2023年10月22日日曜日

NEWS2023.10


10月4日(水)
私はジャニーズ問題については興味が持てなくてあまり知らないのだが、今回、NoHateTVで取り上げていて、この問題について言及しているのを見ていろいろと思うところがあったので、断片的になるが書き連ねてみようと思う。

まず、日本の奇妙なルールについて。私は日本特有の「業界のルール」だと捉えている。日本の様々な業界は自分たちのルールを作っている。しかし、その業界のルールは建前と本音があって、建前や理念では社会に寄与・貢献するようなことを謳っているが、実際の本音や実質ではその業界の既得権益を守るために新規参入を排除するためのルールであることがほとんどだ。これは安田さんが言っていた芸能記者業界や記者クラブがそれに相当すると思う。日本社会に生きていて働いていれば、それはあらゆる業界にあると分かると思う。

日本のジャーナリズムについて。これはビデオニュースの神保さんが言っていたが、海外のジャーナリストは専門学校程度のジャーナリストの学校の出身であることが多い。一方、日本の大手新聞記者などは一流大学の出身者が多い。しかし、海外のジャーナリストはジャーナリストが知っているべき基本的な知識、法律や考え方などはきっちりと身についている。一方、日本のジャーナリストは経済学部や法学部出身で新聞社に入社してからたたき上げでジャーナリズムを学ぶ。そのため海外のジャーナリストなら知っているジャーナリズムの基本を知らない。結局、日本のジャーナリズムは業界のルールは知っているが、ジャーナリズムそのものはお粗末な知識しかない。

ジャーナリズムは第4の権力といわれる。まず、司法・立法・行政の三権がある。その三権を監視するものとして報道機関がある。(ちなみに最近ではSNSが第5の権力と言われたりしたが、ケンブリッジ・アナリティカ事件でフェイクニュースによってユーザを巧みに狙った政治志向へ誘導するという事例があったので注意せねばならない。)ところが、日本の新聞社は軽減税率の対象になることによって、権力を批判しなくなっている。権力者の機嫌を損ねて軽減税率の対象から外されて新聞社の利益が減らされては困るからだ。しかも、自分たちの業界のルールである記者クラブ制度を作って新規参入を排除して既得権益を守ろうとしている。

形勢が悪くなると途端に掌返しをする日本人。当初は望月記者に批判的であったメディアが形勢が悪くなると途端に手のひらを返したようにジャニーズ側を批判し始めたりする。これは幕末の鳥羽の戦いを思い出す。幕府軍と薩長軍がぶつかったとき、第三者の諸藩は最初は旗色を鮮明にせずに戦いの様子を見守っていた。ところが、薩長軍が優勢だとなると途端に手のひら返しして幕府軍が逃げ込んでこようとするのに門を閉ざしたりする。日本人に大義名分は存在しない。とにかく損得勘定で動くのだ。そもそも倒幕運動も尊皇攘夷で始めたのに倒幕を終わったら、手のひらを返したように開国に180度転換してしまった。日本人というのは信用ならない。

それから都合が悪くなると「子どもたちの前だから」論が出る。社会は大人が責任と主体性を持って形作っていくものだと思うのだが、すぐに子どもをダシにして、見せたくない都合の悪い面を隠そうとする。この番組を子どもに見せなければいいだけの話だ。悪い面はしっかりと糺すべきだ。ちなみに隠そうとするのはその業界の自分たちの権益を守るという意図があるからだ。

ちなみにジャニーズの性暴力はずっと言われきたことで今更という感がある。みんな知りながら今までずっと黙ってきたのだ。だから、まあ、業界全体が腐っているんだと思う。とはいえ、これは芸能業界だけではないと思う。日本のさまざまな業界にそういう腐敗が隠されていると思う。そもそも日本の戦争を誰も止められなかったし、戦後も様々な腐敗を誰も止められなかったと思う。要するに日本人は腐っているのだ。日本人は、善や正義ではなく、損得や欲望を優先する民族だからそうなるのだ。人間は自分が悪であることに耐えられるほど強くはないが、日本人は本音と建前を使い分けることでその弱さを克服している。建前と本音によって他人も自分も騙すのだ。そして、悪といってもアイヒマン的な小悪党的な卑小な悪人にしかなれないのだ。ただし、その悪は陰険にひとをとことんまで追い詰める陰湿な悪であったりする。また、集団になれば虐殺など残忍な暴走もする。さて、このような民族など滅んでしまった方が良いのではないか?いずれにしても、かなりの多数派がこのような輩ばかりで、改善する可能性は極めてゼロに近い。なので日本から脱する方が良い選択だと思う。

10月8日(日)
今週のマル激は中北浩爾さんを招いて連合(労働組合)についての話だった。大変勉強になった。ただ、私はガラポンしかないと思っていて、90年代から日本は構造改革すべきだとずっと思い続けていて、日本の労働組合も企業別ではなくて産業別・職能別に変わるべきだと思っている。しかし、30年経っても何も変わらなかったので無理だと諦めた。確かに、こんな日本でも時間が経てば変容はするだろうけど、いつもの日本の如く、どんな素晴らしいシステムも換骨奪胎して自分たちに都合の良いようなシステムに変えてしまうだけだと思うので、それを外から眺めるしかないと思うようになった。つまり、外に立脚点を持つ方が手っ取り早いと思うのだった。

また、冒頭に神保さんがジャニーズ問題を取り上げていてジャニーズの資産の継承について言及していて興味深かった。日本の芸能事務所って、タレントを育成して送り込む代償に、そのタレントが売れてもその報酬を長期に渡り吸い上げるという仕組みじゃないかと思う。もう育成とか止めてエージェント制にすれば良いんじゃないかと思う。タレントをわざわざ育成しなくても自分たちで鍛錬して上がってくるんじゃなかろうか?ちなみに韓国ではそうなってなかったっけ?

Netflixオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』がシーズン4で完結した。シーズン4はちょっと肩透かしのようなシーズンだったが、このドラマ自体は大変面白かった。個人的にはシーズン1とシーズン2が好きで、シーズン3はぐちゃぐちゃで、シーズン4はシーズン3のぐちゃぐちゃを回収せずにリセットしてとりあえず取り繕ってドラマを締めくくったという感じが私はしている。そんなわけで前半に比べて後半は少し面白さが下がったかもしれないけど、性に関する話題をこんなに面白く取り上げたドラマはなかなか無いので、Netflixのお薦めの名作ドラマとしてずっと残して欲しいと思うし、多くのひとに見てもらいたいと思う。

10月14日(土)



悲劇。しかし、さらなる悲劇が始まる。当面、この悲劇は避けられないのだろう・・・。この悲劇の原因は何か?ハラリの言う通りで、政治に問題があり、イスラエル国民がネタニヤフのような人物を選んだことが問題だ。ただし、民主主義の所為にはしたくない。民主主義が悪く作動したからといって、民主主義の代わりに独善的な独裁や全体主義国家になればもっと悪くなると思うからだ。結局、私たちはもっと学ばねばならない。そして民衆が賢くなって世界をより良くする知恵を身につけなければならない。

今週は安田浩一さんが病気のためにNoHateTVが休みだったので寂しい一週間になってしまった。しかもポリタスTVとのコラボ企画回だったのに延期になってしまって、とても残念だった。なんともマイナーな番組らしい感じで、ここぞというときに病欠するというお粗末さだった。いや、ちょっと失礼な言い草になってしまった。でも、NoHateTVのファンとしてはマイナーであり続けて欲しいという気があって、NoHateTVのマニアックさは『タモリ倶楽部』的な感じがあって世間一般のひとは知らないけど自分は知っている的な楽しさがある。

