2月1日
クーデターに驚いた。さらにミャンマーでもスマホとSNSが普及していることに少し驚いた。
インドは民間の仮想通貨を禁止するつもりのようだ。しかし、果たして世界の仮想通貨を実際に止められるだろうか?
日本の電機メーカーが滅んでゆくようで寂しい。
2月3日
ついにジェフ・ベゾスが退任した。Amazonはインターネット通販の先駆けで当初は赤字続きで、途中もけっこう赤字続きと言われ続けてきたと思う。驚かされたのはAWSで知らない間に普及していて、利益の大きな割合を占めるようになっていた。そして、AmazonはGAFAの一角を担うまでになっていた。あのMicrosoftを超えていた。現実は分からんものだ。一方、労働問題ではいろいろと問題が指摘されている会社でもある。
2月5日
これは米国だけでなく、世界各国が貿易収支が悪いのでは?
21世紀の世界情勢がハッキリしてきたように思う。世界は中国と米国の二大超大国の覇権争いになりつつある。特に中国の台頭が著しい。同時に中国はその支配力を世界に浸透させつつある。誰も中国に文句を言えなくなるかもしれない。チベットが蹂躙されたようにウイグルも蹂躙されつつあるようだ。香港ももっと支配されるだろう。一方、米国は国内の分断が叫ばれている。しかし、これは格差問題でもある。元々、米国は格差社会だった。しかし、グローバリズムによって国内の格差が拡大した。その結果、これまで中間層だった白人が貧困層にどんどん転落していった。そのため不満が高まり、現在のような分断が表面化した。これは米国だけではない。日本でも、その他の国でも起こっている。国内の格差が拡大しているのだ。ところが、日本では格差解消のための社会運動が他国に比べると弱い。日本はこれまで労使が協力し合う会社主義の国だったからだ。日本人は会社人間だった。そのため社会運動が起こりにくい仕組みになっている。いや、その他にも、日本人は他国に比べて仕事以外では不真面目な国民性であることも原因だ。デーブ・スペクターがお正月が終わった頃にツイッターで言っていたが、「日本は朝から晩までずっとお笑い番組を流している。お笑い芸人になんて優しい国なんだ」という趣旨のことを言っていた。そう、日本のテレビはお笑いばかりで真面目な番組が極めて少ない。また、街じゅうにパチンコ屋がある。パチンコ屋は賭博場だが、街中いたる所に賭博場がある国も珍しいのではないか?他にもアカウント無しで見たときのYouTubeのトップページが日本だけ不真面目なものが異常に多い。他国はもう少し真面目なものが多いように思う。さらに、野間易通氏が言っていたが、社会運動などのデモでも参加人数が日本だけ二桁少ないようだ。人口では日本のほうが遥かに多いにもかかわらずだ。また、彼はバブル世代の大人がパッパラパーだと言っていたが、私の実感としても同じように感じる。どうも幼稚なのだ。バブルの頃に染みついた考えが抜けていないように思う。先日、ツイッターを見ていたら、中国の深センの工場では「日本からの注文は発注量が少なくて儲けが少ない割に細かい注文ばかりつけてくる。その上、発注してやっていると威張っている。確かにひと昔前は日本から注文が来るのは会社が認められたと喜んでいたが、今は違う」というようなことが書かれていた。日本人は時代が変わったことに気づいていないし、変わった世界に合わせるためにシステムを変更することも行っていない。どんどん取り残されている。自分たちがどんどん貧しくなっていることに無自覚でいる。そして、日本の政治家も戦略が無い。おそらく二大超大国・米中に振り回されることになるだろう。そのしわ寄せは弱者にくる。不満の矛先は韓国に向かう。ところが、韓国の方が一人あたりの豊かさでは、去年、日本を抜いている。不思議なことに嫌韓の日本人はそのことを知らずになぜか見下している。自分たちの方が見すぼらしいのに、なぜか韓国を貧しいと思っている。滑稽な話だ。ま、そこまで日本人というのは世界が見えなくなっているということなんだと思う。さて、世界情勢に話を戻すとロシアは闇だ。プーチンの独裁が甚だしいが、それが永遠に続くわけではない。プーチン後がどうなるか不透明だ。