2024年10月31日木曜日

NEWS2024.10

 
10月1日(火)
以前から宣言していたイランの報復攻撃がこのタイミングで実施された。イスラエルはもとより米国もイランを非難する声明を発表する。 イスラエルvsイランの構図がますます強まってきた。結局、ネタニヤフが政権維持のために戦争を仕掛けているとしか思えない。自分の権力を維持するためならば戦争も辞さないし他者の生命などこれっぽちも意に介さないというおぞましい考え方だ。
 
首都であっても簡単に攻撃できてしまうんだなあ。
 
この前原誠司の動きは立憲の野田と示し合わせていると思う。立憲は維新と本気で手を組むつもりらしい。 
 
10月3日(木)
石破内閣の法相・牧原秀樹がかなり酷いのが分かった。三原じゅん子も。さらに立憲民主党のネクスト内閣の渡辺周も。立憲もとうとう保守に大きく舵を切った。もはや立憲も保守と考えて間違いないだろう。

10月6日(日)
どうやら立憲は共産党と共闘するのを拒否したらしい。だが、維新とも棲み分けするはずだったと思ったが。維新の党勢が落ちているからなあ。維新とて選挙の間だけ立憲と手を結んで、その後はどうなるか分からないし、立憲だって同様だろう。いや、立憲は頭数として維新の議員が欲しいのだろうが。いずれにしても、第二自民党になる野望に過ぎない。

今週は石破内閣をどう評価するかという話が多かった。もちろん、私が見ているメディアに限っての話だが。そして、おおむね石破は基盤が脆弱で思うように政権運営できていないという見立てだった。私自身は今のところ静観している感じだが、引っかかっていることがある。それは自民党の総裁選のとき高市が党員票を石原を上回って集めたことだ。統一教会が自民党員となって票を増やしたのではという意見もあったが、むしろ、自民党の党員がネトウヨ化していると見るべきだと思う。これは自民党に限らず、日本全体がネトウヨ化しているのだと思う。それは日々の暮らしから肌で感じる感覚としてもそう思うからだ。実際、立憲民主党も右旋回したのは肌で感じている部分が多いのではないだろうか。このまま行くと、石破政権は短命に終わる可能性が高い。そして、次に来る政権はおそらく極右政権になる可能性が高い。イタリアでさえ極右政権が誕生したのだから、日本に極右政権が誕生してもおかしくない。いや、そもそも安倍政権が極右政権だったと言ってよかろう。安倍晋三が暗殺されて核となる人物がいなくなってしまったが、再び誰かが極右の核となる者として押し上げられる可能性が高い。日本人はその民族性として極右に流れやすい民族なのだと思う。それは日本人自身がよく知っていることではないだろうか?日本人の抑圧感の根源にあるのは極右への恐れがあるからだと思う。そして、日本人は極右を倒そうとするのではなく、極右からいじめられないようにしようとする傾向が強い。正義や善を貫くのではなく、強い者になびき弱い者に居丈高になるという傾向が強いのだと思う。そして、善悪ではなく損得勘定で行動するのだと思う。ともかく、遠からず日本に極右政権が誕生する可能性が高い。リベラルとしては、極右化への歩みを少しでも遅らせたいならば、例えば自民党に入党して穏健派を支持するとかだと思う。いずれにせよ、自民党も立憲も極右化していくのだから、日本の政治に希望はない。一方で、共産党は極右にとって丁度良い敵にしやすい。極右組織をまとめていくには敵が必要だからだ。ただ、リベラル派としては直近の選挙では共産党を支持するしかないが、再びリベラル政党が新たに設立されることが望ましい。したがって、リベラル派の人々は、当面は、アンチファシズム、アンチファ、反レイシズムとして活動するのが良いように思う。ちなみに東京都知事選で注目された”ひとり街宣”が良かった。プラカードを持ってメッセージを送るだけの地味な活動だが、あれが今後は多くの地域でアンチファシズムの社会運動として起こって欲しいと思う。あとは本当に地味に自分の周辺からリベラルを増やす啓蒙活動をするしかないと思う。
 
