2013年7月29日月曜日

宮崎駿『風立ちぬ』

 

宮崎駿監督の『風立ちぬ』の感想を書きます。


この物語を2つのパートに分けて考えます。1つは堀越二郎と菜穂子との愛の物語というパートです。もう1つは堀越二郎と戦争との関わりというパートです。なお、いつものことですがネタバレ全開で書きますので映画をまだご覧になっていない方はご注意下さい。また、今回は物語を忠実に追って作品分析するというよりは物語の周辺を埋めることで物語に託された意味を浮かび上がらせるといった分析になるかと思います。この映画を見た人たちの反応や映画には描かれていない当時の時代背景を引き合いに出すことによって映画の内容を浮き彫りにできればと思っています。そういう意味では、あまりネタバレにならないかもしれません。なお、こういった映画に描かれていない背景を引き合いに出すやり方は主観的な捉え方になってしまうかもしれません。そう言われても仕方のない面があります。なぜなら歴史的な史実に基づいた作品の場合、純粋に物語そのものを捉えるというのは難しい場合があるからです。どうしても作品を見る者が記憶している歴史認識に作品の印象が無意識に左右される恐れがあるからです。もちろん、史実に基づいた作品であっても純粋に物語分析できる作品もあるとは思いますが・・・。いずれにせよ、その辺りの主観的か客観的かの判断は読者の個々の判断にお任せします。

では、まず、二郎と菜穂子の愛の物語について解説します。二人の出会いは汽車の中で関東大震災に遭遇したことがきっかけでした。付き人の女性がケガしたのを手助けした二郎に菜穂子は恋します。そして、偶然再会して二人はたちまち恋に落ちて結婚します。しかし、菜穂子は病気に侵されていました。結核でした。当時、結核は死の病でしたので菜穂子が助かる見込みはほとんどありませんでした。二郎は設計の仕事があり、菜穂子を看病するだけの十分な時間はありませんでした。結局、菜穂子は療養所暮らしで二郎は設計の仕事に従事する毎日でした。しかし、二郎への想いが積もった菜穂子は療養所を抜け出して二郎の下宿に押しかけます。二郎は菜穂子の想いを汲んで一緒に暮らします。一緒に暮らすといっても二郎は大半の時間を仕事に費やし、菜穂子も多くは病のために寝て暮らします。二人一緒の時間はごく僅かでした。しかし、二人にとって菜穂子の生きている時間は限られているので、ありふれた日常生活とはいえ二人はできるだけ充実して生きようとします。二人はこのごくありふれた日常の瞬間を実はかなり真剣に生きたのでした。

さて、この愛の物語の捉え方ですが、現代の日本人には2つの見方があるようです。1つは人道的見地から見た二郎に対する批判です。その批判とは「二郎はなぜもっと菜穂子のために時間を費やさなかったのか?」というものです。もっと菜穂子の病気の看病をしたり、菜穂子のために何かしてあげたりしなかったのかというものです。これに対しては菜穂子の気持ちになって考えると二郎のとった行動が理解できると思います。菜穂子は二郎に看病してもらいたかったでしょうか?あるいは、二郎に菜穂子のために何かしてもらいたかったでしょうか?おそらく、菜穂子はそのようなことは望まなかったでしょう。菜穂子の望みは少しでも夫の二郎に尽くしたいというものではなかったでしょうか?夫のために何か役立ちたいというのが菜穂子の願いだったのではないでしょうか?では、なぜ菜穂子は夫にとって病身の自分が邪魔になると分かっていながら二郎の下宿におしかけたのでしょうか?それは二郎に会いたい、二郎と一緒に暮らしたいという強い想いがあったからです。二郎への愛と言っていいでしょう。二郎を愛するがゆえに二郎と一緒に暮らしたいと強く願ったから迷惑をかけると分かっていながら、どうしてもその気持ちを抑えきれずに二郎の下宿におしかけたのです。読者によっては、なぜそれを我慢できなかったのかと問われるかもしれません。しかし、菜穂子の病気のことを考えれば菜穂子の気持ちが分かると思います。菜穂子の結核は助からない病気です。もし、このまま療養所にいれば二度と二郎と一緒に暮らせないまま自分は死んでしまうかもしれない。そう考えると一緒に暮らせるチャンスは二度とないかもしれない。その焦りから彼女は二郎の下宿に押しかけることを決意したのだと思います。そして、ある程度、二郎と一緒に暮らして満足したため彼女は療養所に帰って行きます。これ以上一緒にいては迷惑だろうし、病身の醜い自分を愛する二郎に曝け出すのも憚られたのかもしれません。そして、何よりも、いわゆる「もう思い残すことはない」という心境に達したからだと思います。菜穂子も二郎もこの想いは共有していたでしょう。二人は愛し合った夫婦だからです。二郎は技術者であるために感情があまり表に出て来ませんが、おそらく、二人ともそういった想いを十分に心の裡に秘めていたと思います。なぜなら妹の加代と下宿の黒川夫人が菜穂子が療養所に帰ったときに二人で大いに悲しみますが、そのときの二郎と菜穂子の心境が描かれなかったことでかえって二人の想いが加代と黒川夫人以上に深かったのだと分かると思います。二人は心の深い深いところで想いを共有して強い絆で結ばれていたのだと思います。以上のように考えれば、現代人が二郎のとった行動に対して非人道的だという批判は当たらないと思います。ただし、見方を変えれば、現代の日本人というものは、昔と比べれば、随分、人道的になったと私などは思います。というのも、二郎を批判する現代日本人は二郎の仕事よりも菜穂子の人命の方を重視するという思想がその奥底にはあるからです。古いタイプの日本人なら妻の生命よりも仕事を重視する人はけっこう多くいたのではないでしょうか?また、そういった夫を理解する妻も多かったのではないでしょうか?かつて企業戦士と言われた頃の日本の家庭は仕事至上主義があったのではないかと思います。それが今では二郎が仕事ばかりすることを批判するようになったのですから、日本人のヒューマニズムも随分と進歩したと思います。

