11月6日(水)
投票前の世論調査では五分五分の互角の戦いとのことだったのでトランプ勝利の可能性も考えていたので事前に心の準備はできていた。しかし、実際にトランプが勝ってしまうとやはり気分は落ち込んでしまった。本当に残念な結果になってしまった。4年間は憂鬱な時代になってしまう。差別やヘイトが横行する世界になってしまうのだろうか。リベラルからしてみれば大きな後退だ。できる限り抵抗したいものだが。感想になってしまうが、この選挙結果を招いた要因はひとつは「トランプよりマシ」という理由でハリスを擁立したが、やはり、政治的にもっと魅力的な人物を擁立すべきだったと思う。他の要因としては、トランプ支持者が「足による投票」をしたのではないかと疑っている。激戦州にわざわざ引っ越してトランプに投票したのではなかろうか?そんなことを疑っている。可能かどうか知らないのだが、トランプ支持者ならそんなことくらいやってのけるように思う。それにしても、ちょっと教養があれば、トランプのような人物は支持しないと思うのだが、中間層の解体で、あまりに無教養なひとが増えたのではないかと疑っている。東西冷戦が終焉して以降、どうも、そういう傾向が大きくなったように思う。とにかく、リベラルは地道に啓蒙していくしかないと思う。
11月14日(木)
百田尚樹の暴言は、「まあ、百田の言いそうなことだな」というのが感想だ。もちろん、人権の観点からすると、とんでもない酷い暴言だ。ただ、この日本では、こういった暴言がけっこう為されているのでそんなに驚いてはいない。逆に言うと、日本人は人権意識が極めて低い。しかし、こういうと「人権、人権とうるさいなあ」と思う日本人もけっこう多い。人権だけでなくポリコレが特にそうだが、日本人は何かに自己の発言を束縛されることを嫌う。ここでいう何かが人権やポリコレに該当する。それで日本人は腹いせに何か言いたいのだが、その腹いせの言葉に「そんなことを言ってはいけません!」と叱られると、逆ギレして「じゃあ、もっと過激になってやれ!」となりやすい。そんな連中に人権の大切さを訴えても馬の耳に念仏だろう。感情に押し流されて腹いせを言わずにはいられない短絡的な人間なのだから。今回、百田はすぐに訂正して謝罪したのだろうけど、その一方で、不満を腹の底でマグマのようにグツグツと溜めているネトウヨたちはいるだろう。そういった連中の目を覚まさせることはかなり困難だと思う。もっと若いうちに人権教育を施しておかねばならないと思う。一種の予防接種のように、大人になって不満を煮立たせるネトウヨにならないようにするために。さて、兵庫県知事選挙だが、この期に及んで斎藤支持になる人々が多いことに驚く。まるで原始社会の原人が善悪の判断が分からず、見た目だけとか、うわべの雰囲気とかで善悪を決めてしまうかのような愚劣さを感じる。日本に陰謀論を信じるような輩が多いのは薄々は気づいていた。例えば、ノストラダムスの大予言を真剣に信じていた輩が多かった過去がある。私は一顧だにしなかったのだが、なぜか気にかけている人たちが多かったことに当時は不思議に思ったものだった。日本人というのはそれほど真偽の判断ができない人たちなのだ(ただし、モノづくりの世界などでは実に細部にまでこだわる判定眼を持っていたりするのだが)。ネットメディアの隆盛でそれに拍車がかかった。日本の大衆は実に怖い群衆になりつつある。特に問題なのは日本では「多数派は正しい」と考える傾向が強い。多数派でも悪い場合があることに気づかないのだろうか?ナチスドイツが多数派になったこともあるし、戦前の日本が戦争を是としたことなど、多数派が間違ったことはいくらでもある。ところが、日本人は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに悪に突き進んでいく。この日本の傾向は本当に治らない。