10月10日(木)
ジョーカーのメイクで有名になった政治家・河合悠祐がパトロールと称してクルド人にヘイトを働くために蕨駅に向かったのを反差別の人たちに囲まれて逆に返り討ちにされる動画が今週の特集だった。ツイッターで流れていた動画を見たら、追い詰められた河合悠祐の切羽詰まった表情と野間氏の面白くて仕方ないといった感じの笑った目が印象的だった。あまりにダメダメ過ぎて河合悠祐がちょっと気の毒にさえ思えたが、とはいえ、河合悠祐ら差別主義者たちのヘイトでどれだけクルド人の人たちが傷つき恐怖をおぼえているかを考えると、悪いのは河合悠祐たち差別主義者たちなので情けは無用だとも思うのだった。特にクルド人の子どもをヘイトの対象にまでしているので小奴らを許してはならんと思うのだった。本当は河合悠祐らが改心して真人間になってくれるのが一番良いのだが、なかなか改心するのは難しいだろうとも思う。それから、炎上商法で注目を集めて商売につなげるという手法が少なからず効果があるから、こういった輩が出てくるのであって、世間はこういった輩に乗せられないようにもっと良識やモラルを持ってほしいと思うのだった。

日本原水爆被爆者団体協議会がノーベル平和賞を受賞したとのこと。しかし、これまでの日本政府の核兵器に対する対応を見ていると、とても被爆国とは思えない対応をとっている。そういった日本政府の対応を少しでも変えられれば良いのだが。

10月12日(土)
今回のマル激は日本被団協がノーベル平和賞を受賞したタイミングでの核戦争の話だったので、大変タイムリーだった。と同時に、現代人は少なからず核兵器というものについて勉強しておくべきだとも思う。核兵器は戦争を変えた兵器で、人類の歴史を大きく変えたものだからだ。日本は被爆国ゆえに被爆国という立場からの観点が目立つが、もっとマクロな視点で人類社会にとって核兵器というものを考えておくべきだとも思う。

10月17日(木)


10月18日(金)

 
 
10月19日(土)
 
 
10月20日(日)
ひとり街宣の実践者たちの話を聴けて大変参考になる。路上読書会も興味深かった。


10月21日(月)
 
10月24日(木)
全然知らなかったのだが、弘兼憲史が安倍類だと分かったのは収穫だった。ちなみに『島耕作』、ほとんど読んだことがない。散髪屋さんで待ってるときにたまたま1話くらい読んだ程度。サラリーマン漫画は『山口六平太』くらいしか読んだことがない。石ノ森章太郎の『HOTEL』がサラリーマン漫画に該当するなら『HOTEL』もそうだけど。いずれも『ビッグコミック』だった。読んでた青年漫画雑誌は『ビッグコミックスピリッツ』がメインだった。『ビッグコミック』は『ゴルゴ13』と『カムイ伝第2部』が読みたかったから。『モーニング』はほとんど読んでない。『ああ播磨灘』を単行本でどこかで読んだっけ?『ハートカクテル』をたまに読んだような気がするが、私の周囲はハートカクテルを馬鹿にしている人が多かった。私は嫌いではなかったが。昼休憩のとき喫茶店で読む雑誌がないときに『モーニング』が空いてたら読むといった感じだった。

10月26日(土)