さて、話を戻しましょう。今度はもう1つの見方について考えましょう。もう1つの見方とは死に対する捉え方です。現代日本人は死を出来るだけ遠ざけようと努力していると思います。ところが、すでに上で解説しましたが、二郎と菜穂子はそうではなくて、ほとんど死は避けられないものとして死を覚悟していたと思います。療養所を抜け出した場合、菜穂子の寿命は短くなるかもしれません。しかし、それも覚悟の上で彼女は二郎に会いたい一心で療養所を抜け出してきます。菜穂子と二郎にとって死は避けられないもので、避けられないのなら、せめて生きている時間をできるだけ充実したものにしたいというのが彼らの願いだったと思います。ところが、現代日本人はそうは考えないようです。寿命延長を何よりも最重要と考えて、できるだけ菜穂子が長く生きられるように対処すべきだと考えているようです。二郎が菜穂子の寝床のそばでタバコを吸うシーンがありますが、多くの現代日本人は二郎に対して批判的です。菜穂子にタバコの煙で不快な思いをさせているだけでなく、さらに言えば、菜穂子の身体に悪いのは明らかであり、もし菜穂子の溶体が悪くなったり、寿命が縮まったりしたらどうするんだ、という批判があるわけです。ここにはごくありふれた日常生活を充実させるという二人の想い、しかも、その裏には日常生活を充実したものにさせるために生命を賭けているという覚悟があるのですが、そういった想いに現代日本人は思い至ることなく、単に何よりも優先する寿命延長至上主義的な考えから現代日本人は二郎を批判するのです。そう、現代日本人はかつての日本人が持っていた死は避けられないという死生観が決定的に欠けているのです。おそらく、現代日本人は日常生活の中から死というものを遠ざけてしまったために死に対する考えが劣化してしまったのだと思います。現代日本人は生き物を殺すという場面に接することが極端に減ってしまいました。肉は切り身の状態でパッケージされてスーパーマーケットの商品棚に並んでいるだけで、実際に家畜が屠殺される場面を見ることはありません。また、家族の死も自宅で見とることはなく、多くは病院や介護施設で死んで行きます。死というものに接する機会が昔に比べて限りなく少なくなってしまったのです。そのために、現代日本人は死に対する考えが決定的に劣化してしまったのだと思います。死を覚悟している二郎と菜穂子の生き様がいまひとつ理解できないのもそういった死に対する考えの浅さに由来しています。ところで、私は古いタイプの人間なのだと思います。なぜなら、この結核を患った妻との愛の物語は私には昔からよくある物語に感じられたからです。言い換えれば、わりとオーソドックスな物語に感じられました。ですので、この愛の物語自体に対して特に高くも評価しませんし、逆に低くも評価しません。かつてはよくあった物語だなあというのが私の正直な感想です。むしろ、この物語を理解できない現代日本人に私は時代の変化を感じて感慨深く思ったくらいです。

