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2013年7月8日月曜日

堀内一史『アメリカと宗教』

 
 
今回は堀内一史の『アメリカと宗教』を取り上げます。


私たちがアメリカについて考えるとき決して外してはならないのがアメリカの宗教です。アメリカと宗教は切っても切れない関係にあります。一見、アメリカは世界で最初の民主主義国で科学と合理主義の塊であり、宗教とは無縁の国だと考えがちです。しかし、実際のアメリカはそうではありません。英国のピューリタン(清教徒)がアメリカに入植して以来、この国は極めて宗教的な国です。

多くの日本人がそうだと思うのですが、普段、目にするアメリカに関する情報、例えば、アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカのニュースなどから、私たちはアメリカという国は極めて先進的で自由なリベラルな発想をする国だと考えがちです。確かにそれは間違っていないと思います。しかし、それはアメリカの顔の半分に過ぎません。もう半分の顔は、あまり目立って報道されませんが、極めて地味で保守的で信心深い、リベラルからは程遠い宗教的な顔を持っています。

保守とリベラル・・・。そうです。アメリカは共和党と民主党の二大政党制の国ですが、保守を支えている人たちの多くは、つまり、共和党を支えている人たちの多くは実はこの宗教的な人たちなのです。そして、宗教と政治が顕著に結びついているのは共和党を支えている宗教右派と言われる人たちなのです。近年のアメリカでは共和党と民主党が代るがわる政権の座に就いていますが、それだけこの国の宗教的な人たちの力は根強いのです。もちろん、リベラルを支えている人たちの中にも宗教的な人たちがいないわけではありません。最近は宗教左派というのも存在します。しかし、どちらかと言えば、彼らは宗教的な思想信条は個人の問題として捉えて政治とは切り離して考える人たちが多いのではないでしょうか。ところが、宗教右派の人たちはそれとは違って、自分たちの宗教的な思想信条を政治を使って社会に大きく反映させようとしているのではないでしょうか。例えば「人々はもっと慎ましやかに禁欲的に生きねばならない。ハリウッド映画のような性的に破廉恥で乱れた生活など断じて許されない。もっと政治に積極的に関与して人々を正しい道に導かなければならない」と考えるような人たちではないかと思います。つまり、極めて保守的な考え方をする人たちです。そして、その保守的思想の根底にあるのが彼らの宗教です。一般に保守というと、単純に自国を愛するという愛国心に支えられたナショナリズムが多いと思います。しかし、アメリカの場合は、そういったシンプルなナショナリズムもあるのはありますが、むしろ多くの保守はその根底に宗教がある保守だと思います。

この本はそういったアメリカの宗教について歴史を追いながら見事に読み解いています。アメリカを本当に理解するためには、アメリカの宗教に対する理解が絶対に欠かせません。そういう意味では、この本はアメリカを理解するためには欠かせない一冊です。


さて、ここでいう彼らの宗教とは何でしょうか?確かにアメリカは移民の国であり、様々な種類の宗教が入り乱れています。しかし、その中でも最も影響力のあるのはキリスト教です。しかも、ピューリタンとして入ってきたものですから、キリスト教の中でも、元はプロテスタントです。そのプロテスタントとして入ってきた宗教が歴史の時間の流れの中で様々に変化・分化して、さらに様々な紆余曲折を経て、現在では多様な宗派として林立しています。例えば、バプテスト派教会、メソジスト派教会、長老派教会などのように分かれています。ただし、これだけではなしに、この分化以外に主流派、福音派、黒人教会などというようにも分かれています。その結果、南部バプテスト連合(福音派)や合同メソジスト教会(主流派)といったように様々な宗派に分かれています。中には米福音ルター派教会(主流派)なんていうのもあります。さらに近年では宗派に囚われないメガチャーチなるものも存在します。このように宗派は非常に複雑に分化しています。この本ではそういった複雑な変遷が鮮明に描かれています。また、この本では、スコープス裁判など歴史的なポイントとなる事件や問題もちゃんと押さえられています。

私たち日本人はアメリカというと資本主義の権化で欲望を全面的に肯定する欲深い国だと考えているかもしれません。しかし、アメリカの宗教という別の側面を知るとそのイメージとのあまりの違いに驚かされると思います。実はアメリカを支えているのは資本主義や合理精神とは別のもう1つものがあって、それが極めて禁欲的で保守的な宗教であることに気付かされると思います。アメリカを知るためにはアメリカの宗教を知る必要があります。この本はアメリカの宗教を知る入門書として最適な一冊だと思います。一読することを強くお薦めします。

なお、自分の整理のためですが、下記に各宗派についてのメモ書きと本書の図表を抜粋しておきます。

バプテスト派教会
バプテスト派教会は人口比で17.2%を占めるプロテスタント最大の教会。さらに、この中の南部バプテスト連合は保守的な福音派に属するプロテスタントで最大規模の教派である。また、米バプテスト教会USAはリベラルな主流派に属する。バプテスト派教会の特徴は洗礼が全身を水に沈める浸礼であること、信仰告白を重視して幼児洗礼をみとめないこと、教会の独立性が極めて高いことであるらしい。