しかし、ロシアの軍事力は侮れない。EUはどうか?EU内の調整が難しいのだろうと思う。英国はどうか?英国は試行錯誤の国だ。英連邦の厚みもある。あちこち軋みはするけれど、日本のような落ち方をすることはあるまい。インドはどうか?インドも着々と力をつけている。南米やアフリカはどうか?いろいろ問題は抱えているだろうけれど、グローバリズムで底上げはされていると思う。引き換えに環境破壊が進むだろうけれど。中東はどうか?米国が邪魔しなければペルシャ勢が力を増すだろう。イスラム教と民主主義をどう折り合いをつけるか難しいところだが。一方、アラブ勢は確たる国家を形成しないと不安定になるリスクがある。サウジアラビアとか意外とリスクがあるように思う。さて、振り返ると、1990年代に米ソの冷戦が終わり、IT革命とグローバリズムによって世界は大きく動き始めた。インターネットとスマホ(あるいはパソコン)の普及によって人々の暮らしは大きく変わった。世界の人口はいずれ110億人になると言われている。グローバル経済によって環境破壊が大きくなるので、グローバリズムの後はサステイナビリティ(持続可能性)が謳われるようになって久しい。そういったグローバルな問題解決のために世界政府の樹立が必要かと思われたし、Googleが見せたサービスがその片鱗にも思えたが、米国の孤立主義や中国の覇道がどうもそういった世界政府の樹立にはまだまだ程遠いのを思い知らされた。H.G.ウェルズは「戦争中はあれこれ反省するが、戦争が終わればそんな反省など嘘みたいに忘れてしまう。実際、第一次世界大戦のときがそうだった」と嘆き、今度はそうならないようにと第二次世界大戦の最中にウェルズは世界人権宣言を構想して、戦後、エレノア・ルーズベルトが世界人権宣言を実現した。戦後の人権はナチスドイツが行った人種差別・障害者差別・性的マイノリティ差別に対する反省から生まれたといっても過言ではあるまい。日本国憲法の第3章の基本的人権もそこに由来している。(本来は基本的人権が憲法の一番最初に来るべきだが、日本は天皇や戦争の放棄が先に謳われている。一方、韓国の憲法は基本的人権が一番に来ている。)中国の覇権が拡大する世界で人権がどこまで守られるのか。また、格差社会の影響で偏狭なナショナリズムが国内で沸き起こる中でどこまで人権が尊重されるのか危惧される。日本は戦略や歴史観の無い国で、皆、無意識で流されている。日本は構造改革ができなかったので、皆、古いシステムで新しい課題に向き合っている。そのために、あちこちで問題が起こっている。問題が起こっても、皆、他人事である。これは昔からのことだ。自分に火の粉がかからなければ他人事なんだろう。そんな日本人の心のよりどころはマネーだ。お金があれば、なんとでもなるという考えだ。確かにそういった側面があるのは否めない。マネーの魔力だ。ただ、昔を知っている人間からすれば、文化が没落していることは間違いない。ネットの普及で情報環境は非常に便利になった。しかし、その反面、国内のコンテンツは貧しくなっていると感じる。いくらお金があっても、貧しい文化しかないのでは豊かな暮らしとはいえない。お金がなんでも解決してくれるわけではないのだ。ともかく、世界は変わった。日本も変わらなければダメだ。同じシステムのままではジリ貧でしかない。いや、同じシステムのままでは、現状維持すら困難で、どん底まで貧しくなってしまう。変わることを模索しなければならない。
2月9日(火)
中国では政府が気に入らないSNSはすぐに排除できる。政府はSNSが民衆の不満を発露する、言論の自由の場であることを敏感に感じ取っており、政府はSNSによって市民が政府に反抗することを恐れている。民主国家では政府が市民を恐れて市民の声を聴いて政策に反映する。しかし、中国ではそうではない。中国では市民の声を潰す。国家権力で市民を押さえつける。結果、市民が政府を恐れる。権力者は安心して私腹を肥やす。
2月12日(金)
