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2013年9月29日日曜日

福島武夫『造船王国の新しい選択』

 
今回は福島武夫の『造船王国の新しい選択』を取り上げます。


この本は1996年に発行された本ですので、現在の世界の造船業界の状況とは若干違っていると思います。また、この本を読むまで私は日本の造船は韓国に追いぬかれて既に廃れてしまったものと勘違いしていました。しかし、実際はそうではありませんでした。熾烈な価格競争の中を日本の造船は粘り強く頑張ってきたことが分かります。さて、この本では、国内の主要な造船会社である三菱重工業、石川島播磨重工業、川崎重工業、日立造船、三井造船、住友重機械工業、NKK(日本鋼管)の7社が取り上げられています。これら7社が、戦後、如何にして熾烈な競争の中を生き残ってきたかを克明に描いています。また、序章では幕末から現在に至るまでの日本の造船の歴史を簡略に説明しています。日本の造船の歴史を概略的に知るにはこの本はとても良い本だと思います。

さて、近年における日本の造船が生き残ってこられた理由は何かというと大きく2つが上げられると思います。1つは低価格競争ではなく高度な技術力で特殊な船を作ることで差別化を図ったのだと思います。もう1つは造船以外の分野、プラントや陸機、あるいは航空宇宙産業などでシェアを伸ばしたのだと思います。これらによって低価格な韓国の造船会社に対抗してきたのだと思います。世界市場における造船のシェアは19世紀末から20世紀中頃までは英国がダントツの1位だったようです。それが1956年に日本が建造量で英国を抜いて世界一位になったそうです。その後も長い間の日本が一位の座を守ってきたそうです。

日本の造船の歩みを振り返ってみると幕末に造船に目覚め、国防の観点から国策的に造船に力を入れ、その後、第一次世界大戦のときに造船ブームが到来して大きく飛躍します。この時、船成金が生まれていますね。その後は逆に反動不況で苦しみます。そして、太平洋戦争で造船所がフル稼働しますが敗戦でボロボロになります。しかし、朝鮮戦争で復活してついには1956年に世界一位になります。日本を世界一位に導く下地を作った人物として戦艦大和を作った西島亮二とその後継者である真藤恒がいます。西島亮二によって構築された合理的で効率的な日本的生産方式です。戦後、真藤恒が働いていた元呉海軍工廠であるNBC造船所には数多くの見学者が来たそうで、トヨタのカンバン方式やビル建設に影響を与えたと言われています。そういった経緯もあり、その後も日本の造船は韓国の台頭に悩みながらも世界市場になんとか食らいついてゆきます。

ところで疑問に思ったことが1つあります。それは米国の造船です。太平洋戦争のときに米国は世界でダントツの海軍大国だったと思います。そして、今もそうだと思います。米国にはたくさんの造船所があるはずです。しかし、世界市場のシェアでは米国はほんのわずかしか占めていません。どうしてなのでしょう?残念ながら米国の造船史の本がありませんでしたので、私の推測になるのですが、造船も他の製造業と同じで低価格競争にさらされます。日本が韓国に追い抜かれたように後発国の方が人件費が安く有利です。おそらく、米国の造船も熾烈な低価格競争にさらされたのだと思います。そこで米国の造船がとった対策は専門的な高度な技術で差別化を図ることだったのではないかと思います。ただし、日本のような特殊な船ではなくて、軍艦という分野に特化したのではないかと思います。すなわち、米国の造船は軍需産業に特化したのではないかと思います。これはロシアにも言えることだと思います。冷戦時代にロシアも数多くの軍艦を作ってきたのは間違いないでしょう。そういう意味ではロシアも数多くの造船所を抱えているはずです。冷戦崩壊後、ロシアでは軍需工場を民需工場に転換するようにしてきましたが、それでも限界があって、多くは軍需産業として残っているのではないでしょうか。ですから、世界のシェアが少ないからといって米国やロシアが造船の技術力が劣っているとは一概には言えないと思います。むしろ、技術的には軍艦の方がはるかに高い技術力を必要としているので高度な技術力を持っていると思います。ただ、その一方で安く早く量産するといったような技術はやはり市場競争にさらされていないので、官営的な造船では培われないと思います。そういった違いがあるのではないでしょうか。

