2023年2月26日日曜日

NEWS2023.02


1月30日(月)
私にはとても参考になる記事だった。ラディフェミの一翼を担う北原みのり氏の輪郭が少し見えてくる気がした。

2月1日(水)
はっきりと原発国債と言えばいいじゃん。次は防衛国債もするんだろう。この国の愚かさが凄いなあ。東芝が原発を1円で売ったけど、そのうち日本を1円で売るようになる日が来るだろう。

私は容疑者が自殺することをまったく予想していなかった。私の考えが浅い・・・。動機が分からなくなったのは残念だし、死んだことも残念だった。もちろん、犯人の暴力は許されるものではないが。



三浦瑠麗女史にまつわる太陽光発電の話。


2月3日(金)
あまりの発言に驚く。たとえオフレコであっても、これはさすがに許される発言ではないので公開したのは正しい。それにしてもこのような人物をよく秘書官にしていたと呆れる。育休中の学び直し発言もそうだが、現実とあまりに乖離していると思う。ちょっとヤバいと思う。

あっ。撃墜したんだ。

2月4日(土)
キャラとテンプレの話は興味深かった。人々の意識を変えるのが難しく、現実的な政策をとる話は勉強になった。ところで、私は、日本のテレビが生み出したお笑い文化がここに来て、いろいろと問題を生み出していると思うようになった。まあ、ここ何年もテレビは見なくなっているのだが、私の周囲の人々を見ているとかなり悪影響を受けていると感じるひとがいるのだ。ただ、若い世代になるとだんだんテレビ離れが進んでいるので、そういった悪い慣習は消滅するかもしれない。

2月5日(日)
悪い意味で共産党らしい。以前から指摘されているが、日本共産党は党内でいろいろな多様な意見・異論を認めない。党内で意見を一致させている。結局、日本共産党は全体主義だと思う。宗教的な団体とほとんど変わらない。それは違法ではない。そういう思想に共感するひとが自主的に集まって政党を作るのは自由だ。しかし、外部の人間、市民の立場の人間が見れば、それは恐ろしい集団だと感じる。結局、共産党はリベラルではない。リベラルと重なる部分があるが、本質的には共産党とリベラルは異なるということだ。もともと、今のリベラルというのは米国の思想だと思う。日本のリベラルは東西冷戦時代の左派がソ連崩壊で崩れて、それがリベラルに流れてきたものだ。だから、元の部分が左翼的なのだ。東西冷戦時代の日本の左派は米国に極めて批判的だった。米国の悪い面ばかり主張して米国のようになってはいけないと言ってきた。米国の悪い面というのは主に米国の保守の面が多かった。米国の良い面、リベラルな面はあまり見てこなかった。見て見ぬふりをしていたのかもしれない。ところが、東西冷戦が崩壊して日本の左派の足元が崩れ落ちてしまった。社会主義体制に収斂していくというようなことが不可能になってしまった。行き場を失った日本の左派は一時停滞した。しかし、次第に左派からリベラルへと移行していった。しかし、根本に古い部分、左翼的な部分が残っている。そのため共産党をリベラルだと勘違いしやすい。しかし、根本的に共産党とリベラルは異なる。共産党は米国の良い面をあまり見ようとしない。リベラルは米国の良い面も評価する。もちろん、悪い面も見る。しかし、未来は米国のようなリベラルの先にあると考える。ところが、共産党はそっちに未来を見ていない。おそらく、共産党は未来に社会主義を見ている。おそらくEUや北欧あたりをモデルとして見ているのではないだろうか。ともかく、日本の共産党とリベラルは根本的な部分で異なるということだ。今回の共産党の除名という決定やセックスワーカーに対して性搾取と一方的に決めつける態度はそれを物語っている。共産党とリベラルは政策上重なる部分はあるが、根本の部分ではまったく異なるということだ。共産党は全体主義だということだ。一方、リベラルは多様な世界を理想としている。

2月6日(月)
残念。しかし、1兆円もの開発費が水の泡になってしまった。それにしても、日本の技術開発は、特に官(経産省)の噛んだ事業は、軒並み失敗する。なぜ失敗したのか、検証をして欲しい。結局、日本というのは改善は得意だが、新たに作るとかいうのは本当はかなり下手なんじゃないかと思う。半導体でもなんか力の入れ方が間違っているように思うことが多かった。要は戦略がなってなかったり、ヒト中心で継承とか継続のための記録がまったくなってなかったりと技術とは直接関係ない部分でダメなことが多いように思う。それはどこか日本人の気質と関係しているかもしれない。

大変のことになっている。痛ましい。シリアはただでさえ内戦で傷ついているのに、その上、地震に襲われるとはなんともやりきれない。

2月7日(火)
任天堂は強いなあ。デバイスもソフトも持っている。市場も低年齢層で安定している。世界市場で勝てる要素を持っている。

2月8日(水)
ネトウヨを知ったのは文字情報でのコミュニケーションで変なことをいう輩がいるときだった。しかし、酷いヘイトやお散歩という暴力を知ったのはYouTubeで見たことがキッカケだった。しばき隊が登場したときは正直とても嬉しかった。在特会とかの酷い行為を見て腹が立ったから、カウンターが出てきて本当に嬉しかった。地方に住んでいる私などは、日本の大手メディアでは報じられないので、YouTubeが無かったら知ることはできなかった。日本の歴史や社会を考えるとき、これらのことをどう考えたら良いのか?特に無関心で他人事と考えている層が多くいて、彼らはこれらのことを知らないか、知っても無関心なのでほとんど気にも止めずに自分たちの日常を暮らす。私は保守ではなくてリベラルなんだけど、何かをしないとこのままでは日本の社会が壊れていく一方に思う。

2月9日(木)
たぶん、ダメじゃないかなあ。米中対立で半導体がどうなるか不透明だけど、それだからこそ逆に、米中は日本にお鉢は回せないと思う。

共産党の除名騒動でも思ったけど、日本のリベラルは左派からリベラルにじんわりと移行したひとが多いと思う。そのため、中身がリベラルと左派の違いが曖昧だと思う。実際、似てもいる。米国でもバーニー・サンダースがいて、彼は民主社会主義で、大統領選のために民主党に入ったわけで、元々、民主党だったわけではない。ともかく、日本のリベラルはまず最初に米国の歴史から学んだ方が良いように思う。米国の良い面と悪い面見て、その紆余曲折の道のりを知った方が良いように思う。共産党のように米国の悪い面ばかり強調するのは偏った考えに陥るリスクがある。もちろん、米国にも悪い面、それもかなり悪い面がある。しかし、米国の良い面から学ぶべき点が多いと思う。

それと静かなリベラル化みたいなことが必要にも思う。政治・経済・社会がリベラルにならないとダメなんだけど、ゆるやかで静かなんだけど、じわりと浸透してゆくようなリベラル化が必要だと思う。熱狂とか炎上とか風が吹くとかじゃなくて、穏やかに浸透していくような日常のささやかな運動がいるような気がする。それがなんなのか今は分からない。欧米的なリベラルのやり方も大事だけど、アジア的な日本的なリベラルのやり方もあるんじゃないかという気がする。

2月15日(水)


2月17日(金)
科学技術の開発には失敗はつきものだから仕方ないとは思う。残念だけど。失敗か失敗でないかの議論があるみたいだけど、どちらも似たようなものな気がする。

2月22日(水)
恥ずかしながら、私は山田五郎さんの「今週の五つ星り」のコーナーがとても好きだった。ちなみに山田五郎さんの著書の『百万人のお尻学』も読ませていただいた。大変勉強になった。それまで謎だったお尻に関する知見がこの番組や著書のおかげで分かるようになって大変助かった。お尻に対するモヤモヤしていた謎が解けて安堵できたからだ。その他、電子楽器や地図などマニアックな話がとても興味深かった。NHKのブラタモリもこの番組が発端ではないかと睨んでいる。こういう肩の力を抜きつつ、それでいて素朴な問いに対する答えを探すような番組が無くなることはとても残念だ。『明治事物起原』を継承するような番組だったんじゃなかろうか。もっと風呂敷を広げれば集古会とか内田魯庵的な知の収集的な趣味人の系譜ではなかろうか。フランスの百科全書に対する日本の事物起源という感じ。

JAXA男性のツイートには驚いた。日本人のネトウヨ化が浸透しているんだなあと改めて思った。今回はJAXAだったけど自衛隊なんかは心配される。講演にネトウヨ言論人が多数呼ばれているようだから、自衛隊員のネトウヨ化が進行しているのではないかと危惧している。