以上が二郎と菜穂子の愛の物語に対する私の感想です。

さて、今度はもう1つのパートについて言及します。堀越二郎と戦争との関わりです。これについては作品はややボンヤリと描いています。明確に戦争に賛成・反対の立場では描かれていません。時代に翻弄される個人という観点で描かれているわけでもありません。一生懸命飛行機作りに励む二郎の背景から戦争との関わりが薄っすらと感じ取れるといった程度です。そこでここでは堀越二郎の立っていた立場と彼とはまったく違う立場の人たちを対比することでもう少し明確に二郎と戦争との関わりを浮かび上がらせるようにしたいと思います。まず、最初に堀越二郎についてです。堀越二郎は航空機の設計技師という、今で言うエリートエンジニアに相当します。東京大学の航空学科の超エリート校出身で、これまた超一流企業の三菱重工に就職します。そこで零戦などの戦闘機の設計に携わります。映画では、裕福な家庭で育ち、ただただ飛行機に憧れて、飛行機を作らんがために勉強して大学に入り、卒業して会社に就職したら、時代は戦争で戦闘機を作らざるを得なかったという経緯のようです。私が気になるのは果たして彼に戦争責任があったのか、あるいは、彼自身が戦闘機を作ったことに対する罪の意識が戦後になってあったのかという点です。この問いを問う前に言っておきますが、私は「単純に彼に戦争責任があり罪の意識があって然るべきだ」と考えているわけではありません。しかし、逆に「彼には戦争責任はまったく無く、罪の意識など感じる必要はない」と考えているわけでもありません。彼の置かれた立場から考えると、ちょっと微妙な判断をせざるを得ないと思っています。その判断をするためには彼とは異なる立場の人たちと比較してみる必要があると思います。

まず、手近なところから考えてみます。堀越二郎は戦闘機を作っていましたが、戦争において飛行機が果たした役割について考えてみます。飛行機における戦闘には大きく2つのタイプがあったと思います。それは戦闘機による戦闘と爆撃機による戦闘です。戦闘機は制海権や制空権を得るために戦闘機同士で戦ったり、戦艦や空母などを攻撃したりする戦い方が多かったと思います。

一方、爆撃機は爆弾をどんどん落っことしてゆくことで都市を破壊するという戦い方が普通だと思います。都市を破壊することで純粋に戦闘力を破壊するだけでなく、戦争に必要な後方支援を遮断するためです。最も恐れられたのはやはり爆撃機による空爆でした。空爆は非戦闘員である市民も関係なく平気で無差別に殺戮するので非人道的な戦闘方法であると当時でさえも国際的に非難されていました。そういった非人道的な空爆に最初に踏み切ったのは日本でした。中国で渡洋爆撃重慶爆撃を行いました。重慶爆撃のとき、爆撃機を護衛したのが二郎たちが設計した戦闘機でした。また、空爆で有名なものとしてはドイツのドレスデン空爆東京大空襲があります。また、広島・長崎の原爆投下も空爆のひとつと考えることもできると思います。ともかく、空爆は無差別に非戦闘員も含めて大量殺戮するという非人道的な恐るべき戦闘行為でした。映画の中では、冒頭の二郎の夢の中で爆撃機が出てくるのとラストのB29らしき残骸と空襲を受けた焼け野原らしきシーンの二箇所が出てきますが、飛行機による戦闘で最も恐るべきものは空爆だというのはこれら2つのシーンが暗示していると思います。宮崎駿は『ハウルの動く城』でも空爆のシーンを描いていますね。私たち日本人にとっては空爆は太平洋戦争末期における戦争の象徴だったと思います。ただ、空爆が非人道的だという抗議は日本人はあまり持たなかったのではないでしょうか?

