2024年4月28日日曜日

NEWS2024.04


4月2日(火)


4月4日(木)


4月11日(木)


4月16日(火)


4月18日(木)


4月19日(金)

イランvsイスラエルの件
イランとイスラエルの応酬の件。私はイスラエルが悪いと思う。そもそもガザに対するイスラエルの虐殺は酷い。周囲がいくらい言ってもイスラエルが聞く耳を持たないのは十分に予測がつく。だから、軍事介入が必要だが西側諸国はやらない。イランが裏からそれをやった。それに対するイスラエルの大使館攻撃が発端だ、と私は思っている。実際はもっと複雑なのかもしれないが。ただし、これ以上戦火が拡大しないことは願っている。そしてイスラエルがガザから手を引くことを願っている。

日銀の植田総裁が2023年4月に就任から1年が経過。じわじわと目立たないように政策を変えてきたのだろう。世界は変化するから果たして上手く行くかどうか。

自民党裏金問題の件
自民党が裏金問題で苦しんでいるらしい。しかし、それでリベラル支持が増えるかというとそれは疑わしいと思っている。また、維新なんかは犯罪が多くて相当にヤバい政党だと思うのだが、どうも世間ではそうでもないらしい。米国のトランプ、イスラエルのネタニヤフなど世界でもヤバいひとが権力を握ったりする。ロシアのプーチンや中国の習近平もいたな。

イーロン・マスクがTwitterを買収してからTwitterをだんだん更新しなくなってしまった。更新しないだけじゃなくて閲覧することもどんどん減っていった。たぶん、このまま行くと見なくなっていくと思う。SNSやブログを更新するのが年齢的・体力的にどんどんしんどくなっている。
 
Blogの時代について
Blogが全盛だった時代は書評が大変楽しかった。しかし、YouTubeの時代になってBlogは廃れてしまった。また、マネタイズのために面白いBlogはnoteなど有料サイトに移っていってしまった。Blogの広告収入だけでペイするのは難しいらしい。無料で多くのひとが見られるBlogはオープンソースのような楽しさがあった。ただ、Blogは完全に無くなってしまったわけではなくて、細々と続いているとは思う。考えてみれば、当時は更新頻度が高くてすごかったと思う。個人差はあると思うけれど、一般に読書家が一ヶ月に読める本の冊数は限られていると思う。それなのに有名Blogでは書評が毎日更新されるのは異常だと思う。読書という趣味は地味で地道な趣味なんだが、でも大変楽しい。毎日、発見があったりする。それを読書ノートに書いて今日も一日収穫があったなんて思ったりする。書評はそういった趣味がマネタイズされて儲かるならばなんて楽しいことだろうと思ったものだ。でも、まあ、それは豊かだった時代なら可能だったかもしれない。今はもうそれほど豊かな時代でもないだろう。もちろん、才能があればやっていけるひともいるだろう。まあ、でも、それよりも趣味として読書を単純に楽しむだけで良いのではないかと思う。無理に情報発信しなくても知的欲求を満たせればそれで良いではないかと思う。もちろん、言いたいことがあればBlogでもSNSでもどんどん情報発信すればいい。でも、そうじゃなくてマネタイズのために無理に情報発信するのは自分には合わないと思う。もちろん情報発信にはそれなりに時間や労力などコストがかかっているから有料になるのも仕方ないとも思う。何が言いたかったのか、だんだん分からなくなってきた。ともかく、読書家にとってBlog時代は楽しい時代だった。そういえば、読書サロンなんかにも憧れがあるけれど、これが案外曲者でうまく行かないことが多いのだろうと思う。核になる部分が学生時代からの付き合いがないと難しい気がする。ただ、読書趣味の良いところは一人で十分に楽しいところだ。歳をとってきて、それで十分という思いが強くなってきた。
 
Netflix『ザ・ディプロマット』と『三体』
Netflixの『ザ・ディプロマット』を、今、見返してみると面白い。ちなみに『三体』も配信が始まっている。ハードSFが好きなひとには面白いかも。

『太陽の牙ダグラム』配信再開の件
YouTubeのサンライズチャンネルで『太陽の牙ダグラム』が配信再開した。地球の植民惑星デロイアが地球から独立する話で大変面白い。子どものときはチャンネル争いに負けて見られなくなってしまった。最初の十数話くらい見たのだと思うが、当時はストーリーが暗いという印象が強かった。また、ガンダムを見た後だったのでロボットの戦闘に期待していたのだが、戦闘シーンがあまり面白く感じられなかった。今、見てみると政治的な内容が多くて、そこが大変面白い。アメリカ大陸各国の独立の歴史などを知ってから見ると、多分、面白く感じられると思う。当時、劇場版が出たときだったか、明るいダグラムだったか明るいイデオンだったか、そういうキャッチコピーとスピンオフ的な作品があって、逆に言うと本編は暗いという印象が強かったのだと思う。私は社会人になってからレンタルビデオでボトムズを見て面白いと思ったし、Zガンダムも放映時は途中で見なくなってしまったが、Netflixで見返すことができて、ようやく子どもの頃の宿題が済んだ気がした。ダグラムを見終えたら、もういいかなという気がしているが、劇場版『ドキュメンタリー太陽の牙ダグラム』を見たのと最終話あたりをレンタルで見たので、もういいかという気もしている。とりあえず、『太陽の牙ダグラム』は面白いので見てみて欲しい。

4月25日(木)


