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2020年12月27日日曜日

今年の振り返りと来年に向けて

 
1.振り返り

今年のこのブログを振り返ってみる。

まず、『21世紀はセックス革命の時代』を書いた。これは性の多様性が重要だし、それが広まってゆく、いや、期待したいし、その過程で摩擦も生じるだろう、という予測と願望で書いた。その関連で『日本を変革する(1)夫婦中心の家庭へ』を書いた。日本ではこれまで性がタブー視されていたが、セックスライフは人生の重要な一部なので、もっと性について知識を深めなければならないという思いで書いた。性の多様性は個人だけでなく家族や職場や社会に大きな変化をもたらすと思う。トランスやオープンマリッジなど様々な点で人々はより自由なセックスライフを送れるようになれると期待したい。(セクソロジー)

21世紀は格差社会の時代』も書いた。これはトマ・ピケティの『21世紀の資本』そのままだ。格差を解消するためにはどうすれば良いか?主に2つあって、再分配と経済成長だと思う。これは別に二者択一というわけではなくて、両方を追求すれば良いと思う。ただ、再分配は政治力が必要で、富裕層がタックスヘイブンなどに逃げられないように包囲網を敷いて公平に課税する必要がある。再分配もいかに分配するかが問題になってくる。思うのだが、ケインズが当初に構想したIMFもこういったグローバルな展開を予見してのことだったのではないかと思う。(モラルサイエンス)

ただし、日本の場合は『日本を変革する(2)市場を真っ当にする』と『日本を変革する(3)地方分権とネットワーク』で書いたように、長年続いた戦時経済体制のためにレントシーキングが生じてしまい市場原理が正常に機能していないし、中央集権体制のため硬直化してしまい非効率な生産システムになっている。そのため、経済成長も再分配もしずらくなっている。日本はまず基本的なシステムの構造改革しなければならい。つまるところ、ツリーとネットワークの最適化ということになると思う。ツリーを中央集権から地方分権に変え、さらに横断的にツリーを補完するネットワークを構築・育成することだと思う。また、非生産的な残業を廃止することで労働時間を短縮して、人々が地域社会に市民参加できる余裕を作ることだと思う。(日本の変革)

21世紀の生存戦略』では個人が生きるためには3つの知を磨き続けること、学び続けることを書いた。3つの知とは、全体知、専門知、人間知の3つだ。まず、生きるためには専門知を身につけねばならない。しかし、専門知だけではダメだと思う。広い知見が必要だ。かつては教養といったが、私は全体知と呼ぶ。さらに限られた時間や条件の中で最大限に学ばねばならない。そのためには己自身をよく知る必要がある。それが人間知だ。この3つを磨き続けること、学び続けることだと私は思う。(生存戦略)

ちなみに『仏教のすすめ』も書いたが、これは人間知に属する部分もあるかもしれない。ただ、どちらかといえばブッディズムは生き方を多く含んでいる。逆転した見方をすれば、ブッディズムはヨガ的生き方の一変種といえるかもしれない。実際に行っていることはヨガととても似ている。ただ、ブッディズムの場合は性的な禁欲という点でヨガと異なると思う。21世紀の仏教は宗教ではなくて、ヨガなどと同じライフスタイルのひとつと捉えるべきだと思う。(ブッディズム)

日本を変革する(4)記録・蓄積』はPDCAサイクルをより大きくしたものだ。『21世紀の生存戦略』でも触れたが人間知を磨くうえで大切なのは記録して振り返り改善してゆくというプロセスだ。日本ではこれがあまりにも粗末にされている。これを改善せねばならない。

足早に振り返るとざっと以上のようになる。

見立てとしては、おおむね間違ってないと思う。いや、当たり前過ぎる話かもしれない。しかし、実際に実装されるにはまだまだ程遠い。個人としては鋭意努力している。日々、学び続けているつもりだ。しかし、問題は日本だ。日本は1990年から本質的に変わっていない。失われた10年と言われた頃から変わっていない。いや、変わったかもしれないが、悪い方向に変わっている。格差は広がり、財政は悪化を増している。日本の企業は競争力をどんどん失っている。いつ、ジャパンクライシスが起こってもおかしくない。貧困は多くの人々を、特に弱者を不幸にする。そんな悲劇はなんとしても避けたい。

2.三つ巴

私は、日本には3つの勢力があると思っている。保守、リバタリアン、リベラルの3つだ。ただし、多くの日本人たちはそのことに無自覚だと思う。人々は「自分は保守だ」とか「自分はリベラルだ」という風に考えてないと思う。むしろ、「自分は普通の日本人だ」と考えている人が多いのではないかと思う。あるいは、言い換えると「自分は偏っていない。自分は普通なんだ」と考えている。でも、それは無意識な自分中心主義だと思う。社会は多様な人々がいて、多様な人々が共存してゆくための手続きとして民主主義があると思う。「私が普通なんだから、他人は私に合わせろ」ではなくて、「あなたと私では考え方が違う。しかし、それでも同じ社会に暮らしてゆくために互いに協力しましょう」というのが市民社会ではないかと思う。なので、最初に話を戻すと、日本人はまず互いに違うということ、そして自分はどの勢力に近いかを自覚することから始めなければならないと思う。

私の感触では、日本人の多くは保守にあてはまると思う。日本の多数派は保守だと思う。逆にリベラルは少数派だと思う。さらに保守にもリベラルにも違和感をおぼえる人は少なからずいて、おそらく彼らはリバタリアンだと思う。実際、数的にはリベラルよりリバタリアンの方が多いと思う。また、リバタリアンはリベラルよりは保守の方と相性が良いと思う。逆にリバタリアンはリベラルに対して部分的に嫌悪感すら感じていると思われる。

さて、私自身はリベラルだと思っている。リベラルが描くような自由に生きられる社会を目指している。だから、リベラル派が増えることを願っている。もちろん、リベラルは研鑽を積んで、今よりもより良く変わっていく必要もあると思う。また、他の勢力とも共存可能だと考えている。なぜなら、個人が自由に生き方を選択できるように選択肢を増やすのだから、保守的に生きたい人もリバタリアン的に生きたい人もその生き方をそれぞれ選択可能だと思うからだ。

ところで、外国に目を向けてみる。米国はどうか。保守とリベラルの分断が鮮明になっている。とはいえ、エスタブリッシュメントはコスモポリタン(裏を返せば帝国主義)だ。プアホワイトが狭量なナショナリズムになっているだけだ。ただ、アングロ・プロテスタントな文化がヒスパニック系に侵食されているのが気になるが。中国はどうか。共産党独裁は変わらない。ITの進歩によって監視社会がより強化されてしまった。ますます中華中心主義が蔓延るだろう。さらに儒教によってノモス化された中国的な全体主義が世界を席巻するかもしれない。日本も巻き込まれるかもしれない。

日本は中国・韓国と比較した場合、経済的に一番後塵を拝する立場になると思う。したがって、日本の保守主義は内側に向かうしかなくなる。悪くすれば、狭量なナショナリズムに陥る可能性がある。ともかく、外へ向かうだけの力は日本には最早無い。

私としては、日本の3つの勢力(保守、リバタリアン、リベラル)が単に争うのではなく、互いに協力したり、他勢力からの批判に対して自己に磨きをかけて成長することが望ましいと考えている。そして、3つの勢力が共存してゆくのが望ましいと思う。ただ、今の状況は旗色が不鮮明で、互いに敵味方がよく分からず、仲間だと思っていたら違ったので憤慨したとか、逆にあいつらは敵だからあいつらには徹底的に反対で話し合う余地はないのだとか、そういう不毛な形勢になっていると思う。そうではなくて、互いに違いを認識しつつ共存してゆける関係に持ってゆくべきだと思う。

振り返りで示した問題解決の提言を実現するために、リベラルの啓蒙と3つの勢力の鮮明化はつながっていると思う。日本はとかく無意識・無自覚で、戦略に欠け、場当たり的な振る舞いが多い。それを止めるためには旗色を鮮明にして互いに研鑽してゆくことで問題解決に至ると思う。

最後に、おそらく数的には

保守>リバタリアン>リベラル

の順だと思うので、リベラル派を増やすべく啓蒙してゆきたい。

それと、来年は読んでいる本のことや考えていることなど、もっとざっくばらんにフリーライティングな感じで書いてゆきたいなと思う。今もそうだけど、あんまり文章にまとめることに力を注ぐよりは、メモ的に断片的にであっても、とりあえず書き残してゆくことに注力する方が今は良い気がしている。

2020年12月26日土曜日

NEWS2020.12

 
12月1日(火)
日本の差別を取り上げた良い話。

話がズレるが、AIが人間を超えはじめた。逆に人間の性質も分かりはじめた気がする。ともかく、将来、科学を更新するのは人間ではなくAIになってしまうかもしれないなあ。

12月2日(水)
中国の国家権力の恐ろしさ。

12月3日(木)
振り返ってみると、検察庁法改正案の攻防が実に大きな分岐点だったのかもしれない。もし改正されていたら、日本は恐怖政治になっていたかもしれない。

12月4日(金)
とりあえず、核融合を起こせる高温にまで達せられることに成功したということだと思うのだが。とはいえ、それはとても凄いことだと思う。

12月7日(月)
Googleには邪悪になってほしくないのだが。最近のGoogleはどうしちゃったんだろう。

12月10日(木)
クリーンミートがまたひとつ進歩したみたい。凄い。

12月13日(日)
本筋とは少しズレるが、最後の方で話されたデンマークの教育の話が意外と興味深かった。宮台氏の多幸感と幸せの違いの話はとてもスッキリと理解しやすくする良い話だった。

うわぁ!

