2013年6月2日日曜日

雑感 華原朋美から日本経済の行く末まで

華原朋美を久しぶりに見た。90年代をしんみりと思い出したりした。小室哲哉やケイコを思い出したり、直接関係ないけど中森明菜を思い出したりした。それとエヴァンゲリオンを思い出したりした。

日本のテレビ文化・・・。「テレビの時代は終わった」と言っても消えてなくなる訳ではない。映像メディアやテレビ放送文化はこれからも残る。テレビに携わる人たちは質の良い作品を作ってほしいものだ。といってもテレビ文化が衰退した原因のひとつはテレビ局にお金が集まらなくなったからだろう。

テレビ局にお金が集まらなくなった理由はスポンサーである日本の企業の経済力が弱くなったからだろう。端的に言えば日本経済が衰退したからだ。そして、おそらくそれは回復する見込みは少ない。結局、少ない予算の中で良い作品を作るしかないと思う。

良い作品って何か、真剣に考えないといけないなあ。それにしても日本のテレビの歴史ってまとめた本ってないのだろうか?日本のテレビの歴史を考えたとき、思い浮かぶのって大橋巨泉だったりする(笑)。いや、他にもっとあるとは思うんだけど。

日本のインターネットの歴史を振り返ったときアルファブロガーって記述に残るんだろうなあ。池田信夫とか切り込み隊長とかfinalventとかきっこさんとか小飼弾とか竹熊健太郎とか。ツイッターになると津田大介とか東浩紀とか。橋下徹とかも残るかもしれない。

私は音楽は全然詳しくないんだけど、日本の歌謡史に華原朋美も『I'm proud』で残ると思う。中森明菜いくつかの曲で残ると思う。AKB48も残るんだろうけど、後世の歴史家がどのように評価するかは分からない。演歌って残るのかな?

日本は明治以後はアジアの中で経済成長した方だと思う。その頃は女工哀史とかで有名な紡績業とか軽工業で成長した。その後、世界は恐慌でブロック経済になり戦争になる。戦後は日本は再び経済成長してゆく。自動車や家電など製造業で大躍進する。そして、今、それらは失われ衰退しつつある。

英国などは二度の世界大戦でボロボロになった。第二次世界大戦以後はイギリス病といわれるほど衰退したし、その後も目立った回復はなく、金融ビッグバンなど自国企業はなくて場所だけ貸すというウィンブルドン方式をしたりした。米国は戦前は恐慌だったが、戦争で復活し戦後は世界の覇権を握るまでに。

しかし、その後の米国経済は日本の製造業に脅かされることになる。自動車産業まで日本に奪われることになる。当時は不買運動が起こり、日本車をハンマーで壊したりする映像も流れたりした。大規模なリストラが行われたりした。日本は米国の企業を買収したり、米国の一等地を買ったりした。

しかし米国は復活した。ITと金融だった。金融によってWTOに加盟した中国に投資され工場が建設された。そして、中国は世界の工場になった。また、ITは世界中に広まりインターネットが世界を繋げ、そして世界を変えた。米国はITと金融という知識産業で復活した。同時に中国も製造業で目覚めた。

しかし、その一方で日本は衰退した。なぜなら製造業が中国に奪われたからだ。いや、奪われつつある。家電はすでに中国に奪われた。あるいはサムスンの韓国に。自動車はかろうじてまだ日本は勝っている。しかし、それも電気自動車が普及したときどうなるか分からない・・・。

ところで米国もITと金融で復活したとはいえ、富は少数に集中することになった。製造業の場合は工員に広く分散するが、ITや金融の場合は優秀な個人が富を手にすることになるので富は拡散しない。結果、貧富の差が拡大した。富をどう再分配するかが米国の問題として残っている。

さて、日本だが、とりあえず、自動車産業だけは残っている。しかし、それも製造業の法則から考えれば、工場は海外に移転するのが合理的になると思う。その方が安く生産することができるからだ。結局、自動車産業も海外の企業に抜く抜かれる関係なく、海外に工場を移転せざるをえないと思う。

そうなると日本国内は衰退せざるをえない。家電も自動車も無くなれば、日本は貧しくならざるをえない。それは昔から言われていたことだ。日本は資源が乏しく加工して付加価値を生み、それを海外に売って利益を生み出す貿易立国だと。輸出が無くなったとき、日本は衰退せざるをえない。

