。お笑い芸人になんて優しい国なんだ」という趣旨のことを言っていた。そう、日本のテレビはお笑いばかりで真面目な番組が極めて少ない。また、街じゅうにパチンコ屋がある。パチンコ屋は賭博場だが、街中いたる所に賭博場がある国も珍しいのではないか?他にもアカウント無しで見たときのYouTubeのトップページが日本だけ不真面目なものが異常に多い。他国はもう少し真面目なものが多いように思う。さらに、野間易通氏が言っていたが、社会運動などのデモでも参加人数が日本だけ二桁少ないようだ。人口では日本のほうが遥かに多いにもかかわらずだ。また、彼はバブル世代の大人がパッパラパーだと言っていたが、私の実感としても同じように感じる。どうも幼稚なのだ。バブルの頃に染みついた考えが抜けていないように思う。先日、ツイッターを見ていたら、中国の深センの工場では「日本からの注文は発注量が少なくて儲けが少ない割に細かい注文ばかりつけてくる。その上、発注してやっていると威張っている。確かにひと昔前は日本から注文が来るのは会社が認められたと喜んでいたが、今は違う」というようなことが書かれていた。日本人は時代が変わったことに気づいていないし、変わった世界に合わせるためにシステムを変更することも行っていない。どんどん取り残されている。自分たちがどんどん貧しくなっていることに無自覚でいる。そして、日本の政治家も戦略が無い。おそらく二大超大国・米中に振り回されることになるだろう。そのしわ寄せは弱者にくる。不満の矛先は韓国に向かう。ところが、韓国の方が一人あたりの豊かさでは、去年、日本を抜いている。不思議なことに嫌韓の日本人はそのことを知らずになぜか見下している。自分たちの方が見すぼらしいのに、なぜか韓国を貧しいと思っている。滑稽な話だ。ま、そこまで日本人というのは世界が見えなくなっているということなんだと思う。さて、世界情勢に話を戻すとロシアは闇だ。プーチンの独裁が甚だしいが、それが永遠に続くわけではない。プーチン後がどうなるか不透明だ。しかし、ロシアの軍事力は侮れない。EUはどうか?EU内の調整が難しいのだろうと思う。英国はどうか?英国は試行錯誤の国だ。英連邦の厚みもある。あちこち軋みはするけれど、日本のような落ち方をすることはあるまい。インドはどうか?インドも着々と力をつけている。南米やアフリカはどうか?いろいろ問題は抱えているだろうけれど、グローバリズムで底上げはされていると思う。引き換えに環境破壊が進むだろうけれど。中東はどうか?米国が邪魔しなければペルシャ勢が力を増すだろう。イスラム教と民主主義をどう折り合いをつけるか難しいところだが。一方、アラブ勢は確たる国家を形成しないと不安定になるリスクがある。サウジアラビアとか意外とリスクがあるように思う。さて、振り返ると、1990年代に米ソの冷戦が終わり、IT革命とグローバリズムによって世界は大きく動き始めた。インターネットとスマホ(あるいはパソコン)の普及によって人々の暮らしは大きく変わった。世界の人口はいずれ110億人になると言われている。グローバル経済によって環境破壊が大きくなるので、グローバリズムの後はサステイナビリティ(持続可能性)が謳われるようになって久しい。そういったグローバルな問題解決のために世界政府の樹立が必要かと思われたし、Googleが見せたサービスがその片鱗にも思えたが、米国の孤立主義や中国の覇道がどうもそういった世界政府の樹立にはまだまだ程遠いのを思い知らされた。H.G.ウェルズは「戦争中はあれこれ反省するが、戦争が終わればそんな反省など嘘みたいに忘れてしまう。実際、第一次世界大戦のときがそうだった」と嘆き、今度はそうならないようにと第二次世界大戦の最中にウェルズは世界人権宣言を構想して、戦後、エレノア・ルーズベルトが世界人権宣言を実現した。戦後の人権はナチスドイツが行った人種差別・障害者差別・性的マイノリティ差別に対する反省から生まれたといっても過言ではあるまい。日本国憲法の第3章の基本的人権もそこに由来している。(本来は基本的人権が憲法の一番最初に来るべきだが、日本は天皇や戦争の放棄が先に謳われている。一方、韓国の憲法は基本的人権が一番に来ている。)中国の覇権が拡大する世界で人権がどこまで守られるのか。また、格差社会の影響で偏狭なナショナリズムが国内で沸き起こる中でどこまで人権が尊重されるのか危惧される。日本は戦略や歴史観の無い国で、皆、無意識で流されている。日本は構造改革ができなかったので、皆、古いシステムで新しい課題に向き合っている。そのために、あちこちで問題が起こっている。問題が起こっても、皆、他人事である。これは昔からのことだ。自分に火の粉がかからなければ他人事なんだろう。そんな日本人の心のよりどころはマネーだ。お金があれば、なんとでもなるという考えだ。確かにそういった側面があるのは否めない。マネーの魔力だ。ただ、昔を知っている人間からすれば、文化が没落していることは間違いない。ネットの普及で情報環境は非常に便利になった。しかし、その反面、国内のコンテンツは貧しくなっていると感じる。いくらお金があっても、貧しい文化しかないのでは豊かな暮らしとはいえない。お金がなんでも解決してくれるわけではないのだ。ともかく、世界は変わった。日本も変わらなければダメだ。同じシステムのままではジリ貧でしかない。いや、同じシステムのままでは、現状維持すら困難で、どん底まで貧しくなってしまう。変わることを模索しなければならない。