『はだしのゲン』については私はあまり読まなかった。学校に置いてあった場合もあるが、歯抜けだったりしたし、あまり話が好きではなかった。原爆の描写が残酷だったからというわけではなくて、ストーリーとかキャラクターが私はあまり好きになれなかったからだと思う。ただ、マンガとは別に映画の上映会が学校であって見た記憶がある。登場人物の全身が被爆で酷いヤケドの痕で生々しいものだった。もちろん特殊メイクだけれど。原爆に関してはドキュメンタリーで酷いヤケドの映像を見たのが印象に残っている。子供の頃の私にはそれが衝撃だったと思う。そういえば、私の子供の頃の戦争の話といえば、太平洋戦争を指していて、空襲と原爆の話ばかりだったように思う。戦争で悲惨な目に合う日本人という話ばかりだった。逆に日本兵が外国で酷いことをしているというのはあまり無かったように思う。一応、前提として日本が悪いというのは背景としてあったと思う。その象徴が日本国内で威張る軍人というのがあったと思う。私が子供の頃はまだ戦争に行ったひとが生きていて、学校で講演なんかしたこともあった。南京大虐殺に加担したひともいて、南京大虐殺について「本当のことは言えんのです。本当のことを言ったら日本人だなんて恥ずかしくて言えなくなるんです」と目に涙を浮かべながら話していた。聴いていた私は「それは間違っている!真実を言ってそれを反省しなければ話が始まらんわ!」と憤った記憶がある。後日、当時通院していたお医者さんに世間話で南京大虐殺について尋ねてみたら、そのお医者さんは南方戦線で出兵していて、戦時中に飢えをしのぐために敵兵の死体から足を切断して持ち帰って食べた話をしてくれた。足のつけ根から切り離して肩に担いで持ち帰ったそうだ。ちなみに白人の足は白豚、黒人の足は黒豚と呼んだらしい。そして、当時、中曽根首相の防衛費がGNPの1%を超える政策について批判した文章を書いた同窓会の同窓誌みたいな冊子を私にくれた。まあ、でも、今の日本人に言っても分からんだろう。当時の日本人は戦争で深く傷つき反省していた。そのお医者さんは曲がったことが大嫌いな性格でハッキリとNoを言う人間だったが、戦争に関しては後悔というのが張り付いていたと思う。とにかく、今の日本人は歴史をうまく継承できなかった。それゆえステップアップできない国民性だと思う。記録を残し過去に学び同じ過ちを繰り返さないように進歩していくのができないんだと思う。残念だけど日本は独特の特殊な道を歩むと思う。それは人類の潮流からは外れてゆく道なんだが・・・。


まとめ
トルコ・シリア大地震で5万人以上の死者が出ているらしい。なんとも痛ましい。

ウクライナ戦争から2年が経過したとのこと。いつまで続くのか分からない。

日本については、リベラル政党が無くなって久しい。保守とリバタリアンが多数派でリベラルは少数派だ。しかもリベラルの中には左翼の残党がいるので、実際のリベラルは想像以上に少数だと思う。この国の政策は尽く時代に逆行するものばかりで、この国はもうダメだと思う。やはり、島国で世界の潮流が見えないことが裏目に出たと思う。基本的には日本から脱出・脱却を目指すのが良いと思う。日本社会をあてにしてもダメだ。有志でネットワークを作ることだと思う。そして、日本を変えるために労力を払うよりも、日本から脱出するためにその労力を使う方が得策だと思う。もちろん、日本にも良いところはある。ガラパゴス化したことで日本独特の日本文化を持っている。国としての日本はダメだけど、日本文化を持って日系として他国で日本人村を作れば良い。人類社会に日本的要素をそうやって付加すればよい。国としての日本は低落していくし、国にベッタリとくっつく日本人もヒトとしてはダメになっていくと思う。例えばネトウヨが幅を利かすことができる社会は間違っていると思うはずだ。日本はそんな感じになっていく。もう少し曲がりくねるだろうけど。日本は儒教や仏教も換骨奪胎してその本質を捻じ曲げてしまった。民主主義や人権も同様だろう。『1984』のスローガンみたいなヘンテコな屁理屈がまかり通る国になると思う。外から見れば、滑稽以外のなにものでもないのだが。

2023年1月21日土曜日

NEWS2023.01

 
1月2日(月)
防衛費はインフラ整備のための公共投資とは違うってことかなあ。いくら防衛費にお金をかけても生産性が高まるわけではなく、むしろ負担が重くのしかかるだけということかしら。

1月3日(火)
このPFAS、ビデオニュースで沖縄米軍基地で廃棄された話を聞いてからずっと気になっている。沖縄の海藻類とか食べて大丈夫なんだろうかと。おそらく、かなり薄まるはずだから大丈夫だとは思うけど、やっぱり気になってしまう。日本政府は日米地位協定を改めてほしい。それとも国会で決めればいいのだろうか?

1月4日(水)
予定ではイニシャルのはずが、実際にはフルネームだったという話には驚いた。



1月5日(木)
室井さんには頑張ってもらいたい。

1月6日(金)
一概には言えないけど、一般と比較するとどうも単価が高すぎるってことかしら。どうも会計が杜撰な感じがするなあ。

1月7日(土)
大変勉強になった。宇沢弘文さんだけでなく、竹中平蔵についても勉強になった。宮台さんによるケネス・アローの不可能性定理の説明が分かりやすかった。


今週の私の中のホットな話題はColabo問題だった。とはいえ、私自身はColaboに不正会計があるとは思っていない。おそらく、杜撰あるいは未熟な会計処理があっただけではないかと推測している。貧困ビジネスなどと言われるような悪意ある搾取ビジネスがあるとはちょっと思えない。ただ、対立の構造でちょっと気になると思っている。

以前から言っているけれど保守>ラディカル・フェミニズム>セックスワーク肯定派の関係があると思っている。保守というと範囲が広いのでキモオタと限定していいかもしれない。

ただし、このキモオタという用語はあまり好ましくないと思っている。「キモい」というのはやはり問題がある言葉だと思うからだ。「キモい」という言葉を使ってキモオタを批判・非難したくなる気持ちも分からなくはない。しかし、それによる弊害の方が大きいように思う。多様性を認める社会を是とするなら、「キモい」という言葉は使うのはちょっと憚られると思うからだ。自分が思っている以上に世界は広い。想像以上に多様な人たちが存在する。「キモい」という言葉はそういう想像を超えた人たちを傷つけ、排除に向かわせる可能性が高いと思う。だから、個人的には「キモい」という言葉はなるべく使わないようにしようと思っている。いや、ほとんど使わないようにしようと思っている。なので、キモオタという用語もできれば、他の名称を考えてほしいと思っている。

さて、Colabo問題とは別の、一般的な意味での、キモオタvsラディカルフェミの闘いについてだが、キモオタの方が分が悪いように思う。キモオタの特定の性的嗜好を押しつけるようなものはやはり容認しがたいと思うからだ。とはいえ、押しつけているわけではなく、自分たちだけで楽しんでいるというのであれば、それは個人の自由ではある。私自身が「嫌だなあ」と思い始めたのは、自然科学や工学などの真面目な書籍の表紙に萌え絵が使われ始めた頃だ。内容は真面目そうなのに表紙が萌え絵でゲンナリした。「もっと硬派な表紙にして欲しいなあ」と思ったものだ。しかし、著者の意向でそうしたいというならやむを得ないし、出版の自由だからとやかく言えない。嫌だなと思いつつ、仕方ないと諦めていた。それに漫画コーナーに行くとそういう萌え絵が氾濫していて、そういう嗜好が多数派なんだと思い知らされたりした。(そういえば漫画コーナーには行かなくなって久しい。)そもそも私が若い頃の日本人はロリコンが多数派だった。私はロリコンではないので少数派だった。そんなわけで日本人男性の多数派の性的嗜好というのは萌え絵派なんだと諦めた。ただし、彼らにもそういった性的嗜好が「一般的ではない」という自覚はあったと思う。しかし、次第に「公的な場」に侵食していった。その方が「売れる」という理由で。そして「公的な場」に萌え絵が表示されることで、今度はそれを不快に思う人たちが現れる。それは当然といえば当然の話だ。そして、それがキモオタvsラディフェミの闘いになった。そんなわけでキモオタの方が分が悪い。ところが、逆恨みしたキモオタがラディフェミを攻撃するという愚行に走ったのが、昨今のキモオタvsラディフェミの闘い、本来の問題とは別の、場外乱闘的な、単なる相手に対するイチャモンをつける的な闘い、なんだと思う。とまあ、ここまではキモオタの身も蓋もないショーモナイ話なんだが、ややこしいのがこの後だ。

