2010年5月25日火曜日

哨戒艦沈没事件について

1.本当に北朝鮮の仕業だろうか?
例の韓国哨戒艦沈没事件だが、私は必ずしも北朝鮮によるものだとは思っていない。なぜなら、合理的な理由がないからだ。確かに突発的なもので北朝鮮の仕業によるものなのかもしれない。だが、どうも自分でも納得できない。なぜかというと周囲の対応が何か変だ。

2.米国の世界戦略
米国の世界戦略の優先順位でいえば、先のイラク戦争に続いて標的となるのはイランだ。イスラエルを支援する強い影響力を持つユダヤ人が米国に多いからだ。イスラエルがイランから核攻撃を受ける脅威を取り除くために、米国は次の標的としてイランを視野に入れていると思う。だが、もう一方で北朝鮮も標的として考えている。いわゆるブッシュの言った悪の枢軸だ。だが、米国の本当の狙いは北朝鮮ではなく中国だと思う。北朝鮮はその前段階だと思う。また、中国を標的とする大義名分は中国の民主化だ。中国をいくつかに分割するのが狙いではないだろうか。北朝鮮と韓国の間で戦争を起こすことになるのではないか。そのとき同盟軍として米国と日本が参戦するのではないだろうか。中国は最後まで戦争に反対するだろう。朝鮮戦争が起これば、日本も北朝鮮からのミサイル攻撃の対象になるだろう。米国から兵器のオファーがあるかもしれない。TMDなどだ。グーグルマップから北朝鮮の地図が消えて久しい。また、中国も地図情報を政府が取り締まり始めた。地理情報は戦争で極めて重要だ。ちなみに日本は毛利さんが米国に強力したおかげでミサイルでピンポイント攻撃できるだろう。

3.北朝鮮の背景
北朝鮮は武器の輸出の多い国だ。実際は中国の武器を売っている。中国が直接販売するわけに行かなかったので、汚れ役の北朝鮮が売っていたのだ。だが、昨今は中国の武器輸出が目覚ましい。世界の工場になって武器の製造にも拍車がかかったのかもしれない。

4.オバマ政権の後が・・・
オバマ大統領は有権者の期待に応えてイラクから米軍を撤退させる公約だった。だが、その一方でアフガンは増派している。軍需企業には場所は変われど売上は変わらずというわけだ。オバマが米国に新たな医療制度を導入した点は高く評価できるが、軍事には妥協も多い。確かにオバマは核兵器削減に尽力してはいる。だが、それはイランへの核拡散を防ぐ意味合い、イランへの牽制という意味合いもある。それは米国の利害に一致しているから核兵器削減に動いているとも見れる。ノーベル平和賞を受賞したオバマが確固たる理由も無しに戦争を起こすことはまずないと思う。だが、オバマの次の政権は分からない。おそらく、共和党が政権を取るだろうから、どこかで戦争を起こす可能性が高い。そのとき、その標的となるのが、イランか北朝鮮のどちらかになるのではないか。ただし、イランに十分な核兵器があると分かれば、米国もそう簡単に戦争できないのではないだろうか。イスラエルが核攻撃の標的となることを恐れるからだ。いくら迎撃の精度が上がったとしても、やはり、完璧というわけにはいかないだろう。それに核攻撃の手段はいろいろあるだろう。そうなると北朝鮮を先に標的にする可能性もある。先のイラク戦争ではラムズフェルドの高速な進撃によって極めて早くバグダットを陥落させた。その代償にイラク軍も温存されて各地での戦闘が残ることになった。今度、北朝鮮で戦争が起こったとき、米軍が試したいと思っているのは戦術核だろう。