2月9日(火)
中国では政府が気に入らないSNSはすぐに排除できる。政府はSNSが民衆の不満を発露する、言論の自由の場であることを敏感に感じ取っており、政府はSNSによって市民が政府に反抗することを恐れている。民主国家では政府が市民を恐れて市民の声を聴いて政策に反映する。しかし、中国ではそうではない。中国では市民の声を潰す。国家権力で市民を押さえつける。結果、市民が政府を恐れる。権力者は安心して私腹を肥やす。

2月12日(金)
森喜朗の失言は昔からで、昔から資質に問題があることは明らかだった。それが今まで見過ごされてきたのは日本社会の後進性だった。ところが、世界が進歩したので日本も世界に合わせざるを得なくなった。オリンピックという国際的な行事だから修正するというのでは、日本の後進性は変わらないだろう。変えるためには教育が必要だ。日本人一人ひとりの意識や知識を変えなければならない。ひと言でいえば、知識のアップデートが必要だ。知識社会では知識の日々のアップデートを求められる。そのためには可処分時間が必要だ。会社人間を止めて、学習のための時間を一人ひとりが確保すべきだ。ただし、そこで問題が生じる。どう考えてもアップデートが困難な人々がいる。高齢者だ。確かに一概に高齢者がアップデートが困難だとはいえない。しかし、多くの高齢者はアップデートについていけない可能性が高い。(もちろん、若くても頭の固いアップデートが困難な人はいる。)十把一絡げは良くないけれど、森喜朗は老害だと言っていいと思う。老害というと高齢者差別だと言われそうだが、若くても柔軟な思考のできない、学んで変われない、アップデートが困難なひとがいて、若くてもそれは老害に類すると思う。私もけっこうな年齢なのでいつ老害になってもおかしくないので、努力してアップデートしてゆかねばと思っている。アップデートが困難になったときは、老兵は去るのみ、と思っている。

日本企業がやれなかったことをNetflixがやってくれる。日本企業も負けずにがんばって欲しい。昔の東映動画は東洋のディズニーを作るという意気込みがあったはずだ。Netflixが取りこぼしてしまう価値観や作法を日本企業が独自にやれればと願う。しかし、経済がそれを許さないか。

Googleがジャーナリズム支援という見方。たしかにGAFAやSNSが大きな影響力を持つ現実で、Googleがお金を出してジャーナリズムを支援する意味はある。ただし、同時にGoogleによる支配がジャーナリズムに広がることにもなる。

2月14日(日)
リスク・コミュニケーションやクライシス・コミュニケーションというものを知らなかったのでとても勉強になった。ただ、民主主義的な基盤、市民社会が無ければ、なかなか機能しないようで、地域社会がほとんど破壊された現代の日本ではなかなか困難だと思った。むしろ日本には、中国のような官僚主導の独裁国家的手法の方が合うような気がして残念に思った。それと日本人の戦略の無さの話やゲームの話、医者と選択肢の話は大変興味深かった。ともかく、日本を変えるには教育だと思う。それも多様な教育だと思う。多様な人材を輩出するためには、いろんなタイプの教育の仕方があると思う。画一的でなく、多様なスタイルの教育。教育をもっと根本的に変える必要があると思った。このまま行くと日本人は人類の進化のレールから外れてしまいそうな気がする。いや、まあ、それはそれで希少価値があるかもしれないけれど。以前、中沢新一さんが言っていたと思うが、「骨董という西洋とは別の価値基準があって」という話があって、確かに何もかも同じ価値基準にする必要はないし、かえってオリジナリティがある方がそれはそれで競争力にもなるとは思うのだけれど、とはいえ、今の日本のモデルは戦後の工業国モデルであって、そういう古いモデルからは脱却すべきだと思う。ところで、話は違うが、トルストイの『戦争と平和』でいかに軍という集団が軍首脳の思ったように動かないかを描いていて、リスク・コミュニケーションも戦争のような短い時間の話ではないにしても、いかに人間の集団が複雑系的な動きをするかに対して、どう対処すべきかというなかなか難しい話だなと思った。分散型の中で個の力を活かすということなんだろうけど、戦時中の竹槍訓練とかコロナ禍の自粛警察とか考えると、むしろ頭の固い人たちによる抵抗が強い気もする。同時に米国とかコミュニケーションが十分にとれる小集団単位を数値的に考えたりしていて、スポーツが盛んなこともあり、得意だろうなと思う。それに対して日本はかなり柔軟性に欠けるような気がする。これって言及しだすと、旧日本軍のころとまったく変わってない日本人のダメさにうんざりするという・・・。とにかく、このまま行くと日本人、ヤバいなと思う。経済力も無ければ技術力も無く、さらに人間としての資質も無いという、世界の劣等生になりそうな気がする。個人としては日本社会の中では異端である方が正しいのではないかという、なんか捻れた自信にはなるなあ(笑)。

2月21日(日)
トランプのアメリカを宗教面から理解するのに大変参考になる話だった。宮台さんのカトリック=普遍という話はなるほどと思った。神保さんのトランプの弾劾裁判の話(←自らは言わない話)は言われなければ見落としていたので良い指摘だった。その他、ZIPコードを使わない話などアメリカを知るためにいろいろ参考になる話だった。