メソジスト派教会
メソジスト派教会はバプテスト派教会に次ぐ信徒数を誇る。特徴は個人の信仰の自由意思を尊重し、悔い改めれば誰でも救われるという救済観、キリストの十字架上の死による代理贖罪を強調する、幼児洗礼も認めることらしい。

その他、ルター派教会、ペンテコステ派教会、長老派教会、回復派教会、米国聖公会、ホーリネス派教会、会衆派教会、など様々な教会・教派がある。

さらに、教会毎に分類するのではなく、政治との関連で分類する見方がある。それが主流派と福音派である。端的に言えば、主流派は世俗に寛容なリベラルであり、福音派は聖書や教義に厳格な保守である。ただし、近年は宗教左派に福音派左派が存在するので、宗教的態度としては保守であっても政治的にはリベラルであるので、必ずしも一般に考えられる保守とは限らない。

主流派
主流派とは多数派という意味での主流派ではない。宗教的・歴史的な意味で主流派という名前になったようだが、その由来はよく分からない。とりあえず、福音派ではない人々と定義するのが分かりやすい。特徴としては概して寛容である。また、隣人愛の実践として社会福祉に強い関心を持つ。聖書の内容を絶対視せず、解釈を加えてゆくことが多く、神学的にはほぼリベラルである。元は概ね共和党支持だったが、1980年以降は民主党に支持が傾いている。ただし、近年は信徒数の減少に歯止めがかからない状況とのこと。

福音派
基本的には神学的な意味での保守派である。ただし、実態は極めて多様である。しかもプロテスタント固有の信仰様式ではなく、カトリックにもまたがっており、教派にも囚われることなく、諸教派に福音派は存在する。例えば、ブッシュ大統領は主流派の合同メソジスト教会に属するが、福音派の信仰を持っている。実にややこしい。福音派の多くは政治的には保守で共和党を支持する傾向が強い。ただし、政治的にはリベラルな福音派も少数ながら存在する。なお、福音派の特徴は外部団体との協力には消極的で社会への奉仕よりは福音を拡大しながら自らの信仰を深めることに強い関心を持っているらしい。近年は信徒数が増える傾向にあるらしい。

原理主義
原理主義者は福音派の中のさらに保守的傾向の強い人たちである。

以上のように非常に入り組んでいて複雑であり、しかも時々刻々と変化するため彼らの位置づけは必ずしも固定的ではなく、流動的である。いつなん時、これらのポジションが変化するか分からないと思います。












2013年7月4日木曜日

エドワード・エブスタイン『ビッグ・ピクチャー』

 
今回はエドワード・エブスタインの『ビッグ・ピクチャー』を取り上げます。


この本はハリウッドの映画産業のビッグ・ピクチャー(=全体像)を描いたノンフィクションです。この本には様々な事柄が書かれていますが、大きく分けて2つあると思います。1つはハリウッドの6大スタジオ(バイアコム←パラマウント、ディズニー、フォックス、ソニー、ワーナー、ユニバーサル)が成り立つに至った経緯、特に現在の地位を築いた立役者、すなわち経営者たちについて描いています。もう1つは興行収入が減る中で今度はケーブルTVやDVDなどホーム・エンターテイメントで収益を上げるようになるといった映画産業が変容してゆく過程が描かれています。もちろん、これらだけではなく様々な映画業界の情報が詰め込まれていますので、映画ファンのちょっとした豆知識としても使えます。

映画に興味のある方はもちろんのことTVのドラマに興味のある方も是非読んでおくことをお薦めします。なぜなら、有料・無料を問わずテレビ番組の主要な商品の半分は映画とドラマです。スポーツやニュース、あるいはバラエティなど他にも人々を惹きつける商品はありますが、やはり、強い吸引力を持つのは映画やドラマだと思います。そして、今やテレビは世界中のどの国も持つようになりました。かつては後進国と言われた国も今や新興国となって飛躍的な経済発展を遂げ、各家庭に1台は必ずテレビを持つようになりました。いえ、テレビだけでなくパソコンやスマートフォンの普及を考えれば、先進国とあまり変わらなくなりつつあると言っていいと思います。しかし、テレビの歴史が浅い国ではコンテンツがありません。つまり、テレビがあるところ、それだけ映画やドラマを買ってくれる市場があるということです。そういった世界市場という視野を持ち、なおかつ実際に売れる販売網を持って、そして何より視聴者の要望に十分応えられるだけの高いクオリティを持った作品を作り続けているのはハリウッドの6大スタジオをおいて他にはありません。ストーリー性においても映像のクオリティにおいても俳優の演技においてもハリウッドは他国のスタジオとは比較にならないほど優れていると思います。むしろ、それが当たり前過ぎて、このような指摘は何を今更という感じの方が強いかもしれません。それくらいハリウッドの映画産業の実力とブランドは浸透しているのだと思います。(今、韓国ドラマが世界進出に頑張っています。日本でも韓流がブームになりましたし、中国でも韓国ドラマは人気があるようです。さらに欧州の一部の国でもちょっとした人気があるようで、ハリウッドで作られた海外ドラマに対抗しるうるドラマ作りをやっているのが韓国だと思います。日本のドラマも世界市場で売れるような良い作品を作って欲しいものです。ただ、少し前までは東アジアでは日本のドラマは人気が高かったと思います。また頑張って欲しいものです。)