さて、現在の造船のシェアですが、少し異変が起こっているようです。韓国と日本だけでなく、そこに中国が割り込んできているようです。そして、いずれは中国がトップになることが予測されています。今までの流れから言えば、当然と言えば当然ですよね。ただ、懸念される点があります。それは造船能力が高まれば、自然とその国の海軍力も高まるということです。このまま推移すれば、おそらく何年か何十年か先には中国が米国を抜いて世界でトップの海軍力を持つようになるのではないでしょうか。現在も制海権を巡って中国は様々な海域でもめています。そのような中国が世界第一位の海軍力を持つことは非常に懸念される事態だと思います。しかし、中国に対抗できる国はおそらく米国くらいです。将来が危ぶまれます。だからといって日本が軍備増強に走るなんてことは決してしないことです。軍備増強は国の経済や財政を圧迫します。国力が上の中国に軍事力で対抗しようとしても、かえって日本を弱めてしまうでしょう。日本は軍事力ではなく、中国を取り囲む周辺の諸外国と協力して外交力で道理をもって中国に対抗してゆくべきなのだと思います。

それにしても、今後の世界は資源大国のロシア、世界の工場である中国、そして金融やITなど先端技術でリードする米国、この3国が世界の超大国として世界をリードしてゆくのではないでしょうか。もちろん、EUもそこにいくらかの存在感を示すとは思います。やはり、先進国ですからね。もちろん、中東もそれなりに力を増してくるでしょう。ただし、既得権益の壁が強く、その歩みはまだまだ遅いのではないかと思います。一方、日本はこれら超大国に挟まれた位置にいます。西には中国、東には太平洋を隔てて米国、北にはロシアです。地理だけでなく内実はどうでしょうか?昨今の日本の産業は後退につぐ後退です。日本が先端をゆく産業はどんどん減っています。家電も半導体も敗退しています。造船も後退しつつあります。自動車産業がかろうじて残っていますが、工場が海外移転して次第にウェイトが海外になってゆくでしょうし、電気自動車が普及したとき果たして日本の自動車産業が世界をリードできるかどうかは分かりません。したがって、日本はどんどん弱い国になってゆくでしょう。一方で中国はますます強くなってゆき、圧倒的な力の差を見せつけることでしょう。戦後の日本は中国を見下していたところがありましたが、今後は中国を巨人を見上げるように変わると思います。超大国と比べれば日本は小国です。世界全体で見れば日本は中位の大きさですが。ただ、日本はそれら超大国と張り合っても仕方ありません。日本は日本なりの幸せを追求するしかないと思います。日本は成熟した文明国になりつつあります。先進国としては政治や文化などまだまだ至らない点は多々ありますが、それでも社会インフラも整っているのでかろうじて先進国足り得ています。これからは日本にとって幸せな生き方とは何かを考えて、虚勢を張ることなく幸せな社会を作ってゆくのが良いと私は思います。陽はまた昇るとばかりに経済大国足らんと過当な競争を日本人に強いても日本社会がギスギスするばかりで仕方ないと思います。安定した慎ましやかな国を目指してはどうでしょうか?さらにこれだけグローバル化が進んだ世界になってきたのですから、国という小さな枠組みに囚われず、一個人は世界市民であるという認識を持って、大きな枠組みで世界を捉えるべきではないでしょうか?国という区分は次第に意味が小さくなってゆくべきなのだと思います。

もちろん、資本主義ですから競争は必要でしょう。しかし、それは先端技術などの一部の世界で十分ではないでしょうか。日本の環境を見ると国内的にはそんなに競争を必要としないような気がします。また、日本が、今後、活躍できる専門分野としてはiPS細胞などのバイオテクノロジーかもしれません。他の分野はちょっと厳しいような気がします。もちろん、今まで蓄積してきた技術力があるから一概に他はダメだとは言えませんが、全体的には前進しているというよりは後退しているのではないでしょうか。ところが、いわば日本は後退戦なのに日本の政治は貧富の差を拡大する方向に動いているように見えます。それは日本をわざわざ住みづらい国にしているように思えて仕方ありません。経済大国の夢を捨てきれず昔の夢を追おうとするあまり、かえって貧富の差を拡大している。そんなように思えます。それに競争を強いることで昔の本当の奴隷以上に今の労働者は働いていると思います。奴隷には財産の所有や行動の自由や自由時間がありませんでしたが、今の労働者も多くの時間が労働に奪われて実質的には昔の本物の奴隷以上に自由がないと言えるかもしれません。確かに奴隷よりは労働者の方が生産性が上がったでしょう。しかし、それは労働者の人生の犠牲の上に成り立っています。果たしてそれが良い生き方なのでしょうか?いったい金持ちたちにとっても、貧富の差が拡大して社会の大多数が貧しい人たちになったとき、そのような日本社会で暮らすことが本当に住み良い社会に感じられるとは思えません。日本は経済大国を目指すのではなく、中位の国を目指すべきではないでしょうか。

