2024年6月23日日曜日

NEWS2024.06

 
6月3日(月)
シェインバウム氏はロペス・オブラドール大統領の後継者とのこと。元々はエネルギー工学の科学者とのこと。なお、オブラドール大統領は中道左派らしい。シェインバウム氏が当選した理由のひとつは貧困対策が支持されたらしい。 しかし、同時に行われた地方選挙では多数の候補者が殺害されたとあって驚く。どうもメキシコの麻薬カルテルが絡んでいるらしい。そういえばメキシコの麻薬戦争と言われた麻薬カルテルとの戦いはどうなったのだろう?

本当だろうか?ただ、化石燃料は時代的にどうだろう?いずれにしても、もっと確かな情報がなければ何とも言えない気がする。

峰不二子とバカボンのママの声のひと。他には一休さんの母上様。合掌。
 
6月4日(火)
隣国・韓国の政治・社会を知ることができて大変勉強になる。台湾も知りたいなあ。
 
6月6日(木)
驚いた。ビデオニュースで沖縄の米軍基地から大量に廃棄された話があって、沖縄の海藻を食べるときにちょっと気になっていたのだが、まさか本土でもこれほど汚染があるとは思わなかった。
 
「なんだかなあ」といった感想。
 


6月7日(金)
『オネアミスの翼』や『エヴァンゲリオン』を楽しく見させてもらった。感謝。

6月8日(土)
欧州の要人が狙われる事件が続いた。移民政策と関係があるのだろうか?

日本国内の動画配信サイトとしては、今ではYouTubeにその座を奪われたニコニコ動画だが、サイバー攻撃されたりすることに少し驚く。ニコニコ動画のカルチャーは感心しないけど、とはいえ、国内のIT企業には頑張ってもらいたいという気も少しある。mixiとかニコ動とかしかもはや残っていない気がする。あ、Amebaとかもあるか?個人的には、国内のITで見ているのははてなブックマークくらいかもしれない。

ちょうど知りたかったPFAS汚染の詳しい解説!ありがたい!さすがビデオニュースだ!

リベラル派の年配層が見るデモクラシータイムス、リベラル派の若年層が見るポリタスTV。という位置づけで良いのだろうか?

自民党の裏金問題はこれで一件落着になるんだろうか?また、小池百合子知事はまだ出馬表明していないが、出馬しないんだろうか?ところで、なんだろう?日本人が共同体を失いつつあるような感じがする。日本人の多くは利害関係だけで所属団体と繋がっているのだが、利害関係が希薄になると所属団体に味方する理由も無くなる。一方、家族という基盤も脆弱になりつつあるように思う。日本人には、家族や共同体の再建が必要なのかもしれない。再建というよりは、もっと新生に近いものが良い気がするなあ。
 
 
6月10日(月)
驚いた。欧州では右派が伸長しているのか!原因は移民に対する不満だろうか? それとも他にあるのだろうか?誰か欧州で右派が躍進した理由を説明してほしい。
 
ふむ。 それにしても極右なんかに政治を任せて大丈夫なのか?いや、恐ろしいと思うのだが。
 
6月12日(水)
派手さよりもツッコまれないような用心深い会見という感じ。 ともかく、東京は石原慎太郎を知事に選ぶような土地柄だからなあ。
 
6月13日(木)
スマホキャリアによる経済圏の話。ある程度統合されていくんだろうなあ。ある程度限定された方が便利だと思う。後発だけど銀行を持ってる楽天は便利だと思う。Amazonがどっかのキャリアと手を組んだら強いかも。私が知らないだけで、もう組んでるんだろうか?私自身はポイントとか考えるだけ時間や労力がもったいないと思う方なので、詳しくは知らないのだった。
 
安田浩一さんの新刊が出るらしい。『地震と虐殺 1923-2024』(¥3,960)。
 


6月17日(月)
「本土が保守のとき沖縄はリベラル、本土がリベラルのとき沖縄は保守」というパターンが多い。ただし、必ずしもいつもそうとは限らないけど。どちらかというと沖縄は、ある程度、左右にスイングする。 何年か保守に揺れたかと思うと、今度はリベラルに揺れ、また何年かすると保守に揺れる。で、本土は自民党がほとんど政権を握っているから、沖縄で保守が優勢のときに話がトントン拍子で進む。逆に沖縄がリベラルのときは遅々として進まない。ただ一度だけ、鳩山由紀夫が首相のときに変わる可能性があった。しかし、外務省が首相を裏切って潰された。あのとき、もっと民意が鳩山首相の後押しをしていれば変わったかもしれない。だが、リベラル系のメディアはほとんど鳩山首相の味方をしなかったと思う。結局、鳩山首相だけが孤軍奮闘しただけに終わった。鳩山由紀夫はもっと高く評価されるべきで、責められるべきは彼を支えなかった周囲(リベラル陣営)だと思う。本気で沖縄から米軍基地を撤退させたいなら、この教訓を忘れてはいけない。
 
6月18日(火)
 



6月19日(水)
 
へえ!

6月20日(木)
セクサロイドの話。着実にセクサロイド開発が進んでいる。

東京都知事選の件はいくつか論点がある。まず猥褻画像の件はよくある事案だと思う。私の地元でも何度かあった。苦情があって、その都度、貼り直ししてたと思う。(警察が介入することにやや問題があると指摘していたのはデモクラシータイムスに出演していた志田陽子さんだった。)NHK党の件は迷惑行為としてYouTubeのアカウントを凍結してもらうようにGoogleに要請してはどうか?あるいは同様に広告剥がしを試みてはどうかと思う。最後に、泡沫候補ではあるが差別主義者・陰謀論者が多い件。そもそも東京都民にそういう類の人たちが多いのだと思う。関西のひとが東京に行くと感じることが多いと思うけど、東京なのに田舎っぽいなと感じるのと通底しているのだと思う。ただし、比較した場合の話であって、東京に限らず日本は全体的にそういう傾向(←差別主義者が多い)が強いと思う。

それから、NHK党の立花孝志だが、昔はNHKの横暴な受信料システムを批判していたことは一理あると思っていた。実際、NHKの課金システムは今でも酷いと思う。最近はネットに接続しているだけでも、スマホを持っているだけでも課金しようと画策している。そうではなくて、NHKはスクランブル放送に変えて真っ当な課金システムにするべきだと思う。で、立花孝志に話を戻すと今回の掲示板を利用した商売はさすがに酷いと思う。こういうことをする人物は信用できないし、選挙で当選させるべきではない。今回の件で彼は完全に信用を失ったと思う。
 
