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2013年7月8日月曜日

堀内一史『アメリカと宗教』

 
 
今回は堀内一史の『アメリカと宗教』を取り上げます。


私たちがアメリカについて考えるとき決して外してはならないのがアメリカの宗教です。アメリカと宗教は切っても切れない関係にあります。一見、アメリカは世界で最初の民主主義国で科学と合理主義の塊であり、宗教とは無縁の国だと考えがちです。しかし、実際のアメリカはそうではありません。英国のピューリタン(清教徒)がアメリカに入植して以来、この国は極めて宗教的な国です。

多くの日本人がそうだと思うのですが、普段、目にするアメリカに関する情報、例えば、アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカのニュースなどから、私たちはアメリカという国は極めて先進的で自由なリベラルな発想をする国だと考えがちです。確かにそれは間違っていないと思います。しかし、それはアメリカの顔の半分に過ぎません。もう半分の顔は、あまり目立って報道されませんが、極めて地味で保守的で信心深い、リベラルからは程遠い宗教的な顔を持っています。

保守とリベラル・・・。そうです。アメリカは共和党と民主党の二大政党制の国ですが、保守を支えている人たちの多くは、つまり、共和党を支えている人たちの多くは実はこの宗教的な人たちなのです。そして、宗教と政治が顕著に結びついているのは共和党を支えている宗教右派と言われる人たちなのです。近年のアメリカでは共和党と民主党が代るがわる政権の座に就いていますが、それだけこの国の宗教的な人たちの力は根強いのです。もちろん、リベラルを支えている人たちの中にも宗教的な人たちがいないわけではありません。最近は宗教左派というのも存在します。しかし、どちらかと言えば、彼らは宗教的な思想信条は個人の問題として捉えて政治とは切り離して考える人たちが多いのではないでしょうか。ところが、宗教右派の人たちはそれとは違って、自分たちの宗教的な思想信条を政治を使って社会に大きく反映させようとしているのではないでしょうか。例えば「人々はもっと慎ましやかに禁欲的に生きねばならない。ハリウッド映画のような性的に破廉恥で乱れた生活など断じて許されない。もっと政治に積極的に関与して人々を正しい道に導かなければならない」と考えるような人たちではないかと思います。つまり、極めて保守的な考え方をする人たちです。そして、その保守的思想の根底にあるのが彼らの宗教です。一般に保守というと、単純に自国を愛するという愛国心に支えられたナショナリズムが多いと思います。しかし、アメリカの場合は、そういったシンプルなナショナリズムもあるのはありますが、むしろ多くの保守はその根底に宗教がある保守だと思います。

この本はそういったアメリカの宗教について歴史を追いながら見事に読み解いています。アメリカを本当に理解するためには、アメリカの宗教に対する理解が絶対に欠かせません。そういう意味では、この本はアメリカを理解するためには欠かせない一冊です。


さて、ここでいう彼らの宗教とは何でしょうか?確かにアメリカは移民の国であり、様々な種類の宗教が入り乱れています。しかし、その中でも最も影響力のあるのはキリスト教です。しかも、ピューリタンとして入ってきたものですから、キリスト教の中でも、元はプロテスタントです。そのプロテスタントとして入ってきた宗教が歴史の時間の流れの中で様々に変化・分化して、さらに様々な紆余曲折を経て、現在では多様な宗派として林立しています。例えば、バプテスト派教会、メソジスト派教会、長老派教会などのように分かれています。ただし、これだけではなしに、この分化以外に主流派、福音派、黒人教会などというようにも分かれています。その結果、南部バプテスト連合(福音派)や合同メソジスト教会(主流派)といったように様々な宗派に分かれています。中には米福音ルター派教会(主流派)なんていうのもあります。さらに近年では宗派に囚われないメガチャーチなるものも存在します。このように宗派は非常に複雑に分化しています。この本ではそういった複雑な変遷が鮮明に描かれています。また、この本では、スコープス裁判など歴史的なポイントとなる事件や問題もちゃんと押さえられています。

私たち日本人はアメリカというと資本主義の権化で欲望を全面的に肯定する欲深い国だと考えているかもしれません。しかし、アメリカの宗教という別の側面を知るとそのイメージとのあまりの違いに驚かされると思います。実はアメリカを支えているのは資本主義や合理精神とは別のもう1つものがあって、それが極めて禁欲的で保守的な宗教であることに気付かされると思います。アメリカを知るためにはアメリカの宗教を知る必要があります。この本はアメリカの宗教を知る入門書として最適な一冊だと思います。一読することを強くお薦めします。