4月27日(土)
円安が進んでいるらしい。

中沢新一さんについて
中沢新一さんの新著『精神の考古学』が出版されていた。実は買おうか、買うまいか迷っている。この新刊が出ることは細野晴臣さんのラジオ『Daisy Holiday! 』で聴いて知っていた。ちなみに装丁はブライアン・イーノだそうである。また、レヴィ=ストロースに関する本も出す予定だと言っていた。検索してみたら『構造の奥 レヴィ=ストロース論』というタイトルで出版されていた。さて、実は私は中沢新一さんの著作のファンで中沢さんの著書はほとんど買っていた。初めて買ったのは『虹の理論』だったと思う。そのときは浅田彰さんと島田雅彦さんの対談本『天使が通る』を一緒に買ったと思う。で、『虹の理論』の感想はというと「???」だった。往復書簡のスタイルで書かれた文章はオシャレだったが、バリ島の修行の話はとても謎めいていた。ちなみに『天使が通る』の中で浅田彰さんが中沢新一さんに触れる箇所があって、確かダンテの『神曲』の解釈についてだったと思う。そもそも、この二人を買う動機となったのは数学者の森毅さんのエッセイで触れられていた文章を読んだのきっかけだったと思う。それで『虹の理論』はよく分からなかったが、とりあえず、もう少し読んでみようと思って買ったのが『イコノソフィア』だったと思う。この本を読んで私の脳の回路が開かれたような感覚を味わった。彼の文章はなめらかで優美な曲線を描くのだけれど、思考は次々と小気味よくジャンプしていく感じだった。それで面白くなって立て続けに彼の著作を買って読んだと思う。『雪片曲線論』や『チベットのモーツァルト』を買った。『野ウサギの走り』は書店に無くて少し後になってから入手できたと思う。『雪片曲線論』ではフラクタルや空海の話で大変面白かった。『チベットのモーツァルト』は奥村靫正さんという方が装丁をされていて美しい本に仕上がっていた。内容は難解だったが、どれも興味深い話で内容がものすごく濃かった。「病のゼロロジック」はその後何度も読み返した。それからも『悪党的思考』や『蜜の流れる博士』などを買い、氏の新刊本はどれも買うようになった。『南方熊楠コレクション』全5巻は解題を氏が書いていて毎回とても楽しみにして読んだ。書店に並ぶのを楽しみに待ったものだった。そうそう、夢枕獏氏との対談本『ブッダの方舟』も買ってすぐに喫茶店に入って読み始めて夢中になって4、5時間読んでいたように思う。もちろん、その後も何度も読み返したりした。対談本といえば細野晴臣さんとの対談本『観光』があって、これも楽しくて何度も読み返した。『クレア』という女性誌に連載していた山田詠美さんとの対談も面白かった。とにかく、中沢さんの本は抜群に面白かった。『東方的』『バルセロナ、秘数3』『緑の資本論』『はじまりのレーニン』『フィロソフィア・ヤポニカ』など、どれもこれも本当に楽しい読書体験だった。ところが、オウム事件があって少し変わってしまった。確かに氏は事件が発覚する前の段階でオウムを擁護するような発言はしていた。しかし、それは新興の宗教団体を擁護するような意味での一般的な擁護で、事件が発覚していない段階だったし、宗教学者としては宗教を擁護するのは決しておかしくない発言だったと思う。しかも、オウム真理教が中沢氏を勝手に利用しただけで、中沢氏はむしろ勝手に利用された被害者だったと思う。悪用と言っていい。氏のチベット修行の共著『虹の階梯』は貴重な資料なのにオウムに悪用されたために絶版にされてしまった。本来なら中沢氏は日本にチベット密教ニンマ派を紹介した人物として、日本にチベット密教を紹介した河口慧海氏に次ぐ人物として歴史に名が残る人物になるはずだったと思う。大袈裟に言えば、空海が真言密教を日本に請来した人物だとするならば、中沢新一はチベット密教を日本に請来した人物になるはずだった。ところが、当時の日本社会はオウム真理教だけでなく、その周辺の人物まで血祭りに上げるようなヒステリックな状態にあった。島田裕巳氏などは彼に非はまったく無いのに、スケープゴートにされてしまったと思う。あまりにも非道いとばっちりだった。中沢氏も「宗教学者・中沢新一は死んだ」という文章を書いていたと思う。そんなわけで、オウム事件以後、日本で何かが大きくシフトしてしまった。そして、中沢氏の活動も密度の濃いコアな活動というよりは、進化の過程で生まれてはきたが短期間で絶滅してしまうような、儚い種を追うようなものに変わってしまったように私には思われる。オルタナティブなんだけれど、それはカゲロウのようにすぐに消えていってしまうような儚い存在。そういったものをわざわざ選んでいるような気さえするのだった。私が期待する楽しい読書体験はもっと濃いものだった。南方熊楠であって折口信夫では無かった。吉本隆明やレヴィ=ストロースでも無かった。確か大江健三郎さんだったと思うが、「井筒俊彦の後継者は中沢新一だ」といった文章を朝日新聞に書いていたと思う。私が期待したのもまさにそれだった。井筒俊彦さんの最後の著書『意識の形而上学』のあとがきで『東洋哲学覚書』というシリーズを氏は構想中だったのだが、それが突然の急逝で無くなってしまった。中沢新一さんに私が期待したのはまさにそちらだった。確かにそれは荷が重すぎる期待かもしれない。司馬遼太郎は井筒俊彦氏をとらえて天才が十人集まった人物と評していた。本当に井筒氏のような天才はもう二度と日本からは出ないと思う。ただ、中沢氏はゾクチェンの修行という実体験があるのでそれを補いうるし、さらにその上に新たなステージを提示できるのではないかと淡い期待があった。しかし、日本がそれを許さなかったのだと今では思う。それにしても、中沢氏が70歳を超えていることに驚く。大学も去られたようだ。私も歳をとってしまった。一読者として本当に楽しい読書体験をさせてもらった。人生の残り時間も少なくなってしまった。世界にサヨナラを言う準備をしなければならない。彼の著書に出会えたことは幸福だった。本当に感謝したい。本当にありがとうございました。