6月22日(土)
Googleレンズみたいな、もっと進化したAIでPDFを読み込ませて集計するという方法が今後は可能かもしれない。けれど、そもそもちゃんとデータ化して公開すべき話だ。
 
6月23日(日)
この時点で小池百合子が先行してしまうんだなあ。現職有利とは言うけれど、これだけ批判されているのに。でも、それは私のフィルターを通した目であって、多くの有権者はそうではないんだろうなあ。いずれにしても小池百合子が先行するというのがいかにも東京らしい。
 
デモクラシータイムスで若い出演者が多い番組。若者がいるとちょっと安心する。というのもデモクラシータイムスの高齢の出演者たちは先がないから。でも、若者が出演していると後継者が少しでも育っていくかもしれないと期待できるから。
 
6月24日(月)
アニメはディズニーだけじゃない。日本アニメも世界の人々から愛されている。こういう作品が他国で作られるのは嬉しいね。 もちろん、日本アニメの影響だけということではないだろうけど。
 
6月25日(火)
米軍基地がある限り、このような事件は何度でも起こる。それにしても、外務省はなぜ連絡しなかったのだろう?沖縄を軽んじているのか? 玉城知事が辺野古で政府と対立しているから知らせなかったのか?それはいくらなんでもオカシイだろう。環境省の職員が水俣病患者のマイクを切った話と似ている。ベーシックな部分で日本の役人の感覚がおかしくなってると思う。
 
驚く。高い地位にある人がよくもこんなことができるものだと驚く。さらに、もっとも襟を正さねばならない検察が身内の不祥事に対して隠そうとする態度に驚く。
 
中年サラリーマン(おじさん)がよく飲んでいる印象があった栄養ドリンク。それがエナジードリンクにその座を奪われているらしい。時代の移り変わりを感じる。
 
「荻上チキのSession」で安田浩一さんの新刊『地震と虐殺 1923-2024』 (中央公論新社)を紹介した回。
 
6月27日(木)
この判決はうれしい驚きだった。安倍政権下における政府vs検察の闘いを裏付けるものだからだ。政府は検察庁長官人事を政府の手中に収めようと検察庁法改正まで行おうとした。いったい三権分立を何だと思っているのか。いや、権力というのもそもそもそうやって腐敗していくものだからこそ、三権分立して互いに牽制させるべきなのかもしれない。いずれにしても、安倍政権というのは酷い政権だったということだ。
 
黒川検事定年延長問題で良い判決が出た反面、今度は人質司法がついに訴えられた。中世の刑事司法とまで言われる日本の人質司法。いい加減、改められてほしい。



6月29日(土)
ずっと不安視されていたバイデン大統領の高齢化がついに討論会で露呈した。いや、もう随分前から、みんな、分かっていはずだ。とにかく、新しい候補者を擁立するしかない。


今月読んだ本

『トランスジェンダー問題―議論は正義のために』:ショーン・フェイ (著), 高井 ゆと里 (翻訳), 清水 晶子 (その他)(2022.10刊行)を読了。著者は英国人で英国のトランスジェンダー事情を踏まえてトランスジェンダーが直面する問題が書かれている。巻末に高井ゆと里氏による各章の解題があるので頭を整理するのに役立った。

 
まとめ
今月は私にとっては東京都知事選が主要なニュースだった。郷原信郎さんが小池百合子の落選運動をしていて興味深かった。デモクラシータイムスでも東京の再開発が小池百合子と利権にいかに関わっているか報じていた。しかし、それでも小池百合子が選挙では先行しているらしい。一方、石丸伸二がここにきて伸びているらしい。蓮舫女史の票をどれくらい食ってしまうかが鍵かもしれない。先月はつばさの党が酷かったが、今月はNHK党が酷かった。日本経済が低迷して人々の暮らしに余裕が無くなっているということかもしれない。

欧州では極右やポピュリズムが伸長しているらしい。移民問題や経済政策が背景にあるようだ。米国はトランプが相変わらずだが、バイデンでは勝てないというのが判明した。また、中南米は揺り戻しで左派やリベラルが優位な印象があるが、実際のところ全体ではどうかは知らない。
 
日本では沖縄で自公が勝ってしまった。本土と沖縄はどうも捻れる。しかし、裏金問題が政治資金規正法改正でいったん落ち着いてしまえば、再び自民が息を吹き返すかもしれない。今度の都知事選がその試金石になるかもしれない。結局、自民が裏金問題で支持率を下げただけで、リベラルが支持率を上げたわけではないからだ。今回は維新が大阪万博で行き詰まっているので無党派層が支持政党無しになっただけではないかと思う。そもそも維新か立憲かで迷うという時点で政治を見る感覚がオカシイと思うのだが、それが無党派層というフワフワした存在なのだろう。 ともかく、上脇教授の活躍のおかげで安倍政権時代の腐敗が少しだが表沙汰になった。しかし、自民の失点がこれ以上なければ、リベラルもこれ以上伸長することはないだろう。日本のリベラルの限界はこの辺りだと思う。