それにしても米国が国内問題ばかりにエネルギーが注がれて、中国やロシアなどの国外問題が疎かになることが心配だ。特に中国の覇権が増大して世界の半分を中国が支配してしまったとき、恐ろしい巨大な全体主義国家(中華帝国)が誕生してしまうのではないかと危惧する。米国の孤立主義がアダになってしまう。世界に民主主義を広めるネオリベは中東に悲惨な戦争をもたらしたが、かといって国連などに非協力的な米国の孤立主義は中国やロシアなど非民主的で人権を軽んじる全体主義的な独裁国家を跋扈させてしまう恐れがある。英米連合やEUは中国やロシアをもっと牽制できないものか。インドが中国の半分くらいと対抗できるようにならないものか。とはいえインドも問題が数多くあるように思う。しかし、時間が経てばインドはそれなりに良い国になるような気もする。翻って日本はどうか?日本にはもはや国際政治に関わるだけの力はないと見る。カナダのようなミドルパワーを発揮できる政治力もない。東アジアで韓国と協力して中国の覇権を抑制する協力体制をとれるかというと、現在の日韓関係ではほぼ不可能だろう。それに日韓ともに中国に経済的に依存せざるをえないのではないか。今の日本に必要なのはワシントン・モニュメントのように積み上げてゆくことだと思う。積み上げながら変わってゆくこと。日本は普遍だと思っているフシがあるが、そうではない。米国と同じように日本を良い国・立派な国にするためにひとつひとつレンガを積み上げてゆく地道な作業が必要だと思う。それは歴史を積み上げてゆくということで、歴史を積み上げてゆくためにはちゃんと記録を残してゆくということ、後世の歴史家がちゃんと検証できるようにすることだ。ホント、基本的なことなんだけど、日本はそこから始めなければならない。

酷い話だ。以前に読んだチベットで中国が行った拷問のやり方にとても似ている。そもそも、以前に聞いたニュースでウイグルでの収容施設の規模の大きさが異常だ。数十万人規模の収容施設だったと思う。そんな規模の収容施設では何が行わているか分かったものではないし、恐ろしく過激なことが行われていても不思議ではない。

少なくとも圧力はかけていくべきだと思う。どのくらい効果があるかは疑問だが、それでも声を上げていかないと。明日は我が身だと思う。

2月25日(木)
人事に介入して圧力をかけてくるのが菅首相の特徴なんだろう。安倍政権のときからずっと続けられていることだが。権力と対峙しないなら、ジャーナリズムじゃなくなる。北朝鮮や中国の政府広報と変わらなくなる。ただ、社会主義国と違う日本がこうなってしまうのは、国民が政治的に堕落しているからだと思う。バブル経済以降、日本人は政治的に呆けてしまたのだと思う。その結果、日本国民の政治を見る目が腐ってしまったのだと思う。社会主義国では政権の強権によって国民は政権に従わされてしまうのだが、日本の場合は日本国民自身が呆けてしまったために政権が腐敗している。国民も政治家も呆けているわけだ。そんな国が沈むのは当然だ。

2月26日(金)

高橋和夫さんの分析が正しいように思う。このニュースを聞いた時、私が思い出したのはオバマ政権発足時にオバマと軍の関係が非常に悪くてオバマが苦労したことだった。そのため、バイデン政権では軍との良好な関係を築くために軍の意向に沿うようにバイデン大統領が司令を出したのではという懸念だった。ただ、この地域ではこれまで米国の政策の継続もあってそう単純ではないなという感じがする。国内外問わず相手もあることだし。いずれにせよ、トランプ政権のときのような場当たりではなく、国際政治が歴史の歯車に従って前進しはじめた感がある。

2月28日(日)
今回は英国のGP制度、家庭医の話で大変勉強になった。以前、見た映画で同様の制度らしきものがチラッと登場したように思う。この制度が日本でうまく機能すれば、現行の状態よりも改善するかもしれない。ただ、日本って市場はあっても社会は無い面があって、うまく機能するかどうか心配ではある。とはいえ、社会保障費がこれだけ財政を圧迫しているのだから少しでも医療費を圧縮して、なおかつ健康の増進に効果があるのであれば、是非、導入できたら良いとは思う。そもそも病気になったとき、自分で何科に行くかを判断しなければならないのはどうかと思う。行った科によって治療方針が決まってしまい、病気に合った治療方針か怪しいときがある。やはり、総合的な視点を持った医師が最初に方針を下すべきだと思う。ただ、総合医というのは昨今では難しいとも思う。最近の医師は問診や触診がいい加減だと感じるからだ。機械による分析に頼りすぎるきらいがある。少ない検査結果から確率の高そうな病気を判断していると思うのだが、問診や触診でより多くの情報を得て、それらも判断材料にできれば良いのにと思う。それにそもそも患者の日常の生活の観察が少なすぎる。普段の患者を知らなくて診断を下している。それはあまり良くないと思う。まあ、医師は忙しいから、そんなことまでやってられないのだろうけど。

まとめ
コロナのワクチン接種が世界的に始まった。これによってコロナを克服することができるかどうかは今後の経緯を見ないと分からない。できれば克服してもらいたい。多くの人々がコロナで亡くなってしまった。

世界に目を向けると、中国の覇権が拡大している。世界市場に対する中国の企業努力が報われた面もあるが、一方で中国の非民主的な支配が増していくことは恐ろしいことでもある。一例としてウイグルがある。一方で米国でバイデン政権が始動しはじめた。国内の分断を克服するという課題がある一方で、トランプ政権が止めた国際政治を前進させることに期待したい。

