2013年6月28日金曜日

基地問題における鳩山由紀夫に対する評価について

最近、鳩山由紀夫に関連して思ったことをここに書いておく。また、自分の方針を一部変更したこともここに記す。世間の一般的な反応をやや腹立たしく思ったために言葉が荒々しくなったことを断っておく。

(なお、文中の沖縄米軍基地問題は正しくは普天間基地県外移設問題なのだが、方向性としては基地撤退には違いないので、分かりやすく考えるために米軍基地撤退として考えた。そもそも県外移設すらできないのなら、米軍基地撤退など到底無理な話だろう。ともかく、ここで話しているのは大筋の話だ。言葉の正確さを保っていたのでは話は膨大な量に膨らんでしまう。ともかく、大筋の話だ。)

まず、鳩山由紀夫に対する世間と私の評価について書かなければならないが、その前に私の立場を書いておく。私は基本的には米軍基地は日本から撤退すべきだと考えている。理由は日本は独立国であり、基本的に独立国は他国の軍隊の駐留を認めるべきではないからだ。自分の国は自分の国の軍隊で守る、これが大原則だ。ただし、場合によっては駐留を認めるという例外はあるだろう。例えば、アフガン戦争のときにカザフスタンは基地を米軍に貸した。そのような場合は許されるが、平時に常駐するというのはありえない。歴史的経緯で言えば、第二次世界大戦で日本は米国の敵国であり、敗戦したために米軍が駐留したのが発端だった。それは理解できる。しかし、あれから50年以上も経過しており、なおかつ近隣諸国と友好関係も結んでいるのに米軍が常駐しなければならない理由はない。実質的には防共のために米軍を常駐させたのだが、それは理由にならない。独立国がどのような政治体制を敷くかは独立国の自由だ。まして日本は共産化することはもはやあり得ない。したがって、米軍が日本に駐留する正当な理由はない。

さて、上記のように私の立場を明確にした上で、次に鳩山由紀夫について私の評価を述べる。鳩山由紀夫の方向性としては沖縄米軍基地を撤退させる方向で動いていた。普天間基地県外移設を公言して真剣に取り組んでいた。しかし、国のトップである首相の鳩山由紀夫にも県外移設は実現できなかった。彼は県外移設を実現すると公言したにも関わらず、実際には実現できなかったために責任をとって辞任した。その後、彼のあとを継いだ首相たちはどうだったか?菅直人にしろ、野田佳彦にしろ、沖縄米軍基地問題に真剣に取り組もうとはしなかった。米軍基地撤退が現実に実現できるとは考えなかったからだ。もちろん、自民党に政権交代して安倍晋三が首相になってからは、米軍基地容認の立場だから撤退どころの話ではない。こうなってみると、誰が一番米軍基地撤退に向けて真剣に取り組んだかというと鳩山由紀夫以外にいないという結論になる。

ちなみに、ここで、「いや、社民党や共産党が米軍基地撤退を訴えている」と主張する意見があるかもしれない。しかし、これは意味がない。なぜなら、米軍基地撤退を実現するためには、その前に実現しなければならないことがあるのだが、残念ながら彼らはそれを絶対にクリアーできない。それは彼らが政権与党になることだ。しかし、社民党や共産党が政権与党になることは絶対にありえない。米軍基地撤退よりも彼らが政権与党になる方が実現可能性が低い。もちろん、連立して政権与党に入る可能性はある。しかし、それとて与党に横から口出しするのが関の山で実質的な決定権は彼らにはない。これは社民党が実証済みだ。社民党は県外移設を主張したがまったく受け入れられず連立与党から離脱するハメになった。したがって、彼らがいくら米軍基地撤退を訴えても、実際にそれを実現する力は彼らにはないのだ。実績がそれを証明している。すなわち、彼らは評価の対象外だ。もちろん、彼らが米軍基地撤退を訴えるのは自由だ。しかし、それを私が支持政党を選択する指標の1つに加えることはもはやない。なぜなら、不可能なことは指標に入れても仕方ないからだ。

私が腹立たしく思うのは米軍基地撤退派が鳩山由紀夫を低く評価することだ。自民党のような反対派が鳩山由紀夫を低く評価するのは理解できる。なぜなら、米軍基地を本気で撤退させようとしたからだ。反対派とは真逆の方向だ。ところが、撤退派の人まで鳩山由紀夫を低く評価する。これは不当な評価だと思う。上記でも述べたように最も米軍基地撤退に尽力した政治家は鳩山由紀夫だけなのに、それをまるで恩を仇で返すようにして彼を低く評価するのだ。彼らは「他の政治家ならきっと米軍基地撤退をできたはずだ」と考えているのかもしれない。ところが、そんな政治家はどこにも存在していない。どこにも存在していない者と比較して鳩山由紀夫を低く評価している。実に間違った考え方だと思う。

さらにおかしなことがある。沖縄県民だ。沖縄県民は基地撤退にあれだけ尽力した鳩山由紀夫を非難しておきながら、その後の選挙で基地容認派の自民党を選択しているのだ。これは明らかに沖縄県民は米軍基地容認を選んだことになる。鳩山由紀夫にダメ出ししておきながら、その直後に真逆の基地容認に転ずる。結局、「撤退を試みたけどダメだった。仕方ないので容認派に転ずる」という思考のプロセスがあったのだろう。つまり、沖縄県民は基地容認という現実的な選択をしたということだろう。