最高裁判事の国民審査の判断材料にするためにビデオニュースは大変参考になる。選挙前の必須視聴。


10月27日(日)
自民党が過半数割れしたが、あまり嬉しくない。理由は立憲民主党が保守になってしまったので、リベラルの私としては投票先が無くなってしまったからだ。私としては、今回は選挙が始まった段階で終わっていた。私にとって「リベラルの敗北」という選挙だった。今回、立憲民主党は議席を増やしたので、良くない前例を残したと考えている。リベラルでなくても勝てるのだと。むしろ、保守になった方が票が取れるのだと考えるかもしれない。開票結果を分析すれば必ずしもそうではないと思うが、しかし、それでも多くの立憲民主党の議員たちは保守の方が選挙に勝てると考えるようになると思う。結局、日本にはリベラル政党は育たないまま終わってしまった。それは共産党が議席を減らしたことからも分かる。また、公明党が票を減らしたことは戦後の平和主義を支えてきた世代が高齢化して減少してしまったこともあると思う。国民民主党が議席を増やしたことは石丸現象と似ている。「手取りを増やす」というフレーズが効果を発揮した面がある。これは劣化を意味する。政治を考えるとき国全体を考えるべきものだった。実際は地元に利益を誘導するという本音があったとしても、国全体を考えるという建前があった。ところが、最早、そうではなくなった。自分にとって得か損かで決めるような有権者が増えた。それは失われた30年によって日本の競争力の低下→日本の経済力の低下→有権者の貧困化という流れで、もはや有権者は経済的に自分にとって得か損かで決めるように劣化してしまったのだと思う。昔はアジアの貧しい国がそういった政治だったのだが、それがとうとうに日本になってしまったのだ。戦後の経済成長で余裕があった時代は終わったのだ。また、かつての経済大国を取り戻すという余力も無くなった。技術立国を支えてきた企業が世界市場から消えていったからだ。経済成長期の政治談義など意味が無くなった。また、日本の教育が政治的知識を教えなかったので、日本人は政治的知識が貧しいものになった。結果、石丸現象に見られたポピュリズム政治になってしまった。恐ろしいのはそういう社会の場合、得てして危険な独裁者を生んでしまうリスクがあることだ。政治的な専門知識がある者を選ぶのではなく、乱暴なポピュリストを選んでしまい、そういった人物に権力を集中してしまいやすいのだ。したがって、それに抵抗するには三権分立をより強めることだと思う。日本の場合、議院内閣制だから、まず司法にもっと権限を与えて、政府や立法府を牽制できるようにすることだ。しかし、である。大抵、こういう場合は悪い方向に向かう可能性が高い。逆に司法も権限を独裁者に委ねたりする結果になりやすい。つまり、落ちるときはどんどん悪い方向に落ちていくのだ。どんどん暗い気持ちになる。いずれにせよ、リベラルは有権者としてできることは無くなった。なぜなら、選択肢の中にリベラル政党が無くなったからだ。立候補しているのが、全部、保守だったら、選びようがないではないか。リベラルは有権者としてできることは無くなったが、社会活動としてはまだやれることがあるとは思う。インターネットのおかげでヒトとヒトが繋がりやすくなった。リベラル同士で横の繋がりを広げていき、少しでもリベラルの命脈を保つように工夫するしかないと思う。
 
追記
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙のとき、私は森友・加計問題などでリベラルは何もしなくても勝てると思っていた。 ところが、フタを開けてみたらまったくダメだった。しかも維新が議席を増やした。今回、裏金問題で自民党は大きく議席を減らした。どうも日本人は森友・加計のように国の財産が不正に使われてもあまり文句を言わないらしいが、裏金のようにカネが自分たちにばら撒かれないとなると怒るらしい。「政治とカネ」の問題とよく言われるが、日本人はそういうカネの使われ方に対する憤りらしい。私などは森友・加計の方が裏金問題よりも酷いと感じるのだが、世間一般の日本人はそうではないらしい。森友・加計問題を軽視する背景には、親方日の丸の感覚があるのかもしれない。国債発行で乗り越えようとするのもその辺りに心理があるのかもしれない。しかし、無限に国債発行で乗り切れるわけではなくて、アキレスと亀のように、いつかはアキレスが亀を追い抜くときが来る。そのときは、財政破綻という恐ろしい結果が待っている。グレン・ハバードとティム・ケインの著書『なぜ大国は衰退するのか』の中で、債務残高に対する国債の発行上限を憲法で定めて制限することを提唱していたが、まさにその通りだと思う。 しかし、日本は一度始めたら爆発するまで止められない国だから、クライシスが起こるまで国債に頼るのだろうと思う。そうして、爆発してはじめて制限を設けようと考えを変えるようになるのだろう。しかし、そうなってからでは遅いのだが、残念ながら、分かっていても避けられない悲劇というのが世の中にはあるのだろう。


最近読んだ本

『モードとエロスと資本』
この本はファッションの歴史について勉強しようと思って成実弘至さんの『20世紀ファッション』や中野香織さんの『スーツの文化史』を読んだ後に買って読んだ本。2000年代のモードの傾向について書かれた本なのだけれど、モードから恋愛が遠ざかっていく話が興味深かった。宮台真司さんが随分前に「若者が恋愛から撤退している」と話されていたのが、この本を読んでモードを通してそれがよく分かった。その一方で、「女の女装」や「セクシーからエロい」へ変わっていった話も面白かった。恋愛からは撤退しても性愛から撤退したわけではなくて、セックス・トイ、いわゆるアダルトグッズ、あるいはフェムテックへと向かっていくのがよく分かった。