引き上げた方がいいよね。13歳は心身ともに未成熟だ。

12月15日(火)
Googleのサービスが使えなくなるのは、かなり実害が出るのを実感した。

いろいろな側面で考えさせられる案件。

12月16日(水)
寂しい話。

12月17日(木)
宮台真司さんが”加速主義”をいうときの意味するところがよく分かる話だった。


2020年の振り返り
今年を振り返ると世界的な話題のナンバー1はコロナではあるが、日本経済に言及すると、今年は日本が韓国に抜かれた年でもある。一人当たりのGDP、最低賃金、平均賃金のすべてにおいて、日本はとうとう韓国に抜かれた。世界で成長している企業を考えると、それは至極当然なことだと分かる。数年後には日本は中国や韓国の後塵を拝することは確定している。そのことに注意を喚起しないメディアも問題だし、現実に気づけない日本人も問題だ。1990年代以降、日本の経済・財政はどんどん落下しつづけ、日本はどんどん地獄に突き進んでいる。問題が消えたわけではないのに問題を直視しないことであたかも問題が無くなったかのように勘違いしている。

セックスに関して振り返るとNetflixのドラマ『セックス・エデュケーション』第2シーズンが大変良かったし勉強になった。そして、なんといっても助産師のシオリーヌさんによる性教育YouTubeチャンネルが革命的に良かった。さらに年末に刊行された彼女の著書『Choice』が性教育の教科書として普及してくれると嬉しい。それから、津田大介さんのポリタスTVの緊急避妊薬の回で知った遠見才希子さんも収穫だった。日本の中絶で掻爬法なるものが行われていることに驚いた。彼女の話を聞かなかったら知ることができなかった。他にも女芸人のバービーさんもYouTubeで再発見した。正しい性知識を啓蒙するのに彼女も大いに貢献していると思う。海外に目を向けると米国の最高裁でLGBTを理由に解雇することは違法という判断が出たことは嬉しい驚きだった。だが、その後、ギンズバーグ判事が死去して後任に就いたバレット判事が性的嗜好発言してガッカリした。トランプの残した忌まわしい遺産だ。とにかく、日本で性の多様化がもっと進展してほしいと願っている。たぶん、願うだけじゃなくて、ちゃんと闘わなきゃいけないんだろう。

そういえば、千田有紀氏による『「女」の境界線を引きなおす――「ターフ」をめぐる対立を超えて』問題が春先にあった。難しい問題だが、トランスジェンダーを排除するのは良くない。次第に社会の認識が変わっていくものと思うし、フェミニズムも認識を変えていくと思う。

政治に関して振り返ると安倍首相が辞任したことが大きい。ただし、これは現在も続いている政府と検察による権力闘争の意味合いがあるように思う。これについて言及すると大変長くなるのでここでは控えたい。とにかく、リベラルの勝利というわけではないが、安倍首相が辞めたことは喜ばしい。その後を継いだ菅政権は日本学術会議任命拒否問題でいかにレベルが低いかがすぐに露呈してしまった。菅首相も早く退陣してほしいものだ。しかし、日本では、保守>リバタリアン>リベラルくらいの順で保守層が多いから、選挙をしてもリベラルが勝てるかは微妙だと思う。また、リバタリアンは保守と相性が良くて、逆にリベラルを嫌っているから、リバタリアンの多くは保守に投票する。なので、リベラルはもっとリベラル派を増やさないといけない。しかし、日本の大衆は政治に無関心だから、なかなか難しい。

日本の貧困問題が顕著になってきた。子ども食堂が必要な時代だ。貧困が原因の悲惨な事件を目にするようになった。ところが、私の周囲だけかもしれないが、人々は日本の貧困問題に目を向けない。貧困など無いかのように思っているか、見ても不快なので見たくないので見ないのか、見て気づいても自己責任で他人事として知らんぷりをしているかのいずれかのように思う。日本人の物心両面の貧しさを感じる。

中国の問題。香港とウイグル。かつてチベットで繰り広げられた弾圧がウイグルでさらに進歩して行われている。香港でもついに民主派の弾圧に踏み切った。そういう一年だった。世界は米国と中国の二大覇権国になるのかもしれない。中国的全体主義と米国的自由主義。その一方で、ロシアはロシアで独自の独裁国家になりつつあるように思うし、EUはEUルールを確立しつつあるように思う。日本は統制経済で戦後やってきたがそれが破綻しつつある。再び全体主義に向かうのか、あるいは米国にならって自由主義の後につらなるのかは分からない。そもそも日本は真っ当にそれらになりえたことはない。常にズレる。ただ、今度は経済力が無くなっているので、力でねじ伏せられることになるとは思う。

米国の問題。今年は大統領選が大きかった。ようやくトランプが負けた。バイデンに満足しているわけではないけれど、トランプと比べたら100万倍もマシだ。ただ、最高裁判事でリベラル派が劣勢におかれたのは残念だ。大統領選ではスッタモンダがあって、ハラハラしたが、とりあえず事前の予想通りにバイデンが勝ったので良かった。ただし、米国内の分断が大きいことを改めて思い知らされた。また、Qアノンや米国版ネトウヨなど非常に低レベルの人たちがある程度の影響力を持っていることに驚かされた。ちなみに分断自体は悪いことではないと思っている。なぜなら、人それぞれだから。むしろ、国民一丸となる方がファシズムのようで怖い。問題は課題が解決されないでいることだと思う。課題先進国である日本では課題は解決されないままずっとここまで来ている。米国はきっと解決の道を見つけると思う。

大阪都構想の終焉

学術会議任命拒否問題


2020年に影響を受けた人物やメディア
宮台真司・神保哲生(ビデオニュース・ドットコム)、津田大介(ポリタスTV)、野間易通・安田浩一(ノーヘイトTV)、荻上チキ(Session)、Netflix、町山智浩(たまむすび)、郷原信郎、三木由希子、木村草太、石川健治、野口悠紀雄、北丸雄二、雨宮処凛(マガジン9)、シオリーヌ(性教育YouTuber)、遠見才希子、バービー、要友紀子、大沢真理、山口二郎、上西充子、ChooseLifeProject、デモクラシータイムス、せやろがいおじさん、ハフポスト、毎日新聞、朝日新聞などなど。




2020年11月29日日曜日

NEWS2020.11

 
11月1日(日)
宮台真司さんがとても良い話をされていた。特に最近の若者の恋愛傾向について。

11月2日(月)
都構想が否決された。私は都構想自体を詳しくは知らないので評価しずらい。ただ、橋下氏をはじめ大阪維新の会の人たちの言説は好きになれない。いや、良くないもの、悪しきものが多い。はっきり言ってネトウヨの言説に近いものが多いのだ。そういった意味では彼らが拒絶されたのは良かったと思う。しかし、大阪維新の会が今後どのように政治に関わっていくのかウォッチが必要だ。

11月8日(日)
米国の11月3日(火)が大統領選挙の投票日だった。当初、言われていたように郵便投票の影響で開票に時間がかかった。仕事で選挙結果を追えていなかったが、ウィスコンシン州とミシガン州でバイデンとトランプが競っているあたりから追い始めた。ちなみにネバダとアリゾナがバイデン有利だったが、後程、それらがまだまだ予断を許さないということが分かってくる。追っている中で、当初、バイデン有利という世論調査だったが、実際はかなりトランプが優勢で、投票一週間前のトランプの選挙戦が効いていると感じた。ネイト・シルバーのツイートも開票途中では心が揺らいでいるように感じた。しかし、ペンシルバニアやジョージアが開票が進むにつれてバイデン優勢になってくると、やはり、当初の世論調査が正しかったように感じられるようになった。また、ミシガンもバイデンが勝利したなどの報があり、ネバダやアリゾナも開票スピードが遅いとはいえ、このままバイデンが逃げ切りそうで、バイデンが勝ちそうということで安堵感がでてきた。そして、8日(日)の早朝にはバイデンが勝利した報道をネットで見て、とりあえずの決着を見た。このあと、トランプの法廷闘争が始まるだろうが、とにかく選挙ではバイデンが勝った。良かった、本当に良かった!

一方、日本では第203回国会が始まっていて、日本学術会議任命拒否問題で野党と菅首相の論戦が始まっていた。論戦といっても菅首相の回答があまりにシドロモドロで、ちょっと驚かされた。菅首相はもう少し普通のひとかと思っていたが、実はかなり出来が悪いひとのようだった。ただ、20年前だったら国民も呆れて首相交代を要求すると思うが、今の日本国民は国語の読解力がかなり低下しているので、菅首相のシドロモドロのダメさ加減が分からないので、国民からの批判が沸き起こらずに菅首相は助かっていると思う。そもそも、普通に読解力があれば、日本学術会議の任命拒否は法律違反だとすぐに分かるはずなのだが、今の日本国民はその読解力がないので法律違反かどうか分からないでいる。テロップで「これは法律違反です」と出さないと、たぶん判断できないのだと思う。それくらい日本国民の読解力は低下しており、自分で判断できないのだと思う。ただし、目の前の自分にとって損か得かの判断だけはしっかりしている。

11月11日(水)
もはや日本経済の闇としかいいようがない。そして、日本の産業および日本経済の勝負はあったというのが私の感じ。日本の負けは決定的でもはや覆せない。どんどん貧困化が押し寄せている。日本の未来が悲惨なことになりそうでなんとも悲しい気分・・・。未来の日本人が過去を振り返ったとき、当時の日本人がいかに愚かだったかを不思議に思い、嘆くことだろうなぁ・・・。

11月12日(木)

とても当たり前のことのように感じてつい忘れがちになってしまうことを再認識させられた。1つは歴史修正主義の目的がどっちもどっち論によってファクトを見えなくさせてしまうことにあること。もう1つは日本のメディアが米国のFOXよりも酷くて、ファクトチェックをしないこと。トランプ大統領の選挙不正のスピーチを「これは事実ではない」と明言せずに垂れ流していること。つまり、日本のメディアはファクトチェックをせずに、メディアの影響力を考えずにただ単にニュースを垂れ流している。ジャーナリズムとして機能していないこと。これら2点を痛感させられた。

Googleの良さが無くなっていくなあ。しかし、クラウドのストレージにはお金を払うべきという気も分からなくはない。でも、バックアップはしといた方が無難ではあると思い始めた。面倒ではあるが。