日本が衰退するのは仕方がないと私は思う。確かに座して衰退を待つのではなく何か挽回策を講じようとするのは分かる。とはいえ、かつての経済大国に復活できるような方策はまず無いと思う・・・。ただ、これまで蓄積してきた資産が日本にはある。それを有効に活用して延命することだと思う。

今、日本の経済について「あーしろ、こーしろ」と意見提言がある。それらは多少の効果を発揮するかもしれない。しかし、先程も言ったようにかつての経済大国に返り咲くほどの大きな挽回策とはなりえない。何が言いたいかというと日本のポテンシャルを見極めて「この程度かな」と落ち着くことだと思う。

落ち着いたとき、近代文明の中で日本は子供から大人に成熟できるのではないかと思う。市民社会が成熟するのではないかと思う。民主主義が定着するのではないかと思う。文化が大人になるのではないかと思う。自民党の政治家はオジサンであって大人ではない。大人の政治家はこれから出現する。


2013年5月13日月曜日

雑感 ヘイトスピーチから経済体制の違いまで

とりとめもなく思ったことをメモしておこう。

ヘイトスピーチ法制化の件。私自身はヘイトスピーチを法律で規制することには反対だ。理由は言論の自由、表現の自由が損なわれるのではないかと危惧するからだ。何らかの形で法律で規制されれば、法の解釈が拡大されることによって自由な言論や自由な表現が規制されてしまうかもしれない。それに何をもってヘイトスピーチと規定するかもかなり難しい。そう簡単に線引できるものではないと思う。線引が難しいものほど解釈があやふやで拡大解釈の原因になりやすいと思う。したがって、ヘイトスピーチを法律で規制することには反対だ。

では、どうやってヘイトスピーチを止めさせるのか?以前、ツイッターでつぶやいたが、フィリップ・K・ディックの小説『ユービック』ではエスパーに対して反エスパー部隊を組織してエスパー狩りを行なっている。これと同じでネット右翼に対しても反ネット右翼を組織してヘイトスピーチに対抗すればよいと考える。在特会に対するレイシストをしばき隊がその対抗勢力だということだ。

私は人間というものは誰しも問題を抱えていると思っている。しかし、それと同時に人間は少しずつではあるが、問題を解決する能力を持っていると思う。問題が出てきてもそれを何とか解決してゆくのではないかと信じている。今から30年前を考えると、同性愛や性同一障害は決して日本社会で認められたものではなかった。少なくとも私が住んでいた地域社会は異端視していたし、彼らの権利を認めていなかった。しかし、LGBTの運動によって今やストレートな人たちと同じ権利が認められつつある。もし、LGBTたちがデモなど規制されたら、社会に認知されることはなかったのではないか。しかし、30年前には彼らを見る社会は決して理解があったとは言い難い。長い時間をかけて彼らはやっと権利を認めさせることに成功したのだ。だから、どんなにエキセントリックに見えても言論の自由や表現の自由を阻害してはいけないと思う。ヘイトスピーチの規制はそれらを阻害するかもしれない。それくらい、最初は異端視されたのだ。これは善い、これは悪いと簡単に見極めできるものではない。問題を乗り越えられると信じて、問題が表出することを恐れてはいけない。

人種の件。日本人というと単一民族という潜在的なイメージが今でも強いと思う。しかし、実際にはアイヌ民族もいるし、琉球人もいる。朝鮮系日本人もいるし、中国系日本人もいるだろう。大事なことはそれぞれ民族固有の文化を尊重することだ。例えば、日本に帰化したロシア人がいたとする。彼をロシア系日本人とする。当然、彼は日本人だ。しかし、母語はロシア語になる。文化もロシア文化だ。このように日本人だからといって、必ずしも母語が日本語で伝統文化が日本文化とは限らないのだ。彼を日本に同化させる必要はない。文化に優劣はない。それぞれの文化を尊重すべきであり、彼がどの文化を選択するかは個人の自由だ。このように考えると、オバマ大統領の演説を思い出す。

黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ラテン系のアメリカ、アジアのアメリカなどない。
あるのはアメリカ合衆国だけだ

日本ももはや単一民族ではない。いや、人類学的には単一民族ではなかったのだ。ますますグローバル化する世界、日本もそろそろ古いイメージを捨てるときだ。(モンゴル・ツングース系の日本人、いわゆる大和民族は大和系日本人と言った方が良いのかもしれない。不勉強で知らないのだけど、学術的にはちゃんとした呼び名があるのかな?)