清水俊史『ブッダという男』に寄せて
偶然、YouTubeでやっていた仏教がテーマの番組で、佐藤哲朗氏、星飛雄馬氏、岡本直人氏、秋田尚文氏の対談・鼎談をいくつか見た。そこでは清水俊史氏の『ブッダという男』という新書が取り上げられていた。知らなかったのだが、日本仏教ではブッダが輪廻を説かなかったという説が流布しているらしい。ちょっと驚いた。また、日本仏教は妻帯するなど戒律を守っていないという、いつも私が指摘している話も話されていた。それで清水氏を筆頭に彼らはそういった日本仏教に批判的であるらしい。もっともな話である。また、魚川祐司氏という方の『仏教思想のゼロポイント』という本も紹介されていて、清水氏の批判と似たような批判で、もう少しやんわり書いているらしい。頻繁にテーラワーダという上座部仏教が出てきた。知らなかったのだが、どのくらい前からかは分からないが、日本では上座部仏教が浸透しているようだ。そういえば、書店でそれらしき僧侶の写真が表紙になった本が出ていたなあと思う。さて、他にも「悟り無用論」とかもあるらしい。 オウム事件以後、ヨガや仏教は敬遠されがちだったと思ったが、いつの間にか上座部仏教が普及したらしい。(そういえば日本におけるチベット密教はどうなったんだろう?)私のイメージでは、オウム事件の後、しばらく停滞していて、占いとかのスピリチュアルものがだんだんと市場を広げていったが、あまりにも大きくなり過ぎて、問題になって萎んでしまい、その後、女性を中心としたヨガ教室が全国に広がっていったという印象がある。ただ、思うに以前と違ってカルト化せずに、個人個人が自分で勝手に学ぶカルチャー講座化したのかなという気がする。あくまで私の印象なんで間違っているかもしれないが。まあ、悪いことではないだろうという気がする。一方で、日本人はスピリチュアルなものが好きなんだろうなとも思う。ともかく、日本仏教というのは、仏教とは名ばかりで、実際は極楽浄土に行くことを願う信仰の宗教に変わってしまったのだと思う。いつも言っているが、日本人は換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまう。仏教も変えられてしまったのだと思う。江戸時代の儒教と似ている。幕末の儒家・横井小楠が儒教の文献を調べて、日本の家制度を批判したとき、藩から危険人物だとみなされた話とよく似ている。本来、儒教は能力主義で禅譲があるのに、日本ではそれでは都合が悪いからそれを変えてしまう。日本の儒教は本来の儒教とは真逆のものになってしまった。仏教でもそれと同じことが起こったのだと思う。ただし、問題は日本人の多数派がそれを容認していることだ。それなら、仏教や儒教という看板を下ろしてもらいたいところだが、それでは箔が無くなって商売に差し支えるからそれは嫌だという。実に勝手でいい加減な民族なのだ。ところで、「悟り無用論」だが、YouTubeを見た限りでは業界でどういう文脈なのかはよく分からなかったが、「悟りを開く」というのは日本の仏教だけが特に強調しているような印象がある。本来、仏教の目的は輪廻からの解脱だったと思う。具体的には、死に際してヒトが輪廻にからめ取られるのではなく、輪廻から脱すること、解脱することだと思う。そう、生から死に変わるとき、つまり、死ぬときにだ。そのために四諦八正道があったと思う。瞑想を重視するが、瞑想だけでなく、それ以外も重要だと説いている。で、「悟りを開く」の日本人のイメージは滅諦に近い。しかし、滅諦でめでたしめでたしではなくて、道諦で死ぬまでずっと続いていく。簡単に楽にはなれない。ところで、華厳的には「悟りを開く」は正見に近いかもしれない。禅は無を強調するが、その後の言及があまり無い。ついでに言うと、仏教はエネルギーの言及が少ない。なぜ仏教では妻帯してはいけないのかというとエネルギーを消耗してしまうからだ。本来なら自明過ぎる話で、あまりに自明だから言及が少なかったのかもしれない。嗚呼、独りよがりな説を開陳してしまった。ここらで筆を置くことにしよう。

4月28日(日)
「自民全敗、立民全勝」との見出しが多いが、実際は自民は不戦敗が2で島根だけ1敗だった。立民も圧倒的全勝というよりは共産党の協力があったからこそ勝てたらしい。たとえば東京15区では保守系がそれぞれ票を集めていると思う。それだけ保守の人気が高いのだと思う。本来なら裏金問題という敵失で立民は余裕で当選してもおかしくないのだが、日本の有権者の多くが保守なので、立民は簡単には勝てなかったということだと思う。結局、日本ではリベラルは不人気なのだ。さて、それと今回の選挙では、つばさの党の根本良輔と黒川敦彦が選挙妨害とおぼしき行為に出ており、大変見苦しい街頭演説になっていた。いわゆる炎上商法と同じ類の目立つための手法だろう。本来なら選挙期間中は政策について真面目に考える時間であるはずなのだが、こういった輩によって妨害されてしまって残念だ。ともかく、リベラル派は久しぶりに選挙で勝利したので喜んではいるが、得票を見るとそんなに喜んでもいられないのではないかと私などは思う。日本人は自民党に代わる保守政党を求めている。一時は維新にその可能性を見出したが、大阪万博がうまく行っていないのでやや陰りが見え始めている。また、日本保守党やファーストの会もまだまだ人気が上昇しているわけではない。しかし、時流に乗れば、なんらかの保守政党が第二の自民党として台頭してくる可能性はあると思う。結局、それだけ日本では保守が強いし、層も厚いのだと思う。逆にリベラルは保守を取り込んだと思ったら、いつの間にか保守が分離して減っていくの繰り返しだ。リベラルだけで裾野を広げるということができない。それだけ日本ではリベラルは層が薄いのだ。この傾向はそう簡単には変わらないと思う。リベラルが日本に根付くにはもっともっと時間が必要なのだろう。いや、そもそも日本にリベラルは根付かないのかもしれない。私自身は私の生きている間にリベラルが日本に根付くことをほぼ諦めている。だから、長い目で見守っていくしかないと思っている。


