2021年3月31日水曜日

NEWS2021.03

3月3日(水)
背後にはビッグデータを実験するには中国のような独裁国家が向いているということだと思うのだが。ともかく、中国は米国を抜く気満々だと思う。

3月4日(木)
極端に聞こえるが、おおまかには正しい認識だと思う。日本を豊かにするためには知識社会に適応できる人材を育てるための教育だと思う。

3月5日(金)
ううむ。GAFAの向かう先に何があるのか。AmazonやAppleは核にモノがあって消費者を囲い込む。GoogleやFacebookは核となるモノがない。どうしても広告に頼らざるを得ない。反面、広告で儲けるのは利益率が高い。Googleには邪悪になってもらいたくないのだがなあ。

GAFAは自由主義圏なので市民たちに縛られて不自由を強いられる。一方、社会主義圏の中国は自由に人民を監視して支配できる。テクノロジーはそれに大いに貢献して同時に発展・進歩する。代償に個人の自由や多様性が失われる。まさに全体主義のディストピアが実現してしまう。GAFAは企業であるがゆえにマネー原理に支配されている。自由主義圏では企業と市民のこのせめぎ合いは今後も続く。どこに帰結するかは現時点では分からない。小国・日本は自由主義圏と社会主義圏の間で揺れ動くかもしれない。日本人は個人主義が根付いていないので自由主義圏の市民のように権力と闘う強い意志は持てない気がする。自由主義の仮面をつけた社会主義が似合う。それは社会主義ならぬ会社主義だ。日本は相変わらず未来でも歪んだ会社主義をやっているかもしれない。

3月7日(日)
地域社会の話が心にしみた。自分を省みると反省せねばならない点もあった。地域社会を取り戻すには時間がかかるだろうけど、このままでは日本はなにもかも荒廃してしまうように思う。地道な努力しかないのだろうなあ。

3月8日(月)
有料記事なので冒頭しか読めてないが、おおよそ見当はつく。電子立国・日本の敗戦。もはや、家電や半導体で日本の敗戦は歴然としている。なんでこうなったかすらも日本人は学ぼうとしない。歴史というものを蔑ろにしてきたツケだ。

シン・エヴァンゲリオン劇場版がついに公開された。長かった。しかし、まだ観れてない。ネットでネタバレ情報を集めて、大体のストーリーは掴めた。旧劇場版ではシンジ君が人々との摩擦があっても個を保って生きていくという決意で母離れする話だった。ちなみに母ユイは初号機と融合して永遠の生命を得た。新劇場版は旧劇場版の後始末だったと思う。成長したシンジ君が悩みながら失敗しながらも他のキャラを救済する話だ。ちなみにユイを失った碇ゲンドウのユイへの執着が諸悪の根源だったとも言える。意外だったのはアスカもクローンだった点だ。アスカもシンジ君同様にトラウマを抱えて不安定ながらも人間臭さがあったのだが、庵野監督は彼女をクローンにしてしまった。おそらく、レイ派・アスカ派のような脳内彼女として女性をフィギュア化して人間として見ないオタクたちに対する否定として、アスカもクローンにしてしまったのではないかと思う。旧劇場版ではシンジとアスカがアダムとイヴになったのだけど、新劇場版ではアスカもフィギュアにしてしまうオタクの欲望を否定するためにクローンにしてしまったのだと思う。ともかく、シンジはそんなアスカも救済しているらしい。でも、マリが残るのはなんというか不思議な回収の仕方とは感じる。というのもマリのキャラを深堀りするような内容は無かったからだ。人間としてのマリの内面は序破Qでは描かれていなかったように思う。なので、マリが残るのはなんとなく違和感がある。でも、エヴァンゲリオン自体がたくさんの謎かけをしてその回収に苦労していると思うから、しょうがないのかなとも思うが、それはそれで物語に対する評価にも関わってくる。旧劇場版が問題作だっただけに新劇場版でそれを解消したかったのだと思うが、なかなか難しいと思う。『イデオン』の結末を説明なくそのまま子供に見せるのはちょっとリスクがあるよなと思うのと同じで旧劇場版もちょっと危うさがある。まあ、危うさが面白さでもあったわけで、芥川龍之介の『地獄変』で良秀が地獄絵を描いた後、自殺してしまうのだが、仮に自殺せずに天国を描いて昇華しようと苦心するのだとしたら、『地獄変』という作品は芸術としてそれほど高く評価されなかったと思う。日本のアニメがディズニーと違って子供向けでなく思春期の子供向けに作られることが多いことに、この面白さと危うさがある。なので、新劇場版をあまり高く評価しすぎる風潮も昨今のネットの作法のようであまり好ましくないと思う。まあ、公開当初は興奮があるから少し時間が経てば冷静になるかもしれない。いや、まだ、私は見てないのでこんなことを言うのは何だけど(苦笑)。私も実際に作品を見ればまた感想は変わるだろうし。とにかく、長きに渡って未完だった作品がようやく完結したことに、今は安堵したい。

