8月1日(月)
GAFAMの中からフェイスブックが脱落しそう。SNSでフェイスブックの存在は理解できるのだけど、個人情報を企業に利用されるとなればどこまでフェイスブックに依存していいかユーザとしては警戒するのは当然。クラウドに様々な個人のファイルを保存するだけであればGoogleやAppleの方が安全安心な気がする。また、メタバースについてはゲームとシンクロするだろうから、フェイスブックが支配的な立場になるのはちょっと違うと思う。メタバースはマルチバース化すると思うし、そこはカオスになるように思うのだが。個人的にはツイッターとメッセージアプリがメールサービスみたいに標準化されてプラットフォームに依存しないサービスになってくれたらいいのにと思う。ともかく、フェイスブックはGAFAMの中では最後尾になりそうな予感がする。
8月3日(水)
「ヘイトスピーチをした個人商店に対して、大挙して抗議デモを行うのはいかがなものか?」という日本人にありがちな誤った感覚に陥りやすい案件だと思う。(←ただし、実際には大挙というほどの大人数ではないと思う。数人程度のように見受けられる。)しかし、「個人商店であればヘイトスピーチを許容しても良いのか?」という問いに対して答えは否だと思う。「とはいえ、店主に対して大勢で押しかけて店頭で抗議して晒し者にするのはどうか?」と言い返してくるかもしれないが、「ヘイトスピーチは悪いことです。謝罪して訂正して下さい」と言っても店主がそれに応じないのであれば、「それなら抗議します」というのは当然の流れだと思う。こういうヘイトスピーチという悪を為しておきながらそれを悪と認識できず、あるいは居直って謝らないというのは日本人にありがちな誤った考え方だ。似ているものに「いじめ」がある。「いじめ」は許されない悪であるのに、日本人は「いじめ」を許容する誤った考え方をしている輩が多い。「いじめられる方も悪い」という誤った考え方をしている。相手がどうであろうが、「いじめ」という行為そのものが悪いのに彼らにはそれが理解できないのだ。彼らはいじめを許容するようにヘイトスピーチも許容してしまうのだろう。しかし悪は許されない。抗議している人に文句をいう人は、まず先に店主に対して「悪いのはあなただから、いい加減謝ったらどうですか?」と詰め寄るべきだと思う。ところで、日本人の心には「いじめ」という悪の心が巣食っていて、学校などで悪の心が醸成されやすい。社会人になってさえ「いじめ」をする輩がいる。そして「いじめ」と「差別」はとても似ている。日本人の心の醜さが「いじめ」にはある。日本人は心が醜くならないように、心に悪が巣食ってしまわないように、気をつけねばならない。
統一教会に関する様々なニュースが大手メディアでも徐々に取り上げられるようになった。特に名称変更問題では下村博文がだんだんコメントを変えてきた。霊感商法対策弁護士連絡会が事前に変えないように申し入れしていたのだから下村博文は言い逃れできないと思う。統一教会が事前に詐欺を働くなんて想像できなかったというようなことを言っているが連絡会が申し入れしているんだからそれは通用しないだろうし、ある一定の年齢以上で統一教会の悪行を知っている者たちの常識から考えても名称変更はありえないと思う。名称変更を許した罪は大きい。それから、山谷えり子が出てこないのはなぜだろう?以前の公安のトップであり、統一教会と関係が深いと言われているのに一向に表に出てこない。また、現在の公安委員長の二之湯智も統一教会と関係が深そうだ。そもそも霊感商法の被害総額が1千億円を超えており、おそらく実際にはもっと多くのお金(数千億円あるいは1兆円超)が韓国の統一教会本部に送金されているだろう。それらのお金は霊感商法や献金強要で集められたもので、そんなことは断じて許されるものではない。悪質な犯罪だ。それなのに日本の警察は動いていない。これをこのまま野放しにして良いはずがない。まず、諸悪の根源である統一教会を日本から一掃するように政府は警察に要請するべきだ。
8月9日(火)
彼女の『Soul Kiss』というアルバムが好きでよく聴いてた。合掌。
Netflixのゲーム業界への進出、どうなんかなあ。Netflixは映画やTVドラマの世界で十分じゃないかという気がしているんだが。ゲームはまた別だと思うんだけど、ただコンテンツを提供する立場ではある。だからいっそゲーム業界まで進出した方がメディアミックス的に良いんではという考えだと思うけど、そこは境界線を引いた方がいいと思うんだが。あくまでストーリーやドキュメンタリーのコンテンツにとどまるべきじゃないかと思う。ニュースを手掛ける方向もあるけど、これも難しい気がする。まあ、難しい判断だね。
Netflixの映画もそうなんだけど、オリジナルコンテンツは別として、流通している映画はずっと見られるわけじゃない。一定期間が過ぎると無くなるコンテンツもある。それじゃあ、いつでも見たいと思うユーザーは別途購入した方が良いと思う。そのときはAmazonやGoogleなんかになるんじゃないかな。まあ、実際はほとんどAmazonになっちゃいそうだけど。Googleで残念だったのは音楽をサブスクにしてしまったこと。単体での販売であったGoogleミュージックをやめちゃったこと。ただ、音楽の場合はサブスクに加入しとけば全部永久に聴けるけど。でも、やっぱり別途購入で自分のコレクションを持ちたいとも思うがなあ。なんかサブスクだと作品に対する愛着が沸かない気がするんだが。自分だけだろうか?
