2013年7月24日水曜日

牧野克彦『自動車産業の興亡』


今回は牧野克彦『自動車産業の興亡』を取り上げます。
  

今日の世界経済を考える上で自動車産業を抜きにしては考えられないほど極めて重要なリーディング産業であると言っていいでしょう。大きな雇用と利益を生む自動車産業は国を支える基幹産業であり、国家さえもその存在を無視できないものだと思います。(実際、米国は大統領がビッグ3のトップを連れて日本を訪れたこともありますからね。)そこで1886年に自動車が開発されてから現在に至るまでの百数十年間に生まれてきた約2500社の自動車メーカーの歴史について知っておくのは決してムダではないと思います。この本はそういった世界の自動車メーカーが生まれては消えていった興亡の歴史が図表や数値を交えて丁寧に描き出されています。また、著者自身が自動車メーカーに約40年間勤めた、いわば業界の内側の人間ですので、外側からうわべだけを見て知っているのと違って業界内部にも通じた深い見識に裏付けられた本だと思います。戦後の日本経済を支えてきた製造業は自動車と家電の二本柱ですが、今、家電は中国がその安い人件費を武器に世界の工場となって以来、日本を追い越しつつあります。もう一方の柱である自動車産業においても中国の生産台数はすでに世界一になっています。今後の日本の自動車産業の行く末を考える上でも、また日本経済の行く末を考える上でも自動車産業の歴史について知っておくことは極めて重要だと思います。この本はそういった自動車産業の歴史を知るのに最適な本だと思います。是非、ご一読することをお薦めします。

まず、自動車は欧州で発明されます。最初は蒸気自動車が発明されました。1769年にフランスでベルギー人によって3輪車が試作されました。意外なことに電気自動車もこの頃発明されます。1883年にフランスとイギリスでそれぞれ電気自動車が発明されました。ガソリン自動車はというと、まず1876年にドイツでガソリンエンジンが発明され、1885年に自転車にガソリンエンジンを搭載したオートバイを試作し、1886年に4輪車に搭載した自動車が試作されました。これらを開発したのはダイムラーとマイバッハというエンジニアでした。そう、あのダイムラーベンツのダイムラーです。そして、これとはまったく別に1886年に4サイクルエンジンを載せた3輪車を開発した人物がいました。それがベンツでした。自動車の発明にダイムラーやベンツが既にいたのですね。その後、ガソリン自動車が生き残ってゆくのですが、それには道路や石油という条件が整うまでに少し時間がかかりました。また、自動車レースがそれに大きく貢献しています。

さて、自動車の普及をおおまかに追ってみましょう。最初に欧州で発明された自動車ですが、初期の世界の生産台数は2万台程度でした。欧州では自動車は高級品でした。それを変えたのがアメリカのヘンリー・フォードです。コンベアー生産方式によってT型フォードの大量生産を可能にしました。そして、欧州では一部の富裕層しか買えなかった自動車でしたが、米国では一般大衆にも買えるようにしました。その結果、右図のように1900年から1980年までの間、アメリカが世界の自動車の生産の大半を担っています。世界大恐慌と第二次世界大戦の時期はさすがに生産は落ち込みますが、それ以外はほぼ順調に生産台数を伸ばして行きます。

一方、欧州はというと戦争のたびに生産を落としています。欧州の場合、特徴的なのは自国内ですべての自動車部品を賄うということが少なく、他国にわたって部品を揃えていたため、いったん欧州内のどこかで戦争が起こると部品が滞り、その結果、生産が思うように行かなかったようです。こういった違いもあってますますアメリカが自動車大国になったわけです。その間、アメリカ国内では競争が激しくビッグ3と言われるフォード、GM、クライスラーが台頭してゆきます。この自動車大国アメリカのダントツでのトップの地位は日本が自動車産業に参戦してくる1980年まで続きます。

日本の自動車産業は戦後に伸びて行きます。戦前もあったのですが、戦前は軍用車に限られていたようです。日本がアメリカを追い越すのはトヨタのリーン生産方式、いわゆるカンバン方式によって作られた高い品質によるものでした。元々、リーン生産方式はアメリカのデミング博士に由来するらしいです。また、自動車が小型化することにアメリカの自動車メーカーが対応できなかったのも大きな要因でした。その後、日米自動車摩擦が起こります。結局、アメリカの政治圧力に負けて日本が自主規制することでアメリカの自動車メーカーは倒産を免れ、その間にアメリカの自動車メーカーが技術を向上させて日本に追いついたそうです。

それから後に今度はグループ化の波が押し寄せます。世界の自動車メーカーはある程度のグループに組み替えられます。その結果、GM、フォード、ダイムラー・クライスラー、トヨタ、ルノー、VWの6大グループに分けられます。本書は2003年に刊行された本ですのでここまでの歴史ですが、しかし、その後も再編成されて、現在では、トヨタ、GM、VW、ルノー、現代自動車の5大グループになってしまいました。韓国の現代自動車が食い込んできました。


ところで、英国では自動車メーカーが発達しませんでした。というより出遅れてしまいました。英国は産業革命発祥の地でありながら、どうしてでしょう?それはすでに発達した産業が既得権益を守ったがために新興企業である自動車産業の発達を阻害したといえるのではないでしょうか。例えば、赤旗法という規制がありました。1830年頃、英国は既に蒸気自動車を開発してロンドンを蒸気バスが走っていました。しかし、蒸気バスはエンジンが蒸気機関ですから黒煙を排出するので住民からは嫌われていました。また、すでに発達していた乗合馬車は蒸気バスに仕事を奪われるのではないかとたいへん恐れていました。そこで1865年に乗合馬車の団体は議会に働きかけて自動車の前方55メートル先で赤旗を持った警告者が自動車を通ることを付近の通行者に警告しなければならないという赤旗法を通してしまったのです。考えたら、バカバカしい法律ですよね。しかし、そのことによって英国では自動車の普及が妨げられてしまったのです。ドイツやフランスで自動車の開発が進んだことに危機感を抱いて1896年になって赤旗法はやっと廃止されました。また、第二次世界大戦後、ドイツやフランスの工場が破壊されたために英国の自動車産業は一時期伸びるのですが、次第に復興した欧州大陸のメーカーに抜かれてゆきます。現在では英国の国産メーカーは外国のメーカーに吸収合併されて、独立した英国の自動車メーカーはとうとう無くなってしまいました。

