華原朋美を久しぶりに見た。90年代をしんみりと思い出したりした。小室哲哉やケイコを思い出したり、直接関係ないけど中森明菜を思い出したりした。それとエヴァンゲリオンを思い出したりした。
日本のテレビ文化・・・。「テレビの時代は終わった」と言っても消えてなくなる訳ではない。映像メディアやテレビ放送文化はこれからも残る。テレビに携わる人たちは質の良い作品を作ってほしいものだ。といってもテレビ文化が衰退した原因のひとつはテレビ局にお金が集まらなくなったからだろう。
テレビ局にお金が集まらなくなった理由はスポンサーである日本の企業の経済力が弱くなったからだろう。端的に言えば日本経済が衰退したからだ。そして、おそらくそれは回復する見込みは少ない。結局、少ない予算の中で良い作品を作るしかないと思う。
良い作品って何か、真剣に考えないといけないなあ。それにしても日本のテレビの歴史ってまとめた本ってないのだろうか?日本のテレビの歴史を考えたとき、思い浮かぶのって大橋巨泉だったりする(笑)。いや、他にもっとあるとは思うんだけど。
日本のインターネットの歴史を振り返ったときアルファブロガーって記述に残るんだろうなあ。池田信夫とか切り込み隊長とかfinalventとかきっこさんとか小飼弾とか竹熊健太郎とか。ツイッターになると津田大介とか東浩紀とか。橋下徹とかも残るかもしれない。
私は音楽は全然詳しくないんだけど、日本の歌謡史に華原朋美も『I'm proud』で残ると思う。中森明菜いくつかの曲で残ると思う。AKB48も残るんだろうけど、後世の歴史家がどのように評価するかは分からない。演歌って残るのかな?
日本は明治以後はアジアの中で経済成長した方だと思う。その頃は女工哀史とかで有名な紡績業とか軽工業で成長した。その後、世界は恐慌でブロック経済になり戦争になる。戦後は日本は再び経済成長してゆく。自動車や家電など製造業で大躍進する。そして、今、それらは失われ衰退しつつある。
英国などは二度の世界大戦でボロボロになった。第二次世界大戦以後はイギリス病といわれるほど衰退したし、その後も目立った回復はなく、金融ビッグバンなど自国企業はなくて場所だけ貸すというウィンブルドン方式をしたりした。米国は戦前は恐慌だったが、戦争で復活し戦後は世界の覇権を握るまでに。
しかし、その後の米国経済は日本の製造業に脅かされることになる。自動車産業まで日本に奪われることになる。当時は不買運動が起こり、日本車をハンマーで壊したりする映像も流れたりした。大規模なリストラが行われたりした。日本は米国の企業を買収したり、米国の一等地を買ったりした。
しかし米国は復活した。ITと金融だった。金融によってWTOに加盟した中国に投資され工場が建設された。そして、中国は世界の工場になった。また、ITは世界中に広まりインターネットが世界を繋げ、そして世界を変えた。米国はITと金融という知識産業で復活した。同時に中国も製造業で目覚めた。
しかし、その一方で日本は衰退した。なぜなら製造業が中国に奪われたからだ。いや、奪われつつある。家電はすでに中国に奪われた。あるいはサムスンの韓国に。自動車はかろうじてまだ日本は勝っている。しかし、それも電気自動車が普及したときどうなるか分からない・・・。
ところで米国もITと金融で復活したとはいえ、富は少数に集中することになった。製造業の場合は工員に広く分散するが、ITや金融の場合は優秀な個人が富を手にすることになるので富は拡散しない。結果、貧富の差が拡大した。富をどう再分配するかが米国の問題として残っている。
さて、日本だが、とりあえず、自動車産業だけは残っている。しかし、それも製造業の法則から考えれば、工場は海外に移転するのが合理的になると思う。その方が安く生産することができるからだ。結局、自動車産業も海外の企業に抜く抜かれる関係なく、海外に工場を移転せざるをえないと思う。
そうなると日本国内は衰退せざるをえない。家電も自動車も無くなれば、日本は貧しくならざるをえない。それは昔から言われていたことだ。日本は資源が乏しく加工して付加価値を生み、それを海外に売って利益を生み出す貿易立国だと。輸出が無くなったとき、日本は衰退せざるをえない。
日本が衰退するのは仕方がないと私は思う。確かに座して衰退を待つのではなく何か挽回策を講じようとするのは分かる。とはいえ、かつての経済大国に復活できるような方策はまず無いと思う・・・。ただ、これまで蓄積してきた資産が日本にはある。それを有効に活用して延命することだと思う。
今、日本の経済について「あーしろ、こーしろ」と意見提言がある。それらは多少の効果を発揮するかもしれない。しかし、先程も言ったようにかつての経済大国に返り咲くほどの大きな挽回策とはなりえない。何が言いたいかというと日本のポテンシャルを見極めて「この程度かな」と落ち着くことだと思う。
落ち着いたとき、近代文明の中で日本は子供から大人に成熟できるのではないかと思う。市民社会が成熟するのではないかと思う。民主主義が定着するのではないかと思う。文化が大人になるのではないかと思う。自民党の政治家はオジサンであって大人ではない。大人の政治家はこれから出現する。