日本経済がここまで凋落したらどうしようもない。資源のない国・日本は技術力で経済を支えるしかないと教わってきたが、もはや、その技術力も凋落してしまった。企業もどんどん世界経済の中で蚊帳の外になりつつある。そして、日本は貧しくなった。中間層は目減りして、目先の手取りを増やしたいという貧困層が増えてしまった。そうした貧困層が政治を学んだり考えたりする余裕はない。ましてや文化にお金を使う余裕などない。お金のためだったら犯罪に手を染める連中も増えるだろう。炎上商法で儲かるなら不道徳でもかまわないと手を染める者もいるだろう。エスタブリッシュメントな政治家はそういった愚民たちに愚民たちにふさわしいエサを与えるようになるだけだ。一部の富裕層と多数の貧困層。リッチで文化的で心豊かな富裕層と貧乏で心も貧しく品性もない貧困層。それが資本主義社会の正しい姿かもしれない。分厚い中間層ができるのは製造業で経済成長している途上だけかもしれない。サービス業で知識社会化した資本主義社会では、生まれながらの富裕層でない限り、狡猾な知恵がなければ貧困層に墜落するしかないのかもしれない。リベラルはかつての左翼と同じように貧困層に呼びかけようとしている。団結して立ち上がれば富裕層を打倒して平等で公平な社会が築けると。しかし、貧困層にそんな言葉は届かない。むしろ、警戒されたり、敬遠されたりしてしまう。残念だが、それが現実だろう。日本のリベラルはもう一度、自助論に立ち返るべきだと思う。天は自らを助くる者を助く。ひたすら地道にひたすら寡黙に自らの道を切り開いていくしかない。その姿を見せることで人々を啓蒙することだ。
11月17日(日)
投票前から斎藤前知事の人気が上がっているとの情報があったので青天の霹靂というような驚きは無かったが、とはいえ、やはり驚愕したといえば驚愕した。選挙戦が始まったときから投票日に至るまでの間に、民衆の中で斎藤前知事のイメージが大きく変わったのだと思うが、イメージを変えたのはひとつはフェイクニュースの力だと思う。かつて米国のトランプとヒラリー・クリントンの2016年の大統領選において、フェイクニュースが猛威をふるってヒラリーに関する嘘八百のフェイクニュースがヒラリーの人気に大きく水を差したということがあった。今回の兵庫県知事選もまさにそれに似た現象が起こったのだと思う。2016年当時はフェイクニュースがそんなに大きな影響力を発揮するとは思いもしなかったが、その後、米国のニュース番組にはファクトチェックという機能が備わるようになったので、いかにフェイクニュースが危険な影響力があるかというのがうかがいしれると思う。ちなみにトランプはフェイクニュースの力がいかに大きいかを自ら見て取って、その後もフェイクニュースを垂れ流すようになって、今でも「移民がペットを殺して食べている」などとウソを垂れ流している。ただ、トランプ支持者にはもはや事実などはどうても良くなっている面もあって、スカッとするような気持ち良ければいいとなっているのだろうと思う。兵庫県知事選に話を戻すと、今回の選挙は石丸現象や国民民主の躍進とは違って、フェイクニュース的な力が大きく作用したのだと思う。選挙期間中に斎藤前知事に対する新たな物語(←フェイクニュースも含む)が紡がれて、イメージを大きく変えたのだと思う。また、フェイクニュースには2つあって、組織的にフェイクニュースを作る輩(←2016年米国の場合、ロシアが組織的に作っていた)とネット広告の収益目的で作る輩があるのだと思う。今回、それに加えて立花孝志のようなデマゴーグが加わった。(彼が斎藤前知事を応援している時点でおかしいと気づくべきなのだが。)ともかく、ちょっと考えれば、斎藤支持になるなどおかしいと分かるはずなのに、それが分からなかった。トランプ支持者の場合はネトウヨの欲求不満が腹の底でグツグツと煮えたぎっていて、その不満を解消してくれるならフェイクであろうが何でも良くて、そこを上手くつかまえたトランプが彼らの欲するものを与えることで支持を得ているという構造がある。