11月16日(月)
RCEPがいかなるものかよく分からないのでなんとも言えないが、中国を中心とした経済体制になるんじゃないか。中国とその衛星国みたいな。いずれにしても、日本はあと何年か後には中国や韓国よりも貧しい国になるのは必定。成長している産業が皆無だからさ。しかし、そうなったとき餓死にする人が出るんじゃないか心配。だが、もはや手遅れでこの流れは変えられない・・・。

11月17日(火)
非人道的兵器に該当するんじゃないのだろうか?それにしても中国とインドという核保有国同士の争いとはなあ。パキスタンともやっているわけだが・・・。

11月23日(月)
さて、どう展開するか。

11月29日(日)
学術会議任命拒否問題をとても明解に解説した回だった。将棋で言うと、あらゆる筋で菅首相が詰んでいることが分かる。

木村草太さんが映画『肯定と否定』の話で歴史修正主義者たちの目的が逆転ではなく同等になることと言っていて、これは先日のりこえネットで野間易通さんから聞いた話と同じで、やはり、この点はよく気をつけなければいけないなと改めて思った。また、世論調査の質問のとり方でもとても大事な指摘をされていて、当たり前だけど見落としがちなことで、とても勉強になった。

話の終わり近くで官僚の劣化が指摘されていたが、私が個人的に気になっているのは防衛省(自衛隊)のネトウヨ化がどれくらい進んでいるかだ。何年か前にネトウヨ論客が自衛隊で着々と講演をして自衛隊員をネトウヨ化していると聞いたことがあるのだが、それが現在どの程度進んでいるか心配している。それから、懸念といえばもう一つ懸念材料があって、防衛大臣に岸信夫が就任している。安倍晋三の弟だ。あまり目立たないが、どうにも良からぬ気配を感じる。

正義について話されていたが、個人的に日本の儒学について最近思うことがあって、明治維新のときに日本の儒学の伝統は途絶えたと思っている。とはいえ、日本の儒学は日本に入ってきて改変されて儒学とは違うものになってしまい、本来の儒学と矛盾してしまい、幕末の横井小楠がそれを指摘したら、逆に横井小楠の方が危険思想の持ち主として危険視されるという不条理な結果になってしまった。しかし、明治維新をむかえて脱亜入欧で日本の儒学はプッツリと途絶えてしまう。日本画の伝統が岡倉天心なんかによって近代化して継続したのと違って儒学はあっさりと途絶える。たぶん、当時の小説なんかが西洋化した新しい日本のライフスタイルのモデルとして普及して、その反発として私小説なんかが生まれたのが日本画の近代化と似ている。ともかく、日本の儒学の伝統は途絶えて儒学の近代化なんかは出来なくなる。韓国や香港では儒学の伝統は残っているので細々とではあるが近代化を模索できるのとは違って。(師資相承の悪い面ばかりが目についてきたが、良い面が失われたのは残念だ。イスラムの学者などは今でも、「私の師は誰それで、その師の師は誰それで・・・」という系譜が今でも残っているのだろうなあ。)なので、日本のモラルはかなり手前勝手なものになりがちで、江戸しぐさのように捏造まで生まれる。あるいはマナー講師などが勝手に作ってしまうし、業界ごとに変なマナーがあってびっくりしたりする。もう、正義に関してはサンデル先生に頼るしかないのかなと思う。日本の中から煉獄杏寿郎のような人物は生まれにくくて、たとえ生まれてきても周囲の人たちから一斉に叩かれまくるような気もする。もっとも、それらを撥ね返す強い個人の意思が無ければ煉獄杏寿郎ではないが。

あんまりワイドショーは見ないのだけれど、ワイドショーについて少し思うこと。司会とコメンテーターとその時々の専門家が登場する。問題はコメンテーターの質にある。というか、コメンテーターに高い資質を求めることに無理がある。けっこう専門家はコメンテーターに気を使っている。コメンテーターがトンチンカンなことを言っても遠回りに間違いを指摘したり、沈黙して間違いを指摘しなかったりする。テレビのレギュラーコメンテーターに恥をかかせては得にならないからだ。でも、それだと視聴者に正しい情報や知識が伝わらない。なので、この形式はよろしくない。専門家が制限なく発言できるようなスタイルに変えるべきだ。その分野に一番詳しいのが専門家なのだから専門家の意見に耳を傾けられるようにすべきだ。(逆に専門家でも専門以外のことは素人だ。ある分野で優れた専門家であっても、まったく別の分野の専門に対してその専門家をすえるのは問題だ。)今のワイドショーのスタイルのままだとちょっとマズいと思う。専門家の意見をそのまま鵜呑みにするのも危険ではあるが、ワイドショーのコメンテーターが絡むことによって情報がネジ曲がってしまう恐れがある。フェイクニュースとまでは言わないが、情報の本質がズレてしまう。

ところで、最近、日本経済の凋落をひしひしと感じていて、急に地面に穴が空いて地獄に叩き落されるのではないかとヒヤヒヤしている。

裸の王様・日本。「日本は裸だ」と指摘されたとき、地獄の扉が開く。

まとめ
今月は米国の大統領選が大きなトピックだった。バイデンが勝ち、トランプが負けたことが大きな転換点になったと思う。日本でも安倍首相が辞任して菅首相が政権を引き継いだが、日本学術会議任命拒否問題でも馬脚をあらわしたが、まあ、酷いものだった。日本も早くリベラルへと政権交代してほしいものだ。しかし、日本国民の政治のレベルがかなり低いことは、米国の大統領選に対する日本人の捉え方からも窺えて、日本の政治のこの体たらくから脱出するのはまだまだ先になりそうに思う。

日本経済がどんどん落下していて、いつ地獄の蓋が開くのかとヒヤヒヤしている。そして、私の周囲ではそんなことなどまったく感じていない。日本人は世界が変わったことにまったく気づいていない。

『鬼滅の刃』が空前の大ヒットだった。『鬼滅の刃』は私の中では佳作。良作ではあるが、『タイタニック』を超えるほどの傑作とは言い難い。もちろん、煉獄杏寿郎なんかは好きなキャラクターだ。しかし、この作品がそこまで大傑作かというと「それはちょっと評価が高すぎる」と思う。で、浮かび上がってくるのが、日本人の性質で、皆が面白いと言っているものに対してこぞって褒めまくるという現象が起きる。特にYouTubeなどでアドセンスを稼ぎたい人などはそれに乗っかる。「走り出したら止められない」という日本人の危険性がここにも表れている。








2020年10月31日土曜日

NEWS2020.10


10月1日(木)
とうとう政府が学問の自由にまで介入しはじめた。恐ろしい独裁政治、全体主義国家以外のなにものでもない。

10月3日(土)
安倍政権のときにも任命拒否があったらしい。どうやら今回は赤旗が報じたのがきっかけで、このニュースが広まったらしい。大手メディアは赤旗が報じなかったら報じないつもりだったのだろうか?


とりあえず、バイデンが感染してなくて良かった。しかし、今後が不安だ。バイデンに勝って欲しいのだがなあ。

10月4日(日)
神保さんによるトランプ大統領の税金の話が抜群に面白かった。

データ不正問題の件、すっかり忘れていた!そうそう、安倍政権は統計データも改ざんするんだった。GDPだって計算方式を変えただけでなく、明石弁護士の指摘によると、その他項目の明細を出していないんだった。

10月6日(火)
このChoose Life Projectの中での石川健治氏の話は実に勉強になる話だった。繰り返し見返して自分の知識としたい。素晴らしい。

予想以上に早く退院した。ちょっと驚く。

大変正しいと思う。

10月7日(水)
いいんじゃないですか。ただし、購入時には簡単な問診があるんじゃないかなあ。それと本人でなければ購入できないんじゃないかしら。

またか。やれやれ。

10月11日(日)
私の周囲でも1つの価値観を押しつけてくることが多い。私自身は黙って聞き流しているが、それができない人たちもいて人権侵害されていて可哀想である。

10月13日(火)
やっぱり、安倍首相は検察から「お辞めになったらどうですか」と言われて泣く泣く辞めたんじゃないかという気がしてきた。

10月14日(水)
これまた、またかという感じ。やれやれ。

10月16日(金)
再度、ロックダウンか。結局、この繰り返しが当分続くんだろうなあ。

スクランブル放送に変えれば済む話なのに。やはり、NHKは公共放送ではなく国営放送だ。政府の手先。英国のBBCとは違って。

結局、竹中平蔵か・・・。

学術会議任命拒否問題はこれで幕引きか。政府(首相)が任命拒否という法律違反したのは確実なんだが、それを訴える場所がない。罰則もないし、有権者の判断材料とするにも司法が明確に法律違反とは言わない。今回の件で思ったのは、今後はファクトチェックとローチェックの両方が要ると思う。

このタイミングで中核派に家宅捜索って何か示唆とかあるのかな?よく分からん。公安の就職活動みたいな気もする。

10月21日(水)
う~む。どうかなあ。私はグーグルが好きなんだが。

こんなことをやってたんか・・・。

10月22日(木)
日本の衰退が止まらない。経済が悪いだけでなく、政治も悪い。弱者がその犠牲になる・・・。

産婦人科医会の言うことはおかしいと思う。ならば、性教育をもっと普及させるべきだ。

10月23日(金)


10月27日(火)
不況の足音が聞こえる・・・。

10月30日(金)
悲しい日本の没落。


まとめ
今月は学術会議任命拒否問題が一番の気になったニュースではあった。問題自体はシンプルで菅総理が恣意的に任命拒否するという法律違反にある。しかし、それよりも周辺での騒動が印象深かった。つまり、首相の法律違反を理解できない日本人が多いこと、そして、その真っ当な理解を邪魔しようとする人たちがいることにため息が出た。日本人は物事の本質を理解する力が本当に弱い・・・。

次に気になったのは性に関するニュース。緊急避妊薬の件と足立区長の件と新最高裁判事バレット女史の発言。足立区長とバレット女史の件は「またか」というため息しかでない。緊急避妊薬の件は改善されるかと思いきや、産婦人科医会から反対意見が出て、日本の遅れていることが再び露見された感じ。改善されるように後押ししたいものだ。