ラディフェミが敵と見做す者の中にセックスワーク容認派が含まれることだ。ラディフェミの世界観ではキモオタもセックスワーク容認派も同類と見做すようだ。キモオタもセックスワーク容認派もどちらも気持ちの悪い性的世界観を持っていると考えているようだ。逆にいうとラディフェミの性に対する世界観というのはかなり偏狭なように思う。狭い、偏った、限定的な性の世界ではないかと思う。そういう狭い性の世界観なので、それ以外の性の世界観を容認できないために、かなり「保守的」ではないかと思える。自分たちとは異なる、他の性の世界観に対して攻撃的になったりしやすいと思う。ラディフェミの性の世界観だけが唯一の性の世界観であり、それが正しく、それ以外の「間違った性の世界観」を糺すために、法的に取り締まろうとさえしようとしていると思う。ラディフェミの狭い世界観が端的に表れているのが、トランスとの相性の悪さだと思う。ラディフェミはトランスの性的世界が理解できない。そのためにラディフェミとトランスとの間には軋轢が生じやすい。ラディフェミがトランスを自分たちの狭い性的世界観で自分勝手に解釈してしまうために軋轢が生じるのだと思う。ラディフェミの仲間内だけで自分たちの性的世界観を共有しているだけなら問題はないのだが、それを仲間以外のいる世界に広げると途端に摩擦が生じる。ただ、ラディフェミは自分たちの性的な世界観が偏狭なことに無自覚だ。おそらく、その世界観はかなり硬いのだろうと思う。私はラディフェミたちのそういった偏狭で硬質な性的な世界観を変えるべきだとは思わない。ラディフェミのコミュニティの中だけならその世界観でも良いと思う。しかし、それはあくまでもラディフェミの中だけの世界で通用する世界観であって、ラディフェミの外の世界ではそれは通用しないし、それを通そうとすれば問題が生じると思う。ラディフェミの性の世界観は多様性を認める世界では通用しないと思う。しかし、多様な世界の中にあるラディフェミというひとつのコミュニティの中では通用する世界観だと思う。そういうコミュニティがあってもいい。ラディフェミは自分たちのコミュニティを作ることだけに専心して、ラディフェミの世界観を外の一般の世界に広げるのは止めてほしいと思う。ラディフェミのコミュニティを広げる手段として他のコミュニティを攻撃するのは止めてほしいと思う。

一連の騒動の原因はラディフェミが誰彼かまわず攻撃したことが発端にあるように思う。いや、発端というのはちょっと正しくなくて、キモオタの萌え絵が公的な場にまで氾濫してきたこと、それを誰も注意せず野放しにしてきたことに問題があると思う。また、キモオタがそういった注意に反発したことも問題だと思う。公の場に氾濫することは「やりすぎ」だという自覚が必要だと思う。内輪の世界であれば、いくらでもその道を極めるとかすればいいが、公の場では、それは仲間以外のひとの目にも触れるので不快であろうしダメだと気づくべきだ。ただ、ラディフェミもキモオタを全否定するのはどうかと思う。「そういう趣味のひとたちもいるし、仲間内だけで楽しむ分にはかまわない」ととどめておけばいいと思うのだが、「キモオタは撲滅しなければならない」というような全否定するような態度をとるのは問題だし強い反発を招くと思う。さらにセックスワーク容認派を攻撃したのも問題だ。考え方が違うからという理由で貶めるのはあまりにも狭量だ。ラディフェミもセックスワーク容認派も救済という面では似たような共通の目標を持っている。だから、一部では協力できる部分があるはずだ。ところが、ラディフェミは自分たちだけが唯一絶対に正しいとしてセックスワーク容認派を貶めている。そんな偏ったことをすれば救済からこぼれ落ちるひとたちも出てくるはずだ。一連の流れを見ていて、ラディフェミにも反省が必要だと思う。ラディフェミは外の世界が存在することを知り、自分たちと異なるコミュニティも尊重することを学ぶべきだと思う。このままでは「偏狭なラディフェミとは一切協力できない」と他のコミュニティから縁切りされると思う。

1月9日(月)
既視感。米国の連邦議事堂乱入事件と同じ。

インクルーシブにしないとダメだけど、当然、そこで摩擦が起こる。でも、それは乗り越えないといけない障壁だと思う。それに仕事にもプラスになる場合もあると思う。

1月10日(火)
私は今の立憲民主党には期待していないから、こういうこともあるだろうなと思う、くらいの感想だ。

やっぱり、こうなるかなあ。

アニメ『未来少年コナン』の太陽エネルギーみたいでカッコいい。でも、あのアニメの中の太陽エネルギーほど強大なエネルギーではないんだろうけど。

1月11日(水)
ふむ。

殺された側は納得が行かないという気もあるように思う。でも、殺されるだけの理由があれば話は違ってくるが・・・。ちょっと複雑。ノルウェー連続テロ事件で77人も殺した犯人が服役中に大学を卒業した話があって、なんか納得がいかない気分になったのを思い出した。私自身は死刑制度は廃止した方がいいと思っている。理由は冤罪があるから。しかし、ノルウェー連続テロ事件の犯人の場合は冤罪は無いし、精神病が争点となったみたいだけど、77人も殺害した場合は精神病であっても極刑でいいんじゃないかと思う。自分としてもこのあたりはちょっと迷う。

安田さんの「新鮮なビールを冷蔵庫から取り出したような気持ち」に笑った。安田さんにもそういった人間的な感情があるんだなあって(笑)。

結局、仁藤夢乃氏も北原みのり氏もラディカル・フェミニズムの思想が背景にある。ラディカル・フェミニズムは非常に偏った考え方をする思想で、現実を偏った一面でしか捉えないため、偏った現実認識になっている。そして、偏った目標を掲げている。その典型的な例が売春廃絶だ。ラディフェミはセックスワークを認めない。セックスワークはすべて性搾取だと考える。セックスワークを認めないから、ポルノも認めないということになる。ラディフェミは宗教保守と同じような厳格な規範を持つが、宗教保守と違うのは男女平等を強く主張している点が異なる。そのため、宗教保守は売り手(セックスワーカー側)を責めるが、ラディフェミは買い手(客側)を責める傾向がある。一般のフェミニズムは男女平等と考えると思うが、ラディフェミはシス女性中心主義的な、女性優位な傾向があると思う。さらに言えば男性嫌悪的な傾向、男性器嫌悪的な傾向があると思う。推測だが、ラディフェミはゲイやトランス女性に対して嫌悪感を持っている傾向があると思う。ラディフェミが「キモい」という言葉を使うのは自己中心的なシス女性中心主義的な考えに基づいているからだと思う。ラディフェミの考えるシス女性のモノサシから外れた異質なものは「キモい」と決めつけて排除しようという排他的な考えがあるのだと思う。自分たちとは異なるジェンダーを理解しようとしたり共存しようという考えがあまり無いのだと思う。社会は多様な性が共存する場だ。ラディフェミが自分たちの共同体(村社会)を作って、その村社会の中だけで自分たちの秩序に従って暮らしていく分には一向にかまわないと思う。それは宗教保守で言えば修道院にあたる。しかし、そのラディフェミたちのルールを社会全体のルールにまで押し広げようとするのは私は反対だ。ラディフェミたちがやろうとしていることは、宗教で言えばイスラム教徒がイスラム共和国を作るのと同じだ。しかし、日本ではどう考えても不可能だろう。ラディフェミが自分たちの思想を布教するのは自由だから布教を続ければいい。しかし、何度でもいうが私はラディフェミには反対だ。で、ここで話が終わりではない。問題があるのだ。それはラディフェミの運動がセックスワーカーの安全と権利を守るための運動に逆行するというのが問題なのだ。歴史的に、これまでセックスワークが労働と認められず、売春を廃止しようとしてかえってセックスワーカーの安全と権利を脅かす結果となってきた経緯がある。その反省を踏まえて、売春を労働と認めてセックスワークと捉えることで、セックスワーカーの安全と権利を守ろうという運動がようやく広がってきた。近年、宗教の人々への影響力が弱まってきたことも要因のひとつだと思う。ところがそこにラディフェミが現れて宗教保守とは別のアプローチでセックスワークを貶める運動が起こってきた。ラディフェミは売春廃止を訴えているが、結果的にはセックスワーカーの安全と権利を脅かしている。買春側を責めているが、結局、セックスワーク全体にスティグマを植え付けているのと同じだ。宗教保守がこれまで散々植え付けてきたスティグマと同じだ。「もうそういうのは止めようよ」というのがセックスワーク容認の考えだと思う。人間の性欲を容認して売春をセックスワークと捉えて、スティグマを無くしセックスワーカーのみならずセックスワーク全体の安全と権利を認めようというのがリベラルな考えだと思う。宗教保守やラディフェミたちはストイックに生きたければストイックに生きればいい。それは個人の自由だ。しかし、自分たちの偏った潔癖症を他者にまで押しつけるのはどうか。個人の自由の侵害ではないか。リベラルはラディフェミたちを注意し警戒しなければならない。なぜならラディフェミたちはリベラルではないからだ。一見、ラディフェミはリベラルに見える。しかし、実際はそうではない。だから注意や警戒が必要なのだ。そして、ひとつの指標として「キモい」というワードがある。リベラルは「キモい」という言葉をあまり使わない。なぜならリベラルは異質な他者と共存することを考えるからだ。差別を嫌い、多様な社会を目指すからだ。しかし、ラディフェミは違う。異質な他者に対してネガティブな意味を込めて「キモい」と言う。ラディフェミは買春者に対して「キモい」の烙印を押して貶めようとする。かつて売春婦に対して緋文字の烙印を押して貶めたのと同じだ。人間には性欲がある。そしてお互い同意の上でセックスするなら売春であっても問題ないのではないか。私は問題ないと思う。(日本も売春を合法化すべきだと思う。)だからラディフェミがやっていることは時代に逆行することだと思うし、新たな形でのスティグマの植え付けだと思う。繰り返しになるが、リベラルはラディフェミに警戒せよ。ラディフェミはリベラルではない。ラディフェミはセックスワークに新たな形でスティグマを植え付けようとしている。いまのところラディフェミは宗教保守ではないが、思想保守といえる。(もしかしたら、ジェンダー保守、ある特定のシス女性によるジェンダー保守かもしれない。今後、研究やラディフェミの展開次第ではそうなるかもしれない。)そして、ラディフェミを見分けるキーワードは「キモい」だ。「キモい」を連発する人に注意せよ。