しかし、斎藤支持者の場合はそういうのは無くて、単純に物語によってイメージを変えてしまっている。物語を支えているのはフェイクニュースであり、物語を駆動している軸は陰謀論的なものの見方だったりする。(←陰謀論は米国ではディープステイトやQアノンなる陰謀論があるが、日本ではまだ明確な名称はないように思うが、ノストラダムスの大予言を薄っすらと信じるような国民性があって、日本の場合、大体、左翼やユダヤの陰謀とされることが多い気がする。)これだけ多くのひとが善悪の判断や物事の本質を捉えるのに間違った判断を下している。日本は経済も凋落したが、日本人自身も劣化してきているのだろう。そして、この傾向はますます強くなると思う。なぜなら経済はもっと悪化するから、人々が学ぶ余力もますます減っていく。そうすれば人材はますます劣化するだろう。この大きな流れは変えられそうにない。もしかしたら、国を憂いている場合ではないのかもしれない。日本が妄人だらけの国になったら・・・。ゾンビランドで生き残るためにを考える方が先決かもしれない。
追記
立花孝志のような悪質な選挙活動をする者にどう対処すべきかだが、まず、YouTubeから排除することだと思う。いわゆるYouTubeのポリシーに反するとしてBANさせることだと思う。そもそも炎上商法で収益に繋がるという手法が問題なのだから。広い意味では広告剥がしにしてしまうことだと思う。切り取りで収益を上げているYouTuberも同じ手法でBANされるとなれば立花孝志の動画をアップしなくなるのではないだろうか。さて、立花孝志の初志はNHKを見ないにも関わらずお金を課金するNHKの不当な課金システムにあった。これには私も首肯する。しかし、現在の立花孝志は初志から大きくかけ離れてしまっている。立花孝志はそろそろ熱狂から覚めて、初心に還るべきだと思う。
11月19日(火)
日本の偉大な詩人が亡くなった。合掌。
トランプが大統領選に勝ったのでネオナチがわが物顔で表を闊歩しはじめた。嘆かわしいことだ。
11月20日(水)
ソニーとしてはコンテンツを増やしたいんだろうと思う。方向としては間違ってないとは思う。でも、テクノロジーの企業としてのソニーはどうなんだろう。ちょっと淋しい。
11月21日(木)
最近はブラウザとしてはChromeはちょっと重い気がする。FireFoxの方が軽いような気がする。ただ、GoogleアカウントでログインしてGoogleのサービスを利用するときChromeは必須だと思う。分割されると色々と困る。GoogleよりAppleの方が余程独占的な気がするのだがなあ。
トランプの閣僚人事が酷いのが分かって勉強になった。また、「泡沫政党がネトウヨばかりで、ここまで日本が酷くなるとは思わなかった」という野間氏の発言に少し驚いた。以前にも書いたけど、日本は保守>リバタリアン>リベラルという順で、リベラルは少数派なんだ。まだ、韓国や台湾の方がリベラル比率は高いと思う。ただ、中国が習近平の独裁体制になったので、それを忌避して日本に移住してくる中国人が増えそうだから、その中国人がリベラルな人たちだったら、少し日本もリベラルの比率が増えるかもしれない。それにしても、中国が習近平、ロシアがプーチン、米国がトランプと、独裁者が世界の超大国を占めるようになってしまった。暗黒の時代が来なければいいが。独裁者がいかに酷いことをしたか。ヒトラーを筆頭に、スターリン、毛沢東などを勉強すると良い。
11月22日(金)
ちょっと残念に思う。昆虫食は宇宙食の可能性があったから。日本で昆虫食が広がったのは戦時中に食べ物が少なくなった時期ではある。もちろん、それ以前から昆虫食はあったが。世界にも昆虫を食べる民族はいる。オーストラリアのアボリジニとか米国の先住民とか。そういえば、カタツムリを食べるのも昆虫食の一種になるのだろうか?