2024年5月31日金曜日

NEWS2024.05

 
5月2日(木)
現在の日本保守党などの起源が愛知県知事リコール署名偽造事件にあるのではないかとう指摘は「なるほど」となって面白かった。
 
5月3日(金)
「円安が進むのに対して日銀が介入して戻す」 という動き。さて、どうなるか。
 
ポストモダンについて
現代はモダンが終わり、ポストモダンに入った。 90年代に冷戦が終わり、続いてIT革命によって世界が繋がり始めた。モダンの時代は人々の生き方は画一的だったが、ポストモダンになって多様になった。ただし、経済システムはほぼ画一化され、マネーが支配するようになった。そのため人々は確実にマネーに縛られるようになった。また、モダンの可能性はモダンの時代にほぼ出尽くしている。ポストモダンはその組み換えの試行錯誤に過ぎない。AIの登場はそれを加速する。21世紀の四半世紀で大きく変わったのはセクシャリティだ。いわゆるLGBTQ+が認知されるようになってきた。それに対する反発も同時に吹き上がった。また、ネットの普及で人々の性に関する知識も増大して大きく変わった。振り返れば、21世紀前半は性革命の時代だといえる。さて、モダンだった頃、思考が固定観念に縛られて硬直してしまうのではないかと懸念されたため、脱構築によっ柔軟な思考を保持したいものだと思ったものだったが、杞憂だったのかもしれない。歴史修正主義やフェイクニュースなど虚偽情報にまみれて、逆にファクト(真正性)が問われるほどになってしまった。経済はモノカルチャーから多様な経済を形成するようになって、人々は自分に合った道を選択するのが適するようになった。そう、ポストモダンで大切なのは「自分に合った道」を各人が見つけることが重要になった。そして、ポストモダンはジャングルなのだ。ジャングルのそれぞれの場所で多様な生物が展開する。しかも時々刻々と移り変わる。玉虫色で捉えがたい。そういった世界では全体を捉えても多くの個々人にはあまり意味がない。個人にとって、ある特定の場所でその環境と自分のスペックで生き残れればいいだけなので、全体の把握は意味が無い。仮に鳥瞰できたとしても、森の奥深くのごく限られたスポットで繰り広げられるバトルにとって、鳥瞰は意味がない。しかも、全体は時々刻々とカオスに変化する。大事なのは個人がそこで生き残れるかどうかだけなのだ。(例えば、すべての音楽を聴くのに1万年かかるとしたら、一個人が音楽の全体を把握することはできないのと似ている。)こう考えると、民主主義の政治家はなかなか難しい。政治家はデータサイエンティストの素養が要求されるかもしれない。ところで、フィリップ・K・ディックの小説に『ユービック』という作品がある。そこでは捕食的世界が繰り返される。生きている間は超能力者と反超能力者で闘い、半生になったらなったで捕食者とそれに抗うレジスタンスという具合に闘いが繰り返される。おそらく、ポストモダンのジャングルでも同じようにそれぞれのフィールドでバトルが繰り返されるのだろう。ヘイターとカウンター、フェミニストと保守、ターフとトランスジェンダーなどなど。また、批評というものがかつてほどの意味は無くなるのも仕方ないことだ。全体と部分の乖離が大きいからだ。限られた部分でしか生きていない個人にとって全体の把握はほとんど意味がない。しかし、私たちには知性がある。一個人の人間という能力的な限界はあるが、「なぜ?」と問う知性が少しばかりはある。だから、知的好奇心を満たすためにも歴史を学ぶことに意味はあると思う。もちろん、それは歴史の一面に過ぎないけれども、全く無いよりはマシだろう。さて、話を戻そう。時代はポストモダンになった。IT革命、マネー支配、性革命が展開した。世界は多様なジャングルになった。ジャングルで生きる人々にとって、生き残るために大事なのは自分に合った道を見つけることになった。一方、ジャングル全体を把握することは困難になったし、以前よりも全体を把握することの意味は少なくなった。ポストモダンがどこに帰結するのかは分からない。とてつもない権力への意志を持った者が現れて独裁国家・全体主義国家を作るかもしれない。あるいは、AIが人々を最適に管理するようになるかもしれない。いずれにしても、ポストモダンのジャングルは時々刻々と玉虫色に変化して一個人には捉えどころがない。もしかしたら狩猟採集時代のように人々はまばらに点在して安定するかもしれない。(少子化はその傾向かもしれない。)あるいは、古代マヤ文明のように集住して生贄を要求するような残忍な社会を形成することもあるかもしれない。ポストモダン、生き残るために自分に合った道を四苦八苦しながら模索しつつ、一方で生きることの意味をあまり見出だせないという、いつもと同じ、人間の限界にぶち当たるかもしれない。
 
5月9日(木)

5月11日(土)
なかなかためになる話。

5月16日(木)
労働力としては外国人を必要とするが、移民となって定住することは何としても避けたいというのが、日本の保守の考えなんだろう。なにかとイチャモンをつけて定住させない腹なんだろう。米国の共和党が南部で黒人に投票させないようにいろいろとトラップを仕掛けるのに似ている。

5月17日(金)
つばさの党と比べると維新や日本保守党の方がまだマシに思えてしまうという錯覚を起こした罪は重い。

Googleは本当に変わっちゃったんだなあ。官僚的になってしまった。残念。

5月18日(土)
いろいろと面白い話が聞けた。知り合いの話が面白かった。

個人の生存戦略について
日本がいろいろと劣化してダメになっていく中で個人が生き残るには、スモールでシンプルでスマートでソフトであることかもしれない。勝手な抽象的なイメージだが(笑)。20世紀の終わり頃にこれからは重厚長大に対して軽薄短小と言われたが、さらにそれを推し進めたものという感じ。ただし、足場として20世紀の遺産が必要かもしれないが。

5月20日(月)



5月22日(水)


5月23日(木)
朝日新聞の件。野沢直子や藤田直央のコメントには大変驚いた。タレントの野沢直子はまだしも、藤田直央は朝日新聞の編集委員ではないか。新聞社の人間がそんなことを言うのはさすがに自己否定にも程がある。常識が無い。というか常識よりももっと根本的な認識。うむ、驚いた。

5月25日(土)
ギャンブル依存症の話。ネット時代になって大きく変わったとのこと。大変勉強になった。

5月26日(日)
Googleでこんなミスが起こったことに驚く。最近のGoogleはどんどんイメージが悪くなっている。逆にMicrosoftのイメージがアップしつつある。

5月27日(月)
実をいうと蓮舫さんが参議院議員を辞めることの方がショックだった。それとニュース映像を見てちょっと歳をとったなあと思った。確か東京都はちょっとした国家並みの大きさだが、個人的にはあまり興味が無い。
 
5月30日(木)
埼玉県警の話に驚く。もしかして埼玉県警の幹部がネトウヨを擁護あるいは支援までしているのか?そういえば、自衛官が靖国参拝した件があったが、警察や自衛隊の一部にネトウヨ化が進行しているのかもしれない。
 
 5月31日(金)
 
 
今月は先月末の衆院選補選で自民全敗・立憲全勝で、リベラル派は喜び浮かれた一ヶ月だった。しかし、私が思うに日本の有権者がそんなに簡単にリベラル派になったとは思えない。単に無党派層になっただけではないかと思う。そして、その多くは潜在的な保守ではないかと思う。まあ、地道に若者世代のリベラル派を増やす努力をして欲しいと思う。そういえば、政治資金規正法の改正案は結局どうなるんだろう?