国語と日本語。日本の日本語教育は特殊で日本語といわず、国語と言う。確かに日本語と言わずに国語と言った方がその内容に沿うように感じる。というのも国語は単なる日本語教育ではないからだ。国語には思想が込められていると感じる。それは日本の思想だ。日本の教育は日本語教育と謳いつつ、その実、思想教育をしているとさえ見ることができる。まあ、国語という思想教育はそんなに悪いものではないように感じる。けれども、果たしてそれが正しいことかどうかはやや疑問が残る。もし、どうしても日本思想の教育をしたいのであれば、むしろ、日本語と日本思想を分けて教育しても良いのではないか。私自身は国語は好きな科目だった。だから、英語教育のように無味乾燥な日本語教育になってしまうのは勿体ないと感じる。しかし、国語を日本語教育かという違和感もある。ここはよく再考したほうがいいと思う。

相変わらず、在特会に端を発する思考が多い。しかし、在特会の問題自体はそろそろ収束するのではないかと思っている。というのもレイシズム反対などのアンチ在特会の市民運動がどんどん大きくなっていると感じるから。どう見たって在特会はチンピラかヤクザだし、どう考えたって在特会が悪でレイシストをしばき隊が正義だ。在特会たちネット右翼がカウンター運動で消滅させられるのも時間の問題ではないかと思う。いや、そう期待している。私も在特会のデモをYouTubeで見るたびに中指を突き立てて「在特、帰れ!」と叫びたくなる衝動に駆られる。早く在特会の問題を片付けて、自民党の憲法改正問題に取り組みたいものだ。いや、まあ、私の勝手な思考の話なんだけどさ。

それから、経済体制について、基本的なことだけど改めて書いておこう。

右翼・左翼  → 統制経済
リベラル    → 市場経済
保守     → 市場経済?(それとも統制経済?)
右翼がナチスのような国家社会主義の場合、統制経済になる。戦前の日本は自由主義経済の市場経済だったが、戦時になると日本も統制経済になった。また、左翼は社会主義だから当然計画経済であり、すなわち、国家が統制する統制経済だ。一方、リベラルは市場が決定する市場経済だ。保守はどうか?現状の経済体制を容認するなら市場経済になるのかな?やや、曖昧ではある。というのも保守の言動を聞くと企業を統制しようという意見が多いように見受けられるからだ。いずれにしても、市場経済を否定できないのではないか?まず、市場経済を受け入れて、それをどう修正・制御してゆくかが大切なのではないか。(文系アカデミズムが資本主義に批判的なのは仕方がないとしても、批判をさらに超えて市場経済に否定的になってしまい、その結果、市場経済のシステム修正を怠ってしまったのではないか?米国に比べて日本の市場経済の仕組みが遅れているように感じられる。問題が生じたとき、米国は制度を修正したのに対して、日本は人事を修正したのではないか。つまり、組織の責任者が責任をとって辞めるという慣習だ。しかし、本当は制度を修正すべきだったのではないか。)

2013年5月12日日曜日

回答

長文になりそうなので、ブログに書きました。

ツイッターでのお問い合わせの回答です。


まず最初は小さな例からお話します。例えば、こんな話があります。アップルコンピュータ社の創業者スティーブ・ジョブスとスティーヴン・ウォズニアックは当初ブルー・ボックスという擬似ダイアルトーンの装置を作って売っていました。これは擬似ダイアルトーンを発生させてタダで電話をかけられる装置なのですが、こういった装置は使えば違法になります。当然といえば当然ですよね。しかし、作ったり売ったりする分には不法ではありませんでした。なので、彼らは当初はこれでビジネスをやっていたわけです。

一方、日本では、金子勇という人がファイル共有ソフトWinnyを開発しましたが、別にソフト自体は違法ではないにも関わらず、言わばソフトを使って悪用されることが多いからという理由で逮捕されています。技術には何ら違法性がないにも関わらずです。それを悪用されると困るからという、芽は小さいうちに潰せという感覚で逮捕してしまいました。

その後、これらはどうなったでしょうか?アップルコンピュータは世界的な大企業に成長しました。一方、日本ではファイル交換などのソフト開発は大きく出遅れました。技術開発をして逮捕されてはかないませんからね。何が言いたいかと言うと、つまり、アメリカでは自由の幅が広く進歩しやすいが、日本では秩序を乱す恐れがあるため「あれをやってはいけない、これもやってはいけない」と自由の幅が狭く、その結果、進歩の歩みが遅いということです。

他にも、急成長していたライブドアの社長堀江貴文が2006年に逮捕されましたが、その後、ネットの世界で日本のIT産業は成長したでしょうか?ブログも動画サイトもSNSも日本の企業よりは外国の企業の方が多くなっていませんか?