次に気になったのは、日本経済の衰退。コロナ禍でさらに衰退が加速している。自殺者が急増しているという先月の雨宮処凛さんの記事以来、日本経済の衰退をただ眺めているわけにはいかないという気がしている。(←女性の自殺者の急増とホームレス化。)しかし、経済成長で挽回するというよりは、再分配で悲劇を食い止めたいという考えで私はいる。しかし、菅政権は成長戦略会議などまだまだ格差社会を加速して富裕層優遇に拍車をかける気満々だと感じる。

コロナに関しては欧米でコロナが再燃しつつあるのが気になる。一方、日本では全数調査もしてないし、PCR検査もまだ十分ではない。そして、GoToキャンペーンで消費を煽っている。日本人の頭の中は本当にオメデタクなったものだ。

グーグルの独禁法提訴が気になる。始まったか感はあるが、グーグルが最初に狙われたのがなぜという気もする。私はグーグルが好きだから分割されないで欲しいと願っている。フェイスブックの方こそ分割すればいいのに。

米国大統領選。トランプが巻き返している感じがして怖い。どうもトランプが勝ちそうな気がして怖い・・・。

私の近隣で悲しい事件があって今月はショックを受けた。貧困と地域社会が壊れていること。教育が無く知識が乏しかったことも原因のひとつだと思う。これからますます日本は没落してゆくだろうから、こういった悲しい事件が起こりやすくなる。なんとかせねば。

最初はあまり気が進まなかったが、Netflixで『鬼滅の刃』を見たら、家族がテーマになっていて興味深く視聴することができた。日本の家族のあり方について考える契機になった。これは性教育にもつながっている。

とにかく、勉強しつづけることが本当に大事だと思うようになった。ハラリも「生涯、学び続けることが大事だ」と言っていた。私の周囲の子たちはネットに繋げられる環境すらないのが残念でならない。デジタルデバイドが酷い。ネットと書物が必須なのに。スマホに繋げられている子はまだ恵まれている。しかし、できればノートパソコンと常時接続環境は整えてほしい。社会人になると学習する時間がかなり限られてくるし、仕事でヘトヘトに疲労してしまうしで、なかなか勉強しづらい。若者はお金が無くて環境を整えられない。日本人は勉強の重要性をもっと真剣に考えるべきなんだが、日本の長時間労働がすべての悪循環の元凶になっている。


2020年9月30日水曜日

NEWS2020.09

 
9月7日(月)
恐ろしいでござる。同時に4ケタの暗証番号って時代遅れだったのだなあ。

9月8日(火)
以前から指摘されてきたことで、いまさら驚きはしない。

9月13日(日)
カッコイイ!

ソフトバンクにはガッカリした。借り物とはいえ、日本がCPUの企業を持つ夢はこれで終わった。

9月17日(木)
とても残念。超大国中国の力の前に正義が捻じ曲げられてしまう。

9月19日(土)
残念。合掌。


8月半ばから9月半ばまでの1ヶ月間は暑さで仕事をするのがやっとだった。仕事、寝る、仕事、寝るの繰り返しだった。なので、ニュースのチェックもなかなか十分にはできなかった。安倍首相辞任関連のニュースが盛りだくさんだったのだが、正直、通り過ぎていった感が強く、じっくり考える余裕が無かった。ただし、日本の課題は財政問題であり、日本の経済大国復活の夢はもはや絵空事であり、個人の能力を伸ばせる教育環境作りが大事だと思っている。ところが、多くの人は財政問題をまるで忘れてしまっている。経済に対しては景気回復の名のもとバラマキしか考えていない。コロナですったもんだしていてジワジワと足元が掘り崩されていることに気付いていない。安倍政権のメディア戦略が効果を発揮して国民は、政治的には、皆、B層になってしまった。格差が拡がり、多くの国民が貧乏になった。ただ、それでも日本国民は政治に不満を抱かず、自己責任の名のもとに自ら命を絶ったりしてゆく。日本国民はこういうライフスタイルや世界観を気に入っている。おそらく、この傾向は今後も続くだろう。財政破綻したときに自分たちのやり方がダメだったと思い知らされるが、そのときはもはや手遅れで、財政破綻後は何もかもがさらに悪くなると思う。日本は収縮したり、形を崩したり、一部消滅したりすると思う。そのときは百年、二百年先のために地道に歩を進めるしかなくなる・・・。日本モデルが淘汰されるのは悪いことではないのかもしれない。それは自然の摂理だから。

9月20日(日)
違うんじゃないかなあ・・・。

9月21日(月)
一応、貼っておこう。

9月23日(水)
チベットは破壊されてしまうんだろう・・・。嗚呼。

9月24日(木)
着々と中国による支配を進めている・・・。

9月25日(金)
少なからずショックを受ける内容だった。安倍政権に功など有るのかと思っていたが、評価できる部分もあるという内容には驚いた・・・。

9月26日(土)
やはりなあ・・・。

9月27日(日)
立憲民主党の新しい綱領に少し希望を持てた。私がブログで言ってた内容に似ているからだ。

新民主党は新自由主義と決別できたことが重要
人権、個人、分散型社会など私がブログで言っていたことと似ている・・・。FDRのニューディールに似ていると思う。ただし、違いもあって、大きな政府ではなく、NPOなどの独立した個別の組織で行うみたいなイメージだろうか。ネットワーク型組織群の形成というか。これまた私のイメージに似ている。ただ、「市場に介入ではなく、市場をデザインする」というのは尤もではあるんだけど、それができなかったのがこれまでで、むしろ既得権益層に有利なように市場をデザインしてきたのがこれまでだから、既得権益層の利益に反して政治的にこれにどうやって手がつけられるかが課題だとは思う。

端的にいうと、日本の産業がダメになって日本は貧しくなった。途端に社会も貧しくなった。社会を再生するには分散型・ネットワーク型で問題解決するしかない、といった感じか。経済成長で経済的豊かさを目指す必要もあるが、全体的に見れば、経済成長できるのは優秀な一握りの一部の人たちだけなので、優秀ではない多くの一般の人たちをどうやって救済するかという課題の方が大きい。そのためには経済成長ではなくて、社会を補完するための対策が要るという感じか。となると、やはり、英国が先行モデルという気がする。ただし、英国はなんだかんだと足腰が強いと思う。それに比べると日本は足場は板一枚で下は奈落という気がする。そもそも日本には財政問題がある。一挙に地獄に真っ逆さまという危険がある。とはいえ、解決策としては、この道が最も無難でベターだと思う。

YouTubeでジャーナリスティックなメディアが増えているのに気づいた。ポリタスTVとか、Choose Life Projectとか、あと、以前からあるけど、ワラしがみとか、デモクラシータイムズとか。ジャーナリズムではないけど郷原信郎の「日本の権力を斬る!」もなかなか興味深い。他にもあるかもしれないけれど、一応、メモ的に貼っておこう。荻上チキのSession22に負けないようにどんどん発展していってくれたらいいなあ。そして、大手メディアが軽減税率と停波というアメとムチで政府に屈してしまったが、権力の監視に頑張ってもらいたい。

9月28日(月)
これ以上、大きな戦闘に発展しなければいいが・・・。亡くなった人たちの家族は憤りを感じているだろうけれど。

9月29日(火)
コロナ禍の影響で女性の自殺者が増えているとのこと。もちろん男性も増えている。給付金を一律10万円にしたが、やはり、もっと困っている人に30万円にすべきだったのではないか。また、給付金だけでなく、こうなる可能性は十分に考えられたはずだから、救済策をもっと準備すべきではなかったか。自助を期待している場合ではないのではないか。


9月30日(水)
日本の凋落以外のなにものでもない。韓国に嫌がらせしていてなにげに上から目線だった日本国民だが、それは現実を知らない無知によるもので、現実は撤退につぐ撤退を余儀なくされている。本当に悲しい。

技術立国、電子立国といわれた日本の面影もない。インターネット革命で日本は敗北した。本当に悲しい。

自民党政権による日本の私物化以外のなにものでもない。国民の税金を自分たちのものとして濫用している。日本国民はいい加減に気づくべきだが、日本国民の大半が政治に無関心なために自民党政権はやり放題だ。

まとめ
今月はドコモ口座不正引き出し事件で幕を上げた。暗証番号から総当りするという手法に「あっ!そんな手があったか」と驚いた。

大坂なおみさんが全米オープンで優勝した。BLM運動の件でなぜか日本では大坂なおみさんに批判的な記事を書く人がいるらしくて驚いた。かつて「音楽に政治を持ち込むな」と似たような論理なんだろうと思う。Netflixでスタンダップコメディを見ると政治ネタが多いのに対して、日本のTVのお笑いでは小学校低学年向けのお笑いが大半らしいのだが、やはり「お笑いに政治を持ち込むな」という論理があるのかもしれない。そんな論理を持ち込んだらコメディは全部無くなってしまうだろう。ともかく、プレッシャーがあっただろうに優勝した大坂なおみさんは日本人なのに珍しくすごくカッコいい。

ウイグルやチベットや香港のニュースを見ると、中国の覇権が世界中に広まっていることに危機感を感じる。国連まで味方につけようとしている。なんとかならないものか。

ギンズバーグ最高裁判事の死去のニュースが大きかった。そして、案の定、後任判事をトランプは指名してきた。共和党はオバマ政権のときにあれだけ反対しておきながら、自分たちが同じような立場になったら臆面もなくそれを是としている。共和党のなんとも恥知らずで自分勝手でご都合主義なことか。

東芝やアマゾンのニュースは日本の凋落を象徴的に物語っている。もはや日本の凋落は免れない。

自殺者の増加はコロナ禍の影響が出始めたことを物語っている。どのくらいの日本人がそのことを深刻に受け止めているだろうか?「10万円の給付金をもらってラッキー」としか考えていない人が大半なのだとしたら、日本人は本当に政治や社会に無関心で、自分さえ良ければいいという身勝手な人たちの集団ということになる。