今度は日本の自動車メーカーの国内でのシェアを見てみましょう。トヨタは比較的シェアを維持し続けていますが、日産は新規参入組に押されて20%近くシェアを下げています。一方、新規参入組でシェアを伸ばしたのはホンダとスズキです。マツダと富士重工はシェアを落とし、三菱やダイハツはほぼ横ばいです。この図は1995年までですので、現在はもう少し日産のシェアは回復しているのではないでしょうか。瀕死のクライスラーをアイアコッカが建て直したようにカルロス・ゴーンが官僚体質だった日産を改革して経営を建て直しましたからね。




今度はアメリカ市場での各自動車メーカーのシェアを見てみましょう。右図のようになります。フォードやクライスラーはほぼ横ばいですが、GMがかなりシェアを落としています。そして、その落とした分を勝ち取ったのが日本の自動車メーカーです。GMがシェアを落とした原因は様々ありますが、まず1つ挙げられるのは内製率が80%と非常に高かった点があります。トヨタの内製率が30%ですので極めて高いことが分かると思います。同時にUAW(全米自動車労働組合)との確執がありました。内製率が高いことからもそれを外注しようとすれば労働組合と対立するのは目に見えていますよね。これらのためにGMは非常に非効率な生産になったのだと思います。他にも人気車が無いとかRV車に出遅れたなど要因は多々あります。例えば最新鋭のロボットを工場に導入したけれど故障が多くてまったく使いものにならなかったという大失敗もあったようです。先日、デトロイトが財政破綻しましたが、大きな原因はGMの低迷にあると言えるでしょう。


さて、最後に現在の世界の自動車産業の趨勢を見ておきます。2012年のデータですが、世界の自動車メーカーの販売台数ランキングと国別の自動車生産台数と国別の自動車販売台数です。



















日本のトヨタや日産・ルノーはよく頑張っています。ホンダもよく食らいついています。ですが、世界の生産台数と販売台数を見てみて下さい。かつては自動車の世界最大の市場はアメリカでした。アメリカが最も多く生産して最も多く購入していました。しかし、今では中国が世界最大の自動車市場になりました。中国に世界各国から来た自動車メーカーが工場を建てて自動車を作り、そして、作られた自動車を中国が買っています。世界経済にとって、とても象徴的だと思います。日本もいずれ自動車工場のほとんどが中国に移転してしまい、移転した工場は中国を本拠地としてしまうでしょう。また、電気自動車がガソリン自動車にとって変わる時代が到来したとき、電気自動車はこれまでのガソリン自動車とは違って家電のように部品の調達が垂直統合から水平分業に変わるのではないでしょうか。そうなれば、ますます日本の自動車産業は苦しくなると思います。日本がこの世界の潮流に逆らっても仕方ないのではないでしょうか。むしろ、日本としては製造業から知識産業に新たに産業構造の転換を図るべきなのだと思います。

いずれにしても、自動車産業の歴史を知る上でこの本を読むことを強くお薦めします。

2013年7月14日日曜日

遠藤誉『中国動漫新人類』


今回、取り上げるのは遠藤誉の『中国動漫新人類』です。


感想としては非常に面白い本でした。これは単に中国における日本アニメの受容のされ方を知るだけでなく、現代の中国を知るには欠かせない本だと思いました。この本が出版されたのは2008年ですので、現在は、若干、状況が変わっているかも知れません。しかし、八〇后と言われる1980年代以降の生まれで日本の動漫(アニメや漫画)に親しんできた中国の若者たちのルーツを知るには欠かせない一冊であることに変わりはありません。日本と中国の間には懸案となっている問題がいくつかありますが、それらの問題を考えるためにもこの本で書かれていることはとても重要だと思います。是非一度読むことを強くお薦めします。

この本はタイトル『中国動漫新人類』とあるように日本のアニメや漫画が大好きな中国の若者について書かれた本です。しかし、彼らは日本のアニメが大好きな一方で愛国主義教育によって抗日戦争という史実を知り日本を嫌う反日という別の側面も持っています。相反する2つの感情を中国の若者たちは内に抱えもっています。この本はそれらについて見事に描いています。この本は内容的には前半と後半に大きく分かれており、前半は日本アニメが中国で愛されるようになった経緯や状況などが様々な立場の人たちへのインタビューによって多角的に丁寧に描かれています。後半は反日に至った経緯について緻密に調べられて描かれています。前半が社会学的とすれば、後半は歴史的な話になっています。

読んでいる途中で分かったのですが、著者の遠藤誉氏がかなりの高齢であることに気づきました。巻末にある著者紹介を読んでみると1941年中国長春市生まれとあり納得しました。この本は2007年頃から雑誌に掲載されたようなのですが、ということは、つまり、この本を執筆していたときに遠藤氏は既に60代後半だったということになります。その歳でよくアニメとかに理解を示せるなあと驚きました。同時に彼の歴史認識に対しても実際にその時代を生きた現実を知っている方だなあというのも分かりました。彼の家族に起こった悲劇を読んで久しぶりに過去の戦争の悲惨さを思い出しました。教科書の知識として日中戦争を知った若者と実際にその時代を生きて肌でその時代を知っている人とでは歴史認識がちょっと違いますからね。後半の歴史の話を読み始めた最初は私にはやや退屈に感じられたのですが、読むに従ってとても興味深い内容であることが分かってきました。この本が単に中国における日本アニメの人気が高いことを取り上げるといった、ひとつの社会現象を捉えたというだけでなく、もう一歩踏み込んで過去の歴史的な背景まで描いていることでグッと深みが増しています。サンフランシスコにおける華僑の人権運動の話を読むに至っては中国で起こっていた反日デモに対する理解をかなり深めることができました。