そうそう、自分で書いて思ったけど、NoHateTVって、政治・社会ジャンルの『タモリ倶楽部』というのが一番近いイメージだ。そして、NoHateTVのテーマは差別で、人種差別、ジェンダー差別、障害者差別と、あらゆる差別を取り上げる番組だと思う、いや、そうあって欲しいと思う。それで思ったのだが、セックスワーカー差別というのがあって、リベラル系の番組でセックスワーカー差別を取り上げることができるのが、唯一、NoHateTVだと思う。ポリタスもデモクラシータイムスも、その他の番組も、表立ってセックスワーカー差別は取り上げられないと思う。なぜなら、もしそれらの番組でセックスワーカー差別を取り上げたら女性視聴者の支持を大きく失うからだ。だから、なかなか表立って取り上げられないのだと思う。しかし、NoHateTVは元々失うものはそんなに無いと思うから(笑)、セックスワーカー差別もしっかり取り上げるべきだと思う。他の番組はお金をかけて見せかけをどんどんキレイにしていくんだけど、NoHateTVは見せかけよりもリアリズムを大事にして欲しいと思う。

10月16日(月)

結局、原因はメモリ不足だったそうな。

Colaboに関しては、私自身は事業内容がかなり怪しいと今でも思っている。領収書を出さないとか視察を入れないとか「なぜ?」と思うことが多いからだ。通常はどちらも義務だと思う。被支援者を守るためという建前らしいが、被支援者を守りつつ会計や事業内容を明らかにすることは十分できると思う。それに実質的な意味で被支援対象者にアウトリーチできているかという疑問もある。Colaboは実質よりは形式だけ繕っているように見えるのだ。そして、Colaboはおおよそラディフェミの思想に基づいて行動していると思う。つまり、セックスワーク否定論だ。私はラディフェミのセックス観は偏った偏狭なセックス観だと思っている。その狭いセックス観の小さな枠組みに他者を抑え込むのは間違っていると思う。そもそもラディフェミと同じ思想の女性はセックスワークには近づかないと思う。仮にどうしても経済的な理由でセックスワークを始めても長続きしないし、目的の金額に達すればすぐに辞めてしまうと思う。むしろ上手く利用していると言えるかもしれない。多くの場合、セックスワーカーは自分にとって昼の仕事よりも夜の仕事の方が楽で稼ぎが良いと捉えているのではないだろうか。昼の仕事の方が夜の仕事に比べて苦痛で割に合わないと。つまり、セックスワーカー自身はあまりセックスワークそのものを蔑んでいないのではないか。酷い客を蔑みはしても。結局、ラディフェミのやっていることはセックスワークに対する偏見や差別意識を助長しているのではないかと思う。そして、本当にアウトリーチを必要する人はどのくらいいるのか、実際はかなり少数ではないかという気がしている。さらにその必要な人に対するケアも選択肢を示すだけで十分な場合が大半ではないだろうか。つまり、アウトリーチ事業そのものがそんなに必要なんだろうかと思う。ただ、暇空氏はそもそもは別の理由でColaboとの闘争を始めたことだと思う。とはいえ、事業に対する疑問は疑問で住民監査請求など法的な手続きをとって争うのは自由だとは思う。その中で名誉毀損があれば訴えられるだろうし、それを見た外部の支援者が現れるのはそれも自由だと思う。こういったことにエネルギーを消費するのはColaboにとっては徒労だろうが、不鮮明だったり杜撰だったりする会計や事業内容に原因があるとも思う。ただ、コロナ給付がセックスワークは不健全だという理由で除外されるなど当事者が疎かにされるのはそれこそ本末転倒ではないかと思う。

10月17日(火)
この市長は古い考え方で不登校について何も勉強していないのだなと思う。

10月18日(水)
今回は1時間半遅れてスタート。先週、安田さんが病欠で番組が無かったので楽しみにしていたが1時間半も遅れて待ちくたびれてしまった。ところが、野間さんもスタートした時点でかなり疲労していて1回休めばよかったのにとも思った。やはり、先週、ポリタスTVの準備をしたために設定がいろいろと変わったためだろうかと推察。さて、内容は日本保守党結党の話、暇空vsColabo裁判の話、仲岡弁護士脅迫事件の話、松村・台東区議のLGBT差別発言の話、名古屋入管による救急車追い返しの話、クルド人ヘイトの話、Dappi裁判の話などでした。途中、猫が浴室に閉じ込められる案件が発生したのが記憶に残っている。また、最後に安田さんがビジネスホテルの大浴場に間に合いそうで良かったという話だった。ポリタスだと津田さんと青木さんが入浴後のさっぱりした感じで浴衣でのんびりムードで談話するのに対して、NoHateTVは対照的だった。クルド人に関しては今後取り上げてくれるそうで勉強になりそうで楽しみである。もちろん、ヘイトは楽しみではないのだが。それから、暇空vsColaboの件だが、上記で述べたが私自身はColaboに対しては懐疑的である。そして、Colaboはフェミとはいえラディフェミに近い。ここはややこしいので見極めは注意しなければならないと思う。

10月19日(木)
アイヌ差別で札幌法務局に差別認定された杉田水脈議員が、今度は在日コリアンに対しても大阪法務局から差別認定された。今更ではあるが。ちなみに松野官房長官の発言で「不当な差別的言動」とあるが「正当な差別的言動」があるのかと思う。いや、あるわけない。「不当な」という形容詞は不要だ。「差別発言は許されない」というべきだ。

アマゾンがMicrosoftと契約。Microsoft365、強いなあ。

10月20日(金)
どうなんでしょうなあ。かつてエルピーダメモリがすったもんだの挙げ句、米国マイクロンの子会社になったが、キオクシアもそういう末路を辿るということだろうか?電子立国ニッポンと言われた時代が懐かしいなあ。

10月21日(土)
今回は高橋和夫さんをゲストに招いて緊迫するパレスチナ情勢の話で大変勉強になる話だった。イスラエルとサウジアラビアの正常化交渉の話でイランがでてきてハッとした。

10月24日(火)
杉田水脈は参議院議員であるので公人だ。なので人権侵害があったら公にされて当然だ。また、非公表なのは被害者の側であって、加害者である杉田水脈に対してではない。杉田水脈は加害者であるにも関わらず、反省するどころか公表されて不快感を示すとはモラルが欠如している。政治家としての資質が無い。さらに、今回は公表されたが、もしかしたら圧力をかけて非公表にしている前科があるかもしれない。そして、そもそも杉田水脈のこれまでの発言は差別発言に溢れており、日本を代表する差別主義者であることは多くのひとが知っていることだと思う。杉田水脈に投票する有権者や彼女を党から除名しない自民党のモラルを疑う。

10月25日(水)
イスラエルのガラント国防相の「動物のような人間」発言には驚く。これは大変危険な発言だ。虐殺の寸前に来ている。とにかく、停戦してほしい。

10月26日(木)
ふむ。レズビアンのカップルが精子提供を受けて子どもをもうけたりするが、性同一性障害も同様ではなかろうか?生殖能力が残せるなら残した方が良いのでは?