自民党政権が中曽根元首相の合同葬に税金を使うニュース。自民党は遠慮なく政府を私物化しはじめた。これは恐ろしいことだ。

新しい立憲民主党が立ち上がった。選挙を前にしての野合ではある。しかし、ビデオニュースで綱領の解説を聞いたら希望が持てた。選挙が終われば再び分裂するかもしれないが、それでも私は立憲民主党を支持しようと思う。理由はアベノミクスは失敗に終わった。日本は次のフェーズに移った。もはや日本経済の再生はありえない。あとは残ったお金の奪い合いだ。当然、富裕層は力にものを言わせてお金を獲りにくるだろう。格差は拡がり、低所得層はより一層貧困にあえぐことになる。そうさせないためにも広く分配せねばならない。そのためには自民党政権を打倒せねばならない。

YouTubeで新しいジャーナリズムが立ち上がっていた。大手メディアが軽減税率と停波というアメとムチで権力の監視機能を失っている今、大いに期待したい。なんとか国民の政治への関心を喚起してもらいたい。

日本人はもっと真面目に生きたらどうかと思う。私の周囲だけかもしれないが、政治に無関心でテレビのお笑いばかり見ている人が多い。しかもそれが国立大卒だったりする。一昔前の日本は右肩上がりの経済成長期にあって、大学を卒業したらあとは会社で働くばかりで、その後の勉強を疎かにしても問題なかった。いや、仕事に時間がとられて勉強などする時間がなかった。もちろん、自分の仕事に関わる専門の勉強はなんとかしていたかもしれない。しかし、そういった専門の勉強だけでなく、広く総合知を養うような勉強は多くのひとが疎かにしていたように思う。それでも経済成長している間は問題はなかった。様々な問題は経済が豊かになることで解決できたからだ。しかし、今後はそうはいかないし、たとえ経済成長していてもそれでは行き詰まると思う。なぜなら知識社会に移行したからだ。知識社会では知識は力だ。仕事のためには専門知は大事だが、それだけでは不十分だ。勉強が学生時代だけで終わるなんておかしい。知識社会では、生涯、学び続けるべきだ。ハラリも言っている。生涯、学び続けるべきなんだと。今の日本人と会話してもちっとも面白くない。中身が無いからだ。しかも彼らの知恵の発揮のしどころは損得勘定しかない。モラルが無くて、なんとも下劣としか思えない。日本人は共通の話題としてテレビ番組を見がちだ。テレビの共通の話題がなければ、人間性が保てないからだ。テレビという共通の話題をひと皮剥けば、そこには単純な自分にとって損か得かという損得勘定しかないからだ。しかし、むき出しの損得勘定だけでは日本人はギスギスして息詰まる。だからテレビを緩衝材として利用している。非常に単純な二層の精神構造になっているわけだ。しかし、それって人間性といえる代物だろうか?ただ、一方で彼らは経済的には貧しくなっている。働いても貧しくて、仕事でへとへとに疲れて帰ってきてテレビをぼんやり見て過ごすという悪夢のような悪循環に生きている。昔、シュワルツネッガー主演の『バトルランナー』というSF映画があったが、そこに出てくる大衆と日本人はほとんど同じになりつつあるように感じる。このままでは日本は本当に酷い国になってしまう。実際、ネットが無ければ酷いことに気づかずに地獄に突き進んでいるだろう。しかし、ネットもいつまで世界と繋がっているか分からない。インターネットが分断されるリスクはいつもある。日本も中国のようにネットが世界と切断されて、政府が見せたい情報しか見られなくなるかもしれない。そうならないためにも人々は学び続けることだ。啓蒙は迂遠な方法に思えるかもしれない。実際、迂遠だ。しかし、人々を煽動する方法では人々は学ばないだろう。煽動によって一時的にひっくり返るかもしれないが、再び煽動によってひっくり返されるかもしれない、ブラジルのように。結局、一人ひとりが学んで一歩ずつでも知識を積んでゆくのが最も確実な方法だと思う。

2020年8月31日月曜日

NEWS2020.08


8月3日(月)
「法外の正義」どころか日本はまず「正義のイロハ」からやり直せ
菅原一秀前経産相の起訴猶予事件で、告発者の告発状に対して東京地検は不備を理由に返戻したらしい。どうも検察はこの件を起訴猶予処分とした上で、さらに告発者が検察審査会へ不服申立をできないようにしようと画策したらしい。しかし、郷原弁護士が検察審査会法をよく吟味して検察審査会へ申し立てをした結果、受理されたとのこと。どうも検察の姑息さが浮かび上がる。それにしても、常識的に考えて、この事件が起訴猶予になること自体がおかしな話で、菅原氏はきっちりと罰を受けてほしいものだ。

8月5日(水)
解雇や雇い止め、製造業が最多7千人に 宿泊業を抜く
日本の衰退が進行している。他人事ではない。

香港、民主活動家の周庭氏に有罪判決 昨年の反政府デモ
なんとか彼女を救うことはできないものだろうか?本当に残念でならない。

8月7日(金)
朝鮮人追悼式 小池都知事、今年も追悼文を出さない意向
歴史上、デマによって多くの人たちが殺されてきた。例えばロシアのユダヤ人や米国の黒人などデマによって多数の人たちが殺された。様々な時代に様々な国でデマによる虐殺が起こっている。これは人間の悪癖だ。同じ過ちを繰り返さないためにも、残酷な悲劇を忘れないように追悼文を出し続けるべきだと思う。

8月11日(火)
周庭氏を逮捕 民主活動家、「雨傘運動」学生リーダー 国安法違反容疑で香港警察
ついに逮捕されてしまった。非常に残念でならない。国家権力の恐ろしさをまざまざと見せられた。なにもできなかった自分の無力さが情けない。

世界が欧米などの自由主義国と中国やロシアなどの全体主義国に分裂するとき、『1984』のような世界が到来してしまうのだろう。中国の場合、『1984』よりももっと酷い全体主義国になるのだろうと思う。そして、日本もその巨大な波に飲み込まれてしまう可能性が高い。中国の安全保障政策で考えれば、太平洋を2つに分けることで、中国と米国で世界を分割統治しようという考えだと思う。そのとき、日本は米国から分離して、中国の傘下に収められることになる。「米国の核の傘から中国の核の傘へ」と強制的に乗り換えさせられる。中国にとって日本の経済的価値は無くとも、上記のような構想による安全保障上での価値はあるわけだ。日本は多額の国家債務を抱えている。中国がそれを肩代わりすることで日本の実質的な支配権を得ることも可能だと思う。中国による日本の経済的な支配から始まり、ひいてはあらゆる面での支配へと繋げてゆくだろう。そうなれば、日本もチベットやウイグルや香港のようになる。台湾は今は頑張っているが、いつまで保つか分からない。あまりに力の差がありすぎる。中国の支配下におかれれば、言論の自由どころか人権すら危ぶまれる。中国の国家権力の思いのままになる。しかし、日本の力を考えれば、もはやそれを跳ね返すだけの力はあるまい。選択肢は2つで、中国に寄り添って虎の威を借る狐のように中国の手先となって日本を支配する側にまわるか、日本を捨てて自由主義圏へ移住するかしかなくなると思う。大半の日本人は保守派であるから、中国に寄り添う方を選ぶだろう。保守派は自由を捨てても安定を望む傾向が強いからだ。自由を何よりも重視する少数派であるリベラル派は移住するしかない。(おそらく、中国は日本を支配する過程で天皇制を利用すると思う。日本自身が歴史を検証して天皇制を廃止しておけば良かったのだが、残念ながらそれができなかった。そこに日本人の脆弱さがある。終戦時に米国がやったように、中国は日本を支配するために天皇制を利用して日本を支配しやすくなるように天皇制を利用すると思う。日本も満州を建国するときに溥儀を利用したが、今度は日本がやられる番になる。)

8月12日(水)
保釈の周庭氏、欅坂46「不協和音」脳裏に 「これからどんどんつらくなるかも」
とりあえず、釈放されて良かった。しかし、今後が心配。

米副大統領候補にハリス氏 民主バイデン氏が起用
ハリスと聞くと富豪の家系かと思ってしまったが、どうも違うようだ。

「ジャマイカとインドにルーツを持つ移民2世のカマラ・ハリス上院議員が民主党・副大統領候補に」ハリス氏の足跡を神保哲生さんに聞く▼2020年8月12日放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)
ハリス女史については神保さんの解説が参考になった。

8月13日(木)
日本が国安法の対象になりつつある香港民主派逮捕と保釈
遠藤誉さんが健在で良かった。日本の知恵袋がみんな高齢化してしまって、残された世代の人たちはどう舵取りして良いか分からなくなる未来が待っている・・・。