2024年4月28日日曜日

NEWS2024.04


4月2日(火)


4月4日(木)


4月11日(木)


4月16日(火)


4月18日(木)


4月19日(金)

イランvsイスラエルの件
イランとイスラエルの応酬の件。私はイスラエルが悪いと思う。そもそもガザに対するイスラエルの虐殺は酷い。周囲がいくらい言ってもイスラエルが聞く耳を持たないのは十分に予測がつく。だから、軍事介入が必要だが西側諸国はやらない。イランが裏からそれをやった。それに対するイスラエルの大使館攻撃が発端だ、と私は思っている。実際はもっと複雑なのかもしれないが。ただし、これ以上戦火が拡大しないことは願っている。そしてイスラエルがガザから手を引くことを願っている。

日銀の植田総裁が2023年4月に就任から1年が経過。じわじわと目立たないように政策を変えてきたのだろう。世界は変化するから果たして上手く行くかどうか。

自民党裏金問題の件
自民党が裏金問題で苦しんでいるらしい。しかし、それでリベラル支持が増えるかというとそれは疑わしいと思っている。また、維新なんかは犯罪が多くて相当にヤバい政党だと思うのだが、どうも世間ではそうでもないらしい。米国のトランプ、イスラエルのネタニヤフなど世界でもヤバいひとが権力を握ったりする。ロシアのプーチンや中国の習近平もいたな。

イーロン・マスクがTwitterを買収してからTwitterをだんだん更新しなくなってしまった。更新しないだけじゃなくて閲覧することもどんどん減っていった。たぶん、このまま行くと見なくなっていくと思う。SNSやブログを更新するのが年齢的・体力的にどんどんしんどくなっている。
 
Blogの時代について
Blogが全盛だった時代は書評が大変楽しかった。しかし、YouTubeの時代になってBlogは廃れてしまった。また、マネタイズのために面白いBlogはnoteなど有料サイトに移っていってしまった。Blogの広告収入だけでペイするのは難しいらしい。無料で多くのひとが見られるBlogはオープンソースのような楽しさがあった。ただ、Blogは完全に無くなってしまったわけではなくて、細々と続いているとは思う。考えてみれば、当時は更新頻度が高くてすごかったと思う。個人差はあると思うけれど、一般に読書家が一ヶ月に読める本の冊数は限られていると思う。それなのに有名Blogでは書評が毎日更新されるのは異常だと思う。読書という趣味は地味で地道な趣味なんだが、でも大変楽しい。毎日、発見があったりする。それを読書ノートに書いて今日も一日収穫があったなんて思ったりする。書評はそういった趣味がマネタイズされて儲かるならばなんて楽しいことだろうと思ったものだ。でも、まあ、それは豊かだった時代なら可能だったかもしれない。今はもうそれほど豊かな時代でもないだろう。もちろん、才能があればやっていけるひともいるだろう。まあ、でも、それよりも趣味として読書を単純に楽しむだけで良いのではないかと思う。無理に情報発信しなくても知的欲求を満たせればそれで良いではないかと思う。もちろん、言いたいことがあればBlogでもSNSでもどんどん情報発信すればいい。でも、そうじゃなくてマネタイズのために無理に情報発信するのは自分には合わないと思う。もちろん情報発信にはそれなりに時間や労力などコストがかかっているから有料になるのも仕方ないとも思う。何が言いたかったのか、だんだん分からなくなってきた。ともかく、読書家にとってBlog時代は楽しい時代だった。そういえば、読書サロンなんかにも憧れがあるけれど、これが案外曲者でうまく行かないことが多いのだろうと思う。核になる部分が学生時代からの付き合いがないと難しい気がする。ただ、読書趣味の良いところは一人で十分に楽しいところだ。歳をとってきて、それで十分という思いが強くなってきた。
 
Netflix『ザ・ディプロマット』と『三体』
Netflixの『ザ・ディプロマット』を、今、見返してみると面白い。ちなみに『三体』も配信が始まっている。ハードSFが好きなひとには面白いかも。

『太陽の牙ダグラム』配信再開の件
YouTubeのサンライズチャンネルで『太陽の牙ダグラム』が配信再開した。地球の植民惑星デロイアが地球から独立する話で大変面白い。子どものときはチャンネル争いに負けて見られなくなってしまった。最初の十数話くらい見たのだと思うが、当時はストーリーが暗いという印象が強かった。また、ガンダムを見た後だったのでロボットの戦闘に期待していたのだが、戦闘シーンがあまり面白く感じられなかった。今、見てみると政治的な内容が多くて、そこが大変面白い。アメリカ大陸各国の独立の歴史などを知ってから見ると、多分、面白く感じられると思う。当時、劇場版が出たときだったか、明るいダグラムだったか明るいイデオンだったか、そういうキャッチコピーとスピンオフ的な作品があって、逆に言うと本編は暗いという印象が強かったのだと思う。私は社会人になってからレンタルビデオでボトムズを見て面白いと思ったし、Zガンダムも放映時は途中で見なくなってしまったが、Netflixで見返すことができて、ようやく子どもの頃の宿題が済んだ気がした。ダグラムを見終えたら、もういいかなという気がしているが、劇場版『ドキュメンタリー太陽の牙ダグラム』を見たのと最終話あたりをレンタルで見たので、もういいかという気もしている。とりあえず、『太陽の牙ダグラム』は面白いので見てみて欲しい。

4月25日(木)


