2013年9月29日日曜日

福島武夫『造船王国の新しい選択』

 
今回は福島武夫の『造船王国の新しい選択』を取り上げます。


この本は1996年に発行された本ですので、現在の世界の造船業界の状況とは若干違っていると思います。また、この本を読むまで私は日本の造船は韓国に追いぬかれて既に廃れてしまったものと勘違いしていました。しかし、実際はそうではありませんでした。熾烈な価格競争の中を日本の造船は粘り強く頑張ってきたことが分かります。さて、この本では、国内の主要な造船会社である三菱重工業、石川島播磨重工業、川崎重工業、日立造船、三井造船、住友重機械工業、NKK(日本鋼管)の7社が取り上げられています。これら7社が、戦後、如何にして熾烈な競争の中を生き残ってきたかを克明に描いています。また、序章では幕末から現在に至るまでの日本の造船の歴史を簡略に説明しています。日本の造船の歴史を概略的に知るにはこの本はとても良い本だと思います。

さて、近年における日本の造船が生き残ってこられた理由は何かというと大きく2つが上げられると思います。1つは低価格競争ではなく高度な技術力で特殊な船を作ることで差別化を図ったのだと思います。もう1つは造船以外の分野、プラントや陸機、あるいは航空宇宙産業などでシェアを伸ばしたのだと思います。これらによって低価格な韓国の造船会社に対抗してきたのだと思います。世界市場における造船のシェアは19世紀末から20世紀中頃までは英国がダントツの1位だったようです。それが1956年に日本が建造量で英国を抜いて世界一位になったそうです。その後も長い間の日本が一位の座を守ってきたそうです。

日本の造船の歩みを振り返ってみると幕末に造船に目覚め、国防の観点から国策的に造船に力を入れ、その後、第一次世界大戦のときに造船ブームが到来して大きく飛躍します。この時、船成金が生まれていますね。その後は逆に反動不況で苦しみます。そして、太平洋戦争で造船所がフル稼働しますが敗戦でボロボロになります。しかし、朝鮮戦争で復活してついには1956年に世界一位になります。日本を世界一位に導く下地を作った人物として戦艦大和を作った西島亮二とその後継者である真藤恒がいます。西島亮二によって構築された合理的で効率的な日本的生産方式です。戦後、真藤恒が働いていた元呉海軍工廠であるNBC造船所には数多くの見学者が来たそうで、トヨタのカンバン方式やビル建設に影響を与えたと言われています。そういった経緯もあり、その後も日本の造船は韓国の台頭に悩みながらも世界市場になんとか食らいついてゆきます。

ところで疑問に思ったことが1つあります。それは米国の造船です。太平洋戦争のときに米国は世界でダントツの海軍大国だったと思います。そして、今もそうだと思います。米国にはたくさんの造船所があるはずです。しかし、世界市場のシェアでは米国はほんのわずかしか占めていません。どうしてなのでしょう?残念ながら米国の造船史の本がありませんでしたので、私の推測になるのですが、造船も他の製造業と同じで低価格競争にさらされます。日本が韓国に追い抜かれたように後発国の方が人件費が安く有利です。おそらく、米国の造船も熾烈な低価格競争にさらされたのだと思います。そこで米国の造船がとった対策は専門的な高度な技術で差別化を図ることだったのではないかと思います。ただし、日本のような特殊な船ではなくて、軍艦という分野に特化したのではないかと思います。すなわち、米国の造船は軍需産業に特化したのではないかと思います。これはロシアにも言えることだと思います。冷戦時代にロシアも数多くの軍艦を作ってきたのは間違いないでしょう。そういう意味ではロシアも数多くの造船所を抱えているはずです。冷戦崩壊後、ロシアでは軍需工場を民需工場に転換するようにしてきましたが、それでも限界があって、多くは軍需産業として残っているのではないでしょうか。ですから、世界のシェアが少ないからといって米国やロシアが造船の技術力が劣っているとは一概には言えないと思います。むしろ、技術的には軍艦の方がはるかに高い技術力を必要としているので高度な技術力を持っていると思います。ただ、その一方で安く早く量産するといったような技術はやはり市場競争にさらされていないので、官営的な造船では培われないと思います。そういった違いがあるのではないでしょうか。

さて、現在の造船のシェアですが、少し異変が起こっているようです。韓国と日本だけでなく、そこに中国が割り込んできているようです。そして、いずれは中国がトップになることが予測されています。今までの流れから言えば、当然と言えば当然ですよね。ただ、懸念される点があります。それは造船能力が高まれば、自然とその国の海軍力も高まるということです。このまま推移すれば、おそらく何年か何十年か先には中国が米国を抜いて世界でトップの海軍力を持つようになるのではないでしょうか。現在も制海権を巡って中国は様々な海域でもめています。そのような中国が世界第一位の海軍力を持つことは非常に懸念される事態だと思います。しかし、中国に対抗できる国はおそらく米国くらいです。将来が危ぶまれます。だからといって日本が軍備増強に走るなんてことは決してしないことです。軍備増強は国の経済や財政を圧迫します。国力が上の中国に軍事力で対抗しようとしても、かえって日本を弱めてしまうでしょう。日本は軍事力ではなく、中国を取り囲む周辺の諸外国と協力して外交力で道理をもって中国に対抗してゆくべきなのだと思います。

それにしても、今後の世界は資源大国のロシア、世界の工場である中国、そして金融やITなど先端技術でリードする米国、この3国が世界の超大国として世界をリードしてゆくのではないでしょうか。もちろん、EUもそこにいくらかの存在感を示すとは思います。やはり、先進国ですからね。もちろん、中東もそれなりに力を増してくるでしょう。ただし、既得権益の壁が強く、その歩みはまだまだ遅いのではないかと思います。一方、日本はこれら超大国に挟まれた位置にいます。西には中国、東には太平洋を隔てて米国、北にはロシアです。地理だけでなく内実はどうでしょうか?昨今の日本の産業は後退につぐ後退です。日本が先端をゆく産業はどんどん減っています。家電も半導体も敗退しています。造船も後退しつつあります。自動車産業がかろうじて残っていますが、工場が海外移転して次第にウェイトが海外になってゆくでしょうし、電気自動車が普及したとき果たして日本の自動車産業が世界をリードできるかどうかは分かりません。したがって、日本はどんどん弱い国になってゆくでしょう。一方で中国はますます強くなってゆき、圧倒的な力の差を見せつけることでしょう。戦後の日本は中国を見下していたところがありましたが、今後は中国を巨人を見上げるように変わると思います。超大国と比べれば日本は小国です。世界全体で見れば日本は中位の大きさですが。ただ、日本はそれら超大国と張り合っても仕方ありません。日本は日本なりの幸せを追求するしかないと思います。日本は成熟した文明国になりつつあります。先進国としては政治や文化などまだまだ至らない点は多々ありますが、それでも社会インフラも整っているのでかろうじて先進国足り得ています。これからは日本にとって幸せな生き方とは何かを考えて、虚勢を張ることなく幸せな社会を作ってゆくのが良いと私は思います。陽はまた昇るとばかりに経済大国足らんと過当な競争を日本人に強いても日本社会がギスギスするばかりで仕方ないと思います。安定した慎ましやかな国を目指してはどうでしょうか?さらにこれだけグローバル化が進んだ世界になってきたのですから、国という小さな枠組みに囚われず、一個人は世界市民であるという認識を持って、大きな枠組みで世界を捉えるべきではないでしょうか?国という区分は次第に意味が小さくなってゆくべきなのだと思います。

もちろん、資本主義ですから競争は必要でしょう。しかし、それは先端技術などの一部の世界で十分ではないでしょうか。日本の環境を見ると国内的にはそんなに競争を必要としないような気がします。また、日本が、今後、活躍できる専門分野としてはiPS細胞などのバイオテクノロジーかもしれません。他の分野はちょっと厳しいような気がします。もちろん、今まで蓄積してきた技術力があるから一概に他はダメだとは言えませんが、全体的には前進しているというよりは後退しているのではないでしょうか。ところが、いわば日本は後退戦なのに日本の政治は貧富の差を拡大する方向に動いているように見えます。それは日本をわざわざ住みづらい国にしているように思えて仕方ありません。経済大国の夢を捨てきれず昔の夢を追おうとするあまり、かえって貧富の差を拡大している。そんなように思えます。それに競争を強いることで昔の本当の奴隷以上に今の労働者は働いていると思います。奴隷には財産の所有や行動の自由や自由時間がありませんでしたが、今の労働者も多くの時間が労働に奪われて実質的には昔の本物の奴隷以上に自由がないと言えるかもしれません。確かに奴隷よりは労働者の方が生産性が上がったでしょう。しかし、それは労働者の人生の犠牲の上に成り立っています。果たしてそれが良い生き方なのでしょうか?いったい金持ちたちにとっても、貧富の差が拡大して社会の大多数が貧しい人たちになったとき、そのような日本社会で暮らすことが本当に住み良い社会に感じられるとは思えません。日本は経済大国を目指すのではなく、中位の国を目指すべきではないでしょうか。