不審死ではないのだろうか?なんとも言えないが。中国、大丈夫か。

10月28日(土)
一体、何人、死ぬんだろう。悲劇。



2023年9月30日土曜日

NEWS2023.09


9月4日(月)
はてさて、自民党が統一教会と手を切れるだろうか?最後まで見届けないと安心できない。

9月6日(水)
朝鮮人虐殺について大変勉強になった。

9月9日(土)
米国の最高裁がモラルが無かったことに驚いた。また、トランプ人気にも驚く。

9月11日(月)
私が大好きだった漫画『コブラ』の作者寺沢武一さんが亡くなった。合掌。少年だった頃、何気なく隣家の部屋に転がっていた週刊少年ジャンプを開いてみたら、そこに『コブラ』が掲載されていた。カルチャーショックだった!女性キャラクターのなんともセクシーな魅力に圧倒された!性に目覚めるキッカケになったし、その後、月刊『PLAYBOY』を愛読するキッカケにもなった。Tバックのヒップが最高にセクシーだった。また、サイコガンも最高にカッコよかったし、SF設定やアメリカンなジョークも個人的にはとても好きだった。タートル号やクリスタルボーイなどデザインもカッコよかった。『コブラ』に出会えて幸福だった。

話は脱線するが、セクシーなものでは、ヘルムート・ニュートンの写真や空山基のイラストが好きだった。タモリ倶楽部の「今週の五つ星り」コーナーが好きで、お尻評論家の山田五郎さんの著書『百万人のお尻学』ではモヤモヤと謎だったものが解明されて大変勉強になった。洋尻の魅力を最初に私に教えてくれたのが『コブラ』だった。感謝。

9月12日(火)
大事なのは私たちが暮らす社会には障害者たちもちゃんと存在することを認識することだと思う。インクルーシブ教育で大事なことは健常者側の意識が変わることだと思う。Netflixの英国のドラマで細い橋で立ち往生していた車椅子の青年を数人の健常者たちが担いで渡るシーンがあって、それが当たり前という意識でやっているのが見て取れた。日本にはそういう意識がない。そもそも障害者と健常者が触れ合う機会が少ないのが原因だと思う。それは教育の段階で分離されているからだ。アニメ『サウスパーク』を見ていると同じ学校に障害者も健常者も通っている。そういう普段から触れ合う機会が大事なんだと思う。健常者と障害者の接触は異文化接触でちょっとした緊張があると思うし、それは解消されないものかもしれないし、それで良いのかもしれない。多様な人たちが暮らす社会であり、異文化を完全に理解できると思うのは傲慢や誤解の元になるかもしれないからだ。多様性、ダイバーシティというのはキレイごとではなくて、大変な面がとても多いもので、いろいろと悩まされることが多いかもしれない。(実際、多人種の米国社会を見てみれば分かる。)でも、方向としては間違ってないと思う。私たちは多様性に向かって踏み出すべきだと思う。

中国vs米国という図式に、さらに中国vsインドというの本格的に加わってきた。巨龍・中国に対して、米国とインドがタッグを組んで闘おうというわけだ。中国の覇権を阻むためにインドを対抗馬として支援するというのが米国の戦略だろう。おそらく、欧州も対中国を考えてずる賢く立ち回ると思う。ちなみにロシアの国力の低下は今後50年くらいは免れないのではなかろうか。もちろん、中国やその他各国はそれにつけこもうとするかもしれないが、当のロシアはそう簡単にはいかないだろう。ロシアは一筋縄ではいかないだろう。一方、日本はどうか?日本に戦略は無く、目先のことで右往左往するだろうから、カオスになっていくに違いない。外交的には日本はポストモダンなカオスになると思う。まあ、日本にはそれが相応しい。

「ドリル優子」と呼ばれて揶揄されているらしいが、そもそも彼女は政治資金規正法違反どころではなくて、公職選挙法違反の買収をやっている可能性が高い。もしそれで有罪だったら議員で無くなるだけでなく、被選挙権も失うところだった。政治家の資格を失うところだったのだ。ところが、買収された有権者もダンマリを通したのだろう。そして、司法もそれにならった。お金を辻褄が合わなくなって、金庫番をやっている秘書は政治資金パーティを開いたが集まったお金が少額だったので、恥ずかしくて帳簿には多く記載してしまったなどという有り得ないトンデモ話をでっち上げたのだが、検察も裁判官もそれを通したのだ!よくもそんなトンデモ話を通したものだと呆れ返る!政治だけでなく司法もいかに腐敗しているかが分かる事例だった。彼女を守るためにこれだけ酷い汚点を日本の政治史・司法史に残しているのだ。それなのに、彼女は涙目で被害者面の会見って正気を疑ってしまう。恥知らずどころか、どういったモラルなのかと思う。日本の政治史にこれだけの汚点を残す犯罪をしておきながら、被害者面とはどういった思考回路なのかと思う。昭和時代なら要職に就くことなく、一生、役職のない平議員として、二度と浮き上がってこないはずだった。いかに日本の政治にモラルが無くなったかが分かる人事だった。

9月13日(水)
島袋和幸さんの言葉「放棄していると思うじゃなくて放棄してます!」という熱い言葉が印象的だった。他にも「通底としては差別があった」、「二等国民」、「日本人はけじめをつけない」「知らんぷり、ほっかむりしている」という言葉がとても印象的だったし、なにより問題の核心を突いていると思う。日本人は問題を抱えていると思う。虐殺があった過去の日本人だけでなくて、現代を生きている日本人も同じ問題を抱えていると思う。端的には人権感覚の欠如なんだが、日本人の根本にもっと根深くその問題(病根)が根を張っていると思う。かなり複雑で複合的な病根が日本人の精神にはあると思う。永井豪の漫画『デビルマン』で群衆が悪魔狩りを行う場面があるが、日本人にはああいったメンタルが一皮剥けば脈々と息づいていると思う。非常に野蛮で原始的な感覚として残っていると思う。

今回の特集では、関東大震災では朝鮮人虐殺だけでなく、中国人虐殺もあり、その理由も分かって大変勉強になる回だった。ただ、バカニュースが無くてちょっと寂しかった。安田さんの怒りのコメントも少なくてちょっと寂しかった。

9月14日(木)
ハリケーンでこれほどの被害が出るとは・・・。

9月16日(土)
瓦礫が凄いことになっている。

9月19日(火)
船橋利実、小森卓郎の二人の政務官が過去において統一教会と関係があったとのこと。現在は関係を断っているらしい。統一教会は自民党に深く浸透しているんだなあとしみじみ思う。

80万人を切って久しい。少子化は止まらないものと考えるべきなんだろうなあ。私自身は少子化そのものはかまわないと思っている。ただ、出産や育児の福祉は充実させるべきだとは思う。産みたいのに産めないのは問題だと思うからだ。

9月20日(水)
最悪ヘイト王の杉田水脈議員がアイヌ差別で札幌法務局から差別認定された。公的機関から差別を認定されるなど珍しいのだが、それだけ杉田水脈議員の差別発言が酷いものだったということだ。杉田水脈議員に投票した有権者は恥じてもらいたいし、比例代表に公認した自民党も恥じてもらいたい。