8月10日(水)
「エコロジーは実はナチスから始まった」という話。昔、『神々と獣たちーナチ・オカルティズムの謎』という本で似たような話を読んだような気がするが違っているかもしれない。話が逸れるけど優生運動と関連があって、日本ではハンセン病の対応で優生運動が関係していると聞かされたことがある。ところで、日本の漫画って主人公の正統性を重視する傾向が強いと私は感じていて、それって遺伝子をすごく重視していると感じている。で、それってどうかと思うことがある。日本人は遺伝子重視し過ぎって思うのだ。経験から形成されるものをもっと重視した方が良いんじゃないかと思うのだが。さらに話が逸れるけど『スターウォーズ』のレイの出自問題で『最後のジェダイ』と『スカイウォーカーの夜明け』の間で設定が変えられたんじゃないかと私は思っている。『最後のジェダイ』ではレイは何者でもない捨て子として描かれていたと思う。ところが『スカイウォーカーの夜明け』ではレイはパルパティーンの孫娘にされてしまったと思う。前者はフォースが目覚めるのは出自が特別な者ではない、むしろ、どこにでもいる捨て子のような者でもその力を秘める者がいるという設定だったと思う。ところが、後者では特別な出自を持つ者に変えられてしまった。これはとても残念なことだと思う。話を戻そう。自然に還れ運動は文明社会が進むとその反作用として出てくるものだと思う、いつの時代も。日本でも文明批判の答えとして自然に還れ運動がその都度起こっていると思う。宮崎駿なんかも中世の農村に還れみたいに受け取られかねない面がある。人類学なんかも文明批判の対照として未開社会を紹介したりしていたと思う。ここはとても難しい問題でどちらか一つを選択するというのはできない問題だと思っている。人類は自然の脅威で様々な困難や悲劇に直面してきて、その結果、現在の文明が築かれたともいえる。文明が無かったために壊滅した村々なんてのがザラにあったわけだし。文明に過剰適応してしまうのも問題だけど、単に文明を否定するのも問題だと思う。とにかく、今は参政党のような表面上はソフトな極右が出現してくるリスクがあることを知っておくことが大事だと思う。また、グローバリゼーションは間違いではない。今はグローバリゼーションの途上にある。人々の意識が地球規模に適応できるまで、意識が変化するまでの時間が必要なのだと思う。
8月11日(木)
8月12日(金)
トランプは一体何をやっているのかと思う。大統領にしてはいけない人物を大統領にしてしまった米国の悲劇。
8月13日(土)
昨今の内閣改造は論功行賞・派閥調整のためのものであって、行政改革的な意味はない。ただ、今回は統一教会と関係のある人物を閣僚から外すという表向きの意味はあったはずだった。しかし、蓋を開けてみるとそうはいかなかったようだ。理由は最大派閥の安倍派に考慮した結果、統一教会に関係した議員も入れざるを得なかったということだと思う。現在の日本の政治家は日本を良くしようとか困難な課題を乗り越えようという考えはない。単に権力を手中に収めたい、手中にした権力をできるだけ長く維持したいという考えだけで動いていると思う。だから、反社会的な犯罪組織である統一教会とも手を組めるのだと思う。国民を食いものにしようが知ったことではないということだと思う。自分たちにとって利益があるならかまわないということだろう。一方、有権者も政治に対するコストをもっと払うべきだと思う。権力をウォッチすること、また政治にもっと人材が集まるようにコストをかけることだと思う。結局、シチズンリテラシー、民度が低いことが問題だと思う。さて、個別な話にすると、山際大志郎は大臣就任前までは統一教会との関係をウヤムヤにしておきながら、大臣就任が決まったら関係があったと認める始末。このひとのモラルはどこにあるのか驚く。恥知らずにもほどがある。そして、加藤勝信がまた厚労大臣になっている。ご飯論法で有名な不誠実な人物なのにまた大臣とはため息がでる。そして、杉田水脈が総務大臣政務官に就いている。統一教会と関係していても「関係していない」と平気でウソをつく。ウソをついても全然平気で驚く。その他にも数々の問題発言をしていて、しかもかなり悪質な問題発言ばかりで、人間的にかなり問題がある人物だ。こういう人物を選ぶ有権者も悪いのだが。こういう人物に権力を持たせるのはかなり危険だと思うのだが。