さて、随分、造船とはかけ離れた話になってしまいました。しかし、この本をきっかけに日本の造船の歴史や造船に限らず日本の近代技術の歴史についてたくさんの本に目を通すことになり、大変、充実した読書体験になりました。それらについてはまた追々、このブログで取り上げてゆきたいと思います。



2013年8月21日水曜日

前間孝則『技術者たちの敗戦』


今回は前間孝則の『技術者たちの敗戦』を取り上げます。


まず、著者の前間孝則氏はノンフィクション作家で主に日本の主要産業の技術開発史を扱った著書を数多く書かれている方です。前間氏自身も元は石川島播磨重工の航空宇宙事業本部の技術開発事業部でジェットエンジンの設計を20年間やっておられたそうです。そういった点では技術に関してもけっこう深いところまで理解できる書き手であり、技術開発史を研究するのにはもってこいの人物ではないかと思います。しかも本書によるとかなりの本好きで読みたい本を徹夜で読み耽って翌日はとろんとした目つきで会社に出社したり会社を休んだりしたそうで(笑)、技術者としては珍しく文科系的な読書人なところもあるようです。そんな前間氏のこの著書は氏のこれまでの技術開発史に関する数々の著作物の要約といった趣きの著書ではないかと思います。ところで世間では零戦の設計者である堀越二郎を主人公とした宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』が大ヒットしています。それと合わせてこの本を読んでみると、より一層日本がいかにして技術大国になりえたかというのが分かってくるかと思います。そういった戦後の日本の経済的繁栄をもたらした日本の技術開発史を知るために、この本を入り口にして前間氏の一連の著作を読まれることを強くお薦めします。

さて、最初にこの本の帯文と表紙カバーの文を紹介しておきましょう。

日本の戦後復興の原動力となった20代~30代の技術者たちはどのように敗戦を迎え、廃墟から立ち直ったのか? 引用:『技術者たちの敗戦』
驚くべきことに、戦時中の技術開発は20代から30代の若手技術者によって行われた。彼らは情報遮断と原材料の不足など極めて厳しい状況のなかで、開発に熱中し、破れたりとはいえ、多くの成果を成し遂げたのである。戦後、GHQによって航空が禁止されたため、航空機産業の多くの技術者は自動車産業に移り、今日、アメリカをも脅かすようになった自動車産業の基礎をつくりあげた。また、国鉄の技師、島秀雄は、材料がなくなり、機関車がつくれなくなった戦争末期、将来を見据え、電車のブレーキ、台車、パンタグラフなどの研究を部下に命じたのだった。これが後に、新幹線の開発へと開花していく。この技術者たちの不屈の物語はこれからの日本の進むべき道に大きな示唆を与えるはずである。 引用:『技術者たちの敗戦』
これらの文章からも分かるようにこの本では戦前生まれの日本の技術者たちが戦時中にどのように技術開発に取り組み、そして戦後どのように活躍していったかを簡潔に描いたノンフィクションです。この本で取り上げられている技術者は全部で6人で、零戦の堀越二郎と曾根嘉年、新幹線の島秀雄、石川島播磨重工の真藤恒、レーダー開発の緒方研二、ホンダの中村良夫です。本書を読んでみると彼らの生き様や人柄はそれぞれユニークで、いわゆる一般の実直でまじめ一筋の技術者像とはちょっと違った装いが感じられます。島秀雄などは大正ロマンの影響を受けて育ったためかかなり自由な気風が感じられますし、中村良夫は技術者であった一方で文芸同人誌を発刊したり、ドイツ人技術者たちのパーティではハイネの詩を暗誦したりと教養の高さというか文化程度の高さを感じます。ちなみに文化程度が高いというのは何も高尚であることを自慢するという意味ではなくて、自由で柔軟な思考の持ち主であり、それは合理的な思考でもあり、一方で人間性の豊かさをも兼ね備えていると私は考えています。特に雑誌『モーターファン』に掲載された彼の「告別の辞」はなかなかダダイスティックであり、前衛芸術の精神もよく理解していたのではないかと思わせます。戦時中の頭の固い日本の軍人たちとは大違いです。ただ、この本で取り上げられた技術者たちはある意味特殊なのかもしれません。彼らと違って日本の多くの技術者たちはやはりその道一筋的なお堅いひとが大多数の占めているのかもしれませんし、日本社会自体がそういった傾向が強いと思います。自由で柔軟な思考に欠けることがしばしばです。むしろ、当時の東大のようなエリート校や軍需産業の方が上司もさん付けで呼ぶなどかなり自由な気風があったようにさえ感じられます。また、この本で語られているB29のエピソードからも如何に日本が自由で柔軟かつ合理的な思考が欠けているかが伺えると思います。大切なのは大局を見据えた戦略的思考と柔軟で合理的な自由な思考なのではないでしょうか。

さて、この本ではいろいろな点で示唆に富んだ指摘がなされています。読者のみなさんは是非読んで確かめて下さい。私が印象に残った文をメモ代わりに少し取り上げておきます。

かつての航空技術者たちは、先の岡本のように、「航空機よりどのくらい技術程度を落として設計すればちょうどいいのかわからなかった」という。その頃、自動車に求められていた水準はかなり低かったので、航空機のセンスで設計すると、あまりに上等なものができて過剰品質になり、値段がベラボウに高くなるのだった。
先の米戦略爆撃調査団のレポートを踏まえつつまとめられたアメリカの「第二次大戦と科学技術」と題するレポートでは次のように結論づけられている。「1945年の時点の日本のレーダー研究は、イギリスおよびアメリカに3~4年の遅れがあったと考えられる。日本はマグネトロン(磁電管)の設計においてオリジナリティを発揮したが、陸海共別々に製作しており、その製品性能は米英のものに比して劣っていた。(中略)結論として、日本の新兵器開発に関する戦時研究体制に学ぶべきものは、ほとんど無い」
最後に日本の近代史に関していうと、やや本道から外れたルートかもしれませんが、日本の近代史に関する研究では、主に明治維新から戦時中までを描いた山口昌男の歴史三部作が極めてユニークで面白いです。そこで主役になるのは経営者と文化人でした。それに対して前間孝則氏の著作は戦時中から戦後にかけて活躍した技術者たちの歴史を扱った一連の著作です。技術者たちが活躍する場や基礎を作ったのは山口昌男が描いた戦前の経営者や戦争でした。前間氏の出身である石川島播磨重工も元はといえば東京石川島造船所で渋沢栄一と浅からぬ関係がありますからね。渋沢栄一については山口昌男『敗者の精神史』で取り上げられています。そういった意味で山口・前間両氏の一連の著作から日本の近代史をもう一度捉え直すことは極めて意義のあることだと私は思います。

今、世界は東西冷戦が終わり、ネットによって相互に繋がって、さらなるグローバル化が進んでいます。資源のない国日本がグローバルな競争で生き抜くには科学技術の力が大きな鍵を握っています。いえ、もはや国という小さな枠組みに囚われることなく、一個人の力量として科学技術の知識が大きな鍵を握っていると思います。そういった現代において私たちは過去の先人たる日本の偉大な技術者たちから多くのことを学ぶことができると思います。


2013年7月29日月曜日

宮崎駿『風立ちぬ』

 

宮崎駿監督の『風立ちぬ』の感想を書きます。


この物語を2つのパートに分けて考えます。1つは堀越二郎と菜穂子との愛の物語というパートです。もう1つは堀越二郎と戦争との関わりというパートです。なお、いつものことですがネタバレ全開で書きますので映画をまだご覧になっていない方はご注意下さい。また、今回は物語を忠実に追って作品分析するというよりは物語の周辺を埋めることで物語に託された意味を浮かび上がらせるといった分析になるかと思います。この映画を見た人たちの反応や映画には描かれていない当時の時代背景を引き合いに出すことによって映画の内容を浮き彫りにできればと思っています。そういう意味では、あまりネタバレにならないかもしれません。なお、こういった映画に描かれていない背景を引き合いに出すやり方は主観的な捉え方になってしまうかもしれません。そう言われても仕方のない面があります。なぜなら歴史的な史実に基づいた作品の場合、純粋に物語そのものを捉えるというのは難しい場合があるからです。どうしても作品を見る者が記憶している歴史認識に作品の印象が無意識に左右される恐れがあるからです。もちろん、史実に基づいた作品であっても純粋に物語分析できる作品もあるとは思いますが・・・。いずれにせよ、その辺りの主観的か客観的かの判断は読者の個々の判断にお任せします。