8月16日(日)
この戦争観はアメリカに押しつけられたものだったのか、日本人が自ら選んだものだったのか

原爆の話はとても参考になった。私のツイッターでも言及したが、トルーマンやバーンズは原子爆弾を正しく理解していなかったんじゃないかと思う。彼らは1880年代生まれで、まだまだ原子物理学に対する理解ができていなかったと思う。最先端科学過ぎて彼らには理解できなかったと思う。あとから報告を見て原爆の残虐さ・残酷さを知って、自分たちが原爆の投下を促したことを誇れなくなったんじゃないかと思う。まあ、それでも最終的な決断をしたのはトルーマンだからトルーマンに責任がある。当時の軍人たち、アイゼンハワーもカーティス・ルメイも原爆投下の必要はないと主張してたと思う。オッペンハイマー個人も反対だったと思うが、ロスアラモスで原爆を作った科学者たちで投票して投下に賛成が多数だったとは思う。興味深いのが高額の開発費用を伴い、開発可能か不可能かも分からない原爆開発のGOサインをルーズベルト個人が大統領権限で承認していることで、第二次大戦だけでなく今後のすべての戦争のあり方を変える核兵器開発を意識していた感じがすることだ。これによって人類の歴史は大きく変わった。もし、米国が開発していなければナチスも失敗していたことだし、ソ連も米国の開発成功という先行事例がなければ巨額の開発予算もつけなかっただろうし、人類は核兵器を持たなかったかもしれない。経済学者のケインズはルーズベルトと会談したあとで「大統領はもっと賢いと思っていたのだが。あ、数学的な意味で」と言っていたように、ルーズベルト自身はそんなに科学に強かったわけではない。歴史と海軍に詳しかったくらいで、元々、法学出身だったはずだし。ただ、SF作家のウェルズと少しだけ親交があったくらいで。でも、彼のサンキー権利章典が後にルーズベルト夫人が国連で通した世界人権宣言につながっている。そして、それは内容的には日本国憲法にも通じている。ともかく、FDRは世界の歴史を大きく変えた。日本人はFDRを悪く言う人が多いが、それは視野が狭すぎると言わざるを得ない。ちなみに日本が真珠湾攻撃をしなかったら、ルーズベルトは参戦できなかった。米国内は参戦に反対だったから。ルーズベルトは欧州でのナチスの台頭に心を痛めていたが、米国民はそんなことには無関心だった。日本が真珠湾攻撃をしたおかげで、ナチスは米国に宣戦布告して米国も参戦することになった。ただ、ヒトラーは真珠湾攻撃があっても米国に宣戦布告しないという選択肢もあったが、なぜかヒトラーは米国に対して宣戦布告してしまった。これは歴史の謎だとキッシンジャーが指摘している。そんなわけでナチスを倒すのに日本は間抜けな一役を買っている。太平洋戦争などせずに泥沼の日中戦争から撤退していれば満州だけでも残ったかもしれない。日本は本当に走り出したら止まらない。暴走に暴走を重ねる。そして、今もその性分は変わっていないと思われる。

残念だったのは、天皇制を残してしまったこと。第一次世界大戦にならえば、ドイツのウィルヘルム二世が王位を追われたように、天皇も王位を追われてしかるべきだった。ウッドロー・ウィルソンは偉かった。トルーマンは反共・反ソではあったが、それ以外は理念はなかった。実に残念な話だ。FDRが生きていれば、これも違っていたはずだ。惜しい。

8月17日(月)
4~6月期GDP、年27.8%減 コロナ直撃で戦後最悪―景気回復緩慢の恐れ
リーマンショックよりも大きな落ち込みとのこと。深刻だ。実は他人事ではなくて、私の働いている業界にも影響が出てくる可能性がある。皆、生き残りをかけて競争するから、あと数カ月後に影響が出てくるかもしれない。

安倍首相、健康不安説が再燃 病院で検査、政局影響も
やっぱり、あれかな、時間的なタイミングで考えると、この時期のストレスは河井克行・案里夫妻の公職選挙法違反で逮捕された件で、自分にまで罪が及ぶのを恐れてのストレスが原因だろうか?黒川弘務を検察トップに擁立するのに失敗したから余計に不安だろうし、菅原一秀の件も検察審査会が不服申立てを受理しちゃったし、逃げられんかもと不安に思ったのかもしれない。

8月18日(火)
韓国、世界シェア首位品目で日本に並ぶ
余談だが、パジェロが生産終了するらしい。また、東芝がダイナブックの全保有株をシャープに売却したらしい。そして、パナソニックも半導体事業の大半を売却する。もうね、日本の落日に目を覆いたくなる。しかし、私の周囲ではそんなことなど露知らず「日本凄い!」のままでいる能天気さ。TVの罪深さよ。それにしても日本はどうなってしまうんだろう・・・。

全裸の女性を男性ブロックで晒し者にした東京入管。収容施設に蔓延する非人道的行為を告発する
以前からのりこえネットの情報では、入管が酷い人権侵害をしているということは言われていたのだが・・・。

8月19日(水)
「フォートナイトの乱」はApp StoreとGoogle Playストアに大変革をもたらすのか?
ゲーム業界には疎いのでよく分からないのだが、何かが起こっているらしい。

国民民主、立憲との合流決定 分党は代表、幹事長一任
うん、まあ、しょうがないけど。打算だからね。今後も分裂と合流を繰り返すのだろうと思う。議員一人ひとりの支持層の背景があるから。そして、保守とリベラルが混沌としているから。リベラルとして洗練されていけばいいのだけど、それにはまだまだ時間がかかると思う。何よりリベラルを支える有権者が育っていない。結局、有権者自身が既得権益の損得勘定で動いているに過ぎないから。まあ、衰退してゆく国の国民とはこういうもの。自業自得。とはいえ、とりあえず自民党政権を打倒して政権交代せねば。

8月20日(木)
マリ陸軍大佐、自らを軍事政権トップと発表 国際社会はクーデター非難
アフリカのマリ共和国というところでクーデターが起こったらしい。事情がよく分からない。

ベラルーシ大統領選、不正を暴露 地元メディア、証言や録音
ベラルーシで何が起こっているのか。

ロシア野党指導者ナワリヌイ氏、意識不明で集中治療室に搬送 紅茶に毒か
ロシアは暗殺によく毒を使うからなあ。

8月21日(金)
トランプ氏元側近バノン氏を逮捕・起訴 壁建設の資金詐取か
メキシコとの国境に壁を築くためのお金が集まるところが米国らしい。

8月28日(金)
安倍首相 正式に辞意表明「負託に自信を持って応えられない」
安倍首相が辞任を正式に表明した。これまでの安倍政権の振り返りはまた別途行うとして、辞任の理由について考えたい。辞任の理由は病気とのことだが、本当の理由はもっと別にあると思う。支持率の低下を上げる人もいるかもしれない。しかし、支持率が下がると株価をつり上げて支持率を回復するというのがこれまで何度もなされてきた。なので、支持率が低下したことをそんなに気にしているとは私には思えない。日本人が忘れやすいことやその時々の空気でコロコロ支持率が変わることを安倍政権は心得ていると思うからだ。支持率なんて表面上はともかく本音ではそんなに気にしていないのではないかと思う。では、一体何が安倍首相を辞任に追いやったのか?私は検察ではないかと思っている。黒川検事定年延長問題で見られたような検察との権力闘争に安倍政権が破れて、辞任と引き換えにこれまでの犯罪を不問に伏すというのを検察と政権との間でやり取りして為されたのではないかと思っている。だから、もし「辞任は民意を反映した」などと考えているのであれば、それはリベラル派の勝手な解釈ではないかと思う。

さて、安倍政権の振り返りをするときに大事な点がある。それは財政問題だ。安倍政権が黒田総裁を日銀に据えてからムチャクチャをやってきた。そのため、日本の財政は深刻を極めている。そのツケを後の政権や世代が払わねばならない。責任が安倍政権にあることを明確にしておかないと、あたかも後の政権が悪いとなってしまいかねない。そうではない。元凶は安倍政権時代にあるのだということをハッキリと検証しておかなければならない。ここは本当に注意しておかないといけない。また、アベノミクスを検証することと財政問題を検証することをゴチャゴチャにしてしまう可能性が高い。たしかに複雑に絡まり合ってはいるのだが、上手に腑分けしないと財政問題を隠蔽してしまいかねない。ハッキリ言って安倍政権の政治家と官僚は財政問題で万死に値する行いをやってきた。だから、皆、口を揃えて責任逃れをするだろう。責任逃れは絶対に許してはいけない。


まとめ
8月は暑さのためにニュースを十分にチェックできなかった。なので、おそらく見落としがあると思う。

8月を振り返ると海外の様々なニュースがあった。香港の周庭さんの逮捕から釈放のニュースや民主党副大統領候補にカマラ・ハリス女史を選んだニュースなどが大きかった。他にもベラルーシの件やマリの件、反プーチン候補暗殺未遂のニュースがあった。国内に目を向けると、コロナの影響で日本経済の没落がさらに進んだようなニュースが目についた。また、日本の人権軽視の施策がところどころ目についた。だが、何よりも月末近くに起こった安倍総理辞任のニュースが一番大きかった。安倍政権の検証はこれからじっくりしなければならないが、とりあえず一つの時代が終わった。ただし、自民党政権がこれからも続くので気が抜けない。




2020年7月31日金曜日

NEWS2020.07


7月1日(水)
周庭氏ら香港活動家4人、民主派団体を脱退
今までよく頑張ったと思う。あとは生きのびてほしい。

中国、人口抑制でウイグル人に不妊強制か 報告書
このニュースは本当だろうか?本当ならば恐ろしいことだ。


7月4日(土)
高速道路、ETC専用化へ
マジか。ううむ。

7月5日(日)
【速報】小池百合子氏が当選確実 わずか4秒で
あ~あ。やれやれ。ガッカリ・・・。

7月11日(土)
200710 NO HATE TV 第90回 「リベラル・レイシズム」

ちゃんと見れてないけど、今回の都知事選の分析、こういう見方もあるかと思ったり。ただ、改めて思ったのは、日本では、保守>リバタリアン>リベラルくらいの順で、リベラルが少数派なんじゃないかと思う。さらに日本のリベラルは世界のリベラルとちょっとズレているとも思う。(とはいえ、世界のリベラルも地域や様々な属性によって異なってはいるだろうけど。でも、日本のリベラルはその中でもちょっとズレが大きいとは思う。)で、解決策は、日頃からリベラル派を増やすように地道に啓蒙活動をするしかないと思う。ただ、長期的に見ても、日本でリベラル派が保守派と張り合えるほど大きな勢力になるのはけっこう困難だという気がしている。しかし、なにもしないよりは啓蒙活動した方が少しでも良くなるとも思う。気をつけたいのは現実主義路線とか言って力を求めるあまり、保守寄りな選択をしてリベラルの道をねじ曲げてしまうことで、それは本末転倒だし、日本の悪い癖で上辺だけ装って中身が違ってしまうなんてことになりかねない。なので、不人気でも地味にリベラルを続けることだと私は思う。