さて、この本では中国で日本アニメが普及した要因のひとつを海賊版にあると考えています。海賊版が出回っているために小遣いの少ない子供たちの誰もが手に入れやすかった。それに比べて米国のアニメは著作権が厳しく海賊版が出回りにくかった。また、日本ではあまり見られないCVDというファイル形式も安易に動画のコピー・再生を容易にした。アニメであってもこのファイル形式だどパソコンなどで簡単に再生できるようで比較的簡単に普及したようです。それに翻訳の問題も台湾や香港から入ってくることで日本とカルチャーギャップがあっても内容を理解しやすかったし、さらにも名門大学の学生が日本アニメを好きなあまり競って翻訳したことも大きかった。また、中国政府が日本のアニメをたかがアニメや漫画ということで軽く見なして海賊版が普及することを黙認していた。それに比べると米国のアニメに対してはどうもイデオロギー的に警戒していたらしい様子が窺える。そして何より、中国で普及した一番の要因は日本アニメの面白さが中国の若者たちを魅了したことでした。当たり前ですが、これが日本アニメが普及した一番の原動力になっています。『鉄腕アトム』や『ドラえもん』、『スラムダンク』や『セーラームーン』、果ては『クレヨンしんちゃん』まで幼児から青年、幼児の母親まで幅広い視聴者に受け入れられた。しかも単に面白い娯楽というだけでなく、また米国のような政治的イデオロギーではなくて、もっと普遍的な、ヒューマニズムなど精神的な意味での思想としてじわじわと無意識下に浸透するように受け入れられていったようです。それは私たち日本人にも分かる感覚だと思います。アニメを見て感動したことのある人なら分かると思います。

ところで、面白かったのは中国政府高官の話です。興味深い内容でしたので、ちょっと長いですけど以下に引用します。
日本のアニメというのは特に思想性とか目的のようなものがないんですよ。思想性とか、宗教性とか、他の文化圏の人間を説得しよう、あるいは感化しようといった、意図的な中身、目的性といったものがありません。ただ、若者が喜ぶものを作っているという感じですね。しかし、アメリカのアニメは違う。アメリカのアニメには思想性とか目的性があります。すなわち、アメリカ社会が持っている民主主義とか、人権主義とか、あるいは平等といった、要するにアメリカ社会が持っている価値基準のようなものを、アニメの中に含ませているんですよ。これをクオリティの高い映像で芸術作品のように見せて、うっとりさせ、次第にその思想性を浸透させていく。その意味では、日本のアニメよりずっと思想性と目的性を持っていると私は思っています。日本は何かにつけて、アメリカのような戦略性に乏しい国でしょう。経済が繁栄すればいい、それによって国民が幸せになればいいと思っているという傾向はありますね。それはそれで良いことですよ。ただ、アメリカの言いなりになり過ぎて、そこに自尊心がないようにお思います。現代の日本は国家戦略といった大局的視点を持ち得ない国でしょう。アメリカは違います。あそこは英雄主義にしろ、世界のアメリカという社会思想にしろ、確固たる戦略を持った国だから、アニメの中に、その思想性が自然に忍び込んでいるんですよ。だから、もし危険性ということを言うならば、どんなに量が少なくとも、アメリカの方が日本よりもっと高いんですよ。
実に的確に日本と米国を捉えていると私などは思います。ここには日本と米国の特徴が見事に捉えられています。ひと言でいえば、日本には戦略性がなく、米国は明確に戦略を持っているということに尽きると思います。戦略があることが良いことなのどうなのか、それがアニメなどコンテンツが普及することに吉と出るか凶と出るかは難しい問題です。しかし、グローバルに展開しようとする場合、戦略を持っていた方が成功している例が多いのではないでしょうか。日本アニメのような例はむしろ稀なように思います。(ところで、話はそれますが、実際、戦後すぐの頃、米国のCIAは米国文化を日本に植えつけるように情報操作しています。日本のアメリカナイズは米国の戦略によって半ば意図的に行われた結果なのです。)

さて、日本アニメが中国に普及した結果、事態はさらに進展していきます。まず、あまりの普及に驚いた中国政府が日本アニメの放送を制限しようとしました。放映時間に制限を加えたのです。しかし、海賊版が深く浸透してしまったために、もはや放映時間の制限だけでは日本アニメの普及を食い止めることができなかったようです。そこで中国政府は中国でアニメの制作を奨励します。日本アニメに取って代わるために国産アニメを国策として進めたのです。ところが、これも上手く行かなかったようです。日本アニメに比べて国産アニメは映像も内容もクオリティが低かったからです。さらにマーケティングの問題もあってうまく行かなかったようです。ただし、今後はどうかは分かりません。私の考えですが、経済成長と共に中国でもクリエイターたちが育って、いずれは日本アニメを追い越す日も来るのではないでしょうか?実際、これまでも中国映画や香港映画は質の高い作品を作ってきたと思います。ヒューマンドラマでも単なる娯楽作品でもいずれの場合でもそれなりに質の高い作品を世に送り出してきた実績があると思います。ならば、アニメや漫画もクリエイターさえ育てば質の良い作品を作るようになるのではないでしょうか。日本アニメがいつまでも一部のオタクにしか受けないような偏った作品ばかりを作っている間に中国はより質の高いアニメ作品を作って日本を追い越す日が来ないとは言えないと思います。

さて、本書の後半は日本アニメ大好きと反日という相反する2つの感情を抱えた若者たちの心情を理解するために歴史の話になります。後半と言ってもページ数としては第5章と第6章くらいですので量的には少ないのですがね。そこには憤青(憤怒青年)と言われるネットに起源を持つ愛国民族主義者たちの話や江沢民の世界反ファシズム戦争勝利記念大会での演説の話、サンフランシスコの台湾華僑が世界抗日戦争史実維持聯合会という団体でロビー活動した結果、従軍慰安婦問題をナチ戦争犯罪情報公開法に加えるようになったという話や南京大虐殺が人権侵害問題としてアメリカで取り上げられるようになった話など非常に興味深い話がたくさん詰まっています。これは非常に勉強になりましたし、従軍慰安婦問題や南京大虐殺を含めた日本の戦争について改めて勉強しなければという気を起こさせてくれました。昨今、橋下徹大阪市長の従軍慰安婦発言が問題となりましたが、日本の国内にだけ目を向けるのではなく、世界にもこの問題で目を向ける必要があるのだなと改めて思い知らされました。