では、まず、二郎と菜穂子の愛の物語について解説します。二人の出会いは汽車の中で関東大震災に遭遇したことがきっかけでした。付き人の女性がケガしたのを手助けした二郎に菜穂子は恋します。そして、偶然再会して二人はたちまち恋に落ちて結婚します。しかし、菜穂子は病気に侵されていました。結核でした。当時、結核は死の病でしたので菜穂子が助かる見込みはほとんどありませんでした。二郎は設計の仕事があり、菜穂子を看病するだけの十分な時間はありませんでした。結局、菜穂子は療養所暮らしで二郎は設計の仕事に従事する毎日でした。しかし、二郎への想いが積もった菜穂子は療養所を抜け出して二郎の下宿に押しかけます。二郎は菜穂子の想いを汲んで一緒に暮らします。一緒に暮らすといっても二郎は大半の時間を仕事に費やし、菜穂子も多くは病のために寝て暮らします。二人一緒の時間はごく僅かでした。しかし、二人にとって菜穂子の生きている時間は限られているので、ありふれた日常生活とはいえ二人はできるだけ充実して生きようとします。二人はこのごくありふれた日常の瞬間を実はかなり真剣に生きたのでした。

さて、この愛の物語の捉え方ですが、現代の日本人には2つの見方があるようです。1つは人道的見地から見た二郎に対する批判です。その批判とは「二郎はなぜもっと菜穂子のために時間を費やさなかったのか?」というものです。もっと菜穂子の病気の看病をしたり、菜穂子のために何かしてあげたりしなかったのかというものです。これに対しては菜穂子の気持ちになって考えると二郎のとった行動が理解できると思います。菜穂子は二郎に看病してもらいたかったでしょうか?あるいは、二郎に菜穂子のために何かしてもらいたかったでしょうか?おそらく、菜穂子はそのようなことは望まなかったでしょう。菜穂子の望みは少しでも夫の二郎に尽くしたいというものではなかったでしょうか?夫のために何か役立ちたいというのが菜穂子の願いだったのではないでしょうか?では、なぜ菜穂子は夫にとって病身の自分が邪魔になると分かっていながら二郎の下宿におしかけたのでしょうか?それは二郎に会いたい、二郎と一緒に暮らしたいという強い想いがあったからです。二郎への愛と言っていいでしょう。二郎を愛するがゆえに二郎と一緒に暮らしたいと強く願ったから迷惑をかけると分かっていながら、どうしてもその気持ちを抑えきれずに二郎の下宿におしかけたのです。読者によっては、なぜそれを我慢できなかったのかと問われるかもしれません。しかし、菜穂子の病気のことを考えれば菜穂子の気持ちが分かると思います。菜穂子の結核は助からない病気です。もし、このまま療養所にいれば二度と二郎と一緒に暮らせないまま自分は死んでしまうかもしれない。そう考えると一緒に暮らせるチャンスは二度とないかもしれない。その焦りから彼女は二郎の下宿に押しかけることを決意したのだと思います。そして、ある程度、二郎と一緒に暮らして満足したため彼女は療養所に帰って行きます。これ以上一緒にいては迷惑だろうし、病身の醜い自分を愛する二郎に曝け出すのも憚られたのかもしれません。そして、何よりも、いわゆる「もう思い残すことはない」という心境に達したからだと思います。菜穂子も二郎もこの想いは共有していたでしょう。二人は愛し合った夫婦だからです。二郎は技術者であるために感情があまり表に出て来ませんが、おそらく、二人ともそういった想いを十分に心の裡に秘めていたと思います。なぜなら妹の加代と下宿の黒川夫人が菜穂子が療養所に帰ったときに二人で大いに悲しみますが、そのときの二郎と菜穂子の心境が描かれなかったことでかえって二人の想いが加代と黒川夫人以上に深かったのだと分かると思います。二人は心の深い深いところで想いを共有して強い絆で結ばれていたのだと思います。以上のように考えれば、現代人が二郎のとった行動に対して非人道的だという批判は当たらないと思います。ただし、見方を変えれば、現代の日本人というものは、昔と比べれば、随分、人道的になったと私などは思います。というのも、二郎を批判する現代日本人は二郎の仕事よりも菜穂子の人命の方を重視するという思想がその奥底にはあるからです。古いタイプの日本人なら妻の生命よりも仕事を重視する人はけっこう多くいたのではないでしょうか?また、そういった夫を理解する妻も多かったのではないでしょうか?かつて企業戦士と言われた頃の日本の家庭は仕事至上主義があったのではないかと思います。それが今では二郎が仕事ばかりすることを批判するようになったのですから、日本人のヒューマニズムも随分と進歩したと思います。

さて、話を戻しましょう。今度はもう1つの見方について考えましょう。もう1つの見方とは死に対する捉え方です。現代日本人は死を出来るだけ遠ざけようと努力していると思います。ところが、すでに上で解説しましたが、二郎と菜穂子はそうではなくて、ほとんど死は避けられないものとして死を覚悟していたと思います。療養所を抜け出した場合、菜穂子の寿命は短くなるかもしれません。しかし、それも覚悟の上で彼女は二郎に会いたい一心で療養所を抜け出してきます。菜穂子と二郎にとって死は避けられないもので、避けられないのなら、せめて生きている時間をできるだけ充実したものにしたいというのが彼らの願いだったと思います。ところが、現代日本人はそうは考えないようです。寿命延長を何よりも最重要と考えて、できるだけ菜穂子が長く生きられるように対処すべきだと考えているようです。二郎が菜穂子の寝床のそばでタバコを吸うシーンがありますが、多くの現代日本人は二郎に対して批判的です。菜穂子にタバコの煙で不快な思いをさせているだけでなく、さらに言えば、菜穂子の身体に悪いのは明らかであり、もし菜穂子の溶体が悪くなったり、寿命が縮まったりしたらどうするんだ、という批判があるわけです。ここにはごくありふれた日常生活を充実させるという二人の想い、しかも、その裏には日常生活を充実したものにさせるために生命を賭けているという覚悟があるのですが、そういった想いに現代日本人は思い至ることなく、単に何よりも優先する寿命延長至上主義的な考えから現代日本人は二郎を批判するのです。そう、現代日本人はかつての日本人が持っていた死は避けられないという死生観が決定的に欠けているのです。おそらく、現代日本人は日常生活の中から死というものを遠ざけてしまったために死に対する考えが劣化してしまったのだと思います。現代日本人は生き物を殺すという場面に接することが極端に減ってしまいました。肉は切り身の状態でパッケージされてスーパーマーケットの商品棚に並んでいるだけで、実際に家畜が屠殺される場面を見ることはありません。また、家族の死も自宅で見とることはなく、多くは病院や介護施設で死んで行きます。死というものに接する機会が昔に比べて限りなく少なくなってしまったのです。そのために、現代日本人は死に対する考えが決定的に劣化してしまったのだと思います。死を覚悟している二郎と菜穂子の生き様がいまひとつ理解できないのもそういった死に対する考えの浅さに由来しています。ところで、私は古いタイプの人間なのだと思います。なぜなら、この結核を患った妻との愛の物語は私には昔からよくある物語に感じられたからです。言い換えれば、わりとオーソドックスな物語に感じられました。ですので、この愛の物語自体に対して特に高くも評価しませんし、逆に低くも評価しません。かつてはよくあった物語だなあというのが私の正直な感想です。むしろ、この物語を理解できない現代日本人に私は時代の変化を感じて感慨深く思ったくらいです。

以上が二郎と菜穂子の愛の物語に対する私の感想です。

さて、今度はもう1つのパートについて言及します。堀越二郎と戦争との関わりです。これについては作品はややボンヤリと描いています。明確に戦争に賛成・反対の立場では描かれていません。時代に翻弄される個人という観点で描かれているわけでもありません。一生懸命飛行機作りに励む二郎の背景から戦争との関わりが薄っすらと感じ取れるといった程度です。そこでここでは堀越二郎の立っていた立場と彼とはまったく違う立場の人たちを対比することでもう少し明確に二郎と戦争との関わりを浮かび上がらせるようにしたいと思います。まず、最初に堀越二郎についてです。堀越二郎は航空機の設計技師という、今で言うエリートエンジニアに相当します。東京大学の航空学科の超エリート校出身で、これまた超一流企業の三菱重工に就職します。そこで零戦などの戦闘機の設計に携わります。映画では、裕福な家庭で育ち、ただただ飛行機に憧れて、飛行機を作らんがために勉強して大学に入り、卒業して会社に就職したら、時代は戦争で戦闘機を作らざるを得なかったという経緯のようです。私が気になるのは果たして彼に戦争責任があったのか、あるいは、彼自身が戦闘機を作ったことに対する罪の意識が戦後になってあったのかという点です。この問いを問う前に言っておきますが、私は「単純に彼に戦争責任があり罪の意識があって然るべきだ」と考えているわけではありません。しかし、逆に「彼には戦争責任はまったく無く、罪の意識など感じる必要はない」と考えているわけでもありません。彼の置かれた立場から考えると、ちょっと微妙な判断をせざるを得ないと思っています。その判断をするためには彼とは異なる立場の人たちと比較してみる必要があると思います。