「銀座天一」という天ぷら屋が韓国人のお客に漂白剤入りの水を提供したというニュースに驚いた。漂白剤って次亜塩素酸ナトリウムで手で触るとヌルヌルと皮膚を溶かすやつではなかろうか。お客は入院したらしいが、それはそうで、かなり危険な行為だ。これはわさびテロどころではないと思う。飲んだ人が丈夫で健康な人ではなくて病弱な人だったら死に至るかもしれないと思う。過失ではなくて故意だったら刑事事件になると思う。これはちゃんと捜査した方が良いと思う。今回の特集は関東大震災関連の資料の話で、驚くのは市井の人びとの努力によって歴史の真実が詳らかになっているということだ。もちろん、日本政府や加害者が事実を隠そうとするから真実が埋もれてしまったままだったからだが。ただ、日本人の隠蔽体質はずっと変わらないのだろうなとも思う。自分たちに都合の悪いことは隠して無かったことにする。これが日本人の習性だと思う。日本人は歴史に学ばないし、公文書などの記録も残さない、そういう民族なんだと思う。もちろん、それに抗う市井の人びとが少数ではあるが存在するとは思う。しかし、日本政府はアカデミズムにも圧力をかけて自分たちの都合の悪い歴史は残さないし書き換えていくと思う。結局、極端な話、民間のネットワークだけが真実を伝える歴史を残していくと思う。心ある日本人は日本国からの脱出を考えた方が良いように思う。そして、外部に足場を築く方が良いと思う。日系として生きる方が良いように思う。日本人は意識的に歴史に学ばない民族だ。だから、日本人は悪い意味で変わらない。関東大震災で朝鮮人を虐殺した頃と変わらない。日本人の心性の底流にはあの頃と同じ野蛮さが残っている。その証拠に外国人の客に漂白剤を飲ませたりする飲食店がいまだにあるわけだ。ある程度、日本人というものを見限った方が良いと思う。日本人を内側から変えようとしてもムダな努力になる可能性が高い。それよりは日本の外部にネットワークを形成する方が余程意味があると思う。

9月21日(木)
スタジオジブリがひとつの区切りをむかえた。ジブリは日本のディズニーのようになって欲しかったが残念だ。まあ、ピクサーやルーカスフィルムも独立を維持できなかったから仕方ないかもしれない。ガラポンした方が新しい芽が芽吹くかもしれないし。

9月22日(金)
NFTはよく分からなかったが、どうも終わってしまったようだ。

ところで、ふと思ったのだが、日本の核戦略って日本独自路線を歩んでいると考えてよいのだろうか。まず、日本は被爆国で核兵器に反対の立場をとっている。根本に非核三原則がある。なので日本は核武装はできない。もちろん、核武装を主張する者はいるが、そのためには超えなければならないハードルが幾つもある。実現するのは困難だ。そこで対核戦略となる。で、通常、対核戦略というのは核ミサイル攻撃を受けた場合、避けられないというのが基本的な考えだと思う。核ミサイルを迎撃するのが困難だ。さらに多弾頭ミサイルになればさらに難しくなる。そこで地下に核シェルターを作るのが通常の対核戦略になる。核保有国の場合は核による報復をもって抑止力としての対核戦略となるとは思うが、核を保有していない国の場合(もちろん核を保有している国でも)はやはり核シェルターを作るのが基本方針だと思う。ところが、日本の場合は一般市民が退避する地下核シェルターなるものは存在しないと思う。かわりに迎撃ミサイルをたくさん購入している。ただし、核ミサイルを撃墜できるだけの能力は保有していないと思う。また、北朝鮮がミサイルを発射すればスマホにアラートが送信されるシステムがあるらしいが、それにはどこに逃げたら良いかは示されているのだろうか?地下核シェルターが無いのならばどこに逃げるのだろうか?核ミサイルの着弾地点から遠くに逃げろという意味だろうか?それならば着弾予想地点もアラートには示されているのだろうか?しかし、着弾地点から遠くに逃げるにしてもそんな時間的余裕があるのだろうか?そう考えるとアラートにどれだけの意味があるのだろうか?私自身はアラートのアプリをインストールしていないのでよく分からない。ともかく、日本はどういう経緯でかは分からないが(軍事の専門家が決めたのか、政治家が決めたのか、どういった理由で決めたのか、よく分からないが、とにかく)、核ミサイル攻撃を受けた場合の対核戦略というのを日本は独自路線で進めていると思う。とても科学的に、あるいは軍事的な意味で専門的に決めたとは思えないのだが、国民は特に気にしていないように思う。国防、安全保障に多額のお金を使っているのだが、多くの日本人は気にしていないと思う。遠藤誉さんの著書の中で、中国人が日本人について「戦略が無い」と語っていたが、まったくその通りだと思う。日本人には戦略が無い。長期的な観点で物事を考えることができない。実際、長期的な観点で物事を考えようとすると過去の記録、歴史が必要なんだが、その歴史もしっかりと残されていない。政治家同士が先輩から後輩へと、口頭で人から人へと過去の経緯を伝えている程度に過ぎない。昔、犬追い曲線というのを読んだことがあったけど、日本人の行動もこれに似ている。目先のことだけを追って現在の行動を決めている。日本人の民族性というのはなかなか面白い(笑)。

9月27日(水)
関東大震災虐殺否定がいかにデマであるかを解説した回だった。戦前の読売新聞の解説が大変興味深かった。



2023年8月31日木曜日

NEWS2023.08


8月2日(火)


8月5日(土)


日本共産党については幻滅している。例の除名事件もそうだが、トランスジェンダー差別やセックスワーカー否定の見解が私には許容できないからだ。日本共産党はかなり保守的だとは思っていたが、セクシャリティの問題でここまで酷いとは思わなかった。そして、除名事件に至っては全体主義以外のなにものでもない。したがって、日本共産党とは相容れない。結局、日本にはリベラル政党は存在しないのだ。日本の左派は冷戦時代に米国の悪い面ばかりを見て批判してしまい、米国の良い面を見て評価してこなかった。そのため米国の良い面を吸収できなかった。一方、日本の右派は米国のタカ派の面ばかり見ていて、やはり米国の良い面を吸収しなかった。結果、日本は米国の良質な部分を根づかせることができなかった。米国の歩みは決してまっすぐではない。様々な紆余曲折を経て困難を乗り越えて前進している。日本人にはそれが理解できなかった。

8月9日(水)
TERFの酷さが分かる話だった。ちなみにTERFとはウィキペディアによるとトランス排除的ラディカルフェミニスト( trans-exclusionary radical feminist)の略だそうだ。番組を見るとTERFは「トランスは生まれつきの犯罪者だ」と決めつけているようだ。その考え方はナチスに似ている。「ユダヤ人は生まれつきの犯罪者だ」と決めつけたのと同じだ。TERFはススキノ頭部切断事件を引き合いに出して、被害者を勝手にトランスで性加害の犯罪者だと決めつけて、あたかもトランスが生まれつきの性犯罪者であるかのようにほのめかしている。本当に呆れてしまう。しかもこのようなデマはヘイトクライムの扇動になる危険がある。驚いたのは牟田和恵氏というフェミニズムの学者の方がそれを誘引するかのようなツイートしている。はっきり言って、ここまで来るとTERFは危険思想だと思う。ナチスや民族主義者が他民族を排斥するために暴力を振るったのと同じで、TERFはトランス女性を排斥するために暴力を扇動しようとしているとしか思えない。