2024年3月24日日曜日

NEWS2024.03


3月6日(水)
安田さんが病欠、珍しい。お大事に。

3月8日(金)
合掌。

3月9日(土)
合掌。

先月も言及したが、最近、女性タレントのセクシーなファッションが増えている。もう何年も前からトゥワークというかなりエロティックなダンスがブラックミュージックを中心に流行っている。YouTubeやTiktokの普及とあいまって定着したと思う。一方、保守的な層からはふしだらだと批判されているだろうと推測する。東アジアでもそれに倣って女性タレントのファッションやダンスがエロティックにかつ露出が増えていると思う。ポジティブに捉えるなら、女性の性の解放があると思う。女性も性欲や性的アピールを堂々と行えるようになったと。一方、ネガティブに捉えるなら、エロを売り物にして稼ごうという魂胆もある。私自身は前者が優勢であってほしいと思う。(ただし、カニエ・ウェストの奥さんは別、例外だと思う。2つの流れとは他の意図があるように思う。)21世紀になって大きく変わったものに、進歩したものに、セクシャリティ(性現象)がある。そして、身体意識もそれに伴って変わりつつある。セクシーなファッションが増えているのもその流れの一端だと思う。一方、日本人は相変わらず無意識にそれらを上辺だけ真似ていくんだろうと思う。ただし、世界がどうなるかはまだ分からない。解放を求める者たちと変化を拒絶する者たち(保守層)がせめぎ合うからだ。

3月13日(水)
安田さんが帰ってきた。バカニュースは楽しい。楽しいといえば、自民党の県議会議員たちが女性ダンサーといちゃついて楽しそうだった。

3月14日(木)
とても良い判決だったと思う。日本でこんな判決が出るなんて珍しい。まるで先進国みたいだ。

政治に対する関心がどんどん無くなっている。政権交代なんか起こりそうもないし、日本の政治は変わらないという気も強い。幕末の頃も佐幕派と倒幕派以外の一般庶民はええじゃないかで狂っていたが、なんかそんな投げやりな気持ちになってくる。とはいえ、外から俯瞰して見るという態度の方が大切かもしれない。政治や経済だけでなく社会を見ても、日本の衰退は避けようがないと感じる。日本人は、みんな、まだチョンマゲをしていると感じる。江戸時代と変わらない心理、日本人の心はまだチョンマゲをしていると感じる。この大きな下方に向かう流れに抗うことはムダな努力に思う。いつもながら繰り返しになるが、個々人はそういう日本から離脱することだ。

3月20日(水)
維新の議員の犯罪率の高さに驚く。政治集団というより犯罪者集団に近いのではないかとさえ感じる。

BSプライムニュースという番組で浅田彰×先﨑彰容があったのがYouTubeにアップされていた。久しぶりに浅田彰を見た。なかなか分かりやすい見立てだった。ただし、ご自身も言われていたが、古いといえば古い見立てだった。しかし、それしか無いのだろうとも思う。

3月23日(土)
今のイスラエルを口先だけで言っても誰も止められないと思う。義勇軍とか送り込むとかしないと無理だと思う。

私の中で日本の政治に対する関心がどんどん減少していっている。自民党への支持率が下がっているとはいえ、それでも選挙をすれば自民党が政権を取るだろうと思う。日本人はそういう民度なのだと思う。自民党議員の劣化は日本国民の劣化の反映なんだと思う。

日本のテレビを本当に見なくなった。そして、それで良いと思うようになった。日本の文化や社会なんかトレースしたりチェックしたりする必要性を感じなくなってきた。

私自身は自分は大枠ではリベラルだと思っている。ただし、さらに細分化するとかなり特殊で、アウトサイダーであったり、古いカウンターカルチャーに共感するカテゴリーに属すると思う。現代のポストモダン社会において、かつてのヒッピーのようなスタイルはなかなか難しいかもしれない。もっと古いスタイルで言えば、釈尊がサンガを作って布施を募って歩いたけれど、現代の日本社会では誰も布施なんかしてくれないだろう。ポストモダン社会ではヒッピーやブッディストは新たな戦略・戦術で立ち向かわねばならないと思う。さて、それはともかく、若者には、アウトサイダーの入門としてコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読むことを推奨しておこう。若者は、まずアウトサイダーとなって日本から離脱する一歩としよう。


2024年2月29日木曜日

NEWS2024.02


1月31日(水)
勉強になる回だった。

彼女の場合、選挙地盤なんてあるのかしら?

本来、仏教の僧侶は妻帯が禁じられているし、性行為も禁じられている。律で定められている。日本仏教だけ妻帯を認めるようになった。だから、チベットやタイの僧侶から見たら、日本の妻帯している僧侶は僧侶ではないと言われると思う。日本はなんでも換骨奪胎して日本に都合の良いものに変えてしまう。日本仏教はもはや仏教ではない。仏教とは別物のなにかである。そんなだから、こういう事件も起こるのだろう。

2月3日(土)


2月7日(水)
もう何年も前から露出が多くなった欧米のタレントたち。ライブなんか私のような年長者の世代から見ればストリップとあまり変わらない。いや、批判的に言っているのではない。もちろん、当該の女性たちが嫌々やっているのなら問題だと思う。でも、実際は違うのではないかと思う。女性が自らの性を解放しているように感じる。それならば良いことだと思う。

「昔は日本人は真面目だった」という話には共感する。ちょうど同じことを考えていたからだ。遠因はテレビのお笑い番組にあると思う。それは政治にも影響している。政治も語呂合わせばかりで本質的な問題解決を考えていないことが多い。不真面目としか言いようがない。昔は教養を重んじたが、今はかなり後退してしまった。しかし、日本経済が衰退してしまったので、かつてのような日本に戻ることは難しいと思う。残念だけど。

2月8日(木)
もし無罪が本当なら良かったと思う。

2月9日(金)
杉田水脈の敗訴が確定した。

2月10日(土)
日本人はマイノリティや弱者をいじめるのが好きだ。いじめている当人たちはちょっとからかうつもりだったとか、一緒に遊んでいるつもりだったとか言う。でも、いじめられている側はそうではない。怖がり傷ついている。また、虐待というと暴力ばかりを想像しがちだが、言葉による虐待や行為による虐待が実際は多いと思う。そして、暴力による虐待よりも言葉や行為による虐待の方がひとを傷つけることが多い。そして、虐待している側はそれに無頓着だったりする。