なお、自分の整理のためですが、下記に各宗派についてのメモ書きと本書の図表を抜粋しておきます。

バプテスト派教会
バプテスト派教会は人口比で17.2%を占めるプロテスタント最大の教会。さらに、この中の南部バプテスト連合は保守的な福音派に属するプロテスタントで最大規模の教派である。また、米バプテスト教会USAはリベラルな主流派に属する。バプテスト派教会の特徴は洗礼が全身を水に沈める浸礼であること、信仰告白を重視して幼児洗礼をみとめないこと、教会の独立性が極めて高いことであるらしい。

メソジスト派教会
メソジスト派教会はバプテスト派教会に次ぐ信徒数を誇る。特徴は個人の信仰の自由意思を尊重し、悔い改めれば誰でも救われるという救済観、キリストの十字架上の死による代理贖罪を強調する、幼児洗礼も認めることらしい。

その他、ルター派教会、ペンテコステ派教会、長老派教会、回復派教会、米国聖公会、ホーリネス派教会、会衆派教会、など様々な教会・教派がある。

さらに、教会毎に分類するのではなく、政治との関連で分類する見方がある。それが主流派と福音派である。端的に言えば、主流派は世俗に寛容なリベラルであり、福音派は聖書や教義に厳格な保守である。ただし、近年は宗教左派に福音派左派が存在するので、宗教的態度としては保守であっても政治的にはリベラルであるので、必ずしも一般に考えられる保守とは限らない。

主流派
主流派とは多数派という意味での主流派ではない。宗教的・歴史的な意味で主流派という名前になったようだが、その由来はよく分からない。とりあえず、福音派ではない人々と定義するのが分かりやすい。特徴としては概して寛容である。また、隣人愛の実践として社会福祉に強い関心を持つ。聖書の内容を絶対視せず、解釈を加えてゆくことが多く、神学的にはほぼリベラルである。元は概ね共和党支持だったが、1980年以降は民主党に支持が傾いている。ただし、近年は信徒数の減少に歯止めがかからない状況とのこと。

福音派
基本的には神学的な意味での保守派である。ただし、実態は極めて多様である。しかもプロテスタント固有の信仰様式ではなく、カトリックにもまたがっており、教派にも囚われることなく、諸教派に福音派は存在する。例えば、ブッシュ大統領は主流派の合同メソジスト教会に属するが、福音派の信仰を持っている。実にややこしい。福音派の多くは政治的には保守で共和党を支持する傾向が強い。ただし、政治的にはリベラルな福音派も少数ながら存在する。なお、福音派の特徴は外部団体との協力には消極的で社会への奉仕よりは福音を拡大しながら自らの信仰を深めることに強い関心を持っているらしい。近年は信徒数が増える傾向にあるらしい。

原理主義
原理主義者は福音派の中のさらに保守的傾向の強い人たちである。

以上のように非常に入り組んでいて複雑であり、しかも時々刻々と変化するため彼らの位置づけは必ずしも固定的ではなく、流動的である。いつなん時、これらのポジションが変化するか分からないと思います。












2013年6月19日水曜日

アニミズムとシャーマニズム

久しぶりに宗教について再び考えてみます。(前回、宗教について考えた記事はここを参照して下さい。)

さて、宗教とは何でしょうか?この問いに対して私なりの見解を述べてみます。今回は歴史的な経緯としてどのように宗教が生まれてきたかをおおざっぱに考えます。ただし、これから述べる見解は私の推測であって、学術的な裏付けはありません。


1.アニミズムとシャーマニズム

まず、遥か昔、文明社会が生まれる以前の人間社会には、最初はアニミズムとシャーマニズムがあったと考えています。

アニミズムとは精霊信仰のことで自然の中などいろんなところに精霊が存在するという考えで、次第に精霊を神秘的なものとして敬うようになっていったのだと思います。現代人の私たちも雄大な自然を見たりするとそこに何かしらの神々しさを感じたりしますが、アニミズムはそのような人間の基本的な感覚がもとになって形成されたのだと思います。

次にシャーマニズムですが、実はシャーマニズムとは何なのかはよく分かりません。シャーマニズムはシャーマンという専門家が行なっていたもので人を呪ったり癒したりしていたようです。例えば呪医(メディスンマン)といわれるように治療師であったり、黒魔術師といわれるように破壊者でもあったりしたようです。ただし、それはシャーマンが生活するための生業に過ぎず、シャーマンが実際に何をしていたのかはよく分かりません。学者の研究で共通して分かっているのはシャーマンは脱魂と憑依という技術を持っていたらしいということだけです。それらが本当は何を意味するのかよく分かりません。しかも同時代に生きた周囲の普通の人々でさえ、シャーマンが何をしているのか、シャーマニズムが何なのかよく分からなかったようです。

