2025年2月15日土曜日

阿修羅のごとく

『阿修羅のごとく』(2025年)
 
Netflixでドラマ『阿修羅のごとく』を観た。全7話だった。
 
原作は向田邦子で、NHKで1979年と1980年にパート1、パート2としてそれぞれ放映されたらしい。今回は是枝裕和監督で再びドラマ化されたものだ。
 
内容的には竹沢家の四姉妹の物語だ。四姉妹の父・恒太郎の浮気を知った四姉妹がスッタモンダする話が前半で、後半は母・ふじが亡くなった後の話で、次女・巻子の夫への疑心暗鬼や長女・綱子の不倫騒動や、三女・滝子の恋愛や四女・咲子の夫の浮き沈みの話で、最後は四姉妹がなんやかんやで団結する話だった。ストーリー的には他愛のない話に私には感じられた。NHKで公開された当時は現代ドラマだったのかもしれないが、今、再ドラマ化された本作を見ると1979年頃の歴史ドラマのように感じられる。そう、今、このドラマを見る意味は、歴史ドラマとして、当時の日本を垣間見るという意味で意義があるように思う。
 
ちなみに、日本では歴史ドラマというものはあまり存在しないかもしれない。NHKの大河ドラマが歴史ドラマに相当するかもしれない。しかし、昨今の大河ドラマは歴史ドラマというにはあまり当時を反映しているとは思えない。まあ、その代わり『映像の世紀』のような素晴らしい歴史ドキュメンタリーがあると言えるのかもしれない。ちなみに、私が好きな歴史ドラマは英国貴族の物語『ダウントン・アビー』だ。他にもデヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』なんかも歴史ドラマとして見られる一面があると思っている。ポワロ自身はいつの時代も60代で歴史に沿ってはいないのだが。また、ジェレミー・ブレット主演の『シャーロック・ホームズの冒険』も歴史ドラマの一面が垣間見られる場面も少しあると思っている。そう、私が良いなと思うのは、近代から現代へ移り変わる時代の風景を垣間見られるのが大変良いと思うのだ。そして、このドラマで昭和54年頃の日本の風情が感じられるのだ。
 
 さて、本作は是枝裕和監督が撮った作品なので、家族をテーマにした作品でもある。四姉妹のそれぞれの生き方、家族としての生き方が描かれている。親子や夫婦の生き方が描かれている。また、是枝監督作品の『海街diary』と似ていて、白菜を漬ける場面や障子を貼る場面など日本の風情が描かれている場面があったりする。家の中が物でごちゃごちゃしていて生活感があったりもする。そういったものも見どころかもしれない。
 
ただ、一番の見どころとしては、女優さんたちの演技かもしれない。宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずの演技が大変素晴らしい。私などは、宮沢りえは写真集『Santa Fe』の頃の初々しかったイメージがあったので、内野聖陽との不倫の演技や着物姿での振る舞いなどは演技派女優になったものだと驚きで目を見張った。他の三人も大変すごい演技で、日本の女優の演技力は凄いと改めて思った次第だった。
 
余談になるが、ちょっと気になったのは、この作品に仏壇って出てただろうか? 私が子どもだったこの頃はどの家にも仏壇があったように思う。他所の家に遊びに行くと、仏壇があってその家のお婆さんが手を合わせてお祈りして、線香を上げたり、チーンと輪を鳴らすのが常だった。お供え物のお菓子をその家の子どもが食べたりしてたりしてそれが普通だったらしい。私は仏壇に馴染みが無かったので、他所の家の仏壇はとても不思議に感じたものだった。
 
さて、原作の向田邦子は名前だけはよく聞いていたけれど、どのような人物かはあまり気にかけたことはなかった。ざっとネットで調べた感じでは、元は出版業界にいたようで、世事に長けていたのかもしれない。あるいは集めた陶磁器を前にした写真もあったりで趣味人の一面もあったり、シックな黒い洋装やモダンなスーツを着ている感じからもモダニストだったのかもしれない。このドラマからは、当時の女性の自立を描こうとしていたのかもしれないし、大家族から核家族へ向かう家族のあり方を描こうとしていたのかもしれない。もちろん、女性の情念も描こうとしていたのだろう。向田邦子はエッセイも書いていたようで、日本の女性エッセイストの草分けは清少納言だから、清少納言の系譜のようでもあるし、女性趣味人というと白洲正子を連想するし、商社マンの男性の描き方を見ると、中年男性を描かせたら右に出る者がない観察力の鋭い高村薫を連想する。彼女は51歳で飛行機事故で亡くなってしまったらしく、その後の成熟が見られなかったのは残念だった。
 
 
 

2025年1月31日金曜日

NEWS2025.01

 
1月1日(水)
能登地震の復興が遅れているという指摘はずっとされているけど、要は石川県がボランティアを冷遇して復興にうまく使えなかったということだろう。なぜそんなことが起こったのかだけど、慣れていなかったというのもあるだろうけど、ボランティアに頼るなんてというメンツがあったのではないだろうか?ともかく、今回の失策を今後の教訓に活かしてほしい。 
 
12月29日に100歳で亡くなったらしい。大統領時代は不人気だったが、大統領を辞めてから後にこれだけ活躍した大統領も珍しい。合掌。
 
14人もの人を殺害した犯人はISISの影響を受けた者の犯行らしい。米陸軍にも所属していたことがあるらしい。だからといって無差別殺人するとは。動機の解明が急がれる。

1月3日(金)
韓国の捜査当局が尹錫悦大統領を逮捕しようとして大統領公邸に向かったが、大統領警護庁の職員(?)らが抵抗して中止せざるを得なかったという話。尹大統領、なかなかねばるなあ。とはいえ、このままでは大統領は埒が明かないと思う。もはや尹大統領は軍を動かす力はないだろうし、仮に軍を動かせたとしてもそれこそクーデターになるし。いずれ出頭せざるをえないんじゃないかなあ。
 
これも動機がよく分からない事件。犯人は現役の米特殊部隊員とのこと。米国では銃乱射でもそうだが、動機がいまひとつよく分からない事件が多い。精神状態が余程酷くて、ヤケクソになって行った犯行ということかもしれない。孤立の問題もあるのかもしれない。
 
痛ましい事故で原因究明が急がれる。
 
日鉄は少なくとも訴訟すべきだと思う。やはり不当だろう。筋は通すべきだ。
 
1月5日(日)
日本人は助け合わない民族だと思う。そして、弱者をみんなで叩いたりする可能性が高い。おそらく、欧米はキリスト教の影響で救済型の思考があるし、公共や地域社会の習慣も残っているのだと思う。 一方、日本は救済型の宗教は無いし、地域社会も分解されてしまった。それに、元々、地域社会自体があまり助け合い型ではなかった。日本のこの傾向は今後も変わらないと思う。
 