森喜朗の失言は昔からで、昔から資質に問題があることは明らかだった。それが今まで見過ごされてきたのは日本社会の後進性だった。ところが、世界が進歩したので日本も世界に合わせざるを得なくなった。オリンピックという国際的な行事だから修正するというのでは、日本の後進性は変わらないだろう。変えるためには教育が必要だ。日本人一人ひとりの意識や知識を変えなければならない。ひと言でいえば、知識のアップデートが必要だ。知識社会では知識の日々のアップデートを求められる。そのためには可処分時間が必要だ。会社人間を止めて、学習のための時間を一人ひとりが確保すべきだ。ただし、そこで問題が生じる。どう考えてもアップデートが困難な人々がいる。高齢者だ。確かに一概に高齢者がアップデートが困難だとはいえない。しかし、多くの高齢者はアップデートについていけない可能性が高い。(もちろん、若くても頭の固いアップデートが困難な人はいる。)十把一絡げは良くないけれど、森喜朗は老害だと言っていいと思う。老害というと高齢者差別だと言われそうだが、若くても柔軟な思考のできない、学んで変われない、アップデートが困難なひとがいて、若くてもそれは老害に類すると思う。私もけっこうな年齢なのでいつ老害になってもおかしくないので、努力してアップデートしてゆかねばと思っている。アップデートが困難になったときは、老兵は去るのみ、と思っている。
日本企業がやれなかったことをNetflixがやってくれる。日本企業も負けずにがんばって欲しい。昔の東映動画は東洋のディズニーを作るという意気込みがあったはずだ。Netflixが取りこぼしてしまう価値観や作法を日本企業が独自にやれればと願う。しかし、経済がそれを許さないか。
Googleがジャーナリズム支援という見方。たしかにGAFAやSNSが大きな影響力を持つ現実で、Googleがお金を出してジャーナリズムを支援する意味はある。ただし、同時にGoogleによる支配がジャーナリズムに広がることにもなる。
2月14日(日)
リスク・コミュニケーションやクライシス・コミュニケーションというものを知らなかったのでとても勉強になった。ただ、民主主義的な基盤、市民社会が無ければ、なかなか機能しないようで、地域社会がほとんど破壊された現代の日本ではなかなか困難だと思った。むしろ日本には、中国のような官僚主導の独裁国家的手法の方が合うような気がして残念に思った。それと日本人の戦略の無さの話やゲームの話、医者と選択肢の話は大変興味深かった。ともかく、日本を変えるには教育だと思う。それも多様な教育だと思う。多様な人材を輩出するためには、いろんなタイプの教育の仕方があると思う。画一的でなく、多様なスタイルの教育。教育をもっと根本的に変える必要があると思った。このまま行くと日本人は人類の進化のレールから外れてしまいそうな気がする。いや、まあ、それはそれで希少価値があるかもしれないけれど。以前、中沢新一さんが言っていたと思うが、「骨董という西洋とは別の価値基準があって」という話があって、確かに何もかも同じ価値基準にする必要はないし、かえってオリジナリティがある方がそれはそれで競争力にもなるとは思うのだけれど、とはいえ、今の日本のモデルは戦後の工業国モデルであって、そういう古いモデルからは脱却すべきだと思う。ところで、話は違うが、トルストイの『戦争と平和』でいかに軍という集団が軍首脳の思ったように動かないかを描いていて、リスク・コミュニケーションも戦争のような短い時間の話ではないにしても、いかに人間の集団が複雑系的な動きをするかに対して、どう対処すべきかというなかなか難しい話だなと思った。分散型の中で個の力を活かすということなんだろうけど、戦時中の竹槍訓練とかコロナ禍の自粛警察とか考えると、むしろ頭の固い人たちによる抵抗が強い気もする。同時に米国とかコミュニケーションが十分にとれる小集団単位を数値的に考えたりしていて、スポーツが盛んなこともあり、得意だろうなと思う。それに対して日本はかなり柔軟性に欠けるような気がする。これって言及しだすと、旧日本軍のころとまったく変わってない日本人のダメさにうんざりするという・・・。とにかく、このまま行くと日本人、ヤバいなと思う。経済力も無ければ技術力も無く、さらに人間としての資質も無いという、世界の劣等生になりそうな気がする。個人としては日本社会の中では異端である方が正しいのではないかという、なんか捻れた自信にはなるなあ(笑)。