というのは、日本人は戦争は国民が一丸となって国全体で戦っていたのだという意識が強くあったからだと思います。空爆を受けている私たちも最前線で戦っている兵士ではないものの後方支援として工場で弾薬を作ったり、兵器を作ったりしているわけで、攻撃を受けても当然だと考えていたのではないでしょうか。近代国家の戦争というのは国民が総動員して行うもので非戦闘員が攻撃されたからといって非人道的だなどと抗議するのは筋違いだと思っていたのではないでしょうか。非戦闘員なのに随分と勇ましい考え方のように聞こえるかもしれません。しかし、その一方でこの考え方は危険な部分も孕んでいると思います。読者の皆さんはバンザイ岬をご存知でしょうか?太平洋戦争時、サイパン島で追い詰められた日本兵と民間人は米兵から投降を勧められたにも関わらず、投降を拒否して岬から身投げして死んでいったのです。兵士はもちろんのこと非戦闘員である民間人も後方支援として戦争に加担したという意識があったのではないでしょうか?もちろん、投降した後にどのような扱いを受けるのか、どんなに酷い辱めを受けるのか、それを恐ろしく思って、いっそ死んだ方がマシだと考えての自決だったかもしれません。しかし、この考え方も裏を返せば、勝った側は負けた側に対して何をしても良いという考えに転換してしまう危険があります。例えば、南京大虐殺では日本兵は大量に中国人を殺戮しています。最初は墓穴に向かった走らせて背後から銃で撃って墓穴に落とすというやり方をやっていたそうですが、そのうち銃弾を節約するために一箇所に中国人をぎゅうぎゅう詰めにして上からガソリンをかけて焼き殺したりしたそうです。ガソリンの量が足りなくて半焼で死ねずに唸っている中国人もいたそうです。これらの大半は軍命令によって行われた殺戮であったでしょうが、中には面白半分に陵辱して殺害するなんてこともあったようです。中国人女性を集団でレイプして最後に面白半分に一升瓶を膣に突っ込んで銃床で叩いてどれくらい奥に入るものかと無理に突っ込んだら中を突き破って死んでしまったといった証言もありました。非常に残酷な話ですが、日本人に限らず戦場ではしばしばこのような残虐な行為が起こっていたのだろうと思います。ロシア兵などもドイツでレイプしまくったと聞きます。なぜ、ここでロシアを持ち出してきたかというとロシア兵も元はと言えば貧しい貧困層が多かったのではないかと思うからです。先の南京大虐殺における日本兵も多くは貧しい下層階級の出身者を含んでいたものと思います。教育レベルが低く、貧しい階層の者ほど戦場における残虐行為は酷くなるという気が私はしています。社会において下層階級で虐げられてきた者たちがいったん無法状態の戦場に置かれたとき彼らはこれまでにない残虐行為を行う者になるのではないでしょうか?日本兵も士官学校出の将校などのエリートは別にして、下級兵士になると、例えば東北の貧農の出身であれば、故郷には親兄弟は残っているが、姉妹などは製糸工場などに奉公に出るなど、ほとんど人身売買と言っていいような態で家を出て行っていたのではないでしょうか。中には女郎として売られた者も少なくなったでしょう。都会においては貧富の差が激しく、奉公に入った女中がそこの主人にレイプされて子供を孕んで僅かなお金を渡されて追い出されたという話は相当数あったそうです。かえって士農工商で住居を住み分けていた江戸時代にはこのような無秩序な行為は少なかったのではないでしょうか?それが明治以降の近代に入って一挙に崩れた。曲がりなりにも秩序があった農村社会が破壊されて、工場での働き手として農村から人手が引き剥がされていった。日本は近代化の中で激しい貧富の差が生じ、その中で貧しい者は相当に虐げられてきた。富国強兵政策の背後には疲弊する貧困層と兵隊に取られた働き手たちという暗い裏面がありました。下級兵士はそんな下層階級出身者が多かった。そういった不満が表れたものとして2.26事件があった。2.26事件は下層階級を虐げる富裕層に対する青年将校たちの反乱でした。しかし、2.26事件は封じ込められ、富裕層への不満の道も閉ざされました。その結果、はけ口として今度は外国に矛先が向けられたというわけです。石原莞爾の満州事変も元はと言えば、満州建国によって外から日本を変えるという革命でした。しかし、だからといって南京大虐殺が許されるわけではありません。しかし、南京大虐殺を単に彼らを日本鬼子といって残酷な人間といったのでは正しく理解できないと思います。南京大虐殺で残虐行為に及んだ兵士たちにもそういった背景があるのだというのは知っておいてしかるべきだと思います。さて、それに比べれば、この映画の主人公堀越二郎はなんと恵まれた人間だったことでしょう。頭脳明晰・成績優秀で裕福な家庭で育ち、一流企業に就職して外国にも何度か行っている。二郎と下級兵士ではまるで住む世界が違うとまで言えそうです。確かに二郎は戦場で直接人を殺しませんでした。しかし、だからといって罪はないんだと胸を張って言えるでしょうか?例えば、原爆を開発したオッペンハイマー博士は広島・長崎の惨状を知ったあと、いかに原爆が非人道的な兵器かということを心底思い知らされたそうです。その後、彼は反核運動に向かうようになります。オッペンハイマー博士は直接殺害したわけではありません。しかし、彼には罪の意識がかなりあったのです。