90年代後半は危機意識があった。「変わらなきゃ」という意識があった。しかし、変わらなかった。世界は変わったが日本は変わらなかった。結局、日本には能力が無かったのだと思う。個々が生き残りを模索するしかない。
 
1月7日(火)
カナダはミドルパワーを目指した国だった。経済規模は小さいがそれでも先進国として存在感を示せた。トルドーはよくやったと私は思う。辞任は残念だ。
 
トランプに日和ったメタ。まあ、そういう会社、いや、ザッカーバーグはそういう人物だと思っていたので極めて驚いたというほどではない。でも、フェイクニュースが横行するようになれば信頼を失うのではないか?かつてはケンブリッジ・アナリティカの件もあったわけだし。
 
英国のスターマー首相はまともで良かった。模範的な人物だ。それに対して、イーロン・マスクは酷い人物だ。こんな危険な人物に権力を持たしてはいけない。世界中の人々はそれに気づくべきだ。
 
古い極右が亡くなった。時代は変わっていた。
 
なんとまあ、トランプ、酷いなあ。 

IT技術者はかつてIT土方と呼ばれて、キツい仕事だった。技術者冷遇は日本の企業には根強いと思う。
 
 
1月8日(水)
イーロン・マスク、要らん。

1月9日(木)
メキシコにイチャモンをつけて何かを引き出そうとするトランプに、メキシコ大統領がお返し。まあ、それぐらいで良いと思う。
 
電機屋さんたちは補助金とか公的資金とかが欲しいのだろうか?
 
NHKめ!「マジでいい加減にしろ!」と言いたい。
 
1月11日(土)
 ツイッターに変わるSNSが欲しいと本当に思う。誰か作ってくれないかなあ。
 
トランプとイーロン・マスクが世界を撹乱している。困ったものだ。米国の企業はそんなトランプたちに日和った対応をとっている。企業は営利が目的なので仕方ないといえば仕方ないのだが。ともかく、ツイッターから他のSNSへ乗り換えたいのだが、適当なSNSが無いのが困りものだ。
 
さて、先進国が抱えている問題は明白だ。国内の経済格差だ。 製造業が中国やインドなどに取られて国内の製造業が衰退した。そのため、低賃金のサービス産業に従事せざるをえなくなったため、中間層が目減りして、富裕層と低所得者層に分離してしまった。しかも移民によって得をした者と損をした者ができてしまい、低所得者層は移民の流入でおおむね損をしてしまった。そこで低所得者層の中からトランプや極右などを支持する人々が増えた。そして、この経済格差問題は容易に解決しない問題だ。米国では、不法移民を排除しようとしたり、労働組合が賃上げ闘争したりといったことが起きているが、格差問題は構造的な問題なので簡単には解決しない。結局、少しずつ改善するしかない。しかし、中間層の目減りと低所得者層の世代交代によって、低所得者層の知的水準が低下している。格差は簡単に解決できない問題なうえに、目に見えた成果が欲しいし、不満も解消したいので、短絡的に移民排斥に走ったりする。だが、移民は悪かというと、先進国では軒並み出生率が低下して人口が減少傾向だった。国内の産業を維持するためには労働人口を増やすしかなく、移民は必要だった。だから、移民は必ずしも悪ではない。移民によって得をした部分もあるのだ。今後、先進国は移民をどの程度にとどめるか、調整局面に入っていくと思う。ただし、日本は例外で移民の受け入れが極端に少ない。一方で、産業も競争力を失い、衰退しつつある。今後、日本は必要な産業を残すためにどのくらい移民を受け入れるかを考えねばならない。年間の出生数が70万人を切ったのだから、日本の人口はこのままでは将来的に現状の60%から70%まで減少するはずだ。どのくらいの移民が必要かを計算しなければならない。ただし、実はあまり多く必要ではないかもしれないと私は思っている。というのも、日本が再び繁栄することは無いと思うからだ。これからは技術力がものをいう。しかし、日本に研究開発や高等教育に投資するだけの余力はもはや無い。優秀な人材は欧米や中国・インドなどの大国に抜けていくだろう。元々、基礎研究や研究開発が苦手だった日本が、いきなり世界を抜くような技術大国になれるはずがない。技術力による日本の繁栄はもう無いと見るべきだ。むしろ、日本文化というオリジナルなコンテンツで繁栄するしかないと思う。寿司や日本酒といった日本の食文化とか漫画やアニメといったコンテンツなどだ。ただ、日本の出版文化がネットの出現で衰退したことは大きな痛手だった。日本の出版文化が日本の知的水準を高めることにかなり貢献してきたし、コンテンツを育む土台でもあった。ところが、ネットの出現でかなり出版市場が衰退してしまった。今後、魅力あるコンテンツが作られるかどうか不安である。例えば、ゲームはどうだろう?日本のゲーム産業は以前と比べて世界からどんどん置いてけぼりにされているのではなかろうか?将来的にかなり苦境に立たされるのではなかろうかと思う。ところで、日本はパレスチナ人を移民として受け入れたらどうかと思っている。イスラエルはパレスチナ人を駆逐するつもりでいるのは明白だ。パレスチナ人の郷土愛はともかく、現実問題として新天地を探す必要があるのではないかと思う。日本の移民は現在250万人くらいらしい。欧州の先進国では人口の15%くらいが移民で占められているらしい。ならば、日本の人口の10%程度、つまり、1000万人くらいは日本はパレスチナ人を受け入れてもいいのではないかと思う。そうすれば世界の心ある人々は日本を称賛すると思う。移民が必要な日本にとっても経済的にプラスに働くはずだ。最後に、話は変わるが、米国の保守vsリベラルを階級闘争vs文化闘争となぞらえた人がいたが、マイノリティの人権を確保することが文化闘争と言っていいのかと私は思っている。文化闘争ではなく、人権闘争ではないか。保守が人権闘争を貶めるために文化闘争などと言い換えているだけだと思う。そして、リベラルの方こそ、経済格差を是正するために再分配などに目を配ってきたと思う。保守は階級闘争などといって、その実、やろうとしているのは、マイノリティ排斥だったり、人種差別だったりではないか。経済格差の問題は大ナタを振るえば簡単に解決するといった問題ではないのだ。地道で地味な解決しかありえない。あとは個人の努力次第だ。大胆な政策で簡単に解決できるというような夢は見ないことだ。
 
1月14日(火)
ネット通販で急成長を遂げたSHEINの中国工場の話。中国が世界の工場となってからよく指摘される労働環境が過酷だという話。以前はアップルなどFOXCONNのスマートフォンの工場が槍玉に挙げられていたが、多分、改善されたのだろう。今回はSHEINが槍玉に挙げられたのだろう。こうやって監視の目が届けば次第に改善されてゆくと思う。むしろ、経済成長している中国が羨ましくもある。