私は世界をリベラルと保守との争いに見立てている。ただし、日本は保守と左派であってリベラルとは少し違っていると思う。また、欧米では保守はキリスト教が担っているが、日本の場合は日本的儒教文化だと思う。ややこしいのだが、日本の場合、儒教も換骨奪胎されて日本独特の儒教に変えられているので通常の儒教とは異なる。ただ、おおざっぱに見れば、東アジア、中国、韓国、台湾、そして、日本では保守思想の根幹は儒教文化だと思う。そして、農業社会から近代化された工業社会以降は儒教は時代遅れになってしまった。キリスト教も時代遅れになってしまった。これからはヒューマニズムだと思うが、保守はそれに抵抗している。日本は保守だけでなく左派にも底流に儒教文化がしみついている。日本が儒教文化を克服するのは容易ではないと思う。不可能とは言わないが、人類社会の中で保守思想から脱却するのが一番遅くなるのではないかと思う。したがって、日本の社会が変わるのを待っていては手遅れになるし、変えようとしても抵抗が激しいだろう。かなり労力を必要とする。実際、30年間、日本は変わらなかったという実績がある。なので、そういう日本から脱出するのが一番手っ取り早い。日本語は欧米とは異なった思考ルートを開く可能性もある。日本から脱出してもそのことで優位性を保てるかもしれない。もちろん、苦労もあるだろうが。ともかく、心ある者は日本から脱却するのが良い。それが一番現実的だ。

ただし、リベラルと保守の闘争だが、リベラルが保守を打ち負かすというのが勝利ではない。たしかに保守にとっては、保守がリベラルを打ち負かすのが勝利ではあるのだろう。しかし、リベラルにとっての勝利は、リベラルが保守を打ち負かすことが勝利ではない。リベラルは多様な価値観を認めることが勝利だ。価値観のひとつとして保守を組み入れることが勝利になる。リベラルにとっての勝利は保守を包摂することだ。保守を全体の中の一部分にすることだ。一方、保守は全体を保守一色に染め上げることが勝利だろう。それは全体主義だ。リベラルは様々な色で構成される世界を構築することが勝利だ。単色の保守か、多彩なモザイクのリベラルかだ。

2月14日(水)
ガザの虐殺の話、田中ゆうたろうの話、群馬の森朝鮮人追悼碑撤去の話だった。鈴木信平さんの話がとても良かった。ところで、日本人は人権侵害について自分たちの人権や自由が脅かされることに対して鈍感だ。少数者の人権や自由が脅かされても自分たちは関係無いと思っている。しかし、それは全体主義に乗っ取られる危険な芽だ。日本人は本当に抽象的な話や本質的な話に弱い。即物的な話や個別具体的な話にしか興味を示さない。あるいは、お金の話か。ダメな民族だ。だから、日本から哲学や科学は発祥しなかったのだろう。

今週は風邪で消耗した一週間だった。コロナやインフルエンザでは無かったが、その分、通常通り仕事をして疲労してしまった。かなり体重が落ちてしまった。もっと身体を休めないと危険になってきた。

2月21日(水)
アンガーマネジメントの話が出ていたが、アンガーマネジメントもまず「この案件は怒った方が良いか、あるいは怒らない方が良いか」を選択していたと思う。つまり、NoHateTVで取り上げるような案件では「怒るべき案件」と判断されると思う。「怒らないと後で後悔する案件」になると思う。アンガーマネジメントを詳しくは知らないけど、多分、そういう判断になると思う。まあ、日本人の場合、事なかれ主義で怒らないという選択をしがちだという意味で取り上げているのだとは思うけど。そもそも「自分に直接損害が生じない案件については怒らない」というのが日本人には多い。それが人権侵害や差別であっても、自分が人権侵害の対象であったり、差別される対象でなければ、怒らないという選択をしがちだ。そういった案件に対して、わざわざ怒ることで自分に負担や反動が返ってくることを嫌う。日本人は人権侵害や差別が回りまわって自分たちに返ってくることに鈍感だ。いや、自分たちに遠回りに被害があるから怒るのではなくて、本来は目の前で不正義が行われていることに対して憤るべきだと思う。ところが、日本人は他人の痛みに対して鈍感だ。自分でなければいいと考えがちだ。それどころか、日本人は弱い者いじめやマイノリティをいじめることが好きな民族だ。一緒になって差別や人権侵害に加わる輩さえ出てくる始末だと思う。日本人のそういうネガティブな性質を変えるのは容易ではない。おそらく、海外から情報が多く入ってきてグローバル化が進めば次第にそういうのは減っていくと期待するしかないと思う。もちろん、日本語の壁というのがあるから遅々として進まないだろうけど。日本人は人口の規模がそこそこあるから、なかなか変わらないと思う。そういう悪癖から脱するのは日本人は人類社会の中で一番遅いことになると思う。

仕事が終わりかけの金曜日夜に寒気がして発熱。抗原検査は陰性。どうやらインフルエンザに罹ってしまったらしい。せっかくの週末なのに。そんなわけでこの土日は寝てばかりでござる。

2月28日(水)
松代大本営地下壕の話、クルド人差別の話、昭和維新の話だった。

今週も風邪で辛い一週間だった。風邪を引いて3週間。しんどい。政治に対してどんどん無関心になっている自分がいる。やばい。

これだけ酷い自民党でも、おそらく選挙になれば自民党が勝つんだろうと思う。一方、リベラルの人材が全然増える傾向にないのもため息が出る。いや、リベラルだけに限らずに政治全般に人材がどんどん劣化していっているように思う。東西冷戦の頃は互いに切磋琢磨していたので人材が磨かれたのかもしれない。

一方、米国はどうかというとトランプが勝ちそうな雰囲気だ。オバマのような人物は出てこないのだろうか?