5.東アジアの位置
東アジアは極東地域という世界の最果てにある。世界の中心を米国や欧州とすれば、日本は辺境だ。核のゴミ捨て場にするには最適の位置にある。六ケ所村がその例だ。広島・長崎に核攻撃したのもそういった立地条件もあったと思う。そして、北朝鮮に対して実戦で戦術核の威力を試したいはずだと思う。ただし、戦後のこともあるから戦術核は使わないかもしれない。おそらく、朝鮮半島は統一するのが国際世論が一致するところになるだろう。だが、それに対して中国は介入したがるだろう。中国に介入させないためにも、米国は韓国に北朝鮮を落とさせたいはず。当然、中国軍の介入を許さないだろう。北朝鮮を落とすことで中国を包囲することになる。まあ、国際分業の時代だから、あまり意味はないのだが、軍人の戦略的観点では地理的優位を重視するだろう。ところで、かつての朝鮮戦争で日本は朝鮮特需となったが、今度の朝鮮戦争ではむしろ逆で戦費が国家財政を圧迫する可能性が高い。少し書いたがミサイル防衛のために、役にも立たない戦域ミサイル防衛や迎撃ミサイルを物量作戦で日本海側に並べるかもしれない。いずれにしろ、莫大なコストがかかっても利益は生まないだろう。下手をすれば、財政破綻の引き金になるかもしれないのではないだろうか?それに対テロのために厳戒態勢を強いられることになるかもしれない。原発など各要衝を厳重にテロから守る警備が必要になるかもしれない。また、様々なサイバー攻撃もありえる。

6.中国はグーグルに勝てるか?
話は違うが、グーグルのデータセンターは地球で最も巨大なコンピュータになっているのではないだろうか。これを凌ぐコンピュータシステムを持っている国はないのではないだろうか。もはや一企業ではグーグルに太刀打ちできないのではないだろうか?もしも、将来的にグーグルに対抗できる存在があるとしたら、中国ではないだろうか?中国が国家プロジェクトとして総力を上げて、グーグルを凌ぐデータセンターを作ることでしかグーグルを凌ぐシステムを作る所はないのではないだろうか?そしてグーグルと中国の間でサイバー戦争が起こるかもしれない。例えば、先のキム・ヨナの件で、2ちゃんが韓国からサイバー攻撃を受けて、あえなくダウンした。だが、中国が経済成長して、先の韓国のように日本のサイトを中国が狙えば、その規模の巨大さからいって簡単に日本のサーバはダウンするのではないだろうか。極端な話、中国のサイバー攻撃によって、日本の各主要コンピュタがダウンして、都市機能までもがダウンするかもしれない。もっとも、日本企業が中国の傘下に置かれて、国内から攻撃を受ける内部撹乱によってダウンさせられるかもしれない。(金融システムにおいてシステムのロバスト性は信用問題だ。)

7.日本経済の衰退
話は違うが、日本という市場は旨みがなくなりつつあるのかもしれない。楽天が社内公用語を英語にしたり、ユニクロの社員が外国人が多いのは、結局、グローバルな時代において世界の中で競争して勝てる企業ということなのかもしれない。結局、日本は製造業にも知識産業にも参入できず、停滞したままだ。消費税も15%以上という話が出始めている。そうなれば、世間の雰囲気は大きく変わるだろう。税金の無駄遣いや政治に国民はもっと真剣になるかもしれない。また、もっと窮屈になるだろう。なぜなら、無駄をしなくなるからだ。今でさえ起業が少ないのがもっと萎縮するだろう。それが日本の国民性だ。日本ではシリコンバレーは生まれなかった。日本からはグーグルやアップルは生まれない。日本が知識産業に乗れなかったのも、そういう日本の土壌に原因がある。日本では無理なのだろう。いや、むしろ、世界でも希で米国だけが可能なのだろう。米国を悪く言っても、その米国に勝てないのだ。

8.文明社会の歪み
だが、米国とて良いことばかりではない。産業構造が製造業からサービス業にシフトしたために歪みが生じている。不法移民に対する強い取締など変なことが起こっている。囚人を作り出して、それに群がるサービス業だ。華やかなIT等の高度サービス産業の陰で下位のサービス業では変な事が起こっている。

9.北朝鮮での戦争の可能性
とにかく、数年後に対北朝鮮で戦争が起こることを想定して、いろいろと準備しておいた方がいいかもしれない。私は年齢的には戦争に行くことはまずないが、戦争民間会社とやらで戦地に必ずしも行かないとは限らないだろう。だが、戦術核は無くても劣化ウラン弾でガンや異常児が増えるだろうな・・・

10.民主的な議会のない中国
日本政府と比べると中国政府は米国と互角に渡り合っていると思います。中国は民主的な議会がなく、独裁体制ですから、意思決定力は頑強です。民主主義国は、大統領制であっても、どうしても良くも悪くも議会に左右されますからね。