GAFAがかつてのような進取の気風がなくなり、安定の大企業化してきた感がある。それは陳腐化でもあるし、これまで勢いに隠れて見えなかった腐敗が表面化してくることでもある。かつてGAFAのようなIT企業を”第5の権力”と言っていたが、実際、SNSの影響はそれをなぞるものだったし、それ以上に『攻殻機動隊』が言っていたようにグローバルにネットワークが張り巡らされて国家を凌ぐ力を持つ存在にさえなろうとしている。今後もGAFAの動きから目が離せない。Microsoftも。案外、GoogleとMicrosoftは合併した方が良い気もするが、反トラスト法に確実に引っかかるから不可能だな。Facebookは個人的にはもう少し縮小して欲しいなあ。

日本についてだが、日本の産業はどんどん競争力が低下している。「資源の無い国ニッポンは技術で食ってくしかない」と私が子供の頃は言ってたのだが、その技術が無くなってしまった。そうなると日本は貧しくなるしかない。日本は工業社会を思い描けても、知識社会を思い描けなかったのが致命傷となった。そんな日本の政治の話はどれもクダラナイ話ばかりで、政治のレベルの低さ、国民のレベルの低さが如実に表れている。国民も政治家もどうして良いか分からないんだろうと思う。そして、問題を直視しないんだと思う。船は沈んでいる。でも、甲板ではみんな宴会をしている。海を見れば、あきらかに船体は沈んでいる。でも、みんな宴会をしているから、自分も宴会をしてればいいやという感じだと思う。

性について。昨今、男社会における女性の扱われ方の酷さが取り上げられることが多いが、女社会における少数派である男性の窮屈さというのもある。「男性を平等に扱っている」という多数派の女性の主張は傲慢だと思う。全然平等じゃないように思う。まあ、完全を求めるのは難しい。世界は広くて様々な世界がある。それはともかく、フェミニズムやLGBTQなどさまざまな立場がある。今、欲しいのは包括的な性の専門知、専門家が欲しい。立場に囚われない性の専門家、性科学者、セクソロジストが欲しい。そこでは知識の深さより広さの方が重要な気がする。曖昧な言い方だし、個人的な感触ではあるのだが。あ、データが大事ってことかもしれない。



2021年1月30日土曜日

NEWS2021.01

1月2日(土)
相変わらず中国の国家権力のイヤラシさだ。ところで私は全体主義というのはとっくに克服されたものと思っていたが、最近はどうもそうではなくて、人間の中に全体主義に流れやすい性質がセットされているのではないかと疑うようになってきた。なので全体主義への警戒は忘れていいものではなくて、いつの時代でも全体主義への警戒は必要なのではないかと思うようになってきた。そして、現時点で一番警戒しなければならないのは中国の全体主義ではないかと思っている。もちろん、中国以外にもナショナリズムという名の全体主義がそれぞれの国に内包しているという懸念はある。例えばトランプを支持している米国の差別主義者たちや日本のネトウヨなどがそうだ。私としては、全体主義を克服して、多様で自由な社会を目指したいと思っている。

政府のコロナ対応が難しいことは理解できる。ただ、ブレーキとアクセルを同時に踏むのはちょっとどうだろう?こまめなブレーキとアクセルの切り替えが生じるのは仕方ないとして、同時はちょっとマズいんじゃないかしら?まあ、国という巨船の舵取りが難しいのは分かるけど。

1月3日(日)
有料記事なので無料で公開されている冒頭しか読めていないが、ハラリが良いことを言っている。冒頭だけでも読む価値がある。私としては、Googleが提示した世界政府やケインズが元々提示していたIMFや国連などのグローバルな国際組織について、いろいろと想像させられた。ピケティもその必要性を説いていたと思う。まあ、ずっと言われ続けている持続可能性(サステイナビリティ)なんだろうけど、それをより実現するための国際機関・国際秩序の必要性。

中国支配が着々と進んでいる。

サイバー攻撃の恐ろしいところはセキュリティが破られていることに気付かないこと。

1月5日(火)
「邪悪になるな」の頃のGoogleに戻るのであれば大歓迎。かつてのGoogleは企業を超えた存在だった。ITが世界を変えたけどGoogleはその象徴だった。しかし、多くのIT企業はいつの間にか普通の企業と同じように金儲けだけに走るようになってきた。かつてオープンソースでLinuxがどんどん進歩したときのような、あの頃の姿にGoogleが戻ってくれたら嬉しい。

1月6日(水)
中国の恐ろしさ。国家権力が民主主義を圧迫してゆく姿。このまま中国の力が強大化すれば世界の半分が中国に支配されてしまう。誰も中国に逆らえなくなる。日本は地理的に中国に近いから中国の支配下になってもおかしくない。

1月7日(木)
トランプ支持者の愚かさ。しかし、それで死者を出してしまうのはなんともやりきれない。一方、トランプ支持者たちの侵入を容易にしたのは警官の手引があったからという話もある。BLMでも問題になったが米国の警察の中には白人至上主義者が多数いるという話を思い出す。問題の根深さを思い知らされる。BLM運動のとき「警察を解体しろ」という声があって最初は理解に苦しんだが、どうも想像以上に米国では警察組織が腐敗している可能性がある。