安倍晋三氏が亡くなって一ヶ月が経った。自民党の最大派閥の安倍派の長が亡くなったことで自民党の権力バランスが大きく変わる可能性が出てきた。また、日本の保守勢力内でも一種の空白期間になっているのではないだろうか。特に安倍晋三が統一教会と深く関わっていたことが次第に明らかになってきて、保守勢力の深いところで動揺が生じているのではないかと思う。参院選で自民や保守政党が大勝して暗澹たる気持ちでいたが、安倍晋三氏が亡くなったことで、再び時代が動く可能性が出てきた。それが吉とでるか凶とでるかは今のところ分からない。しかし、5.15事件や2.26事件では軍が事件を起こしたが、軍部の力が削がれるどころか逆に軍部の力が増す方向に動いた。なので安倍晋三が亡くなったことで更なる右傾化が進むことだって十分にありうる。実際、参院選の結果を見れば保守が勢力を増大する方向に動いたわけだし。とにかく、この国の政治は筋道通りには進まない。無意識の雲に覆われていて、一部の権力志向者の権力欲と大衆の無意識が政治を動かす。日本を真っ当にしようとしても徒労に終わる可能性が高い。日本からはエクソダスするのが正気な日本人の真っ当な生き方ではないかという気がしている。
ウクライナ情勢
ウクライナがクリミアを攻撃しているらしい。遠方からの攻撃である可能性が高い。ドローンや破壊工作の可能性もあるだろうけど、地対地ミサイルであるATACMS(戦術ミサイルシステム)である可能性が高いようだ。ロシアとしてはクリミアをウクライナに奪還させることなど絶対に許容できないことだと思うし、ウクライナがクリミアを奪還できる軍事力も無いだろう。ということは、嫌がらせの攻撃としか言いようがない。もちろん、ロシアによるウクライナ侵攻を鈍らせるための戦力を削ぐための攻撃とはいえる。しかし、ロシアも黙ってはいまい。ロシアとしては空爆などさらなる攻撃を加えることになると思う。結局、戦争の泥沼化といえる。一方、ウクライナを支援する側の軍需産業としては、ウクライナが荒廃しようとも高額なミサイルを買ってもらえるので特需で喜んでいることだろう。人々はシリアの廃墟となった街並みを思い出すべきだ。こんなことを続けていては人も街もどんどん荒廃していくだけだ。これ以上、ウクライナ人もロシア人も死んで欲しくない。プーチンの悪口を言って溜飲を下げている場合でもない。早く手打ちをして戦争を止めるべきだ。仮に戦争が終わってもゲリラやテロなど死者は出るだろうけど、今はとにかく戦争を終わらせることが先決だ。
8月15日(月)
杉田水脈が平気で嘘をつくのに呆れる。彼女がこれまで差別発言を繰り返してきたことは明白だ。それなのに差別発言をしたことはないと平気で嘘を言う。杉田水脈には嘘をつくことに対する羞恥心や罪悪感もないし、モラルもないのだろう。そして差別発言を繰り返すことから人権を守ろうという意識も無いのだろう。ただ、杉田水脈が改心することは不可能だろう。いくら杉田水脈本人に言っても手遅れだと思う。とはいえ、今後も彼女は差別やヘイトを繰り出してくるだろうから、面倒でもその都度、批判せねばならない。とにかく、こういう人物を政治に関わらせてはいけない。こういう人物を議員にしてはならないし、内閣に入れてもいけない。彼女を支持した有権者は恥を知るべきだ。有権者は杉田水脈は政治に関わらせてはいけない問題ある人物だと周知せねばならない。
8月16日(火)
萩生田光一は統一教会とかなり深い関係にあったようだ。結局、広告塔として利用されて被害者が出ても彼はそんなことは知ったことかという考えなのだろう。安倍元首相が統一教会に恨みを持った山上容疑者に殺害されても、痛恨の思いではなくて、少し思いが足りなかっただけなのだろう。
8月17日(水)
時間が長過ぎるでござる。さすがに全部見れない。冒頭の安田さんがなんか痩せてたような疲れ気味のような印象。休ませてあげてと思った。