1月16日(月)
これまでにない新たな、別な視点での発言をしてくれそうで期待していたのだが、とても残念。そして、彼が鬱を患っていたのも意外だった。議員辞職しても自由な発言は続けて欲しいものだ。

合掌。携帯電話の着信音にライディーンを使わせてもらっていた時期もありました。

GYAOには無料で映画やドラマを観せてもらって大変お世話になった。感謝。NetflixやAmazonPrimeビデオなど動画配信のサブスクサービスが乱立して、日本のGYAOが残れなかったのは残念だった。日本の動画配信サービスで残るのはアダルトビデオだけなのかもしれない。それは文化という視点から見れば、ちょっと寂しい気もする。逆に、日本のアダルトビデオ業界は世界のアダルトビデオ産業でトップになれるようにがんばってもらいたい。そのためには、日本はモザイク規制を止めた方が良いと思う。もちろん、国によってはモザイクを必要とする場合もあるだろうから、そういった国にはモザイク版を提供すればいいと思う。しかし、モザイク無しの国で競争するためには、モザイク規制を撤廃してモザイク無しの作品でチャレンジすべきだと思う。なので、モザイク規制を撤廃するべきだと思う。日本経済のため、日本の産業力強化のために、モザイク規制を撤廃すべきだ。なにより、猥褻という概念がそもそも古くて誤っていると思う。性教育の面からも身体のファクトを見えなくしてしまうのでモザイクは良くないと思う。

1月18日(水)
このような訴訟があったことに驚く。

1月19日(木)
フェイスブック、アマゾンに続いて、マイクロソフトもリストラか。

1月20日(金)
さらにグーグルもリストラ。

ChatGPTって何だろう?


Colabo問題について
①ラディフェミvsキモオタ
最初は温泉むすめ騒動に端を発した仁藤夢乃vs暇空茜の対立だと思っていた。思想的な構図としてはラディフェミvsキモオタだ。最初に仁藤夢乃が温泉むすめを性的コンテンツだとして批判して、それに腹を立てた暇空茜が仁藤夢乃のColaboに対してイチャモンをつける的な批判するという経緯だと思っていた。そして、暇空茜の批判によってネットでColabo批判が広がり、それに対して仁藤夢乃が弁護団を組織して訴訟を起こすという対抗措置をとったことで、両者の対立が徹底的なものになったと思っている。

②ラディフェミvsセックスワーク容認派
ところが、以前からあったのだが、仁藤夢乃などラディフェミによるセックスワーク容認派への批判がこの騒動でも声高に繰り返されたために、セックスワーク容認派も仁藤夢乃らラディフェミの「セックスワークやポルノを廃止する思想」に反発することになった。ラディフェミはセックスワークやポルノを性的搾取だと考えており、それらを廃絶することを目的としている。そして、廃絶するための手法として、買春者にスティグマを貼って社会的な地位を奪おうとしている。端的に言えば買春した男性を侮辱するということをしている。ラディフェミの思想的な背景には男性嫌悪や男性器嫌悪のようなシス女性中心主義というような思想が見え隠れているように感じられる。宗教保守の場合、売春女性がスティグマの対象となり、古くは石打ちの刑や緋文字の烙印を押されるなどの迫害を受けてきた。ラディフェミの場合はそれを裏返して買春男性を責めている点が異なる。他にも異なる点はあるが、宗教保守が女性差別であり、ラディフェミが男性差別とどちらもジェンダー差別であるところは同じだと思う。(これらを差別とまで言い切っていいかどうか私にも迷いがあるが、とりあえず、今回はジェンダー差別としておく。その方が構造の見通しが良くなるからだ。そして細部で多少は修正が必要かもしれないが、大まかな見取り図としては間違っていないように思うのだ。)そんなわけで、ラディフェミの思想やその手法は非常に問題があると思う。ラディフェミはかなり偏った思想ではあるが、個人がどのような思想を有しようとそれは個人の自由だから構わない。私自身はそのような思想は良くないと思っているが。ただし、手法が問題だ。スティグマの烙印を押しつけたり、相手を侮辱するのが正しい手法だろうか。事実に基づいているなら法的に問題ないかもしれないが、虚偽の場合は問題だ。いや、たとえ仮に事実に基づいているとしても、スティグマの押しつけるのが本当に正しいと言えるのか。それは違うと私は思う。そんなわけで、私はラディフェミの思想は偏狭な思想だと思うし、その手法は非常にネガティブな良くない手法だと思う。

③Colaboの不正疑惑
発端は暇空茜による逆恨みだったが、それがもしかしたら瓢箪から駒になるかもしれないと最近は思うようになった。理由は松沢呉一の記事を読んだからだ。元々、松沢呉一もセックスワーク容認派の立場からラディフェミを批判していたのがキッカケだと思う。ところが、暇空茜によるColabo不正疑惑の追及で、いろいろと不審な点が見られるようになった。当初は私も単なる杜撰な会計処理程度のことだろうと思っていたが、どうも理に適わない点が多々見られるようになり、不審に思うようになった。今のところ、不正ではないまでも、活動指針と実態とは違うのではないかという気がしてきている。不正ではないが、看板と実態とは異なっているのではないかという気がしてきているのだ。Colaboが自分たちの活動資金を集めるために自分たちの事業をアピールすることは不正ではない。しかし、資金提供する側が過大に評価してしまうのは問題だ。実態を見極められずに過剰に資金提供してしまうのは無駄遣いになるからだ。もちろん、無駄遣いをゼロにすることなどは不可能だ。だから、多少の誤差はあっても仕方ない。しかし、それがあまりに大きいとさすがに資金提供する側の問題だと思う。どうもその傾向が見受けられるように思う。そんなわけで今後の展開を見守りたい。Colaboの実態が明らかになった時点で人々は判断することになると思う。

1月24日(火)
へえ。

1月25日(水)
以前廃案になった改悪入管法が再び浮上してきた話。油断ならぬ。

1月26日(木)
もっともな指摘だと思う。

1月27日(金)
合掌。

1月28日(土)



まとめ
防衛費といい原発といい、日本は変わらない。そして、止められない。以前に敷かれたレールをひたすら走り続ける。そんなことをしていたら、いつかは崩壊するだろうに。しかし、問題は先送りするのが日本の政治。戦略もなく、とにかく金になる話、利権を作るのが日本の政治。誰も真面目に未来のことを考えない。

日本にはリベラル政党は存在しなくなった。2021年10月31日の衆院選の敗北が決定的だった。その後、自民党と自民党以外の保守政党がじわじわと増える結果となった。立憲民主党も中身はどんどん保守化している。残念だけど日本にリベラル政党が無くなってしまった。また、自民党も含めて政治のクオリティが低下している。原因のひとつは戦後が遠くなってしまったこと、もうひとつの原因は対抗勢力であった左派が無くなって、ぬるま湯につかっていて呆けてしまったのだと思う。その時々の時流に乗った建前を言っていれば良くて、本性はただの利権屋になっている。有権者も自分たちの利権を増やすのに忙しい。政治家が政治家なら、有権者も有権者だ。日本とは、そういう国。

今月はColaboの件が個人的には大きなトピックだった。繰り返しになるが、キモオタvsラディフェミvsセックスワーク派の構図だ。当初は暇空茜による温泉むすめ排除に対する意趣返しに過ぎないかと思っていたが、瓢箪から駒で、Colaboの活動自体がどうも不審な点があるように思えてきた。Colaboが女性支援を盾にして、実際の活動実態とそぐわない資金集めをしている可能性がある。資金集め自体はColaboの自由だが、それに乗せられる資金提供者が問題だ。資金提供者の目が曇っている可能性がある。資金提供者が考えているColaboの看板とColaboの看板の背後にある実際の姿がかけ離れている可能性がある。というのも、女性支援の背景にあるラディフェミの思想がかなり偏った考えに基づいている可能性があるからだ。なんでもかんでも性搾取だと主張して極端な風俗・ポルノ廃止論を唱えている。ラディフェミ内部は一枚岩ではないだろうけど、その思想の一部には、無自覚かもしれないが、女性優位思想、男性嫌悪・男性器嫌悪のシス女性中心主義が隠されているように思う。極端に言えば、男女平等ではなくて女性優位(女尊男卑)を目指している可能性がある。たしかに、これまで性差別によって女性が不利に扱われてきた歴史がある。しかし、注意しないといけないのは、ラディフェミはそれに乗じて女性優位な施策を通してしまいかねないことだ。こういうことを言うと「まさか」と思われるだろうし、昨今の言い方で言えば、「陰謀論だ」と言われかねないと思う。しかし、ラディフェミの思想を見誤ってはならない。かなり危うい思想をラディフェミは内部に孕んでいる。そして、その核にあるのは、おそらく、権力への意志、支配欲求だと思う。