さて、随分、造船とはかけ離れた話になってしまいました。しかし、この本をきっかけに日本の造船の歴史や造船に限らず日本の近代技術の歴史についてたくさんの本に目を通すことになり、大変、充実した読書体験になりました。それらについてはまた追々、このブログで取り上げてゆきたいと思います。



2013年7月24日水曜日

牧野克彦『自動車産業の興亡』


今回は牧野克彦『自動車産業の興亡』を取り上げます。
  

今日の世界経済を考える上で自動車産業を抜きにしては考えられないほど極めて重要なリーディング産業であると言っていいでしょう。大きな雇用と利益を生む自動車産業は国を支える基幹産業であり、国家さえもその存在を無視できないものだと思います。(実際、米国は大統領がビッグ3のトップを連れて日本を訪れたこともありますからね。)そこで1886年に自動車が開発されてから現在に至るまでの百数十年間に生まれてきた約2500社の自動車メーカーの歴史について知っておくのは決してムダではないと思います。この本はそういった世界の自動車メーカーが生まれては消えていった興亡の歴史が図表や数値を交えて丁寧に描き出されています。また、著者自身が自動車メーカーに約40年間勤めた、いわば業界の内側の人間ですので、外側からうわべだけを見て知っているのと違って業界内部にも通じた深い見識に裏付けられた本だと思います。戦後の日本経済を支えてきた製造業は自動車と家電の二本柱ですが、今、家電は中国がその安い人件費を武器に世界の工場となって以来、日本を追い越しつつあります。もう一方の柱である自動車産業においても中国の生産台数はすでに世界一になっています。今後の日本の自動車産業の行く末を考える上でも、また日本経済の行く末を考える上でも自動車産業の歴史について知っておくことは極めて重要だと思います。この本はそういった自動車産業の歴史を知るのに最適な本だと思います。是非、ご一読することをお薦めします。

まず、自動車は欧州で発明されます。最初は蒸気自動車が発明されました。1769年にフランスでベルギー人によって3輪車が試作されました。意外なことに電気自動車もこの頃発明されます。1883年にフランスとイギリスでそれぞれ電気自動車が発明されました。ガソリン自動車はというと、まず1876年にドイツでガソリンエンジンが発明され、1885年に自転車にガソリンエンジンを搭載したオートバイを試作し、1886年に4輪車に搭載した自動車が試作されました。これらを開発したのはダイムラーとマイバッハというエンジニアでした。そう、あのダイムラーベンツのダイムラーです。そして、これとはまったく別に1886年に4サイクルエンジンを載せた3輪車を開発した人物がいました。それがベンツでした。自動車の発明にダイムラーやベンツが既にいたのですね。その後、ガソリン自動車が生き残ってゆくのですが、それには道路や石油という条件が整うまでに少し時間がかかりました。また、自動車レースがそれに大きく貢献しています。

さて、自動車の普及をおおまかに追ってみましょう。最初に欧州で発明された自動車ですが、初期の世界の生産台数は2万台程度でした。欧州では自動車は高級品でした。それを変えたのがアメリカのヘンリー・フォードです。コンベアー生産方式によってT型フォードの大量生産を可能にしました。そして、欧州では一部の富裕層しか買えなかった自動車でしたが、米国では一般大衆にも買えるようにしました。その結果、右図のように1900年から1980年までの間、アメリカが世界の自動車の生産の大半を担っています。世界大恐慌と第二次世界大戦の時期はさすがに生産は落ち込みますが、それ以外はほぼ順調に生産台数を伸ばして行きます。

一方、欧州はというと戦争のたびに生産を落としています。欧州の場合、特徴的なのは自国内ですべての自動車部品を賄うということが少なく、他国にわたって部品を揃えていたため、いったん欧州内のどこかで戦争が起こると部品が滞り、その結果、生産が思うように行かなかったようです。こういった違いもあってますますアメリカが自動車大国になったわけです。その間、アメリカ国内では競争が激しくビッグ3と言われるフォード、GM、クライスラーが台頭してゆきます。この自動車大国アメリカのダントツでのトップの地位は日本が自動車産業に参戦してくる1980年まで続きます。

日本の自動車産業は戦後に伸びて行きます。戦前もあったのですが、戦前は軍用車に限られていたようです。日本がアメリカを追い越すのはトヨタのリーン生産方式、いわゆるカンバン方式によって作られた高い品質によるものでした。元々、リーン生産方式はアメリカのデミング博士に由来するらしいです。また、自動車が小型化することにアメリカの自動車メーカーが対応できなかったのも大きな要因でした。その後、日米自動車摩擦が起こります。結局、アメリカの政治圧力に負けて日本が自主規制することでアメリカの自動車メーカーは倒産を免れ、その間にアメリカの自動車メーカーが技術を向上させて日本に追いついたそうです。