近代国家の戦争において戦闘員も非戦闘員も少なからず戦争に加担しています。では、すべての戦争は悪なのでしょうか?ナチスドイツを倒したアメリカも悪なのでしょうか?それは違うと思います。ユダヤ人を強制収容所で大量に殺戮してきたナチスドイツと戦うことは正義の戦争だったと思います。戦争にも戦う理由があるのです。つまり、「その戦争に正義はあるか?」という問いです。日本の戦争に正義はあったのでしょうか?日本は日露戦争で朝鮮半島を支配下におき、満州事変で満州を侵略し、日中戦争で中国を蹂躙しました。さらに日独伊三国同盟を結んであのナチスドイツと結託して領土の拡大を図りました。そして、真珠湾攻撃によって太平洋戦争を始めて東南アジア各国を侵略してゆきます。どこをどう探しても日本の侵略戦争に正義はありません。しかも南京大虐殺など非人道的な殺戮が堂々と行われていました。ところが、今の日本人はそのことを忘れてしまっています。例えば、あのナチスドイツと日本が手を組んでいたことをすっかり忘れてしまっているくらいです。ただ、ナチスドイツにしてみれば、日本が真珠湾を攻撃したおかげでアメリカの参戦を招いてしまい、引いてはナチスドイツの敗北に繋がったのですから、「日本はなんてことをしてくれたんだ!」と思っているかもしれません。ナチスドイツの欧州大陸支配を阻んだものの遠因に日本の真珠湾攻撃があるのですから、現在の世界を築くのに日本が貢献した唯一の足跡と言えるかもしれません。(←もちろん、皮肉ですが。)さて、話を元に戻しましょう。大局的に見て、日本の戦争に正義はありませんでした。ただ、そのことを末端の二郎たちはどの程度知っていたのかという問題があります。大本営の発表がウソだらけだったというのは今では周知の事実ですが、日本の戦争に正義がないことを国民はどの程度認識していたのでしょうか。あるいは、当時は奪ったもの勝ちが当たり前だったのかもしれません。ヒューマニズムも当時と今では随分と違うでしょうからね。それにそもそも戦争に対してこれだけ深く拒絶反応を持つようになった日本人は第二次世界大戦の反省に由来しています。それまでの日本人はそれほど戦争に対して否定的ではなかったと思います。むしろ、好戦的だったとさえ言えるでしょう。私は戦争というものは愚かな行為だと思っているので戦争の反省を踏まえるようになった現代の日本の国民性はとても良いものだと考えています。ただし、単に条件反射的に戦争に拒絶反応を示すのではなくて、自分の頭で道理を考えて戦争に対して是か非かを判断しなければならないとも思っています。随分、話がそれました。堀越二郎の戦争責任について話を戻しましょう。近代国家の戦争においては戦闘員だけでなく非戦闘員も総動員されて戦争に加担します。さらに後方拠点を叩くという意味でも非戦闘員が住む都市も攻撃の対象になります。そういった意味では戦争の責任は戦闘員のみならず非戦闘員にもあるでしょう。確かに兵役を拒否すれば軍法会議で即銃殺されたり、強制的に工場労働させられたりと個人の意思に反して戦争に組み込まれたとする言い訳もあると思います。しかし、たとえそうであったとしても殺された側からすれば、やはり戦争の加担者であったことに違いはないでしょう。そして、戦争をしている国家に正義はあるかという問題があります。仮に非道なナチス・ドイツと戦うための戦争なら正義の戦争と言えるかもしれません。(ただし、悪の帝国ナチスドイツという印象も戦勝国側のイメージ操作の部分もあります。)しかし、単なる侵略戦争には正義はありません。(実は経済合理性から見ても日本の侵略戦争はあまり合理的ではなかったりするので、日本を戦争に向かわせた原動力は何かの勘違いか狂気の沙汰に近い面もあります。)したがって、日本の戦争はまったくの侵略戦争であり、そこに正義はありません。そう考えれば、二郎に戦争責任がまったく無かったとは言えないと思います。別にこれは二郎に限った話ではなく、当時の日本国民全員が戦争責任があったのだと思います。ただし、だからといって当時の為政者たちの罪が軽くなるわけではありません。戦争に導いた彼らが一番悪いことに変わりはありません。以上、堀越二郎と戦争に関わるパートについての私の感想を終わります。


さて、以上がこの物語の2つのパート、二郎と菜穂子の愛の物語と二郎の戦争との関わりに関する解説でした。ところで、この『風立ちぬ』ではこれまでの宮崎駿作品には見られない視点の変化があります。それは何かというと文明批判的な視点です。今までの宮崎駿は『風の谷のナウシカ』にしろ『もののけ姫』にしろ文明批判的な視点が非常に強かったのです。『天空の城ラピュタ』などはラピュタ人の超文明を否定的に扱っていますし、『千と千尋の神隠し』では河川の汚染など文明による環境破壊を強く批判していました。年長の人であれば『未来少年コナン』を知っていると思いますが、インダストリアに象徴されるように戦争批判と文明批判の塊でした。ところが、今作ではそれが少し違ってきています。以下にそれについて解説します。

「ピラミッドのある世界とない世界のどちらが好きか」という問いがカプローニ氏から二郎に投げかけられます。これは宮崎駿の多くの作品にある文明批判に通じる問いでもあります。宮崎駿のこれまでの作品を振り返ってみると『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』が良い例だと思います。『未来少年コナン』では文明都市インダストリアと農村社会ハイハーバーが出てきます。『天空の城ラピュタ』では超文明としてラピュタが出てきます。文化人類学では文明社会と対照的なものとして未開社会があります。宮崎駿が作品の中で言ったピラミッドのある世界とピラミッドのない世界とはまさにこの文明社会と未開社会を指しています。以下にこれらについて考察してみます。