1月15日(水)
今回はスムーズに逮捕を遂行できたとのこと。とりあえず、司法の場に移行するんだろう。そういえば、夫人はどうなるんだろう?尹大統領は大統領のままだから大統領官邸にそのまま住まうのだろうか?とはいえ、世間の風当たりは強いだろうなあ。
 
 1月16日(木)
とりあえず停戦が合意されて良かった。あとは実際に停戦されることを願いたい。それにしても、あまりにも犠牲が大きかった。イスラエルの酷い行為を誰も止められなかった。せめてパレスチナ人の難民移民を世界の国々は受け入れるようにしてほしいと思う。イスラエルはパレスチナ人をガザから本気で駆逐するつもりでいると思う。おそらくパレスチナ人に対する嫌がらせは今後も続くだろう。世界の誰も止められないのなら、せめてパレスチナ人を受け入れて生命を守るようにすべきだ。

世間では中居正広問題がフジテレビに飛び火してニュースを賑わしている。中居正広が女性を食い物にしていたのは事実だから、芸能人としてはもはややっていくのは不可能だろう。ただし、YouTuberとしてやっていける可能性はあると思う。一方、フジテレビも関与していた可能性は高いのだろう。事実なら関係者と責任者は職を追われることになるだろう。ただ、日本の場合、組織ぐるみの犯罪は組織の隠蔽体質でなかなか立件が難しいように思う。第三者機関といってもどこまで第三者なのか怪しかったりする。こうした日本人の気質は今後も変わらないと思う。また、炎上商法的手法でどこもかしこも中居正広問題を取り上げるYouTubeが多い。辟易してしまう。それと不思議なのだが、日本人は女子アナになにかしら性的視点を持っているかのように感じられる。(そういえば女子アナのジャンルがAVには存在する。)なぜだろう?そういえば、ニュース番組を娯楽的にしたのが久米宏のニュースステーション(当時は違った名前だったかもしれない)だったと思う。それ以前のニュース番組はかなりイカメシイ顔つきで報じられるのが多かった。ニュース番組の娯楽化で視聴者を増やしたり、分かりやすく解説するのに貢献したが、お笑い芸人がニュース番組を笑いの場に変えてしまうのはさすがに行き過ぎだと思う。専制政治から民主政治に脱却した人類社会。市民社会における権力を監視するために、あるいは市民社会の一員として市民の義務として、市民はニュースをチェックするという基本に立ち返って欲しいと思う。
 
1月19日(日)
残念な知らせ。デマで心を病んでしまったんだろうなあ。

1月20日(月
立花孝志は自分のデマでひとが死んでも、それでもデマを流し続けるんだろう。
 
1月21日(火)
トランプならやるだろうと思っていた予想の範囲内ではあるけれど、改めて酷いことをやるなあと思う。

1月22日(水)
同じく予想の範囲内ではあるけれど酷いなあ。孫正義は相変わらず商売人やなあ。大口叩いて大丈夫なんやろか。

1月23日(木)
トランプ、酷いなあ。
 
1月24日(金)
トランプ、酷い。それにしても3選とか、米国までロシアや中国みたいな独裁国家になってしまうんやろかと思うと背筋が凍る。

まあ、引退しかないやろなあ。でも、十分、お金もあるだろうし、生活には困らないんだろう。楽しい引退生活かどうかは分からないが。

トランプ政権発足と大統領令連発の一週間だった。大統領令連発は前回と同じ。米国も他国もそれで右往左往する。それも前回同様。ところで、前回のトランプ政権時代は米国民の暮らしは良くなったのだろうか?結局、保守の差別主義者が差別的な政策を喜んだだけで、経済的には恩恵は受けなかったのではなかろうか?要はガス抜きはしたが、実質的には経済的な恩恵は何も無かったのではないか?
 
一方、トランプ政権が発足したことで日本が抱える問題としては、米国からさらに武器購入を迫られるかもしれない。安倍政権時代に武器購入を決めて、岸田政権時に防衛費を2倍にして、これからどうやってお金を捻出するか困っているのに、さらにもっと武器を買わされるかもしれないというリスクが生じることになる。過去の事例から推測すると日本は米国の要求をはねつけることはできない可能性が高い。日本は米国をはねつけたことがないからだ。となると凄まじい増税が待っているかもしれない。

マクロな視点で見ると、先進国における経済格差の解消は困難だと思う。トランプがいくら想定外な政策を打ち出しても格差解消はできないだろう。人々の閉塞感を拭えないだろう。もう閉塞感に慣れるしかないのかもしれない。あるいは、小さなチャンスを掴むために日々の忍耐と努力を要求されるのかもしれない。一方、ロシアや中国などの独裁国家では人々の閉塞感と腐敗はどんどん増していくと思う。ロシアや中国では自由を求めて国外へ脱出する人が今後も増えると思う。
 
日本は経済も人口も縮小するしかない。その結果、文化も縮小するかもしれない。解決策として、移民を受け入れるか否かで議論が割れると思う。ただ、日本は過去を継承しない国だ。すぐに忘れるし、世代で断絶もする。いつの間にか変化してもそれが日本だと思ってくれる。貧しくなってもそれが当たり前に思うだろうし、移民が増えて変化してもそれも当たり前に思うだろう。どちらに転んでも日本は柔軟に対応するだろう。日本の保守は明治や昭和を参照するだろうけど、それは保守たちが勝手に思い描いている幻想の明治や昭和であって、歴史的な明治や昭和ではない。要は保守ごっこをしているに過ぎない。靖国神社に集うコスプレイヤーがそれを表している。そして、経済的に貧しくなれば、ごっこ遊びをする余裕は減っていくだろう。日本人は複雑なポイ活などの損得勘定の計算に忙しくて文化的な豊かさに時間を割く余裕が無くなっていくかもしれない。唯一、食べることだけが楽しみになるかもしれない。しかし、それも「孤独な」グルメであって、皆で楽しむようなコミュニティは形成できずに、皆、孤立化していくと思う。内面的に薄っぺらい人間が増えると思う。街から本屋さんが消えてパチンコ屋が増えたが、今後はオンラインカジノでパチンコ屋も消えるかもしれない。カジノもアニメもゲームも本もアダルトビデオもネット上に存在するだけになるかもしれない。楽しい日本はネット上に存在するだけになるかもしれない。食べものだけがリアルに存在するようになるのかもしれない。いや、孤独のグルメに登場した飲食店もすでに閉店しているかもしれない。結果的に地球に優しい国になっているかもしれないなあ。