それから後に今度はグループ化の波が押し寄せます。世界の自動車メーカーはある程度のグループに組み替えられます。その結果、GM、フォード、ダイムラー・クライスラー、トヨタ、ルノー、VWの6大グループに分けられます。本書は2003年に刊行された本ですのでここまでの歴史ですが、しかし、その後も再編成されて、現在では、トヨタ、GM、VW、ルノー、現代自動車の5大グループになってしまいました。韓国の現代自動車が食い込んできました。


ところで、英国では自動車メーカーが発達しませんでした。というより出遅れてしまいました。英国は産業革命発祥の地でありながら、どうしてでしょう?それはすでに発達した産業が既得権益を守ったがために新興企業である自動車産業の発達を阻害したといえるのではないでしょうか。例えば、赤旗法という規制がありました。1830年頃、英国は既に蒸気自動車を開発してロンドンを蒸気バスが走っていました。しかし、蒸気バスはエンジンが蒸気機関ですから黒煙を排出するので住民からは嫌われていました。また、すでに発達していた乗合馬車は蒸気バスに仕事を奪われるのではないかとたいへん恐れていました。そこで1865年に乗合馬車の団体は議会に働きかけて自動車の前方55メートル先で赤旗を持った警告者が自動車を通ることを付近の通行者に警告しなければならないという赤旗法を通してしまったのです。考えたら、バカバカしい法律ですよね。しかし、そのことによって英国では自動車の普及が妨げられてしまったのです。ドイツやフランスで自動車の開発が進んだことに危機感を抱いて1896年になって赤旗法はやっと廃止されました。また、第二次世界大戦後、ドイツやフランスの工場が破壊されたために英国の自動車産業は一時期伸びるのですが、次第に復興した欧州大陸のメーカーに抜かれてゆきます。現在では英国の国産メーカーは外国のメーカーに吸収合併されて、独立した英国の自動車メーカーはとうとう無くなってしまいました。

今度は日本の自動車メーカーの国内でのシェアを見てみましょう。トヨタは比較的シェアを維持し続けていますが、日産は新規参入組に押されて20%近くシェアを下げています。一方、新規参入組でシェアを伸ばしたのはホンダとスズキです。マツダと富士重工はシェアを落とし、三菱やダイハツはほぼ横ばいです。この図は1995年までですので、現在はもう少し日産のシェアは回復しているのではないでしょうか。瀕死のクライスラーをアイアコッカが建て直したようにカルロス・ゴーンが官僚体質だった日産を改革して経営を建て直しましたからね。




今度はアメリカ市場での各自動車メーカーのシェアを見てみましょう。右図のようになります。フォードやクライスラーはほぼ横ばいですが、GMがかなりシェアを落としています。そして、その落とした分を勝ち取ったのが日本の自動車メーカーです。GMがシェアを落とした原因は様々ありますが、まず1つ挙げられるのは内製率が80%と非常に高かった点があります。トヨタの内製率が30%ですので極めて高いことが分かると思います。同時にUAW(全米自動車労働組合)との確執がありました。内製率が高いことからもそれを外注しようとすれば労働組合と対立するのは目に見えていますよね。これらのためにGMは非常に非効率な生産になったのだと思います。他にも人気車が無いとかRV車に出遅れたなど要因は多々あります。例えば最新鋭のロボットを工場に導入したけれど故障が多くてまったく使いものにならなかったという大失敗もあったようです。先日、デトロイトが財政破綻しましたが、大きな原因はGMの低迷にあると言えるでしょう。


さて、最後に現在の世界の自動車産業の趨勢を見ておきます。2012年のデータですが、世界の自動車メーカーの販売台数ランキングと国別の自動車生産台数と国別の自動車販売台数です。



















日本のトヨタや日産・ルノーはよく頑張っています。ホンダもよく食らいついています。ですが、世界の生産台数と販売台数を見てみて下さい。かつては自動車の世界最大の市場はアメリカでした。アメリカが最も多く生産して最も多く購入していました。しかし、今では中国が世界最大の自動車市場になりました。中国に世界各国から来た自動車メーカーが工場を建てて自動車を作り、そして、作られた自動車を中国が買っています。世界経済にとって、とても象徴的だと思います。日本もいずれ自動車工場のほとんどが中国に移転してしまい、移転した工場は中国を本拠地としてしまうでしょう。また、電気自動車がガソリン自動車にとって変わる時代が到来したとき、電気自動車はこれまでのガソリン自動車とは違って家電のように部品の調達が垂直統合から水平分業に変わるのではないでしょうか。そうなれば、ますます日本の自動車産業は苦しくなると思います。日本がこの世界の潮流に逆らっても仕方ないのではないでしょうか。むしろ、日本としては製造業から知識産業に新たに産業構造の転換を図るべきなのだと思います。