まず、手近なところから考えてみます。堀越二郎は戦闘機を作っていましたが、戦争において飛行機が果たした役割について考えてみます。飛行機における戦闘には大きく2つのタイプがあったと思います。それは戦闘機による戦闘と爆撃機による戦闘です。戦闘機は制海権や制空権を得るために戦闘機同士で戦ったり、戦艦や空母などを攻撃したりする戦い方が多かったと思います。

一方、爆撃機は爆弾をどんどん落っことしてゆくことで都市を破壊するという戦い方が普通だと思います。都市を破壊することで純粋に戦闘力を破壊するだけでなく、戦争に必要な後方支援を遮断するためです。最も恐れられたのはやはり爆撃機による空爆でした。空爆は非戦闘員である市民も関係なく平気で無差別に殺戮するので非人道的な戦闘方法であると当時でさえも国際的に非難されていました。そういった非人道的な空爆に最初に踏み切ったのは日本でした。中国で渡洋爆撃重慶爆撃を行いました。重慶爆撃のとき、爆撃機を護衛したのが二郎たちが設計した戦闘機でした。また、空爆で有名なものとしてはドイツのドレスデン空爆東京大空襲があります。また、広島・長崎の原爆投下も空爆のひとつと考えることもできると思います。ともかく、空爆は無差別に非戦闘員も含めて大量殺戮するという非人道的な恐るべき戦闘行為でした。映画の中では、冒頭の二郎の夢の中で爆撃機が出てくるのとラストのB29らしき残骸と空襲を受けた焼け野原らしきシーンの二箇所が出てきますが、飛行機による戦闘で最も恐るべきものは空爆だというのはこれら2つのシーンが暗示していると思います。宮崎駿は『ハウルの動く城』でも空爆のシーンを描いていますね。私たち日本人にとっては空爆は太平洋戦争末期における戦争の象徴だったと思います。ただ、空爆が非人道的だという抗議は日本人はあまり持たなかったのではないでしょうか?

というのは、日本人は戦争は国民が一丸となって国全体で戦っていたのだという意識が強くあったからだと思います。空爆を受けている私たちも最前線で戦っている兵士ではないものの後方支援として工場で弾薬を作ったり、兵器を作ったりしているわけで、攻撃を受けても当然だと考えていたのではないでしょうか。近代国家の戦争というのは国民が総動員して行うもので非戦闘員が攻撃されたからといって非人道的だなどと抗議するのは筋違いだと思っていたのではないでしょうか。非戦闘員なのに随分と勇ましい考え方のように聞こえるかもしれません。しかし、その一方でこの考え方は危険な部分も孕んでいると思います。読者の皆さんはバンザイ岬をご存知でしょうか?太平洋戦争時、サイパン島で追い詰められた日本兵と民間人は米兵から投降を勧められたにも関わらず、投降を拒否して岬から身投げして死んでいったのです。兵士はもちろんのこと非戦闘員である民間人も後方支援として戦争に加担したという意識があったのではないでしょうか?もちろん、投降した後にどのような扱いを受けるのか、どんなに酷い辱めを受けるのか、それを恐ろしく思って、いっそ死んだ方がマシだと考えての自決だったかもしれません。しかし、この考え方も裏を返せば、勝った側は負けた側に対して何をしても良いという考えに転換してしまう危険があります。例えば、南京大虐殺では日本兵は大量に中国人を殺戮しています。最初は墓穴に向かった走らせて背後から銃で撃って墓穴に落とすというやり方をやっていたそうですが、そのうち銃弾を節約するために一箇所に中国人をぎゅうぎゅう詰めにして上からガソリンをかけて焼き殺したりしたそうです。ガソリンの量が足りなくて半焼で死ねずに唸っている中国人もいたそうです。これらの大半は軍命令によって行われた殺戮であったでしょうが、中には面白半分に陵辱して殺害するなんてこともあったようです。中国人女性を集団でレイプして最後に面白半分に一升瓶を膣に突っ込んで銃床で叩いてどれくらい奥に入るものかと無理に突っ込んだら中を突き破って死んでしまったといった証言もありました。非常に残酷な話ですが、日本人に限らず戦場ではしばしばこのような残虐な行為が起こっていたのだろうと思います。ロシア兵などもドイツでレイプしまくったと聞きます。なぜ、ここでロシアを持ち出してきたかというとロシア兵も元はと言えば貧しい貧困層が多かったのではないかと思うからです。先の南京大虐殺における日本兵も多くは貧しい下層階級の出身者を含んでいたものと思います。教育レベルが低く、貧しい階層の者ほど戦場における残虐行為は酷くなるという気が私はしています。社会において下層階級で虐げられてきた者たちがいったん無法状態の戦場に置かれたとき彼らはこれまでにない残虐行為を行う者になるのではないでしょうか?日本兵も士官学校出の将校などのエリートは別にして、下級兵士になると、例えば東北の貧農の出身であれば、故郷には親兄弟は残っているが、姉妹などは製糸工場などに奉公に出るなど、ほとんど人身売買と言っていいような態で家を出て行っていたのではないでしょうか。中には女郎として売られた者も少なくなったでしょう。都会においては貧富の差が激しく、奉公に入った女中がそこの主人にレイプされて子供を孕んで僅かなお金を渡されて追い出されたという話は相当数あったそうです。かえって士農工商で住居を住み分けていた江戸時代にはこのような無秩序な行為は少なかったのではないでしょうか?それが明治以降の近代に入って一挙に崩れた。曲がりなりにも秩序があった農村社会が破壊されて、工場での働き手として農村から人手が引き剥がされていった。日本は近代化の中で激しい貧富の差が生じ、その中で貧しい者は相当に虐げられてきた。富国強兵政策の背後には疲弊する貧困層と兵隊に取られた働き手たちという暗い裏面がありました。下級兵士はそんな下層階級出身者が多かった。そういった不満が表れたものとして2.26事件があった。2.26事件は下層階級を虐げる富裕層に対する青年将校たちの反乱でした。しかし、2.26事件は封じ込められ、富裕層への不満の道も閉ざされました。その結果、はけ口として今度は外国に矛先が向けられたというわけです。石原莞爾の満州事変も元はと言えば、満州建国によって外から日本を変えるという革命でした。しかし、だからといって南京大虐殺が許されるわけではありません。しかし、南京大虐殺を単に彼らを日本鬼子といって残酷な人間といったのでは正しく理解できないと思います。南京大虐殺で残虐行為に及んだ兵士たちにもそういった背景があるのだというのは知っておいてしかるべきだと思います。さて、それに比べれば、この映画の主人公堀越二郎はなんと恵まれた人間だったことでしょう。頭脳明晰・成績優秀で裕福な家庭で育ち、一流企業に就職して外国にも何度か行っている。二郎と下級兵士ではまるで住む世界が違うとまで言えそうです。確かに二郎は戦場で直接人を殺しませんでした。しかし、だからといって罪はないんだと胸を張って言えるでしょうか?例えば、原爆を開発したオッペンハイマー博士は広島・長崎の惨状を知ったあと、いかに原爆が非人道的な兵器かということを心底思い知らされたそうです。その後、彼は反核運動に向かうようになります。オッペンハイマー博士は直接殺害したわけではありません。しかし、彼には罪の意識がかなりあったのです。

