2013年7月5日金曜日

キャンベル-ケリー&アスプレイ『コンピューター200年史』

今回はマーチン・キャンベル-ケリーとウィリアム・アスプレイの『コンピューター200年史』を取り上げます。

この本はタイトルのように200年にわたるコンピュータの歴史を追った本です。19世紀のチャールズ・バベッジの階差機関から始まり、エッカート、モークリーのENIACを経て、現代のパソコンからインターネットの出現に至るまでのコンピュータの歴史を様々な経路を辿りながら描いた歴史書です。

私たちの時代はインターネットの普及という革命的な激変がありました。よく言われるように、いわゆるIT革命ですが、IT革命というだけではまだ言い足りないくらいです。まさに本当の革命といっていいくらい、私たちの生活を大きく変えました。そして、そこで主役になったのがコンピュータです。コンピュータなくしてはインターネットはありえませんでした。その昔、各家庭の中にモーターがいくつあるかでその家の文明度が計れると言われたことがありました。なぜかというとモーターは様々な家電に使われていたからです。今やCPUが家の中にいくつあるかでその家の文明度が決まるかもしれません。もはやコンピュータは私たちの生活に無くてはならないものです。しかし、そんなコンピュータの歴史を私たちは知っているでしょうか?確かにコンピュータの世界はドッグ・イヤーと言われるように普通の時間よりも4倍早く時間が進むと言われています。それだけ目まぐるしく進歩してゆきます。また、ムーアの法則と言われるようにCPUの性能は18ヶ月で2倍になると言われています。それだけ性能自体も一世代前とは比べ物にならないほど短い時間で良くなります。そのため、私たちはついつい短いスパンでの変化に気を取られがちです。そのため、コンピュータの歴史という長いスパンではあまり意識してこなかったように思います。コンピュータがこれだけ私たちの生活に必要不可欠な道具であるにも関わらずです。そういう意味でこの本を読んでおくのは極めて有意義なことだと思います。コンピュータの歴史を知ることでコンピュータの全体像が浮かび上がってきます。そして、コンピュータの歴史という全体像を知ることでコンピュータを俯瞰して捉えることができるようになり、今まで見えなかったことが見えるようになると思います。

さて、読んでいて面白かったのはコンピュータは英米で発達したという点です。最初は英国で発達し、後に米国で急速に普及します。つまり、近代化と歩調を合わせるように発達していったのだと思います。まあ、当然といえば当然なのですが。最初は対数表の計算が必要でコンピュータを必要としました。なぜなら、世界の海を支配した大英帝国が正確な航海表を必要としたからでした。そして、手形交換所の煩雑な計算もコンピュータを必要とした理由に加わります。つまり、資本主義がコンピュータを必要としたのです(*1)。また、コンピュータが普及した大きな要因は事務機器の機械化にありました。事務機器の機械化を好んで進めたのが米国で米国は何に対しても機械化好きなようでした。もちろん、米国が近代工業化してゆくのとコンピュータの発達がちょうど重なったこともあると思います。(ただ、初期のコンピュータの発達の歴史は単線的なものではなくて、様々な方面からそれぞれ発達してきたと思います。)事務機器の機械化で飛躍的な発展を遂げたのがIBMです。元々は文房具の会社でしたからね。それが元となってメインフレームとして事務機器に長らく強い影響力を残しています(*2)。とにかく、最初に世界の工場といわれた英国で発達し、第二次世界大戦後に工業国としてトップに立った米国で発展・普及していったのです。もちろん、戦争も大きく影響はしています。何より弾道の計算がコンピュータの開発が急がれた理由ですし、ENIACの開発にフォン・ノイマンが加わったのも戦争の影響からですし、英国でEDSACが作られたのもチューリングの暗号解読機ボンベという下地があったからだと思います。また、リアルタイムシステムの開発も元はと言えば戦闘機のパイロットを養成するためのシミュレータの開発が始まりでした。こうやって見てみると資本主義と戦争がコンピュータを発達させたと言っていいかもしれません。(ただ、それだけではなしに思考のスタイルも関係しているように私には思えます。極端な言い方ですが、英米哲学だからこそコンピュータが発達したのではないかと思えます。逆に大陸哲学、構造主義ではコンピュータは発達しなかったのではないかと思えます。この辺りはまた別の機会に考えてみたいと思います(*3)。)