4月27日(土)
円安が進んでいるらしい。

中沢新一さんについて
中沢新一さんの新著『精神の考古学』が出版されていた。実は買おうか、買うまいか迷っている。この新刊が出ることは細野晴臣さんのラジオ『Daisy Holiday! 』で聴いて知っていた。ちなみに装丁はブライアン・イーノだそうである。また、レヴィ=ストロースに関する本も出す予定だと言っていた。検索してみたら『構造の奥 レヴィ=ストロース論』というタイトルで出版されていた。さて、実は私は中沢新一さんの著作のファンで中沢さんの著書はほとんど買っていた。初めて買ったのは『虹の理論』だったと思う。そのときは浅田彰さんと島田雅彦さんの対談本『天使が通る』を一緒に買ったと思う。で、『虹の理論』の感想はというと「???」だった。往復書簡のスタイルで書かれた文章はオシャレだったが、バリ島の修行の話はとても謎めいていた。ちなみに『天使が通る』の中で浅田彰さんが中沢新一さんに触れる箇所があって、確かダンテの『神曲』の解釈についてだったと思う。そもそも、この二人を買う動機となったのは数学者の森毅さんのエッセイで触れられていた文章を読んだのきっかけだったと思う。それで『虹の理論』はよく分からなかったが、とりあえず、もう少し読んでみようと思って買ったのが『イコノソフィア』だったと思う。この本を読んで私の脳の回路が開かれたような感覚を味わった。彼の文章はなめらかで優美な曲線を描くのだけれど、思考は次々と小気味よくジャンプしていく感じだった。それで面白くなって立て続けに彼の著作を買って読んだと思う。『雪片曲線論』や『チベットのモーツァルト』を買った。『野ウサギの走り』は書店に無くて少し後になってから入手できたと思う。『雪片曲線論』ではフラクタルや空海の話で大変面白かった。『チベットのモーツァルト』は奥村靫正さんという方が装丁をされていて美しい本に仕上がっていた。内容は難解だったが、どれも興味深い話で内容がものすごく濃かった。「病のゼロロジック」はその後何度も読み返した。それからも『悪党的思考』や『蜜の流れる博士』などを買い、氏の新刊本はどれも買うようになった。『南方熊楠コレクション』全5巻は解題を氏が書いていて毎回とても楽しみにして読んだ。書店に並ぶのを楽しみに待ったものだった。そうそう、夢枕獏氏との対談本『ブッダの方舟』も買ってすぐに喫茶店に入って読み始めて夢中になって4、5時間読んでいたように思う。もちろん、その後も何度も読み返したりした。対談本といえば細野晴臣さんとの対談本『観光』があって、これも楽しくて何度も読み返した。『クレア』という女性誌に連載していた山田詠美さんとの対談も面白かった。とにかく、中沢さんの本は抜群に面白かった。『東方的』『バルセロナ、秘数3』『緑の資本論』『はじまりのレーニン』『フィロソフィア・ヤポニカ』など、どれもこれも本当に楽しい読書体験だった。ところが、オウム事件があって少し変わってしまった。確かに氏は事件が発覚する前の段階でオウムを擁護するような発言はしていた。しかし、それは新興の宗教団体を擁護するような意味での一般的な擁護で、事件が発覚していない段階だったし、宗教学者としては宗教を擁護するのは決しておかしくない発言だったと思う。しかも、オウム真理教が中沢氏を勝手に利用しただけで、中沢氏はむしろ勝手に利用された被害者だったと思う。悪用と言っていい。氏のチベット修行の共著『虹の階梯』は貴重な資料なのにオウムに悪用されたために絶版にされてしまった。本来なら中沢氏は日本にチベット密教ニンマ派を紹介した人物として、日本にチベット密教を紹介した河口慧海氏に次ぐ人物として歴史に名が残る人物になるはずだったと思う。大袈裟に言えば、空海が真言密教を日本に請来した人物だとするならば、中沢新一はチベット密教を日本に請来した人物になるはずだった。ところが、当時の日本社会はオウム真理教だけでなく、その周辺の人物まで血祭りに上げるようなヒステリックな状態にあった。島田裕巳氏などは彼に非はまったく無いのに、スケープゴートにされてしまったと思う。あまりにも非道いとばっちりだった。中沢氏も「宗教学者・中沢新一は死んだ」という文章を書いていたと思う。そんなわけで、オウム事件以後、日本で何かが大きくシフトしてしまった。そして、中沢氏の活動も密度の濃いコアな活動というよりは、進化の過程で生まれてはきたが短期間で絶滅してしまうような、儚い種を追うようなものに変わってしまったように私には思われる。オルタナティブなんだけれど、それはカゲロウのようにすぐに消えていってしまうような儚い存在。そういったものをわざわざ選んでいるような気さえするのだった。私が期待する楽しい読書体験はもっと濃いものだった。南方熊楠であって折口信夫では無かった。吉本隆明やレヴィ=ストロースでも無かった。確か大江健三郎さんだったと思うが、「井筒俊彦の後継者は中沢新一だ」といった文章を朝日新聞に書いていたと思う。私が期待したのもまさにそれだった。井筒俊彦さんの最後の著書『意識の形而上学』のあとがきで『東洋哲学覚書』というシリーズを氏は構想中だったのだが、それが突然の急逝で無くなってしまった。中沢新一さんに私が期待したのはまさにそちらだった。確かにそれは荷が重すぎる期待かもしれない。司馬遼太郎は井筒俊彦氏をとらえて天才が十人集まった人物と評していた。本当に井筒氏のような天才はもう二度と日本からは出ないと思う。ただ、中沢氏はゾクチェンの修行という実体験があるのでそれを補いうるし、さらにその上に新たなステージを提示できるのではないかと淡い期待があった。しかし、日本がそれを許さなかったのだと今では思う。それにしても、中沢氏が70歳を超えていることに驚く。大学も去られたようだ。私も歳をとってしまった。一読者として本当に楽しい読書体験をさせてもらった。人生の残り時間も少なくなってしまった。世界にサヨナラを言う準備をしなければならない。彼の著書に出会えたことは幸福だった。本当に感謝したい。本当にありがとうございました。