最後に繰り返しになりますが、アニメに関心のある方、中国に関心のある方はこの本は読んでおいた方がいいと思います。その理由を述べる前にざっと世界の状況を見渡してみます。米国のハリウッドは映画産業で確固たるブランドを築きました。それは娯楽作品でも芸術作品でもいずれにおいても高いクオリティを実現しているというちゃんとした実力を持ったブランド力があるからです。さらにグローバリゼーションでかつては発展途上国だった多くの国でインフラ整備が進んでテレビが普及する中、不足するコンテンツを補うものとして米国はTVドラマの販売を広げています。そこではハリウッドの映画スタジオが撮る高品質なTVドラマを売り込んでいます。それは別に米国だけではありません。韓国も韓流ドラマやK-POPで娯楽産業を国家戦略として売り出しています。今のところ、韓流ドラマは東アジアだけでなく、欧州や中東の一部でも受け入れられているので成功していると言っていいでしょう。そして、中国は国産アニメを着々と作り続けています。米国のピクサーを真似た3Dアニメも既に作っていますし、携帯電話で読める漫画やアニメも既に出ています。では、日本のアニメはどうでしょうか。私は以前から日本のアニメもグローバルコンテンツとして十分に世界に通用すると思っています。実際に世界中の子供たちが視聴しているでしょう。最近はクールジャパンの名目で日本政府も日本アニメの普及に努めているとは思います。しかし、あくまで限られた視聴者だと思います。それに著作権やブランド力に至ってはハリウッドのシステムには遠く及びません。まだまだ体制が不十分だと思います。ですが、何よりもコンテンツそのものに何かが足りないと私は思っています。喩えて言えば、富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』はそれまでは子供向けだったアニメを青年でも楽しめるようにアニメの視聴者の年齢を押し上げたと思います。言わば、子供向けと限られていた壁を突破して、さらに広い市場を切り開いたと思います。今、日本アニメはグローバルに展開することを夢見ていますが、ガンダムのような今までの常識を破るような突破する何かが必要なのではないでしょうか。そこには意識した明確な戦略が必要ではないかと思います。私はアニメを「たかがアニメ、所詮はアニメ」とは考えていません。アニメも立派な表現形態のひとつであって文学や映画のように人々の心に深く訴える作品、人々に深く考えさせる作品、人々の心を強く感動させる作品を創り出すことができるメディアだと思っています。文学に世界文学があるように、アニメもまた世界で高く認められる精神性の高い表現ができるものだと思っています。単なる子供向けのものだとは考えていません。アニメが子供向けのものだと誰が決めたのでしょうか?そんなものは言うなれば『銀河英雄伝説』において帝国軍が必ずイゼルローン回廊を通って攻めてくるものと決めてかかっている固定観念と同じではありませんか。アニメが子供だけに限られた表現形態だと決っているわけではありません。アニメの可能性はもっと幅の広いものです。アニメの可能性はまだ十分には開かれていません。アニメの真の発動はこれからだと私はそう確信しています。

最後にあとがきを読んでいたら著者の関係者への感謝の言葉の中に柳瀬博一氏の名前が載っていました。柳瀬さんと言えば『文化系トークラジオLife』のUSTREAM放送でよくお見かけする博識でバランスの良いセンスをお持ちの編集者の方ではありませんか。この素晴らしい本の編集に携わっていたとは驚くとともに納得もしました。さすがにセンスが良いと。歳をとると男性はだんだん硬直しがちで、柔軟な思考や鋭敏な感覚を持ち続けること、若い頃のセンスに加えてバランスの良さを加えたセンスを維持しつづけることが非常に難しくなると思います。私自身は不器用でそういうカッコイイおじさんになれなかったのですが、私が若い頃にそういう人が一人だけ近くにいたので他のオジサンと比較できたので、そういう歳のとり方ができるんだと知ることができました。歳をとると男性は女性以上に若者から邪険にされたりするので、せめてカッコイイおじさんになってあまり邪険にされないオジサンになりたかったですね(寂寥・・・)。

それと参考までに目次を掲載しておきます。
第1章 中国動漫新人類―日本のアニメ・漫画が中国の若者を変えた!
  中国清華大学の「日本アニメ研」が愛される理由
  『セーラームーン』で変身願望を実現した中国の少女たち
  『スラムダンク』が中国にもたらしたバスケブーム
  なぜ日本の動漫が中国の若者を惹きつけるのか
  意図せざる?知日派?の誕生―中学3年生から見えてくる日本動漫の影響度
  『クレヨンしんちゃん』にハマる中国の母娘
  日本にハマってしまった「哈日族」たち

第2章 海賊版がもたらした中国の日本動漫ブームと動漫文化
  初めて購入してみた海賊版
  「たかが動漫」と、野放しにした中国政府
  動漫の消費者は海賊版が育てた
  仮説:「タダ同然」のソフトが文化普及のカギ
  中国における動漫キャラクターグッズの巨大マーケット
  日本動漫の中国海賊版マーケット
  進化する海賊版製作方法―DIY方式と偽正規版
  中国政府の知財対策と提訴数
  日本アニメの字幕をつくる中国エリート大学生たち

第3章 中国政府が動漫事業に乗り出すとき
  中国のコスプレ大会は国家事業である
  中国の大学・専門学校の75%がアニメ学科を
  国家主導のアニメ生産基地の実態
  アニメ放映に関する国家管理―許可証制度
  『クレヨンしんちゃん』盗作疑惑の背景に見えてくるもの
  中国政府は、日本動漫をなぜ「敵対勢力」と位置づけたのか?
  ゴールデンタイムにおける外国アニメ放映禁止令が投げかけた波紋
  日本アニメ放映禁止に抗議して、地下鉄爆破宣言をした大学生
  日本アニメの多くは、実は中国で制作されている?
  アメリカも崩せない中国ネット監視の壁