7月21日(火)
英外相、中国がウイグル人に「おぞましい」人権侵害と非難

以前から言われていたが、これは本当に事実なのか?事実なのだとしたら恐ろしいことだ。真相を解明してほしいが、超大国中国に対してそんなことができるか・・・。

マックやスタバも運用開始したデジタル人民元は基軸通貨ドルを脅かすダークホースになり得るか?
ついに始まったか。中国のことだから、必ず「支配すること」が内包されていると思う。個人的には使いたくなくても広まってしまえば使わざるをえなくなる。そうなると「首根っこを抑えられる」ような状態になってしまうかもしれない。

7月24日(金)
米司法省、平和的デモへの警察対応調査 過剰な実力行使か
驚く。トランプのやりそうなことではある。だが、それを支持する層が米国内に一定数いるのも事実だ。米国内の分断。双方の溝がどんどん広がっているのだろうか。以前、トランプによる米軍への出動要請に対して米軍が断ったのが救いだった。しかし、今後、それがいつまで続くかは分からない。他人事ではないと思う。日本の自衛隊もネトウヨ講師陣を招いて講義しているらしいので、自衛隊員のネトウヨ化もかなり進んでいるのではないかと思う。民主主義国における軍隊のあり方なんて高度過ぎてなかなか理解されないんだろう。

7月28日(火)
日産、6700億円の巨額赤字に コロナ拡大の影響直撃

吉野家・はなまるうどん・京樽 最大計150店を閉店へ

7月30日(木)
李登輝台湾元総統が死去、97歳 民主化推進、本省人の親日家
巨星墜つ。

まとめ
7月のニュースはコロナウイルスの第2波が基調にあった。東京を中心に次第に増えていく感染者。ロックダウンするのか、それとも経済を優先するのかがあり、そんな中でGotoキャンペーンなるものがあったが、賛否両論というか、どちらかというと不安の声の方が大きかったように思う。とはいえ観光関連の業界としてはコロナの影響による収益の悪化で悲鳴を上げている状況でなんとかしたいという気持ちもありで、難しい選択だった。結局、消費者の不安が勝ってキャンペーンは失敗だったように思う。そして、企業の業績悪化が次第に鮮明になりつつある。日本がどんどん衰退してゆく。

感染源が「夜の街」という表現で風俗産業を槍玉にあげる風潮もあった。(「夜の街」は接待を伴う飲食業も含むのでそれを風俗産業と位置づけるのもどうかと異論があると思う。)ちなみに人間の営みの中でセックスは大きな位置を占めるので、セックスワークを蔑ろにするのは違うのではないかと思う。日本人は兎角「生命を維持するための飲食以外の欲求は我慢しろ」という風潮が強い。しかし、「人はパンのみに生きるにあらず」で、セックスは人間にとって欠かせない営みだと思う。したがって、セックス産業も不可欠な仕事であるので、それを貶めて抑圧するのは間違っていると思う。セックス産業が感染源にならないような仕組みを構築する方向に努力するべきだと思う。

コロナ以外の今月のニュースを振り返ると、まず香港だ。ついに香港の抵抗がひとつの終焉を向かえた。雨傘運動から始まった抵抗運動、よく頑張ったと思う。中国関連でいえば、BBCによるウイグル人に対する弾圧が大きなニュースだった。以前から言われていたことだが。チベットとウイグルは漢民族による支配で中華化されてしまうのだろう。とても悲しいことだ。韓国や日本の場合、人口が多いので、そのようなやり方は無理だと思うが、支配階級を親中で固めることで支配しようとするのではと思う。基本的には経済的に包囲・支配する方法に出ると思う。

東京都知事選。2つの点で勉強になった。1つは小池百合子への支持が多いこと。私は全然支持する気持ちが無かったのだが、東京ではそうではないことが統計的に分かった。もう1つは山本太郎の意図。出馬の意図は当選が目的ではなく、人々の支持を持続させるためのイベントだった。このやり方を快く思わない人々もいるだろう。ただ、政治家としては生き残るためには政治運動を続けなければならないし、選挙は大事な政治運動でもある。バーニー・サンダースもそうだった。仮に山本太郎と宇都宮健児が逆の立場で宇都宮健児が支持者を増やすためだけに出馬した場合、それを是とするかどうか?そのときの状況にもよるとは思うが、この戦術そのものを否定することはできない気がする。ただ、いずれにしろ、私はMMTには懐疑的なので山本太郎は支持しない。ということで、やはり、政策で判断すべきだと思う。

米国のBLM関連のデモ。どうも米国の警察は私が思っていたようなものではないらしい。十把一絡げにはできないが、警察官の中には白人至上主義者もいるらしい。エミコヤマさんのツイートで黒人女性が自宅に強盗に入られたと通報したら、駆けつけた警官にその女性自身が撃ち殺されたという話があって、警察に通報するのはけっこうリスクが高いという話を読んで驚いた。そんな風に思ってネットで色々見ていたら、今度はトランプ大統領がよく分からない警察を派遣したとか自警団かもとかというニュース映像で、さらに拉致してたりと、えっ、こんなことがアメリカでという驚きの映像が続いた。ただ、プロテストのひとたちも負けてなくて、強い信念や意思を感じた。しかし、アジアの場合はこうは行かないんだろうなという気もする。公権力の方が圧倒的に武力で勝るような気がする。結局、アジアは全体主義に向かい、欧米は曲りなりにも自由主義を維持するのかもしれない。ちなみに日本は中心が空虚な全体主義に向かう気がする。昔と全然変わってないと気がする。

日本の衰退を日々感じる。しかし、私の周囲ではいっこうに感じてない。仮にそれらの人々が衰退を感じとれた場合、果たして適正な対応がとれるだろうか?甚だ疑問である。かえって劇薬を選択してしまいそうな恐れがある。そもそも、それらの人々が変わることを期待しても無理ではないか。老人はもはや変われない。それならば、いっそ「いざ急変」というときに対応できるような次世代を密かに育てておく方が良い気がする。しかし、損失回避の時間が長引けば、待ち時間が長すぎて待機している次世代も腐ってしまう。難しい。

2020年7月26日日曜日

日本の構造問題


(1)中央集権型ツリー構造


単純化していうと日本の構造は上図のような中央集権型ツリー構造だ。政治も内閣に権限が集中しているし、経済も戦時経済体制を継承した統制資本主義だ。工業国としては中央集権体制は適した体制だった。しかし、インフラが成熟した知識社会の場合、中央集権型ツリー構造では豊かな社会を構築するのには向いていない。成長した大木の場合、幹ではなく枝葉を豊かに繁らせなくてはならない。枝葉を豊かにするには、それぞれの太い枝が末端の枝葉をどの方向に向けるかを決めなければならない。すべてを中央で決めるのではなく、各々の太い枝で方向性を決めるのが適している。

(2)分散型ツリー構造
したがって、中央集権型ツリー構造を下図のような分散型ツリー構造に変えるべきだ。



これは政治に見立てたら、以前から言われていた道州制だ。国がお金を持つのではなく、それぞれの地方がお金を持ってその地方に適したお金を配分する。ひと言で言えば、連邦制だ。

(3)ツリー横断型ネットワーク
さらに知識社会は情報社会だ。知識やマネーが縦横無尽に流通するネットワークが必要だ。インターネットというインフラを人類は手に入れた。情報を末端まで流通させるテクノロジーは可能になった。そこで分散型ツリー構造を補完するために下図の赤線のような、ツリーを横断するリゾーム状のネットワークを形成する。実際には、専門化・特化した組織(NPOやNGOや企業)がそれぞれの得意分野を生かしてツリー構造をバイパスして補完する。

(※リゾーム状にツリーを横断するバイパスのような描画にしたかったのだが、上手く描けなかった。)

(4)弊害
いまだに日本は中央集権型ツリー構造の夢を見ている。その典型例がリニア中央新幹線だ。「新幹線の成功をもう一度」という夢から同じことをしようとしている。しかし、すでに新幹線があるのに、似たようなものを作ることにあまり意味はない。むしろ、莫大なお金が注ぎ込まれて弊害の方が大きいだろう。(今後も無用の長物を作ろうとする愚行が日本が破綻するまで続けられる可能性が高い。)

(5)構造転換は可能か?
中央集権型ツリー構造から分散型ツリー構造+横断ネットワークへの転換は可能だろうか?それはかなり難しいと考えられる。理由は転換によって既得権益層が利益を手放すことになるからだ。既得権益層は権益を手放すよりはジリ貧になる方を選ぶ。ガラポン(=リセット)されていきなり利益がゼロになるよりは、いずれ衰退しようができるだけ現在の構造で利益を手に入れようと抵抗するだろう。

(6)メディアも国民も同罪
権力を監視するメディア(=ジャーナリズム)も同じだ。例えば、新聞では日本はまれにみる全国紙が強い国だ。中央集権型ツリー構造だから中央に張り付いている全国紙は強い。しかし、分散型ツリー構造になれば地方紙が優位になってしまう。全国紙が地方紙に利益を譲ることなど考えられない。2000年代、全国紙は「総論賛成、各論反対」だった。敵を作らず、適当に茶を濁してきた。すべての読者によい顔を見せようとして個別具体的な批判を避けてきた。テレビもまったく同じ構造だ。(ダム建設批判や原発事故後の電力批判が視聴者やスポンサーの顔色を窺っていつの間にか雲散霧消した。)

そして、国民自身も同じだった。自らが所属する組織を守るために「総論賛成、各論反対」を続けてきた。言わば日本国民全員が構造転換に反対だった。これでは構造転換など不可能だ。したがって、日本はこのままジリ貧に衰退してゆく。当然の帰結だ。衰退の責任は一部の既得権益層だけでなく国民自身にもある。

(7)まとめ
構造転換が必要なのは明らかだが、統制された中央集権型ツリー構造の日本はそれを変えることが構造的にできないでいる。政治もメディアも機能していない。逆に規制によって構造を強化して、構造転換が難しくなるようにさえしている。結果、既得権益層を守るために、切り捨てられるのは弱者や未来の可能性だ。