3月14(日)
この手の話を聞くと私は野口悠紀雄先生の戦時経済体制(統制経済)を思い出す。そして、工業社会から知識社会に変わるとき、すなわち90年代に相当するのだが、統制経済から多様な経済体制に変わるべきだったと思う。結局、日本は構造改革できず、失われた10年がいまや失われた30年になってしまった。その結果、日本のGDPは世界全体の中で相対的に3分の1にまで減少してしまった。日本人一人当たりのGDPも先進国の中で3分の2以下に低下してしまった。端的に言って、変われなかった日本は貧乏になった。そして、今も日本人はどんどん貧しくなっているのに誰も問題を指摘しなくなった。日本人は本当に愚かになってしまった。日本型システムは日本人を従順な家畜にしてしまった。おそらく、外から支配しやすい。日本人を支配する者が出てくるかもしれない。経済戦での日本の負けは確定している。そして、それでも自らシステムを変えることを日本はできないだろう。日本は21世紀の新しい形の属国になるかもしれない。

3月17日(水)
中国の恐ろしさ。恥など少しも感じずにこういうことを押し付けてくる怖さ。

良いニュースだ。しかし、高裁で覆されるだろうけど。

3月19日(金)
微妙。そもそも日本は国産ITが無いに等しい。プラットフォーマーに情報を持っていかれるのは必然な気がする。そのリスクを知りながら、どのプラットフォームを選ぶかという問題になる気がする。

世界はいよいよ中国と米国の二極体制になるということかもしれない。できれば、中国陣営になることは避けたいが、経済を考えるとおそらく中国になびかざるをえないことになるのだろう。そして、日本人の気質からすると全体主義に染まりやすい。個人主義や民主主義や市民社会が根付いているとは言い難い。

体調が悪くてシンエヴァを観れてない。2時間以上映画館で座り続けるのは、今の身体ではけっこうキツい。でも、できれば映画館で観たい。とはいえ、ネタバレ情報を集めたことでストーリーはほぼ見切った。真希波マリに謎を残しつつ、彼女に重点を置いたのはどうかと思う。ちなみに、シンゴジラも官僚や市民の描き方をどうかと思う面があった。そんなこともあるので、物語としては私は庵野監督の力量をあまり評価していない。映画館で見なくてもいいかという気も少しある。しかし、ようやくの完結だし、映画館で終わりにしたいという気も強くある。

3月23日(火)
中国は一歩も引く気なし。

3月24日(水)
製鉄なんかはずっと終わると言われていたことで今更ではあるが、自動車も含めて終わるという点では新しい指摘かもしれない。電機は半導体の敗戦が決定的となったし。自動車は蓄電池でイノベーションが起こったときにガソリンから電気自動車に変わるときに大々的に起こるのだろうと思う。いずれにせよ、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれたバブル絶頂から、1990年代に失われた10年と言われ、その後、ずっと「景気が悪い」という表現にとどまってきたが、実際は世界経済からおいてけぼりにされて30年経った今、日本のGDPは世界経済において相対的に3分の1にまで縮小した。一人当たりの豊かさは先進国で最低で、韓国にも抜かれた。一人当たりの豊かさランキングでは、たしかメキシコより1つ上のランクだったと思う。日本は統制経済でメディアも自主規制しているから、大半の日本国民は現実を知らない。また、仕事以外のことは不真面目だから政治のレベルも低い。自分たちがどんどん貧しくなっていることに気付かないでいる。なぜか日本人は豊かだと勘違いで威張っているという滑稽さ。そのことを外国から見抜かれていて情報戦でまんまと騙されていたりもする。本当におめでたい人々である。後世の歴史家は当時の日本人は愚かだったと判定することだろう。それに経済成長率から考えれば、今後、千年は日本が浮上することはないと思われる。いや、千年以上、もしくは永遠かもしれないが。

3月25日(木)
う~ん、実際、どうなのか?

ふむ。

中国らしい。

3月26日(金)
以前、NBAが中国に日和ったことがあるから、ボイコット運動は効果があると思う。情けないことではあるが、経済で攻めてこられると日和るところが出てくるだろう。それだけ中国支配が世界的に進んでいるということだろう。

3月29日(月)
技術開発で選択と集中はなかなか難しい。当たりハズレは当然出てくる。

3月30日(火)
中国にすれば予定通りだったのかもしれない。

いろいろ結託してる。日本の腐敗。

まとめ
中国の覇権がいよいよ大きくなってきた。米中二大超大国になってきた。いや、米国をも凌駕するかもしれない。一方、日本の凋落がいよいよ目に見えてきた。寂しい話だ。

『シン・エヴァンゲリオン』が公開された。ようやくエヴァンゲリオンが終わった。まだ、観れていないが。それでも終わった感は味わっている。