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2010年5月28日金曜日

東浩紀『論壇時評5月号』(朝日新聞連載)を読む

1.感想の前に・・・
宮崎県の口蹄疫の件でふるさと納税が増えているらしい。宮崎県が大変苦労しているのは分かる。しかし、自分が住んでいる地域で日常的に利用している公共の費用を賄うのが地方税だ。それを利用している地域に支払わないのは、受益と負担から言えば、間違っている。ふるさと納税は不見識な施策だと思う。

2.論壇時評の感想
東浩紀の朝日新聞論壇時評を読んだ。内田樹の米軍基地全部撤去を評価していたのは正しいと思う。また、国語力や討論力を説いていた。ただ、正しさの追求ではなく、議論の場において詭弁によって自論を通すとも受け取られる。若者がますます何が正しいかが分からなくなっているのを反映しているかの様だ。

3.「売れるから正しい」ではなく、「正しいから正しい」
「多くの人が賛成するから、正しい」のでもないし、「売れるから、正しい」のでもない。「正しいから、正しい」のだと思う。若者は何が正しいかが分からなくなってきているのだと思う。危険なことだと思う。確かにいつの時代もそういうのはあったが、今はそれが多くなってきていると感じられる。もしかしたら、もう少し、階層化するのかもしれない。大衆とインテリというような分離が起こるのかもしれない。かつては一億総中流と言われたが、知的水準において、もう少し階層化が進むのかもしれない。教育がもっと高度な教育の私立と大衆的な教育の公立に分かれるかもしれない。

(ところで、東浩紀の論壇時評では、ネットということが大きな要素だ。東浩紀はネットを評論する評論家という意味ではない、うまく言えないのだが、ネット評論家という趣きがある。だが、ツイッターによって浮上してきた他の有名人とも東浩紀はちょっと違う。元々、彼はネットに近い位置にいた。)

ともかく、当面は正しさの追求よりは、弁論術的な討論力が若者のニーズになるだろうと思う。私のような年寄りは「自分に理や正しさがあれば、たとえ、どんなに多くの人に反対されようとも、我が道を行く」だったのだが、今の若者はネットに多くを依存するので孤独には弱いのかもしれない。まあ、その代わり、今の若者はネットには敏感に反応して、対応が迅速なのかもしれない。何にでも良い面もあれば、悪い面もあるだろう。だが、正しい正論よりも詭弁による邪道がまかりとおれば、衆愚に陥る。欧州ではネオ排外主義が人気を高めているらしい。おそらく、大衆の動きだろう。

4.Androidの普及とグーグルによる進化の加速
話は違うが、Androidがどんどん普及しているように感じられる。携帯端末に限らず、iPadのようなタブレットやテレビのような家電にはAndroidがOSとして普及する可能性が高いのではないか。そして、いつものように普及によってグーグルに直接的な利益はない。グーグルの出現によって多くの技術が無料で人々に提供された。競合他社もグーグルに対抗するために価格を下げたりもした。そういう意味でグーグルはネットの普及や進歩に大きく貢献した。グーグルによってネットの進歩が加速したといえる。もし、グーグルがいなければ、進歩はもっと遅かっただろう。ただ、グーグルは日本にちょっと距離を置いているのかもしれないと感じるときがある。グーグルには、もう少し積極的に日本で展開してほしいと思う。日本は人口1億2千万で13億の中国や3億の米国に比べれば小さいが、それ以外の国と比べれば、まあまあ大きい方だ。今後の日本の可能性は限られているが、それでも全く無視しても良いほど小さいものでもないだろう。ただ、どうも政策や国民の動向など、最近の日本人には不合理な行動や思考が多いように感じられる。細部はともかく、大枠で間違ってなければ良いと思うのだが、その大枠が間違ってないかと思う時がある。民主主義や自由な社会、個人主義や世界市民を意識することが多くなったように思う。日本が経済大国に復活することがなくても、それなりに日本は良い社会になれると思うのだが・・・。経済成長下で築かれた今までの慣習が無効になっても、互いに規範などで束縛することなく自由でいられると思うのだが・・・。