ただし、注意してもらいたいのは、私は何もビジネスについて知りたいからこの本に興味を持ったのではありません。私が興味を持っているのは物語です。どういうことかというと、大昔、物語は語り部によって人々に語り継がれてきましたが、それが紙の発明や印刷技術が出現したとき、書物へと形を変えて文学に発展してゆきました。そして、映像技術が発明されて今度は映画に変貌を遂げました。そう、映画やドラマはかつて語り部によって語り継がれてきた物語が映像技術によって映画に姿を変えたものなのです。もちろん、音声媒体と文字媒体と映像媒体ではそれぞれ違いがあります。例えば、文字媒体である文学は人々の内面を表現するのに極めて優れた形態だと思います。やはり、人々の内面を描くのは文学の方が適しているでしょう。しかし、視覚的イメージをダイレクトに伝えるのは映画の方が優れていると言わざるを得ないと思います。このようにそれぞれの媒体で表現に得意・不得意があると思います。いずれにせよ、私たちが物語を受け取る媒体として映画という選択肢が1つ増えたわけです。そして、今や私たちが物語に触れる媒体としては映画は無視できない存在になりました。、いえ、無視できないどころか、むしろ映画がメインになりつつあると言えるかもしれません。そうやって私たちの頭の中に簡単に入ってくる物語ですが、物語は私たちの精神に非常に大きな影響を与えます。場合によってはその人の人生すら変えてしまうことがあります。ですから、その物語がどのように作られているのかなど、物語についてよく知っておきたいと考えるのは当然だと思います。商業目的で作られているのですから、サブリミナル効果ではありませんが、私たちが気付かないうちに無意識に何か良からぬものを刷り込まれているかもしれません。実際、ハリウッド映画ではアメリカ的価値観を知らず知らずのうちに刷り込まれていると思います。ただし、それらすべてが悪いものではなくて、逆にアメリカの方が自分たちの国よりも優れている、自分たちの国の方が遅れていると気付かせてくれる場合もあると思います。同性愛の受容だとか人種差別の無さだとかです。いずれにせよ、少なからず私たちに影響を与える物語について、その内実を知りたいのです。だから、ハリウッドの内実を描いたこの本に興味があるのです。

物語という観点から世界を捉えてみましょう。まず、物語には様々な形態があります。小説や映画があります。日本では漫画もありますし、アニメは映画に含めて良いかもしれません。それから演劇もありましたね。かつての物語の広がりは今と比べれば限定的だったかもしれません。しかし、今ではグローバル化が進み、どんな国でも各家庭にTVがあって、そこでは映画やドラマが流れるようになって、世界共通で同じ映画や同じ海外ドラマを楽しむ時代になってきています。物語にもグローバル化の波が押し寄せているのだと思います。そんな中でハリウッドは娯楽としての映画も作りますし、かといって低俗なものばかりではなくて、アカデミー賞作品のように人々を真剣に考えさせるとても良質な作品も作っています。そして、それらをビジネスとして立派に成り立たせています。他国では国の補助なしでは映画が作れない国もあるのに、です。凄いことです。凄いぞ、アメリカです(笑)。ただ、日本でもハリウッドに負けない分野があります。それはアニメです。商業アニメで成功しているのはアメリカと日本だけです。ディズニーと日本アニメです。特に日本アニメは広く世界に浸透しています。ただし、今後も日本アニメがその地位を維持できるかどうかは分かりませんが。漫画の衰退が少し気になるところです。一方、文学については未知数だと私は思います。内面の探求という意味では文学は衰退しつつある、もしくは、これ以上深くは進展するのは難しいような気がしています。というのも、グローバリズムの普及によって世界中のいたる所が現代文明で覆い尽くされようとしていますが、そのためにかえって豊かな精神文化が破壊されていると思うからです。物語の中でも文学というものは内面への旅です。その内面があまり豊かではなくなりつつあると思います。しかし、そうではない、単に物語という観点では物語は爆発的な拡散はしていると思います。TVや映画の普及で今まで物語に触れてこなかった人たちにも物語は届くようになったと思います。

