2023年7月16日日曜日

NEWS2023.07


7月1日(土)

7月2日(日)
是枝裕和監督の『怪物』について感想を書いておく。映画は3つの視点で語られる。母親の視点、保利先生の視点、湊君の視点で順番に描かれていく。視点が進むにつれて物語の真相が次第に解明されていく。例えば、母親の視点では保利先生は悪い先生ではないかという印象を受ける。ところが保利先生の視点になるとそうではないことが分かってくる、という次第だ。物語の核心にあるのは、湊君と依里君の淡い同性愛関係だ。この二人の同性愛関係が秘められている、あるいは、隠されているがゆえに、それを覆う周囲の人たちとの関係に問題を生じるという構造になっている。周囲の人たちによる、同性愛に対する無理解や嫌悪感がある。主人公の一人である湊君自身も同性愛に対する戸惑いや葛藤がある。また、もうひとりの主人公の依里君は同性愛っぽいという理由で同級生の男子からいじめられている。さらに依里君は父親からも同性愛を理由に虐待を受けている。(ちなみに父親はアルコール依存症かもしれない。)母親も保利先生も同性愛については嫌悪感を抱いている風には見えないが、同性愛というものを考慮しておらず、無意識に同性愛を疎外している。(本来なら、性的マイノリティも含めた包括的な性教育が必要なんだと思う。それが無いために性的マイノリティを傷つけてしまう。)だが、この物語をさらにややこしくしている問題がある。それは学校の姿勢だ。モンスターペアレンツが学校を変な方向に変えてしまったという現状がある。いや、モンスターペアレンツという保護者の側だけでなく、学校側にも体罰教師という、保護者の信頼を失わせる問題のある教師の存在がある。結局、保護者と教師の間の信頼関係が揺らいでしまったのだと思う。そこで学校がとった対応が、事の真相を明らかにすることではなく、謝罪して保護者の怒りをやり過ごそうという、事なかれ主義的な対応だ。問題に対して真摯に向き合うのではなく、モンスターペアレンツや問題からの逃避だ。本来なら、根拠のない言いがかりなら言いがかりだとモンスターペアレンツをはねつけるべきだし、問題があるならその問題の真相を究明すべきだ。ところが、校長は学校を守るため、ひいては自身の保身のために「真実なんてどうでもいいんです」と言い切って、問題から逃げてしまう。そして、最後には保利先生をスケープゴートにして学校を守る。保利先生は何も悪いことはしていないのにだ。校長は孫との写真をわざわざ母親に見えるように置いて、自分に同情が向くようにと孫の死まで利用している。校長は卑劣だし、そうやって守る学校に何の意味があるのかと思う。問題に対しては立ち向かうべきだと私は思う。問題とは闘うべきだと思う。確かにモンスターペアレンツなる輩と闘うのは大変なエネルギーが要ると思う。しかし、間違ったことを通してしまってはダメだと思う。真実を追求すべきだと思う。確かに真実が解明されるまでには時間を要するかもしれない。すんなり事が進むものではないかもしれない。しかし、だからといって悪や恐怖に折れてしまってはいけないと思う。大変だとは思うが、その大事な一点だけは決して曲げていはいけないと思う。物語の大枠は以上のような感じだと思う。付け加えると、児童虐待の問題がある。依里君は父親から虐待を受けていた。最後の浴室のシーンで身体のアザの理由が判明する。そして、放火の理由もそこから分かる。家族は閉じがちで、社会の私たちが虐待には常に注意していないといけない。

7月5日(水)
NoHateTV Vol.227 - 差別是正措置(アファーマティヴ・アクション)の行方

7月8日(土)

アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)は、普通に考えれば特定の人種だけ優遇するというのは不公平だけど、今まで不利になっていた人種を底上げするという意図のために、不公平ではあるがあえて優遇するという施策。ある程度、格差が解消したら、これは終了する施策というのは了解されていたことと思う。問題はいつ、どのくらいを目処に終了を決定するかということ。今回はアジア系から不公平を指摘されて検討した結果、終了するというのが建前らしい。これは難しい問題だと思う。どのような指標に基づいて決めれば良いかという・・・。ただ、米国をはじめ世界で分断が生じつつある今、アファーマティブ・アクションを違憲として終了するのは、さらなる分断を煽るのではないかという危惧がある。人類社会はグローバル化の波をいくつも経てようやく格差を解消できるのかもしれない。これはまだ初期段階で、これから何度もアファーマティブ・アクションが施行されて終了しの繰り返しをやるのかもしれない。

7月12日(水)
日本人は変わらないのだと思う。テクノロジーで外側は変わっても中身が何も変わらないのだと思う。中身が変わるには物事の本質を考えなければならないのだが、日本人はそれが大変苦手なのだ。日本人の限界だ。日本の繁栄は90年代までだった。

