長文になりそうなので、ブログに書きました。
ツイッターでのお問い合わせの回答です。
まず最初は小さな例からお話します。例えば、こんな話があります。アップルコンピュータ社の創業者スティーブ・ジョブスとスティーヴン・ウォズニアックは当初ブルー・ボックスという擬似ダイアルトーンの装置を作って売っていました。これは擬似ダイアルトーンを発生させてタダで電話をかけられる装置なのですが、こういった装置は使えば違法になります。当然といえば当然ですよね。しかし、作ったり売ったりする分には不法ではありませんでした。なので、彼らは当初はこれでビジネスをやっていたわけです。
一方、日本では、金子勇という人がファイル共有ソフトWinnyを開発しましたが、別にソフト自体は違法ではないにも関わらず、言わばソフトを使って悪用されることが多いからという理由で逮捕されています。技術には何ら違法性がないにも関わらずです。それを悪用されると困るからという、芽は小さいうちに潰せという感覚で逮捕してしまいました。
その後、これらはどうなったでしょうか?アップルコンピュータは世界的な大企業に成長しました。一方、日本ではファイル交換などのソフト開発は大きく出遅れました。技術開発をして逮捕されてはかないませんからね。何が言いたいかと言うと、つまり、アメリカでは自由の幅が広く進歩しやすいが、日本では秩序を乱す恐れがあるため「あれをやってはいけない、これもやってはいけない」と自由の幅が狭く、その結果、進歩の歩みが遅いということです。
他にも、急成長していたライブドアの社長堀江貴文が2006年に逮捕されましたが、その後、ネットの世界で日本のIT産業は成長したでしょうか?ブログも動画サイトもSNSも日本の企業よりは外国の企業の方が多くなっていませんか?
これはITの話だけではありません。歴史を振り返ってみれば、様々な分野において同じようなことが言えるのではないでしょうか?日本では到底発達しなかったが、アメリカではどんどん発達していったものが多いのではないでしょうか?例えば、男女平等やウーマンリブに見られる女性の権利の拡大、同性婚などLGBTなど性的マイノリティーの人権、ジャズやヒップホップなど新しい音楽ジャンルの創造、ディズニーが普及させた商用アニメーション、Xスポーツなど新しいスポーツの開発、T型フォードの生産革命によって金持ちの乗り物から大衆の乗り物に変わった自動車、ライト兄弟に始まりボーイングによって商用旅客機に至る飛行機の開発、アポロ11号に見られる生存圏の拡大である宇宙開発、そして、今、こうやって書いているインターネットやツイッターやブログなどなど。様々な分野(科学技術に限らず、人権、文化など多岐にわたる分野)でアメリカが切り拓いてきたもので現代文明は溢れかえっています。日本はどちらかと言うと新しいものに継ぎ足すことをやっているだけで自分たちで新しいものを作り出すこと切り拓くことは少ないと思います。
もちろん、アメリカもこれらを何の苦もなく作り出したとは思いません。人権などは闘争の歴史と言った方がいいでしょう。今でも同性婚には反対の州が多いでしょうし・・・。しかし、彼らは自由を得るために闘ってきました。自由を手に入れるために大きな犠牲、大きな代償を払ってきた歴史があります。だからこそ、自由の大切さをよく理解しています。彼らは最初から与えれたものを自由だと思っていません。自由とは戦って手に入れるものだと思っているのではないでしょうか?ところが、日本ではそうなりませんでした。自由を得るために闘っても闘いそのものが日本社会では認められなかったのではないでしょうか?