11月23日(土)
兵庫県知事選で斎藤元彦氏に公職選挙法違反の疑惑が浮上してきたらしい。広告会社の折田楓氏が違法とは知らずにネットで暴露してしまったのがキッカケらしい。どうも言い逃れが難しいらしい。まだまだ兵庫県知事選から目が離せないようだ。また、立花孝志氏に対しても公職選挙法違反の疑惑があるらしい。こちらに関しては、いくらなんでもあのような選挙活動が合法とは言えないと思う。立候補しておきながら自らの当選は目指さずに斎藤元彦氏への投票を呼びかけるというのはさすがに違法ではなかろうか。また、敵対する陣営の自宅におしかけて街宣で脅迫まがいの演説をするというのもさすがに酷い話でこれも違法ではなかろうかと思う。
さて、今回の兵庫県知事選ではネットでデマ情報が飛び交ったらしい。そのデマを信じて斎藤氏に投票した有権者はかなり多かったようだ。これは米国のトランプvsヒラリーの大統領選と同じだと思う。その後、米国ではファクトチェックなる機能がメディアなどで付加されるようになった。日本も同じようにファクトチェックなる機能をメディアに付加すべき時かもしれない。ただし、デマとファクトチェックを比較すると、デマが拡散するスピードや範囲は広く、ファクトチェックはそれに追いつかないというのが実情だと思う。結局、デマを言ったもの勝ちという状況らしい。とはいえ、このままデマを野放し状態にしておくわけにも行かないから、やはり、ファクトチェックは必要な機能ではないかと思う。いっそ、天気予報のあとに「今日のファクトチェック」のようなコーナーを作って、その日の社会に広まっている代表的なデマを解説してはどうかと思う。今日のデマ情報として、「今日は移民がペットを殺して食べているという情報がありますが、これはデマでまったくのウソです」といった具合に天気予報や日経平均株価や為替レートと同じようにデマ情報を入れてはどうかと思う。オレオレ詐欺も当初はそんなものに騙されるひとはいないと思われていたが、その後、被害者がどんどん増えていくようになった。デマも同様で放置しておけばどんどんデマが蔓延してしまう恐れがあると思う。しかし、デマが飛び交うからといってインターネットを遮断するなどというのは間違った対応で、イタチごっこになるではあろうけれど、一つ一つ潰していくような対応をとる方が自由な社会を維持するために良いと思う。これはなんだかフィリップ・K・ディックの『ユービック』のような世界観に近いかもしれない。
11月28日(木)
郷原信郎さんによると、斎藤元彦・折田楓らのSNSの選挙活動は公選法違反でほぼ間違いないらしい。ただ、郷原さんによると、検察が公選法違反で立件するよりも、斎藤元彦氏自身が辞任して県知事選から撤退するのが良いらしい。理由は兵庫県政がこれまでずっと混乱が続いているので速やかに正常化するためにはそれが良いということらしい。どうも立件して県知事を辞めさせるには、けっこうな時間がかかるということかもしれない。それで辞職に追い込むにはマスメディアがこのことで斎藤元彦氏を厳しく追及すべきだと言っている。しかし、私が思うに、マスメディアに追及されて辞職するくらいなら、斎藤元彦氏はとっくに辞職しているのではと思う。それに、今回、多くの有権者がデマ情報にのせられて斎藤元彦支持になってしまっている。そんな状況で果たして斎藤元彦氏を辞職に追い込めるか甚だ疑問に思う。さらに立花孝志の存在がある。彼はすでに執行猶予の身でありながら、選挙活動であのような脅迫まがいの演説や自身の当選を目指さない立候補という公選法違反が濃厚な活動をしている。つまり、彼は有罪とされない限り、自分の利益になるためなら、どんなことでもやるだろう。(彼自身、かなり追い詰められているのかもしれない。)そんな人間が斎藤元彦支持にいるくらいだから、斎藤元彦氏が自ら辞任するなど考えにくい。結局、公選法違反として立件されない限り、斎藤元彦氏は県知事の地位に居座り続けると思う。時代は変わったのだろう。以前は「恥知らず」と言われて自ら身を引いていくモラルがあった。しかし、今の時代、何と言われても、自ら身を引くこともなく、ウソを認めずに永遠にウソをつき続ける。