第4章 中国の識者たちは、「動漫ブーム」をどう見ているのか
  北京大学文化資源研究センター・張頤武教授の見解
  『日本動漫』の作者・白暁煌氏の見解
  中国美術出版社の林陽氏の経験
  ある政府高官の、日本動漫に関する発言―中国はいずれ民主化する

第5章 ダブルスタンダード―反日と日本動漫の感情のはざまで
  清華大学生の日本動漫への意識と対日感情
  ネット上での日本動漫と対日感情に関する議論
  中国人民大学の「日本動画が中国青年に与える影響」に関する報告書

第6章 愛国主義教育が反日に変わるまで
  なぜ愛国主義教育が強化されるようになったのか
  「抗日戦争」と世界反ファシズム戦争との一体化
  台湾平和統一のために「抗日戦争」協調路線を展開
  台湾系アメリカ華僑華人社会と、中国政府の奇妙な関係
  華僑華人・人権保護団体が巻き起こした慰安婦問題
  ネットで暴れる民族主義集団―憤青
  日中の戦後認識のズレは、どこから来るのか
  ―アメリカに負けたのであって、中国に負けたとは思っていない日本

第7章 中国動漫新人類はどこに行くのか
  日本動漫が開放した「民主主義」
  ウェブににじむ若者の苦悩―「親日は売国奴ですか?」
  中央電視台が温家宝のために敷いた赤絨毯―「岩松看日本」
  精神文化のベクトル、トップダウンとボトムアップ
  中国が日本に「動漫」を輸出する日


2013年7月8日月曜日

堀内一史『アメリカと宗教』

 
 
今回は堀内一史の『アメリカと宗教』を取り上げます。


私たちがアメリカについて考えるとき決して外してはならないのがアメリカの宗教です。アメリカと宗教は切っても切れない関係にあります。一見、アメリカは世界で最初の民主主義国で科学と合理主義の塊であり、宗教とは無縁の国だと考えがちです。しかし、実際のアメリカはそうではありません。英国のピューリタン(清教徒)がアメリカに入植して以来、この国は極めて宗教的な国です。

多くの日本人がそうだと思うのですが、普段、目にするアメリカに関する情報、例えば、アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカのニュースなどから、私たちはアメリカという国は極めて先進的で自由なリベラルな発想をする国だと考えがちです。確かにそれは間違っていないと思います。しかし、それはアメリカの顔の半分に過ぎません。もう半分の顔は、あまり目立って報道されませんが、極めて地味で保守的で信心深い、リベラルからは程遠い宗教的な顔を持っています。

保守とリベラル・・・。そうです。アメリカは共和党と民主党の二大政党制の国ですが、保守を支えている人たちの多くは、つまり、共和党を支えている人たちの多くは実はこの宗教的な人たちなのです。そして、宗教と政治が顕著に結びついているのは共和党を支えている宗教右派と言われる人たちなのです。近年のアメリカでは共和党と民主党が代るがわる政権の座に就いていますが、それだけこの国の宗教的な人たちの力は根強いのです。もちろん、リベラルを支えている人たちの中にも宗教的な人たちがいないわけではありません。最近は宗教左派というのも存在します。しかし、どちらかと言えば、彼らは宗教的な思想信条は個人の問題として捉えて政治とは切り離して考える人たちが多いのではないでしょうか。ところが、宗教右派の人たちはそれとは違って、自分たちの宗教的な思想信条を政治を使って社会に大きく反映させようとしているのではないでしょうか。例えば「人々はもっと慎ましやかに禁欲的に生きねばならない。ハリウッド映画のような性的に破廉恥で乱れた生活など断じて許されない。もっと政治に積極的に関与して人々を正しい道に導かなければならない」と考えるような人たちではないかと思います。つまり、極めて保守的な考え方をする人たちです。そして、その保守的思想の根底にあるのが彼らの宗教です。一般に保守というと、単純に自国を愛するという愛国心に支えられたナショナリズムが多いと思います。しかし、アメリカの場合は、そういったシンプルなナショナリズムもあるのはありますが、むしろ多くの保守はその根底に宗教がある保守だと思います。

この本はそういったアメリカの宗教について歴史を追いながら見事に読み解いています。アメリカを本当に理解するためには、アメリカの宗教に対する理解が絶対に欠かせません。そういう意味では、この本はアメリカを理解するためには欠かせない一冊です。


さて、ここでいう彼らの宗教とは何でしょうか?確かにアメリカは移民の国であり、様々な種類の宗教が入り乱れています。しかし、その中でも最も影響力のあるのはキリスト教です。しかも、ピューリタンとして入ってきたものですから、キリスト教の中でも、元はプロテスタントです。そのプロテスタントとして入ってきた宗教が歴史の時間の流れの中で様々に変化・分化して、さらに様々な紆余曲折を経て、現在では多様な宗派として林立しています。例えば、バプテスト派教会、メソジスト派教会、長老派教会などのように分かれています。ただし、これだけではなしに、この分化以外に主流派、福音派、黒人教会などというようにも分かれています。その結果、南部バプテスト連合(福音派)や合同メソジスト教会(主流派)といったように様々な宗派に分かれています。中には米福音ルター派教会(主流派)なんていうのもあります。さらに近年では宗派に囚われないメガチャーチなるものも存在します。このように宗派は非常に複雑に分化しています。この本ではそういった複雑な変遷が鮮明に描かれています。また、この本では、スコープス裁判など歴史的なポイントとなる事件や問題もちゃんと押さえられています。

私たち日本人はアメリカというと資本主義の権化で欲望を全面的に肯定する欲深い国だと考えているかもしれません。しかし、アメリカの宗教という別の側面を知るとそのイメージとのあまりの違いに驚かされると思います。実はアメリカを支えているのは資本主義や合理精神とは別のもう1つものがあって、それが極めて禁欲的で保守的な宗教であることに気付かされると思います。アメリカを知るためにはアメリカの宗教を知る必要があります。この本はアメリカの宗教を知る入門書として最適な一冊だと思います。一読することを強くお薦めします。