トランプは4年後に再び大統領選に出馬することを考えていると思うし、トランプ支持者たちもそれを願っているのだと思う。トランプ自身は人気商売という視点で考えているだけで政治的な思惑は特に何も無いのだろう。ただ、トランプ支持者たちは彼らの受け皿となってくれる人物を欲しており、それはひいてはヒトラーのような人物を再び生み出す可能性があると思う。トランプ支持者たちの愚かさについ嘲笑してしまいたくなるが、笑ってばかりいられないのはヒトラーのような過激で破壊的な独裁者を生み出す危険性がある点だ。コメディでも見ているつもりで笑っていたら、いつの間に権力に棍棒で殴られることになるかもしれない。ただ、だからといって力で彼らを抑え込もうとすれば、かえってそれがファシズムになることだってある。結局、常日頃から地道に啓蒙してゆくのが、一見遠回りなようで、実は一番近道かもしれない。

日本でも安倍晋三を再び首相にしたいと思っているネトウヨがいると思う。さすがに三度目はないと思ってはいるが、しかし、不文律を破るのは彼らの常套手段なので警戒は必要だ。

1月8日(金)
インフルエンザの流行を考えればこの時期にコロナが流行するのは予測できたと思う。ただ、GoToキャンペーンで少し前倒しで流行が始まった感じは少しする。しかし、そのおかげで年末年始の外出がいつもよりは抑えられたような気もする。なので、結果的には、意外とこれでも流行は少なかったかもしれないという気もする。さて、緊急事態宣言だが、感染予防と経済という両天秤を考えねばならないので難しい。しかも財政という問題が後ろには控えている。ただ、目下の窮状を救うためには財政出動もやむを得なくはある。なぜなら死んでしまっては元も子もないからだ。しかし、のちに財政問題は大きな課題となる。いや、既に大きな、いや大き過ぎる課題であるのだが、さらに大きな課題になる。ただ、世界的にどの国も財政出動しているだろうから、逆にうまく乗り切れる可能性もある。

1月13日(水)
さらば歴史探偵。合掌。

1月14日(木)
悲観的だが、破裂するしかないと思う。

今月はトランプ大統領のTwitterを永久停止というニュースがあり、FacebookとInstagramも当面停止するというニュースがあった。これに対して賛否両論があった。ダースレイダーさんと町山さんはこれに肯定的だった。津田大介さんもロジカルに肯定的だった。一方で野間易通さんとかは反対だった。ドイツのメルケルも反対だった。

で、私としては、どう思うか?論理的には津田大介さんたちのいうように利用規約に違反していて、ずっと警告されていたのでこれは確かに当然で、むしろ今までがおかしかった。今まで大統領だから特別扱いで看過されていた。ただ一方で、メルケルが言うように、たしかに言論・表現の自由の観点からいえば、発言の場を奪うことは危険ではある。とはいえ、今回、議事堂乱入で死者が出ている。煽動したのはトランプだ。これをそのまま看過することの方が危険だ。歴史上、デマが引き金となって様々な殺戮が生じてきた。今回、あきらかにトランプが不正選挙だというデマを流し支持者を煽った。米国のメディアは報道するときに「不正の事実はない」として、大統領の発言をフェイクだとしっかりチェックし、トランプの会見を途中で打ち切った。米国のメディアはトランプに意見の表明の機会を与え、その上、発言の真偽までわざわざチェックして、情報に評価を与えてちゃんと流した。これは大変面倒な手順でありファクトチェックという非常に高コストな手続きではあるが、民主主義的な手続きをしっかり踏んでいると思う。これら全体の流れを考えると、Twitterの永久停止も仕方ないのではないかと思う。(話が脱線するがGAFAが権力になってしまう危惧はある。GAFAが気に入らない思想はバンされてしまう。これも一種の全体主義と言えなくもない。)情報を取得するための情報源としてのTwitterというのであれば閲覧だけ可能にするとかいう手もないではないと思う。ただ、この事態、けっこう白黒はっきりつけられる問題ではない気がする。こういう事態が起こったときにその都度人々は判断していかなければならないと思う。これをシステムに任せる方が危険だと思う。人間が最終的に決めるべきだとは思う。しかし、それでも人間が間違えることもありうる。ナチスを選んだのは民主主義であるからだ。民主主義は絶対ではない。絶対ではないが、民主主義がマシな方法だと思う。そのとき、生きている人たちが知恵を絞って判断するしかないように思う。そして、間違った選択をするリスクはいつでも抱えている。

1月20日(水)
このタイミング。トランプ政権の置き土産。とはいえウイグルの惨状を看過もできず。

1月21日(木)
さよならトランプ、こんにちわバイデン!

中国は黙ってはいない。米国だからこの程度で済んだとも思う。

1月24日(日)
バーニー・サンダースの写真がなぜバズったか分かった。宮台さんのユダヤ人のヒトの繋がりと一般人の場所の繋がりの話は興味深かった。会田さんの共和党の労働組合の話は驚いた。そういえばGoogleが労働組合を作った話があったのを思い出した。

これが本当ならスゴイ発明だ。まさにSFが現実になる。ただし、いろいろと検討せねばならないことが生じるが。

1月26日(火)
日米で政府の見解が異なるのは当然のことなのだが、ただ、ウイグルの件は看過できない。しかし、経済力の弱い日本はもはや中国に楯突けないのだろう。どうしたものか。

1月27日(水)
コーネル大学の選挙不正デマ拡散アカウントが興味深かった。

1月28日(木)
菅首相はさっさと任命すべきだ。違法を放置すべきではない。


まとめ
今月は何と言ってもアメリカ大統領がトランプからバイデンに代わったことが一番のニュースだった。それに伴う事件でトランプ支持者による連邦議会侵入事件も大きなニュースだった。さらに日本のネトウヨの中でトランプ支持者(Jトランプ?)が多いのにも驚いた。ともかく、米国内の分断が大きい。それと陰謀論の信奉者が多いことも。