なお、暇空茜に関していえば、リバタリアンだと思う。彼の「認知プロファイリングとは何か」という動画を見たが、成功したリバタリアンに見られる典型的な考え方だった。


2023年1月3日火曜日

22年の振り返りと23年に向けて


1.2022年の振り返り

2022年を振り返るとウクライナ侵攻と安倍元首相暗殺が大きなトピックだった。

ウクライナ侵攻に関してはロシアが早々とウクライナの東半分を占領するかと思ったがそうはならなかった。仮に占領できてもウクライナ国民の抵抗で統治が難しく泥沼化してしまうとは思っていた。ところが欧米の支援で占領すらままならなかった。それどころか現時点ではウクライナがロシアを押し返しつつある。したがって、どこに落ち着くかまったく予測できない。ウクライナは欧米の支援が無ければ戦いを継続することは難しいだろうし、ロシアもいつまでも消耗戦を続けることは不可能だろう。どこかで調停しなければならない。しかし、クリミアやロシア系とウクライナ系の住民が混在している地域ではどちらに転んでも、戦後に混乱や悲劇が生じるだろう。結局、国家に振り回されるのは人々だ。

安倍元首相暗殺に関しては、岸田政権の影の実力者であった安倍元首相がいなくなったことで権力の空白ができた。清和会は後継者を決められなかったし、統一教会問題でそれどころではなかった。宏池会の岸田首相としては、中心に空白のできた最大派閥の清和会とのバランスを取りながらの政権運営になる。安倍元首相が存命中のときの岸田首相は安倍の操り人形だったが、いなくなった今となっては、清和会の合意を取りつけながら自身の政策を織り交ぜつつの政権運営になっていく。清和会としても統一教会問題で疵がついてしまったのでおいそれと選挙で決着をつけるというわけにもいかないし、当面は選挙は無いので時間をかけて失地回復をはかればいいという腹積もりもあるだろう。したがって、岸田も清和会もお互いの顔色をうかがいつつ、お互いの顔を睨みつつ、腹をさぐるような政治になっていくだろう。ただし、岸田や清和会の政治家だけに限らず、今の政治家全般に言えることだが、国の舵取りや国家戦略を本気で考えている者はいない。彼らは権力の座にしがみつき、そこから自身にとっての旨味を引き出すことだけを考えている。防衛費倍増が良い例だ。予算が倍増すれば、それだけ政治家の旨味が増えると考えている。本気で国防のことも考えていなければ、負担する国民のことも考えていない。

さて次に、日本経済に関しては、日本の産業で半導体と家電が没落して自動車しか残っていなかったのが、電気自動車の出現によってついに自動車までダメになってしまうというのが見えてきた年だった。資源の無い国・日本は一体どうなってしまうのだろう。こままでは、とても貧しい国になってしまう。

日本の政治については、私はリベラル派であるので、リベラルの立場で言えば、日本政治がリベラルになることは無さそうだ。私は2021年10月末日の衆院選でリベラルが敗北したことですでに諦めた。与党の数多く失策がありながら、それでもリベラルは勝てなかった。本来なら保守の失策でリベラルは何もしなくても勝って良い選挙だ。ところが、有権者はそうではない選択をした。結局、日本ではリベラルは受け入れられないのだ。そして、2022年は立憲民主党は実質的には保守化していったし、維新が伸びたり、参政党なる保守政党がでてきたりした。自民党がダメだと思った有権者は別の保守政党を望んでいるのだ。結局、日本はほとんどの有権者が保守なのだ。2年前の記事でも書いたが、日本はリベラル派が少数派なのだ。

ところで、半導体が少し変わった動きを見せ始めている。米中対立がもとで、欧米が半導体製造を西側諸国で行おうという動きがある。これは日本にとっては運が良いことかもしれない。ただし、米国としてはかつてのCPUがそうだったようにハイテク部門は外には出さないだろうとは思う。

個人的に記憶に残っているのは、日本の障害者施策に対して国連障害者権利委員会の審査に基づいて国連から出された改善勧告だ。大きなポイントは3つで、障がい者を分離する支援学校を止めてインクルーシブな教育にせよということと、精神障害者の入院が多過ぎるということ、それと障害者権利条約の日本語訳がおかしいということだった。日本語訳がおかしいというのは、極端に言えば、日本の障害者福祉に対する考え方がおかしい、間違っているのではないかということだとも言えると思う。私はこのニュースからダイバーシティとインクルージョンの2つが日本には改めて必要だと感じた。そして、それこそが日本社会が変われるキッカケがあると思えた。


2.2023年に向けて

(1)日本の問題点

日本の構造的な問題については、以前の記事で書いた通りで今も変わっていないが、再度、記しておくと、日本の家族が子供中心の家族形態になっていること、日本の経済制度が既得権益層が有利になるように作られていること(そのため古い産業が延命して新しい産業が育たず産業構造の転換ができない)、中央集権で地方分権になっておらずまた地方分権を補完するネットワークも未発達でムダが多いこと、公文書など記録を残さないことの4つだ。これら日本の問題は今も変わっていない。

さて、どうすればこれらの日本の問題は解決・改善されるのだろう?

(2)家族支援、労動者支援、性教育、市民教育

私が昨年読んだ本で感銘を受けたものにネウボラに関する本があった。ネウボラとは子育てを支援するシステムでワンストップ窓口がありながらバックには様々な専門家が控えていて利用者の問題によってそれぞれ支援するというものだ。支援対象は基本は子育てに関するものだが家族の人間関係など家族生活全般に広げられると思う。ヒトを家族人という立場で捉えて、その家族に問題があればそれをネウボラが様々な専門家を混じえて解決していくというものだ。日本では家族のことはその家族に任せるという習慣があると思う。他人が口出しすべきではないというようなものだ。それは閉じたコミュニティになってしまい、必ずしも幸福なコミュニティになるとは限らない。そこで不満や悩みがある家族人に外部組織であるネウボラが専門知識を活かして支援するのだ。それによって家族生活の満足度を向上させることができると思う。

同じようなことを労働者に対してもできないだろうか?これまで日本は社員の教育・育成を社内で行ってきたし、不安や悩みなど総務部や労組などが担ってきたと思う。日本は社員を労組も含めた会社が丸抱えする仕組みだった。日本は社会主義ならぬ会社主義だった。しかし、今や時代は変わった。正規と非正規で労働者は分断されている。労働者を人的資源と捉えた場合、これまでのように人材の管理を会社に丸投げしていたのでは十分に労働者の潜在能力を引き出せないと思う。さらに制度が複雑だし立場によって制度もいろいろと違ってくる。そして何より閉じたコミュニティである会社は不条理を労働者に強いている場合がある。しかも悪いことにその不条理に所属する労働者がその不条理に過剰適応したりするのだ。日本人の特徴である所属する組織に対する忠誠だ。いや、忠誠というより損得勘定からくる偏狭な利己主義に過ぎない。そういった悪しき習慣を変えるためにも外部とのパイプを持つべきだと思う。ヒトを労働人と捉えて労働人をサポートするネウボラのようなワンストップ窓口を作るのだ。定期的にカウンセリングして、スキルアップやキャリアアップしたいのであればそれを紹介し、労働条件に不満があれば外部の労組や行政に紹介したりするなど、労働人の育成や悩みなど対処できるワンストップ窓口を作るのだ。そうすれば労働者の質も満足度も向上していくと思う。それはひいては日本の産業力の向上につながる。

以上、述べたことは、家族支援、労動者支援という言葉に集約できると思う。ヒトを家族人あるいは労働人と捉えて、外部組織がそれをサポートするのだ。子育て期間だけでなく、生涯そういうサポートを受けてもいいとさえ思う。

さて、その他にも、性教育やシチズンシップ教育を用意すべきだと思う。性教育に関しては家族支援の子どもができる前の支援として位置づけてもいいかもしれない。シチズンシップ教育についてはその地域社会に詳しい人たちに委ねるべきかもしれないが、学校で先生が行ってもいいかもしれない。日本にジャーナリズムを教える専門学部があれば、そこの先生に教えてもらうのが現状の課題なども聞けていいかもしれない。

ところで、日本の学校教育ももっと多様化していいと思う。以前、聞いた話では、デンマークでは、クラス制もあれば、もっと少ない少人数制(10人未満だろうか?)もあり、さらに個人の場合もあるという。そして、そこに障がい者も加えて普段から社会には多様な人たちがいることを知るべきだと思う。そして、組織は閉じるべきではなくて、外部から人を招いて外部からの教育も取り入れていくべきだと思う。日本人は兎角閉じた中で完成度を高めてゆく。しかし、実際は完成度を高めたのではなくて過剰適応しただけに過ぎない。現実は純粋培養が可能な閉じたシャーレではなく、多様で複雑で様々な生き物が往来するジャングルのようなものだ。現実に対応できる人材に育てるためにも学校は開かれた組織であるべきだと思う。