私は原理的に、かつ、心情的には沖縄米軍基地は撤退すべきだと考えている。しかし、それは現実的ではないということが鳩山由紀夫の試みで分かった。もはや米軍基地撤退は大きく世界情勢が変わらない限り、変わることはないだろうと思う。政治は現実的に考えて取り組まねばならないと考えている。したがって、米軍基地撤退に関して、もはや、私の政策課題にこれを組み込むことはしない。実現不可能なことは政策課題に入れても仕方がないからだ。支持政党を選ぶときの政策課題に米軍基地問題を加えることはもはやない。また、私は民主党を支持しているので、民主党のマニフェストに米軍基地撤退を明記するようなことはしてほしくない。加えるとしても、それはかなり先の課題として加えるにとどめてもらいたい。先というのはおそらく10年20年ではないだろう。もっともっとずっと先ではないかと思う。いつになるのかは分からない。なぜなら、日本国内の事情で変わることはないからだ。変わるとすれば、米国や他の諸外国の事情で変わるだろう。残念だが、日本に米軍基地撤退を決める実質的な決定権はない。

私は長い間、米軍基地撤退派であり、口先だけでなく、実現すべく実際に試みたいとずっと思っていた。そして、そのチャンスが鳩山由紀夫首相のときに巡ってきた。しかし、残念ながら、そのチャンスは活かせなかった。基地問題は一歩も進まなかった。彼を応援したけれどダメだった。かつて私は試みもせずに諦めるのはおかしいと思っていた。何もせずに最初から諦めるひとに批判的だった。だが、私の場合は鳩山由紀夫を応援することで基地撤退を試みたけどダメだったということだ。何もせずに諦めたわけでなく、やってみたけれどダメだったという試みた事実がある。つまり、私が基地撤退が不可能だと判断する理由は、何もせずに想像で判断したのではなく、実際に試みてみた上での判断だ。想像ではなく、事実に基づく判断だということだ。

したがって、今後、私は基地撤退に関しては現実的には不可能だという立場に立とうと思う。もちろん、積極的な容認ではなく、仕方なく消極的に容認せざるをえないという立場だ。もし、鳩山由紀夫を貶す基地撤退派のひとが私を説得するつもりならば、鳩山由紀夫以上の実績を上げた政治家で実際の事例を上げて説得してほしいと思う。この世には存在しないのにそれを持ち出してきて、鳩山由紀夫より優れていると主張するのはナンセンスだ。誰だって鳩山由紀夫の欠点を並べることは容易だろう。だが、彼らは存在しない架空の政治家をいくら持ち出したって仕方がないではないか。架空の政治家では欠点を上げることすらできないではないか。政治はそういう夢想家といつまでも付き合ってはいられない。政治は現実と向き合わねばならない。私のことを撤退を諦めたと言って非難するだろうか?だが、実現できないことをいつまでも言うのは不平不満を述べて自分のストレスを解消をしているのと変わらない。寝言を言っているのと同じだ。政治はそんな寝言にいつまで付き合ってはいられない。説得するつもりがないのも結構だ。いつまでも少数野党でいればいいだけの話だ。説得するつもりなら実績を作ることだ。だが、万年少数野党では実績の作りようがない。したがって、実質的にはこの議論は終わっている。

長くなったので私の主張していることが伝わらないかもしれない。そこで、繰り返しになるが、結論をもう一度書いておこう。つまり、結論とはこうだ。私は考え方としては米軍基地撤退派であり、基地問題に対してとった鳩山由紀夫の行動を高く評価している。同時に鳩山由紀夫を低く評価する基地撤退派は現実が見えていない人たちであり、不当に低い評価だと考えている。また、私としては、基地撤退を試みたがそれが成し得ないことが鳩山由紀夫という事例で分かったので、今後はその経験を踏まえて基地撤退は現状では不可能と考え、私の政策課題から外すこととする。以上。

ちなみに、原発に関しても、近々、方向修正しなければならないかもしれない。私の立場は時間をかけて徐々に脱原発を進めるという脱原発派だ。だが、官邸前デモの脱原発派に対する世間の評価はどんどん下がってきているのではないかと思う。評価が下がる理由は選挙後も彼らが自分たちの主張を修正することも推進派と意見を擦り合わせることもしなかったからだと思う。頑なに自分たちの主張だけを押し付けたと思う。しかし、自分たちだけの意見を一方的に押し付けるのはおかしい。民主主義においては異なる意見と折衷案を見出して妥協しなければならないはずだ。それなのに、彼らは自分たちの主張を一歩も譲らない。これでは世間の評価が下がるのも頷ける。もちろん、これは推進派にも言えることだ。だが、推進派は少なくとも妥協する姿勢は見せている。もちろん、上辺だけだとは思うが。だが、それでも民主主義の手続きは踏んでいる。したがって、脱原発派は選挙結果を踏まえて、表現を変えるか、主張を修正するか、すべきだと思う。

(おおげさに言えば、私の言っていることが正しいかどうかは後世の歴史家が評価してくれると思う。後世の評価において当時の人々がいかに愚かだったかということはよくあることだ。ま、現実を変えられなかったという点では私もその愚かな人々とまったく同じなので、愚かさには大した変わりはないんだがね・・・。それにしても、先のことを考えると憂鬱だ。次の参院選では民主党は惨敗して党存続の危機に陥るだろうからだ。だが、その結果、迎える日本の政治はどうか。自民党が圧倒的多数で第二政党が公明党になるだろう。実質的な自民党一党独裁政権だ。しかも、それに対抗する野党も保守系がほとんどでリベラル政党は日本の中では少数派になってしまうと思う。私のようなリベラル政党支持派にはなんとも嘆かわしい話ではないか。)