杉田水脈に関しては、ニヤつきながら差別やヘイト発言をする醜悪な心の持ち主であるのはこれまでの映像で十分に感じてきた。杉田水脈自身、自分の映像を見ても醜悪だとは感じないのか不思議ではある。それに気付かない時点で杉田水脈はダークサイドに落ちた、人として終わった人間なのだろうと思う。
8月20日(土)
山本朋広議員はスマホを持っていないのか?いや、以前のVTRでは確か持っていたはず。ならば、名前の読み方くらいググればすぐに分かるはず。花束を渡す相手の名前の読み方くらいすぐに調べられるはず(そのくらいググレカスと言われてしまいそうだが)。とにかく、必死に言い訳を考えた挙げ句にこのような回答を思いついたのだろう。しかし、本来は素直に謝ればいいのではないのか?もちろん、質問自体がややおちょくるような意味合いがないでもない。しかし、問題はそのような呼び方をするほど統一教会と深い関係なのではないかという疑惑があるからであって、山本議員は素直に謝って今後は一切関係を持たないと謝罪するのが筋だと思うのだが。
杉田水脈議員と雑誌『女性自身』とのやりとりの件
女性自身が杉田水脈に取材を申し込んだところ、「統一教会と無関係と証明してもらわないと取材受けられない」と回答して取材を拒んだらしい。どうやら杉田水脈の言い分としては、統一教会関係者が一人でも講演会に混じっているだけで統一教会と関係があると言われてしまうので、それならばメディアに対してそちらも統一教会と関係がないと証明できないなら取材を受けるわけにはいかないと強弁しようとするつもりらしい。なぜなら、仮にもし統一教会と関係があるメディアなら、また「統一教会と関係したと言われてしまうではないか」というつもりらしい。まったく呆れてしまう。まず、女性自身が統一教会と関係があるかどうかだが、統一教会の関連団体リストがあるから、そのリストに女性自身が入っていなければ関連団体ではないことになる。常識的に考えて、わざわざリストに照らし合わさなくとも女性自身が統一教会と関係ないことは自明なのだが。そもそも杉田水脈がツイッターで「統一教会に支援してもらうことは問題ない」と発言していることが発端だ。この発言は問題だ。言うまでもないことだが、反社会的組織である統一教会に政治家が支援してもらうことは問題なのだ。政治家は統一教会と関係を持つべきではない。それなのに杉田は問題ないと言っている。となると、杉田は実際に支援してもらっているのではないか、と疑念を持つのは当然だ。しかも杉田は「統一教会に支援してもらっている」と正直にいうと面倒になるから「関係ありません」と答えることにしているとまで言っている。ますます怪しいとなる。そもそも政治家はウソを言ってはいけない。もちろん、人間はウソをついてはいけないのだが、議会で国の意思決定に関わる政治家はなおのことウソを言ってはいけないのだ。実際、国会で虚偽答弁をすれば罪になる。だからこそ有権者の疑問に対して政治家は誠実に答えなければいけない。それなのに、杉田はこの調子だ。いまさら言うまでもないことだが、杉田水脈は政治家としても人間としても非常に問題のある人物だ。
8月22日(月)
岸田首相が統一教会に対する言い方をだんだんと変えてきた。自民党の最大派閥の清和会をあからさまに敵にするわけにはいかないから、世論から批判を受けて次第に清和会を締めつけていくという戦術かもしれない。まあ、次の選挙まで3年間もあるから支持率はあまり気にしなくていいだろうから。
茂木幹事長も変えてきた。まあ、世論の批判が激しくなってきたから火消ししないといけないだろうというところか。
8月24日(水)
東日本大震災の悲劇を忘れたのか。それに廃炉にかかる費用だってかなりの額になる。どう考えても割に合わないはずだ。古くなった原発を使い続けることは言うまでもなく危険だ。何より地震大国の日本に原発はあまりにリスクが高すぎる。事故が起こったときの損失も。いい加減に原発からは撤退すべきだ。