さて、一方、ソ連ではどうだったかという疑問はありますが、本書では分かりません。本書ではまったくソ連は出てきません。ただ、ソ連はFAXですら使用するのを禁止したという話を聞いたことがあります。FAXによって危険思想が伝播してゆくのを恐れたらしいのです。そんなことを考えると今のインターネットなど到底不可能だと思ってしまいます。現在でも多くの強権的な国の政府がSNSを使うことを嫌がっているのを考えるとソ連がFAXを禁止したのも分かる気がします。ただ、ソ連の科学技術は進んでいた面もあったと思います。ロケットや戦闘機などを見ると凄いなあと感心します。制御工学が発達していたのでしょうか?それにソ連水爆の父のサハロフ博士なんて人もいますから、決して劣っていたわけではないと思います。しかし、やはり、経済体制にムダが多かったのではないでしょうか。物資が不足して常に行列ができているにも関わらず、その裏では物々交換は恒常的に行われていたというのですから、経済体制に問題があったのではないかと思います。ただ、別に経済が世界で一番でなくても、多少、経済的にルーズでも、ブータンのいうGDH(国民総幸福量)のように幸福度が高ければ良かったとは思いますが。

随分、話が脱線してしまいました。あ、そういえば、コンピュータの発展は英米における統計学の発展とも関係がありそうな気がします。この辺りも一度調べてみる必要がありますね。

とにかく、本書はコンピュータの歴史ですが、コンピュータサイエンスの歴史ではなくて、産業の面から見たコンピュータの歴史といった方が近いかと思います。しかし、コンピュータの歴史の全体を俯瞰するという意味では本書は最適だと思います。確かに個々の細かい要素、例えば、ハードウェアの発達史やソフトウェアの発達史、CPUの発明やENIAC開発秘話、暗号解読の歴史など様々なコンピュータに関係する要素があるとは思いますが、それはまた個々のプロットとして別に勉強すればよいと思います。とにかく、全体像を掴むという意味では本書を読んでおいて損はないと思います。(ただ、少々、読みにくくはありました。より整理された本があればそちらも読んでみたいと思います。)

(*1)資本主義の起源は株式会社であり、株式会社の起源は胡椒を求めるためにイタリア商人たちが出資して航海に出したのがはじまりでした。つまり、大航海時代を可能にしたのは株式会社制度でした。そして、英国を大英帝国にまで押し上げたのはインドでの交易でした。さらに言えば、インドの木綿を織る自動織機の開発が産業革命の始まりでそこから蒸気機関を動力とする発明が生まれますし、バベッジの階差機関も自動織機から発想を得ているといえなくもないと思います。

(*2)昨今はすべてPCもしくはクラウドに置き換わったかもしれませんが、現状はよく知りません。

(*3)1946年にメーシー会議(通称サイバネティクス会議)というのがあって、そこでフォン・ノイマンとノーバート・ウィナーがそれぞれ講演をしているのですが、二人の講演は非常に対照的だったそうです。ノイマンはいわゆるノイマン型コンピュータの話をしたのですが、ウィナーはサイバネティクスの話をしたそうです。現在、コンピュータはノイマン型で進んでいるのですが、(この後に「限界自体はチューリングが計算可能性として既に示しているわけで」と書こうと思ったのですが「あれ?違ったっけ?」となり実際はどうだったかを忘れてしまったので、急いで調べてみたのですが分からず手元に本もなく時間もないのでまた後日改めて勉強し直すということで、とりあえず、ここは読み飛ばして下さい。トホホ。(T_T))、今後はウィナーの言っていたサイバネティクスに可能性があるかもしれません。といってもまったく未知なのですが(爆)。ともかく、英米哲学的な思考スタイルでないものの可能性としてサイバネティクスのようなものもあるかもしれません。いや、サイバネティクスだけに限らず他にも別のタイプの非ノイマン型コンピュータがあるかもしれません。そして、まだ別の知の可能性があるのかもしれません。・・・あわわ。話がこんがらがってきました。真空管のような私の頭ではもはや限界・・・。やはり、この話はまた別の機会で・・・。