私はリベラルが素晴らしいと考えている。日本はおそらく世界で一番遅くリベラルが開花すると思っている。日本は昔から海外から新しいものを取り入れても、換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまう。リベラルも同じで日本に輸入されても似て非なるものに変えられてしまうだろう。だから、日本に期待することが間違っている。ただ、インターネットのおかげで個人が国境を越えやすくなったと思う。個人でリベラルにアクセスすればいい。

時代はポストモダンに入った。工業社会から知識社会に変わった。工業が廃れたわけではない。工業の上にコンピュータという神経網が開けたのだ。一見、シンプルでモダンな暮らしに見えて、コンピュータネットワークの中には豊かな情報宇宙が広がっているのだ。そして、私たちは多様な生を生きられるようになるだろう。もちろん、資本主義の制約は受けるだろうけど。それでも、以前よりは遥かに自由だ。反動の正体は固定観念だろう。しかし、世代交代が進めば、次第に固定観念は薄れていく。モダンの亡霊は消え、ポストモダンを生きる若い世代がどんどん増えていく。それだけの話だ。人々の変化は頭の中で起こっている。情報の変化、ソフトウェアの変化、知識の変化、固定観念の変化など目に見えない変化だ。目に見えないから、変化に気づきにくい。しかし、変化は確実に起こっている。そう、この変化は捉えにくいのだ。物理的、地理的、経済的、政治的、現象的など様々な切り口があるが、そのいずれでもこの変化は計測が難しいのだと思う。気づいたときには時代が変わっている。個々人がその生で範を示すしかない。


2024年1月21日日曜日

NEWS2024.01


1月1日(月)
偶然、YouTubeで見つけた。神保哲生さんとデービッド・アトキンソンさんが出演していたので見てみた。ただし、全部を詳らかに見たわけではなく、飛ばしながら見た。

いつもながらアトキンソンさんの話は興味深いし、中身がちゃんとある。少子化の話や企業利益の話はためになった。出生数が80万人になったら、減少した人口を元の水準に戻すには女性一人あたり7人も産まないといけないという話は分かりやすい。また、東アジアが少子化傾向で日本はその中ではマシな方だというデータも興味深かった。

たかまつなな女史はあまり見たことがなく、NoHateTVで批判的に取り上げられていたことがあったのでどのような人物なのかと思って見てみたら、どうもナショナリストのようだった。フリーのタレント的な立場のひとのようだが、どうも外部から保守を援護するのが仕事のようだ。リベラルではないようだった。保守とリバタリアンの中間くらいじゃないかと思う。

田原総一朗が少子化の原因を憲法だと言ったときにはズッコケた。少子化と憲法に因果関係なんかあるわけないだろう。このような話の振り方は時間のムダ以外のなにものでもない。昔はのんびり議論してれば良かったのかもしれないが、今はそんな余裕はない。田原氏は早く交代した方が良い。

山田まりあ女史が不登校を悪いことのように言っていた。学校に行くのが当たり前であるかのように。ひとには向き・不向きがあって、学校が不向きな子どももいる。だから、受けられる教育のタイプを選べるように選択肢を増やすべきだと思う。学校教育のようなクラス制だけではなくて、少人数制や個人教育制のように教育のタイプを増やすべきだ。義務教育として学校教育しか選べないのが問題なんだから。それを不登校が悪いかのように言うのは間違っている。教育のミスマッチであって、不登校児も学校も悪くはない。(学校はちょっと悪いかもしれないが、そもそも教師の負担が大き過ぎる。そもそも多様性に不寛容なのは日本社会が悪いのだと思う。)ついでに言うと健常者と障害者を分離する支援学校制も止めるべきだ。障害者も支援学級を設けて、健常者と同じ学校に通う包括的な学校にすべきだ。そうすれば、少しは多様性に気づきやすい環境になる。日本人の子どもだから、障害児をいじめるなんてことが起こるかもしれない。(小山田圭吾がそうだったようだし。)でも、それは悪いことだと学ぶのも教育にとって大切なことだ。「障害児はいじめられるから分離しましょう」というのは間違っている。

正月から大きな地震が起こった。しかも日本海側でだ。日本海側でもこのような大きな地震が起こるのかと驚いた。確かに過去に新潟でも新潟中越地震が起こってはいたが・・・。日本はどこで大きな地震が起こってもおかしくないのかもしれない。

1月2日(火)
痛ましい事故だ。滑走路上での事故らしい。どこかでミスがあったのかもしれない。

2023年の振り返りと2024年に向けての抱負とかを書きたかったが、年末の疲労でコンディションが良くないので書けそうにない。とりあえず、2023年を振り返るとイスラエルのガザ侵攻と自民党裏金疑惑が大きなトピックだろうか。年の始め頃はColabo問題とかあったが、あれはラディフェミ問題だと思う。オタクとラディフェミの闘い。ただし、部分的にトランス差別やセックスワーカー差別につながる。とにかく、4月以降は仕事が忙しくてニュースがチェックできない状態が長く続いた。なお、日本の問題点はあまり変わっていない。去年の振り返りと抱負で語っているのとほぼ同じだ。そして解決策もほぼ同じだと思う。付け加えるなら、日本文明というベースそのものが問題だと思うようになった。コンピュータに喩えるなら、OSにあたる日本文明に、海外の良質な文化や機器をアプリとして導入しても、根底の日本文明に問題があるから、海外のアプリを換骨奪胎して日本的なダメなものにしてしまう。根底の日本文明を変えなければダメだと思うようになった。(一応、日本文明のすべてがダメだとは言わないではおこう。例えば食べ物で言えばフライなんかは天ぷらになって別の美味なものに変えることに成功した。日本料理は世界の味覚とは異なる独特の味覚体系を持っている。しかし、だからといって日本料理が他国より優れているとはいえない。むしろ栄養としては動物性タンパク質が不足した貧弱な栄養体系で日本人の身体は世界と比較して小さかった。まるで子どもと大人ほど違った。)話を戻そう。日本文明をベースにするのではなく、日本文明をベースの上に置くアプリや拡張機能にすることだと思う。そして、ベースを日本文明ではなくて、ヒューマニズムに変えるべきだと思う。日本文明には、愛、贈与、感謝など人道的要素が極端に少ない側面がある。その結果、日本人は人権を著しく軽視する傾向がある。21世紀の人類社会においてそれは大きな欠陥だと思う。一方、西欧のヒューマニズムは起源にキリスト教があるかもしれないが、近代のヒューマニズムはそういった宗教からだんだん独立したものに変わってきたと思う。だから、日本のベースももっと近代的な、あるいは現代的なヒューマニズムに据えかえていくべきだと思う。明治維新で日本の儒教は断絶した。いや、そもそも日本の儒教は換骨奪胎された日本的儒教であって本来の意味での儒教ではなかったが。仏教も親鸞によって律が完全に破られて本来の意味での仏教ではなくなって久しい。日本はずっと集団無意識の雲に覆われてきた。かつては天皇制によってその集団無意識をコントロールしようとしてきた。まさに原始社会だ。しかし、もはやそんな原始的な手法では複雑な現代社会は通用しない。もっと明確に、論理的に、科学的に、意識的に、社会を築いていくべきだ。宗教や過去の因習から独立した、現代的なヒューマニズム、倫理をベースとして構築すべきだ。(それに立ちはだかるのが日本の保守なんだろうなあ。それに対抗するためにも、リベラルはコミュニティを形成して行くべきなんだろうと思う。そして、それは宮台氏がいうホームベースの構築になっていくんだろうと思う。)