バカニュース特集、良かった。有田芳生さんが出演した回で「今日はバカニュース無いの?」って聞いてて、ちょっとクスッとしたんだけど、やっぱりバカニュースって大事だなと思う。ところで、日本のお笑い文化と差別意識はなんかリンクしていると思う。いじめを肯定するところなんかも一部の日本のお笑い文化にはある。BPOが頑張って変えようとしている部分があるけど、一部のお笑い好きのひとはそれに反発さえしている。彼らにはいじめ容認・差別容認は軽いものであるらしい。あるいはマジョリティ側だから痛くも痒くもないという意識があるのかもしれない。それで笑いの自由を奪われることに反発するらしい。私などはそれが笑っていいものかどうか選別する意識が働いているが、多くのひとは深く考えずに観客の笑い声に乗せられて一緒に笑っている。それとお笑い文化はテレビの知的レベルを低下させたと思う。フジテレビ全盛期に小学校低学年に設定されてしまった。それまではもっと多様だったと思う。昨今は業界不振で安上がりに作れるお笑いが蔓延するようになったのだろうと思う。テレビを久しく見なくなったからちょっと間違ってるかもしれないが。お笑い文化がこれほど浸透する前は日本人はもっと真面目だったと思う。政治や社会についてもっとコミットしていたと思う。ところが、東西冷戦が終わり論壇誌が無くなったりして日本人は加速度的にそういったジャンルの知的レベルが低下してしまった。日本人はそろそろお笑いから卒業して、真面目に生きたらどうかと思う。
ユーチューバーが儲かり、次はTiktokが流行っているらしいのだが、以前はブロガーが流行っていた。要は広告収入で儲かる職業であった。で、ブログは衰退したように思われて久しいけど、最近、思うのはブログが再び一定の地位を取り戻すのではないかという気がしている。これからは知識社会になる。そのとき、専門知も大事だが、昔でいう教養も大事だ。多少は浅くとも広い知だ。ただし、昔の教養とはちょっとニュアンスが違ってくると思う。というのはあまりにも知識の量が増えたからだ。おそらく、知識を吸収するための勉強は生涯続けなければならないだろう。それでも人によって知っている知識が異なってくると思う。なぜならあまりにも広範囲だからだ。さらに増えすぎた知識はすぐにはリロードしずらくなるだろう。思い出せなくなる。知識の補助ツールが必要になってくる。これにはクラウドと情報端末が活躍する。話を戻すと、そういった知識を吸収しつづける人は簡単に言えば、読書家ということになる。で、読書家にとって大事なのはブログだと思う。知識社会で生涯学び続ける人々、読書家はその媒体としてブログを尊ぶ。ダニエル・カーネマンが言うところのシステム2(スロー)で考える。逆に深く考えずに短絡的に考える人はシステム1(ファスト)で考えている。そういう人には短時間のユーチューブやTiktokが向いているかもしれない。いずれにしても、人々はそろそろ気づくはず。ブログやユーチューブやポッドキャストが出現してきたが、それぞれに長所短所、向き不向きがあることに。そして、知識社会で自分がどのような学びのスタイルをとるかでどれが適しているかに。(もちろん、動画にもすぐれた学習素材はあるから一概にシステム2に不向きとはいえない。細かくはケースバイケースだろう。)とにかく、知識社会で学びが大事であること。そして、学びは生涯続くこと。そして、学ぶためには時間が必要なこと。日本社会のような長時間労働でかつ同調圧力の強い社会では学びをおろそかにしやすい。しかし、それでは知識社会に対応できる人材には育たない。日本社会の空気に流されずに、個人の能力を伸ばすような生き方にそろそろ変えるべきだ。
8月27日(土)
古い音楽を聴く人が増えたから、音楽の進歩が停滞するのだろうか?むしろ、音楽自体が行き詰まっているという感じがする。音楽はこれまで様々なジャンルに展開して進化してきたが、それがそろそろ行き詰まりつつあるってことじゃないだろうか?サブスクサービスはむしろ古い音楽を聴きやすくしたことによって音楽の進化を加速させる力を持っていると思う。Jポップなんかをカバーする外国のミュージシャンが増えたのもそれがあると思う。ところが、音楽自体が展開し尽くして、これ以上進化しにくくなってきたんじゃなかろうか?いずれにしても、音楽の歴史を学ぶのにサブスクサービスは非常に便利だ。しかし、同時に音楽の数を多すぎて、全部をゆっくりじっくり聴くだけの時間がないかもしれない。聴ける数が少ない方が繰り返し聴いて音楽に対する愛着があったかもしれない。でも、音楽とは何かを考えるときに様々なジャンルをたくさん聴いて、音楽のイデアに思いを馳せるのも悪くはない。