ここまでをまとめると、家族支援、労動者支援、性教育、市民教育がこれからの日本には必要だと思う。

(3)日本と世界について

日本の政治に関しては、リベラル派としては多数派になる可能性が低いと思っている。それでも日本の政治にリベラルが影響を及ぼすためにはどうすればいいかだが、これまた外部の通路を開けておくということになると思う。世界ではリベラルはネットワークを広げつつあると思う。その水流を日本に導き入れることだと思う。言ってしまえば、出羽守になればいいと思う。「欧米では〇〇だ」という風に。日本人は黒船に弱い。同じことを日本人と外国人が言った場合、日本人は日本人の言うことを意固地なまで撥ねつけるだろう。ところが、外国人が言ったなら黙って聞いたりする。そして、大勢が変わったら、ガラッと180度転換したりする。日本人は物事を本質で論理的に捉えるのではなく、空気で捉えて意思決定する。リベラル派の日本人が保守派の日本人に何を言ってもムダである場合が多い。だから、馬鹿にされようと出羽守で囁いてやればいいと思う。まあ、それでもムダである場合が多いだろう。

イメージだが、世界はツリーのような階層的なヒエラルキーとそれを横断するネットワークで構成されるようになる。横断するネットワークはリベラルなものもあれば、そうでないものもある。リベラルなネットワークが今より張り巡らされることによって包括的になって世界は多様性を享受できるようになるように思う。逆に全体主義を補完するようなネットワークが張り巡らされれば世界は多様性を失い、息苦しいものになっていくと思う。そして、その結果、収奪的になって社会は活力を失っていくだろう。米国や中国、EUやその他の世界各国がそういった分岐点にさしかかっている。かつては連合国と枢軸国の戦いだったり、その次は資本主義と社会主義の戦いだったりした。今度はツリーとネットワークのバランスの戦いになる。ツリーとネットワークのどちらかが勝つということではなくて、ツリーとネットワークの組み合わせやバランスが人々にどれだけ活力を与えられるかという戦いになる。


2022年12月31日土曜日

NEWS2022.12


12月4日(日)
精神障害者を病棟に押し込めるのは、日本人が多様性に対して不寛容であることの顕れだと思う。ただし、多様性に対して寛容になるというのは現在の日本人にとってかなりハードルが高いことだと思う。そのハードルを少しでも下げるにはインクルーシブな教育に変えて、子どもの頃から障がい者と共に暮らす習慣を身につけさせることだと思う。これは障がい者に限らず、異なる人種や異なるセクシャリティについても言えることだと思う。そして、自分とは異なるタイプの人たちがこの世界にいることを周知すべきだと思う。この世界、この社会はマジョリティだけのものではなく、マイノリティも含めた多種多様な人々で成り立っていることを知るべきだ。

12月5日(月)
韓国の大学進学率が9割台で、日本の大学進学率が6割台だ。知識社会では個々人が高い専門知識を習得することが大前提になる。英米を除いて、欧州でもその国の自国民ならば大学進学は学費面では容易ではなかろうか?日本もよく考えた方がいいと思う。

12月6日(火)
インクルーシブにすべきだと思う。私は変な話、アニメ『サウスパーク』を見て思うところがあった。インクルーシブに慣れることは思っている以上に容易ではないとは思う。しかし、それは必要なことだとも思っている。小山田圭吾のような、障がい者いじめ問題も生じたわけだから。

12月8日(木)


12月9日(金)
米国の司法はこういうところが凄いと思う。

12月10日(土)
これには驚いた。まさかリーダーになるとは。しかも一匹狼になる可能性もあるというのも驚く。一匹狼はその名前とは裏腹にかなり過酷な生活になると聞いたことがある。だから、リーダーと一匹狼は真逆だと思っていた。それが共にトキソプラズマの影響とは!映画『トレイン・スポッティング』で猫からトキソプラズマが感染して死ぬ人物がいたが、人間の場合は死ぬんじゃなかろうか?あるいは、昨今のイーロン・マスクを見ていると、もしかしたらトキソプラズマに感染しているのではないかと(笑)。

宮台真司さんが出演していて驚いた。今月は宮台さんは療養で無理かなと諦めていたのだが、早々と復帰して本当に驚いた。ただ、少し痩せたのではないかも思う。やはり負傷のダメージがあるのではなかろうか。撮影がスタジオと違う所為でそう見えるだけかもしれないが。本題の話は非常に興味深かった。アマゾンのビデオや今治タオルの件、バングラディッシュの倒壊の話などなど。百均の喩えは分かりやすかった。また、宮台さんの資本主義の話も良かった。

繰り返しになるが、差別には主に人種差別、性的マイノリティを含めたジェンダー差別、障がい者差別の3つが主にあると思う。その3つが象徴的にあるのがナチスドイツだったと思う。ナチスは、ユダヤ人をホロコーストで大量に虐殺したし、長いナイフの夜からその後も同性愛者を逮捕・殺害したし、知的障がい者・精神障がい者も優生運動の名のもと安楽死させたりした。そういった第二次世界大戦の反省から人類社会は人権を重視するようになり、世界人権宣言を採択したり、日本国憲法や韓国やドイツの憲法などでは基本的人権を憲法の筆頭に持ってきたりした。(日本は第1条に天皇を持ってきてしまったが、本来は基本的人権が筆頭である。韓国も主権は国民であると謳った次に基本的人権を上げている。)私たちは第二次世界大戦から何を学び得たかというと人権だと考えてもいいと思う。そして、その人権を踏みにじるものとして差別があり、その差別の三大事例が人種差別、性差別、障がい者差別だと思う。その差別を無くす概念として、多様性、ダイバーシティがあると思う。ダイバーシティは自分とは異なるタイプの人たちがいて、その人たちも含めて社会を構成していると考えることだと思う。異なるタイプの人たちと共存していくのがダイバーシティだ。自分たちだけのルールではなく、異なるタイプの人たちのルールも認めていくのが重要であり、そこに摩擦が生じるのだとも思う。異なるタイプの人たちと一緒にいることは居心地が悪かったり、気味悪かったりするかもしれない。そういったネガティブなものも努力すれば拭えるものもあれば、いくら努力してもずっと拭えないものもあるだろう。そういったものを抱えながらも、共に暮らしていくのがダイバーシティだと思う。ダイバーシティというのは容易なことではないし、カッコいいだけのものでもない。しかし、人類社会の未来はその険しい道の先にあるのは確かだと思う。

12月12日(月)
調査対象は先進国ではないのかなあ。だったら肥満や喫煙は20世紀と比較すると減少しているのではなかろうか?肥満や喫煙が精子数減少の原因とは違うような気がするのだが。

12月14日(水)
問題は米国の最高裁だよなあ。



12月17日(土)
お疲れ様と言いたい。

最初に増額ありきで政策は後づけ。要は利権。金、金、金の世界。そのことに対して国民も怒らなくなったし、関心を持たなくなった。政治に対する関心が無く、政治に対する知性が低下した。もうね、没落している国の国民は民度が低下するということの分かりやすい事例だと思う。

防衛費を倍増するなら米軍基地を日本から一掃しておもいやり予算なるものも終わらせるのが筋だろう。ところが、それすらも日本人は変えたくないというのが本音なんだろう。理由は「変えるのが嫌だから」という日本の惰性。もうね、早めにこの国に見切りをつけた方がいいと思う。この国の未来は相当ヤバい。まず、個人の貯蓄の通貨を円からドルとかユーロに変えた方が無難な気がする。

12月18日(日)
こういうのは氷山の一角だと思う。ただし、必ずしも攻められるべきものだと言い切るのもちょっと違うという気もする。障がい者と性の問題は個別の事例で個々についてそれぞれかなり考えないといけないと思う。やっぱりインクルーシブな教育を導入しないとダメだと思う。でも、日本人にとって障がい者を社会に受け入れるのは移民を受け入れるよりもカルチャーショックが大きいという気がする。

12月19日(月)
メタバースをフェイスブック一社(今はメタ社か)だけで独占しようとするのが間違いなんだと思う。

どうなんだろう?