なお、自分の整理のためですが、下記に各宗派についてのメモ書きと本書の図表を抜粋しておきます。

バプテスト派教会
バプテスト派教会は人口比で17.2%を占めるプロテスタント最大の教会。さらに、この中の南部バプテスト連合は保守的な福音派に属するプロテスタントで最大規模の教派である。また、米バプテスト教会USAはリベラルな主流派に属する。バプテスト派教会の特徴は洗礼が全身を水に沈める浸礼であること、信仰告白を重視して幼児洗礼をみとめないこと、教会の独立性が極めて高いことであるらしい。

メソジスト派教会
メソジスト派教会はバプテスト派教会に次ぐ信徒数を誇る。特徴は個人の信仰の自由意思を尊重し、悔い改めれば誰でも救われるという救済観、キリストの十字架上の死による代理贖罪を強調する、幼児洗礼も認めることらしい。

その他、ルター派教会、ペンテコステ派教会、長老派教会、回復派教会、米国聖公会、ホーリネス派教会、会衆派教会、など様々な教会・教派がある。

さらに、教会毎に分類するのではなく、政治との関連で分類する見方がある。それが主流派と福音派である。端的に言えば、主流派は世俗に寛容なリベラルであり、福音派は聖書や教義に厳格な保守である。ただし、近年は宗教左派に福音派左派が存在するので、宗教的態度としては保守であっても政治的にはリベラルであるので、必ずしも一般に考えられる保守とは限らない。

主流派
主流派とは多数派という意味での主流派ではない。宗教的・歴史的な意味で主流派という名前になったようだが、その由来はよく分からない。とりあえず、福音派ではない人々と定義するのが分かりやすい。特徴としては概して寛容である。また、隣人愛の実践として社会福祉に強い関心を持つ。聖書の内容を絶対視せず、解釈を加えてゆくことが多く、神学的にはほぼリベラルである。元は概ね共和党支持だったが、1980年以降は民主党に支持が傾いている。ただし、近年は信徒数の減少に歯止めがかからない状況とのこと。

福音派
基本的には神学的な意味での保守派である。ただし、実態は極めて多様である。しかもプロテスタント固有の信仰様式ではなく、カトリックにもまたがっており、教派にも囚われることなく、諸教派に福音派は存在する。例えば、ブッシュ大統領は主流派の合同メソジスト教会に属するが、福音派の信仰を持っている。実にややこしい。福音派の多くは政治的には保守で共和党を支持する傾向が強い。ただし、政治的にはリベラルな福音派も少数ながら存在する。なお、福音派の特徴は外部団体との協力には消極的で社会への奉仕よりは福音を拡大しながら自らの信仰を深めることに強い関心を持っているらしい。近年は信徒数が増える傾向にあるらしい。

原理主義
原理主義者は福音派の中のさらに保守的傾向の強い人たちである。

以上のように非常に入り組んでいて複雑であり、しかも時々刻々と変化するため彼らの位置づけは必ずしも固定的ではなく、流動的である。いつなん時、これらのポジションが変化するか分からないと思います。












2013年7月6日土曜日

マシュー・リーン『ボーイングvsエアバス』

 

今回はマシュー・リーンの『ボーイングvsエアバス』を取り上げます。

この本は戦争を挟んで航空機がどのように発達し、その後、2つの航空機メーカー、ボーイングとエアバスに収斂してゆくかを描き、さらにこの2社がライバルとして如何に競ってきたかを綴ったノンフィクションです。


現在、旅客機と言えば、ボーイングとエアバスの2大メーカーが主流になっています。その2大メーカーがどのように成長し、なぜ生き残ることができたかをその足跡を綿密に追うことによって見事に浮かび上がらせています。また、旅客機とは何なのか、人々が必要としている旅客機とはどのようなものなのかということも彼らが歩んできた足跡を辿ることで自然と分かるようになっています。

ところで、日本の航空機産業はどうだったのでしょう?日本は家電と自動車で世界第二位の経済大国にのし上がりましたが、航空機だけは世界のトップ企業を育てることには成功しませんでした。日本は戦時中は零戦という優れた戦闘機を作ることに成功したにも関わらず、戦争に負けたことによって戦後は戦勝国側から航空機の製造を長らく制限されて、制限を解除されたときには時既に遅く、世界の航空機メーカーから技術力を大きく引き離されて、世界に太刀打ちできる航空機メーカーを育てることができませんでした。なぜ、戦勝国は敗戦国の航空機製造を制限したのでしょうか?その理由は航空機が戦争にとって極めて大きな役割を果たすからです。第二次世界大戦ではっきりと示されたのは戦艦に象徴されるような大艦巨砲主義の時代は終わったということでした。代わりに台頭したのが、空母から出撃した戦闘機による攻撃や爆撃機による高高度からの空爆、絨毯爆撃でした。それゆえに戦勝国は敗戦国が二度と反撃できないように敗戦国の航空機を生産する能力を抑えようと考えたのです。その結果、日本は占領期間を終えて自衛隊を持った後も、自前で戦闘機を作ることはできず、米国から戦闘機を購入するということを長らく続けることになったのです。しかも購入したのは米国の最新鋭の戦闘機ではなしに1つ前の世代のいわば古いタイプの戦闘機だったのです。ともかく、そうした経緯によって日本の航空機産業は長らく低迷することになったのでした。

そうやって日本を含めた敗戦国側の航空機産業を抑制して、戦勝国側の航空機メーカーは順風満帆で成長していったのでしょうか?実はそうではありません。戦勝国の航空機メーカーは航空機メーカー同士で熾烈な争いを繰り広げました。米国にはボーイングのほかにダグラスやロッキードなど手強い競合企業がたくさんありました。欧州も同様で各国間の航空機メーカーで争っていました。そうした激しい競争の中からボーイングが旅客機として抜きん出た企業に成長してゆくのです。一方、欧州のエアバスはボーイングに負けじと欧州各国の航空機メーカーを統合してコンソーシアムという組織体にすることでボーイングに対抗してきました。このように彼らはぬるま湯の中で成長したわけではなくて、激しい競争の中でたゆまぬ努力をし続け、時には合従連衡を重ねたりしながら、2社は育っていったのです。