まず、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見したときの状況を考えると分かりやすいと思います。西欧はすでに西欧文明を築いていました。一方、アメリカ先住民は北米では文明社会を拒んで部族社会を形成して暮らしていました。ただし、アメリカ大陸にも文明社会はありました。中央アメリカに築かれたアステカ文明やマヤ文明、あるいは南米はペルーのインカ文明などです。彼らは鉄を発見しなかったので石器文明ですが品種改良など植物栽培においては優れており、ジャガイモやトマトやトウガラシなどがあり、アメリカ大陸発券後は世界の食生活を一変させてしまいました。ジャーマンポテトやフレンチポテト、イタリアのパスタやピザに使われるトマト、キムチに使われるトウガラシなど今となっては無くてはならない食材がアメリカ大陸からもたらされました。そういったアメリカの石器文明とは裏腹に、北米のアメリカ先住民は文明社会を善しとせずに文明を拒んで部族社会を形成して生きることを選びました。文化人類学者のレヴィ=ストロースがフィールドワークした南米先住民もそういった部族社会の人たちでしょう。彼らの暮らしは狩猟採集か原始的な農業でした。彼らと行動を共にして調査した結果分かったことのひとつに豊かな自然の恵みがあるため彼らの一日の平均労働時間は4時間くらいと大変短かったそうです。『悲しき熱帯』の中でレヴィ=ストロースは文明社会に戻るとき自分たち文明人を忙しく立ち働くミツバチに喩えて忙しい文明社会に戻ることを残念がっている言葉を残しています。労働時間が短いのなら、彼らの残りの時間は何をやって過ごしていたのかというと、いわば遊んでいたようでした。といっても物質的には貧しい生活ですから、精神世界に生きていたというべきかもしれません。紋様を描いたり、宗教的な儀礼のために花を集めたり、首飾りを作ったりという感じでしょうか。それはそれで充実した生活だったかもしれません。しかし、数多くいた先住民たちもヨーロッパ人が入ってきたときにもたらされた病気で原因で多くの人が生命を落として人口が激減してしまい、今では100分の1以下に減ってしまったそうです。いや、千分の1以下かもしれません。

さて、話を元に戻しましょう。文明社会と未開社会。人類には生き方として2つの選択肢があったわけです。宮崎駿は彼の作品を通して文明批判を続けてきました。そして、宮崎駿の文明批判の行き着く先は文明社会でも未開社会でもなく、第三の道である中世的な農村社会にその理想を見出します。『未来少年コナン』で言えばハイハーバーでの暮らしを理想郷とします。『ラピュタ』では超文明のラピュタを滅ぼしてしまいます。『もののけ姫』ではついに未開社会に生きるサンと北方先住民であるアシタカは交わることなく別れます。しかし、次第に大和文明が彼らのテリトリーを侵食してゆくことでしょう。ともかく、文明批判を続けてきた宮崎駿は「では文明社会がダメだというのなら、代わりにどのような世界を理想とするのか?」という問いに対して、文明でも未開でもない、中世的な農村社会、里山的な自然と人間社会が調和した社会を理想郷としてきました。里山は都市と山の中間に位置します。里山の後ろは山という自然が控えています。また、里山は都市からは離れたところにあります。ただし、里山の自然界は通常の自然界とは違った世界です。というのも、普通の自然界ではありえないほど特定の生き物が異常に繁殖したりします。稲という特定の植物を繁殖させる稲作による影響と見ることができます。里山の自然は普通のありのままの自然とはちょっと違っているのです。里山の世界では自然と人間が一種の協定を結んでいる世界と言えるかもしれません。(それを善しとするか悪しきとするかはまた別問題ですが。)しかし、現在、里山的世界は成功しているとは決して言えません。里山の生産性は現在の経済活動から見れば見劣りがするからです。中世的な世界の経済活動なら里山的な生産性でも十分だったかもしれません。しかし、現代社会では里山的世界の生産性では文明社会を養うにはまったく足りません。結局、農業はどんどん機械化されて行き、環境もそれに合うような形に変えられて行きました。もはや近代農業における農場は工場であって里山ではありません。確かに宮崎駿が理想とした里山的世界は一種の理想郷だったとは思いますが、その理想郷が成立するためには一定の条件下でないと成り立たないものでした。つまり、現代文明との両立は不可能です。現代文明を支える農業としては、やはり工場としての農業を必要とします。そして、現代文明がなければ、飛行機など作れるはずもないのです。さらに言うと文明社会は戦争をも生み出してきました。歴史がそれを証明しています。農業の労働者として多くの奴隷を必要としたため文明社会は近隣諸国に領土を拡大して侵略した国の国民を奴隷としてきました。一方、部族社会では戦争は回避されてきました。ピエール・クラストルの『国家に抗する社会』で描かれているように戦争という愚かしい行為は部族社会では回避されるのが普通でした。