1月3日(水)


1月6日(土)
今年最初のマル激は元明石市長の泉房穂氏。泉氏をあまり知らなかったので見る前はあまり期待していなかったのだが、見た後は泉氏の印象がかなり良くなった。石井紘基氏や氏との関わりなどまるで知らなかったので大変勉強になった。また、マックス・ウェーバーやジャン・ジャック・ルソーが泉氏の口から出てきたことも意外だった。明石市での施策や泉氏の出自や障害のある兄弟の話などを聞いて彼を見る目が変わった。マル激を見ていて良かったと思う回だった。

能登半島地震の死者が増えていくニュースを聞くといかにこの地震が大きかったかがだんだん分かってきた。それにしても痛ましい。

日本航空516便衝突炎上事故で海保機の乗員5人の死因が全身挫滅と書かれてあって、意味が分からず調べてみたら痛ましい死因で、着陸時の衝突がいかに大きな力が働くのかと思い呆然とした。



1月13日(土)


宮台さんの不倫疑惑の件は残念なニュースだった。真相がよく分からないから判断はできないが、もし事実なら残念な話だ。

台湾はこのところリベラルが勝っている。羨ましいなあ。

仕事が忙しいのが続いている。ニュースがチェックできていない。しかし、来週くらいから仕事が落ち着いてくると思う。なんとか平常運転に戻したいものだ。

松本人志性加害疑惑の件
今のところ事実かどうか分からないが、概ねそのような場があったらしいのは事実なようだ。ところで、近年、私はほとんどテレビを見なくなってしまった。テレビを見て情報摂取するという習慣が無くなってしまった。なので、若いお笑い芸人やタレントのことなど知らないことが多く、職場でもテレビの話についていけなくなった。といっても、内容は他愛のないもので見て無くても別に問題はないし、若い人でも見ていない場合も多いようで、昔ほど皆が同じものを見ているということにはなっていないようだ。ただ、テレビをつけていると勝手に入ってくる情報があってそれが便利なときもある。ネットの場合、情報を意識的にプルしないと情報収集できない場合が多い。ただ、どちらが効率が良いかは微妙だ。専門的な話になるとやはりネットの方が便利だ。また、テレビを漫然と見続けるほど暇で無くなってしまったのもある。いや、元気があれば積極的に情報収集やインプットに使いたいのでテレビを漫然と見る時間がもったいなく感じるようになってしまった。考えてみれば、ラジオは便利だった。荒川強啓さんのデイキャッチあたりが一般的なニュースを摂取するのに丁度良かった。話が随分それてしまった。松本人志の件、今から20年以上前くらいはダウンタウンが嫌いな年配の方は多かった。屋台のおばあさんが憤慨しているのを覚えている。彼らの笑いに不愉快を感じるのだった。その感覚は私にも分かる。私自身は社会人になってから忙しくてテレビをあまり見れなくなった。なので、お笑いも積極的に見たいということはなくて、20年以上前に見なくなってしまった。たまに見ることはあったけど何か特別な場でなければ一人でわざわざ見ることは無くなってしまった。テレビはニュースか映画かドキュメンタリーくらいしか見なくなった。そういう意味では私の中で最後にテレビで見たお笑い芸人がダウンタウンかもしれない。私の記憶ではコント中心だったが。立ち話スタイルの方はあまり面白いと思わなかった。時間のムダに感じたからだ。若い人は立ち話の方が面白いようだったが。新聞でエッセイを書いたころ彼を天才と言い始めた記憶があるが、私はあまりそうは思わなかった。映画は期待したけど結局最後まで見たものは『R100』くらいだった。たぶん、私の感覚が多数のひととかなりズレているのだと思う。ラジオの深夜放送でお笑い好きなひとはたけしとかダウンタウンとかかなり評価が高いと思う。試しに少しだけ聴いてみたが私はそれほど面白いとは思えなかった。私は多分日本人的なお笑いのセンスに欠けているのだと思う。今のテレビはバラエティと食べ物ばかりになっているのじゃなかろうか。最近、見てないからわからないけど。そういう意味では、もっと多様な番組を増やして、もっと真面目な番組を増やした方が良いとは思う。しかし、正直なところ、もっと低俗なバラエティとか食べ物番組ばかりになっても良いとも思う。というのは、時間が無いからだ。なまじテレビに良質なものがあると見なければならなくなる。しかし、低俗なものしかないとなれば見なくて済む。今はサブスクやネットなど多くのものに時間を費やしている。もちろん、読書にも時間を割いている。なので、これ以上時間を使うものを増やしたくないというのが実際のところだ。だから、テレビが低俗なものだらけになるのも悪くはないかなと思っている。チェックする必要もなくなり、見なくて済むからだ。テレビがそういう低俗なものになれば、低俗なものだと分かったうえで人は集まるようになるし、低俗なひとたちで互いに騒いでいればいいかなとさえ思う。もちろん、性加害は悪いことだが、テレビに広告収入が過剰に集中することがオカシイのだと思う。ネットの普及で今では半減しているはずだが、もっと減ればいいと思う。日本はかつて技術立国と言われた。資源の無い国で技術力だけが日本を豊かにできる力があると考えられていた。技術力を高めるには日本人は真面目で勤勉になった方が良いと思う。もっと勉強する時間を持った方が良いと思う。なので、テレビなんか見ずに、もっと勉強に時間を使った方が良いように思う。疲れて何もする元気がないときにボーっとするためにテレビを見る程度で良いのはなかろうか。テレビは積極的に見るものでは最早ないと思う。ネットの普及でテレビの黄金時代は終わって、テレビは低迷に向かってよいと思う。テレビは大半を再放送ばかり流していれば良いとさえ思う。