『アダルトグッズの文化史』
この本は今年読んだ本で一番面白かった本になるかもしれない。タイトル通り、アダルトグッズの歴史の本なのだけど、内容的にはフェミニズムの本と言っていいかもしれない。男性のためのアダルトグッズではなくて、主に女性向けのバイブレーターやディルドの歴史の話と言っていい。特に、ベティ・ドッドソンのエピソードが大変興味深かった。女性が男性とのセックスではなく、マスターベーションによってオーガズムを得られることで自立できることを謳っているのが目からウロコだった。『マスターベーションの解放』というワークショップを開いてみんなでマスターベーションをする話などなかなか刺激的だった。私などはマスターベーションをセックスの下位に置く傾向があったのだが、別物だと考えた方が良いと確信を持てた。ちなみに、アダルトグッズが革命を起こしたわけだが、そこで使われていたアダルトグッズが日立の電気マッサージ器(マジックワンド)だったり、日本製のラビット型バイブレーターだったりと日本製品が大活躍しているのだが、その機器の開発史自体は触れられいないのが残念だった。これは日本人が歴史を残さないことに問題があると思う。なお、上野千鶴子さんと湯山玲子さんの対談本『快楽上等!』の中で「相手のあるセックスとマスターベーションは別腹」という名言がある。このお二人の言葉を読むと、日本も決して遅れているわけではないかもしれない。そして、言うまでもなく、日本におけるTENGAの活躍がある。TENGAから派生した、女性向けプレジャーアイテム、irohaがある。かつては、おしゃれな女性向けアダルトグッズとしては、スウェーデンのLELOや米国のSVACOMやドイツのWOMANIZERが有名だったが、日本のirohaがそれらに負けず劣らずのクオリティを出せるのではないかと大変期待できる。男性はポルノは必要でもアダルトグッズは必ずしも必要としないが、女性の場合は逆に多くの女性はアダルトグッズを必要とするのではないかと思う。また、女性に生理があるように、男性はマスターベーションを必要とすると思う。セックスライフはどうしても秘められたものとして情報不足・理解不足になりやすいが、インターネットの出現で知識が十分に広まるようになってきた。これからの若い世代は豊かなセックスライフを送れると良いと願う。ただし、禁欲も大事だということは最後に言っておきたい。


『TENGA論』
TENGAの開発史の本です。TENGAの創業者松本光一の話が大変興味深い。元々は自動車整備の仕事をしていて、TENGAに辿り着く。そして、良い製品を作りたいという情熱。真面目な取り組みが本当に興味深かった。障害者のセックスライフを豊かにするために協力したり、妊活や遅漏早漏の治療に役立てたりとその真面目さが素晴らしかった。そして、リリー・フランキーさんの女性器の代用品ではなくてTENGAという性別という発想が素晴らしかった。これはセクサロイドへ通じる考えだと思う。
 
私は少子化自体は悪いことでは無いと思っている。人類が増えすぎることは地球(ガイア)にとって必ずしも良いとは限らないからだ。野生の熊やイノシシが山に食べ物が無くて里へ降りてくるが、人類が減れば野生動物の住む世界も広がるかもしれない。現在、人類と家畜とペットに対して、野生動物の比率があまりにも低すぎる。人類が減ればそれが改善されるかもしれない。ただし、今の経済システムで人口減少してしまうと問題が発生してくるだろう。しかし、それはまた克服すべき問題として、少ない人口でも破綻しない経済システムを工夫すれば良いだけの話だと思う。恋愛と性愛の分離についても悪い話ではないと思う。恋愛と性愛が不可分になってしまうことでかえって問題になってしまうケースが多いと思う。不可分であるために望まない結婚や妊娠が増えるのではなかろうか?逆に、セックスワークが合法になったり、マスターベーション技術が進歩すれば、恋愛と性愛が分離しても問題ないように思う。むしろ、セックスライフが豊かになるのではなかろうか?ただし、愛について人々が学ばないリスクが生じるかもしれない。愛というのは、多くの場合、微弱な力だ。マネーの方が社会を回す力として強い。だが、微弱だからといって、愛は不要なものではない。人間性の中で愛はとても重要な要素だ。愛を学ぶ機会をもっと考えるべきかもしれない。そういう意味では、恋愛と性愛が分離した方がよりピュアに愛について考えられるかもしれない。愛について学ぶために、恋愛と性愛が分離するのは必ずしも悪いとは言えないと思う。そもそも、古い男女関係は農業社会において築かれたものが多い。20世紀の工業社会を経て、21世紀は知識社会に突入した。新しい男女関係や愛について学ぶ機会も新しく考え出さねばならないのかもしれない。