ラディカルフェミニズムはトランスジェンダーだけでなくセックスワークに対しても排他的だ。おそらく、ラディカルフェミニズムはトランスジェンダーやセックスワークを嫌悪しているのだと思う。さらに男性的なものの一部も嫌悪している。それらの嫌悪感がラディカルフェミニズムの思想の原動力になっている。結局、ラディカルフェミニズムの性に対する考えがかなり狭く偏重しているのだと考えられる。そのため、自分たちの性の枠組みの外にある性の存在が許せないのだ。これは宗教ではよくあることだ。例えば、カトリックの一派は同性婚を認めない。カトリックの考える性は現実世界の性に比べると狭く偏っているのだ。だから、特定の宗教の人々だけで集まってコミュニティを築いて、そのコミュニティだけで通用するルールを作って、そのコミュニティの中だけでルールに従って暮らす分には問題ないと思う。しかし、その特定の宗教にしか通用しないルールを社会一般に対して適用するのは間違っている。現実の世界には多様な人々がいるのだから、多様な人々が自由に暮らせるようにより広い包括的なルールにするべきだと思う。さて、話をラディカルフェミニズムに戻そう。ラディカルフェミニズムもそういった宗教と同じにすれば良い。自分たちのコミュニティを作って自分たちのコミュニティの中だけで通用するルールに基づいて暮せばいいのだ。例えば、女性スペースを守るなどと言わずに、ラディカルフェミニズムのスペースを作ればいいと思う。だが、ラディカルフェミニズムの偏狭な考えを社会一般に押しつけるのは間違っている。ラディカルフェミニズムは自分たちの考えが偏狭なことをもっと自覚すべきだ。自覚が足りないために「トランスは生まれつきの犯罪者」などという危険思想に陥ってしまうのだと思う。そのような悪魔的な思想に取り憑かれてしまうのは本当に恐ろしいことだ。だが、取り憑かれている間はなかなかそのことに気付かない。そこにこの問題の難しさがある。結局、性について広く学ぶしかないと思う。多様な性があることを早い段階から知っておくことだと思う。今はネットがあるので昔よりは情報が得られやすくなった。昔よりは学びやすいと思う。性について広く知ることで偏狭な考えは徐々に減っていくと思う。ただし、そういった偏狭な考えやラディカルフェミニズムが絶滅するわけではないとも思う。カトリックやラディカルフェミニズムやアーミッシュの人々のような少数派のコミュニティとして残っていけばいいと思う。だから、繰り返しになるが、ラディカルフェミニズムはラディカルフェミニズムで自分たちのコミュニティを作ればいいと思う。なので、女性スペースを守る会などと言わずに、ラディフェミスペースを作る会にすればいい。

8月16日(水)

今の日本は衰退のフェーズに入っている。かつての日本は経済大国で物質的豊かさから、さらにステップアップして、文化的な豊かさへとさらに上昇するつもりだった。ところが、バブルがはじけて日本は停滞しはじめた。同時にIT革命と東西冷戦の終焉によるグローバル化が始まった。グローバル化によって中国や東欧が後背地となって工業化が進む一方で、先進国は知識社会化へと変化していった。ところが、日本はIT革命に上手く順応できなかった。垂直統合化された日本の製造業は当初のITのような乱雑な成長を見下していた。しかし、いつしか日本はすべてに抜かれてしまった。日本は技術立国だったが、その技術で敗北してしまった。技術以外のものは、日本では換骨奪胎して、別のものに組み換えられていた。例えば民主主義だ。日本の民主主義は欧米の民主主義とは明らかに異なる。日本人は民主主義を換骨奪胎して、形式的な制度は民主主義だが、実質は非民主主義的なものに変えてしまった。民主主義に限らず、日本では万事がそのように換骨奪胎されたものに変わってしまう。だから欧米から見れば日本は不思議の国だ。民主主義だと言いながら、民主主義が機能していないのだ。日本人の頭の中は欧米から見れば不思議なのだ。日本人の精神構造はとても特殊なのだ。(そのことは河合隼雄などが早くから指摘していた。)さて、日本は技術で敗北して経済が低迷してしまった。もはや文化的にさらに高みをうかがうどころではなくなった。これからは縮小していくしかない。さらにそこに「貧すれば鈍する」が如く民度もどんどん低下していく。余裕が無くなって、そもそもベースが貧しいものだから、民度が低下するのも当然の流れだ。多くの国では、政治は保守とリベラルの対立構造を形成するものだが、日本では第1保守と第2保守があるだけだ。しかも対立というよりは馴れ合いの、翼賛体制を形成しつつある。これは極めて日本的だ。さらに戦前の日本で国際連盟から脱退した後のような自分勝手な体制になりつつある。それは日本独自路線というか、独りよがりな日本にだけ都合の良い狭量な体制だ。そんなわけで日本は衰退しながら、しかも変な国になりつつある。日本は特異な奇態な民族国家になりつつある。そして、おそらく、この流れは変えられない。時代の流れには逆らえないのだろうと思う。残念ではあるが。ともかく、このような日本に付き合うことはない。確かに不正義に対して間違いを指摘するのは大切だが、それにこだわっても多勢に無勢になる可能性も否定できないし、日本人は頭がおかしいのだから、それは彼らの人間性に対して疑問符を投げかけるものでもあるのだから、そこで戦っても無力で意味がない可能性が高い。だから、あとは個人でこの大きな流れに対していかに人間として正気を保ちつつ、生き残っていくかが問われるのだと思う。日本人は、皆、アイヒマンなのだ。アイヒマンで形成された国なのだ。日本はそういうディストピアであり、アイヒマンから見れば日本はパラダイスだ。個人は、アイヒマンになるか、アイヒマンになることを拒絶するかの選択に迫られるのだ。そして大多数の日本人はアイヒマンになることを選択するのだ。それが日本の現実だ。ほんの少数だけがアイヒマンになることを拒絶する。少数派のための戦略や戦術を磨かなければならない。

8月23日(水)

日本は忘却の国なのだろう。問題があっても時間が経過すれば人々は忘れる。そして人々が忘れてしまえば権力者は自分に都合の良いやり方で問題をすり替えてしまう。真に問題解決しようとは考えないのだろう。これを防ぐにはまず記録を残すこと。そして忘れないように、適時、振り返りをすることだと思う。振り返りをして問題を思い出させようとすると、問題を蒸し返すと煙たがられるだろう。しかし、問題を解決できていないのに問題を蒸し返すとはおかしな話だ。PDCAサイクルを回すようにちゃんと追及すべきだ。なので、繰り返しになるが、記録(ログ)と振り返り(レビュー)を適時行うことだ。

国民主権を私たちはもっと意識したい。そして権力は腐敗しやすい。ちゃんと三権分立で三権が互いに牽制し合うようにしたい。しかし、日本は議院内閣制のために議会と政府が権力を掌握しやすい。そして司法が議会や政府に迎合的だ。司法が分立していると言い難い。また、権力者は自分たちの権力を減らす方向には動かない。逆に自分たちの権限を増す方向に動かそうとする。まさに権力は腐敗しやすいわけだ。日本は民度が低いから権力者が自分たちに都合の良いように変え放題になりつつある。

日本の民度の低さには2つあって、1つは民主社会への理解不足がある。彼らは自分たちの損得でしか物事を考えない。利益しか眼中にないのだ。もう1つは草の根全体主義のような傾向があることだ。これは日本人固有の保守主義だ。これは人権に端的にあらわれる。彼らの本音は日本においては日本人以外には人権は無いと心の中では思っていることだ。ここでいう日本人とは多数派の日本人だ。少数派のカテゴリーの日本人は日本人だと思っていない。だから、少数派の日本人に対しては黙ってろと言わんばかりの態度をとる。少数派の日本人には様々な少数者が入る。異人種、性的少数者、障害者などだ。多数派の日本人は人権を問われると嫌がる。なぜなら彼らは本音では多数派の日本人以外にはまともな人権などないと考えている。少数派はワンランク下の階級だと考えているからだ。そんな考えは間違っているのだが、彼らにはそれが分からない。彼らは無意識にそういう階級社会を生きている。そういう皮膚感覚を持っている。21世紀にもなって度し難い人権感覚(階級差別意識)を多数派の日本人は持っているのだ。そういう意味では日本人であることはとても恥ずかしいことなのだ。しかし、島国で暮らしている限り、多数派日本人はそのことに気づかない。