ところで、物語は無限にできるものなのでしょうか?書店に行けば、山のように小説の新刊書が積まれています。まるで物語の洪水です。しかし、私たちはそういった洪水のような物語をただ単に無作為に受容していれば良いのでしょうか?それとも何らかの体系的な受容の仕方というものがあるのでしょうか?それは好きなジャンルを読むということでしょうか?あるいは名作といわれるものを片っ端から読めば良いのでしょうか?物語は私たちの精神に深く影響するというのに意外とその受容の仕方は定まっていないように私には感じられます。しかし、じゃあ、無限にある物語をどのように読めば良いというのでしょう?私はそのヒントは語り部だった頃の昔にあると考えています。語り部たちは聴衆に物語を語って聞かせますが、単に1つの物語だけではなくて、複数の物語をセットで語って聞かせます。聴衆は複数の物語を知ることで、そこから基本的な生活の知識を得たり、道徳を養ったり、人格を形成するのに役立てていると思います。物語をまったくバラバラに受容するのではなくて、ある程度まとまった物語を受容することで人格マトリクスに影響を及ぼしていると思います。ということは私たちもある程度まとまった物語をセレクトする必要があるのではないでしょうか。人格を形成する上で基本となる物語のセットをセレクトする必要があるのではないでしょうか。物語の元型となるものがあって、それを現代の生活にマッチするものに変形して現代人に伝えてゆくということが要るのではないでしょうか。まったくの無作為でバラバラに物語を受容するのではなくて、核となる物語のセットがあって、そこから先は各人が自分の好みにあった物語を吸収してゆくというのが良いような気がします。一見、それは文学全集を作ることと思われるかもしれません。しかし、文学全集とは明らかに違う点があります。文学全集はあくまで文学に主眼が置かれています。しかし、物語の元型は人格マトリクスに主眼を置いてのセレクトです。むしろ、元型といった時点で自然と人格マトリクスに沿った基本形が浮かび上がってくると思います。ここでいう元型とはユングが用いているような意味での元型です。言い換えれば、ゲーテが見た様々な植物の中の元型である原植物のことです。あるいは、プロップなどは物語の元型が見えていたからこそ、その時代その時代で付加された装飾を剥ぎとって魔法昔話の元型である『魔法昔話の起源』に辿り着くことが出来たのではないでしょうか。レヴィ=ストロースの『神話論理』も元型を探し求めた結果、あのような構造に至ったのではないでしょうか。いずれにしても、まだ明確な形で掴み出せるほど物語の元型をあぶり出すまでには至っていません。しかし、猶予もあまりありません。なぜなら世界はどんどん文明化されて豊かな精神文化の基盤が根こそぎ失われつつあるからです。いわゆるヴェイユのいう根こぎが完成されつつあるからです。しかし、まだそういった根、わずかでも足場があるうちに物語のセットを提示できれば、人々の心に深く受容される可能性は高いと思います。しかし、まったく足場が失われてしまえば、そう簡単には受容されない恐れがあります。私たちは急がねばならないのです。

さて、話が分散してしまいました。特に先程のセンテンスなどは意味がよく分からなかったかもしれません。しかし、物語という観点から映画を捉え、物語という観点から世界を捉えたとき、ハリウッド映画のいるポジションは人々に与える影響力の大きさから非常に重要なポジションに立っており、私たちは自分たちの精神文化を考える上で決して無視できない存在なのだということを知っておくべきだと思います。もちろん、ハリウッド映画の大部分は他愛もない娯楽作品です。しかし、その影響力は計り知れないものがあります。よく考えてみて下さい。日本のアニメだってそうでしょう。他愛のない日本アニメが私たちの精神にどれだけ大きな影響を与えてきたか、決して見過ごせるものではありません。そして、それは、今、グローバルな規模で起こっているのです。ただし、それは逆に言えば、もしも豊かな物語を提供することができるのならば、私たちの精神文化を今よりももっと豊かなものにすることができるチャンスでもあるのです。

さて、以上のように考えると、ハリウッド映画は物語産業の重要な柱であり、この本はそのハリウッドの映画産業の基本を知るのに欠かせない重要な一冊です。是非、読んでおくことをお薦めします。

2013年7月2日火曜日

アレックス・アベラ『ランド 世界を支配した研究所』

 

今回はアレックス・アベラの『ランド 世界を支配した研究所』を取り上げます。


この本はRAND研究所について、その成り立ちから現在に至るまでを描いたノンフィクションです。RANDというのは「Research and Development」(研究と開発)の略に由来した名称で主に米国の国防に関わる研究をしているシンクタンクです。米国の軍事的覇権を構築するのに多大な功績を残した知る人ぞ知る研究所です。特徴としてはすべてを数値化して合理的にするという“合理性の帝国”とも言われた徹底した姿勢です。そして、何よりも特筆すべきはRANDの中心的人物で希代の戦略家アルバート・ウォルステッターの存在です。