12月21日(水)



イーロンなあ。


12月24日(土)


12月25日(日)
松沢呉一さんがColabo✕暇空茜の件でColabo側を批判している。真相はどうなんだろう?前にも書いたけど、保守>ラディフェミ>セックスワークみたいな流れがあって、ラディフェミが保守に反発しつつ、一方でセックスワーカーを貶めるみたいな感じになっていると思う。ただ、問題になっているのは会計上の不正疑惑であって、そこはテクニカルなのでよく分からない。よく分からないけど、こういうのって不正なのか事務的ミスなのか、グレーなんじゃないかなあ。税理士さんでないと分からない気がする。

12月26日(月)
杉田水脈がようやく更迭された。やれやれ。

12月28日(水)


12月30日(金)
昔、ファッション通信という番組があって、そこで彼女のデザインを見たことがあった。なかなか刺激的で良かった。合掌。

12月31日(土)



まとめ
防衛費倍増が中身が議論されずに財源だけが議論された感がある。そして、国民が無関心な気がする。もちろん、当面、選挙が無い所為ではある。ただ、私が知っている以前の日本人なら大騒ぎしたと思うし、みんな、自分の頭で考えたと思う。ところが、今の日本人は自分に関わることだけに関心があって、それ以外は無関心になっていると思う。政治なんかは無関心なジャンルの象徴になっていると思う。

円安が思ったよりも進まなかった。私の予測が外れて残念な気がする反面、とりあえず物価上昇がこの辺りで止まってくれて良かったとも思う。

杉田水脈女史が政務官を辞任して良かった。しかし、そもそもこういう差別主義者が議員になっていることが間違っていると思う。彼女を選んだ有権者は恥じるべきだと思う。

今後の日本の見通しについては、マル激で宮台真司さんが話している通りだと思う。政治が変わって日本が変わるという流れは無理だと思う。結局、仲間と共に荒野を生き抜くしかないんだろうと思う。

世界の見通しについては、世界はこれまで以上に垂直構造的なヒエラルキーと横断的なネットワークのせめぎ合いになると思う。様々なネットワークが張り巡らされることでシステムがインクルーシブになっていくのが望まれる。ただし、それとは逆に働くネットワークもあると思う。様々なネットワークが連合できるようなコモンウェルス(リベラルな思想やモラル)があれば良いのになあとは思うが、それに縛られるのもかえって悪いことになるかもしれないとも思う。ところで、日本はネットワークはできるかもしれないが、そういうリベラルなネットワークが機能しなくて、むしろネットワークがヒエラルキーを細部まで補完するようなミニ中国になる気がする。ただし、中国はロジックが機能するが、日本は無意識が意思決定を左右するから、変なミニ中国になるように思う。


2022年11月30日水曜日

NEWS2022.11


10月31日(月)
とりあえず、ルラが勝って良かった。

過去最大っすか。

私、障害のある子に関してはアニメ『サウスパーク』を見ていろいろ勉強になったでござる。大変下品なアニメだけれど、大したものだと思う。

11月1日(火)
やっぱり、そうなるよなあ。

インクルーシブになるには程遠い。いや、インクルーシブになってないから、そういう発想になるんだろうと思う。

11月2日(水)
中国のテクノロジー、凄いっす。

東京都庁の件、日本の役人は立派にアイヒマンになれますなあ。「ヒトラーに逆らって虐殺をやらない」なんて発想は日本の役人には無理なんだろう。イサミの話の中で野間氏が軍隊や暴力の話をしていたが、シャーロッツビルの件を思い出した。しかし、武装化する話をあまり公に言うのは憚れるなあ。

11月5日(土)
円安で儲かる企業もあるんだなあ。なるほど連合などもそれに含まれる可能性が高い訳か。それにしても一人当たりのGDPで日本は台湾にも負けたんだなあ。先週か先々週だったかに、宮台さんが懸念してた通りじゃないか。野口先生のインターネットが組織と組織を繋ぐ技術という話は非常に分かりやすかった。それにしても、国が没落する時というのは何もかもがダメになっていくんだなあ。


11月9日(水)
フェイスブックの業績不振が続く。コロナ禍の所為だと言っているけど、メタバースの不振が原因ではないのだろうか?最近、インスタグラムもノイズが多くてあまり好ましくないと感じる。フェイスブック、かなり先細りする可能性が高い。

虎ノ門ニュースは見たことがないが、終わったのは良かった。『仮面ライダーブラックサン』なるものを知らなかったが、いろいろと込められた意味があるのを知ることができて参考になった。


11月10日(木)
エルピーダメモリ、ジャパンディスプレイなど国が支援(産業再生機構)が行ってきた産業再生は尽く失敗してきたと思う。事業が上手く行かず自ら命を絶ったりしたケースもあった。今回もかなりリスクが高いように思う。ただ、今までと少し事情が異なるのは米中摩擦が絡んでいることだ。米国は半導体は同盟国内で賄いたいと考えている。コンピュータは神経に相当するが、そこにスパイが紛れ込んだらどうしようもないからだ。もちろん、経済競争においても半導体は重要な製品だ。もし、私が米国なら、半導体の核は米国内でのみ生産する。あるいはアングロサクソン圏内だけか。日本などは情報が中国に筒抜けになるだろうからあまり信用がおけないし、日本からウィルスが紛れ込むかもしれない。とはいえ、経済的には、そう重要ではない付加価値の低い安価な部分は日本にやらせたいかもしれない。いずれにしても、今までのような杜撰なやり方では日本は世界に通用しないと思う。しかし、日本のそういう企業文化・政治文化・情報文化を変えるのは至難の業だと思える。

11月11日(金)
虎ノ門ニュースが終了したのはこれが原因だったのか。

11月12日(土)
米国の中間選挙、まだ結果は出ていないけど、とりあえずトランプ旋風が思ったほど巻き起こらなくて良かった。キャンセルカルチャーの意味を知れて勉強になった。

円安の件。この週末にかけてものすごく円高に振れた。これはよく分からないなあ。正直、驚いた。さすがに日銀の介入だけではここまで円高には振れないと思う。米の利上げが減速するとの予測が強いということか。なかなか予測するのは難しいし、それが面白いとも言える。とはいえ、日本の産業のことを考えると、日本経済が下降していくのはそう簡単に変わらないと思う。なので、日本が再生するためには、日本は産業構造を変えて、これまでの日本から変わらなければいけないと思う。


世界がとても複雑になってきているのを感じる。知識社会というのは社会が大脳化することなんだろうから、複雑になるのは当然なんだろうとは思う。一方で知識社会以前の社会、工業社会的な近代社会をベースに考えて、それに戻ろうとする人たちもいると思う。それは比較的単純な世界だ。単純なピラミッド構造でスッキリしている。しかし、知識社会では神経網が縦横無尽にあちこちのノードを横断・錯綜するような複雑なリゾーム構造を形成する。結局、炎上というのは古い頭に対して新しい神経網を横断させたときに新しい価値感が生じて、そのことに対して古い頭がショートを起こすようなものだと思える。古い考えを捨てるか、その新しくできた神経網を断ち切るかのどちらかを選択するしかなく、それが闘争を起こしている。SNSは人々の意識をそこへ集める。フェイスブックは内輪向けだし、ツイッターは軽快で軽薄な外向けだ。フェイスブックはひとをコントロールしやすくする。一方、ツイッターはあまり儲けにならないし、デマや悪意が野放しにされやすい。今後、SNSがどういう方向に向かうのか分からない。プラットホームが分散していく傾向にあるのかもしれない。世界が複雑になり多重多層になりSNSが分散すれば炎上も私たちが今思っているほど大きなものではなくなるかもしれない。マスメディアが炎上のサイズを決めるかもしれない。しかし、そのマスメディアそのものに対する人々のサイズ感も縮小していくのではなかろうか。ただし、中国のような社会では国家権力が絶対的な力を持つので逆方向に向かう。結局、自由主義圏では自治でそれぞれの地域コミュニティが決定するようになるのではなかろうか。しかも地域コミュニティに縛られない人が増えていくだろうから、コミュニティの結束力は以前ほどは強くならないと思う。世界は複雑で多重多層で玉虫色で人知では容易に計測できなくなるかもしれない。人と人との繋がりがその人を既定するのかもしれないが、すべてがそうなるとも言えない。

11月13日(日)
ドイツでもそうくるかあ。

11月15日(火)

大量解雇の話の後だから批判をかわすためかもしれないね。

11月16日(水)
世界人口だが、ハンス・ロスリングの『ファクトフルネス』によると、ずっと増え続けるわけではなくて、110億人くらいで頭打ちになるらしい。

だんだん子どもができなくなってくるのだろうか?映画『トゥモロー・ワールド』がそんな世界を描いていたが、そうなってくるのだろうか?そういえば『侍女の物語』も子どもができにくくなった世界だったはず。それにしても、原因は何だろう?ただ、地球上に人類が増えすぎるのも問題なんだろうけど。




11月18日(金)
Googleでも人員削減の話が出ているらしい。メタが業績不振なのはメタバースの所為だと思っていたが、AmazonやGoogleも業績が悪いのだろうか?あるいは、ITで技術革新できることに行き詰まりや翳りが出てきたのだろうか?