8月27日(水)

今週は、私のタイムラインでは、関東大震災100周年に関する話で、朝鮮人虐殺に関する企画が多かった。日本人というのは自分たちの過去の悪行をとにかく「隠そう、無かったことにしよう」とやっきになる。そして、そういった隠蔽を指摘されると怒り出す。この繰り返しだ。南京大虐殺然り、従軍慰安婦然りである。関東大震災における朝鮮人虐殺も同様だ。日本人は歴史から何も学ばない。いや、むしろ積極的に歴史から学ばないように努力しようとしている。今も昔も日本人は積極的に記録を残さないし、情報も公開しない。その結果、知識の蓄積が無い。権力者も「由らしむべし知らしむべからず」という態度だ。「民衆は無知であるままが良い、その方がコントロールしやすい」と思っている。また、ジャーナリズムも権力者に忖度するし、中には権力を強化しようとしさえするところもある。そして民衆は民衆で全体主義的傾向が強い。民衆の中で声の大きい者は「お上に逆らうのは非国民だ」と公言して憚らない。だから日本人であっても「日本人は怖い。何をするか分からない。だから余計なことを言ってはならない」という風潮がある。というのも日本人による日本人に対する同調圧力が強いからだ。枠からはみ出る者に対しては陰湿ないじめを行う。逆に外国人の方は「外国人だから分からなくても仕方ない」と免罪されていたりする。ところが、いったんタガが外れると外国人に対してその残虐性を発揮する。南京大虐殺で日本兵はその残酷性を証明したし、関東大震災後の朝鮮人虐殺でも民衆は残虐性を発揮した。戦前の朝鮮半島や満州では日本人はかなり野蛮だと知られていたし、太平洋戦争でも米兵は日本人が狂気じみていることは知られていた。当の日本人は自分たちはマトモだと思っていても、外国から見れば日本人はあまりマトモとは見られていなかった。そう、当の日本人だけが自分たちはオカシイことに気づいていなかった。恐るべきことに日本人にはヒューマニズムや人権というものがずっと存在しなかったし、今も存在しているとは言い難いのだ。日本人は卑屈であるが、同時にその裏には凄まじい残虐性・野蛮さを秘めているのだ。日本人は一皮むけばすぐにその野蛮さを発動できる。日本人は上っ面だけをずっと取り替えてきた。仏教を取り入れて上っ面だけ文明化し、脱亜入欧で西洋を取り入れて上っ面だけ文明化した。しかし、その内実は何も変わらなかった。取り入れても換骨奪胎しただけだから中身は変わらなかった。上っ面だけだから変わり身も早い。でも、上っ面だけ。中身は何も変わらない。戦後民主主義も同様だ。上っ面だけ、中身は何も変わらない。日本人の好きな人物に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を挙げるひとが多い。彼らの特徴は残虐、狡猾、陰険だ。正義や善からは程遠い。日本人という野蛮な民族を統治するのは残虐で狡く陰険な権力者が相応しいということだろう。そしておそらく、日本人のこの傾向は変わらない。ただし、日本人の経済成長は終わった。今後の日本が、明治以降や戦後高度経済成長のような、経済が繁栄することはないだろう。どのような分野でも日本が世界をリードしていくことは無いだろう。日本は世界の文明社会の進歩に対して、後からひょこひょこ追随するしかない、能のない国になる。しかも、本質を理解できないから、相変わらず上辺だけ真似する。それでも、上辺だけでも、真似事でも、少しは人間性や人権を真似ることにはなるだろう。しかし、本質を理解していないから、システムはぐちゃぐちゃで、民衆は理(ことわり)を理解できずに、ただ単に「世界ではこうだから、日本でも同じようにこうするのですよ」式に、形式の真似だけに終始することになると思う。知識を蓄積せずに歴史に学ばなかった民族の末路がそこにある。日本人とは本当におめでたい人たちだと思う。それを外部からのは愉快だ。ただし、個人としてはそういう日本からは脱却すべきだ。そんなわけで日本の少数者になるべきだ。日本の多数派は笑ってやればいい。

一般に文明社会が繁栄するためには2つの要素の相剋が重要だ。個人の自由と足枷のある権力だ。そのためには政治的には保守とリベラルのせめぎ合いが必要だ。しかし、日本にそれを望んでも無理だろう。現在、日本は様々な面で衰退のフェーズにある。結果、日本は文明社会のしんがりを務めることだろう。日本のポテンシャルを考えればそれが妥当だ。日本の国家や社会はそれで仕方あるまい。そういった日本に適応してしまった日本人もそれで仕方あるまい。ただし、はみ出す個人はそれに甘んじる必要もない。個人としては、日本の中で少数派であっても、世界では世界市民であれば良い。



2023年7月16日日曜日

NEWS2023.07


7月1日(土)

7月2日(日)
是枝裕和監督の『怪物』について感想を書いておく。映画は3つの視点で語られる。母親の視点、保利先生の視点、湊君の視点で順番に描かれていく。視点が進むにつれて物語の真相が次第に解明されていく。例えば、母親の視点では保利先生は悪い先生ではないかという印象を受ける。ところが保利先生の視点になるとそうではないことが分かってくる、という次第だ。物語の核心にあるのは、湊君と依里君の淡い同性愛関係だ。この二人の同性愛関係が秘められている、あるいは、隠されているがゆえに、それを覆う周囲の人たちとの関係に問題を生じるという構造になっている。周囲の人たちによる、同性愛に対する無理解や嫌悪感がある。主人公の一人である湊君自身も同性愛に対する戸惑いや葛藤がある。また、もうひとりの主人公の依里君は同性愛っぽいという理由で同級生の男子からいじめられている。さらに依里君は父親からも同性愛を理由に虐待を受けている。(ちなみに父親はアルコール依存症かもしれない。)母親も保利先生も同性愛については嫌悪感を抱いている風には見えないが、同性愛というものを考慮しておらず、無意識に同性愛を疎外している。(本来なら、性的マイノリティも含めた包括的な性教育が必要なんだと思う。それが無いために性的マイノリティを傷つけてしまう。)だが、この物語をさらにややこしくしている問題がある。それは学校の姿勢だ。モンスターペアレンツが学校を変な方向に変えてしまったという現状がある。いや、モンスターペアレンツという保護者の側だけでなく、学校側にも体罰教師という、保護者の信頼を失わせる問題のある教師の存在がある。結局、保護者と教師の間の信頼関係が揺らいでしまったのだと思う。そこで学校がとった対応が、事の真相を明らかにすることではなく、謝罪して保護者の怒りをやり過ごそうという、事なかれ主義的な対応だ。問題に対して真摯に向き合うのではなく、モンスターペアレンツや問題からの逃避だ。本来なら、根拠のない言いがかりなら言いがかりだとモンスターペアレンツをはねつけるべきだし、問題があるならその問題の真相を究明すべきだ。ところが、校長は学校を守るため、ひいては自身の保身のために「真実なんてどうでもいいんです」と言い切って、問題から逃げてしまう。そして、最後には保利先生をスケープゴートにして学校を守る。保利先生は何も悪いことはしていないのにだ。校長は孫との写真をわざわざ母親に見えるように置いて、自分に同情が向くようにと孫の死まで利用している。校長は卑劣だし、そうやって守る学校に何の意味があるのかと思う。問題に対しては立ち向かうべきだと私は思う。問題とは闘うべきだと思う。確かにモンスターペアレンツなる輩と闘うのは大変なエネルギーが要ると思う。しかし、間違ったことを通してしまってはダメだと思う。真実を追求すべきだと思う。確かに真実が解明されるまでには時間を要するかもしれない。すんなり事が進むものではないかもしれない。しかし、だからといって悪や恐怖に折れてしまってはいけないと思う。大変だとは思うが、その大事な一点だけは決して曲げていはいけないと思う。物語の大枠は以上のような感じだと思う。付け加えると、児童虐待の問題がある。依里君は父親から虐待を受けていた。最後の浴室のシーンで身体のアザの理由が判明する。そして、放火の理由もそこから分かる。家族は閉じがちで、社会の私たちが虐待には常に注意していないといけない。