多くの日本人は彼のことを知らないかもしれませんが、彼こそは核の戦略家と呼ばれ、今日の核の世界の基礎を築いた人物のひとりです。本書はRAND研究所の歩みを描いたものではあるのですが、これをウォルステッターの歩みと言い換えてもいいくらいウォルステッターはRANDを語る上で欠かせない中心的人物なのです。ただ、このウォルステッターは筋金入りのタカ派ではあるものの、なかなかユニークな人物でもあります。というのも、元々、彼は数学者でした。学生の頃の彼はニューヨーク市立大学シティカレッジの数理論理学の学生で、彼の論文を見たアインシュタインは「私がこれまで読んだものとしては、数理論理学の最も明快な外挿法である」と誉めて、自宅に彼を招いたというエピソードもあるくらいなのです。その一方で、彼には現代アートをこよなく愛する芸術愛好家としての側面もありました。彼自身、絵を描いたりしていたようですし、モダンアートの最新作のチェックはもちろんのこと、芸術史家マイヤー・シャピロの助手を務めたり、ル・コルビジェが東海岸に来たときにはガイド兼ドライバーをしたこともあったそうです。しかし、彼にはもう1つ隠された過去があって、これは随分後になって明らかになったのですが、実は学生の頃、彼は共産主義の分派集団「革命労働者党同盟」という地下組織に所属していたことがあったそうです。この集団は新トロッキー主義の集団だったようです。いずれにしても彼のこんな過去がもしバレていたアメリカの安全保障の要職に就くことなど絶対になかったでしょう。しかし、幸か不幸かまったくバレることなく、彼はRANDの要職を全うします。アメリカにとってこれは絶対にプラスだったと私などは思います。これについては面白いエピソードがあります。赤狩りの頃、ハリウッドを追われた脚本家夫婦をウォルステッターの自宅に泊めたのですが、案の定、FBIが嫌がらせの電話を夜中にしてきたのです。FBIは電話で「何をたくらんでいるんだ?」とか「誰とわるだくみをしているんだ?」とか当人に関わる周囲の人物に誰彼と関係なく詰問して嫌がらせするわけです。このFBIからの嫌がらせを恐れて周囲の人々が当人たちから離れてゆくように仕向けるわけですね。(フィリップ・K・ディックの小説『アルベマス』にも似たようなシーンがありましたね。)ところが、ウォルステッターはおもむろに電話に出ると「二人は私の友人です。あなたの質問に答える必要はありません。もうこれで十分質問に答えているでしょう。二度と電話しないで下さい」と堂々と言ってのけたのでした。核という国家の最高機密を扱う人間がFBIに逆らったのです。しかも、彼は、昔、共産主義の地下組織に属していたという過去があるにも関わらずです。なかなか大胆というか、怖いもの知らずというか、それにもまして国家権力などに囚われない自由な精神というか、彼の役職を考えるとなかなか不思議なメンタリティに感じられます。しかし、彼は別に二重人格とか表裏があるいうわけでは決してありません。むしろ、まっすぐな人格だったようにさえ感じられます。そういう人物がいったいどのような思想に基いて核の世界を築いたのか、非常に興味深いと思いませんか?この本はそういう疑問を解きほぐしてくれるので、そういう点でもこの本は読むに値する文献だと思います。

さて、この本は他にも面白い言及がなされています。例えば、マッドサイエンティストの象徴にもなっているハーマン・カーンについても書かれています。スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』で狂気の科学者ストレンジラブ博士のモデルとなった人物です。また、RANDが設立されるきっかけになったのは実は東京大空襲にあったことや、ベトナム戦争時の国防長官として有名なマクナマラとRANDとの関わりなどについても書かれています。さらにかの悪名高きネオコンとの関係についても書かれています。このように、この本はアメリカの知られざる中枢を知るには欠かせない一冊だと思います。是非、読んでみて下さい。

追記
アメリカにはウォルステッターのように歴史に残る優秀なテクノクラートというのがいます。彼以外にも、記事の中でも出てきましたが、ロバート・マクナマラがいます。マクナマラはベトナム戦争の失敗があるためにアメリカ国内では随分低い評価をされているようですが、優秀さという点では彼ほど優秀なテクノクラートはいなかったのではないでしょうか?しかも単に頭の良い優秀さだけでなく、その軍曹風な風貌とは裏腹に知的な教養人であり、人格的にもとても優れた人物だったと思います。だからと言って、彼が指揮したベトナム戦争が許されるわけではありませんし、その指揮において間違いも犯しています。ベトナムに兵力を逐次投入して多大な犠牲を出したのはマクナマラの責任ではあるでしょう。しかし、予算改革など彼が残した業績は極めて優れたものだったと言わざるをえないと思います。また、国防長官を辞職した後は世界銀行の総裁になって貧困の撲滅に尽力したとも言われています。ともかく、20世紀のアメリカの覇権を築くにあたっては優れたテクノクラートがアメリカにはいたのです。日本人はまだまだ多くのことを彼らから学ぶことができると思います。

余談ですが、分析哲学をアカデミズムという狭いフィールドで学ぶよりは、ウォルステッターやマクナマラのような人物がどのように思考し、どのように行動したか、そして、その結果、どのような結果になったかを学ぶ方がより実践的な分析哲学になるのではないかという気が私にはしています。学問としての分析哲学は、所詮、狭い枠組みの中でのゲームに過ぎないように私には感じられるのです。もちろん、それはそれで優れた思考の軌跡であり、学問的には一定の価値があるとは思います。しかし、極端に言えば、結局はアカデミズムという狭い世界での勝った負けたのゲームにしか過ぎないのではないでしょうか。実験室の中のような不自然に純粋に保たれた空間ではなくて、すべてが入り乱れて何が起こるか分からないリアルな世界において分析哲学的な思考を実践に結びつけて役立ててゆくためには、むしろ彼らの軌跡を追う方が役立つのではないでしょうか。

2010年8月18日水曜日

来るべき戦争への備え

ざっと思いついたまま書いたので、まだ下書きのような段階で文章の体をなしていません。後日、文章を整理して書き直したいと思いますが、とりあえず、未完成ですが、文章をアップしておきます。

1.緊迫する東アジア情勢
何やら北朝鮮がきな臭い。例の哨戒艦沈没事件に始まって、先日の米韓合同演習、そして、今回の軍用機墜落である。北朝鮮を中心にこの東アジア地域で何か良からぬことが起こる前兆が見られる。