ツイッターの人気動向について調べてみた

ツイッターの人気動向についてGoogleを使って調べてみました。過去1年間の話題になった頻度を表したグラフです。上のグラフが「ツイッター」で調べた結果で、下のグラフが「twitter」で調べた結果です。おおよそ、上は日本の動向、下は米国の動向と見ることができると思います。今日のニュースでツイッター上での第3者による「つぶやき広告」を禁止する方針をツイッターが打ち出しました。それだけツイッターに対する注目が高まっているのかもしれません。ツイッターはどこまで浸透するのでしょうか。ツイッターは手軽なコミュニケーションツールですが、その一方で口コミというマーケティングツールの側面も強くあります。ブログの場合は一方的な発信が多くなりますが、ツイッターの場合は双方向のやり取りがブログよりは多くなると思います。今後、ツイッターがどのような展開をするのか興味深いですね。


2010年5月23日日曜日

普天間問題その3

憎むべきは米国ではないでしょうか?世論は5月末決着ではなく先送りに傾いていたけど、鳩山首相は5月末決着にこだわった。おそらく、米国と約束していたのではないか。なぜなら、日米合意のテンポが早い。問題はなぜ米国に主導権を握られるのか。弱みでもあるのか?

問題点を日本政府に押しつけるのでは、今までと同じ。問題点をオープンにすべきでは?すなわち、「なぜ、日本はこうも米国の言いなりにならないといけないのか?」庶民感覚で言えば(笑)、「米国の責任者、出てこい!」と言いたくなる。まあ、米国としては日本国内のことは政府と国民でやるのが筋だが。

まあ、結局、日米安保に行き着くのだろうけど・・・。ただ、どうも、日本がこうも簡単に米国の言いなりになるのは何か強力な弱味を握られているのだろうかと思いたくなる。ただし、陰謀論的な不明確な憶測で済ませるのではなく、明確な理由としてはっきりとオープンにすべきではないかと思う。

米国は良い面もあれば悪い面もある。学ぶべき面もあるし、逆に軽蔑すべき面もある。一概にどちらか一方だとは言えない。だが、基地の件については、米国はあまりに傲慢に過ぎる。米国にとって、日本の米軍基地はアジアの戦略拠点という位置づけであって、真の意味で日本を守るというものではない。

最近の東アジア情勢はどうもキナ臭い。米国がオバマ政権の間は東アジアでの紛争はないだろうが、その後の米政権(おそらく共和党政権になると思うが)では、東アジアで紛争が起こるかもしれない。今はその下準備中という感じがしないでもない。米ソ冷戦のように、今度は米中冷戦の代理戦争があるかも。

米国のやり方も強引だが、それでも建前があったと思う。だが、今の中国のやり方は前近代的な大国が小国を圧迫するようなやり方ではないだろうか。中国はあちこちで小国を圧迫している。そこには建前はなく、力のゴリ押しだ。そして、中国はますます強くなっている。いつかは超大国同士が衝突するだろう

「米国と中国のどちらかを選べ」という究極の選択かもしれない(笑)。もっとも中国の巨大資本に日本は内側から支配されるかもしれないが。いずれにしろ、日本経済の復活はありえないだろう。日本は縮退して小国化すると思うが、そのとき、荒廃した国土しか残ってなければ、目も当てられない。

沖縄の基地移転もどこも喜んで受け入れるところはないだろう。米国も日本国内以外のテニアンは受け入れないだろう。もし、移転するなら、政府は候補地を3つほど上げて、国民の同意をうかがうという方法もあった。政府がどれか1つを決めれば角が立つが、候補地3つから国民に選ばせば良かった。

3つの候補地はうちに来ては困るというアピールを国民にすることになっただろう。候補地を選んだ責任は国民自身ということになる。自らは責任を負おうとしない国民や先送りにする政府はどちらもどちらではないのか?そうなれば、じゃあ、何が一番問題なのかとなれば、米国だということに気づく。

また、米国内でテニアンを奨めるロビイストはオバマ政権の足を引っ張りたい共和党支持者だろう。オバマの支配力が問われており、日本も米国に反抗したとなれば、オバマ政権はますます支持率が下がるからだ。まあ、日本がそれを利用するのは自由だが。

いずれにしろ、沖縄の米軍基地は矛先を日本政府に向けるのではなく、米国に向けるべきだろう。ただ、中国の脅威もあるが、所詮、例のガス田での敗北が象徴しているように日本は勝てない。だったら、基地はあっても無意味ゆえ、基地は要らない。なぜ、米国の世界戦略のために基地を置く必要があろうか。