日本のテレビ文化・・・。「テレビの時代は終わった」と言っても消えてなくなる訳ではない。映像メディアやテレビ放送文化はこれからも残る。テレビに携わる人たちは質の良い作品を作ってほしいものだ。といってもテレビ文化が衰退した原因のひとつはテレビ局にお金が集まらなくなったからだろう。
テレビ局にお金が集まらなくなった理由はスポンサーである日本の企業の経済力が弱くなったからだろう。端的に言えば日本経済が衰退したからだ。そして、おそらくそれは回復する見込みは少ない。結局、少ない予算の中で良い作品を作るしかないと思う。
良い作品って何か、真剣に考えないといけないなあ。それにしても日本のテレビの歴史ってまとめた本ってないのだろうか?日本のテレビの歴史を考えたとき、思い浮かぶのって大橋巨泉だったりする(笑)。いや、他にもっとあるとは思うんだけど。
日本のインターネットの歴史を振り返ったときアルファブロガーって記述に残るんだろうなあ。池田信夫とか切り込み隊長とかfinalventとかきっこさんとか小飼弾とか竹熊健太郎とか。ツイッターになると津田大介とか東浩紀とか。橋下徹とかも残るかもしれない。
私は音楽は全然詳しくないんだけど、日本の歌謡史に華原朋美も『I'm proud』で残ると思う。中森明菜いくつかの曲で残ると思う。AKB48も残るんだろうけど、後世の歴史家がどのように評価するかは分からない。演歌って残るのかな?
日本は明治以後はアジアの中で経済成長した方だと思う。その頃は女工哀史とかで有名な紡績業とか軽工業で成長した。その後、世界は恐慌でブロック経済になり戦争になる。戦後は日本は再び経済成長してゆく。自動車や家電など製造業で大躍進する。そして、今、それらは失われ衰退しつつある。
英国などは二度の世界大戦でボロボロになった。第二次世界大戦以後はイギリス病といわれるほど衰退したし、その後も目立った回復はなく、金融ビッグバンなど自国企業はなくて場所だけ貸すというウィンブルドン方式をしたりした。米国は戦前は恐慌だったが、戦争で復活し戦後は世界の覇権を握るまでに。
しかし、その後の米国経済は日本の製造業に脅かされることになる。自動車産業まで日本に奪われることになる。当時は不買運動が起こり、日本車をハンマーで壊したりする映像も流れたりした。大規模なリストラが行われたりした。日本は米国の企業を買収したり、米国の一等地を買ったりした。
しかし米国は復活した。ITと金融だった。金融によってWTOに加盟した中国に投資され工場が建設された。そして、中国は世界の工場になった。また、ITは世界中に広まりインターネットが世界を繋げ、そして世界を変えた。米国はITと金融という知識産業で復活した。同時に中国も製造業で目覚めた。
しかし、その一方で日本は衰退した。なぜなら製造業が中国に奪われたからだ。いや、奪われつつある。家電はすでに中国に奪われた。あるいはサムスンの韓国に。自動車はかろうじてまだ日本は勝っている。しかし、それも電気自動車が普及したときどうなるか分からない・・・。
ところで米国もITと金融で復活したとはいえ、富は少数に集中することになった。製造業の場合は工員に広く分散するが、ITや金融の場合は優秀な個人が富を手にすることになるので富は拡散しない。結果、貧富の差が拡大した。富をどう再分配するかが米国の問題として残っている。
さて、日本だが、とりあえず、自動車産業だけは残っている。しかし、それも製造業の法則から考えれば、工場は海外に移転するのが合理的になると思う。その方が安く生産することができるからだ。結局、自動車産業も海外の企業に抜く抜かれる関係なく、海外に工場を移転せざるをえないと思う。
そうなると日本国内は衰退せざるをえない。家電も自動車も無くなれば、日本は貧しくならざるをえない。それは昔から言われていたことだ。日本は資源が乏しく加工して付加価値を生み、それを海外に売って利益を生み出す貿易立国だと。輸出が無くなったとき、日本は衰退せざるをえない。
日本が衰退するのは仕方がないと私は思う。確かに座して衰退を待つのではなく何か挽回策を講じようとするのは分かる。とはいえ、かつての経済大国に復活できるような方策はまず無いと思う・・・。ただ、これまで蓄積してきた資産が日本にはある。それを有効に活用して延命することだと思う。
今、日本の経済について「あーしろ、こーしろ」と意見提言がある。それらは多少の効果を発揮するかもしれない。しかし、先程も言ったようにかつての経済大国に返り咲くほどの大きな挽回策とはなりえない。何が言いたいかというと日本のポテンシャルを見極めて「この程度かな」と落ち着くことだと思う。
落ち着いたとき、近代文明の中で日本は子供から大人に成熟できるのではないかと思う。市民社会が成熟するのではないかと思う。民主主義が定着するのではないかと思う。文化が大人になるのではないかと思う。自民党の政治家はオジサンであって大人ではない。大人の政治家はこれから出現する。