いずれにしろ、話を整理すると、文明社会が出現する以前は宗教と呼ばれるようなものとしてはアニミズムとシャーマニズムの2つがありました。ところが、人類社会が文明社会に変化したときにそれらも大きく変容していったようです。そのとき、いわゆる宗教が出現したのだと思います。


2.アニミズムから宗教へ

さて、人類社会が文明社会に変化したとき、アニミズムは一神教や多神教など神を崇拝したり信仰したりする宗教へと変わっていきました。都市化した文明社会ではアニミズムは次第に体系化されて、多神教や一神教に収斂していったのだと思います。例えば、インドのヒンドゥー教や古代オリエントの多神教、あるいはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教のように洗練されていったのだと思います。しかし、文明社会の周縁ではアニミズムが残ったところもあります。例えば、日本の神道がそうです。神道はアニミズムに近い形で残りました。あるいはアメリカインディアンの精霊信仰はアニミズムの原形を非常に色濃くとどめていると思います。

基本的には宗教はこのように神を崇拝するものだと思います。


3.シャーマニズムの衰退

では、アニミズムが宗教に変わったとき、シャーマニズムは何に変わったのでしょうか?実はあまり変わらなかったといえるかもしれません。というのもアニミズムと違ってシャーマニズムは継承者が少数でしたし、治療師などの特殊な技術の専門家でしたのでそのままの形態で残る場合が多かったようです。ただし、文明化が進むにつれて次第にシャーマニズムは減少していったようです。当時の人々の間でよく言われていたのは昔のシャーマンに比べると文明化が進むにつれてシャーマンの力が弱くなっていったそうです。そのため、シャーマニズムは人々に必要とされなくなり、次第に衰退していったようです。


4.仏教とは何か?

ところで、仏教とは何なのでしょうか?

日本では仏様を崇拝する宗教のように勘違いする人もいるかもしれませんが、本来の仏教は仏様を神のように崇拝するものではありません。そういう意味では仏教はアニミズムから発展していった宗教とは違うと思います。

では、一体仏教とは何から発展したものでしょうか?確かに仏教は釈迦が突然変異的に始めた宗教と見ることもできるでしょう。しかし、私はそうではなくて仏教も過去の継承から生じたものではないかと考えています。釈迦という天才が何の脈絡もなく仏教という知の体系を突然に創り出すというのは少しおかしいと思うのです。何らかの歴史的な過去からの知の継承があるのではないかと。では、一体それは何なのか?実はシャーマニズムが変容した結果、仏教に変化したのではないかと私は考えています。文明化が進んだときアニミズムが体系化されて宗教に変容したように、シャーマニズムも体系化・言語化されて仏教という形態になったのではないかと思っています。まあ、そのような歴史的な痕跡は実際にはないと思います。あえて極端なことを言えばバラモン教の神秘主義をさらに変化させて生まれてきたのが仏教といえるかもしれません。

では、シャーマニズムから変容したものは仏教だけでしょうか?世の中には神秘主義と言われるものがありますが、私が思うに神秘主義といわれるものもシャーマニズムから変容したものではないかと考えています。すべての神秘主義がそうというわけではありませんが、神秘主義のいくつかは、極端な言い方をすれば、シャーマニズムが変容して神秘主義になったと言えると思います。そういう意味では仏教は神秘主義の1つだと思います。あるいは、言い方を変えると神秘主義の中でもシャーマニズムを最もよく継承しているのは仏教ではないかと思います。


5.宗教と神秘主義

さて、宗教というと私たち日本人は仏教や神道を想像してしまいます。しかし、上述したように一般に宗教と呼ばれるようなものと仏教は随分違いますし、神道も宗教以前のアニミズムに近いもので一般に言われる宗教とは少しニュアンスが違います。

繰り返しますが、一般的にいって宗教とは神を崇拝するものです。人間が持っているアニミズムの感覚が残って洗練されて神を崇拝し信仰するようになったものが宗教だと思います。それが一神教の場合もあれば、多神教の場合もあるのでしょう。しかし、いずれにしても神を崇拝するという意味では同じだと思います。

ところが、仏教はそれとは違います。神を崇拝するわけではないからです。現代人は仏教も一緒くたにして宗教とひと括りにして言いますが、それはあまり正しくないと思います。仏教は本質的には神秘主義です。

ただし、ややこしいのは宗教の中にも神秘主義といわれるものがあります。例えばイスラム教の中にはスーフィズムと呼ばれる神秘主義があります。どうもイスラム教に限らず他の宗教でも突き詰めてゆくと往々にして神秘主義に辿り着く場合があるようです。果たしてそれらは宗教なのでしょうか?それとも神秘主義なのでしょうか?実際、それらをどちらに判別すればよいのか分からないことが多いと思います。