近代国家の戦争において戦闘員も非戦闘員も少なからず戦争に加担しています。では、すべての戦争は悪なのでしょうか?ナチスドイツを倒したアメリカも悪なのでしょうか?それは違うと思います。ユダヤ人を強制収容所で大量に殺戮してきたナチスドイツと戦うことは正義の戦争だったと思います。戦争にも戦う理由があるのです。つまり、「その戦争に正義はあるか?」という問いです。日本の戦争に正義はあったのでしょうか?日本は日露戦争で朝鮮半島を支配下におき、満州事変で満州を侵略し、日中戦争で中国を蹂躙しました。さらに日独伊三国同盟を結んであのナチスドイツと結託して領土の拡大を図りました。そして、真珠湾攻撃によって太平洋戦争を始めて東南アジア各国を侵略してゆきます。どこをどう探しても日本の侵略戦争に正義はありません。しかも南京大虐殺など非人道的な殺戮が堂々と行われていました。ところが、今の日本人はそのことを忘れてしまっています。例えば、あのナチスドイツと日本が手を組んでいたことをすっかり忘れてしまっているくらいです。ただ、ナチスドイツにしてみれば、日本が真珠湾を攻撃したおかげでアメリカの参戦を招いてしまい、引いてはナチスドイツの敗北に繋がったのですから、「日本はなんてことをしてくれたんだ!」と思っているかもしれません。ナチスドイツの欧州大陸支配を阻んだものの遠因に日本の真珠湾攻撃があるのですから、現在の世界を築くのに日本が貢献した唯一の足跡と言えるかもしれません。(←もちろん、皮肉ですが。)さて、話を元に戻しましょう。大局的に見て、日本の戦争に正義はありませんでした。ただ、そのことを末端の二郎たちはどの程度知っていたのかという問題があります。大本営の発表がウソだらけだったというのは今では周知の事実ですが、日本の戦争に正義がないことを国民はどの程度認識していたのでしょうか。あるいは、当時は奪ったもの勝ちが当たり前だったのかもしれません。ヒューマニズムも当時と今では随分と違うでしょうからね。それにそもそも戦争に対してこれだけ深く拒絶反応を持つようになった日本人は第二次世界大戦の反省に由来しています。それまでの日本人はそれほど戦争に対して否定的ではなかったと思います。むしろ、好戦的だったとさえ言えるでしょう。私は戦争というものは愚かな行為だと思っているので戦争の反省を踏まえるようになった現代の日本の国民性はとても良いものだと考えています。ただし、単に条件反射的に戦争に拒絶反応を示すのではなくて、自分の頭で道理を考えて戦争に対して是か非かを判断しなければならないとも思っています。随分、話がそれました。堀越二郎の戦争責任について話を戻しましょう。近代国家の戦争においては戦闘員だけでなく非戦闘員も総動員されて戦争に加担します。さらに後方拠点を叩くという意味でも非戦闘員が住む都市も攻撃の対象になります。そういった意味では戦争の責任は戦闘員のみならず非戦闘員にもあるでしょう。確かに兵役を拒否すれば軍法会議で即銃殺されたり、強制的に工場労働させられたりと個人の意思に反して戦争に組み込まれたとする言い訳もあると思います。しかし、たとえそうであったとしても殺された側からすれば、やはり戦争の加担者であったことに違いはないでしょう。そして、戦争をしている国家に正義はあるかという問題があります。仮に非道なナチス・ドイツと戦うための戦争なら正義の戦争と言えるかもしれません。(ただし、悪の帝国ナチスドイツという印象も戦勝国側のイメージ操作の部分もあります。)しかし、単なる侵略戦争には正義はありません。(実は経済合理性から見ても日本の侵略戦争はあまり合理的ではなかったりするので、日本を戦争に向かわせた原動力は何かの勘違いか狂気の沙汰に近い面もあります。)したがって、日本の戦争はまったくの侵略戦争であり、そこに正義はありません。そう考えれば、二郎に戦争責任がまったく無かったとは言えないと思います。別にこれは二郎に限った話ではなく、当時の日本国民全員が戦争責任があったのだと思います。ただし、だからといって当時の為政者たちの罪が軽くなるわけではありません。戦争に導いた彼らが一番悪いことに変わりはありません。以上、堀越二郎と戦争に関わるパートについての私の感想を終わります。


さて、以上がこの物語の2つのパート、二郎と菜穂子の愛の物語と二郎の戦争との関わりに関する解説でした。ところで、この『風立ちぬ』ではこれまでの宮崎駿作品には見られない視点の変化があります。それは何かというと文明批判的な視点です。今までの宮崎駿は『風の谷のナウシカ』にしろ『もののけ姫』にしろ文明批判的な視点が非常に強かったのです。『天空の城ラピュタ』などはラピュタ人の超文明を否定的に扱っていますし、『千と千尋の神隠し』では河川の汚染など文明による環境破壊を強く批判していました。年長の人であれば『未来少年コナン』を知っていると思いますが、インダストリアに象徴されるように戦争批判と文明批判の塊でした。ところが、今作ではそれが少し違ってきています。以下にそれについて解説します。

「ピラミッドのある世界とない世界のどちらが好きか」という問いがカプローニ氏から二郎に投げかけられます。これは宮崎駿の多くの作品にある文明批判に通じる問いでもあります。宮崎駿のこれまでの作品を振り返ってみると『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』が良い例だと思います。『未来少年コナン』では文明都市インダストリアと農村社会ハイハーバーが出てきます。『天空の城ラピュタ』では超文明としてラピュタが出てきます。文化人類学では文明社会と対照的なものとして未開社会があります。宮崎駿が作品の中で言ったピラミッドのある世界とピラミッドのない世界とはまさにこの文明社会と未開社会を指しています。以下にこれらについて考察してみます。

まず、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見したときの状況を考えると分かりやすいと思います。西欧はすでに西欧文明を築いていました。一方、アメリカ先住民は北米では文明社会を拒んで部族社会を形成して暮らしていました。ただし、アメリカ大陸にも文明社会はありました。中央アメリカに築かれたアステカ文明やマヤ文明、あるいは南米はペルーのインカ文明などです。彼らは鉄を発見しなかったので石器文明ですが品種改良など植物栽培においては優れており、ジャガイモやトマトやトウガラシなどがあり、アメリカ大陸発券後は世界の食生活を一変させてしまいました。ジャーマンポテトやフレンチポテト、イタリアのパスタやピザに使われるトマト、キムチに使われるトウガラシなど今となっては無くてはならない食材がアメリカ大陸からもたらされました。そういったアメリカの石器文明とは裏腹に、北米のアメリカ先住民は文明社会を善しとせずに文明を拒んで部族社会を形成して生きることを選びました。文化人類学者のレヴィ=ストロースがフィールドワークした南米先住民もそういった部族社会の人たちでしょう。彼らの暮らしは狩猟採集か原始的な農業でした。彼らと行動を共にして調査した結果分かったことのひとつに豊かな自然の恵みがあるため彼らの一日の平均労働時間は4時間くらいと大変短かったそうです。『悲しき熱帯』の中でレヴィ=ストロースは文明社会に戻るとき自分たち文明人を忙しく立ち働くミツバチに喩えて忙しい文明社会に戻ることを残念がっている言葉を残しています。労働時間が短いのなら、彼らの残りの時間は何をやって過ごしていたのかというと、いわば遊んでいたようでした。といっても物質的には貧しい生活ですから、精神世界に生きていたというべきかもしれません。紋様を描いたり、宗教的な儀礼のために花を集めたり、首飾りを作ったりという感じでしょうか。それはそれで充実した生活だったかもしれません。しかし、数多くいた先住民たちもヨーロッパ人が入ってきたときにもたらされた病気で原因で多くの人が生命を落として人口が激減してしまい、今では100分の1以下に減ってしまったそうです。いや、千分の1以下かもしれません。

さて、話を元に戻しましょう。文明社会と未開社会。人類には生き方として2つの選択肢があったわけです。宮崎駿は彼の作品を通して文明批判を続けてきました。そして、宮崎駿の文明批判の行き着く先は文明社会でも未開社会でもなく、第三の道である中世的な農村社会にその理想を見出します。『未来少年コナン』で言えばハイハーバーでの暮らしを理想郷とします。『ラピュタ』では超文明のラピュタを滅ぼしてしまいます。『もののけ姫』ではついに未開社会に生きるサンと北方先住民であるアシタカは交わることなく別れます。しかし、次第に大和文明が彼らのテリトリーを侵食してゆくことでしょう。ともかく、文明批判を続けてきた宮崎駿は「では文明社会がダメだというのなら、代わりにどのような世界を理想とするのか?」という問いに対して、文明でも未開でもない、中世的な農村社会、里山的な自然と人間社会が調和した社会を理想郷としてきました。里山は都市と山の中間に位置します。里山の後ろは山という自然が控えています。また、里山は都市からは離れたところにあります。ただし、里山の自然界は通常の自然界とは違った世界です。というのも、普通の自然界ではありえないほど特定の生き物が異常に繁殖したりします。稲という特定の植物を繁殖させる稲作による影響と見ることができます。里山の自然は普通のありのままの自然とはちょっと違っているのです。里山の世界では自然と人間が一種の協定を結んでいる世界と言えるかもしれません。(それを善しとするか悪しきとするかはまた別問題ですが。)しかし、現在、里山的世界は成功しているとは決して言えません。里山の生産性は現在の経済活動から見れば見劣りがするからです。中世的な世界の経済活動なら里山的な生産性でも十分だったかもしれません。しかし、現代社会では里山的世界の生産性では文明社会を養うにはまったく足りません。結局、農業はどんどん機械化されて行き、環境もそれに合うような形に変えられて行きました。もはや近代農業における農場は工場であって里山ではありません。確かに宮崎駿が理想とした里山的世界は一種の理想郷だったとは思いますが、その理想郷が成立するためには一定の条件下でないと成り立たないものでした。つまり、現代文明との両立は不可能です。現代文明を支える農業としては、やはり工場としての農業を必要とします。そして、現代文明がなければ、飛行機など作れるはずもないのです。さらに言うと文明社会は戦争をも生み出してきました。歴史がそれを証明しています。農業の労働者として多くの奴隷を必要としたため文明社会は近隣諸国に領土を拡大して侵略した国の国民を奴隷としてきました。一方、部族社会では戦争は回避されてきました。ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』で描かれているように戦争という愚かしい行為は部族社会では回避されるのが普通でした。