7月5日(水)
NoHateTV Vol.227 - 差別是正措置(アファーマティヴ・アクション)の行方

7月8日(土)

アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)は、普通に考えれば特定の人種だけ優遇するというのは不公平だけど、今まで不利になっていた人種を底上げするという意図のために、不公平ではあるがあえて優遇するという施策。ある程度、格差が解消したら、これは終了する施策というのは了解されていたことと思う。問題はいつ、どのくらいを目処に終了を決定するかということ。今回はアジア系から不公平を指摘されて検討した結果、終了するというのが建前らしい。これは難しい問題だと思う。どのような指標に基づいて決めれば良いかという・・・。ただ、米国をはじめ世界で分断が生じつつある今、アファーマティブ・アクションを違憲として終了するのは、さらなる分断を煽るのではないかという危惧がある。人類社会はグローバル化の波をいくつも経てようやく格差を解消できるのかもしれない。これはまだ初期段階で、これから何度もアファーマティブ・アクションが施行されて終了しの繰り返しをやるのかもしれない。

7月12日(水)
日本人は変わらないのだと思う。テクノロジーで外側は変わっても中身が何も変わらないのだと思う。中身が変わるには物事の本質を考えなければならないのだが、日本人はそれが大変苦手なのだ。日本人の限界だ。日本の繁栄は90年代までだった。

残念な知らせ。合掌。日本社会の狭量さ、生きづらさがある。

7月19日(水)
野間さんがコロナに感染したとのこと。お大事に。

7月22日(土)
公共放送などという名称は止めて国営放送にすればいい。本来ならばスクランブル放送にして有料化すべきだが、国営放送にするならば税金から徴収すればいい。そもそも日本の今後は経済が縮小してゆくのだから、NHKも縮小すべきだ。豊かだった頃と同じ体制で続けていこうという考えが間違っている。日本は貧しい国になるのだから内容もそれに見合った質素なものにしていけばいいのさ。

7月26日(水)


7月29日(土)
日本が材料や装置については優位であることに驚き、勉強になった。でも、それって化学工業じゃないのかしらとも思う。また、80年代のスーパー301条やムーアの法則の限界の話が無かったことは残念だった。インテルの人員削減の話や熊本のTSMCの工場が前工程だけというのも勉強になった。米中摩擦で台湾がどうなるかについてもっと言及してほしかった。ラピダスが無茶な願望で動いていることもハッキリ言ってもらって良かった。エルピーダもジャパンディスプレイも撃沈したが、ラピダスも撃沈するのだろう。そして血税がドブに捨てられていく。ただ、ラピダスの場合は最初から補助金狙いじゃないかと言う気もする。最初から勝つ気はなくて、補助金で高額の退職金をもらうことを狙っているような気がする。ところで、「材料や装置で優位だから日本は大丈夫」というのは私は疑っていて、中国が必ず追いつくと思う。日本と違って中国は戦略を持っているからだ。中国は必ずコンピュータ産業全体を席巻することを狙ってくると思う。コンピュータは世界の覇権を担う核心的テクノロジーだからだ。日本に話を戻すと日本人には戦略が無い。日本人は戦略も無しに日中戦争や太平洋戦争を始めた。半導体競争でも戦略が無かった。イケイケドンドンでも運が良い間は良かったが、そうでなくなれば途端にダメになってしまう。日本は運を使い果たしてしまった。結果、日本は貧しい国にならざるをえない。自業自得。

日本というのは特殊な国だと思う。政治状況を見ても、日本は保守しかいない。自民党は保守だし、野党も大半は保守だ。リベラルはほとんど無くなってしまった。一方、西欧や米国は保守とリベラルが拮抗している。それは正しい状態だと思う。強大な国家権力に対して社会が足枷をはめようとしているからだ。工業社会のときはツリー構造の上下階層構造だった。ところが、知識社会に移行したことによって、ツリー構造を横断するネットワークが張り巡らされ始めた。上下のツリーに対して横断するネットワークだ。その結果、社会は複雑なマトリックスへと変質していった。多様な社会、ジャングルや大脳のような複雑なシステムが構築されていったのだ。単純なツリーだけでなく、縦横無尽に横断するネットワークがツリーを繋げていき、その結果、複雑な複合体のシステムになっていった。国家体制に対して社会がNPOやNGOなど様々なネットワークを介入させて複雑化させたのだ。ところが、日本には、そういった社会が無い。むしろ、人々はツリー構造を強化するように忖度して、多様性や弱者を排除していった。その結果、政治は保守ばかりになってしまった。中国などは国家権力が反対分子を叩くために全体主義を押し付けてくるが、日本の場合は末端の人々までが一緒になって全体主義へ向かっていった。草の根全体主義だ。結局、日本はツリー構造の排他的全体主義国家になってしまった。当の日本人は自由だと思っているかもしれないが、視野はかなり狭い。欧米は多様な展開をしつつあるが、日本にはそのような多様性はないからだ。日本人は世界の人々が多様な展開を見せることを不思議に眺めている。しかし、多様な展開をせずに均一的な視野の狭い思考しかしない日本人の方こそ本当は変なのだ。自然は多様性に満ちているのに、日本人だけは柵の中の家畜の羊たちのように、皆、同じ均質の日本人なのだ。不自然なのは日本人なのだが、日本人自身はそのことに気付かないのだ。しかも、経済が成長していた頃と同じやり方で経済政策を施行するものだから、縮小する日本経済にマッチせずにどんどん墓穴を掘る始末だ。気づいたときにはスッカラカンになっているだろう。日本の経済敗戦は目に見えているから、それに見合った政策に転換すべきなのに、それができない。第二次世界大戦の時と同じだ。失われた10年のときは焦燥感があった。もはや30年が過ぎている。経済敗戦を自覚すべきだ。敗戦を自覚した上で、取り戻すのではなくて、着地することを考えるべきだ。でなければ、ますます墓穴を掘って弱者ばかりがそのしわ寄せを食らうことになる。日本は失敗したのだ。先進国からは脱落した。だから、いろんなものを縮小してゆくしかない。だが、おそらく、他人を踏みつけにしてでも自分だけは裕福になろうという輩が続出してくるだろう。甘言を弄して人々を騙して、結果、格差社会に変えようとするだろう。今の日本人の程度では、騙されるひとが多いだろう。三流国の悲劇はさけられないということだ。残念だが、個々人で対応していくしかない。非効率で煩わしいことが増えるだろうけど、それが三流国の宿命だ。

2023年6月30日金曜日

NEWS2023.06


6月5日(月)
日本は呆れるほど補助金依存になっていると思う。補助金に依存するようになると市場競争で生き残ろうと努力しなくなる。そんな努力など止めて補助金に依存していれば楽に儲かるからだ。そして、日本がここまで落ちたのは技術力で負けたからだ。IT革命に対して日本は適応できなかった。大企業が幅を利かす垂直統合型で、新興企業が自由に競争・活動する水平分散型になれなかったからだ。日本の歪んだ血統主義が背景にあると思う。この問題はずっと指摘されつづけてきた。にもかかわらず、それでも変われなかった。だから、今後も変わらないだろう。したがって、日本がかつてのような繁栄を取り戻すことはない。

