2013年6月20日木曜日

フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(訳:村上春樹)

 
 
ちょっと前に読んだ小説ですが、最近、レオナルド・ディカプリオ主演で映画が公開されたようですので感想を書いておこうと思います。それはスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』です。ちなみに読んだのは村上春樹訳の方です。


私自身は『グレート・ギャツビー』は有名なので名前は知っていましたが、あらすじとかを読んでみたのですが、あまり興味が持てなくて読んでいませんでした。さらに後に村上春樹が名作だと言っているいうことで読まなくちゃいけないかなあという気持ちになったりしたのですが、それでも読んでいませんでした。それからさらにウィキペディアで解説を読むと「英語で書かれた20世紀最高の小説で2位」と書かれてあったのでますます読まなくちゃという気になり、とうとう本を購入したのですが、それから随分長い間積読になってしまい、ようやく最近になって読んだというのが実情です。

さて、「読んだ感想は?」と言うと「小説のいわんとすることは分かるけど、しかし、世間で言われるほど高く評価されるほどの小説だろうか?」というのが正直な私の評価です。世間の評価というのは案外あてにならないなあというのが率直な感想です。ただ、私自身が気づいていない良さがあるのかもしれないという一抹の不安も少しありますが・・・。


さて、ストーリーはとてもシンプルで、貧しい青年ギャッツビーが好きな女性デイジーのハートを射止めるために無理して金持ちに成り上がるのですが、デイジーたちが住むハイソサエティーな連中との間に育ちの違いからギャップが生じるといった感じです。結局、ギャッツビーの夢は叶えられずに挫折するのですが、そのギャッツビーを傍らで見ていた友人のニックがギャッツビーの純愛に感動しつつ、ハイソサエティーに対して厭世観というか達観みたいなものを得て、デイジーたちの見せかけだけのハイソサエティーを捨て去るというような話です。

この物語の重要な点は2つあって、1つは金持ちたちに対する批判、もう1つはニックの得た達観です。金持ち批判については当時のアメリカ社会を知っていることが大事でそこまでに至る歴史と当時の状況というのを知っていないとこの金持ち批判はいまひとつ伝わってこないのではないかと思います。それから、もう一方の重要なポイントである達観ですが、これはフィッツジェラルドの後の世代で流行ったサリンジャーなどに代表される超絶主義に通じるものがあるのだと思います。いや、超絶主義までいくと行き過ぎになってしまうかもしれません。村上春樹などは適度な距離感を大事にしているのだと思いますから、超絶主義のようにあまり世間から乖離してしまうのも彼のリアリズムに反するのだと思います。程良い距離感。それが村上春樹の表面的なオシャレさだったり、深層におけるリアリズムだったりするのだと思います。

この作品はロシア文学のような深い感動を得られるという物語ではありません。しかし、作品の舞台が1920年代のちょっと古いアメリカですが、現代の社会に対しても十分に通じる世界観とかニヒリズム的な態度やクールなリアリズムがあるのだと思います。読後にクールな余韻が残るのがこの作品の魅力なんでしょうね。


『グレート・ギャツビー』をより深く理解するためには当時のアメリカ社会を知っておいた方が良いので、下記にアメリカ社会を知るための参考文献を挙げておきます。いずれも資本主義やアメリカ社会を考える上でとても参考になる本だと思います。