2.犯人は誰か?
まず、北朝鮮に関して言えば、北朝鮮が韓国との間で戦争を起こしても利益はないだろう。北朝鮮は確かに国際社会に何かと問題を突きつけるが、それは国際社会から何らかの援助を得るための、言わば、「ダダをこねている」に過ぎない。これは綱渡り外交と言えるだろうが、今のところ、うまく行っていると思う。だが、実際に戦争を起こせば、そうはいかなくなる。北朝鮮がいくら中国の後ろ盾があるからといって、西側諸国と戦争して勝てるはずがないのは分かっているからだ。だから、哨戒艦沈没事件から今回までの一連の北朝鮮の動きは軍部のはねっ返り連中の暴走だとしても、北朝鮮中央政府、つまり、金正日が仕掛けたものだとは考えにくい。では、誰が画策したのか?

3.中国の脅威
中国の経済成長が目覚ましい。ついに2010年の第一四半期のGDPにおいて、中国は日本を抜いて世界第2位の地位に着いた。だが、実は中国はGDP以外にも軍事費において米国に次ぐ第2位の高いの軍事費をかけている。軍事費の点から見れば、中国は米国に次いで世界第2位の軍事力を持つ国と言える。ただ、実際には、かつての超大国ロシアがあるので、中国の軍事力はロシアよりも下かもしれない。だが、たとえそうであっても、世界第3位の軍事力を保持しているであろうことは確実だろう。ちなみに、日本は世界第6位の軍事費である。ただし、専守防衛の観点から組織された軍事力であるために、その戦闘力は偏った傾向があると思われる。

4.世界の覇権
米国も中国も超大国であり、世界の覇権を握ろうと意識していることは間違いない。ゆえに高い軍事力を持つ国を看過することはありえない。つまり、ここ最近の北朝鮮を中心としたきな臭い動きは米国と中国が対立しているために生じている前哨戦ではないかと思う。この東アジア地域で有事が起こるとすれば、まず間違いなく北朝鮮だろう。今まで悪評を立てながら利益を引き出してきた北朝鮮の綱渡り外交が米国につけ入られる弱点となってしまったと思う。

5.北朝鮮の兵器ビジネス
そもそも北朝鮮が悪評を立てた1つの要因は中国の兵器を中国に代わって世界に販売したことにある。さすがに中国自身が兵器を販売するのは国際社会から非難を浴びるだろうし、ひいては国連安保理の常任理事国を務めている地位さえ、その権力基盤を弱められない恐れがある。そこで、北朝鮮を代理に立てて、兵器を販売していたのだ。北朝鮮はすでにならずもの国家としての悪い地位を得ていたので、これ以上、特にマイナス点を増やしてもさほど変わらないと開き直っているので平気というわけだ。

6.中国にとっての北朝鮮という防衛ライン
また、中国としては、北朝鮮はお荷物ではあるものの、社会主義国の防衛ライン、国防の防衛ラインとして、北朝鮮を譲るわけにはいかないというのも大きい。確かに、歴史的に見れば、朝鮮半島は様々な国家に分裂しては合併し、合併しては分裂するという繰り返しだった。だから、何も韓国と北朝鮮が1つになる必要はないと見る見方もあるだろう。

7.朝鮮半島の統一
だが、同じ言語を使う同じ民族という観点からすれば、韓国と北朝鮮は1つに統一されるのが一番自然であるように思う。韓国の人口が5千万人、北朝鮮の人口が2千万人で合わせて7千万人の人口の国になると思われる。韓国と北朝鮮が統一されて統一朝鮮が実現すれば、日本の約3分の2の人口を持つ、日本と国力がほぼ均衡するであろう国が生まれる。ただ、かつてドイツが西ドイツと東ドイツが統一したときのように、統一当初は北朝鮮の未発達の社会インフラを整備するために一時的に国力が衰えるものと思う。だが、安い北朝鮮の労働力によって、いずれは活力を取り戻すのではないかと思う。そうなれば、東アジアでは日本と統一朝鮮はほぼ拮抗した国力を持つ国家になるのではないかと思う。確かにストックという面では日本はまだまだ金持ち国家だが、フローという面で見れば、統一朝鮮を侮れないと思う。日本は右肩下がりの斜陽傾向にあるからだ。

8.中国から見た沖縄の戦略的位置
さて、中国はチベットもウイグルも中国に無理矢理取り込んできた。そのやり方は大量に漢民族を送り込んで、時間をかけてチベットやウイグルを漢民族の国にするというやり方だ。そして、教育によって、チベットもウイグルも元々中国だったと国民に信じこませるというものだ。いま、中国の歴史学者の中には、沖縄に対して、沖縄は中国のものだという極めて悪辣な主張をしているものもでてきた。彼らのやり方はチベットやウイグルと同じで、中国のものだと主張して侵略して、侵略すれば、漢民族を大量に送り込んで、そこに住む人々を根こそぎ漢民族に変えてしまうというものだ。ただ、この沖縄に関してはあまりにも無理がある主張だ。あえて否定するまでもなく、ムチャクチャな主張だといって退けてよいと思う。ただ、なぜ、中国がこの小さな島国である沖縄に目をつけるかというと、それは上海という中国の経済上の中心都市のほぼ海上ど真ん中に沖縄があるからだ。さらに、中国で経済発展している場所は沿岸部であり、その沿岸部のど真ん中に沖縄があると見ることもできる。つまり、沖縄は中国の安全保障上の最も危険な位置、最も他国に軍事拠点を置かれたくない場所に位置しているのだ。

