2025年1月18日土曜日

THE FIRST SLAM DUNK

『THE FIRST SLAM DUNK』 (2022年)
 
遅ればせながら『THE FIRST SLAM DUNK』をNetflixで観た。
 
まず、本作について語る前に、 『スラムダンク』と私の出会いだが、1993、4年頃だろうか、TVアニメで見始めたのが始まりだった。そして、TVアニメが面白くて、TVアニメが終わった後も週刊ジャンプの連載をできる限り読んだような気がするが、忙しくなって途中で読めなくなったような気がする。でも、最終話あたりは読んだ気がする。あるいは、連載が終わった後で単行本で読んだのかもしれない。なので、完読したわけではないが、おおまかなストーリーは知っている。この『スラムダンク』があまりに面白かったので、井上雄彦氏の作品はできるだけ読まねばという考えになっていた。そのため、『リアル』や『バガボンド』などを読み始めたりしたが、いずれも忙しさなど様々な理由で途中で読めなくなったように思う。とにかく、氏の作品は通常の娯楽として楽しむ漫画とは別格の面白さがあった。
 
さて、本作についてだが、山王戦がメインストーリーである。その一方で、サブストーリーとして宮城リョータの物語にもなっている。メインストーリーの山王戦が進む中でサブストーリーの宮城リョータの物語が織り込まれている。いや、織り込まれているだけでなく、山王戦後の後日譚まで宮城リョータの物語が描かれているので、どちらがメインストーリーか分からないほどになっている。
 
なお、『スラムダンク』といえば、湘北vs海南戦、湘北vs陵南戦、湘北vs山王戦が大きな柱だと思うが、なぜ山王戦かというと、山王戦はまだアニメ化されていなかったので、2022年になってようやくアニメ化したのだと思う。
 
また、登場人物たちの声優さんが一新されていたので、TVアニメのファンたちからはいろいろと物議をかもしたかもしれない。また、絵柄もTVアニメの頃の2次元ではなく、3Dが加わったものになったのでリアリティが違ったものになっていたと思う。結果、TVアニメと本作ではずいぶん雰囲気が違ったものになっていた。

感想としては、3Dになったために、バスケットボールの臨場感が増していたと思う。一瞬の瞬発力や緊迫した瞬間の場面など3Dによって表現力が抜群に増していたと思う。アクションの場面は立体化されることで深みが増して、リアリティの迫力が増すということなのだと思う。

そして、サブストーリーである宮城リョータの物語については、個人的にはあまり興味が沸かなかった。兄ソータを失った家族の物語。残された家族たちのそれぞれの想い。それなりに感動できる話ではあるけれど、個人的にはそれほど好きというわけではなかった。メインストーリーである山王戦に殊更必要な話だろうかという気もしている。映画化したので、単なる試合だけ見せたのでは物語として深みが出ないから、そこに深みを与えるためにあえて設えたような物語なような気もしている。ただし、宮城リョータをサブストーリーの主人公として描く理由が一つだけあったと思う。それは「どんなに辛かったり、どんなに怖かったりしても、平気なフリを装う」という教訓を作者は伝えたかったからだと思う。

『スラムダンク』はさまざまな教訓を生み出してきたと思う。そのひとつに、安西先生の「諦めたらそこで試合終了だよ」というのがある。三井寿が安西先生から受け取ったこの教訓は多くの人たちの心に響いたと思う。私も仕事で何度も挫けそうになったとき、安西先生のこの言葉を思い出して、諦めずに最後まで力を振り絞ってきた。もちろん、上手く行かなかったこともあるが、諦めずに最後まで力を振り絞ることで仕事を成功に導いたこともあった。この言葉に何度も救われたのだ。心が折れそうになったとき、安西先生が現れて「諦めたらそこで試合終了だよ」と語りかけてくるのだった。このように『スラムダンク』は単なる漫画を超えた、教訓をもたらす物語でもあったのだ。そして、本作では、そのような教訓として「平気なフリをする」というのが作者が本作で最も伝えたかった教訓だと思う。だから、山王戦後の後日譚で、沢北と対戦する前に宮城がトイレで緊張で吐きそうになりながらも、コートに出てきたら余裕の笑みを見せつつ闘志を燃やして沢北に立ち向かっていくところで作品が終わったのだと思う。作者はどのような人生を歩んできたのかは知らないけれど、彼の紡ぎ出す教訓はなにかしら戦いの経験から生み出された、貴重なリアルな実戦から生み出された、血の教訓、頭で考えただけとは違う、心と身体を通した得た、リアリティのある教訓だと思う。だからこそ、多くの人びとの心を捉えるのだと思う。
 
山王戦を終えた後、母と再会したリョータに対して母は「背伸びた?」と問う場面がある。インターハイの間だけで背が伸びるなんて「そんなわけねえだろ」と答えるリョータだが、この場合、身長が伸びて大きく感じたわけではなく、山王戦という戦いを経た後で人間的に成長したのを母は感じたのだと思う。人間として”器”が大きくなったように感じたのだと思う。大昔から男は死と直面するような冒険を経験することで大人の男に成長するものだ。例えば、狩猟採集時代の加入礼がそれに相当する。加入礼に参加した若者は死に直面するし、実際に加入礼で死ぬ者もいた。加入礼を終えた若者はそこで生まれ変わって大人の男として社会に認められるようになる。(そのため新しい名前を与えられたりもする。日本の元服もそれに相当する。)リョータも山王戦という怖気づいてしまうような強敵との戦いを通して大きく成長したのだと思う。そして、その恐怖と直面したときにも、内心どんなに恐怖で震え上がっていても「平気なフリをする」というのは戦いから逃げずに立ち向かっていく上で大事なことなのだと思う。そして、それを乗り越えたとき、ひとは成長するのだと思う。もちろん、成長したからといって恐怖心が去るわけではない。やはり、NBAのリョータのように成長してもトイレで吐きそうになるような恐怖心が襲ってくるだろう。しかし、大人になったリョータは逃げずに立ち向かっていくだろう。大人の男とはそういうものだ。
 
ただ、本作は原作を読んでいないと楽しめない部分もあると思う。初めて『スラムダンク』を見るひとは面白さが半分しか伝わらないように思う。そこはテイストを大人っぽくした分、損なわれたものになってしまったと思う。ただ、映画という限られた時間の中では、元々、それは仕方ないかもしれない。原作を忠実に描くには時間が短すぎる。
 
ともかく、これで『スラムダンク』は完結した。海南戦、陵南戦、そして、この山王戦がようやくアニメ化された。私の好みとしては海南戦が一番好きなのだが。桜木花道が怪我をする山王戦はあまり好きじゃない。というのも、花道には最後まで元気でいて欲しかったからだ。けど、怪我というリスクを描くことも教訓として大事かもしれない。そして、この『スラムダンク』が日本人だけじゃなく、韓国人や中国人、台湾人など多くのひとの心を捉えたことに感動した。この作品の面白さは世界的な面白さだったんだと気づかされた。日本が生み出した漫画の素晴らしさよ!