残念な知らせ。合掌。日本社会の狭量さ、生きづらさがある。

7月19日(水)
野間さんがコロナに感染したとのこと。お大事に。

7月22日(土)
公共放送などという名称は止めて国営放送にすればいい。本来ならばスクランブル放送にして有料化すべきだが、国営放送にするならば税金から徴収すればいい。そもそも日本の今後は経済が縮小してゆくのだから、NHKも縮小すべきだ。豊かだった頃と同じ体制で続けていこうという考えが間違っている。日本は貧しい国になるのだから内容もそれに見合った質素なものにしていけばいいのさ。

7月26日(水)


7月29日(土)
日本が材料や装置については優位であることに驚き、勉強になった。でも、それって化学工業じゃないのかしらとも思う。また、80年代のスーパー301条やムーアの法則の限界の話が無かったことは残念だった。インテルの人員削減の話や熊本のTSMCの工場が前工程だけというのも勉強になった。米中摩擦で台湾がどうなるかについてもっと言及してほしかった。ラピダスが無茶な願望で動いていることもハッキリ言ってもらって良かった。エルピーダもジャパンディスプレイも撃沈したが、ラピダスも撃沈するのだろう。そして血税がドブに捨てられていく。ただ、ラピダスの場合は最初から補助金狙いじゃないかと言う気もする。最初から勝つ気はなくて、補助金で高額の退職金をもらうことを狙っているような気がする。ところで、「材料や装置で優位だから日本は大丈夫」というのは私は疑っていて、中国が必ず追いつくと思う。日本と違って中国は戦略を持っているからだ。中国は必ずコンピュータ産業全体を席巻することを狙ってくると思う。コンピュータは世界の覇権を担う核心的テクノロジーだからだ。日本に話を戻すと日本人には戦略が無い。日本人は戦略も無しに日中戦争や太平洋戦争を始めた。半導体競争でも戦略が無かった。イケイケドンドンでも運が良い間は良かったが、そうでなくなれば途端にダメになってしまう。日本は運を使い果たしてしまった。結果、日本は貧しい国にならざるをえない。自業自得。

日本というのは特殊な国だと思う。政治状況を見ても、日本は保守しかいない。自民党は保守だし、野党も大半は保守だ。リベラルはほとんど無くなってしまった。一方、西欧や米国は保守とリベラルが拮抗している。それは正しい状態だと思う。強大な国家権力に対して社会が足枷をはめようとしているからだ。工業社会のときはツリー構造の上下階層構造だった。ところが、知識社会に移行したことによって、ツリー構造を横断するネットワークが張り巡らされ始めた。上下のツリーに対して横断するネットワークだ。その結果、社会は複雑なマトリックスへと変質していった。多様な社会、ジャングルや大脳のような複雑なシステムが構築されていったのだ。単純なツリーだけでなく、縦横無尽に横断するネットワークがツリーを繋げていき、その結果、複雑な複合体のシステムになっていった。国家体制に対して社会がNPOやNGOなど様々なネットワークを介入させて複雑化させたのだ。ところが、日本には、そういった社会が無い。むしろ、人々はツリー構造を強化するように忖度して、多様性や弱者を排除していった。その結果、政治は保守ばかりになってしまった。中国などは国家権力が反対分子を叩くために全体主義を押し付けてくるが、日本の場合は末端の人々までが一緒になって全体主義へ向かっていった。草の根全体主義だ。結局、日本はツリー構造の排他的全体主義国家になってしまった。当の日本人は自由だと思っているかもしれないが、視野はかなり狭い。欧米は多様な展開をしつつあるが、日本にはそのような多様性はないからだ。日本人は世界の人々が多様な展開を見せることを不思議に眺めている。しかし、多様な展開をせずに均一的な視野の狭い思考しかしない日本人の方こそ本当は変なのだ。自然は多様性に満ちているのに、日本人だけは柵の中の家畜の羊たちのように、皆、同じ均質の日本人なのだ。不自然なのは日本人なのだが、日本人自身はそのことに気付かないのだ。しかも、経済が成長していた頃と同じやり方で経済政策を施行するものだから、縮小する日本経済にマッチせずにどんどん墓穴を掘る始末だ。気づいたときにはスッカラカンになっているだろう。日本の経済敗戦は目に見えているから、それに見合った政策に転換すべきなのに、それができない。第二次世界大戦の時と同じだ。失われた10年のときは焦燥感があった。もはや30年が過ぎている。経済敗戦を自覚すべきだ。敗戦を自覚した上で、取り戻すのではなくて、着地することを考えるべきだ。でなければ、ますます墓穴を掘って弱者ばかりがそのしわ寄せを食らうことになる。日本は失敗したのだ。先進国からは脱落した。だから、いろんなものを縮小してゆくしかない。だが、おそらく、他人を踏みつけにしてでも自分だけは裕福になろうという輩が続出してくるだろう。甘言を弄して人々を騙して、結果、格差社会に変えようとするだろう。今の日本人の程度では、騙されるひとが多いだろう。三流国の悲劇はさけられないということだ。残念だが、個々人で対応していくしかない。非効率で煩わしいことが増えるだろうけど、それが三流国の宿命だ。