さて、話を少し整理しましょう。人類のライフスタイルの選択肢としては、文明社会と未開社会、そして、その中間である里山的社会の3つがあります。そのいずれも人類は選択可能だと私は思います。アマゾンの奥地では今も未開人が野生の暮らしをしていると聞きます。また、アーミッシュの人々のようにあえて現代文明を否定して中世的な世界に暮らす選択をする人たちもいます。日本でも武者小路実篤が立ち上げた新しき村というのはそういった思想に依ったものだったのではないでしょうか。(里山的社会は生産性が低くともそれに甘んじる覚悟であるなら別にやっていけないわけでありません。)そして、私たちのように現代文明の中で暮らす人たちも大勢います。したがって、それらの社会は両立は不可能であっても、それぞれが独立して暮らすということは決して不可能ではないと思います。ただし、何度も言いますが、それぞれにメリットとデメリットはあります。文明人は物質的に豊かな暮らしがある一方で忙しく働かなければなりません。一方、未開人はのんびりした暮らしかもしれませんが、ひと度病気が猛威を振るえば部族がたちまち死に絶えてしまうなんてこともしばしばありました。近世の日本の農村社会は里山的世界でしたが、そこの暮らしが果たして人間的だったかどうか疑問に思う面も多々あります。里山的な生産性を保つために彼らの性生活もどこか統制的でしたし、村社会特有の縛りがあって決して自由からは程遠かったように思います。また、食い扶持の配分を考えて間引きという嬰児殺しも頻繁に行われていました。結局、いずれもメリット・デメリットがあると思います。いえ、進歩史観的に見れば、人類の歩みは自然の脅威との戦いであり、数々の悲劇を生み出してきた自然の脅威を文明の進歩は一歩一歩克服してきたという進歩の歩みなんだという、文明社会だけを唯一の人類の理想的な社会だと見なす見方もあると思います。しかし、21世紀になってかつては恐れていた自然を文明が再生不可能なまでに破壊して取り返しがつかないことになってしまいそうだという状況になってしまい、そういった進歩史観に疑問が投げかけられるようになりました。また、レヴィ=ストロースの仕事などは文明社会より下位に見られていた未開社会が実は豊かな精神世界を持っており、文明社会とは別の方向に質・量ともに同等かそれ以上の価値ある社会を見出したことでした。それによってレヴィ=ストロースは文明社会を相対化することに成功しています。したがって、人類は必ずしも文明社会という生き方しかないわけではないと思います。ピラミッドのある世界か、それともピラミッドのない世界か。私たちにはいくつかの選択肢があるのだと思います。

さて、宮崎駿は長い間文明批判を行ってきました。彼の最高傑作の漫画『風の谷のナウシカ』も墓所のピュアな未来人を否定して清濁両方を兼ね備えた人類を是とする思想を披露していますが、そこでも文明社会は拒絶されています。ところが、今作では「ピラミッドのある世界かない世界か」という問いの中でカプローニや二郎たちには飛行機のある文明社会を選択させています。その結果、戦争という悲劇にも見舞われてしまうのですが・・・。ともかく、これまでは明確に文明批判を続けてきた宮崎駿が今回はそうではない一面を表しているわけです。そして、二郎には戦争責任が突きつけられるわけです。ただし、二郎の戦争責任については明確に描かれてはいません。宮崎駿は「堀越二郎が全面的に正しかったとは思ってはない」としつつも、逆に否定的にも描いてもいません。その代わり宮崎駿は二郎に対して「生きねば」という想いを託しています。後方支援として彼は戦争に加担して多くの死に関わったと言えるでしょう。彼はそれに対して自らを断罪すべきだったのでしょうか?いえ、むしろ失われた生命のためにも、今度は失われた世界を再興するために努力する道を彼は選んだのではないでしょうか?戦後の日本経済を支えたのは紛れもなく技術立国日本と言われた技術力です。戦時中の技術者たちが戦後において日本の復興に果たした役割は極めて大きかったと思います。現在の日本の繁栄を支えたのは彼ら技術者たちの技術力だったのではないでしょうか。宮崎駿が今までの文明批判的な態度を改めてまで描きたかったのは堀越二郎にあったような日本人の高い技術力に基づいた日本の未来への希望だったのではないでしょうか。

明治から現代に至るまでの日本の産業を歩みをざっと振り返ってみましょう。戦前の日本は江戸時代とガラリと変わって産業革命が起こります。しかし、グローバル経済から見ると、英国たち欧米先進国が重工業にシフトしていったのに対して、日本はそれら欧米先進国に代わって軽工業を担うというものでした。いわば後進国として先進国が最早やらなくなった産業を担ったのです。日本は安い労働力で安かろう悪かろうの製品を作っていました。今では信じられないかもしれませんが、それは後進国の当たり前のプロセスだったと思います。この頃の日本は欧米先進国の後塵を拝していたのです。しかし、日本は次第に戦争直前から戦時中にかけて工業国へと進化してゆきます。そして、戦争によって日本は随分工業国に進化していったと言っていいでしょう。とはいえ、それでも欧米先進国に比べれば総合力として日本の技術力は劣っていたといわざるをえないでしょう。確かに零戦や戦艦大和は日本の優れた技術力を結集した工業製品だったと思います。しかし、全体としてみれば、それはごく一部であってレーダーや暗号解読など多くの分野で日本の科学技術力は欧米と比べて劣っていたと言わざるを得ないでしょう。もちろん、戦争に負けたのは単なる科学技術力が劣っていたからだけではありません。国力の差が極めて大きかったと思います。ところが、戦後の日本はこの欧米先進国優位という立場を逆転するのです。それまでと違って日本の工業製品が単に安いから売れたというのではなくて、高品質ゆえに欧米の工業製品を押しのけるときがやってくるのです。それは家電と自動車の分野に象徴されます。日本の自動車が世界市場に進出できた要因は単に安いだけでなくその品質の高さにありました。アメリカの自動車市場に日本車が割って入れたのはその品質の高さゆえでした。そして、ついにビッグスリーを押しのけてアメリカの自動車市場に確固たる地位を築き、日本の高い技術力が欧米先進国を逆転したのです。振り返ってみれば、それらの基礎を築いたのは戦時中の日本の技術者たちでした。堀越二郎もその一人なのでしょう。戦後の日本経済の繁栄を支えた者は「生きねば」と言って焼け野原の中から立ち上がってきた彼ら技術者たちだったのです。近年、『プロジェクトX』で技術者の評価が上がりましたが、その源流は同じくNHKの『電子立国日本』であり、そのおおもとをどんどん辿れば戦時中に活躍した若い技術者たちに辿り着きます。まさに堀越二郎たちです。ここに二郎に「生きねば」と言わしめた宮崎駿の意図があったのではないかと思えてきます。まるで司馬遼太郎が敗戦によって失われた日本人の自信を取り戻すために『坂の上の雲』を書いたように、90年代から始まった「失われた20年」で失われた日本人の自信を取り戻すために宮崎駿は天才技術者・堀越二郎の生涯を描いたのではないでしょうか。

(ただし、現在もこれが当てはまるとは必ずしも限りません。例えば、液晶テレビで日本が中国に負けたのは安かったからであって、いくら高画質・高品質でも高価であっては消費者には受け入れられませんでした。戦後、高品質で日本の家電と自動車が伸びたように同じ手法が通じるというわけではありません。私たちは時代の変化に合わせて自らを変えていかねばならないのだと思います。)

とまれ、右傾化甚だしい昨今の日本にあって、彼ら右翼を単に批判するのではなく、右翼も含めて日本人全員に未来への希望を与えるという意味では、この堀越二郎の物語は深い意味を有していると思います。この物語は多くの日本人に過去への反省と未来への希望を与えるという、極めて希有な作品だからです。この物語は、一見、宮崎駿の平和主義者であると同時に兵器好きのミリタリーオタクという相矛盾する性格が一人の人間に同居しているという自己矛盾を描いた作品に捉えられがちです。確かにそういった面もないわけではありません。しかし、そんな小さい個人的な事柄のために彼は作品を作ったりしないと思います。この宮崎駿という物語作者はこの物語を通して日本人に過去への反省と未来への希望を与えるという深慮遠謀な意図を自分でも気づかず無意識に持って、この作品を作ったのではないかと私には思えます。

年間約3万人の人たちが絶望して自殺してゆく昨今の日本・・・。この作品はそんな絶望した彼らに単純に希望だけを与えるのではなく、もっと苦しかった過去を教え、そしてその過去への反省を踏まえた上で希望を与えようとしていると思います。かつてはがむしゃらに前進することしか知らなかった戦後の高度成長期の日本とは違った、成熟した大人の思想をこの作品からは感じます。そして「生きねば」という宮崎駿のラストメッセージは現在の状況に絶望して自殺してゆく人たちに「死ぬな、生きよ!」という強い願いが込められた祈りの言葉であり、さらに単に祈りだけでなく「かつては技術力で焼け野原から再興したではないか」という歴史的裏付けのある未来への希望を込めた言葉なのだと思います。この言葉は単に自殺しようとしている人だけでなく、東日本大震災の被災者も含めた、現在、苦境に立つ日本社会の日本人全員に向けられた宮崎駿からの最後のメッセージなのだと思います。