さて、話を少し整理しましょう。人類のライフスタイルの選択肢としては、文明社会と未開社会、そして、その中間である里山的社会の3つがあります。そのいずれも人類は選択可能だと私は思います。アマゾンの奥地では今も未開人が野生の暮らしをしていると聞きます。また、アーミッシュの人々のようにあえて現代文明を否定して中世的な世界に暮らす選択をする人たちもいます。日本でも武者小路実篤が立ち上げた新しき村というのはそういった思想に依ったものだったのではないでしょうか。(里山的社会は生産性が低くともそれに甘んじる覚悟であるなら別にやっていけないわけでありません。)そして、私たちのように現代文明の中で暮らす人たちも大勢います。したがって、それらの社会は両立は不可能であっても、それぞれが独立して暮らすということは決して不可能ではないと思います。ただし、何度も言いますが、それぞれにメリットとデメリットはあります。文明人は物質的に豊かな暮らしがある一方で忙しく働かなければなりません。一方、未開人はのんびりした暮らしかもしれませんが、ひと度病気が猛威を振るえば部族がたちまち死に絶えてしまうなんてこともしばしばありました。近世の日本の農村社会は里山的世界でしたが、そこの暮らしが果たして人間的だったかどうか疑問に思う面も多々あります。里山的な生産性を保つために彼らの性生活もどこか統制的でしたし、村社会特有の縛りがあって決して自由からは程遠かったように思います。また、食い扶持の配分を考えて間引きという嬰児殺しも頻繁に行われていました。結局、いずれもメリット・デメリットがあると思います。いえ、進歩史観的に見れば、人類の歩みは自然の脅威との戦いであり、数々の悲劇を生み出してきた自然の脅威を文明の進歩は一歩一歩克服してきたという進歩の歩みなんだという、文明社会だけを唯一の人類の理想的な社会だと見なす見方もあると思います。しかし、21世紀になってかつては恐れていた自然を文明が再生不可能なまでに破壊して取り返しがつかないことになってしまいそうだという状況になってしまい、そういった進歩史観に疑問が投げかけられるようになりました。また、レヴィ=ストロースの仕事などは文明社会より下位に見られていた未開社会が実は豊かな精神世界を持っており、文明社会とは別の方向に質・量ともに同等かそれ以上の価値ある社会を見出したことでした。それによってレヴィ=ストロースは文明社会を相対化することに成功しています。したがって、人類は必ずしも文明社会という生き方しかないわけではないと思います。ピラミッドのある世界か、それともピラミッドのない世界か。私たちにはいくつかの選択肢があるのだと思います。

さて、宮崎駿は長い間文明批判を行ってきました。彼の最高傑作の漫画『風の谷のナウシカ』も墓所のピュアな未来人を否定して清濁両方を兼ね備えた人類を是とする思想を披露していますが、そこでも文明社会は拒絶されています。ところが、今作では「ピラミッドのある世界かない世界か」という問いの中でカプローニや二郎たちには飛行機のある文明社会を選択させています。その結果、戦争という悲劇にも見舞われてしまうのですが・・・。ともかく、これまでは明確に文明批判を続けてきた宮崎駿が今回はそうではない一面を表しているわけです。そして、二郎には戦争責任が突きつけられるわけです。ただし、二郎の戦争責任については明確に描かれてはいません。宮崎駿は「堀越二郎が全面的に正しかったとは思ってはない」としつつも、逆に否定的にも描いてもいません。その代わり宮崎駿は二郎に対して「生きねば」という想いを託しています。後方支援として彼は戦争に加担して多くの死に関わったと言えるでしょう。彼はそれに対して自らを断罪すべきだったのでしょうか?いえ、むしろ失われた生命のためにも、今度は失われた世界を再興するために努力する道を彼は選んだのではないでしょうか?戦後の日本経済を支えたのは紛れもなく技術立国日本と言われた技術力です。戦時中の技術者たちが戦後において日本の復興に果たした役割は極めて大きかったと思います。現在の日本の繁栄を支えたのは彼ら技術者たちの技術力だったのではないでしょうか。宮崎駿が今までの文明批判的な態度を改めてまで描きたかったのは堀越二郎にあったような日本人の高い技術力に基づいた日本の未来への希望だったのではないでしょうか。