なぜ、そうなったのか?おそらく、余裕の無い時代になったのだと思う。経済大国だった頃はまだ余裕があった。しかし、日本経済がここまで凋落して貧しくなってしまい、人々に余裕が無くなったのだと思う。例えば、悪事の小ささのわりには過剰なバッシングが起こったり、真っ当な批判に対して批判そのものを悪質なクレームの如く捉えて「批判のない政治を」と唱えたりする。買い物において些細な行き違いに過剰にキレる顧客というのもどこかつながっている。今の日本人は余裕が無くなってしまった。では貧しくなった日本で、日本人が暮らしやすい社会を形成して維持していくために何が必要かをよく考えないといけない。しかし、心貧しい妄人のようになった日本人には、そんなことを考える余裕は無いのだろう。
クルド人に対して嫌がらせにきた河合悠祐や日本保守党の連中がしばき隊に退治される動画だった。レイシストの人数に対して反レイシズムの人たちの人数が圧倒していて、日本もまだまだ捨てたものではないと思えたが、反面、多勢に無勢の状況でこれが逆転したら怖いなあとも思った。ナチスドイツの頃の水晶の夜もきっとレイシストの方が多かったのだろうし、つい先日の英国の移民差別の衝突もあとから駆けつけたアンチファの人たちが加わったから良かったものの、最初はレイシストの方が多かったので、レイシストの方が多くて過激化したらどんな悲劇が起こるのかと想像すると恐ろしくなる。実際、関東大震災で起こった朝鮮人虐殺はそのような状況だったのだろうと思う。もう少し、話し合いという回路はできないものかと思う。ただし、これは反レイシストの側に問題があるのではなく、保守の側に問題があると思う。というのも、嫌がらせ行動に出るというのがもってのほかだからだ。 保守の側に一分でも理があるというのなら、ちゃんと話し合いの場に出てきて話し合ったらどうかと思う。それに保守はもっと他にやるべきことがあるのじゃないかと思う。それは何かというと、日本の文化や精神性がどんどん失われていっている現状に対して、それらを保持・継承していく活動をちゃんとやっているのかと思う。日本文化は中国やアジアなど東洋文化を広く吸収して形成されてきている。それなのに昨今の保守はそれら外国由来の文化を排除してしまって日本文化を貧しくしてしまっている。日本の保守はもっと日本文化を本来の豊かな姿に戻す努力をすべきだと思う。ところが、河合悠祐などは紫色のスーツに白塗りのメイクでよく日本の保守と言えたものだと思う。いや、もちろん、外見だけ日本風にしてもダメだ。かつての日本の保守は質実剛健で真面目であり、弱きを助け強きを挫くという武士道的な精神性を理想として持っていた。それなのにクルド人に嫌がらせに行くなど弱いものいじめではないか。まったく真逆ではないか。日本の保守はもっと日本文化や日本の精神性を取り戻すこと、自らを見つめ直すことから始めたらどうかと思う。そう考えてよく思うのが、米国大陸に移民した中国人や日本人のことだ。彼らは自分たちの文化を保持し継承するために、日曜学校を開いて自分たちの文化を子どもたちに教えたり、自分たち自身もコミュニティを形成して文化を持続したりする努力をしている。日本に住んでいる保守はそういった努力を怠っているのではないかとつくづく思う。
今月の振り返り
今月を振り返ってみると、日本でも、とうとうフェイクニュースとの戦いが始まったのだと思う。米国のトランプ現象を見ていたときは対岸の火事のように思っていたが、今回の兵庫県知事選を見ていて最も効力を発揮したのがフェイクニュースではないかと思う。そして、ブログでも書いたが、フェイクに対してはファクトチェックで対抗するしかないと思う。フェイクが拡散していく拡散力に対して、ファクトチェックでフェイクを潰す修正力は後手ではあるが、一定の効力があると思う。それに人々が世に広まっている情報にはフェイクが混じっていることに気づけば、少しはフェイクが拡散する力を抑制することができるかもしれない。それにしても、フェイクとファクトチェック、レイシストと反レイシズムなど、フィリップ・K・ディックの描く『ユービック』のような、どこまでも捕食的世界が続くのに似ている。ポストモダンは確かにそういう世界なのだろうと思う。