一方で、中国の覇権が着々と進んでいる。近い将来、米国をも凌ぐかもしれない。また、プーチンのロシアも不気味な動きを見せている。

コロナが日本で広がりつつある。日本の財政でどこまで補償を出せるだろうか?しかし、大規模な財政出動は将来が懸念される。

さて、米国はバイデンで変わるかもしれない。世界も動いている。しかし、日本は変わる気配はない。日本は世界からますます置いてけぼりになりそうだ。

2020年12月27日日曜日

今年の振り返りと来年に向けて

 
1.振り返り

今年のこのブログを振り返ってみる。

まず、『21世紀はセックス革命の時代』を書いた。これは性の多様性が重要だし、それが広まってゆく、いや、期待したいし、その過程で摩擦も生じるだろう、という予測と願望で書いた。その関連で『日本を変革する(1)夫婦中心の家庭へ』を書いた。日本ではこれまで性がタブー視されていたが、セックスライフは人生の重要な一部なので、もっと性について知識を深めなければならないという思いで書いた。性の多様性は個人だけでなく家族や職場や社会に大きな変化をもたらすと思う。トランスやオープンマリッジなど様々な点で人々はより自由なセックスライフを送れるようになれると期待したい。(セクソロジー)

21世紀は格差社会の時代』も書いた。これはトマ・ピケティの『21世紀の資本』そのままだ。格差を解消するためにはどうすれば良いか?主に2つあって、再分配と経済成長だと思う。これは別に二者択一というわけではなくて、両方を追求すれば良いと思う。ただ、再分配は政治力が必要で、富裕層がタックスヘイブンなどに逃げられないように包囲網を敷いて公平に課税する必要がある。再分配もいかに分配するかが問題になってくる。思うのだが、ケインズが当初に構想したIMFもこういったグローバルな展開を予見してのことだったのではないかと思う。(モラルサイエンス)

ただし、日本の場合は『日本を変革する(2)市場を真っ当にする』と『日本を変革する(3)地方分権とネットワーク』で書いたように、長年続いた戦時経済体制のためにレントシーキングが生じてしまい市場原理が正常に機能していないし、中央集権体制のため硬直化してしまい非効率な生産システムになっている。そのため、経済成長も再分配もしずらくなっている。日本はまず基本的なシステムの構造改革しなければならい。つまるところ、ツリーとネットワークの最適化ということになると思う。ツリーを中央集権から地方分権に変え、さらに横断的にツリーを補完するネットワークを構築・育成することだと思う。また、非生産的な残業を廃止することで労働時間を短縮して、人々が地域社会に市民参加できる余裕を作ることだと思う。(日本の変革)

21世紀の生存戦略』では個人が生きるためには3つの知を磨き続けること、学び続けることを書いた。3つの知とは、全体知、専門知、人間知の3つだ。まず、生きるためには専門知を身につけねばならない。しかし、専門知だけではダメだと思う。広い知見が必要だ。かつては教養といったが、私は全体知と呼ぶ。さらに限られた時間や条件の中で最大限に学ばねばならない。そのためには己自身をよく知る必要がある。それが人間知だ。この3つを磨き続けること、学び続けることだと私は思う。(生存戦略)

ちなみに『仏教のすすめ』も書いたが、これは人間知に属する部分もあるかもしれない。ただ、どちらかといえばブッディズムは生き方を多く含んでいる。逆転した見方をすれば、ブッディズムはヨガ的生き方の一変種といえるかもしれない。実際に行っていることはヨガととても似ている。ただ、ブッディズムの場合は性的な禁欲という点でヨガと異なると思う。21世紀の仏教は宗教ではなくて、ヨガなどと同じライフスタイルのひとつと捉えるべきだと思う。(ブッディズム)

日本を変革する(4)記録・蓄積』はPDCAサイクルをより大きくしたものだ。『21世紀の生存戦略』でも触れたが人間知を磨くうえで大切なのは記録して振り返り改善してゆくというプロセスだ。日本ではこれがあまりにも粗末にされている。これを改善せねばならない。

足早に振り返るとざっと以上のようになる。

見立てとしては、おおむね間違ってないと思う。いや、当たり前過ぎる話かもしれない。しかし、実際に実装されるにはまだまだ程遠い。個人としては鋭意努力している。日々、学び続けているつもりだ。しかし、問題は日本だ。日本は1990年から本質的に変わっていない。失われた10年と言われた頃から変わっていない。いや、変わったかもしれないが、悪い方向に変わっている。格差は広がり、財政は悪化を増している。日本の企業は競争力をどんどん失っている。いつ、ジャパンクライシスが起こってもおかしくない。貧困は多くの人々を、特に弱者を不幸にする。そんな悲劇はなんとしても避けたい。

2.三つ巴

私は、日本には3つの勢力があると思っている。保守、リバタリアン、リベラルの3つだ。ただし、多くの日本人たちはそのことに無自覚だと思う。人々は「自分は保守だ」とか「自分はリベラルだ」という風に考えてないと思う。むしろ、「自分は普通の日本人だ」と考えている人が多いのではないかと思う。あるいは、言い換えると「自分は偏っていない。自分は普通なんだ」と考えている。でも、それは無意識な自分中心主義だと思う。社会は多様な人々がいて、多様な人々が共存してゆくための手続きとして民主主義があると思う。「私が普通なんだから、他人は私に合わせろ」ではなくて、「あなたと私では考え方が違う。しかし、それでも同じ社会に暮らしてゆくために互いに協力しましょう」というのが市民社会ではないかと思う。なので、最初に話を戻すと、日本人はまず互いに違うということ、そして自分はどの勢力に近いかを自覚することから始めなければならないと思う。