明治から現代に至るまでの日本の産業を歩みをざっと振り返ってみましょう。戦前の日本は江戸時代とガラリと変わって産業革命が起こります。しかし、グローバル経済から見ると、英国たち欧米先進国が重工業にシフトしていったのに対して、日本はそれら欧米先進国に代わって軽工業を担うというものでした。いわば後進国として先進国が最早やらなくなった産業を担ったのです。日本は安い労働力で安かろう悪かろうの製品を作っていました。今では信じられないかもしれませんが、それは後進国の当たり前のプロセスだったと思います。この頃の日本は欧米先進国の後塵を拝していたのです。しかし、日本は次第に戦争直前から戦時中にかけて工業国へと進化してゆきます。そして、戦争によって日本は随分工業国に進化していったと言っていいでしょう。とはいえ、それでも欧米先進国に比べれば総合力として日本の技術力は劣っていたといわざるをえないでしょう。確かに零戦や戦艦大和は日本の優れた技術力を結集した工業製品だったと思います。しかし、全体としてみれば、それはごく一部であってレーダーや暗号解読など多くの分野で日本の科学技術力は欧米と比べて劣っていたと言わざるを得ないでしょう。もちろん、戦争に負けたのは単なる科学技術力が劣っていたからだけではありません。国力の差が極めて大きかったと思います。ところが、戦後の日本はこの欧米先進国優位という立場を逆転するのです。それまでと違って日本の工業製品が単に安いから売れたというのではなくて、高品質ゆえに欧米の工業製品を押しのけるときがやってくるのです。それは家電と自動車の分野に象徴されます。日本の自動車が世界市場に進出できた要因は単に安いだけでなくその品質の高さにありました。アメリカの自動車市場に日本車が割って入れたのはその品質の高さゆえでした。そして、ついにビッグスリーを押しのけてアメリカの自動車市場に確固たる地位を築き、日本の高い技術力が欧米先進国を逆転したのです。振り返ってみれば、それらの基礎を築いたのは戦時中の日本の技術者たちでした。堀越二郎もその一人なのでしょう。戦後の日本経済の繁栄を支えた者は「生きねば」と言って焼け野原の中から立ち上がってきた彼ら技術者たちだったのです。近年、『プロジェクトX』で技術者の評価が上がりましたが、その源流は同じくNHKの『電子立国日本』であり、そのおおもとをどんどん辿れば戦時中に活躍した若い技術者たちに辿り着きます。まさに堀越二郎たちです。ここに二郎に「生きねば」と言わしめた宮崎駿の意図があったのではないかと思えてきます。まるで司馬遼太郎が敗戦によって失われた日本人の自信を取り戻すために『坂の上の雲』を書いたように、90年代から始まった「失われた20年」で失われた日本人の自信を取り戻すために宮崎駿は天才技術者・堀越二郎の生涯を描いたのではないでしょうか。

(ただし、現在もこれが当てはまるとは必ずしも限りません。例えば、液晶テレビで日本が中国に負けたのは安かったからであって、いくら高画質・高品質でも高価であっては消費者には受け入れられませんでした。戦後、高品質で日本の家電と自動車が伸びたように同じ手法が通じるというわけではありません。私たちは時代の変化に合わせて自らを変えていかねばならないのだと思います。)

とまれ、右傾化甚だしい昨今の日本にあって、彼ら右翼を単に批判するのではなく、右翼も含めて日本人全員に未来への希望を与えるという意味では、この堀越二郎の物語は深い意味を有していると思います。この物語は多くの日本人に過去への反省と未来への希望を与えるという、極めて希有な作品だからです。この物語は、一見、宮崎駿の平和主義者であると同時に兵器好きのミリタリーオタクという相矛盾する性格が一人の人間に同居しているという自己矛盾を描いた作品に捉えられがちです。確かにそういった面もないわけではありません。しかし、そんな小さい個人的な事柄のために彼は作品を作ったりしないと思います。この宮崎駿という物語作者はこの物語を通して日本人に過去への反省と未来への希望を与えるという深慮遠謀な意図を自分でも気づかず無意識に持って、この作品を作ったのではないかと私には思えます。

年間約3万人の人たちが絶望して自殺してゆく昨今の日本・・・。この作品はそんな絶望した彼らに単純に希望だけを与えるのではなく、もっと苦しかった過去を教え、そしてその過去への反省を踏まえた上で希望を与えようとしていると思います。かつてはがむしゃらに前進することしか知らなかった戦後の高度成長期の日本とは違った、成熟した大人の思想をこの作品からは感じます。そして「生きねば」という宮崎駿のラストメッセージは現在の状況に絶望して自殺してゆく人たちに「死ぬな、生きよ!」という強い願いが込められた祈りの言葉であり、さらに単に祈りだけでなく「かつては技術力で焼け野原から再興したではないか」という歴史的裏付けのある未来への希望を込めた言葉なのだと思います。この言葉は単に自殺しようとしている人だけでなく、東日本大震災の被災者も含めた、現在、苦境に立つ日本社会の日本人全員に向けられた宮崎駿からの最後のメッセージなのだと思います。