いずれにしても、自動車産業の歴史を知る上でこの本を読むことを強くお薦めします。

2013年7月6日土曜日

マシュー・リーン『ボーイングvsエアバス』

 

今回はマシュー・リーンの『ボーイングvsエアバス』を取り上げます。

この本は戦争を挟んで航空機がどのように発達し、その後、2つの航空機メーカー、ボーイングとエアバスに収斂してゆくかを描き、さらにこの2社がライバルとして如何に競ってきたかを綴ったノンフィクションです。


現在、旅客機と言えば、ボーイングとエアバスの2大メーカーが主流になっています。その2大メーカーがどのように成長し、なぜ生き残ることができたかをその足跡を綿密に追うことによって見事に浮かび上がらせています。また、旅客機とは何なのか、人々が必要としている旅客機とはどのようなものなのかということも彼らが歩んできた足跡を辿ることで自然と分かるようになっています。

ところで、日本の航空機産業はどうだったのでしょう?日本は家電と自動車で世界第二位の経済大国にのし上がりましたが、航空機だけは世界のトップ企業を育てることには成功しませんでした。日本は戦時中は零戦という優れた戦闘機を作ることに成功したにも関わらず、戦争に負けたことによって戦後は戦勝国側から航空機の製造を長らく制限されて、制限を解除されたときには時既に遅く、世界の航空機メーカーから技術力を大きく引き離されて、世界に太刀打ちできる航空機メーカーを育てることができませんでした。なぜ、戦勝国は敗戦国の航空機製造を制限したのでしょうか?その理由は航空機が戦争にとって極めて大きな役割を果たすからです。第二次世界大戦ではっきりと示されたのは戦艦に象徴されるような大艦巨砲主義の時代は終わったということでした。代わりに台頭したのが、空母から出撃した戦闘機による攻撃や爆撃機による高高度からの空爆、絨毯爆撃でした。それゆえに戦勝国は敗戦国が二度と反撃できないように敗戦国の航空機を生産する能力を抑えようと考えたのです。その結果、日本は占領期間を終えて自衛隊を持った後も、自前で戦闘機を作ることはできず、米国から戦闘機を購入するということを長らく続けることになったのです。しかも購入したのは米国の最新鋭の戦闘機ではなしに1つ前の世代のいわば古いタイプの戦闘機だったのです。ともかく、そうした経緯によって日本の航空機産業は長らく低迷することになったのでした。

そうやって日本を含めた敗戦国側の航空機産業を抑制して、戦勝国側の航空機メーカーは順風満帆で成長していったのでしょうか?実はそうではありません。戦勝国の航空機メーカーは航空機メーカー同士で熾烈な争いを繰り広げました。米国にはボーイングのほかにダグラスやロッキードなど手強い競合企業がたくさんありました。欧州も同様で各国間の航空機メーカーで争っていました。そうした激しい競争の中からボーイングが旅客機として抜きん出た企業に成長してゆくのです。一方、欧州のエアバスはボーイングに負けじと欧州各国の航空機メーカーを統合してコンソーシアムという組織体にすることでボーイングに対抗してきました。このように彼らはぬるま湯の中で成長したわけではなくて、激しい競争の中でたゆまぬ努力をし続け、時には合従連衡を重ねたりしながら、2社は育っていったのです。

さて、航空機同士の競争となると私たちはつい、より速く、より大勢の人たちを運ぶことができるというのが競争に勝つ要件かと考えてしまうかもしれません。しかし、実際はそうではありませんでした。例えば、コンコルドです。コンコルドは旅客機で音速の壁を超える初めての超音速旅客機です。しかし、音速の壁を超えるのは技術的に極めて至難の業でした。非常な苦労の末、膨大な開発費と長い時間をかけて開発したコンコルドでしたが、機内は狭くて決して快適とは言えず、さらに燃費が悪い上に航続距離もとても短いなどビジネスとしては極めて不経済な代物でした。結局、コンコルド以後は超音速旅客機は開発されることはなくなってしまいます。コンコルドはより速くを追求しても成功しなかったという失敗事例になってしまいました。では、より大勢の人たちを運ぶというのはどうだったでしょうか?こちらは簡単に想像がつきます。より大きな機体にして客席を増やしても実際に客が乗らなかった場合、空っぽの空席で飛んでいることになります。高い燃料費がかかっているのに空席ばかり運んでいたのではビジネスになりません。乗客で席が埋まってこそ旅客機はビジネスになるのです。したがって、航空機メーカーの競争はいかにビジネスとして優れているかであって、飛行機の能力として速いとか大勢の載せられるとかいった単なる技術力にあるのではなかったのです。(ただし、もちろん、技術力に意味がないと言っているわけではありません。ビジネスに成功するにしても、それを支える技術力が必ず必要だからです。ただ、ビジネスの要件を満たしていなければ、たとえ高い技術力があっても企業は生き残れないのです。)