2013年7月25日木曜日

新海誠『言の葉の庭』

 
新海誠監督の『言の葉の庭』を観ましたので感想を書きます。


久しぶりに素晴らしいアニメを観ました。見終わった後の清々しさは久しぶりでした。まず、あらすじを書いておきます。物語は16歳の高校生の男子と学校に通えなくなった高校の女教師との葛藤と恋の物語です。主人公の秋月孝雄は16歳にしては非常に大人びた少年です。すでに将来は靴職人になることを決めて黙々と靴職人目指して頑張っています。一方、もう一人の主人公雪野由香里は仕事によるストレスでトラウマを抱えてしまい仕事に行けずに朝から公園でビールを飲んでいるという生きることに行き詰った大人の女性です。彼女は自分と孝雄を比較して自分のことを成長していないと嘆き卑下している節があります。ただ、ひとの心は傷つきやすく脆いものだとしたら、そんなに卑下することもないだろうと私は思ったりします。日本社会は一人ひとりが経済活動に従って動いており、社会全体もそれに伴って全体運動していますので、いったんそこからはみ出してしまうととても居心地の悪いところなのでしょう。しかし、果たしてそれが正しいことなのかどうなのか。かつては企業戦士となって働くことで自己実現を行うというのがサラリーマンの既定の路線でした。しかし、企業の競争は激しくなり生存競争だけになりつつあって他を蹴落として自己の生存のみを優先するような経済活動で、果たして自己実現などが可能かどうかとても疑問に思います。

さて、孝雄は靴職人を目指しているので学校教育を煩わしく感じており、雨の日の午前中は休んで公園で靴の絵を描いています。学校に行きつつも勉強を半ば無意味と捉えており、いわば片足はドロップアウトしている感じです。一方、雪野は休職しており、味覚障害まで起こして現時点では完全にドロップアウトしています。そんな二人が出会って心を通わせます。心を通わせるといっても最初は恋ではなかったと思います。ドロップアウトした者同士が分かり合える共感が彼らの心を通わせたのでしょう。アウトサイダーである者同士の共感と言っていいかもしれません。そして、アウトサイダーであることは社会からのはみ出し者であり、どこか痛みを持っており、それは互いを繊細にします。そして、互いの心の繊細さに触れたとき、二人は次第に近しい気持ちになります。

ところが、ふとしたきっかけで雪野の正体を孝雄が知ってしまいます。孝雄は雪野の繊細な心を知っていたため、そして、既に彼女に恋し始めていたため、彼女をここまで追い詰めた先輩に手を上げて彼女の仇を討ちます。雪野は孝雄の仇討ちを知りませんが、どこかで何かを感じたのでしょう、そのあと二人はより一層近い関係になります。そして、雪野の自宅に訪れたときこれまでにない幸せを感じ、孝雄は恋愛にまで想いが高まります。それに対して雪野は恋愛なのかどうかは分かりません。二人でいることがこれまでになく幸せであることは確かです。そして、孝雄によって傷ついた心が癒されたのも確かです。二人は最後に互いの心を吐露して抱き合います。そして、雪野は実家に帰って教師として再出発し、孝雄は大人に成長することで今度は雪野を迎えに行こうと決意を固めて物語は終わります。

物語自体はさほど珍しくないと思います。確かに主人公の孝雄がとても大人であることに驚きますが、それ以外は特に珍しくないと思います。また、雪野のような心を病んだ教師は現在多くいると聞きます。多くの教師が学校生活で精神的に傷ついて休職しているというニュースを聞いたことがあります。おそらく雪野のようなケースは決して珍しくないのでしょう。ちょっと社会の暗いところを描いてあって新海誠にしては珍しいような気もします。

さて、ここからが本題です。この作品で特筆すべき点について言及します。それは自然の情景を描いた映像です。この作品は物語も確かに魅力的なのですが、それ以上に自然の描写がとても素晴らしいものになっています。雨に濡れた自然の描き方がこれまでのアニメにない素晴らしさでした。普段は動きのない情景が天気を雨にすることによって大きく変わります。自然や事物が雨に濡れることで色彩が際立って見えたり、風に揺れる木々や雨粒が心象風景として見事に浮かび上がってきます。雨に打たれて蒸気を発した空気が最早いつもとは違っています。

かつて日本文学は自然の情景を取り入れるのがたいへん優れていたと思います。しかし、それを映像化するのは非常に困難でした。なぜなら、実際の映像を撮ってもそれは日常的な情景であって、文脈に沿った印象を乗せた情景にはならないからです。ところが、それをこの作品は見事に描くことに成功しています。アニメ化することによって描きたい情景を見事にイメージどおりに描いているのです。いわば撮影では不可能なベストショットをアニメで見事に描いているのです。新海誠は元は文学部の国文学専攻だったはずです。日本の文学は伝統的に自然を描くことが多く、そして上手です。俳句にも必ず季語を入れて自然の移り変わりを表現するように日本独特の自然観があるからです。ただし、西洋だって自然観はあります。私は西洋の博物学が描く博物誌などに挿入されている動植物画は素晴らしいと思いますし、西洋の庭園のその自然のままにしようとする姿勢は良いと思います。それに対して日本の庭園は刈りこんで人工的にしてしまいがちです。おそらく、日本の場合、自然のままに任せると荒れ放題に自然が成長してしまうからだと思います。ところが、欧州は違います。例えば、ドイツなどは森を残しています。いったん森を伐採してしまうと二度と生えない気候になってしまったからです。また、英国ではナショナルトラストとして湖北地方など自然を残す運動があります。そうまでしないと自然を残せないからです。一方、日本は国立公園として自然を残そうとしていますが、山を削って自然を破壊すること甚だしいと思います。今回のウナギにしても絶滅を心配するよりもウナギの高騰を心配している始末です。日本人の感覚として自然は放っておけば勝手に再生するものと思っているようです。しかし、例えばオーストラリアでは山火事がいったん起これば二度と森は再生しない地域だってあります。それだけ日本の自然環境は恵まれているとも言えるのかもしれません。しかし、日本は戦後の経済成長の中で自然をとことん破壊してきました。今後、どこまで再生できるのかは分かりません。以前、吉本隆明が若い歌人が自然を詠んだ短歌が減ったと言っていたことがありました。それだけ日本人の中から自然に対する感性が失われたのだと思います。なぜかといえば都市化が進んで自然に触れる機会が減少したからだと思います。ながながと書いてきましたが、このアニメではそういった日本の自然に対する感覚がかつては文学であったのが、このアニメでは映像として見事に描かれていると思います。

風に揺れる枝、雲の中を走る稲妻、雨水のはね具合や波紋の広がり具合、とても素晴らしい表現でした。これはどのようなアニメ技法で描かれたのか素人の私には分かりません。CGなのかセル画風に手描きで描かれたものなのか、それともまったく別の技法なのか。いずれにしてもとても素晴らしい動く自然描写でした。実写では出せないアニメならではの表現でアニメにした甲斐があるというものです。実は、私は以前にこのような自然を描いたアニメ作品を期待したことがありました。それはディズニーアニメの『ポカホンタス』です。『ポカホンタス』の頃、CGが出始めた頃で水面の波紋や風に揺れる枝などコンピュータを使った自然な表現ができるのではないかと期待したことがありました。今回、そのときの期待以上の映像、自然な表現にさらにひとの感性を上乗せした素晴らしい映像を見ることができて本当に嬉しかったです!大げさな言い方かもしれませんが、アニメという表現ではあるものの、新海誠監督は自然を愛でるという日本文学の伝統の良き継承者なのかもしれません。

ありがとう、新海誠監督!