さて、航空機同士の競争となると私たちはつい、より速く、より大勢の人たちを運ぶことができるというのが競争に勝つ要件かと考えてしまうかもしれません。しかし、実際はそうではありませんでした。例えば、コンコルドです。コンコルドは旅客機で音速の壁を超える初めての超音速旅客機です。しかし、音速の壁を超えるのは技術的に極めて至難の業でした。非常な苦労の末、膨大な開発費と長い時間をかけて開発したコンコルドでしたが、機内は狭くて決して快適とは言えず、さらに燃費が悪い上に航続距離もとても短いなどビジネスとしては極めて不経済な代物でした。結局、コンコルド以後は超音速旅客機は開発されることはなくなってしまいます。コンコルドはより速くを追求しても成功しなかったという失敗事例になってしまいました。では、より大勢の人たちを運ぶというのはどうだったでしょうか?こちらは簡単に想像がつきます。より大きな機体にして客席を増やしても実際に客が乗らなかった場合、空っぽの空席で飛んでいることになります。高い燃料費がかかっているのに空席ばかり運んでいたのではビジネスになりません。乗客で席が埋まってこそ旅客機はビジネスになるのです。したがって、航空機メーカーの競争はいかにビジネスとして優れているかであって、飛行機の能力として速いとか大勢の載せられるとかいった単なる技術力にあるのではなかったのです。(ただし、もちろん、技術力に意味がないと言っているわけではありません。ビジネスに成功するにしても、それを支える技術力が必ず必要だからです。ただ、ビジネスの要件を満たしていなければ、たとえ高い技術力があっても企業は生き残れないのです。)

それから、この本を読むと大きな商談をまとめるビジネスマンたちが次々に登場してきます。航空機販売ですから、一機だけでも極めて高いお金が動くのは間違いありません。しかも、その一機が糸口になって次々に商談が広がっていったりします。そういう男たちの生き様も少し垣間見ることができてけっこう面白かったりします。

さて、私たちの時代は飛行機が当たり前になってしまいました。ちょっと音がするなと思って空を見上げたら飛行機が飛んでいたというのが当たり前の時代です。夜空を見上げてもチカチカと点滅する光が動いているのが見えて飛行機が飛んでいるのだなとすぐに分かります。ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年です。それからたかが110年です。あるいは、ボーイング29、つまり、B29が東京を空爆し、広島・長崎に原爆を落としたのが今から約70年前です。ほんの少しばかりの時間で飛行機が飛ぶのが当たり前になってしまいました。そして、世界の大空を飛んでいる旅客機の多くがこのボーイングとエアバスです。これだけたくさんの飛行機が空を飛んでいるのに見かける旅客機はこの2社がほとんどです。凄いことです。今後もこの2大航空機メーカーが2強であり続けるのかどうかは分かりません。新たな航空機メーカーが対等に競い合える競合企業として熾烈な争いに加わるかもしれません。しかし、たとえ第三のメーカーが加わったとしても、この2社がそう簡単にトップの地位から転げ落ちるとは考えにくいと思います。当分はこの2社が世界の空を支配するのは間違いないと思います。そういう意味では、ボーイングとエアバス、この2社についてどのような歴史を持った企業なのか、知っておくのは悪くはないと思います。

ちょっと文章の締めが上手く締まりませんでしたね。ここはひとつプロの方に締めてもらうことにしましょうか。そう、私たちの世代でジェット旅客機と言えば、城達也のジェットストリーーム♪です(笑)。では、最後までごゆっくりとお楽しみ下さい。


尚、飛行機とアメリカの関わりを描いた歴史書に下記のものがあります。飛行機に焦点を当てて別の角度から見たアメリカ、広い視点から見たアメリカという点で興味深く読める本です。是非、読んでみて下さい。

※なお、この『ボーイングvsエアバス』は2000年に刊行された本です。したがって、若干、現状とは異なっているかもしれませんのでご注意下さい。

2013年7月5日金曜日

キャンベル-ケリー&アスプレイ『コンピューター200年史』

 

今回はマーチン・キャンベル-ケリーとウィリアム・アスプレイの『コンピューター200年史』を取り上げます。


この本はタイトルのように200年にわたるコンピュータの歴史を追った本です。19世紀のチャールズ・バベッジの階差機関から始まり、エッカート、モークリーのENIACを経て、現代のパソコンからインターネットの出現に至るまでのコンピュータの歴史を様々な経路を辿りながら描いた歴史書です。

私たちの時代はインターネットの普及という革命的な激変がありました。よく言われるように、いわゆるIT革命ですが、IT革命というだけではまだ言い足りないくらいです。まさに本当の革命といっていいくらい、私たちの生活を大きく変えました。そして、そこで主役になったのがコンピュータです。コンピュータなくしてはインターネットはありえませんでした。その昔、各家庭の中にモーターがいくつあるかでその家の文明度が計れると言われたことがありました。なぜかというとモーターは様々な家電に使われていたからです。今やCPUが家の中にいくつあるかでその家の文明度が決まるかもしれません。もはやコンピュータは私たちの生活に無くてはならないものです。しかし、そんなコンピュータの歴史を私たちは知っているでしょうか?確かにコンピュータの世界はドッグ・イヤーと言われるように普通の時間よりも4倍早く時間が進むと言われています。それだけ目まぐるしく進歩してゆきます。また、ムーアの法則と言われるようにCPUの性能は18ヶ月で2倍になると言われています。それだけ性能自体も一世代前とは比べ物にならないほど短い時間で良くなります。そのため、私たちはついつい短いスパンでの変化に気を取られがちです。そのため、コンピュータの歴史という長いスパンではあまり意識してこなかったように思います。コンピュータがこれだけ私たちの生活に必要不可欠な道具であるにも関わらずです。そういう意味でこの本を読んでおくのは極めて有意義なことだと思います。コンピュータの歴史を知ることでコンピュータの全体像が浮かび上がってきます。そして、コンピュータの歴史という全体像を知ることでコンピュータを俯瞰して捉えることができるようになり、今まで見えなかったことが見えるようになると思います。