それから、この本を読むと大きな商談をまとめるビジネスマンたちが次々に登場してきます。航空機販売ですから、一機だけでも極めて高いお金が動くのは間違いありません。しかも、その一機が糸口になって次々に商談が広がっていったりします。そういう男たちの生き様も少し垣間見ることができてけっこう面白かったりします。

さて、私たちの時代は飛行機が当たり前になってしまいました。ちょっと音がするなと思って空を見上げたら飛行機が飛んでいたというのが当たり前の時代です。夜空を見上げてもチカチカと点滅する光が動いているのが見えて飛行機が飛んでいるのだなとすぐに分かります。ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年です。それからたかが110年です。あるいは、ボーイング29、つまり、B29が東京を空爆し、広島・長崎に原爆を落としたのが今から約70年前です。ほんの少しばかりの時間で飛行機が飛ぶのが当たり前になってしまいました。そして、世界の大空を飛んでいる旅客機の多くがこのボーイングとエアバスです。これだけたくさんの飛行機が空を飛んでいるのに見かける旅客機はこの2社がほとんどです。凄いことです。今後もこの2大航空機メーカーが2強であり続けるのかどうかは分かりません。新たな航空機メーカーが対等に競い合える競合企業として熾烈な争いに加わるかもしれません。しかし、たとえ第三のメーカーが加わったとしても、この2社がそう簡単にトップの地位から転げ落ちるとは考えにくいと思います。当分はこの2社が世界の空を支配するのは間違いないと思います。そういう意味では、ボーイングとエアバス、この2社についてどのような歴史を持った企業なのか、知っておくのは悪くはないと思います。

ちょっと文章の締めが上手く締まりませんでしたね。ここはひとつプロの方に締めてもらうことにしましょうか。そう、私たちの世代でジェット旅客機と言えば、城達也のジェットストリーーム♪です(笑)。では、最後までごゆっくりとお楽しみ下さい。


尚、飛行機とアメリカの関わりを描いた歴史書に下記のものがあります。飛行機に焦点を当てて別の角度から見たアメリカ、広い視点から見たアメリカという点で興味深く読める本です。是非、読んでみて下さい。

※なお、この『ボーイングvsエアバス』は2000年に刊行された本です。したがって、若干、現状とは異なっているかもしれませんのでご注意下さい。

2013年7月4日木曜日

エドワード・エブスタイン『ビッグ・ピクチャー』

 
今回はエドワード・エブスタインの『ビッグ・ピクチャー』を取り上げます。


この本はハリウッドの映画産業のビッグ・ピクチャー(=全体像)を描いたノンフィクションです。この本には様々な事柄が書かれていますが、大きく分けて2つあると思います。1つはハリウッドの6大スタジオ(バイアコム←パラマウント、ディズニー、フォックス、ソニー、ワーナー、ユニバーサル)が成り立つに至った経緯、特に現在の地位を築いた立役者、すなわち経営者たちについて描いています。もう1つは興行収入が減る中で今度はケーブルTVやDVDなどホーム・エンターテイメントで収益を上げるようになるといった映画産業が変容してゆく過程が描かれています。もちろん、これらだけではなく様々な映画業界の情報が詰め込まれていますので、映画ファンのちょっとした豆知識としても使えます。