1月17日(水)
日本のインフラを作ったのは朝鮮人ではないかという話が興味深かった。英国なんかもそうなんじゃなかろうか?日本の植民地として朝鮮があったように、英国の植民地としてアイルランドがあったのではなかろうか?アイルランドでジャガイモ飢饉が発生したときも、アイルランドは英国に小麦を輸出していた。餓死にするアイルランド人が多数いるにも関わらず。映画『タイタニック』を見たときもタイタニックを建造したのはアイルランド人だと主張するアイルランド人の場面があったと思う。米国の移民もアイルランド人が労働者として多数入植したはずだと思う。そんな当時の米国では飲食店にアイルランド人お断りという張り紙を出す店もあったはずだ。貧しくみすぼらしいアイルランド人の来店を拒んだ。だから、英国のインフラなんかもアイルランド人がけっこう駆り出されているんじゃなかろうか?誰か調べてないかなあ。

1月20日(土)
脱税の話は勉強になった。



仕事のストレスでちょっとダウンしている。あまり無理しないでおこう。そんなわけで世間の動きを追えていない。

1月24日(水)


1月27日(土)


忙しかったり疲れていたりでニュースを追えていない。例の裏金問題は、結局、政治家は捕まらなかったようだ。酷い話だが、さらに、それでも彼らは再選されたりするんだろうなあと思うと日本の民度の低さにため息が出る。


2023年12月31日日曜日

NEWS2023.12


12月3日(日)
今年のヘイト王も杉田水脈だろう。彼女にいくら言っても彼女は差別発言を止めないのだから、彼女の所属政党が彼女を除名するとか法律が対応できるように法律を変えるべきなのかもしれない。

12月4日(月)
とりあえず香港から脱出できて良かった。故郷である香港を去らねばならないのは辛いだろうけど、中国の圧政によって生命の危険にさらされるよりは良い。

12月6日(水)


12月7日(木)
GoogleのAIに期待したい。と同時にAIの脅威についても真剣に議論せねば、いや議論されているがついて行けないので、分かりやすく問題を解説してほしいが、そもそも私の理解力に問題というか限界があるのかもしれないわけで。

日本でやっと公開されることになって良かった。そもそも核兵器は人類の歴史を大きく変えた兵器だ。その起源の物語を映画化したものを拒むなんて、いくら被爆国だかといってあり得ない。

12月10日(日)
仕事が忙しくてニュースをチェックできていなかったのだが、知らぬ間にあれよあれよと自民党の政治家たちが裏金疑惑で更迭されている。



このところ仕事が忙しくて疲れている。いろいろと余裕がない。

12月13日(水)

仕事が忙しすぎてニュースがチェックできていない。安倍派が更迭されているニュースはチラホラ見かけるのだが・・・。クリップすらできていない。

12月20日(水)

今週も仕事が忙しすぎてニュースチェックができなかった。さらに体調も崩してしまった。諦めて養生しよう。

12月27日(水)
トップのニュースはガザのジェノサイド、最悪ヘイト王は杉並ヘイトオールスターズだった。やらかし大賞は御防御だった。「意義なし」じゃなかった。

12月30日(土)
アングロサクソンの共同体文化の話が興味深かった。昔の社会学者でウィットフォーゲルの灌漑が必要な農耕社会と灌漑が必要でない農耕社会の違いを思い出した。ホームベースの話も興味深かった。日本の地方都市にいるとなかなかホームベースを作れる人材が希少過ぎて難しいと感じた。最近は日本人を距離を置いて考えるようになった。日本は独特の文化・文明を築いてきたと思う。それが近代と、あるいはグローバルとそぐわない面がある。自分なんかは日本にいながら外国人になるしかないかなと思う。日系世界市民とか。最近、本当にテレビを見なくなった。今年はほとんど見ていない。ちょっとリスクもあるけど、それで良かったと思う。日本文明には悪い面も多いが、良い面も無くはない。しかし、日本文明をベースにしてしまうとこれからの時代はヒトとしてどうかと思う。日本文明はベースではなく、拡張機能的なパーツとして加えればいいと思う。永井荷風の小説に『一月一日』という作品がある。日本にはベースに愛とか贈与とか感謝とかあまり無いのではないかと思える。(慈悲は仏教の伝来で醸成されたと思うのだけれど。)ともかく、愛は実は微力で微弱だと思う。愛を醸成するには意識的になったり習慣化したりしないとなかなか個人の中で育たないのではなかろうか。私の好きなドラマで『ダウントン・アビー』というのがあるが、その中でも愛は語学や乗馬と同じようなものだという話があったが、まさにそうだと思う。

12月は仕事が忙しすぎてかなり辛かった。今もストレスと疲労が溜まっていてふらふらした感じがする。少し心身を休ませないとダウンしそうだ。正月休みで休養しよう。いつもはいろいろ計画を考えるのだが。