そして、ご存知のように沖縄にはアジアの火薬庫と言われるアジア最大の軍事基地、米軍基地がある。中国の国防から見れば、中国の喉元にいつでも突き立てられる刃を突きつけられているという状態にあるのだ。ゆえに中国の国防関係者からすれば、沖縄をなんとか中国の領土として、逆に他国からの侵略を防ぐ防波堤にしたいくらいなのだ。ゆえに無理筋の「沖縄は中国のものだ」という主張をするのだ。

9.米国から見た沖縄の戦略的位置
一方、逆の立場である米国にすれば、沖縄は中国を抑える上でなくてはならない軍事拠点になる。沖縄にアジア最大の軍事拠点をおけば、中国も東南アジアも抑えられる。現代の長い航続距離を考えれば、インド洋にさえ手が届くかもしれない。米国の国防にとって沖縄は経済発展するアジアを抑えるための、なくてはならない軍事拠点となりつつある。

10.日本にとっての沖縄
「日本にとっても沖縄の米軍基地は抑止力である」という見方をする者もいる。だが、それは100%そうだとは言い切れない。そもそも自国の防衛を他国に任せて100%安心ということはありえない。自国の防衛は自国で守るのが当然なのだ。駐留している米軍がいつ日本に銃口を向けないとも限らない。米国の利益に反するとき米軍は米国の利益を優先して日本に反旗を翻すのは当然だと思う。だから、国防という観点からいえば、自国のことは自国の軍隊で防衛するのが一番良いのだ。だが、日本の民意としては米軍基地を信頼する者も少なからずいるだろう。米軍もそれに加勢するだろう。本土の国民は自分たちに不利益がない限り、沖縄の米軍基地を撤退させるまでの民意を示せないだろう。沖縄の市民たちは自分たちの惨状を伝えるために米軍基地に対して行動を起こすか、本土において訴えを実力行使で起こすかのいずれかでしか本土の国民に不満を伝えることはできないと思う。ゆえに以上を勘案すれば沖縄の米軍基地はまず撤退することはありえないと思う。

11.アメリカ大統領を凌ぐ軍需産業とユダヤ財閥
ところで、米国のオバマ大統領の支持率が下がっている。そして、国防省ともあまり良い関係になっていない。むしろ、国防関係はオバマ政権とは違った方向に進もうとしているようにさえ思える。違った方向とは共和党が指示するようなタカ派的な方向だ。米国の巨大な軍需産業やユダヤ資本、暗躍するロビイストなどの力は強大で、大統領すら凌駕するのではないかと思える。結局、アメリカの真の主は大統領ではなく、巨大な財閥なのではないかと思う。そして、かつてブッシュ大統領が唱えた悪の枢軸3国イラク、イラン、北朝鮮への攻撃準備が着々と進んでいるのではないかと思う。今はイラクは無いので、イランか北朝鮮だ。万一だが、今度の中間選挙でオバマ大統領は負けるかもしれない。いや、負けなくとも、ほぼ死に体の無力な政権になるのではないかと思う。そして、オバマ大統領の後はおそらく共和党が政権を取るだろう。そうなれば、確実にイランか北朝鮮で戦争がある。北朝鮮というものの、実際には、その背後についている中国を牽制したものになる。ユダヤとしてはイスラエルを援護するためにも先にイランを叩きたいと考えているだろう。だが、さすがにイラクのように国際世論が簡単に納得するとは思えない。今の状況からは米国がイラン戦争に持ってゆくのは極めて難しいだろう。むしろ、北朝鮮との戦争の方がたやすく状況を作れると思う。昨今の哨戒艦沈没事件などはむしろ米国の画策ではないかと疑える。

12.イランで戦争が起こった場合
さて、日本はどうするか?まず、もし、イランで戦争が起こった場合。イランは日本への石油の供給国としてサウジアラビアと並んで大切な国だ。日本としてはイラン戦争後にイランの石油を手中に収められれば良いが、まずそれは無いだろう。イラン戦争で勝利してもイランの石油を手に入れるのは米国や英国だろう。そう考えれば、日本はイランと戦争しても何ら良いことはない。むしろ、イランで戦争が起こらないように尽力する方が良い。とはいえ、日本の国際政治の力は弱い。ほぼ米国に巻き込まれるのを座して待つのが関の山だろう。トルコあたりが仲介の利を得るかもしれない。だが、さすがに今度日本がイラン戦争に加担すれば、日本を標的としたテロが確実に起こるだろう。それは覚悟しなければならない。原発や地下鉄は重点的に警備しなければならないだろう。