知識社会になったらパラダイスが待っているわけではなくて、激しい競争に勝ち抜かねばならないという前提がある。当然、それからこぼれ落ちる人が出る。いや、たくさん出る。大半がこぼれ落ちる。解決策としては、ひとつは多様性だろうとは思う。都市が大脳化して多種多様な機能を持ち、そこで人々は様々な生きる術を持ち得る。でも、それも限界があるだろうけど。富裕層のゲーテッドコミュニティとそれを取り囲む都市のスラム。さらにその都市にも住めない、都市の外の住民。そういう階層になってしまうかもしれない。そこで自閉した精神はメタバースのゲームの世界に向かうかもしれない。それは少しやりきれない。私は文明と自然の往還を唱えていて、都市や都市外の住民でも中間層的なライフスタイル、要は生涯学習する人にはなれると思っていて、さらに人生の時期によっては文明の外の自然にも一時的に暮らす生き方ができるのではないかと思っている。昔の狩猟採集を生業とする先住民のような暮らしだ。かなり妄想めいているが、文明だけを是とする考えは人間として不十分だと思うのだ。文明だけに適応してしまうのも問題だと思うのだ。とにかく、インターネットの普及によって人類社会の活動が地球規模になって成熟しつつあると思う。宇宙に活動領域を広げるようになれば、またその形態は変わるかもしれないが、とりあえず、地球圏だけに限れば人類社会は成熟しつつあると思う。そして、そのとき国よりは個人が尊重され、全体主義ではなく、多様な社会で個人の自由が尊重されるという価値観が選ばれるべきだと思う。全体主義vs自由主義の戦いが待っているかもしれないが、自然に自由主義に移行してくれることを望む。
8月29日(月)
防衛大臣が勝手に一個人の家族葬に儀仗隊を派遣するとか驚く。自衛隊は安倍一族の私兵なのか。自衛隊としては防衛大臣の命令だから仕方ないのかもしれないが、防衛大臣がそんなことを勝手にするとか間違っている。
東芝のおかしな事例のひとつ。成長部門を売って低迷部門を残すというトンチンカンな経営、その事例の一つ。
8月30日(火)
稲盛和夫氏が亡くなった。『アメーバ経営』は読んだと思う。堅実な経営とか、簿記の大切さを学んだような記憶がある。
NoHateTVで言及されていた事件だったので、減刑されることなく求刑通りに出たので良かったと思う。ただし、裁判ではヘイトクライムと認定するような判決文になっていなかったのがやや不満が残った。もしかしたら、判例としてそういう文言を入れることに何らかの法的な問題があるのかもしれないと思った。そもそもヘイトクライムという判例が今まであるのかも知らないし、法的枠組みもあるのかも知らない。もしかしたら、法改正が必要なのかもしれない。
8月31日(水)
歴史的人物が亡くなった。ペレストロイカ、グラスノスチなどを思い出す。ロシアの中では西欧派だったと思う。開明的な人物、今風でいえばリベラル派な人物だったと思う。ソ連の社会主義の信奉者にとってはソ連を崩壊に導いた最悪な人物という評価もあるだろう。私自身は緩やかにソ連が改革されてゆくと当初は思っていたが、1991年にクーデターが起きてあれよあれよという間にソ連が崩壊してしまって、ただただ呆気にとられてしまっていた。エリツィンなんか大統領に選ばれないと思っていたら、彼が大統領になって、もう何がどうなるか全然分からなくなって、ソ連の経済が最悪になってどん底を見ていたら、プーチンが大統領になって、就任式で颯爽と歩く映像を見て、再び強いロシアになるんだろうかと見守っていたら、新興財閥が生まれたかと思うと、プーチンに粛清されたりとか、混迷を極めていたら、プーチンの変な強い男パフォーマンスのあたりからロシアがだんだん保守化するのが見えてきて、現在に至るという感じか。当時、ゴルバチョフはレーガンなんかより余っ程知的に見えたのだが、いかんせん、他のロシア人がどうしようもなかったように見える。
