2020年6月13日土曜日

日本を変革する(1)夫婦中心の家庭へ

私はこれまで『21世紀はセックス革命の時代』、『21世紀は格差社会の時代』、『21世紀の生存戦略』の三本の記事を書いてきた。(それと万人向けではない個人的な推奨として『仏教のすすめ』も書いた。)セックス革命では人々の性が大きく変わると予想した。格差社会では格差が生じる問題と対策を論じた。生存戦略ではこれからを生き抜くための個人の生存戦略を提示した。これらは日本のみならず世界的な視野で書いた。それで、これからはしばらく日本を対象として、日本を変革するための方法を提示しようと思う。

日本を変革するためには、まず、第一に日本の家族を変革しなければならないと思う。

(1)子供中心の家庭から夫婦中心の家庭へ

日本の家庭は子供中心の家庭だと言われる。実際にそうだと私も思う。例えば、大人になれば人間には性欲があって夫婦はセックスするものだが、子供にはその事実がひたすら隠されている。つまり、夫婦が寝室に入って睡眠するだけでなくセックスしていることは隠されている。子供はセックスがいかなるものかを知らなくて、おぼろげに大人たちが何かをしていることさえも知らないし知らされない。睡眠しているだけでなく、大人たちが愛を交わしていること、愛を交わすことの必要性・重要性を教えられずにいる。これは家庭だけでなく社会にまで拡大されている。家の外で、公共の場で、社会で、恋人たちがキスしたり抱擁したりすることを隠そうとする。大人であれば、人間であれば、当然行われる行為、性欲を満たし愛を交わす行為であるはずなのに、それがあたかも悪いことでもあるかのように隠されている。社会は子供のためだけのものではない。社会は大人と子供のためのものだ。いや、積極的に言えば成人した人間のためにある。子供はまだ未熟であり、成長の途中にあるからだ。なのに、その成長の途中にある子供に合わせて日本は社会を作ってしまっている。本来ならば、基本的には成長した大人のための社会にすべきだ。

だから、家庭を子供中心の家庭から夫婦中心の家庭へ変えるのが良いと考える。そこで重要になるのが寝室だ。夫婦は寝室で寝る。子供は子供部屋で寝る。夫婦の寝室に子供は、例えば夜9時以降入ってはいけない。子供には、大人になれば夫婦は寝室で愛を交わす夜の営み、セックスがあること、それが必要なことを上手に教えなければいけない。一方、親は子供の性の開花に合わせて適切に性教育を行った方が良い。(もちろん、性教育を専門家に任せるのも選択肢としてはあると思う。)また、子供がどのような性を開花させても親は子供の応援をすべきだと思う。ただし、親子であっても、性はプライベートなことなので、親にとっても子供にとっても、とても慎重にデリケートに扱わなければいけないが・・・。

ともかく、大人になれば人間には性欲がありセックスするということを家庭に組み込み、子供にもちゃんと教えるべきだと思う。

(2)親子関係と人権の尊重と魂の孤独

もう1つは日本の家族は親子の距離の近さがある。とにかく親子の距離が近い、近すぎる。親はまるで子供を自分の所有物か、自分の一部と思っているフシがある。子供は自分と独立した人間であるのが当たり前なのに、まるでそうではないかのように近しいものとして扱う。ひとによっては親は子供の自由意思や選択の自由を頭ごなしに否定することさえある。親が「細く長く生きるライフスタイル」であるのに対して、子供は「太く短く生きるライフスタイル」を選択したいと思っているのに、親は子供に自分と同じ「細く長く生きるライフスタイル」を無理強いしたりするなんてことがざらにある。どんなライフスタイルを選択するのも子供の自由のはずなのに、だ。どうも親は子供を自分の分身とでも思っているようだ。こういったことは親が子供との距離を近いものと考えていることに原因があると思う。

私の提案としては、人権というラインを引くことが解決策だと思う。たとえ親子であっても人権をナイガシロにすることは許されない。個人の自由意思の尊重、選択の自由の尊重などだ。これは子供だけでなく親に対しても適用される。子供に人権があるように、親にも人権がある。互いの人権を尊重すべきだ。