2月21日(日)
トランプのアメリカを宗教面から理解するのに大変参考になる話だった。宮台さんのカトリック=普遍という話はなるほどと思った。神保さんのトランプの弾劾裁判の話(←自らは言わない話)は言われなければ見落としていたので良い指摘だった。その他、ZIPコードを使わない話などアメリカを知るためにいろいろ参考になる話だった。
それにしても米国が国内問題ばかりにエネルギーが注がれて、中国やロシアなどの国外問題が疎かになることが心配だ。特に中国の覇権が増大して世界の半分を中国が支配してしまったとき、恐ろしい巨大な全体主義国家(中華帝国)が誕生してしまうのではないかと危惧する。米国の孤立主義がアダになってしまう。世界に民主主義を広めるネオリベは中東に悲惨な戦争をもたらしたが、かといって国連などに非協力的な米国の孤立主義は中国やロシアなど非民主的で人権を軽んじる全体主義的な独裁国家を跋扈させてしまう恐れがある。英米連合やEUは中国やロシアをもっと牽制できないものか。インドが中国の半分くらいと対抗できるようにならないものか。とはいえインドも問題が数多くあるように思う。しかし、時間が経てばインドはそれなりに良い国になるような気もする。翻って日本はどうか?日本にはもはや国際政治に関わるだけの力はないと見る。カナダのようなミドルパワーを発揮できる政治力もない。東アジアで韓国と協力して中国の覇権を抑制する協力体制をとれるかというと、現在の日韓関係ではほぼ不可能だろう。それに日韓ともに中国に経済的に依存せざるをえないのではないか。今の日本に必要なのはワシントン・モニュメントのように積み上げてゆくことだと思う。積み上げながら変わってゆくこと。日本は普遍だと思っているフシがあるが、そうではない。米国と同じように日本を良い国・立派な国にするためにひとつひとつレンガを積み上げてゆく地道な作業が必要だと思う。それは歴史を積み上げてゆくということで、歴史を積み上げてゆくためにはちゃんと記録を残してゆくということ、後世の歴史家がちゃんと検証できるようにすることだ。ホント、基本的なことなんだけど、日本はそこから始めなければならない。
酷い話だ。以前に読んだチベットで中国が行った拷問のやり方にとても似ている。そもそも、以前に聞いたニュースでウイグルでの収容施設の規模の大きさが異常だ。数十万人規模の収容施設だったと思う。そんな規模の収容施設では何が行わているか分かったものではないし、恐ろしく過激なことが行われていても不思議ではない。
少なくとも圧力はかけていくべきだと思う。どのくらい効果があるかは疑問だが、それでも声を上げていかないと。明日は我が身だと思う。
2月25日(木)
人事に介入して圧力をかけてくるのが菅首相の特徴なんだろう。安倍政権のときからずっと続けられていることだが。権力と対峙しないなら、ジャーナリズムじゃなくなる。北朝鮮や中国の政府広報と変わらなくなる。ただ、社会主義国と違う日本がこうなってしまうのは、国民が政治的に堕落しているからだと思う。バブル経済以降、日本人は政治的に呆けてしまたのだと思う。その結果、日本国民の政治を見る目が腐ってしまったのだと思う。社会主義国では政権の強権によって国民は政権に従わされてしまうのだが、日本の場合は日本国民自身が呆けてしまったために政権が腐敗している。国民も政治家も呆けているわけだ。そんな国が沈むのは当然だ。
2月26日(金)
高橋和夫さんの分析が正しいように思う。このニュースを聞いた時、私が思い出したのはオバマ政権発足時にオバマと軍の関係が非常に悪くてオバマが苦労したことだった。そのため、バイデン政権では軍との良好な関係を築くために軍の意向に沿うようにバイデン大統領が司令を出したのではという懸念だった。ただ、この地域ではこれまで米国の政策の継続もあってそう単純ではないなという感じがする。国内外問わず相手もあることだし。いずれにせよ、トランプ政権のときのような場当たりではなく、国際政治が歴史の歯車に従って前進しはじめた感がある。
2月28日(日)