トランプ政権の発足によってリベラルな進歩は後退した。しかし、トランプ政権が終われば米国のリベラルは必ず復活すると思う。人類社会が進む道はリベラルな方向だ。それは自由で多様な社会だ。インターネットがある限り、人々が自由を追求する情報を止めることはできない。また、経済格差は容易には解決できない問題だと人々は認知するようになるだろう。なぜトランプが人気を博したかというと経済格差の閉塞感があるからだ。しかし、それは過去と現在を比べられる人々がいるからこそ生じた。経済格差が当たり前の気分になれば、ギャンブルを選ぶ気運は減るだろう。あるいは、定期的にギャンブルに賭ける人々が生じて、第二、第三のトランプを招くかもしれない。しかし、結局、そういったトランプ支持者の中でも、ギャンブルで得をする人、損をする人が生じると思う。その結果、ギャンブルを選ぶひとも次第に減っていくと思う。結局、経済格差を乗り越えようと多くの人々は自分たちで様々に模索するだろう。その結果、社会はより厚みや深みを増すかもしれない。あるいは闇も深くなるかもしれない。結果、社会はジャングルのように、より複雑で多様になる。

1月26日(日)
イスラエルはパレスチナ人を一掃するつもりなんだろう。そして、トランプはそれを支援するつもりでパレスチナ人を国外に追い払うつもりなんだと思う。酷い話だ。だが、国際社会がイスラエルの暴虐を止められず非難することもできなかった。現実問題として生命が大事だから、国際社会はパレスチナ人を受け入れる方が良いと私は思う。残念な話だが、まず生命を守ることが大事だ。

 
1月28日(火)
森永さんが亡くなった。最後まで、命尽きるまで話し続けた。 合掌。
 
多くの人たちが亡くなった事件だった。死刑は妥当だろうし、青葉被告もそれを受け入れたのだろう。遺族の悲しみ続き、虚しい結末を迎えた。
 
軍隊はホモソーシャル(体育会系)の色合いが強い世界だ。だから、これまでもゲイの入隊について問わない政策をとったりしてきた。トランプになって再び揺り戻しでトランスの入隊を制限するようになった。果たしてトランスを排除することで軍の団結が高まるだろうか?愚かな保守(ネトウヨ)のアホな発言力を増すだけではないか?
 
1月29日(水)
日本人の愚かさよ。

1月31日(金)
相変わらず酷いトランプのなすりつけ。事故の原因究明の足を引っ張るだけなのになあ。

2月1日(土)
揺れるドイツ。今回は否決で終わったが・・・。


今週はドイツの移民政策が揺れたのが印象的だった。欧州の移民が人口に占める割合は約15%くらいらしい。米国は特殊で国境を超えて不法移民が流入しやすい。不法移民の低賃金によって得をする人と損をする人が生じる。合法な移民が賃金や雇用を不法移民に奪われる一方で、安い賃金で得をする経営者もいる。一方、日本や韓国は移民の割合は2%くらいだ。ちなみに湾岸産油国では外国人労働者が人口に占める割合は60%と自国民よりも多い国もある。ただし、外国人労働者に割り当てられる仕事は3Kな仕事で、高給な公務員などは自国民が独占する。しかも警察が外国人労働者を取り締まって、まるで奴隷のような酷い扱いをする。なお、日本の入国管理局も国連から酷いと指摘されている。ともかく、移民の問題は各国の事情で様々だと思う。日本の場合は人口が減少しており、生産労働人口が不足するのが目に見えているので、積極的に移民を増やすべきではないかと思う。日本の少子化は若者が結婚しないからだと思うが、経済的要因だけではなくて、文化的要因もあるように思う。ただ、私自身は少子化自体は悪いことではないと思うし、移民を増やして社会を維持するという方策も好ましいと思っているので、日本の少子化を止めて出生率を増やす方策にはあまり乗り気ではない。
 
まとめ
2025年が始まった。トランプ政権が発足して、予想通り酷い政策が始まった。一方、日本では、兵庫県知事を巡り、デマで傷ついた県会議員が自殺した。 デマを流した当人はそれでもデマを流し続ける。県知事もまるでロボットのように意味のない答えを返し続ける。日本人にありがちな言葉の意味が喪失して、ただ無意味な祝詞を奏しているだけで良しとするようになる。デマは人を死に追いやるのだから、メディアはファクトチェックをすべきだと思う。また、中居正広氏とフジテレビの問題が世間を賑わせた。中居正広の性加害にフジテレビが組織的に関与していたという事件らしい。米国のワインスタイン事件に似ている。なので、ワインスタイン事件と同様に警察が介入して事件の解明を進めたらいいと思う。
 
トランプ政権発足で世界が揺れ始めた。トランプの政策はリベラルな人権政策に対する反動が目立つ。人種やジェンダーなどのマイノリティに対する差別だ。しかし、根本的な問題は移民問題だと思う。欧州も根本的な問題は移民問題だろう。確かに下地には経済格差の問題があるのだが、その槍玉として移民問題があげられていると思う。移民問題は難しい。それぞれの国で事情が異なるし、さらにその国内でも人それぞれの立場で損得が異なるので一概に移民の是非は決められない。また、経済格差も構造的問題で、格差解消が容易ではないし、個々人の努力が必要だが、努力しても報われるのはごく少数でしかない。ただ、先進国では息が詰まりそうな閉塞感があるが、経済成長している新興国では過去のお粗末なインフラがどんどん整備されて暮らしが良くなっているはずだから、競争は激しいけれど希望はあるはずだと思う。世界全体で見れば、閉塞感と希望が均衡していると見ることもできると思う。トランプのような一発逆転のために歴史に対して反動的で、他国に対して傲慢な要求をするのではなくて、個々人は地道に地味な努力を続ける方が有意義だと思う。
 
 

今月読んだ本2025.01

インド哲学10講』(赤松明彦)
同著者の『ヒンドゥー教10講』を読んで良かったので本書も読むことにした。「インド哲学は難解だ」と聞いてたが、やはり難解だった。一度通読しただけではしっくりしない。もう一度読み直すべきなんだろう。個人的には第9章が大変面白かった。
 
 
 
 
道教思想10講』(神塚淑子)
 儒教について学んだら、今度は道教についても知りたくなったので本書を読んだ。『老子』が道教にとって重要であることを知って勉強になった。
 
 
 
近現代中国の儒教』(銭国紅)
 儒教の歴史の本ではなくて、歴史の話もあるけれど、どちらかというと儒教に対する著者のエッセイに近かった。これからの儒教、21世紀の儒教のあるべき姿について著者の想いが書かれていたが、私はむしろ儒教の起源、孔子以前の儒教、先祖祭祀の宗教について知りたくなった。
 
 
 

2025年1月18日土曜日

THE FIRST SLAM DUNK

『THE FIRST SLAM DUNK』 (2022年)
 