親子の間に人権のラインを引くことをすごく他人行儀だと考えるかもしれない。しかし、私は親が子供の人権を踏みにじることの方が問題だと思う。日本人は子供の自由意思を軽んじる傾向が強い。例えば「失敗するのが目に見えているから、正しい方向に導いてやるのだ」というパターナリズムがまかり通る。しかし、私は失敗のリスクをサジェストしながら、子供に選択の自由を与えるべきだと思う。「失敗するのは良くない」と考えるのが違うと思う。失敗を経験することも大事だからだ。また、納得することも大事だからだ。ま、これは一例に過ぎない。愛はギフト、みかえりを求めずにただ与えることであって、みかえりを求めて与えるのは交換だ。親が子供を愛するならば、みかえりを求めずに与えることを学ばねばならない。親の意思を子供に押しつけるのは愛ではない。それは支配欲だ。子供は独立した人間であり自由意思を持った存在であり、親の一部ではない。支配してはならない。子供が糸の切れた凧のようにさ迷っても、それが子供の自由意思ならば子供の自由意思を尊重すべきだ。もちろん、子供が救いを求めてきたら親の愛でもってサジェストしたりサポートしたりすればいいが。

ともかく、日本人の親は子供との距離が近い人が多い。そういった親は人権というラインを引いて、子供との距離をとるべきだ。

ひとによっては親が子供の内面を傷つけるようなことを平気で言う人もいる。もっと酷くなれば毒親になる。たとえ親子であっても相手の心を傷つけるようなことを言っていいはずがない。ところが、日本人は子供の心を傷つけることに無頓着な親が多い。すべては親子関係の距離が極めて近いという認識に基づいている。しかし、これは間違った認識だ。実際は人間の魂は孤独なものだ。それぞれの魂は繋がってはいない。繋がっていないものが近づきすぎればそこに衝突や摩擦が生じるのは当たり前の話だ。日本人は魂の孤独と向き合うことを恐れている。その恐怖と不安が親子の魂はつながっているという誤った認識、願望になっている。その結果、近すぎる距離は摩擦や衝突を起こす。


まとめ
日本を変革するためには、まず、日本の家庭を子供中心から夫婦中心に変える。そして、家庭生活にはセックスを組み込む。具体的には夫婦だけの寝室を作る。家では落ち着いてセックスできないのでラブホテルを利用するという夫婦がいるが、家で落ち着いてセックスできる環境を作る。

ちなみに英国のコンドームメーカーが50カ国で夫婦間での年間のセックス回数をアンケート調査した結果、日本は最下位の50位で年間約45回だった。49位は年間約90回であり、1位は110回くらいだった。つまり、日本人の夫婦は世界の夫婦と比べると年間のセックス回数が約半分なのだ。日本だけ異常に回数が少ないのだ。労働時間の長さが影響もしているがそれでも日本よりも労働時間が長い国でも日本の倍以上セックスしている。家庭で夫婦が同じベッドで寝ないことも大きな要因だと思う。日本は戦後に布団で寝る文化が生まれたが、布団は基本的に一人寝用だ。一方、世界ではベッドや寝台の文化で夫婦はともに寝る。子供が入れない夫婦の寝室がないのも日本の特徴だろう。日本では親子で川の字になって寝る。夫婦のセックスは子供がいない隙きにチャチャッと済ませるなんてことになっていないだろうか?二人だけの寝室でじっくりと愛を交わすセックスなんて無くて、とにかく子供がいない隙きに性欲を処理してしまうなんてことになっていないだろうか?そもそも日本人はセックスを悪しきものと考えていないだろうか?日本人の性への理解が性悪説になっていないだろうか?日本のアダルトビデオを見ると女性を侮辱する内容が世界のポルノに比べると著しく多くないだろうか?セックスに対する基本的な理解やエロスの複雑さを日本人は理解していないのではないだろうか・・・。

次に親子関係に距離をとる。具体的には人権というラインを引く。子供の人権を尊重する。子供の自由意思や選択の自由を尊重する。子供に親の意思を無理強いしてはならない。親の孤独の埋め合わせとして子供を利用してはならない。親は自分の魂の孤独と自分自身で向き合うべきだ。

私が好きな映画に『リンカーン』があるのだが、私がこの映画が好きなのはリンカーンと夫人との喧嘩のシーンがあるからだ。いつもは夫人に優しいリンカーンが極めて大事な状況で夫人を突き放す場面があるのだ。それは魂の孤独にまつわる話で、たとえ夫婦であっても魂の孤独からは逃れられないことを知るのには格好の材料だからだ。リンカーン夫婦に夫婦愛がないわけではない。むしろ、夫婦愛があるからこそ、相手を信じているからこそ、突き放すという、これは映画を見てみない分からない極めて絶妙な場面があるのだ。夫婦は人生の同じ時間を過ごすが、親子はズレた人生の時間を過ごす。つまり、子供には子供の人生がある。日本の親子の距離はもっと離れていてしかるべきだと思う。