清水俊史『ブッダという男』に寄せて
偶然、YouTubeでやっていた仏教がテーマの番組で、佐藤哲朗氏、星飛雄馬氏、岡本直人氏、秋田尚文氏の対談・鼎談をいくつか見た。そこでは清水俊史氏の『ブッダという男』という新書が取り上げられていた。知らなかったのだが、日本仏教ではブッダが輪廻を説かなかったという説が流布しているらしい。ちょっと驚いた。また、日本仏教は妻帯するなど戒律を守っていないという、いつも私が指摘している話も話されていた。それで清水氏を筆頭に彼らはそういった日本仏教に批判的であるらしい。もっともな話である。また、魚川祐司氏という方の『仏教思想のゼロポイント』という本も紹介されていて、清水氏の批判と似たような批判で、もう少しやんわり書いているらしい。頻繁にテーラワーダという上座部仏教が出てきた。知らなかったのだが、どのくらい前からかは分からないが、日本では上座部仏教が浸透しているようだ。そういえば、書店でそれらしき僧侶の写真が表紙になった本が出ていたなあと思う。さて、他にも「悟り無用論」とかもあるらしい。 オウム事件以後、ヨガや仏教は敬遠されがちだったと思ったが、いつの間にか上座部仏教が普及したらしい。(そういえば日本におけるチベット密教はどうなったんだろう?)私のイメージでは、オウム事件の後、しばらく停滞していて、占いとかのスピリチュアルものがだんだんと市場を広げていったが、あまりにも大きくなり過ぎて、問題になって萎んでしまい、その後、女性を中心としたヨガ教室が全国に広がっていったという印象がある。ただ、思うに以前と違ってカルト化せずに、個人個人が自分で勝手に学ぶカルチャー講座化したのかなという気がする。あくまで私の印象なんで間違っているかもしれないが。まあ、悪いことではないだろうという気がする。一方で、日本人はスピリチュアルなものが好きなんだろうなとも思う。ともかく、日本仏教というのは、仏教とは名ばかりで、実際は極楽浄土に行くことを願う信仰の宗教に変わってしまったのだと思う。いつも言っているが、日本人は換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまう。仏教も変えられてしまったのだと思う。江戸時代の儒教と似ている。幕末の儒家・横井小楠が儒教の文献を調べて、日本の家制度を批判したとき、藩から危険人物だとみなされた話とよく似ている。本来、儒教は能力主義で禅譲があるのに、日本ではそれでは都合が悪いからそれを変えてしまう。日本の儒教は本来の儒教とは真逆のものになってしまった。仏教でもそれと同じことが起こったのだと思う。ただし、問題は日本人の多数派がそれを容認していることだ。それなら、仏教や儒教という看板を下ろしてもらいたいところだが、それでは箔が無くなって商売に差し支えるからそれは嫌だという。実に勝手でいい加減な民族なのだ。ところで、「悟り無用論」だが、YouTubeを見た限りでは業界でどういう文脈なのかはよく分からなかったが、「悟りを開く」というのは日本の仏教だけが特に強調しているような印象がある。本来、仏教の目的は輪廻からの解脱だったと思う。具体的には、死に際してヒトが輪廻にからめ取られるのではなく、輪廻から脱すること、解脱することだと思う。そう、生から死に変わるとき、つまり、死ぬときにだ。そのために四諦八正道があったと思う。瞑想を重視するが、瞑想だけでなく、それ以外も重要だと説いている。で、「悟りを開く」の日本人のイメージは滅諦に近い。しかし、滅諦でめでたしめでたしではなくて、道諦で死ぬまでずっと続いていく。簡単に楽にはなれない。ところで、華厳的には「悟りを開く」は正見に近いかもしれない。禅は無を強調するが、その後の言及があまり無い。ついでに言うと、仏教はエネルギーの言及が少ない。なぜ仏教では妻帯してはいけないのかというとエネルギーを消耗してしまうからだ。本来なら自明過ぎる話で、あまりに自明だから言及が少なかったのかもしれない。嗚呼、独りよがりな説を開陳してしまった。ここらで筆を置くことにしよう。

4月28日(日)
「自民全敗、立民全勝」との見出しが多いが、実際は自民は不戦敗が2で島根だけ1敗だった。立民も圧倒的全勝というよりは共産党の協力があったからこそ勝てたらしい。たとえば東京15区では保守系がそれぞれ票を集めていると思う。それだけ保守の人気が高いのだと思う。本来なら裏金問題という敵失で立民は余裕で当選してもおかしくないのだが、日本の有権者の多くが保守なので、立民は簡単には勝てなかったということだと思う。結局、日本ではリベラルは不人気なのだ。さて、それと今回の選挙では、つばさの党の根本良輔と黒川敦彦が選挙妨害とおぼしき行為に出ており、大変見苦しい街頭演説になっていた。いわゆる炎上商法と同じ類の目立つための手法だろう。本来なら選挙期間中は政策について真面目に考える時間であるはずなのだが、こういった輩によって妨害されてしまって残念だ。ともかく、リベラル派は久しぶりに選挙で勝利したので喜んではいるが、得票を見るとそんなに喜んでもいられないのではないかと私などは思う。日本人は自民党に代わる保守政党を求めている。一時は維新にその可能性を見出したが、大阪万博がうまく行っていないのでやや陰りが見え始めている。また、日本保守党やファーストの会もまだまだ人気が上昇しているわけではない。しかし、時流に乗れば、なんらかの保守政党が第二の自民党として台頭してくる可能性はあると思う。結局、それだけ日本では保守が強いし、層も厚いのだと思う。逆にリベラルは保守を取り込んだと思ったら、いつの間にか保守が分離して減っていくの繰り返しだ。リベラルだけで裾野を広げるということができない。それだけ日本ではリベラルは層が薄いのだ。この傾向はそう簡単には変わらないと思う。リベラルが日本に根付くにはもっともっと時間が必要なのだろう。いや、そもそも日本にリベラルは根付かないのかもしれない。私自身は私の生きている間にリベラルが日本に根付くことをほぼ諦めている。だから、長い目で見守っていくしかないと思っている。


2024年3月24日日曜日

NEWS2024.03


3月6日(水)
安田さんが病欠、珍しい。お大事に。

3月8日(金)
合掌。

3月9日(土)
合掌。

先月も言及したが、最近、女性タレントのセクシーなファッションが増えている。もう何年も前からトゥワークというかなりエロティックなダンスがブラックミュージックを中心に流行っている。YouTubeやTiktokの普及とあいまって定着したと思う。一方、保守的な層からはふしだらだと批判されているだろうと推測する。東アジアでもそれに倣って女性タレントのファッションやダンスがエロティックにかつ露出が増えていると思う。ポジティブに捉えるなら、女性の性の解放があると思う。女性も性欲や性的アピールを堂々と行えるようになったと。一方、ネガティブに捉えるなら、エロを売り物にして稼ごうという魂胆もある。私自身は前者が優勢であってほしいと思う。(ただし、カニエ・ウェストの奥さんは別、例外だと思う。2つの流れとは他の意図があるように思う。)21世紀になって大きく変わったものに、進歩したものに、セクシャリティ(性現象)がある。そして、身体意識もそれに伴って変わりつつある。セクシーなファッションが増えているのもその流れの一端だと思う。一方、日本人は相変わらず無意識にそれらを上辺だけ真似ていくんだろうと思う。ただし、世界がどうなるかはまだ分からない。解放を求める者たちと変化を拒絶する者たち(保守層)がせめぎ合うからだ。