2010年5月2日日曜日

東浩紀『一般意志2.0(5月号)』(『本』連載)を読む

講談社の情報誌『本』に連載の東浩紀「一般意志2.0」の5月号分を読んだ。面白かった。同時に危うい話ではある。しかし、グーグルの可能性(恩恵とリスク)を考えると、このような試論も決して悪いものではないと思った。ただし、やはり、このような思想は危険には違いないので注意して読みたい。

危ういと感じる根源は、おそらく、東浩紀の人間観にあるのだと思う。極論すれば、「オタクがオタクのままでいられる社会システムを作る」というのが「人間が未成熟なままでいい」と受け取られるからだと思う。そして、「そういった未成熟な人間=動物を管理・支配する」というのが環境管理に思える。
 
私としては「可能な限り成長を促す」方向でありたいと思う。一方、東は「実際には成長できない動物がいるのだから、そういった動物でも快適に暮らせる社会を作る方が現実的ではないか」という理屈かもしれない。それには一理あるが、それを全面に出すと動物化を助長する恐れがあると思う。

だから、まずは可能な限り成長を促すように努力すべきだと思う。話は変わるが、ネットの出現で人間や社会は大きく変わろうとしている。私たちは歴史の転換点に立っている。動物化もその変化の1つだと思う。

「一般意志2.0」の中で東浩紀がネット(orグーグル)によって一般意志が実現可能になったと言っていた。一方、私も拙論「日本の未来戦略」の中でグーグルによってアナーキズムが実現可能になったと言った。(http://www.neoaca.com/critique)

面白いことにグーグルによって、今まで実現が不可能だと考えられていた近代思想の幾つかが再び甦る可能性が出てきている。グーグルを普通の企業と区別すべきではないかと考える証左の1つではないかと思う。同時にマイクロソフトに次いでアップルまでも囲い込み戦略になりつつある。初志は何処へ。

余談だが、ちなみに、東浩紀の「一般意志2.0」と対をなすように、私は「特殊意志2.0」を提唱している(笑)。詳しくは、以下のネオアカのホームページを見てほしい。http://www.neoaca.com/about

もう少し言うと、一般意志2.0が数学的存在なら、特殊意志2.0は量子的存在だ。『攻殻機動隊S.A.C.2nd』に「個別の11人」というのが出てくるが、あれに近いものかもしれない。特殊意志2.0は個別の自由意志の集合だからだ。http://www.neoaca.com/about

2010年4月29日木曜日

東浩紀『論壇時評4月号』(朝日新聞)を読む

朝日新聞に東浩紀さんの論壇時評が掲載されていたので、それについて、思いついたまま、少し感想を書いてみます。

1.用語について
まず、驚いたのは「ポインタ」という用語。これはプログラミング用語で「指し示すもの」を意味する。プログラマーならすぐに感覚的に体感的に理解できるのかもしれないけれど、一般読者にはどこまで伝わるか微妙だと思う。でも、新鮮かつ斬新で良かったし、たぶん、的確な表現だと思います。
 
2.そらのさんについて
それから驚いたのは、そらのさんを紹介していたこと。そらのさんをどう位置づけるかはちょっと難しいところがあると思います。そらのさんって、ジャーナリストではないと思う。現場をのぞきにいくけど、当事者意識もないし、批判精神もない。まるで、夕飯の買い物の途中で事件現場をたまたま通りかかったやじ馬に似ている。あるいは、そらのさんはアーティストという位置づけが正しいのだろうか?でも、それって現場で一生懸命議論している人たちを遠巻きから見て「まあ、なんて口角泡を飛ばしてムダに一生懸命なのかしら。オホホホ」的な非当事者意識に感じられる。それがアートというなら、まあ、ギリギリ許せるんだけど、しかし、アートというにはエッジがはっきりしていないと思う。グレーな立ち位置にいる。首を突っ込めるし、すぐに首を引っ込めて逃げるって感じで、あまり、感心しない。と、私はそらのさんをそんな風に感じている。誤解かもしれないけれど。そんなわけで、私は彼女にローザ・ルクセンブルクや『銀英伝』のジェシカ・エドワーズを読むことをお奨めする。彼女たちの生き方がいかに命がけの真剣勝負だったかを知ってもらいたい。ジャーナリストになるにしろ、アーティストになるにしろ、その真摯な真剣さは絶対に必要だと思うから。