遅ればせながら『THE FIRST SLAM DUNK』をNetflixで観た。
 
まず、本作について語る前に、 『スラムダンク』と私の出会いだが、1993、4年頃だろうか、TVアニメで見始めたのが始まりだった。そして、TVアニメが面白くて、TVアニメが終わった後も週刊ジャンプの連載をできる限り読んだような気がするが、忙しくなって途中で読めなくなったような気がする。でも、最終話あたりは読んだ気がする。あるいは、連載が終わった後で単行本で読んだのかもしれない。なので、完読したわけではないが、おおまかなストーリーは知っている。この『スラムダンク』があまりに面白かったので、井上雄彦氏の作品はできるだけ読まねばという考えになっていた。そのため、『リアル』や『バガボンド』などを読み始めたりしたが、いずれも忙しさなど様々な理由で途中で読めなくなったように思う。とにかく、氏の作品は通常の娯楽として楽しむ漫画とは別格の面白さがあった。
 
さて、本作についてだが、山王戦がメインストーリーである。その一方で、サブストーリーとして宮城リョータの物語にもなっている。メインストーリーの山王戦が進む中でサブストーリーの宮城リョータの物語が織り込まれている。いや、織り込まれているだけでなく、山王戦後の後日譚まで宮城リョータの物語が描かれているので、どちらがメインストーリーか分からないほどになっている。
 
なお、『スラムダンク』といえば、湘北vs海南戦、湘北vs陵南戦、湘北vs山王戦が大きな柱だと思うが、なぜ山王戦かというと、山王戦はまだアニメ化されていなかったので、2022年になってようやくアニメ化したのだと思う。
 
また、登場人物たちの声優さんが一新されていたので、TVアニメのファンたちからはいろいろと物議をかもしたかもしれない。また、絵柄もTVアニメの頃の2次元ではなく、3Dが加わったものになったのでリアリティが違ったものになっていたと思う。結果、TVアニメと本作ではずいぶん雰囲気が違ったものになっていた。

感想としては、3Dになったために、バスケットボールの臨場感が増していたと思う。一瞬の瞬発力や緊迫した瞬間の場面など3Dによって表現力が抜群に増していたと思う。アクションの場面は立体化されることで深みが増して、リアリティの迫力が増すということなのだと思う。

そして、サブストーリーである宮城リョータの物語については、個人的にはあまり興味が沸かなかった。兄ソータを失った家族の物語。残された家族たちのそれぞれの想い。それなりに感動できる話ではあるけれど、個人的にはそれほど好きというわけではなかった。メインストーリーである山王戦に殊更必要な話だろうかという気もしている。映画化したので、単なる試合だけ見せたのでは物語として深みが出ないから、そこに深みを与えるためにあえて設えたような物語なような気もしている。ただし、宮城リョータをサブストーリーの主人公として描く理由が一つだけあったと思う。それは「どんなに辛かったり、どんなに怖かったりしても、平気なフリを装う」という教訓を作者は伝えたかったからだと思う。

『スラムダンク』はさまざまな教訓を生み出してきたと思う。そのひとつに、安西先生の「諦めたらそこで試合終了だよ」というのがある。三井寿が安西先生から受け取ったこの教訓は多くの人たちの心に響いたと思う。私も仕事で何度も挫けそうになったとき、安西先生のこの言葉を思い出して、諦めずに最後まで力を振り絞ってきた。もちろん、上手く行かなかったこともあるが、諦めずに最後まで力を振り絞ることで仕事を成功に導いたこともあった。この言葉に何度も救われたのだ。心が折れそうになったとき、安西先生が現れて「諦めたらそこで試合終了だよ」と語りかけてくるのだった。このように『スラムダンク』は単なる漫画を超えた、教訓をもたらす物語でもあったのだ。そして、本作では、そのような教訓として「平気なフリをする」というのが作者が本作で最も伝えたかった教訓だと思う。だから、山王戦後の後日譚で、沢北と対戦する前に宮城がトイレで緊張で吐きそうになりながらも、コートに出てきたら余裕の笑みを見せつつ闘志を燃やして沢北に立ち向かっていくところで作品が終わったのだと思う。作者はどのような人生を歩んできたのかは知らないけれど、彼の紡ぎ出す教訓はなにかしら戦いの経験から生み出された、貴重なリアルな実戦から生み出された、血の教訓、頭で考えただけとは違う、心と身体を通した得た、リアリティのある教訓だと思う。だからこそ、多くの人びとの心を捉えるのだと思う。
 
山王戦を終えた後、母と再会したリョータに対して母は「背伸びた?」と問う場面がある。インターハイの間だけで背が伸びるなんて「そんなわけねえだろ」と答えるリョータだが、この場合、身長が伸びて大きく感じたわけではなく、山王戦という戦いを経た後で人間的に成長したのを母は感じたのだと思う。人間として”器”が大きくなったように感じたのだと思う。大昔から男は死と直面するような冒険を経験することで大人の男に成長するものだ。例えば、狩猟採集時代の加入礼がそれに相当する。加入礼に参加した若者は死に直面するし、実際に加入礼で死ぬ者もいた。加入礼を終えた若者はそこで生まれ変わって大人の男として社会に認められるようになる。(そのため新しい名前を与えられたりもする。日本の元服もそれに相当する。)リョータも山王戦という怖気づいてしまうような強敵との戦いを通して大きく成長したのだと思う。そして、その恐怖と直面したときにも、内心どんなに恐怖で震え上がっていても「平気なフリをする」というのは戦いから逃げずに立ち向かっていく上で大事なことなのだと思う。そして、それを乗り越えたとき、ひとは成長するのだと思う。もちろん、成長したからといって恐怖心が去るわけではない。やはり、NBAのリョータのように成長してもトイレで吐きそうになるような恐怖心が襲ってくるだろう。しかし、大人になったリョータは逃げずに立ち向かっていくだろう。大人の男とはそういうものだ。
 
ただ、本作は原作を読んでいないと楽しめない部分もあると思う。初めて『スラムダンク』を見るひとは面白さが半分しか伝わらないように思う。そこはテイストを大人っぽくした分、損なわれたものになってしまったと思う。ただ、映画という限られた時間の中では、元々、それは仕方ないかもしれない。原作を忠実に描くには時間が短すぎる。
 
ともかく、これで『スラムダンク』は完結した。海南戦、陵南戦、そして、この山王戦がようやくアニメ化された。私の好みとしては海南戦が一番好きなのだが。桜木花道が怪我をする山王戦はあまり好きじゃない。というのも、花道には最後まで元気でいて欲しかったからだ。けど、怪我というリスクを描くことも教訓として大事かもしれない。そして、この『スラムダンク』が日本人だけじゃなく、韓国人や中国人、台湾人など多くのひとの心を捉えたことに感動した。この作品の面白さは世界的な面白さだったんだと気づかされた。日本が生み出した漫画の素晴らしさよ!
 