それから、読者の中には「神秘主義も宗教の1つに過ぎない」という意見もあると思います。それはその通りで、そのようにカテゴライズする考え方もアリだと思います。ただ、私が言いたいのは宗教の起源を考えたとき、アニミズムとシャーマニズムの2つがあり、アニミズムからは神を崇拝・信仰する宗教が生まれ、シャーマニズムからは神秘体験を基本とする神秘主義や仏教が生まれたのだということです。このように2つの流れがあるのに多くの人はこの2つの違いを無視して混同してしまっていると思うのです。

6.宗教と哲学

さて、ようやく哲学の話です。宗教と哲学には密接な関わりがあります。哲学の起源をギリシャ哲学とする見方がありますが、そのギリシャ哲学も後にイスラム教神学に取り入れられたり、さらにキリスト教神学に取り入れられたりして神学としてある意味高度化されます。それらは一神教的な存在論ではありますが、高度な哲学をそこに構築しました。また、仏教などは中観や唯識などのように独自の哲学を積み上げてゆきました。このように哲学はかつては宗教だったとさえいえるかもしれません。その中には古の賢人たちの知恵が詰まっています。確かにそれらをそのままの形で使うことは出来ないでしょう。しかし、それらをまったく参考にしないのはちょっと勿体無いと思います。ですから、哲学を学ぶために宗教を知っておくことは決してムダではないと思います。



2012年9月22日土曜日

宗教について

前回の記事で「日本人の無意識、特に若者の無意識はオウム真理教事件がトラウマとなって内への探求を忌避するようになってしまった」というような話を書きました。また、オウム真理教だけでなく、すべての宗教に対して拒否反応をハッキリと持つようになったとも思います。そこで今回は宗教についてちょっと話しておこうと思います。

今の若者の宗教に対する反応を見ていると宗教というだけで思考停止状態になって聞く耳を完全に閉ざす拒絶反応を示すようになったと思います。しかし、宗教というだけで何もかもすべてを拒絶するのはちょっともったいないなと私などは思います。

というのも哲学の成り立ちを考えると宗教が果たした役割は大きく、これまで蓄積されてきた思索の軌跡はとても参考になると思うからです。そこにはたくさんのアイデアが詰まっています。ところが、今の若者は宗教というだけで無意味で無価値なものとして、それらをまったく参考にすることなく簡単に切り捨ててしまいます。私などからすれば、それはあまりにもったいなく、もう少し視野を広げられればなあと思います。

また、今の若者の「宗教とは何か」というような宗教に対する認識もかなり浅薄・偏狭・卑小なものになっていると思います。明らかに間違った認識を持っている人も数多くいます。まあ、宗教というだけで思考停止状態になるのですから、そうなるのも当然ですが。

ここまでこの記事を読んだ人は私が「宗教を擁護したりして、何か特定の宗教の勧誘でもしようとしているのではないか?」と疑う人がいるかもしれません。しかし、話はまったく逆で、むしろ宗教を突き放して捉えることで宗教を客観視しようというのが私の考えです。私は自分が特定の宗教に入信することはまずないとけっこう自信を持って思っています。そういう自信があるからこそ宗教を恐れずに見つめることができるのかもしれません。

ところが、今の若者はそうではないように思います。自己が脆弱であるために宗教に侵食されるかもしれず、そのためにあえて宗教を卑小なものと矮小化して捉えて切り捨てることで自己が侵食されるのを防いでいるように思えます。しかし、それは誤った宗教に対する認識をもとにしており、万一、それが破られればかえって宗教に入信してしてしまう危険があると思います。また、対象を矮小化することで逃避するような癖は宗教以外にも用いるようになってしまい、物事を客観的に見ることから次第に遠ざかってしまうようになるのではないかと思います。

確かに宗教には悪い面がたくさんあります。しかし、良い面・参考になる面もあると思います。悪い宗教があるからといって、すべての宗教を捨ててしまうのはあまりにもったいないと思います。ですので、宗教を恐れずに、また鵜呑みにすることもなく、もう少し注意深く耳を傾けてみては?と思います。

それから最後に、日本の若者が宗教を卑小に捉えるのは単に恐れから来る防衛反応ばかりでなく、ある感性が欠如しているからではないかと思います。それは何かというと詩的感受性です。日本の若者は詩の感性が大きく欠如するようになってしまったと思います。詩を読んでも詩に感応する若者がどんどん減ったと思います。そのため宗教に対しても多くの若者は感応することが無くなったのだと思います。そして、宗教に対してどんどん無理解になったのだと思います。