6月7日(水)
仲岡しゅんさんという方を初めて知った。なんとも凛々しい会見で見入ってしまった。また、野間氏がターフをようやくヘイターとして扱うようになった。さて、ではコラボはどうなんだろう?ちなみに私は松沢呉一さんと同じでコラボに対して懐疑的である。

6月14日(水)
先週に引き続き、野間氏がLGBTQを差別するフェミニストも敵認識した回だった。さらに差別がすべて同じだというのも納得だった。人種差別・ジェンダー差別・障害者差別の3つ。それにしても、日本はいかにマイノリティを差別する国であるかだ。「日本人はみんな同じ」という感覚が強い。多様性を認められない。植物に例えれば、日本人はみんな「稲」だと思っているフシがある。ところが、自然はジャングルで、樹木があれば、シダやコケやキノコもある。ところが、みんな、「稲」のように生きろと押しつける。他者がシダやコケやキノコのようなライフスタイルをとることを容認できないのだ。しかし、それは自然に反する。だから、みんな、窮屈になる。「稲」であることが合っている者と「稲」を利用する者だけに都合の良い社会になる。だが、そのようなモノカルチャーでは社会は痩せ細っていく。江戸時代の人々が身体が小型だったように、いずれ日本社会も豊かさのない貧しい社会になっていく。しかし、残念ながら、日本人にはそれが分からないのだ。文明が衰退するとき、愚かなことをやっているなと外からは分かったりする。外の人々は中の人はなぜそんな愚かな行為をしたのか、愚かさに気づかないのが不思議に思ったりするものだ。今、日本に起こっているのはそういう内部の衰退現象だ。

6月16日(金)
「LGBT理解増進法」は、実際はマジョリティが不快にならないようにLGBTが配慮するように促すという「LGBT差別増進法」になってしまった。そもそもG7から日本のLGBT差別を解消するように促されて、岸田首相は今回の法案を急いで成立させたわけだが、真逆の法案を作ってしまっている。名称だけ「理解増進」と謳っていれば、岸田首相はG7を騙せると思っているのだろうか?日本人は本当に物事の本質を理解する能力が欠けているとつくづく思う。これでは日本人とはまともに話し合いができないではないか。それにしても、もはや日本は先進国では無いのだと思う。むしろ中国やロシアと同じだ。LGBTに対して差別的な法律を定めてしまったわけだから。結局、日本は先進国には成れなかったのだと思う。明治の頃から脱亜入欧などと言って日本は文明国に成りたがっていたが、結局、理解できなかったのだ。

日本の経済が衰退するのはもはや免れない。技術力も低下する一方だろう。おそらく、日本は企業が支配する社会になる。企業も世襲が大半になっていく。日本には社会というものが存在しなくなっていく。いや、元々、日本には世間はあっても社会は希薄だったのだが、それがさらに加速する。江戸時代は能力がなくても家柄だけで貧富が決まったが、それに近くなるだろう。人々から活力が失われ、暮らしは窮屈になっていく。金持ちの横暴が当たり前になって、人権が軽視されて、ある種の身分社会が形成されていくと思う。幕末の頃はそういった風潮に嫌気がさして、下級武士は剣術に走ったり洋学で実力をつけようとしたりした。そして幕府を打倒して明治政府を樹立したが、今度はそうはならないだろう。嫌気がさしてチャンスと能力がある者は海外へ脱出するだろうからだ。だが、チャンスも能力もない者はこの日本ですり潰されていくのだろう。虐げられた者は精神を悪しき固定観念に縛られて生涯をすり減らしていくしかないのだろう。今は高度経済成長期の遺産があるから豊かに見えるが、もうじきそういった遺産も寂れていくだろう。残念だけど仕方がないと思う。明治維新で日本が東アジアの中で先駆けて繁栄したことや戦後も日本が高度経済成長を成し遂げたことは本当に奇跡的だったのだと思う。日本の時代は終わったのだ。日本は再び東アジアの貧しい国に戻る。それが本来の姿なのだろう。ただ、高度成長期を経験した日本人は幸運に恵まれていたといえる。当時の貧しい国々を押しのけて、高い位置から多くを見ることができたのだから。そういった日本人は日本から飛び出して活躍する道を模索すべきだ。日本は国としてはもはや繁栄することはないが、個人としてはまだ世界に飛び出していける者もいるはずだ。このまま不自由な日本で人生を棒に振ることはない。日本を飛び出して人類社会の本流と合流すべきだ。

6月18日(日)
雑談できないひとが増えたのは感じる。でも、私の周囲の環境はちょっと特殊だからなあ。

6月19日(月)
ちょっと前のニュースだけど、最近、石川温さんのポッドキャストで知った。半導体に力を入れても国内に半導体を使うメーカーがいなくなればダメじゃないかという話だった。確かにそうだと思う。ちなみに記事内でも指摘されているが、シャープは親会社がフォックスコンだから日本の企業ではない。いつまでシャープを国内企業だと言うつもりだろう。

6月21日(水)
ツイッターでちらほら見かけた森奈津子を初めて映像で見た。また、維新の高石康なる人物を初めて知った。

6月24日(土)



今週は日本がとても差別的な国だというのが分かるニュースが多かった。海外の白人至上主義者が日本を理想というのも分かる。日本人の差別意識は無意識に刷り込まれているので、「日本人が差別的だ」と言われると心外だと怒り出す。ところが、実際はとても差別的な国民だ。例えば白人と黒人のトイレを分けるのは差別だと分かるかもしれないが、シス女性とトランス女性のトイレを分けるのは差別だとは気が付かないのだ。在日韓国朝鮮人が公職に就くことが無いのも日本人は差別だとは考えない。それで当然だと思っている。だからナイキのコマーシャルで差別を指摘されると憤慨したりする。障害者の強制赴任も同様だ。障害者には生殖の権利がないと思っている。日本人は自分たちが気付かないだけで、実際はとても差別的な人たちなのだ。

維新が支持を広げている。今の日本に相応しい。日本の劣化が著しいが、それに相応しい政党だ。戦前、多くの国民が軍国主義を後押ししたが、結局、日本人は戦前と同じで変わらない。

繰り返しになるが、心ある者は日本から脱却することだ。劣化する日本に固執しても時間と労力のムダになる。それよりは外部に足場を作ることだ。もう1つはコミュニティを作ることだ。このコミュニティは外部に脱却のための集合知を形成するのにも役立つだろうし、内部に対しては日本の劣化に少しでもブレーキをかけるのに役立つだろう。ただ、劣化を推める保守たちもコミュニティで対抗するだろうから、この内部への闘争は無意味になることも多いだろう。そして、何より大多数の日本人自身が無思想で損得勘定で動くから、変わり身が早い。それはプラスに作用する場合もあれば、マイナスに作用する場合もある。だが、根本は物事の本質を見極める能力が欠如しており、信念に欠け、目先の損得勘定で行動するから所詮は利己的な烏合の衆に過ぎない。この国民性はどうやったって変わらないだろう。日本人は人類の文明社会の歩む道から外れた島国の特殊な独特の人たちになるだろう。したがって、冒頭に戻るが、心ある者は日本から脱却することが一番の処方箋になる。

6月28日(水)