2024年12月29日日曜日

NEWS2024.12

 
12月4日(水)
ユンソンニョル大統領が戒厳令を出したというニュースが流れたとき「???」だった。「戒厳令を出す理由が無い。一体全体どういうことだ?」というのが正直な感想だった。ところが驚いたことに、戒厳令の布告には、一切の政治活動の禁止、報道や出版の統制、集会の禁止が謳われたいたらしい。あり得ない。案の定、市民によって戒厳令は潰された。これが一昔前なら軍が強権を発動して力で市民を抑え込んだかもしれない。しかし、21世紀でネットが普及している今、さすがに韓国でそれはないだろう。しかし、それなのにユンソンニョル大統領は戒厳令を発動した。狂気の沙汰としか言いようがない。そして、後日、理由を聞いて驚いた。政敵を倒すために発動したらしいのだ。その世界観はさすがにマズいと思う。まるで陰謀論者ではないか。しかし、実際、世界各国で保守と言われる人たちは陰謀論的なところがある。いや、保守だけに限らない。とても危ういものを感じる。

 とても勇気のある女性だ。やはり、韓国人は熱い。これは歴史に残るシーンになるだろう。
 
金慶珠さん、キレイだなあ。
 
12月5日(木)
野間易通氏によると地上波で韓国の戒厳令のニュースが、当初、ほとんど流れなかったそうだ。私自身、地上波を見なくなったので、地上波が流しているかどうか知らなかった。また、日本人のレベルの低さが指摘されていたが、まさにその通りだと思う。若手に歴史を継承していかなければならない。しかし、日本人にはなかなか難しいのだろう。それに今後ますます経済的に困窮していくから、そのような余裕はどんどん無くなっていく。クルド人の歴史は勉強になった。
 
12月8日(日)
アサド政権が崩壊したらしい。アサド政権の巻き返しはもう無いのだろうか?これからのシリアが民主的な体制になれば良いのだがと思う。同時に、アサド政権を支持していたロシアやイランはどう出るだろう?ロシアはやはりウクライナで手一杯でシリアへの支援が弱くなったから、今回、反体制派が勝利できたということなのだろうか?あるいは、米国の暗躍があったのだろうか?とにかく、内戦が終結するのであれば、それはきっと良いことなのだろう。ガザやウクライナの戦争も早く終結することを願う。
 
12月9日(月)
国内の要塞にでも退避したのかと思っていたら、ロシアに亡命していたとは驚いた。あっけない幕切れで、アサドの亡命は幕末の徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いで味方の軍勢を捨て置いて江戸へ逃げ帰ったのに似ている。
 
12月11日(水)
『とくダネ!』のメインキャスターで一時代を築いたと思う。彼はいろんなことに通じていて驚いたりした。 その後、彼に続くような人は現れなかったと思う。とても残念。合掌。
 
すでに11月に出ていたニュースらしいが知らなかった。トランプの当選によって多様性重視の取り組みを企業が縮小していくらしい。なんともはや。嫌なトランプ時代がすでに動き始めている。
 
12月12日(木)
表題は立花孝志包囲運動だが、メインはシリアの話だった。シリアの強制収容所のことなど知らなかったので大変勉強になった。21世紀にもなってまだ強制収容所があるとは驚いた。もちろん、米国がアルカイダを倒すために世界各国の米軍基地に拷問のための収容施設を作っていることは知っていたが。
 
12月14日(土)
可決されて良かった。戒厳令で報道規制や政治集会の禁止、出版の統制などあり得ない布告を出していたし、戒厳令を解除するための国会議事堂に集まってきた議員を軍隊を使って排除しようとしたり、あきらかに尹錫悦大統領による違法行為だろう。職務停止になって本当に良かったと思う。それにしても韓国の国民がすぐに国会議事堂に集合して議員たちを支援したのは本当に凄いと思った。日本人はあのように行動できるかどうか疑問に思う。日本の保守は相変わらず韓国の悪口を言っているが、かつて中国の悪口を言っている間にあれよあれよという間に中国に経済力や技術力で抜かれてしまい大国と小国の力の差をまざまざと見せつけられてしまったが、今回の韓国の件も同様で、韓国の悪口を言っている間に韓国に国のクオリティで抜かれてしまうのだろうなあと思う。ただ、もう私個人は諦めてしまった。日本はダメだと。そのダメな日本でいかに生きるかが課題だと思っている。日本はなんでも換骨奪胎して自分たちに都合の良いものに変えてしまう。だから日本のシステムは本質的には変わらない。民主主義も換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまった。「解釈改憲」という言葉がそれをよく表している。白いものでも解釈次第で黒いものに変えてしまう。なので、日本はダメだと私は諦めてしまった。ところで、話は変わるが、私は大統領制については肯定的に捉えていたのだが、トランプや今回の尹錫悦のことを考えると、大統領制もいかがなものかと思えてきた。かつては三権分立を考えたとき、日本の議院内閣制では立法と行政がタッグを組んでしまい、強力な権力体制になってしまうと思えて、大統領制にして行政と立法が互いに牽制し合う体制にした方が良いのではと思っていた。しかし、大統領がとんでもないと政府がとんでもない人事になったり、大統領が血迷うと戒厳令を出したりとリスクが高いような気がしてきた。逆に議院内閣制だととんでもない総理大臣が出現すると議員が引きずり下ろせる。自民党の総理大臣が今までけっこう目まぐるしく変わったように。ただし、安倍晋三の事例もあるから必ずしもそうできるとは限らないが。いずれにしても、日本の場合、もっと司法の権限を強くした方が良いように思う。最高裁をもっと強力にできないものだろうか。日本の最高裁は政府の顔色ばかりうかがってしまいがちだ。最高裁自体が法をねじ曲げてさえしてしまう。ともかく、最高裁をもっと強くした方が良いように思う。ただし、検察は問題が多いから、そこは気をつけなければならない。
 
そういえば立花孝志の件を忘れていた。まあ、立花孝志はデマゴーグなんだろう。石丸や斎藤とは違う。石丸は新しいタイプだろう。斎藤も少し石丸に似ている。一方、立花孝志は古いタイプだ。ただ、立花孝志はかなり自暴自棄になってやり過ぎている感があって、いつか捕まる可能性が高いと思う。それに人々もいつまでも彼の口車に乗せられていないと思う。彼はどこか過剰で普通の政治家は勤まらない気がする。仮に、もう少し地道な道があったなら、彼の過剰さをもう少し抑制していれば、彼は政治家として成功していたかもしれない。ところで、忘れてならないのはNHKの課金制度の問題だ。やはり、NHKの課金制度は間違っていると思う。それを見過ごしたままにしておくのが問題だと思う。そもそもこの歪んだ課金制度があるから立花孝志のような人物が勢いを持てたのだと思う。問題の根源にあるNHKの歪んだ課金制度を誰か正してくれないものだろうか。問題の根本はNHKの歪んだ課金制度にある。
 