これはITの話だけではありません。歴史を振り返ってみれば、様々な分野において同じようなことが言えるのではないでしょうか?日本では到底発達しなかったが、アメリカではどんどん発達していったものが多いのではないでしょうか?例えば、男女平等やウーマンリブに見られる女性の権利の拡大、同性婚などLGBTなど性的マイノリティーの人権、ジャズやヒップホップなど新しい音楽ジャンルの創造、ディズニーが普及させた商用アニメーション、Xスポーツなど新しいスポーツの開発、T型フォードの生産革命によって金持ちの乗り物から大衆の乗り物に変わった自動車、ライト兄弟に始まりボーイングによって商用旅客機に至る飛行機の開発、アポロ11号に見られる生存圏の拡大である宇宙開発、そして、今、こうやって書いているインターネットやツイッターやブログなどなど。様々な分野(科学技術に限らず、人権、文化など多岐にわたる分野)でアメリカが切り拓いてきたもので現代文明は溢れかえっています。日本はどちらかと言うと新しいものに継ぎ足すことをやっているだけで自分たちで新しいものを作り出すこと切り拓くことは少ないと思います。

もちろん、アメリカもこれらを何の苦もなく作り出したとは思いません。人権などは闘争の歴史と言った方がいいでしょう。今でも同性婚には反対の州が多いでしょうし・・・。しかし、彼らは自由を得るために闘ってきました。自由を手に入れるために大きな犠牲、大きな代償を払ってきた歴史があります。だからこそ、自由の大切さをよく理解しています。彼らは最初から与えれたものを自由だと思っていません。自由とは戦って手に入れるものだと思っているのではないでしょうか?ところが、日本ではそうなりませんでした。自由を得るために闘っても闘いそのものが日本社会では認められなかったのではないでしょうか?

結局、日本ではなぜそうなったかというと「秩序を乱すから、不自由であっても我慢しろ」ということだと思います。不自由を乗り越えて自由に生きようとしても社会がそれを許さず、小さいうちに自由の芽を摘み取ってしまうのだと思います。そこがアメリカと日本の差であり、今後も人類の文明をリードしてゆくのは、日本ではなくアメリカだろうと私が考える理由です。

まあ、随分、極端に書いてしまいましたが、実際はここまで極端ではないと思います。けれども、極端に書くことによって私の言わんとすることが伝わればと思い、あえて極端に書きました。


2013年5月1日水曜日

私の好きなAV女優

ちょっと思うところがあって私の好きなAV女優を列挙しておこうと思います。

ところで、なぜ私は彼女たちが好きなのか、その理由をいろいろ考えてみたとき、それは彼女たちの思い切りの良さにあると思い至りました。もちろん、彼女たちの持っている美しさや性的魅力や人間的魅力も彼女たちが好きな理由ではありますが、それよりもむしろ作品における彼女たちの思い切りの良さが私の固定観念を払いのけてくれたというのが最も大きな理由であると考えています。彼女たちの表現は私の想像を上回るものでした。彼女たちの思い切りの良さがブロックバスターしてくれたのです。喩えて言えば、優れたアートに出会ったときに目が開かれて一挙に視野が拡がったような覚醒感に似ています。そんなわけで私は彼女たちに大変感謝しています。


日本のAV女優
  1. 高井桃
  2. 小澤マリア
  3. 原紗央莉
  4. 立花里子
  5. 花井メイサ
  6. 小向美奈子
  7. 風間ゆみ


 米国のポルノ女優
  1. Jennifer White
  2. Kagney Linn Karter
  3. Jenna Haze
  4. Asa Akira
  5. Sasha Grey
  6. Vanessa Blue
  7. Sarina Valentina
  8. Eva Lin
  9. Yasmin Lee
  10. Annie Sprinkle


2013年4月29日月曜日

雑感 ~大雑把な見取り図~

自分の考えを整理するために大雑把にまとめました。

1.政党の件

ツイッターにも書いたけど政党のカラーは

自民党  保守    経済成長重視型
民主党  リベラル  社会福祉重視型

で良いんじゃないだろうか?