3月13日(水)
安田さんが帰ってきた。バカニュースは楽しい。楽しいといえば、自民党の県議会議員たちが女性ダンサーといちゃついて楽しそうだった。

3月14日(木)
とても良い判決だったと思う。日本でこんな判決が出るなんて珍しい。まるで先進国みたいだ。

政治に対する関心がどんどん無くなっている。政権交代なんか起こりそうもないし、日本の政治は変わらないという気も強い。幕末の頃も佐幕派と倒幕派以外の一般庶民はええじゃないかで狂っていたが、なんかそんな投げやりな気持ちになってくる。とはいえ、外から俯瞰して見るという態度の方が大切かもしれない。政治や経済だけでなく社会を見ても、日本の衰退は避けようがないと感じる。日本人は、みんな、まだチョンマゲをしていると感じる。江戸時代と変わらない心理、日本人の心はまだチョンマゲをしていると感じる。この大きな下方に向かう流れに抗うことはムダな努力に思う。いつもながら繰り返しになるが、個々人はそういう日本から離脱することだ。

3月20日(水)
維新の議員の犯罪率の高さに驚く。政治集団というより犯罪者集団に近いのではないかとさえ感じる。

BSプライムニュースという番組で浅田彰×先﨑彰容があったのがYouTubeにアップされていた。久しぶりに浅田彰を見た。なかなか分かりやすい見立てだった。ただし、ご自身も言われていたが、古いといえば古い見立てだった。しかし、それしか無いのだろうとも思う。

3月23日(土)
今のイスラエルを口先だけで言っても誰も止められないと思う。義勇軍とか送り込むとかしないと無理だと思う。

私の中で日本の政治に対する関心がどんどん減少していっている。自民党への支持率が下がっているとはいえ、それでも選挙をすれば自民党が政権を取るだろうと思う。日本人はそういう民度なのだと思う。自民党議員の劣化は日本国民の劣化の反映なんだと思う。

日本のテレビを本当に見なくなった。そして、それで良いと思うようになった。日本の文化や社会なんかトレースしたりチェックしたりする必要性を感じなくなってきた。

私自身は自分は大枠ではリベラルだと思っている。ただし、さらに細分化するとかなり特殊で、アウトサイダーであったり、古いカウンターカルチャーに共感するカテゴリーに属すると思う。現代のポストモダン社会において、かつてのヒッピーのようなスタイルはなかなか難しいかもしれない。もっと古いスタイルで言えば、釈尊がサンガを作って布施を募って歩いたけれど、現代の日本社会では誰も布施なんかしてくれないだろう。ポストモダン社会ではヒッピーやブッディストは新たな戦略・戦術で立ち向かわねばならないと思う。さて、それはともかく、若者には、アウトサイダーの入門としてコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読むことを推奨しておこう。若者は、まずアウトサイダーとなって日本から離脱する一歩としよう。


2024年2月29日木曜日

NEWS2024.02


1月31日(水)
勉強になる回だった。

彼女の場合、選挙地盤なんてあるのかしら?

本来、仏教の僧侶は妻帯が禁じられているし、性行為も禁じられている。律で定められている。日本仏教だけ妻帯を認めるようになった。だから、チベットやタイの僧侶から見たら、日本の妻帯している僧侶は僧侶ではないと言われると思う。日本はなんでも換骨奪胎して日本に都合の良いものに変えてしまう。日本仏教はもはや仏教ではない。仏教とは別物のなにかである。そんなだから、こういう事件も起こるのだろう。

2月3日(土)


2月7日(水)
もう何年も前から露出が多くなった欧米のタレントたち。ライブなんか私のような年長者の世代から見ればストリップとあまり変わらない。いや、批判的に言っているのではない。もちろん、当該の女性たちが嫌々やっているのなら問題だと思う。でも、実際は違うのではないかと思う。女性が自らの性を解放しているように感じる。それならば良いことだと思う。

「昔は日本人は真面目だった」という話には共感する。ちょうど同じことを考えていたからだ。遠因はテレビのお笑い番組にあると思う。それは政治にも影響している。政治も語呂合わせばかりで本質的な問題解決を考えていないことが多い。不真面目としか言いようがない。昔は教養を重んじたが、今はかなり後退してしまった。しかし、日本経済が衰退してしまったので、かつてのような日本に戻ることは難しいと思う。残念だけど。

2月8日(木)
もし無罪が本当なら良かったと思う。

2月9日(金)
杉田水脈の敗訴が確定した。

2月10日(土)
日本人はマイノリティや弱者をいじめるのが好きだ。いじめている当人たちはちょっとからかうつもりだったとか、一緒に遊んでいるつもりだったとか言う。でも、いじめられている側はそうではない。怖がり傷ついている。また、虐待というと暴力ばかりを想像しがちだが、言葉による虐待や行為による虐待が実際は多いと思う。そして、暴力による虐待よりも言葉や行為による虐待の方がひとを傷つけることが多い。そして、虐待している側はそれに無頓着だったりする。

私は世界をリベラルと保守との争いに見立てている。ただし、日本は保守と左派であってリベラルとは少し違っていると思う。また、欧米では保守はキリスト教が担っているが、日本の場合は日本的儒教文化だと思う。ややこしいのだが、日本の場合、儒教も換骨奪胎されて日本独特の儒教に変えられているので通常の儒教とは異なる。ただ、おおざっぱに見れば、東アジア、中国、韓国、台湾、そして、日本では保守思想の根幹は儒教文化だと思う。そして、農業社会から近代化された工業社会以降は儒教は時代遅れになってしまった。キリスト教も時代遅れになってしまった。これからはヒューマニズムだと思うが、保守はそれに抵抗している。日本は保守だけでなく左派にも底流に儒教文化がしみついている。日本が儒教文化を克服するのは容易ではないと思う。不可能とは言わないが、人類社会の中で保守思想から脱却するのが一番遅くなるのではないかと思う。したがって、日本の社会が変わるのを待っていては手遅れになるし、変えようとしても抵抗が激しいだろう。かなり労力を必要とする。実際、30年間、日本は変わらなかったという実績がある。なので、そういう日本から脱出するのが一番手っ取り早い。日本語は欧米とは異なった思考ルートを開く可能性もある。日本から脱出してもそのことで優位性を保てるかもしれない。もちろん、苦労もあるだろうが。ともかく、心ある者は日本から脱却するのが良い。それが一番現実的だ。