さて、読んでいて面白かったのはコンピュータは英米で発達したという点です。最初は英国で発達し、後に米国で急速に普及します。つまり、近代化と歩調を合わせるように発達していったのだと思います。まあ、当然といえば当然なのですが。最初は対数表の計算が必要でコンピュータを必要としました。なぜなら、世界の海を支配した大英帝国が正確な航海表を必要としたからでした。そして、手形交換所の煩雑な計算もコンピュータを必要とした理由に加わります。つまり、資本主義がコンピュータを必要としたのです(*1)。また、コンピュータが普及した大きな要因は事務機器の機械化にありました。事務機器の機械化を好んで進めたのが米国で米国は何に対しても機械化好きなようでした。もちろん、米国が近代工業化してゆくのとコンピュータの発達がちょうど重なったこともあると思います。(ただ、初期のコンピュータの発達の歴史は単線的なものではなくて、様々な方面からそれぞれ発達してきたと思います。)事務機器の機械化で飛躍的な発展を遂げたのがIBMです。元々は文房具の会社でしたからね。それが元となってメインフレームとして事務機器に長らく強い影響力を残しています(*2)。とにかく、最初に世界の工場といわれた英国で発達し、第二次世界大戦後に工業国としてトップに立った米国で発展・普及していったのです。もちろん、戦争も大きく影響はしています。何より弾道の計算がコンピュータの開発が急がれた理由ですし、ENIACの開発にフォン・ノイマンが加わったのも戦争の影響からですし、英国でEDSACが作られたのもチューリングの暗号解読機ボンベという下地があったからだと思います。また、リアルタイムシステムの開発も元はと言えば戦闘機のパイロットを養成するためのシミュレータの開発が始まりでした。こうやって見てみると資本主義と戦争がコンピュータを発達させたと言っていいかもしれません。(ただ、それだけではなしに思考のスタイルも関係しているように私には思えます。極端な言い方ですが、英米哲学だからこそコンピュータが発達したのではないかと思えます。逆に大陸哲学、構造主義ではコンピュータは発達しなかったのではないかと思えます。この辺りはまた別の機会に考えてみたいと思います(*3)。)

さて、一方、ソ連ではどうだったかという疑問はありますが、本書では分かりません。本書ではまったくソ連は出てきません。ただ、ソ連はFAXですら使用するのを禁止したという話を聞いたことがあります。FAXによって危険思想が伝播してゆくのを恐れたらしいのです。そんなことを考えると今のインターネットなど到底不可能だと思ってしまいます。現在でも多くの強権的な国の政府がSNSを使うことを嫌がっているのを考えるとソ連がFAXを禁止したのも分かる気がします。ただ、ソ連の科学技術は進んでいた面もあったと思います。ロケットや戦闘機などを見ると凄いなあと感心します。制御工学が発達していたのでしょうか?それにソ連水爆の父のサハロフ博士なんて人もいますから、決して劣っていたわけではないと思います。しかし、やはり、経済体制にムダが多かったのではないでしょうか。物資が不足して常に行列ができているにも関わらず、その裏では物々交換は恒常的に行われていたというのですから、経済体制に問題があったのではないかと思います。ただ、別に経済が世界で一番でなくても、多少、経済的にルーズでも、ブータンのいうGDH(国民総幸福量)のように幸福度が高ければ良かったとは思いますが。

随分、話が脱線してしまいました。あ、そういえば、コンピュータの発展は英米における統計学の発展とも関係がありそうな気がします。この辺りも一度調べてみる必要がありますね。

とにかく、本書はコンピュータの歴史ですが、コンピュータサイエンスの歴史ではなくて、産業の面から見たコンピュータの歴史といった方が近いかと思います。しかし、コンピュータの歴史の全体を俯瞰するという意味では本書は最適だと思います。確かに個々の細かい要素、例えば、ハードウェアの発達史やソフトウェアの発達史、CPUの発明やENIAC開発秘話、暗号解読の歴史など様々なコンピュータに関係する要素があるとは思いますが、それはまた個々のプロットとして別に勉強すればよいと思います。とにかく、全体像を掴むという意味では本書を読んでおいて損はないと思います。(ただ、少々、読みにくくはありました。より整理された本があればそちらも読んでみたいと思います。)

(*1)資本主義の起源は株式会社であり、株式会社の起源は胡椒を求めるためにイタリア商人たちが出資して航海に出したのがはじまりでした。つまり、大航海時代を可能にしたのは株式会社制度でした。そして、英国を大英帝国にまで押し上げたのはインドでの交易でした。さらに言えば、インドの木綿を織る自動織機の開発が産業革命の始まりでそこから蒸気機関を動力とする発明が生まれますし、バベッジの階差機関も自動織機から発想を得ているといえなくもないと思います。

(*2)昨今はすべてPCもしくはクラウドに置き換わったかもしれませんが、現状はよく知りません。

(*3)1946年にメーシー会議(通称サイバネティクス会議)というのがあって、そこでフォン・ノイマンとノーバート・ウィナーがそれぞれ講演をしているのですが、二人の講演は非常に対照的だったそうです。ノイマンはいわゆるノイマン型コンピュータの話をしたのですが、ウィナーはサイバネティクスの話をしたそうです。現在、コンピュータはノイマン型で進んでいるのですが、(この後に「限界自体はチューリングが計算可能性として既に示しているわけで」と書こうと思ったのですが「あれ?違ったっけ?」となり実際はどうだったかを忘れてしまったので、急いで調べてみたのですが分からず手元に本もなく時間もないのでまた後日改めて勉強し直すということで、とりあえず、ここは読み飛ばして下さい。トホホ。(T_T))、今後はウィナーの言っていたサイバネティクスに可能性があるかもしれません。といってもまったく未知なのですが(爆)。ともかく、英米哲学的な思考スタイルでないものの可能性としてサイバネティクスのようなものもあるかもしれません。いや、サイバネティクスだけに限らず他にも別のタイプの非ノイマン型コンピュータがあるかもしれません。そして、まだ別の知の可能性があるのかもしれません。・・・あわわ。話がこんがらがってきました。真空管のような私の頭ではもはや限界・・・。やはり、この話はまた別の機会で・・・。