先のツイート、「沖縄の米軍基地は矛先を」→「沖縄の米軍基地問題の矛先」っていう意味。

ただし、日本は本土はともかく国境付近や航行において不利を強いられることになるだろう。まあ、侵略されるってことはないけど、資源や交通が脅かされる可能性は高い。でも、それよりも中国資本によって日本企業が買い占めされて、内側から支配されることの方が問題なのではないだろうか。

ただし、それは別に中国のルール違反ではなく、自由競争の結果であって、強者が弱者を駆逐する資本主義の自然な成り行きで、何も中国を非難するには当たらないだろう。おごれる者は久しからず、というものだろう。

中国がもっと民主化すればいいのだが、中国の中央政府のやり方はそうじゃない。徐々に民度が上がればいいが、国家の中枢が「検閲を是」とするようなナショナリズムでは、いずれその歪みは国民へと伝播して、弱者へとしわ寄せが押し付けられると思う。中国が超大国になるとき、弱者になるのは日本だ。

中国との市民レベルの交流では民主化されているように感じても、いざ、国権が発動されるとき、果たしてどのくらい民主化されているかは疑問だ。果たして、自由を守るために戦えるだろうか?その辺りは欧米の市民は自由を守るための意思は強い。アジアは自ら勝ち取るという感覚が少ないのではないか?

2010年5月18日火曜日

ネオアカの経緯

ちょっと、ここで『雑誌ネオアカ』の経緯というか背景について、若干、説明させていただきます。

雑誌ネオアカはネット上での出会いがきっかけで発行されました。出会った場所は2ちゃんねるの哲学板でした。ネオアカの理念や使命についてはhttp://www.neoaca.com/abouthttp://www.neoaca.com/mission1を参照して下さい。

それで、出会った場所が哲学板であったので、自然とネオアカ初号の対象読者層は、最初から特に強く意識したわけではなく、ちょっと無意識的なんですけど、哲学板を想定したものになってしまいました。ただ、サイトを公開して3週間くらい経過しましたが、哲学板でのネオアカに対する反応はほぼ皆無に近い状態です(笑)。この点は大いに反省しなければなりませんね。何が悪かったのか?(←「全部!」という声が聞こえてきそうですが(笑))公開する前は、あまり長文は避けようと考えていました。というのも、普段でも長文のレスは嫌われるので、できるだけ短くしないと哲学板の読者は読んでくれないと考えたからです。ですので、文章をできるだけ短くしようと努力することにしました。でも、なかなかうまくできませんでした。ただ、ネオアカが読まれなかった原因はもう1つあると考えていて、それは哲学板のユーザがツイッターに移行してしまって減少したからではないかと考えています。実際、ネオアカの登場に関係なく、哲学板のレス数は極端に減少したと思います。

ところで、話は変わりますが、広い意味で、ネオアカには「知の探求」や「世界を良くしよう」という目的があります。これは、別に、ネオアカに限らず、知を研究されていている方々は、みなさん、同じだと思います。中国武術の世界に「武林是一家」という言葉があるのですが、この意味は少林拳や蟷螂拳など武術を学ぶ流派はそれぞれ違っても、「切磋琢磨して強くなろう」という目的は、皆、同じなので、たとえ流派が違っても武術家同士は、皆、家族のように仲良しだ、仲良くしようという考えです。私は知の世界も、この武林是一家と同じで、目的は「知の探求」や「世界を良くしよう」という目的は同じなのだから、知林是一家ではないですが、皆、仲良くして、互いに切磋琢磨したり、助け合ったりできるものだと考えています。とはいえ、武術の世界でも他流派との諍いは多いのも事実です。何かと言うと互いの武勇を競って「どちらが強いのか?」などと喧嘩のような試合をしたりします。そういう喧嘩は良くないと私は思います。ですが、切磋琢磨する意味で試合というのも無益ではないと思います。そういう意味での試合なら向上のために良いと思います。知の世界においても、批判というのは互いの向上に役立つものだと思います。とはいえ、批判されて学ぶことも多い一方で、人間は感情を持っていますから、不愉快なことも多いと思います。武術では、「礼に始まり、礼に終わる」ようにして、試合に遺恨を残さないようにします。試合中は一生懸命戦うけれど、試合が終わったらオフサイドの精神で互いに向上に努める学友同士といったところです。ですから、批判において手抜きするのは試合で手抜きするようなもので相手に失礼かもしれません。しかし、いったん、試合が終わったら、試合のことは、全部、水に流して、互いの健闘を称えるものだと思っています。ここで、最初の2ちゃんねる哲学板の話に戻りますが、本来なら、ネオアカの記事で批評さえていただいた方々に礼を言うのが礼儀だと考えていたのです。