ただし、リベラルと保守の闘争だが、リベラルが保守を打ち負かすというのが勝利ではない。たしかに保守にとっては、保守がリベラルを打ち負かすのが勝利ではあるのだろう。しかし、リベラルにとっての勝利は、リベラルが保守を打ち負かすことが勝利ではない。リベラルは多様な価値観を認めることが勝利だ。価値観のひとつとして保守を組み入れることが勝利になる。リベラルにとっての勝利は保守を包摂することだ。保守を全体の中の一部分にすることだ。一方、保守は全体を保守一色に染め上げることが勝利だろう。それは全体主義だ。リベラルは様々な色で構成される世界を構築することが勝利だ。単色の保守か、多彩なモザイクのリベラルかだ。

2月14日(水)
ガザの虐殺の話、田中ゆうたろうの話、群馬の森朝鮮人追悼碑撤去の話だった。鈴木信平さんの話がとても良かった。ところで、日本人は人権侵害について自分たちの人権や自由が脅かされることに対して鈍感だ。少数者の人権や自由が脅かされても自分たちは関係無いと思っている。しかし、それは全体主義に乗っ取られる危険な芽だ。日本人は本当に抽象的な話や本質的な話に弱い。即物的な話や個別具体的な話にしか興味を示さない。あるいは、お金の話か。ダメな民族だ。だから、日本から哲学や科学は発祥しなかったのだろう。

今週は風邪で消耗した一週間だった。コロナやインフルエンザでは無かったが、その分、通常通り仕事をして疲労してしまった。かなり体重が落ちてしまった。もっと身体を休めないと危険になってきた。

2月21日(水)
アンガーマネジメントの話が出ていたが、アンガーマネジメントもまず「この案件は怒った方が良いか、あるいは怒らない方が良いか」を選択していたと思う。つまり、NoHateTVで取り上げるような案件では「怒るべき案件」と判断されると思う。「怒らないと後で後悔する案件」になると思う。アンガーマネジメントを詳しくは知らないけど、多分、そういう判断になると思う。まあ、日本人の場合、事なかれ主義で怒らないという選択をしがちだという意味で取り上げているのだとは思うけど。そもそも「自分に直接損害が生じない案件については怒らない」というのが日本人には多い。それが人権侵害や差別であっても、自分が人権侵害の対象であったり、差別される対象でなければ、怒らないという選択をしがちだ。そういった案件に対して、わざわざ怒ることで自分に負担や反動が返ってくることを嫌う。日本人は人権侵害や差別が回りまわって自分たちに返ってくることに鈍感だ。いや、自分たちに遠回りに被害があるから怒るのではなくて、本来は目の前で不正義が行われていることに対して憤るべきだと思う。ところが、日本人は他人の痛みに対して鈍感だ。自分でなければいいと考えがちだ。それどころか、日本人は弱い者いじめやマイノリティをいじめることが好きな民族だ。一緒になって差別や人権侵害に加わる輩さえ出てくる始末だと思う。日本人のそういうネガティブな性質を変えるのは容易ではない。おそらく、海外から情報が多く入ってきてグローバル化が進めば次第にそういうのは減っていくと期待するしかないと思う。もちろん、日本語の壁というのがあるから遅々として進まないだろうけど。日本人は人口の規模がそこそこあるから、なかなか変わらないと思う。そういう悪癖から脱するのは日本人は人類社会の中で一番遅いことになると思う。

仕事が終わりかけの金曜日夜に寒気がして発熱。抗原検査は陰性。どうやらインフルエンザに罹ってしまったらしい。せっかくの週末なのに。そんなわけでこの土日は寝てばかりでござる。

2月28日(水)
松代大本営地下壕の話、クルド人差別の話、昭和維新の話だった。

今週も風邪で辛い一週間だった。風邪を引いて3週間。しんどい。政治に対してどんどん無関心になっている自分がいる。やばい。

これだけ酷い自民党でも、おそらく選挙になれば自民党が勝つんだろうと思う。一方、リベラルの人材が全然増える傾向にないのもため息が出る。いや、リベラルだけに限らずに政治全般に人材がどんどん劣化していっているように思う。東西冷戦の頃は互いに切磋琢磨していたので人材が磨かれたのかもしれない。

一方、米国はどうかというとトランプが勝ちそうな雰囲気だ。オバマのような人物は出てこないのだろうか?

私はリベラルが素晴らしいと考えている。日本はおそらく世界で一番遅くリベラルが開花すると思っている。日本は昔から海外から新しいものを取り入れても、換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまう。リベラルも同じで日本に輸入されても似て非なるものに変えられてしまうだろう。だから、日本に期待することが間違っている。ただ、インターネットのおかげで個人が国境を越えやすくなったと思う。個人でリベラルにアクセスすればいい。

時代はポストモダンに入った。工業社会から知識社会に変わった。工業が廃れたわけではない。工業の上にコンピュータという神経網が開けたのだ。一見、シンプルでモダンな暮らしに見えて、コンピュータネットワークの中には豊かな情報宇宙が広がっているのだ。そして、私たちは多様な生を生きられるようになるだろう。もちろん、資本主義の制約は受けるだろうけど。それでも、以前よりは遥かに自由だ。反動の正体は固定観念だろう。しかし、世代交代が進めば、次第に固定観念は薄れていく。モダンの亡霊は消え、ポストモダンを生きる若い世代がどんどん増えていく。それだけの話だ。人々の変化は頭の中で起こっている。情報の変化、ソフトウェアの変化、知識の変化、固定観念の変化など目に見えない変化だ。目に見えないから、変化に気づきにくい。しかし、変化は確実に起こっている。そう、この変化は捉えにくいのだ。物理的、地理的、経済的、政治的、現象的など様々な切り口があるが、そのいずれでもこの変化は計測が難しいのだと思う。気づいたときには時代が変わっている。個々人がその生で範を示すしかない。