3.ツイッターと政治
さて、論壇時評に戻ろう。もう1つ、驚いたことはツイッターを高く評価していること。政治家とツイッターについてちょっと考えてみたい。政治家でネットを上手に利用した人で思い浮かぶのが、小泉純一郎元首相。彼が始めたメルマガは確かに政治家と一般市民を近づけたと思う。それまでは、間にマスメディアが入るために距離感があった。タウンミーティングもそう。政治家と一般市民を近づけたことによって、一般市民の政治への参加意識が高まった。議論が白熱することで、満足感があった。ただ、メルマガはとても長かった。読むのがけっこう大変だった。内容が総花的になってしまうんじゃないかと思う。詳しくて、総花的だとちょっと読むのが辛い。鳩山首相のツイッターはそういう意味では読みやすい。宇宙人だけど(笑)、人間自体は悪い人間ではない、と感じられる。そういう意味で親近感は感じられる。しかし、一方で、ツイッターは国民の人気取りのためのものというのは歴然とある。そんな人気取りのために貴重な時間を割いて欲しくないという思いもある。だから、まあ、いまの分量でいいのかもしれない。一日一言。ところで、麻生前首相と比べると、麻生前首相はなんで、あんなに偉そうなんだろうと感じてしまう。やっぱり、御曹司であり、経営者だからかもしれない。でも、首相は国民の社長ではないのだから、あまり、威張ってもらっても困る。時代の流れかもしれない。サザエさんに出てくる学校教師が昔の教師さながらコワモテなのに対して、ちびまる子ちゃんに出てくる学校教師がやさしいのと同様に、国民にうける政治家の物腰が変わってきたのかもしれない。

4.記者クラブについて
あ、論壇時評に話を戻ろう。記者クラブの問題も指摘していた。あれは日本の新聞と海外の新聞の違いじゃないだろうか?日本の新聞は全国紙で発行部数も世界一を誇る。一方、海外の新聞はどこも地方紙でその地域だけで読まれるものがほとんどだ。NYタイムズもLAタイムズもそう。だから、新聞も全国紙がやたらと幅をきかす。地方なんて、中央より格下に扱われる。そういう階級があるからかもしれない。記者クラブは。

5.論壇の衰退
それにしても論壇自体が、いま、無くなりつつあるんじゃないかと思う。あいつぐ論壇誌の休刊。論壇時評で論じるべき論壇が圧倒的に少なくなったかもしれない。だからかもしれないが、昔の論壇時評と比べてみると、東浩紀の論壇時評は詰め込み感がない。過去の論壇との連続性がない。でも、その方が若者には受け入れられると思う。今回のは、論壇時評というよりは、社会時評あるいはネット社会時評といった方が正確かもしれないけど、ネットの出現で論壇が変わりつつあることを新聞紙上で言及するのは良いことかもしれない。

6.新聞の衰退
そうそう、新聞社だって、ネットについてはどう取り組んだらいいか迷っているはず。日経は電子版を出して、新たな試みにチャレンジしているわけだし。海外の新聞社だって経営危機に陥って縮小したり、はてはNPOにしようという動きもある。新聞購読者はどんどん減っている傾向にある。

7・余談
東浩紀さんの写真はアロハシャツでなくて良かった。カジュアルだけどジャケットでちょっといい感じだった。CGは一瞬ビルかと思った。でも、なるほど、力強さを感じる。いい紙面だった。昔のようなガッツリした論壇時評には、「編集部が選ぶ注目の論考」がガッツリ感のある時評になっていたと思う。ニューズウィークの「中国ルール」の記事は気になっていた記事。拙論「日本の未来戦略」を参照していただければと思う。http://www.neoaca.com/critique