ちょっと余談になるが、保守はリベラルに対して「左翼め!」と決めつけて批判したがる。保守は左翼というレッテル貼りが批判になると思っている。一方、リバタリアンはリベラルに対して、アレコレと注文をつけたがる。アレコレと注文をつけて「だからリベラルはダメなんだよ」と批判して自分を上に置きたがる。そして、リベラル自身は内省的過ぎる。「アレも注意しなければ。コレも気をつけなければ」と内省の罠に陥りがちだ。しかし、実際にやっていることの酷さで言えば、保守やリバタリアンの方がよほど酷いことをしている場合が多い。私が思うに、リベラルはあまり細かいことにこだわり過ぎずに、「おおまかに合っていれば良し」とすれば良いと思う。人間は間違えるのだから間違えばその都度修正していけばいい。内省的になり過ぎて、保守の言いなりになってはいけない。リバタリアンに耳を貸しすぎてもいけない。どう考えても愚劣な保守やリバタリアンに対して受け身や守りばかりになってはいけない。リベラルは内省的過ぎるために受け身になりやすい。しかし、それだと愚劣な保守やリバタリアンに主導権を握られてしまう。そうならないようにリベラルも攻性であるべきだと思う。確かに多様な社会というのは寛容さや誠実さが必要だが、一方で、保守やリバタリアンの愚かな主張をいちいち真に受けずに適当に聞き流すスルー力も必要だ。リベラルの隣に保守やリバタリアンが引っ越してきたとして、嫌だからといってリベラル地区に引っ越してしまう前に、保守やリバタリアンの戯言をテキトーに聞き流すスルー力も必要なのだと思う。それが多様な社会の有り様のひとつだと思う。
最近読んだ本
今まで性に関する本で表紙が赤い本として『トランスジェンダー問題―議論は正義のために』や『アダルトグッズの文化史』を紹介してきたので、それにちなんで、この表紙の赤い本『射精責任』も紹介しようと思う。実際はちょっと前に読んだ本なのだけど。内容は米国では中絶問題が取り沙汰されているが、そもそも望まない妊娠を生み出した張本人は男性ではないかという指摘がこの本の問題提起だ。中絶せずに生むべきか、それとも中絶すべきかと女性は悩むのだが、そもそもその原因を作った男性は何をしているのかと。望まぬ妊娠を避けたいなら、ちゃんと避妊すべきだし、コンドームの着用を拒否するなら、いっそパイプカットしてはどうかという話だ。ただ、どちらかというと子どもを望む人数を生んでから、パイプカットして、その後のセックスライフを楽しむというのが一般的だと思う。あるいは、精子を凍結保存してからパイプカットして、普段はセックスライフを楽しんで、子どもが欲しくなったら凍結保存してある精子で妊娠してはどうかという提案もある。あるいは、再建手術をして再び精子を射精できるようにして妊娠してはどうかという提案もある。ただし、再建手術が100%可能かというと必ずしも可能ではないみたいだった。ちなみに、人工授精より自然妊娠の方が障害のない健康な子どもを授かる確率は高いという話を聞いたことがある。女性の生殖器は健康な精子を選別するフィルターでもあるらしい。私の世代ではパイプカットというと大橋巨泉が有名だった。ただ、男性の場合、コンドームを着用してても、着用していなくても、感度はあまり変わらないらしい。感染症対策という面ではコンドームは優れている。ちなみにTENGAなどのアダルトグッズでマスターベーションするときも、バイ菌を防ぐためにコンドームを着用した方が良いらしい。ちなみに、セックスの途中でコンドームを外すことをステルシングというらしい。また、本書によると妊娠・出産による死亡率は交通事故や警察官の勤務中の死亡率より1.5倍ほど高いらしい。そして、望まぬ妊娠を防ぐには避妊具の無償提供と質の高い性教育が良いとのことだった。その他にも色々とためになる知識が本書には記述されている。さて、著者の主張に賛同するか否かは別にして、本書は知識として知っておいた方が良いとは思う。