私の感触では、日本人の多くは保守にあてはまると思う。日本の多数派は保守だと思う。逆にリベラルは少数派だと思う。さらに保守にもリベラルにも違和感をおぼえる人は少なからずいて、おそらく彼らはリバタリアンだと思う。実際、数的にはリベラルよりリバタリアンの方が多いと思う。また、リバタリアンはリベラルよりは保守の方と相性が良いと思う。逆にリバタリアンはリベラルに対して部分的に嫌悪感すら感じていると思われる。

さて、私自身はリベラルだと思っている。リベラルが描くような自由に生きられる社会を目指している。だから、リベラル派が増えることを願っている。もちろん、リベラルは研鑽を積んで、今よりもより良く変わっていく必要もあると思う。また、他の勢力とも共存可能だと考えている。なぜなら、個人が自由に生き方を選択できるように選択肢を増やすのだから、保守的に生きたい人もリバタリアン的に生きたい人もその生き方をそれぞれ選択可能だと思うからだ。

ところで、外国に目を向けてみる。米国はどうか。保守とリベラルの分断が鮮明になっている。とはいえ、エスタブリッシュメントはコスモポリタン(裏を返せば帝国主義)だ。プアホワイトが狭量なナショナリズムになっているだけだ。ただ、アングロ・プロテスタントな文化がヒスパニック系に侵食されているのが気になるが。中国はどうか。共産党独裁は変わらない。ITの進歩によって監視社会がより強化されてしまった。ますます中華中心主義が蔓延るだろう。さらに儒教によってノモス化された中国的な全体主義が世界を席巻するかもしれない。日本も巻き込まれるかもしれない。

日本は中国・韓国と比較した場合、経済的に一番後塵を拝する立場になると思う。したがって、日本の保守主義は内側に向かうしかなくなる。悪くすれば、狭量なナショナリズムに陥る可能性がある。ともかく、外へ向かうだけの力は日本には最早無い。

私としては、日本の3つの勢力(保守、リバタリアン、リベラル)が単に争うのではなく、互いに協力したり、他勢力からの批判に対して自己に磨きをかけて成長することが望ましいと考えている。そして、3つの勢力が共存してゆくのが望ましいと思う。ただ、今の状況は旗色が不鮮明で、互いに敵味方がよく分からず、仲間だと思っていたら違ったので憤慨したとか、逆にあいつらは敵だからあいつらには徹底的に反対で話し合う余地はないのだとか、そういう不毛な形勢になっていると思う。そうではなくて、互いに違いを認識しつつ共存してゆける関係に持ってゆくべきだと思う。

振り返りで示した問題解決の提言を実現するために、リベラルの啓蒙と3つの勢力の鮮明化はつながっていると思う。日本はとかく無意識・無自覚で、戦略に欠け、場当たり的な振る舞いが多い。それを止めるためには旗色を鮮明にして互いに研鑽してゆくことで問題解決に至ると思う。

最後に、おそらく数的には

保守>リバタリアン>リベラル

の順だと思うので、リベラル派を増やすべく啓蒙してゆきたい。

それと、来年は読んでいる本のことや考えていることなど、もっとざっくばらんにフリーライティングな感じで書いてゆきたいなと思う。今もそうだけど、あんまり文章にまとめることに力を注ぐよりは、メモ的に断片的にであっても、とりあえず書き残してゆくことに注力する方が今は良い気がしている。

2020年12月26日土曜日

NEWS2020.12

 
12月1日(火)
日本の差別を取り上げた良い話。

話がズレるが、AIが人間を超えはじめた。逆に人間の性質も分かりはじめた気がする。ともかく、将来、科学を更新するのは人間ではなくAIになってしまうかもしれないなあ。

12月2日(水)
中国の国家権力の恐ろしさ。

12月3日(木)
振り返ってみると、検察庁法改正案の攻防が実に大きな分岐点だったのかもしれない。もし改正されていたら、日本は恐怖政治になっていたかもしれない。

12月4日(金)
とりあえず、核融合を起こせる高温にまで達せられることに成功したということだと思うのだが。とはいえ、それはとても凄いことだと思う。

12月7日(月)
Googleには邪悪になってほしくないのだが。最近のGoogleはどうしちゃったんだろう。

12月10日(木)
クリーンミートがまたひとつ進歩したみたい。凄い。

12月13日(日)
本筋とは少しズレるが、最後の方で話されたデンマークの教育の話が意外と興味深かった。宮台氏の多幸感と幸せの違いの話はとてもスッキリと理解しやすくする良い話だった。

うわぁ!