どうやら「賛同会員」というのが実際にあるらしい。私はてっきり口からでまかせで言ったのかと思っていた。いずれにしても、「退会しました。はい、おしまい」というのはどうかと思う。少なくとも、大いに反省している旨を言うべきではなかろうか。
関東大震災朝鮮人虐殺事件の現場をルポした話。残虐で衝撃的な内容だった。勉強になった。デマによる人種差別に基づく虐殺は世界で数多く見られる。白人女性が黒人にレイプされたというデマで黒人の集落が襲われて虐殺されたとか、同じくユダヤ人がロシア人をレイプしたというデマで数多くのユダヤ人が虐殺されたとか、似たような事例が世界には数多くある。なので、デマというのは大変危険なものであるということ、人間というのはこういう残虐な一面を持っているということを肝に銘じておくべきだと思う。つまり、歴史として記憶しておくべきだ。暗い過去だから忘れたいという気持ちに人はなりやすい。しかし、それでは再び同じ過ちを繰り返してしまう危険がある。だから、嫌でも覚えておかなければならないし、忘れないためにもその都度、思い出さなければならない。
まとめ
安倍晋三が死んで2ヶ月近くが経とうとしている。日本の歴史が動き始めた感じがする。暗殺によって歴史が動くなどということは認めたくないが、見ているとどうも歴史が動き始めたように感じられる。逆に言えば、今後、リベラル派の政治家が暗殺されれば歴史が動いてしまうことだって起こりうるということだ。ただ、歴史が動き始める理由としては、彼が独裁者だったからという理由や日本が法治主義ではなく後進的な人治主義だからという理由が挙げられるかもしれない。もしそれが本当ならそれはそれで嘆かわしいことではある。やはり、日本人にはシチズンシップ教育が必要だと思う。日本人にはあまりにもシチズンシップが欠けていると思う。ついでに性教育も不十分だと思っている。この二つ、シチズンシップ教育と性教育がこれからの日本人には必要な教育だと思う。学校教育でこれを教えるべきか、それとももっと別の機会を作って教えるべきか、思案が要る。
そして、1990年代からずっと課題になっている日本経済の問題、構造改革の課題がある。日本はもう後がない。これから構造改革してもバラ色の未来が待っているわけではない。成功する場合もあるが、失敗する場合も多々あるだろう。しかし、何もせずに既得権益層だけ優遇する今の経済政策を続けていたら、多くの日本人は不幸になる。今からでも構造改革をやるべきだ。
世界は米中経済戦争の様相を呈してきた。ウクライナがあるのでロシアも問題ではあるが、マクロな目で見れば、米中対立の方が重要だろう。一方、米国内でのトランプ勢力の台頭も目が離せない。東海岸や西海岸の知識社会に乗れなかった人々がトランプを支持しているのだろうと思う。それはそれで理解はできる。しかし、議事堂占拠事件など民主主義を揺るがすような後退は理解に苦しむ。工業社会から知識社会への移行の苦しみではなかろうか。とはいえ、知識社会というのもバラ色ではありえない。どんな米国社会が待っているのか、まだ先は見えない。一方、中国はデジタル全体主義へ進みつつある。元々、中国人は全体主義に親和性が高いのだろう。日本だってそうだ。日本の場合は天皇制で空気で全体主義に向かうが、中国はもっと理知的だと思う。そして、究極的には、国家権力、ゲバルトが幅を利かすのだと思う。ともかく、中国では自由な精神の持ち主は生きづらくなるように思う。米国と中国の対立が、東西冷戦のような世界を二分する体制にするかもしれない。可能ならば、自由主義の側にいたいものだ。ただし、自由主義の中とて自由とは限らない。第二次大戦時に日系アメリカ人は収容所に収容されてしまったわけだし、トランプ勢などを見ているとそういうことをやりかねない気がする。まあ、不安要素を上げればキリがない。この対立を乗り越えた先に人類社会の明るい未来が待っているのを期待したい。