映画に興味のある方はもちろんのことTVのドラマに興味のある方も是非読んでおくことをお薦めします。なぜなら、有料・無料を問わずテレビ番組の主要な商品の半分は映画とドラマです。スポーツやニュース、あるいはバラエティなど他にも人々を惹きつける商品はありますが、やはり、強い吸引力を持つのは映画やドラマだと思います。そして、今やテレビは世界中のどの国も持つようになりました。かつては後進国と言われた国も今や新興国となって飛躍的な経済発展を遂げ、各家庭に1台は必ずテレビを持つようになりました。いえ、テレビだけでなくパソコンやスマートフォンの普及を考えれば、先進国とあまり変わらなくなりつつあると言っていいと思います。しかし、テレビの歴史が浅い国ではコンテンツがありません。つまり、テレビがあるところ、それだけ映画やドラマを買ってくれる市場があるということです。そういった世界市場という視野を持ち、なおかつ実際に売れる販売網を持って、そして何より視聴者の要望に十分応えられるだけの高いクオリティを持った作品を作り続けているのはハリウッドの6大スタジオをおいて他にはありません。ストーリー性においても映像のクオリティにおいても俳優の演技においてもハリウッドは他国のスタジオとは比較にならないほど優れていると思います。むしろ、それが当たり前過ぎて、このような指摘は何を今更という感じの方が強いかもしれません。それくらいハリウッドの映画産業の実力とブランドは浸透しているのだと思います。(今、韓国ドラマが世界進出に頑張っています。日本でも韓流がブームになりましたし、中国でも韓国ドラマは人気があるようです。さらに欧州の一部の国でもちょっとした人気があるようで、ハリウッドで作られた海外ドラマに対抗しるうるドラマ作りをやっているのが韓国だと思います。日本のドラマも世界市場で売れるような良い作品を作って欲しいものです。ただ、少し前までは東アジアでは日本のドラマは人気が高かったと思います。また頑張って欲しいものです。)

ただし、注意してもらいたいのは、私は何もビジネスについて知りたいからこの本に興味を持ったのではありません。私が興味を持っているのは物語です。どういうことかというと、大昔、物語は語り部によって人々に語り継がれてきましたが、それが紙の発明や印刷技術が出現したとき、書物へと形を変えて文学に発展してゆきました。そして、映像技術が発明されて今度は映画に変貌を遂げました。そう、映画やドラマはかつて語り部によって語り継がれてきた物語が映像技術によって映画に姿を変えたものなのです。もちろん、音声媒体と文字媒体と映像媒体ではそれぞれ違いがあります。例えば、文字媒体である文学は人々の内面を表現するのに極めて優れた形態だと思います。やはり、人々の内面を描くのは文学の方が適しているでしょう。しかし、視覚的イメージをダイレクトに伝えるのは映画の方が優れていると言わざるを得ないと思います。このようにそれぞれの媒体で表現に得意・不得意があると思います。いずれにせよ、私たちが物語を受け取る媒体として映画という選択肢が1つ増えたわけです。そして、今や私たちが物語に触れる媒体としては映画は無視できない存在になりました。、いえ、無視できないどころか、むしろ映画がメインになりつつあると言えるかもしれません。そうやって私たちの頭の中に簡単に入ってくる物語ですが、物語は私たちの精神に非常に大きな影響を与えます。場合によってはその人の人生すら変えてしまうことがあります。ですから、その物語がどのように作られているのかなど、物語についてよく知っておきたいと考えるのは当然だと思います。商業目的で作られているのですから、サブリミナル効果ではありませんが、私たちが気付かないうちに無意識に何か良からぬものを刷り込まれているかもしれません。実際、ハリウッド映画ではアメリカ的価値観を知らず知らずのうちに刷り込まれていると思います。ただし、それらすべてが悪いものではなくて、逆にアメリカの方が自分たちの国よりも優れている、自分たちの国の方が遅れていると気付かせてくれる場合もあると思います。同性愛の受容だとか人種差別の無さだとかです。いずれにせよ、少なからず私たちに影響を与える物語について、その内実を知りたいのです。だから、ハリウッドの内実を描いたこの本に興味があるのです。

物語という観点から世界を捉えてみましょう。まず、物語には様々な形態があります。小説や映画があります。日本では漫画もありますし、アニメは映画に含めて良いかもしれません。それから演劇もありましたね。かつての物語の広がりは今と比べれば限定的だったかもしれません。しかし、今ではグローバル化が進み、どんな国でも各家庭にTVがあって、そこでは映画やドラマが流れるようになって、世界共通で同じ映画や同じ海外ドラマを楽しむ時代になってきています。物語にもグローバル化の波が押し寄せているのだと思います。そんな中でハリウッドは娯楽としての映画も作りますし、かといって低俗なものばかりではなくて、アカデミー賞作品のように人々を真剣に考えさせるとても良質な作品も作っています。そして、それらをビジネスとして立派に成り立たせています。他国では国の補助なしでは映画が作れない国もあるのに、です。凄いことです。凄いぞ、アメリカです(笑)。ただ、日本でもハリウッドに負けない分野があります。それはアニメです。商業アニメで成功しているのはアメリカと日本だけです。ディズニーと日本アニメです。特に日本アニメは広く世界に浸透しています。ただし、今後も日本アニメがその地位を維持できるかどうかは分かりませんが。漫画の衰退が少し気になるところです。一方、文学については未知数だと私は思います。内面の探求という意味では文学は衰退しつつある、もしくは、これ以上深くは進展するのは難しいような気がしています。というのも、グローバリズムの普及によって世界中のいたる所が現代文明で覆い尽くされようとしていますが、そのためにかえって豊かな精神文化が破壊されていると思うからです。物語の中でも文学というものは内面への旅です。その内面があまり豊かではなくなりつつあると思います。しかし、そうではない、単に物語という観点では物語は爆発的な拡散はしていると思います。TVや映画の普及で今まで物語に触れてこなかった人たちにも物語は届くようになったと思います。