12月17日(火)
 教員の残業問題で最も大きな負担が先生が部活動の顧問をしなければならないことだったが、神戸市では学校が部活動を運営するのを止める方針を打ち出したとのこと。欧米ではすでに地域社会が部活動の指導をしていたが、日本では教員が指導していた。 そのため教員の負担が大きく、本来、教育に充てるべき時間を部活動に大きく取られていた。部活動の負担を教員から取り除き、その分、本来の教育に充てることができれば生徒のレベルアップに寄与できることになる。しかし、その一方で、部活動が減少してその面での生徒の育成が減ってしまう。欧米のように地域社会で負担することが日本でもできるかというとなかなか難しいものがある。神戸市の場合は地域のスポーツ団体が運営主体となるらしいがどこまでやれるか分からないことも多いと思う。私の考えでは、今まで教員の負担があまりに大き過ぎると思うので、教員から部活動の負担が減ることは良いことと思う。それに学校は、本来、勉学の場なので、教員が学習指導にもっと力を入れられるのは本筋として良いことだと思う。部活動を外部に委託するのは様々な問題を引き起こすとは思うけれど、それは一つ一つ問題解決してゆくしかないと思う。これまでの教員の負担が過大過ぎたのが異常だったのだと思う。
 
日本というのは本当に「一度走ったら止められない国」なんだなあと思う。震災であれだけ懲りたはずなのに。本当に何を考えているのか!廃炉にするのも高コストなのに。将来、日本だけ電力がずば抜けて高額になるかもしれない。それに地震で汚染地域ができたら目も当てられないことになるだろうし。一方、世界はどんどん再生可能エネルギーにシフトしているのに。将来、原発が日本のものすごいネックになる可能性がある。日本を貧困国にしてしまうかもしれない。本当に愚か過ぎる。
 
石破首相は「日本全体の幸福度にとってプラスの影響を与える」との認識を示したとのこと。それはそうだ。

12月18日(水)
いずれは値上がりせざるを得ないんだろうけど。

12月19日(木)
鴻海による日産買収の動きに対抗してとのことらしい。そして、日産がそもそも業績が悪いことに原因があるとのこと。そもそもゴーンさんで業績を立て直しておきながら、そのゴーンさんを追い出して、昔の旧体質に戻った日産が再び業績悪化の道を辿ったというのは日産の経営陣の悪さが問題だと思う。ホンダが日産を引き受けるのはなんか止めた方が良いのではと思う。半導体やテレビで統合した結果、悲惨な結果になった前例があるからだ。もし、引き受けるんだったら、フェアレディZやスカイラインGT-Rだけ貰うとか、人気車種だけ貰うようにした方が良いと思う。レノボがIBMのThinkPadだけ貰ったように。ちなみに三菱の合流は論外だと思う。まあ、私は自動車産業のことはまったく素人で分からないのだけれど。
 
ついに渡辺恒雄も亡くなったか。全然異なる思想の持ち主だが、池田大作となぜかセットに思えてしまう人物だった。合掌。
 
12月20日(金)
昔、日本人が近隣アジア諸国でやってたことが、今度は日本が貧しくなったから、日本人が今度はその立場になったという感じ。ところで、日本にはソープランドというものがあるけれど、路上売春よりそちらの方が良いのではなかろうかという気もするのだが。逆に他のアジア諸国でもソープランドのようなシステムを取り入れている国はあるのではないのだろうか?売春を非難するよりも、セックスワーカーが安全に仕事できるような仕組みを作る方がより現実的で大事ではなかろうか。それと売春する原因にホストが上げられているけれど本当なんだろうか?ホストは女性にとってそんなに良いものなんだろうか?非難する意味ではなくて、女性の欲求が叶えられる要素がそんなに詰まっているのかと不思議に思うからだ。

12月21日(土)
面白かった。要するに、米国の産業構造が転換する中で、それに取り残された人たちによる階級闘争がトランプ現象を引き起こしたということだろうと思う。不法移民に対する排斥も賃下げに対する抵抗の結果として起こっていることだと。で、トランプの背後にいる一人として、ピーター・ティールを挙げており、最終的にはテクノロジーによる救済を掲げているらしい。ただし、目の前の対策としてはニューディール政策とのこと。また、宮台さんによる日本の場合は世代間の継承が断絶しているので、昔は良かった的な思い出が継承されていないという指摘も面白かった。
 
亀田製菓CEOのジュネジャ・レカ・ラジュ氏が移民受け入れをと提言したことに対して、河合悠祐が亀田製菓本社前で抗議の演説をしたらしい。さて、亀田製菓のカレーせんべいは、以前、よく食べていたので亀田製菓自体は知っていたのだが、CEOがいて、さらにインド出身なんてことは知らなかったので勉強になった。移民受け入れの提言についても、1年間の出生数が70万人を下回るとのことだったので、生産人口を考えると、移民受け入れは必然ではないかと思う。今の日本の外国人労働者の受け入れ体制が酷くて、ベトナム人はもう来てくれないと思う。私の近所で見かけるのはおそらくペルー人だと思う。石破首相が最初に訪問したのもペルーで外国人労働者確保が喫緊の課題なんだろうと思う。しかし、今の受け入れ体制が酷いので外国人労働者は定着してくれないと思う。こんなことを続けていたら、日本の産業はどんどん衰退していく一方だと思う。河合悠祐は外国人への生活保護も批判していたが、移民を受け入れて少しでもGDPを押し上げて国の財源を増やして、生活保護へ回す方が余程良いと思う。河合悠祐は外国人に対して日本のルールを守れといっているけれど、例えばゴミ問題にしてもクルド人の方が余程ルールを守り地域社会の美化に努めていると思える。私の近所なんかは、むしろ、日本人の方がルールを守っていないことが多いかもしれない。日本の場合、もっと移民を増やさないと、経済の衰退はもっと酷くなると思う。日本の過去の産業的遺産がすり減って無くなってしまう前に移民を増やして巻き返しを図った方が日本のためだと思う。移民が入ってくれば摩擦は増えるだろうけど、生き残るためには変わらなければいけない。また、河合は「日本人の心」とか言っているけれど、日本人の心を継承してゆくような伝承行為を彼は何かやっているのだろうか?以前にも書いたけれど日系移民の方がよほど伝承に努めている。逆に今のネトウヨには伝えるべき伝統をそもそも持っていないと思う。彼らは日本の伝統から断絶しているのではないかと思う。彼らは建前で日本の伝統を謳いながら、本音ではレイシズムで弱い者いじめしたいだけだと思う。ともかく、自分たちを保守だというのなら、海外の日本人学校がやっているような日本の伝統を守るための伝承にもっと力を入れたらどうかと思う。
 