引き上げた方がいいよね。13歳は心身ともに未成熟だ。

12月15日(火)
Googleのサービスが使えなくなるのは、かなり実害が出るのを実感した。

いろいろな側面で考えさせられる案件。

12月16日(水)
寂しい話。

12月17日(木)
宮台真司さんが”加速主義”をいうときの意味するところがよく分かる話だった。


2020年の振り返り
今年を振り返ると世界的な話題のナンバー1はコロナではあるが、日本経済に言及すると、今年は日本が韓国に抜かれた年でもある。一人当たりのGDP、最低賃金、平均賃金のすべてにおいて、日本はとうとう韓国に抜かれた。世界で成長している企業を考えると、それは至極当然なことだと分かる。数年後には日本は中国や韓国の後塵を拝することは確定している。そのことに注意を喚起しないメディアも問題だし、現実に気づけない日本人も問題だ。1990年代以降、日本の経済・財政はどんどん落下しつづけ、日本はどんどん地獄に突き進んでいる。問題が消えたわけではないのに問題を直視しないことであたかも問題が無くなったかのように勘違いしている。

セックスに関して振り返るとNetflixのドラマ『セックス・エデュケーション』第2シーズンが大変良かったし勉強になった。そして、なんといっても助産師のシオリーヌさんによる性教育YouTubeチャンネルが革命的に良かった。さらに年末に刊行された彼女の著書『Choice』が性教育の教科書として普及してくれると嬉しい。それから、津田大介さんのポリタスTVの緊急避妊薬の回で知った遠見才希子さんも収穫だった。日本の中絶で掻爬法なるものが行われていることに驚いた。彼女の話を聞かなかったら知ることができなかった。他にも女芸人のバービーさんもYouTubeで再発見した。正しい性知識を啓蒙するのに彼女も大いに貢献していると思う。海外に目を向けると米国の最高裁でLGBTを理由に解雇することは違法という判断が出たことは嬉しい驚きだった。だが、その後、ギンズバーグ判事が死去して後任に就いたバレット判事が性的嗜好発言してガッカリした。トランプの残した忌まわしい遺産だ。とにかく、日本で性の多様化がもっと進展してほしいと願っている。たぶん、願うだけじゃなくて、ちゃんと闘わなきゃいけないんだろう。

そういえば、千田有紀氏による『「女」の境界線を引きなおす――「ターフ」をめぐる対立を超えて』問題が春先にあった。難しい問題だが、トランスジェンダーを排除するのは良くない。次第に社会の認識が変わっていくものと思うし、フェミニズムも認識を変えていくと思う。

政治に関して振り返ると安倍首相が辞任したことが大きい。ただし、これは現在も続いている政府と検察による権力闘争の意味合いがあるように思う。これについて言及すると大変長くなるのでここでは控えたい。とにかく、リベラルの勝利というわけではないが、安倍首相が辞めたことは喜ばしい。その後を継いだ菅政権は日本学術会議任命拒否問題でいかにレベルが低いかがすぐに露呈してしまった。菅首相も早く退陣してほしいものだ。しかし、日本では、保守>リバタリアン>リベラルくらいの順で保守層が多いから、選挙をしてもリベラルが勝てるかは微妙だと思う。また、リバタリアンは保守と相性が良くて、逆にリベラルを嫌っているから、リバタリアンの多くは保守に投票する。なので、リベラルはもっとリベラル派を増やさないといけない。しかし、日本の大衆は政治に無関心だから、なかなか難しい。

日本の貧困問題が顕著になってきた。子ども食堂が必要な時代だ。貧困が原因の悲惨な事件を目にするようになった。ところが、私の周囲だけかもしれないが、人々は日本の貧困問題に目を向けない。貧困など無いかのように思っているか、見ても不快なので見たくないので見ないのか、見て気づいても自己責任で他人事として知らんぷりをしているかのいずれかのように思う。日本人の物心両面の貧しさを感じる。

中国の問題。香港とウイグル。かつてチベットで繰り広げられた弾圧がウイグルでさらに進歩して行われている。香港でもついに民主派の弾圧に踏み切った。そういう一年だった。世界は米国と中国の二大覇権国になるのかもしれない。中国的全体主義と米国的自由主義。その一方で、ロシアはロシアで独自の独裁国家になりつつあるように思うし、EUはEUルールを確立しつつあるように思う。日本は統制経済で戦後やってきたがそれが破綻しつつある。再び全体主義に向かうのか、あるいは米国にならって自由主義の後につらなるのかは分からない。そもそも日本は真っ当にそれらになりえたことはない。常にズレる。ただ、今度は経済力が無くなっているので、力でねじ伏せられることになるとは思う。

米国の問題。今年は大統領選が大きかった。ようやくトランプが負けた。バイデンに満足しているわけではないけれど、トランプと比べたら100万倍もマシだ。ただ、最高裁判事でリベラル派が劣勢におかれたのは残念だ。大統領選ではスッタモンダがあって、ハラハラしたが、とりあえず事前の予想通りにバイデンが勝ったので良かった。ただし、米国内の分断が大きいことを改めて思い知らされた。また、Qアノンや米国版ネトウヨなど非常に低レベルの人たちがある程度の影響力を持っていることに驚かされた。ちなみに分断自体は悪いことではないと思っている。なぜなら、人それぞれだから。むしろ、国民一丸となる方がファシズムのようで怖い。問題は課題が解決されないでいることだと思う。課題先進国である日本では課題は解決されないままずっとここまで来ている。米国はきっと解決の道を見つけると思う。

大阪都構想の終焉

学術会議任命拒否問題


2020年に影響を受けた人物やメディア
宮台真司・神保哲生(ビデオニュース・ドットコム)、津田大介(ポリタスTV)、野間易通・安田浩一(ノーヘイトTV)、荻上チキ(Session)、Netflix、町山智浩(たまむすび)、郷原信郎、三木由希子、木村草太、石川健治、野口悠紀雄、北丸雄二、雨宮処凛(マガジン9)、シオリーヌ(性教育YouTuber)、遠見才希子、バービー、要友紀子、大沢真理、山口二郎、上西充子、ChooseLifeProject、デモクラシータイムス、せやろがいおじさん、ハフポスト、毎日新聞、朝日新聞などなど。