ところで、物語は無限にできるものなのでしょうか?書店に行けば、山のように小説の新刊書が積まれています。まるで物語の洪水です。しかし、私たちはそういった洪水のような物語をただ単に無作為に受容していれば良いのでしょうか?それとも何らかの体系的な受容の仕方というものがあるのでしょうか?それは好きなジャンルを読むということでしょうか?あるいは名作といわれるものを片っ端から読めば良いのでしょうか?物語は私たちの精神に深く影響するというのに意外とその受容の仕方は定まっていないように私には感じられます。しかし、じゃあ、無限にある物語をどのように読めば良いというのでしょう?私はそのヒントは語り部だった頃の昔にあると考えています。語り部たちは聴衆に物語を語って聞かせますが、単に1つの物語だけではなくて、複数の物語をセットで語って聞かせます。聴衆は複数の物語を知ることで、そこから基本的な生活の知識を得たり、道徳を養ったり、人格を形成するのに役立てていると思います。物語をまったくバラバラに受容するのではなくて、ある程度まとまった物語を受容することで人格マトリクスに影響を及ぼしていると思います。ということは私たちもある程度まとまった物語をセレクトする必要があるのではないでしょうか。人格を形成する上で基本となる物語のセットをセレクトする必要があるのではないでしょうか。物語の元型となるものがあって、それを現代の生活にマッチするものに変形して現代人に伝えてゆくということが要るのではないでしょうか。まったくの無作為でバラバラに物語を受容するのではなくて、核となる物語のセットがあって、そこから先は各人が自分の好みにあった物語を吸収してゆくというのが良いような気がします。一見、それは文学全集を作ることと思われるかもしれません。しかし、文学全集とは明らかに違う点があります。文学全集はあくまで文学に主眼が置かれています。しかし、物語の元型は人格マトリクスに主眼を置いてのセレクトです。むしろ、元型といった時点で自然と人格マトリクスに沿った基本形が浮かび上がってくると思います。ここでいう元型とはユングが用いているような意味での元型です。言い換えれば、ゲーテが見た様々な植物の中の元型である原植物のことです。あるいは、プロップなどは物語の元型が見えていたからこそ、その時代その時代で付加された装飾を剥ぎとって魔法昔話の元型である『魔法昔話の起源』に辿り着くことが出来たのではないでしょうか。レヴィ=ストロースの『神話論理』も元型を探し求めた結果、あのような構造に至ったのではないでしょうか。いずれにしても、まだ明確な形で掴み出せるほど物語の元型をあぶり出すまでには至っていません。しかし、猶予もあまりありません。なぜなら世界はどんどん文明化されて豊かな精神文化の基盤が根こそぎ失われつつあるからです。いわゆるヴェイユのいう根こぎが完成されつつあるからです。しかし、まだそういった根、わずかでも足場があるうちに物語のセットを提示できれば、人々の心に深く受容される可能性は高いと思います。しかし、まったく足場が失われてしまえば、そう簡単には受容されない恐れがあります。私たちは急がねばならないのです。

さて、話が分散してしまいました。特に先程のセンテンスなどは意味がよく分からなかったかもしれません。しかし、物語という観点から映画を捉え、物語という観点から世界を捉えたとき、ハリウッド映画のいるポジションは人々に与える影響力の大きさから非常に重要なポジションに立っており、私たちは自分たちの精神文化を考える上で決して無視できない存在なのだということを知っておくべきだと思います。もちろん、ハリウッド映画の大部分は他愛もない娯楽作品です。しかし、その影響力は計り知れないものがあります。よく考えてみて下さい。日本のアニメだってそうでしょう。他愛のない日本アニメが私たちの精神にどれだけ大きな影響を与えてきたか、決して見過ごせるものではありません。そして、それは、今、グローバルな規模で起こっているのです。ただし、それは逆に言えば、もしも豊かな物語を提供することができるのならば、私たちの精神文化を今よりももっと豊かなものにすることができるチャンスでもあるのです。

さて、以上のように考えると、ハリウッド映画は物語産業の重要な柱であり、この本はそのハリウッドの映画産業の基本を知るのに欠かせない重要な一冊です。是非、読んでおくことをお薦めします。