13.北朝鮮で戦争が起こった場合
次に、北朝鮮で戦争がある場合だ。おそらく、韓国と北朝鮮が敵対する関係になって、戦争を起こすことになるだろう。戦争が起これば、比較的短時間に、1週間もかからずに北朝鮮は陥落すると思う。ただ、米国がどの程度派兵するかは分からない。韓国も同じ民族同士での殺し合いをどこまで望んでいるかも分からない。また、日本が派兵することを過去の侵略の歴史から、韓国をはじめ近隣アジア諸国は望まないだろう。ゆえに日本から派兵してもごく少数にとどまると思う。むしろ、日本は北朝鮮からのミサイル攻撃に備えることになると思う。一応、北朝鮮は核保有国だ。攻められれば、核兵器を使うと脅すのはまず間違いない。ただ、その矛先が朝鮮半島に向かうかは疑問だ。朝鮮半島に核攻撃をすれば、自分で自分の足元を掘り崩すに等しい。核汚染が自らにも降りかかるからだ。となれば、矛先は米軍基地のある沖縄や米軍の補給基地である日本に向けられることになる。核ミサイルではなく、単なるミサイルを撃ち込むことで脅すことがありえるだろう。実際、もし、核ミサイルを使用すれば、国際世論は一挙に北朝鮮を攻撃することにGOサインを出すだろうから、北朝鮮が核攻撃をすることは自殺行為になる。せいぜい脅すために、その実効性を示すという意味でミサイル攻撃がある。ただし、第三国によって、あたかも北朝鮮から核ミサイルが撃たれたようにして、日本に核攻撃を加える可能性はある。もし、日本の東京に核攻撃を加えることに成功すれば、アジアの経済・金融の中心都市は上海に確実にシフトするだろう。アジア経済の中心は確実に中国にシフトする。ただし、今のまま行けば、何も日本を攻撃しなくとも、自然にアジアの中心は上海に移るから、わざわざ攻撃しなくても良いかもしれない。ともかく、東京のような人口密集地に核攻撃したことがバレれば世界中からの非難はものすごいものとなるだろうから、まず、核攻撃することはありえない。むしろ、軍事の専門家は戦術核という、威力の小さな核を実戦で試したいのではないかと思う。北朝鮮の山岳地帯の軍事拠点や小さな要塞都市に対して戦術核を秘密裏に使うかもしれない。

14.北朝鮮に絡む中国とロシア
ただ、中国としては社会主義国の北朝鮮、まあ、名目上の社会主義国ではあるのだけれど、それを失うのをよしとはしないだろう。できるだけ、戦争は避けたいはずだ。また、たとえ、戦争になっても、韓国と統一されることをさけて、別の国家を樹立することを画策するかもしれない。だが、そうはいっても、韓国や北朝鮮の民意、国際世論からすれば、朝鮮半島は一国に統一されるのが筋になるだろう。中国としては戦後、北朝鮮に米軍基地が置かれるのを最も嫌うかもしれない。沖縄のほかにも中国を囲い込む米軍基地ができてしまうからだ。ただ、この点はロシアも嫌がるだろう。極東でのロシアの軍事的優位が弱められてしまうからだ。そういう意味ではロシアは中国と共闘するかもしれない。

15.北朝鮮戦争後の米国の次なるターゲットは中国!
北朝鮮が陥落して韓国と統一されれば、今度は米国の戦略の矛先としては中国になる。米国の戦略としては、中国を3つ以上に分割したいのだと思う。そもそも13億人が1国で統制するというのが無理がある。それゆえに巨大な国家が誕生してしまうのだ。例えば、中国を10国に分割すれば、日本が10個できるようなものだ。しかも、内陸部にゆくほど中国は貧しくなるから、日本が10個できるといっても、日本ほどの経済力があるわけではない。あくまで人口が日本と同じくらいというだけだ。だが、それでも1億人程度の人口なら、国民の不満を極力少なくする統治が可能ではないかと思う。どのような分割の仕方かは分からないが、米国はあまりにも巨大な中国を複数の国に解体することで、米国に対抗する巨大国家をこの世界から無くそうとするだろう。見方を変えれば、欧州のようなものだ。たとえば、欧州大陸がドイツ1国で統一されるようなもので、それは良くないだろう。そして、欧州の英国のような立場にあるのが、日本ということになる。日本はかつて満州事変と日中戦争によって中国を直接侵略することによって中国を退け、支配しようとした。だが、もはや侵略はありえない。だが、英国のように大陸が複数の拮抗した国に分かれているのを最善策とするように、日本も中国が複数の国に分かれているのをよしとする戦略が良いのではないかと思う。

16.日本は戦争を回避すると同時に戦う準備をせよ
以上のような戦略を踏まえた上で、次のアメリカ大統領が決まる頃には戦争の可能性が高まるから、その準備をした方が良いと思う。もちろん、平和に尽力するのが最も良いことであり、戦争が起これば、少なくとも死者が出るのだから、不幸になる人間が生まれるのは間違いない。そうならないように、平和外交に努めるのが最善ではありつつも、避けられない戦争をいかに戦うかの準備も怠るべきではない。準備せずに戦いに巻き込まれれば、不幸な犠牲を多大に出して最悪の事態を招く場合もあるだろう。そうならないように、戦うことになった場合の準備も今から準備しておくべきだと思う。