結局、日本ではなぜそうなったかというと「秩序を乱すから、不自由であっても我慢しろ」ということだと思います。不自由を乗り越えて自由に生きようとしても社会がそれを許さず、小さいうちに自由の芽を摘み取ってしまうのだと思います。そこがアメリカと日本の差であり、今後も人類の文明をリードしてゆくのは、日本ではなくアメリカだろうと私が考える理由です。
まあ、随分、極端に書いてしまいましたが、実際はここまで極端ではないと思います。けれども、極端に書くことによって私の言わんとすることが伝わればと思い、あえて極端に書きました。
ツイッターでのお問い合わせの回答です。
まず最初は小さな例からお話します。例えば、こんな話があります。アップルコンピュータ社の創業者スティーブ・ジョブスとスティーヴン・ウォズニアックは当初ブルー・ボックスという擬似ダイアルトーンの装置を作って売っていました。これは擬似ダイアルトーンを発生させてタダで電話をかけられる装置なのですが、こういった装置は使えば違法になります。当然といえば当然ですよね。しかし、作ったり売ったりする分には不法ではありませんでした。なので、彼らは当初はこれでビジネスをやっていたわけです。
一方、日本では、金子勇という人がファイル共有ソフトWinnyを開発しましたが、別にソフト自体は違法ではないにも関わらず、言わばソフトを使って悪用されることが多いからという理由で逮捕されています。技術には何ら違法性がないにも関わらずです。それを悪用されると困るからという、芽は小さいうちに潰せという感覚で逮捕してしまいました。
その後、これらはどうなったでしょうか?アップルコンピュータは世界的な大企業に成長しました。一方、日本ではファイル交換などのソフト開発は大きく出遅れました。技術開発をして逮捕されてはかないませんからね。何が言いたいかと言うと、つまり、アメリカでは自由の幅が広く進歩しやすいが、日本では秩序を乱す恐れがあるため「あれをやってはいけない、これもやってはいけない」と自由の幅が狭く、その結果、進歩の歩みが遅いということです。
他にも、急成長していたライブドアの社長堀江貴文が2006年に逮捕されましたが、その後、ネットの世界で日本のIT産業は成長したでしょうか?ブログも動画サイトもSNSも日本の企業よりは外国の企業の方が多くなっていませんか?
これはITの話だけではありません。歴史を振り返ってみれば、様々な分野において同じようなことが言えるのではないでしょうか?日本では到底発達しなかったが、アメリカではどんどん発達していったものが多いのではないでしょうか?例えば、男女平等やウーマンリブに見られる女性の権利の拡大、同性婚などLGBTなど性的マイノリティーの人権、ジャズやヒップホップなど新しい音楽ジャンルの創造、ディズニーが普及させた商用アニメーション、Xスポーツなど新しいスポーツの開発、T型フォードの生産革命によって金持ちの乗り物から大衆の乗り物に変わった自動車、ライト兄弟に始まりボーイングによって商用旅客機に至る飛行機の開発、アポロ11号に見られる生存圏の拡大である宇宙開発、そして、今、こうやって書いているインターネットやツイッターやブログなどなど。様々な分野(科学技術に限らず、人権、文化など多岐にわたる分野)でアメリカが切り拓いてきたもので現代文明は溢れかえっています。日本はどちらかと言うと新しいものに継ぎ足すことをやっているだけで自分たちで新しいものを作り出すこと切り拓くことは少ないと思います。
もちろん、アメリカもこれらを何の苦もなく作り出したとは思いません。人権などは闘争の歴史と言った方がいいでしょう。今でも同性婚には反対の州が多いでしょうし・・・。しかし、彼らは自由を得るために闘ってきました。自由を手に入れるために大きな犠牲、大きな代償を払ってきた歴史があります。だからこそ、自由の大切さをよく理解しています。彼らは最初から与えれたものを自由だと思っていません。自由とは戦って手に入れるものだと思っているのではないでしょうか?ところが、日本ではそうなりませんでした。自由を得るために闘っても闘いそのものが日本社会では認められなかったのではないでしょうか?
結局、日本ではなぜそうなったかというと「秩序を乱すから、不自由であっても我慢しろ」ということだと思います。不自由を乗り越えて自由に生きようとしても社会がそれを許さず、小さいうちに自由の芽を摘み取ってしまうのだと思います。そこがアメリカと日本の差であり、今後も人類の文明をリードしてゆくのは、日本ではなくアメリカだろうと私が考える理由です。
まあ、随分、極端に書いてしまいましたが、実際はここまで極端ではないと思います。けれども、極端に書くことによって私の言わんとすることが伝わればと思い、あえて極端に書きました。