12月24日(火)
尹錫悦大統領弾劾集会の旗が大変面白かった。「全国後回しにする連合」とか「手足冷え性連合」とか「全国家で寝っ転がっている連合」とか「内気な人たち連合」とかとても笑えた。こういうスタイルがこれからの日本のプロテストには必要なのかもしれない。あ、でも、すでに日本でもやっている人たちもいるんじゃないかと思う。
 
12月28日(土)
米国では労働組合によるストが起こっていたらしい。ただ、米国のトラック運転手の労働組合は特殊で半ばマフィアっぽいから、アマゾン相手でもストが可能だったのかもしれない。ちなみにこの労働組合はNetflixでヤクザ映画としてドラマになっていたと思う。たしか『アイリッシュマン』だったと思う。ともかく、賃上げ闘争で労働組合がストを起こせるのは良いことだと思う。労働組合の加入率が低くなっている米国であっても、ストが起こるのは凄いと思う。
 
米が高い。秋の米不足で高かった時期が過ぎて、新米が入荷して安くなるのかと思ったらずっと高いまま。半端でない値上がりだ。どうにかしてほしいでござる。
 
今月の振り返り
今月は韓国の戒厳令騒動、シリアのアサド政権崩壊、斎藤元彦兵庫県知事の公選法違反疑惑、立花孝志の脅迫罪疑惑などが大きな話題だった。戒厳令騒動では韓国市民の底力を見せられて感動した。兵士も発砲せずに偉かったと思う。これもまた韓国の民度の高さだと思った。逆に尹大統領がネトウヨYouTuberに傾倒していることに驚愕した。しかも戒厳令の内容があまりに酷すぎて言葉を失う。次にアサド政権の崩壊だが、強制収容所の存在に愕然とした。この現代にまだ強制収容所があるのかと驚愕した。それから、斎藤元彦兵庫県知事の公選法疑惑については、郷原さんの話に基づけば、間違いなく有罪だと思う。それでも彼は最後まで県知事の座に居座り続けるんだろうなあと思う。昔のひとと今のひととの違いで、昔のひとは自ら身を引いていたが、今のひとはそういうことはしないんだなあと思った。立花孝志氏については、もうどこの選挙区で立候補しても得票は得られないんじゃないかなと思う。あとは二馬力選挙で他候補の応援をするくらいしかできないんじゃないかと思うが、それはいずれは違法とされてしまうと思う。応援される方も迷惑と思うようになると思う。となれば、二馬力選挙も今後はなかなか成立しなくなるんじゃないかと思う。となれば、立花孝志氏としては、今後のシノギがかなり難しくなるんじゃないかと思う。立花孝志氏は政治家としてはかなり危ういデマゴーグになってしまうが、セールスマンになっていればなかなか優秀な成績を残すセールスマンになっていたのではないかと思う。今からでも真っ当なセールスマンに転職した方がいいのではないかと思うのだが。
 
それ以外のニュースでは、原発回帰のニュースには驚いた。ほとぼりが冷めたら原発回帰するというのはあまりに酷いと思う。世界は再生可能エネルギーにシフトしているのに、本当に逆行している。発電と送電を完全に分離して再エネをどんどん増やす方向にすべきなのだが、電力業界の利権が失われるのを恐れて原発回帰に戻ろうとしている。これは地震大国日本であるために、国を滅ぼす選択になりかねない。
 
それから日産の会見を見て思ったが、日産は身売りする立場だと思うのだが、「どちらが上でどちらが下というわけではない」と日産の社長が言っていたのに驚いた。 大企業の社長というのは、自分たちの経営が悪くて身売りする結果になったのに、それでも悪びれずに「どちらが上、どちらが下ではない」と言えるんだと。厚顔無恥というか大企業病というか。このような会社は潰した方が良いと思うようになった。
 
今月読んだ本
 
儒教とは何か
 著者は加地伸行氏という学者で、保守の論客でもあるらしい。そのためか、保守的思想が散見されて私としてはやや読みづらい箇所もあった。全体としては、儒教の宗教性にフォーカスした本であった。儒教に対する理解としては礼教性の面にフォーカスしたものが多いが、そうではなくて、儒教の宗教性にできるだけフォーカスして儒教を捉えようとしたのが本書だと思う。そういう意味では儒教理解に新たな側面を得られて儒教に対する認識がより深いものになったと思う。個人的には、仏壇や墓参りや遺影について昔から不思議に思っていたので、その謎が解けたようで良かった。また、大乗仏教が中国や朝鮮や日本に広まったのは分かるような気がした。要は救済の宗教がそれまで無かったのだと思う。儒教に救済の側面はあまり無いと思う。儒教は祖先崇拝で血縁集団の損得であって、そういったものを超えて苦しんでいる人々を救済する宗教でなかったところに、大乗仏教という救済の宗教が入ってきて人々の心を捉えたのではないかと思う。さて、本書では孔子以前の儒教、原儒時代というのがあったと説明されいていて、それが儒教の原点だと指摘していた。なるほどそうだろうと思うのだが、その原儒時代の起源についてもう少し詳しく歴史的なプロセスを書いていてくれたら良かったのにとも思った。ともかく、私としては儒教を儒学として捉えがちだったので、儒教の宗教性について知見を得られたので大変勉強になった本だった。
 
それから、脳死や臓器移植を扱った終章の一節に医学部で行われている献体に対する心のこもった慰霊祭の話があった。最近、美容外科医が献体の写真をSNSで楽しそうに投稿して問題になった。ただ、ちょっと気になるのは「けしからん」という人は、じゃあ、ガザやウクライナ戦争の映像は見ていないのだろうかと思う。目を覆いたくなるようなボロボロになったガザの子どもの遺体、その遺体を抱えて泣き叫ぶ大人たち、ウクライナ戦争でドローンに殺される兵士の無惨な死。「けしからん」と怒るひとたちは、今、この世界で起こっている悲惨な悲劇には思い至らないのだろうか。東日本大震災でも日本の報道機関は死体を見せなかった。一方、米国の新聞などでは死者への尊厳を保ちつつ死体を見せた。確かに死体を見ることは辛く、人によっては心に大きな傷を負うこともある。しかし、この悲惨な現実を心に刻むためには死から目をそらさずに死を直視することも必要だと思う。日本人はすぐに忘れてしまう民族だ。しかし、この悲惨な死は決して忘れていいものではない。死を忘れないためにも、日本人も死を直視すべきだと思う。