2013年7月3日水曜日

デビッド・ヴァイス『Google誕生』

今回はデビッド・ヴァイス『Google誕生』を取り上げます。

本書はGoogleが起業してから2005年くらいまでの約10年間の軌跡を追った伝記です。Googleについて書かれた本はたくさんありますが、この本はその中でも比較的初期に書かれたもので、また最もまとまって書かれた本だと思います。さて、Googleを起業したのはラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの二人です。どちらも両親がエンジニアや科学者であるため早くから知的環境で育っています。そのため物事を道理で考える癖がついており、出会った頃の二人は互いに議論ばかりしていたそうです。そんな彼らがスタンフォード大学の大学院生だった頃に研究のために作った検索エンジンが非常に優れたものでみんなから重宝されてとうとう起業にまで至ります。Googleの検索は他の検索エンジンを寄せ付けない極めて優れたものでした。ネットを使うときに検索は無くてはならない絶対に必要なものでしたので投資家も彼らに目をつけます。しかし、それを収益に結びつける方法がありませんでした。そのため、Googleが起業したての頃はベンチャー企業によくあるように経営は大変で、ラリーとサーゲイの二人はGoogleの投資家を如何に満足させるかに苦労したようです。しかし、彼らは投資家たちを競わせるように駆け引きで切り抜けていきました。そうしているうちに広告という収益を上げる方法を見つけてGoogleの大躍進が始まりました。もちろん、投資家も大喜びです。

さて、本書を読むとGoogleが普通の企業とは全然違うことが分かります。この頃のGoogleは形態こそ企業の体裁をとっていますが、果たしてこれは企業なのかと疑問に思えてきます。Googleの内部はまるで大学院生の研究所といった方がいいかもしれません。やることなす事すべて前例のない度肝を抜くことばかりです。そして、Googleが見ているのはちっぽけなものではありません。彼らが見据えているのは人類とか世界といった大きなものです。決して米国の消費者とか米国内といった目先の小さなものだけに囚われていません。(←いえ、これだって決して小さい訳ではありませんし、決してこれらを軽視している訳でもありませんが。)それにしても、東西冷戦が終わってグローバリゼーションが始まり、地球が資本主義で覆われたとき、資本主義の象徴である米国企業の最先端において、今度は企業とはいえないような新しい形態の組織体が芽吹いてきたわけです。それがGoogleでした。何か歴史の皮肉を感じさせます。(ただし、ラリー・ペイジがCEOになってからのGoogleは普通の企業へと変貌しつつあるようで、私としては非常に残念です。しかし、Googleがその設立当初から持っている「邪悪になるな」という良心はまだ失っていないと私は思っています。)

とにかく、Googleの起源を知りたければ、この本を読むに限ります。もちろん、この本に書かれていない初期の歴史もあるとは思います。ですが、基本的な歴史はこの本で十分に知ることができると思います。なお、この本が書かれた後の歴史も必ず必要になってくるので、この本の続きが待たれます。この本で書かれたことはまだほんの始まりに過ぎないのです。本当の変化はこれからなのです。なので私たちはGoogleから目が離せません。なぜならGoogleを見ることは未来を見ることなのですから。

追記
Googleの検索を支えている技術はラリー・ペイジが考案したページランクシステムという仕組みです。私も仕組みはよく分かりませんが、結局、ページランクシステムを有効にするにはすべてのページを読み込まねばならず、Googleは世界中のインターネットのすべてのページをクローリングという言わば定期的な巡回でダウンロードしています。その量は極めて膨大です。そこでGoogleが考え出したのがパソコンのボードを積み上げてラックのようにして、さらにそれをいくつもコンテナの中に並べてどんどん増やしてゆくというデータセンターという大規模システムです。いわゆるクラウドのハードウェアの部分に当たります。スーパーコンピュータが処理能力の性能を上げるというスケールアップをしているのに対して、データセンターではコンテナを増やすことで処理能力を上げるというスケールアウトをしているわけです。言ってみれば物量作戦です。しかし、このデータセンターが大きく私たちの生活を変えました。ネットが私たちとデータセンターを繋ぐのです。データセンターと繋がることで私たちは強力な性能を持ったコンピュータを個人で持つことを可能にしたのです。さらに端末もパソコンだけでなく、スマートフォンやタブレットに増えました(*1)。さらにGoogleGlassやアイ・ウォッチなんてものも今後は出てくるかもしれません。そのようにしてGoogleは私たちの生活を変えました。そして、Googleはその膨大なデータセンターにありとあらゆる情報を入力して私たちが利用できるようにしようとしています。(*2)人類がこれまで築いてきたすべての情報です。すべての書物、すべての音楽、すべての映画、さらに膨大な遺伝子情報から最新の研究データまで、さらには企業の情報システムを丸ごとなど、ありとあらゆる情報を収納し整理して私たちが使えるようにしようとしています。今まで入手できなかったり見えなかったりした情報をGoogleが私たちに提供することで人類が進歩することを加速しているのです。しかも、その多くは無償で提供されています。今では多くのIT企業が無償でサービスを提供することを当たり前のようにやっています。しかし、これほど大規模に無償での提供を最初に始めたのはGoogleです。他は誰もやらなかったことです。もし、Googleが無償で提供をやらなかったらどうなっていたでしょうか?現在のような便利なネットの世界になっていたでしょうか?それとも他の企業がやっていたでしょうか?それは分かりません。しかし、Googleが無償提供をやったことで大きな穴が穿たれて、多くのIT企業がGoogleに続いて無償提供を始めたのは歴史的事実です。世界を大きく変えたのです。私たちは感謝する必要はありませんが、その事実は知っていてもいいのではないでしょうか。そして、技術は薬にもなれば毒にもなります。ITも同様です。例えば、昨今の米国の戦争で使われる無人機は遠隔操作で使われています。これもIT技術の応用と言っていいでしょう。無人機の活用が果たして是か非かは今のところ分かりません。しかし、そういったことも踏まえた上で私たちはGoogleの行く末を見続ける必要があると思います。


(*1)アップルが開発したiPhoneがこのスマートフォンに相当します。逆に考えるとアップルが果たした役割や歴史的位置づけが分かると思います。アップルはあくまで端末を発明したのであってデータセンターそのものを発明したわけではありません。しかもアップルはiPhoneを使って消費者の囲い込みをやろうとしています。それに比べてGoogleのAndroidはオープンソースで無償で提供されています。オープンソースであるために改変が容易で様々な利用を可能にしています。GoogleとAppleのいずれが人類社会に大きく貢献したのか分かるのではないでしょうか。

(*2)昨今ではGoogleに限らず多くのIT企業がデータセンターで私たちにサービスを提供しています。ただし、データセンターの恩恵を最初に私たちにもたらしたのはGoogleです。確かにASPなど似た概念はありましたが、実際に利用可能なものとして普及させたのはGoogleです。