ですが、2ちゃんのユーザを対象読者層に想定してしまったために、感謝の言葉を早々に言ってしまうと、プロレス的というか、祭的というか、そういう盛り上がりに欠けてしまうのではないかと愚考してしまいました。そういう理由もあって、実は最初に、批評させていただいた方への感謝の言葉を挿入する予定だったものを編集の段階でいったん削ることにしました。そこで、ここで改めて、お礼を申し上げさせていただきます。東浩紀さん、斉藤環さん、宮台真司さん、酒井泰斗さん、本当にありがとうございました!!!

それから、私の書いたレビューで引用させていただいたiwatamさんは、私が勝手に引用させていただいただけですので、特に私どもと関係あるわけではありません。iwatamさんのサイトで公開されてい文書がフリーでしたので引用させていただいた経緯もあります。一応、iwatamさんには引用させていただく件に関してはご本人に連絡させていただきました。iwatamさんからはフリーなので自由に使っていい旨のお話をいただいています。ただ、私の解釈が間違っているかもしれませんので、iwatamさんのサイトを合わせて読まれることをお奨めします。

iwatamさんのサイト『ネット世代の心の闇を探る』
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/index.html

iwatamさんを引用した記事レビュー『神話が考える』
http://www.neoaca.com/review

以上、とりあえず、思いつくままに書いてみました。ちょっと長くなってしまって申し訳ありませんでした。

福嶋亮大×浅田彰「『神話が考える』をめぐって」

昨日、京都造形大で福嶋亮大さんの『神話が考える』の講演があり、浅田彰さんとも対談されたようです。

右のURLはまとめ記事です。 http://togetter.com/li/21816

これを元に少し感想を述べてみます。

『神話が考える』では事実性や近接性を出すために、作品においていろいろな工夫がされているのですが、それは置いといて(笑)、まず、「事実性」は「事実らしさ」であって「事実」ではないということは注意しなければいけないと思います。それが分かっているという前提でちょっと話します。

浅田彰が「クールな学会発表にしたい」と言って「モダニズムのクールさにこだわりたい」と言ったのは、この『神話が考える』に対するひとつの浅田のスタンスとして意味があると思います。要は、例の4象限の図ですが、浅田はモダンの側に立つということを言っているのだと思います。浅田がこの4象限図を見て、エリート主義的な設計といったのは、極端に言えば、「エリートが愚民をコントロールする」といった類の考えをこの4象限から嗅ぎとったからだと思います。これは、極端に喩えれば、建国神話で大衆をコントロールするといったものでしょうか。『精霊の守り人』みたいな。そういう見方をすれば、福嶋の小さな神話が人々に意味を与えるというのも、建国神話がある昔から行われていたと言えると思います。でも、ヘロドトスから始まる歴史は神話のようなフィクションではなく、事実に基づいた史実を残そうとしたので、今から神話に向かうのは逆行ではないかと思います。

また、福嶋は本の中でリベラル民主主義が唯一の社会体制であることを前提としていますが、果たして本当にそうなのかという疑問もあります。実際、多くの異なる社会体制が世界にはあるわけですし、リベラル民主主義も今後私たちが思っているようなものとは違ったものになる可能性もあると思います。その福嶋の大前提に疑義を呈したのが、浅田の最後の発言「歴史が終わったのか、ポモは正しいのかとガチでやるべきだったのかもしれない」という言葉だと思います。そんなこと、浅田彰に言われたら、ビビっちゃいますよね(笑)。

神話と歴史をフィクションとノンフィクションと見れば、真正性が浮かび上がってきます。昨今の「アウシュビッツや南京事件は無かった」とする一部の見方なども関わってくるのではと思います。『神話が考える』とレヴィ=ストロース繋がりですが、小田亮さんが真正性について語っていたと思います。

小田亮さんのサイト→http://www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/index.html

印象に残った言葉としては福嶋の「半分穴が空いている現実」や「半現実」という言葉。これについては拙論http://www.neoaca.com/reviewを参照していただければと思います。また、浅田の「世界が悪い場所になっている」という言葉。確かにそうで、看過できないと思いつつもどうにも出来ないという難しさがあります。