今回は英国のGP制度、家庭医の話で大変勉強になった。以前、見た映画で同様の制度らしきものがチラッと登場したように思う。この制度が日本でうまく機能すれば、現行の状態よりも改善するかもしれない。ただ、日本って市場はあっても社会は無い面があって、うまく機能するかどうか心配ではある。とはいえ、社会保障費がこれだけ財政を圧迫しているのだから少しでも医療費を圧縮して、なおかつ健康の増進に効果があるのであれば、是非、導入できたら良いとは思う。そもそも病気になったとき、自分で何科に行くかを判断しなければならないのはどうかと思う。行った科によって治療方針が決まってしまい、病気に合った治療方針か怪しいときがある。やはり、総合的な視点を持った医師が最初に方針を下すべきだと思う。ただ、総合医というのは昨今では難しいとも思う。最近の医師は問診や触診がいい加減だと感じるからだ。機械による分析に頼りすぎるきらいがある。少ない検査結果から確率の高そうな病気を判断していると思うのだが、問診や触診でより多くの情報を得て、それらも判断材料にできれば良いのにと思う。それにそもそも患者の日常の生活の観察が少なすぎる。普段の患者を知らなくて診断を下している。それはあまり良くないと思う。まあ、医師は忙しいから、そんなことまでやってられないのだろうけど。
まとめコロナのワクチン接種が世界的に始まった。これによってコロナを克服することができるかどうかは今後の経緯を見ないと分からない。できれば克服してもらいたい。多くの人々がコロナで亡くなってしまった。
世界に目を向けると、中国の覇権が拡大している。世界市場に対する中国の企業努力が報われた面もあるが、一方で中国の非民主的な支配が増していくことは恐ろしいことでもある。一例としてウイグルがある。一方で米国でバイデン政権が始動しはじめた。国内の分断を克服するという課題がある一方で、トランプ政権が止めた国際政治を前進させることに期待したい。
GAFAがかつてのような進取の気風がなくなり、安定の大企業化してきた感がある。それは陳腐化でもあるし、これまで勢いに隠れて見えなかった腐敗が表面化してくることでもある。かつてGAFAのようなIT企業を”第5の権力”と言っていたが、実際、SNSの影響はそれをなぞるものだったし、それ以上に『攻殻機動隊』が言っていたようにグローバルにネットワークが張り巡らされて国家を凌ぐ力を持つ存在にさえなろうとしている。今後もGAFAの動きから目が離せない。Microsoftも。案外、GoogleとMicrosoftは合併した方が良い気もするが、反トラスト法に確実に引っかかるから不可能だな。Facebookは個人的にはもう少し縮小して欲しいなあ。
日本についてだが、日本の産業はどんどん競争力が低下している。「資源の無い国ニッポンは技術で食ってくしかない」と私が子供の頃は言ってたのだが、その技術が無くなってしまった。そうなると日本は貧しくなるしかない。日本は工業社会を思い描けても、知識社会を思い描けなかったのが致命傷となった。そんな日本の政治の話はどれもクダラナイ話ばかりで、政治のレベルの低さ、国民のレベルの低さが如実に表れている。国民も政治家もどうして良いか分からないんだろうと思う。そして、問題を直視しないんだと思う。船は沈んでいる。でも、甲板ではみんな宴会をしている。海を見れば、あきらかに船体は沈んでいる。でも、みんな宴会をしているから、自分も宴会をしてればいいやという感じだと思う。
性について。昨今、男社会における女性の扱われ方の酷さが取り上げられることが多いが、女社会における少数派である男性の窮屈さというのもある。「男性を平等に扱っている」という多数派の女性の主張は傲慢だと思う。全然平等じゃないように思う。まあ、完全を求めるのは難しい。世界は広くて様々な世界がある。それはともかく、フェミニズムやLGBTQなどさまざまな立場がある。今、欲しいのは包括的な性の専門知、専門家が欲しい。立場に囚われない性の専門家、性科学者、セクソロジストが欲しい。そこでは知識の深さより広さの方が重要な気がする。曖昧な言い方だし、個人的な感触ではあるのだが。あ、データが大事ってことかもしれない。