円安の件。先週末から円高に振れたままだった。少し円安になったけど140円ちょうどくらい。まだまだ、どうなるかは分からない。

ツイッターが揺れている。イーロン・マスクによって。SNS自体は善でも悪でもない。一方、よく知らないのだが、仮想通貨も揺れているらしい。仮想通貨もそれ自体は善でも悪でもない。ちゃんと使えば世の中が便利になる。しかし、運用する人間に悪意があると問題が生じる。ツイッターにヘイトが溢れるようになったら、ツイッターから退去するしかないんだろうなあ。別のSNSを探すしかない。トランプがツイッターを追い出されたら、自分のSNSを立ち上げたのと同じだ。正義が必ず勝つわけではない。そのとき強い方、多い方が勝つという感じ。そう考えると虚しい。

日本人の多数派ってヤバいんだろうなと思う。しかし、少数派であることを宣言すると凄まじん同調圧力で多数派が少数派を潰しにくると思う。少数派は連帯することが大事だと思うけど、その一方で正面から戦うよりも側面から戦う方が良いかもと思ったりもする。それは情けないことではあるけれど、圧倒的多数派の前で少数派はそうせざるをえないのかもしれないとも思う。とにかく、日本の外部と繋がっておくことが大事だと思う。日本の外部と繋がっていれば、日本の多数派とてそうおいそれと少数派を潰せないという気がする。

11月22日(火)
残念。宇宙開発に失敗はつきものなので仕方ないか。

マイクロソフトのメタバース事業が手堅いのかどうかはちょっと疑問があるけれど、全体としてマイクロソフトが強いのは確かだと思う。Googleが期待を裏切り続ける一方で、かつて批判の矢面に立つことが多かったマイクロソフトが逆にユーザの支持を集めるような施策をとることがここ何年か多かった。フェイスブックが失墜しつつある今、フェイスブックと入れ替わりにマイクロソフトが入ることで、GAFAからGAMAに変わるのではないかと思う。そもそもマイクロソフトがGAFAに入っていないことの方が本来おかしかったとも言える。GAMA。トランプのMAGAと綴りが似ているなあ。

11月23日(水)
HPも人員削減か。

トランスヘイトの勉強になった。滝本太郎弁護士といえば、私などはオウム真理教事件の弁護士というイメージなのだが。トランスジェンダー問題についてはエミコヤマさんのレクチャーを聴けたらいいのになあ。

11月26日(土)
昨今の中国の動静を考えると何で民進党が大敗するのか実は私にはよく分からないのだ。台湾政治に詳しい人に聴きたいでござる。

宮台さんのリベラルの話は大変勉強になった。ところで、アメリカのナショナル・アイデンティティはサミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ』で指摘されているアングロ・プロテスタント文化のことだと思う。ヒスパニック人口が増えることでそれが脅かされるというのが一番大きいのではないかと思う。

サッカーのワールドカップが始まったらしい。元々、サッカーに興味は無かったが、今は以前以上にサッカーを見なくなった。なので、ドイツvs日本も見なかった。それに私はそもそもワールドカップだからといって日本を応援することも無かった。私が好きだったのはドイツだったり、アルゼンチンだったりだった。あるいは韓国。韓国のカウンターからの総出の駆け上がる速攻は見ていて面白かったし、ドイツのショットガンのようなヘディングや力強いシュートは気持ち良かった。アルゼンチンの中盤のパス回しは器用で美しく本当に芸術的だった。ところが日本のサッカーときたら、守備的で面白くなかった。ゲームは攻撃しないと勝てないのに、守備の時間の方が長い。サッカーというゲームは得点も少なく、観客は非常にストレスが溜まる。だから得点したときの興奮も大きくはなる。しかし、負けるとストレスが溜まったままだ。守備ばっかりでウジウジしたプレイをした挙げ句、最後まで全然得点できないとストレスが大変大きくなる。なので、私は日本のサッカーが好きではない。日本のサッカーは守備ばっかりで、相手が攻撃に寄りかかりすぎてポッカリ空いた隙を突くというサッカーに私には感じられた。そのため得点しても日本の攻撃の仕方がショボいと感じられるのだ。そんなわけで私は日本のサッカーを見なくなった。日本のサッカーは私の好みではないのだ。ちなみにアメリカのサッカーは面白いと思ったことがある。どこが面白いかというと粘り強いのだ。意外と最後まで諦めない。ブラジルのサッカーもあまり好きではない。彼らはサッカーに慣れているからなのだろうけど、私から見るとダラケているように見える。しかもファウル狙いの痛がる演技が酷い。大の男が大げさに痛さをアピールしていて嫌だ。もちろん、本当に痛い場合もあるだろう。選手生命に関わる怪我だって多いわけだから。それでもやっぱりアピールのための痛がりが多過ぎる。ああいうサッカー文化は私はあまり好きじゃない。そんなわけで最近はあまりサッカーを見なくなった。

円安の件。140円前後でほぼ止まっている。日銀が介入しているのか、米国の金利政策の所為か、おそらく、その両方だと思う。いずれにしても、日本の産業の競争力がどんどん落ちていることに変わりはない。競争力を高めるために産業構造の転換を進めるしかないのだが、日本の政治がそれを阻んでいるのだろう。政治が変われないのは民主主義国の場合は国民に責任がある。

米中経済戦争の件。半導体が米国と中国で分断されつつある。究極的にはCPUが米国製と中国製に分かれることになるのかもしれない。それがさらに推し進められれば、OSが米国製と中国製にさらに分かれるのかもしれない。中国経済の影響力が大きいので東アジアでは中国市場を無視できないかもしれない。日本や韓国はどちらを選ぶのか選択を迫られる日が来るかもしれない。21世紀はオープンソースで世界中のエンジニアがLinuxなどインターネットテクノロジーを構築してきたが、今後はそれが分断されるかもしれない。分断は非効率で不合理なことだし、人類の技術の進歩にとっても妨げ以外のなにものでもないのだが。

日本に関しては、最早、復活は無理だと思う。繰り返しになるが、個人としては日本の外部と繋がっていることが非常に大事になってくると思う。日本の中だけを見て育ち暮らしているといろいろ問題だと思う。

11月28日(月)
NHK日曜討論で議論していてほんの少しだが部分的に見た感じでは、ほとんどの与野党が防衛費の増額に賛成していたように思う。ただし、財源の問題も指摘しつつ。私はそもそも防衛費の増額には反対だ。適切なものに支出されていると思えないからだ。結局、米国の買って欲しいものを買ってきたため、本来の日本の防衛や防災に適したものに支出してきたと思えないのだ。増額ではなく、まず同額で内容の見直しを検討すべきだと思う。
 
日本の少子化は避けられない。

11月29日(火)
命に別条がなくて良かった。しかし怪我の程度や具合が分からないので心配。とにかく、早く回復して元気な姿を見られることを願う。それと犯人が早く捕まってほしい。それにしても、何度も切りつけられて本当に大変だったと思う。宮台さんも人間で不死身というわけではないから、心身に後遺症が残らなければいいが。

11月30日(水)
私のイメージでは創造的破壊という言葉を使った経営者で、この頃はまだ危機感を持っていたと思う。今となっては手遅れで日本の家電・電機業界は没落してしまった。

Colabo仁藤夢乃さんの件だけど、この暇空茜の件とは別に、米山隆一さんや室井佑月さんの件、セックスワークやAVの件で、ラディカルフェミニズムの立場(セックスワークやポルノに反対の立場)で彼らに対して誹謗しているので正直感心していない。本件では女性差別されている側だが、別件ではセックスワーカーやポルノ業界を差別する側に回っているのではないかと危惧している。フェミニストがトランス差別するのにちょっと似ている。なので、やや冷ややかに私は見ている。後半のサイバースペース独立宣言の話は勉強になった。

今週は宮台さんが暴漢に襲われた事件が衝撃だった。

週末は仕事のストレスでダウンしてしまった。インフルエンザ級に身体にこたえた。寝込んでしまった。結局、現場に矛盾が押し付けられて、現場がストレスに晒されるという話。その矛盾を現場レベルでどう解決するかに知恵を絞らねばならない。そもそもは管理側が上流で問題をこちらに回さずに別に置くべきなんだが、頑としてそうしない。そのため現場は矛盾に苦しめられる。

ストレスで頭が回らないけど、今月を振り返ってみる。テック産業が大量解雇をしている。一方、半導体産業が米中対立を軸に再編しようとしている。米国の中間選挙でトランプの人気に少し翳りが見え始めている。アジアではやや中国寄りに動いているのではないかと台湾の統一地方選の結果で感じた。日本は円安が迷走している。もっと円安に進むかと思ったら、意外にも円高に振れた。日本は産業構造の改革が少しは進むかと期待したが、このまま何も変わらずに没落するのかなあと思うようになった。政治も自民党の支持率は下がっているが、リベラルの支持が上がっているわけではない。むしろ、自民党よりももっと怪しい保守政党の支持率が上がる可能性が高い。有権者の政治の知識レベルが低いのが原因だ。今後も知識レベルが上がるとは期待できない。なので、日本は今後も雰囲気政治が続くと思う。「雰囲気的に良さそうだ」というイメージで政治の人気が決まる。そして、意思決定もロジカルでも無いし、意思決定プロセスも記録として残さないのだろう。雰囲気を見て決めていくといういい加減さを続けていくのだろう。もう、個人が頑張っていくしかない。