追記
自然には穏やかな自然もあれば、荒々しい自然もあります。アンドレ・ジッドが小説『田園交響楽』の中で自然とはベートーベンの田園交響曲のように美しいものだと言った反面、世界にはそうでないものもあると言いました。天国の楽園のような穏やかな自然だけでなく、石を裏返したときにムカデやダンゴムシがうじゃうじゃと這い出してきたり、動物の腹を切り裂いたら内臓がドバっとそのグロテスクな姿を見せたりします。表面は美しい曲面であっても、その中身はグロテスクな内臓だったりします。今回、この作品ではどちらかといえば、自然の美しい面ばかりを表現していたと思います。しかし、それは自然の一面に過ぎません。今度は是非もう1つの自然の面、荒々しかったり、グロテスクだったりする、魑魅魍魎が蠢くような自然の陰の部分を是非表現してほしいものだと思います。今作がとても素晴らしかったので、これは次回作への期待です。

2013年7月24日水曜日

牧野克彦『自動車産業の興亡』


今回は牧野克彦『自動車産業の興亡』を取り上げます。
  

今日の世界経済を考える上で自動車産業を抜きにしては考えられないほど極めて重要なリーディング産業であると言っていいでしょう。大きな雇用と利益を生む自動車産業は国を支える基幹産業であり、国家さえもその存在を無視できないものだと思います。(実際、米国は大統領がビッグ3のトップを連れて日本を訪れたこともありますからね。)そこで1886年に自動車が開発されてから現在に至るまでの百数十年間に生まれてきた約2500社の自動車メーカーの歴史について知っておくのは決してムダではないと思います。この本はそういった世界の自動車メーカーが生まれては消えていった興亡の歴史が図表や数値を交えて丁寧に描き出されています。また、著者自身が自動車メーカーに約40年間勤めた、いわば業界の内側の人間ですので、外側からうわべだけを見て知っているのと違って業界内部にも通じた深い見識に裏付けられた本だと思います。戦後の日本経済を支えてきた製造業は自動車と家電の二本柱ですが、今、家電は中国がその安い人件費を武器に世界の工場となって以来、日本を追い越しつつあります。もう一方の柱である自動車産業においても中国の生産台数はすでに世界一になっています。今後の日本の自動車産業の行く末を考える上でも、また日本経済の行く末を考える上でも自動車産業の歴史について知っておくことは極めて重要だと思います。この本はそういった自動車産業の歴史を知るのに最適な本だと思います。是非、ご一読することをお薦めします。

まず、自動車は欧州で発明されます。最初は蒸気自動車が発明されました。1769年にフランスでベルギー人によって3輪車が試作されました。意外なことに電気自動車もこの頃発明されます。1883年にフランスとイギリスでそれぞれ電気自動車が発明されました。ガソリン自動車はというと、まず1876年にドイツでガソリンエンジンが発明され、1885年に自転車にガソリンエンジンを搭載したオートバイを試作し、1886年に4輪車に搭載した自動車が試作されました。これらを開発したのはダイムラーとマイバッハというエンジニアでした。そう、あのダイムラーベンツのダイムラーです。そして、これとはまったく別に1886年に4サイクルエンジンを載せた3輪車を開発した人物がいました。それがベンツでした。自動車の発明にダイムラーやベンツが既にいたのですね。その後、ガソリン自動車が生き残ってゆくのですが、それには道路や石油という条件が整うまでに少し時間がかかりました。また、自動車レースがそれに大きく貢献しています。

さて、自動車の普及をおおまかに追ってみましょう。最初に欧州で発明された自動車ですが、初期の世界の生産台数は2万台程度でした。欧州では自動車は高級品でした。それを変えたのがアメリカのヘンリー・フォードです。コンベアー生産方式によってT型フォードの大量生産を可能にしました。そして、欧州では一部の富裕層しか買えなかった自動車でしたが、米国では一般大衆にも買えるようにしました。その結果、右図のように1900年から1980年までの間、アメリカが世界の自動車の生産の大半を担っています。世界大恐慌と第二次世界大戦の時期はさすがに生産は落ち込みますが、それ以外はほぼ順調に生産台数を伸ばして行きます。

一方、欧州はというと戦争のたびに生産を落としています。欧州の場合、特徴的なのは自国内ですべての自動車部品を賄うということが少なく、他国にわたって部品を揃えていたため、いったん欧州内のどこかで戦争が起こると部品が滞り、その結果、生産が思うように行かなかったようです。こういった違いもあってますますアメリカが自動車大国になったわけです。その間、アメリカ国内では競争が激しくビッグ3と言われるフォード、GM、クライスラーが台頭してゆきます。この自動車大国アメリカのダントツでのトップの地位は日本が自動車産業に参戦してくる1980年まで続きます。

日本の自動車産業は戦後に伸びて行きます。戦前もあったのですが、戦前は軍用車に限られていたようです。日本がアメリカを追い越すのはトヨタのリーン生産方式、いわゆるカンバン方式によって作られた高い品質によるものでした。元々、リーン生産方式はアメリカのデミング博士に由来するらしいです。また、自動車が小型化することにアメリカの自動車メーカーが対応できなかったのも大きな要因でした。その後、日米自動車摩擦が起こります。結局、アメリカの政治圧力に負けて日本が自主規制することでアメリカの自動車メーカーは倒産を免れ、その間にアメリカの自動車メーカーが技術を向上させて日本に追いついたそうです。

それから後に今度はグループ化の波が押し寄せます。世界の自動車メーカーはある程度のグループに組み替えられます。その結果、GM、フォード、ダイムラー・クライスラー、トヨタ、ルノー、VWの6大グループに分けられます。本書は2003年に刊行された本ですのでここまでの歴史ですが、しかし、その後も再編成されて、現在では、トヨタ、GM、VW、ルノー、現代自動車の5大グループになってしまいました。韓国の現代自動車が食い込んできました。


ところで、英国では自動車メーカーが発達しませんでした。というより出遅れてしまいました。英国は産業革命発祥の地でありながら、どうしてでしょう?それはすでに発達した産業が既得権益を守ったがために新興企業である自動車産業の発達を阻害したといえるのではないでしょうか。例えば、赤旗法という規制がありました。1830年頃、英国は既に蒸気自動車を開発してロンドンを蒸気バスが走っていました。しかし、蒸気バスはエンジンが蒸気機関ですから黒煙を排出するので住民からは嫌われていました。また、すでに発達していた乗合馬車は蒸気バスに仕事を奪われるのではないかとたいへん恐れていました。そこで1865年に乗合馬車の団体は議会に働きかけて自動車の前方55メートル先で赤旗を持った警告者が自動車を通ることを付近の通行者に警告しなければならないという赤旗法を通してしまったのです。考えたら、バカバカしい法律ですよね。しかし、そのことによって英国では自動車の普及が妨げられてしまったのです。ドイツやフランスで自動車の開発が進んだことに危機感を抱いて1896年になって赤旗法はやっと廃止されました。また、第二次世界大戦後、ドイツやフランスの工場が破壊されたために英国の自動車産業は一時期伸びるのですが、次第に復興した欧州大陸のメーカーに抜かれてゆきます。現在では英国の国産メーカーは外国のメーカーに吸収合併されて、独立した英国の自動車メーカーはとうとう無くなってしまいました。

今度は日本の自動車メーカーの国内でのシェアを見てみましょう。トヨタは比較的シェアを維持し続けていますが、日産は新規参入組に押されて20%近くシェアを下げています。一方、新規参入組でシェアを伸ばしたのはホンダとスズキです。マツダと富士重工はシェアを落とし、三菱やダイハツはほぼ横ばいです。この図は1995年までですので、現在はもう少し日産のシェアは回復しているのではないでしょうか。瀕死のクライスラーをアイアコッカが建て直したようにカルロス・ゴーンが官僚体質だった日産を改革して経営を建て直しましたからね。




今度はアメリカ市場での各自動車メーカーのシェアを見てみましょう。右図のようになります。フォードやクライスラーはほぼ横ばいですが、GMがかなりシェアを落としています。そして、その落とした分を勝ち取ったのが日本の自動車メーカーです。GMがシェアを落とした原因は様々ありますが、まず1つ挙げられるのは内製率が80%と非常に高かった点があります。トヨタの内製率が30%ですので極めて高いことが分かると思います。同時にUAW(全米自動車労働組合)との確執がありました。内製率が高いことからもそれを外注しようとすれば労働組合と対立するのは目に見えていますよね。これらのためにGMは非常に非効率な生産になったのだと思います。他にも人気車が無いとかRV車に出遅れたなど要因は多々あります。例えば最新鋭のロボットを工場に導入したけれど故障が多くてまったく使いものにならなかったという大失敗もあったようです。先日、デトロイトが財政破綻しましたが、大きな原因はGMの低迷にあると言えるでしょう。


さて、最後に現在の世界の自動車産業の趨勢を見ておきます。2012年のデータですが、世界の自動車メーカーの販売台数ランキングと国別の自動車生産台数と国別の自動車販売台数です。



















日本のトヨタや日産・ルノーはよく頑張っています。ホンダもよく食らいついています。ですが、世界の生産台数と販売台数を見てみて下さい。かつては自動車の世界最大の市場はアメリカでした。アメリカが最も多く生産して最も多く購入していました。しかし、今では中国が世界最大の自動車市場になりました。中国に世界各国から来た自動車メーカーが工場を建てて自動車を作り、そして、作られた自動車を中国が買っています。世界経済にとって、とても象徴的だと思います。日本もいずれ自動車工場のほとんどが中国に移転してしまい、移転した工場は中国を本拠地としてしまうでしょう。また、電気自動車がガソリン自動車にとって変わる時代が到来したとき、電気自動車はこれまでのガソリン自動車とは違って家電のように部品の調達が垂直統合から水平分業に変わるのではないでしょうか。そうなれば、ますます日本の自動車産業は苦しくなると思います。日本がこの世界の潮流に逆らっても仕方ないのではないでしょうか。むしろ、日本としては製造業から知識産業に新たに産業構造の転換を図るべきなのだと思います。

いずれにしても、自動車産業の歴史を知る上でこの本を読むことを強くお薦めします。