私は二大政党制が好ましいと思う。
なぜなら、選択肢のない一党独裁は良くない。


2.日本経済の件

世界の工場はおおざっぱに言うと次のように変遷してきた。

イギリス → アメリカ → 日本 → 中国

現在、日本は世界第3位の経済大国だ。
日本の経済を支えていたのは自動車と電機だった。今、電機が競争力を失いつつある。
自動車も電気自動車に変わったなら、どうなるか分からないし、工場の海外移転はこれからも進むだろう。

アメリカが日本に製造業を奪われても経済大国第1位の地位を保てたのはなぜかというと、
おおまかに言ってIT産業と金融という知識産業で製造業よりも高い利益を得たからだ。

製造業 → 知識産業

日本も産業を製造業から知識産業に転換するしかないだろう。
しかし、知識産業は狭き門だ。
それは少数の勝ち組と多数の負け組という世界だ。
アメリカがそうであるように中間層が減って少数の富裕層と多数の貧困層に二極化してゆく。

1億総中流 → 富裕層と貧困層の二極化


3.経済成長か、社会福祉か

(1)経済成長には高い競争力の企業が必要
経済成長するためには競争力のある企業が育たなければならない。
今後の成長を考えれば、製造業の既存企業ではなく、知識産業の新興企業であるはずだ。
ただし、新興企業は政府が支援して成長するものではない。
市場の競争の中から生き残って育ってくるものだ。
政府がやれるのは直接的な新興企業の育成ではなく、環境整備くらいだ。

電機や自動車の製造業 → ITや金融やバイオテクノロジーなどの知識産業
経済成長を牽引するのは企業であって政府ではない


(2)これまでの政府の経済成長策
これまでの政府の経済成長策は有効需要に基づく公共投資だった。
しかし、日本に競争力のある産業がなければ、いつまでも続かない。

経済成長≠公共投資


(3)社会福祉政策の必要性
日本企業の国際競争力は低下の一途をたどっており、企業も個人も経済力の低下が著しい。
経済成長と銘打ったバラマキが果たして個人にどこまで届くのか甚だ疑問である。
むしろ、直接、社会福祉として個人に支援の手を伸ばすべきではないだろうか。

もちろん、経済成長政策が成功するなら、全体の底上げにつながる。
しかし、今すぐに日本から競争力の新産業が生まれるかというとその可能性は低いと私は思う。
すぐには新産業が生まれずにいつになるかもわからない経済成長を待つよりも、
すぐにでも必要な個人への支援を社会福祉という形で行うべきではないか。
すなわち、経済成長よりも社会福祉を重視するべきではないか?

経済成長を待つよりも社会福祉で個人を支援すべきではないか?


4.財政問題
ブログのメニューでも取り上げている通り、日本の財政は極めて逼迫している。
財政問題を解決するには単純に言えば、増税かインフレしかない。
もちろん、増税とインフレを両方同時に行うことも可能だ。
他にも、経済成長や歳出削減もある。
しかし、前節で述べたように経済成長はすぐにはのぞめない。
また、歳出削減はどこを減らすか問題だ。
いずれにしても国民の負担は増える。

財政問題の解決方法 : 増税、インフレ、歳出削減、経済成長


そして、増え続ける社会保障費を軽減するために年金制度を変えなければならい。
ただでさえインフレは高齢者の負担になるが、社会保障費の削減はさらに負担を倍加する。
だが、先延ばしすれば、そのリスクは若い世代により大きな負担となって返ってくる。

年金問題の先送りは若い世代にもっと大きくなってハネ返ってくる

5.まとめ
まとめると日本が生き残る道は日本の産業構造を製造業から知識産業に転換しなければならない。ただし、知識産業における新産業創出は企業努力であって、政府ができることは環境などの周縁的なサポートに過ぎない。つまり、経済成長を推進するのは政府ではなく企業だ。政府がやれるのは、延命措置的な意味での公共投資か社会福祉しかない。一方で日本の財政問題は深刻で先送りすればするほど後の世代の負担が大きくなる。


6.感想とか意図とか
できるだけ分かりやすい構図にするために話をかなり極端にしました。大雑把な見取り図にしないと問題点が見えにくくなり、日本がどういった針路に進むべきかがウヤムヤになってしまうからです。政党の掲げる政策はどうしても総花的になります。本来はジャーナリズムが各政党の政策を読み取ってエッジを際立たせるべきですが、日本のジャーナリズムはそうしません。結局、日本の議論は田原総一朗的に結論が出ないまま、整理もまったくされないまま、カオス状態で終わってしまいます。針路を見極めるためには、枝葉末節は切り捨てて、できるだけ単純化していいと思います。無党派層や政治に無関心な層が増えるのも見取り図がまったく見えないからだと思います。見取り図さえ見えれば、有権者はどちらを選ぶか、自分の好みどちらかというのは見えてくると思います。