考えてみれば、繁栄はいつまでも続かないということなのだろう。日本も同じだ。明治維新でアジアで先駆けて繁栄したが、戦争を起こして衰退し、戦後、運良く繁栄したが、90年代から始まる工業国から知識社会へ移行する段階で適応できずに躓いた。そして、2000年にWTOに加盟した眠れる獅子の中国は経済大国として目覚め、もはや中国の覇権を誰も止められなくなった。世界史的に見て、強大な超大国・中国を近隣にした日本の今度の停滞はかなり長期になると思う。そればかりかチベットやウイグルを見ていると日本は消滅する可能性さえあると思う。

諸行無常なり。

2020年7月19日日曜日

個人の問題

日本人の個人の問題について考えている。といっても、考えがまとまっていないので、つらつらと思いついたことを書いてみる。たぶん、夏目漱石の個人主義なんかも遠くは関連しているかもしれない。

男女の違いについて私は下図のような仮定を考えている。


男性は円形で、女性は四角形だ。

これらを重ね合わせると、重なる部分と重ならない部分が生じる。



そして、重ならない部分は互いに理解しがたい部分になる。
たまに相手のことを包摂してしまう場合もあるかもしれない。

しかし、それは一面的な部分であって、全体としてはどちらかがどちらか一方に完全に把握されてしまうことは人間の場合無いと思う。この図は分かりやすくするために平面で描いているが、人間はもっと多次元で多面的だから様々な局面でこういう分かり合えない部分が多数存在すると思う。

それでも男女がパートナーシップで暮らしていけるのは愛があるからかもしれない。愛は互いの溝を埋めるブリッジのようなものだと思う。愛は溝を埋めることはできないが、溝の一時的に乗り越えることは可能にする。


ただし、日本では愛は誇張され過ぎているかもしれない。人間の内面には、様々な力がある。欲望などは強い力だ。金欲、物欲などだ。性欲も強い。食欲なんてのはあまり弱いと困る。そういった力の中で比較すると愛は微力だ。経済活動では欲望が大きな原動力になっているが、それに比べて愛はそんなに大きな原動力になっていない。

しかし、注意しなければいけないのは、愛は大切だということ。「愛は偉大で最も強い力」だと誤認してしまうと、放っておいても愛が作用して人々を救ってくれると勘違いしてしまう。しかし、実際は愛は微力なので忘れられがちだ。だからこそ、愛の大切さを説いて、愛を喚起してやらねばならないと思う。(ちなみに日本人に愛は馴染んでいない。昔は慈悲がそれに相当したし、愛は仏教用語でいう渇愛で斥ける対象でさえあったと思う。せいぜい情をかける程度だと思う。ギフトとしての愛なんてほとんど定着していないんじゃないかとさえ思う。)

男女間の溝なんて持ち出してしまったが、自己と他者でも同じような図式で捉えられると思う。自己と他者にも乗り越えられない溝があるのだ。だからこそ、個人には自由意思があると思うし、個人を個人たらしめているのはこの自由意思だとさえ思う。

じゃあ、個人はなにものとも繋がっていないのかというと、そこはちょっと微妙だと思う。キリスト教的に考えれば個人の魂は神とつながっていると思えるし、インド的に考えればブラフマンとアートマンでつながっているとも思えるし、仏教的に考えれば真如と阿頼耶識はつながっているとも思える。あるいは輪廻で生きとし生けるもののすべての魂はつながっているとも思える。ただし、親子で魂はつながってはいないのだけは確かだ。日本では母子でまるで魂がつながっているかのように錯覚していないだろうか。魂は孤独なものであることをもっと自覚した方がいいと思う。で、愛という微力なものが人々にブリッジをかける。とても微力だが。

話題を変える。

個人のセクシャリティを花に喩える。人間のセクシャリティは子どものときは種であって、どのような花が咲くかは分からない。大人に成長したときに花が開花してはじめてその人がバラの花だったり百合の花だったりタンポポだったりと分かる。つまり、レズビアンだったりゲイだったりトランスだったりクィアだったりする。しかし、親は自分と同じ花を咲かせると勘違いしやすい。しかし、セクシャリティの場合、親が桜の花だったとしても、子どもは百合の花を咲かせることはよくあることだ。むしろ、親も子どもも同じ桜の花を咲かせる方が希な気がする。さて、問題は親が桜で子どもが百合だったとき、親が子どもに「おまえも桜になれ」と強制することだ。まあ、ムチャクチャで不幸なことを親の誤認から始めてしまうわけだ。親として子どもを愛しているならば、子どものありのままを受け入れて成長・応援してやることが親の愛だと思う。レズでもゲイでもトランスでもクィアでもだ。セクシャリティという一面だけを捉えても、親子でも、男女の相違のように、自己と他者は異なり、溝が存在する。

話題を変える。

「らしさ」についてだが、「男らしく」とか「女らしく」の「らしさ」だが、今は亡き森毅さんが良いことを書いておられた。「男らしく」や「女らしく」ではなく、「自分らしく」ありなさいということを言っておられた。自分を何か型にはめるのなんておかしいと思う。ましてや、自分を他人から「○○らしくありなさい」と規定されてしまうなんてまっぴらごめんだ。

話題を変える。

日本人は自由意思を軽視しがちだし、人権もあまり考えたことがない。もっとも、人権を完成されたものと考えるのもちょっと問題だとは思う。私はけっこう気をつけているつもりだが、それでも気づかぬうちに差別してしまっているなんてことがある。(人権はまだまだ過渡期に思う。)人権を踏みにじるのは許されないが、過ちをあまりに強く非難するのもどうかと思う。人間は誰しも過ちを犯すものだからだ。(「ひと誰か過たざらん。誤りてひとこれを能く改むる」だっけ。)それと、よく言われるように、日本人は同調圧力が強い。「日本人は皆同じ」だと思っているフシがある。これは大きな間違いだし、これは多くの不幸を生むと思うので早く止めてほしい。「酒を飲んだらハメをはずして腹を割って話して仲良くなる」なんてのも止めてほしい。何なんだろう、この田舎者的発想は。酒を飲まないトランプ夫妻を居酒屋に誘って親密さをアピールってのもそれに由来するのだろうけど、日本人、訳わからん。それと、海外で大きな事故があったとき、ニュースの最後で事故に巻き込まれた日本人の有無を言うのも、半分、どうかと思う。問い合わせの要不要の情報として流しているのかもしれないが、半面、日本人が巻き込まれていなければ「良かった」となるのだろうか?日本人以外の人命はどうでもいいのかと。

話題を変える。

私が子供の頃は戦争を引きずった大人が近くにいたものだった。それは戦争を深く反省していたことと、戦後の焼け野原から日本の復興のために必死に働いていることだった。日本の敗戦はそういった大人のメンタルに深く突き刺さっていた。それは元来物事を深く考えない日本人を深く考えさせる原動力となった。しかし、経済成長で次第にそういった陰や深みは薄れっていった。決定的だったのはバブルが日本人のメンタルを堕落させた。まあ、全部が全部とは言わないが。バブルによって日本はもう一段ステップアップするチャンスがあったが、そのチャンスをものにできなかったと思う。結局、日本人のメンタルはそれ以降浅薄なものになってしまったと思う。そして、学校教育が日本的集団心理を再生産する場となってどんどん日本的集団心理に適応した人間を培養していったと思う。会社も社会も学校の延長になってしまった。あとはあらゆる場面でその繰り返し。

以上、ここまでフリーライティングで書いてみた。で、日本人のメンタルを変えるには『日本を変革する1』で書いたように家族から変えなければならないと思う。親子であっても互いに独立した個人であることを認識する。カギとなるのはセクシャリティだと思う。『21世紀はセックス革命』と書いたように、こんな日本人でさえもセクシャリティは多様に発現すると思う。そのとき、軋轢が生じて、人々は改めて物事の本質について考えるようになると思う。そして、それは戦いになる場合もあると思う。それは単純化していえば、保守vsリベラルの戦いになる。戦いを嫌いだが、戦いを避けてばかりではいけない。自由を得るためには戦わなければならない。ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん、だ。

2020年7月11日土曜日

日本を変革する(5)まとめ

これまで『日本を変革する』というテーマで4回の記事を書いた。今回はそのまとめを書いていこうと思う。

第1回では『家族を変革する』で子供中心の家庭から夫婦中心の家庭へという提案をした。これは以前に書いた『21世紀はセックス革命の時代』とも関わっている。

日本はこれまでセックスにはあまり触れないようにして社会を築いてきた。よく言われるのは「子供の教育上良くない」という理由でいろいろな変革を日本社会は拒否してきた。それは日本社会が大人を基準に社会を構築するのではなく、子供を基準に社会を構築しようとする傾向が強いことを表している。

また、セックスは人間に自然に備わっている本能なので、なにも教えなくても自然にできるものだという勝手な思い込みがあり、そのためもあって性教育も疎かだし、セックスに関する必要な正しい情報も少ない。大人になれば食欲があるように性欲があって、セックスライフが生活の重要な一部分であるにも関わらず、日本人のセックスライフは貧しいものになっている。

さらに個人のあり方が日本の子供中心の家庭によって大きく阻害されている。日本の親子関係がそれだ。日本の親子関係の問題を最もよく表しているのが毒親だ。成人した子供であっても親が子供を独立した個人として認めずに、自分の影響下・支配下に置こうとする。子供は経済的に自立することではじめてその呪縛から解放されるのだが、親はその支配をなかなか手放そうとしない。そもそも、なぜ親はそうなってしまうのかというと、親自体が独立した個人として人格的な成長ができていないからだ。人間は孤独な存在であること、独立した存在であることを受容できていないからだ。これが個人だけにとどまるならば個人の問題として済む話だが、この傾向は展開されて、「日本人は皆同じ」という異常な同調圧力へと拡大されてしまうのが問題なのだ。

なので、まず、家族のあり方から変えねば、日本の根本は変わらないと思う。

次に、『市場を真っ当なものにする』ことを提案した。日本の経済は市場経済で資本主義だと多くの人は思っている。しかし、実際は違う。日本人は資本主義のルールをねじ曲げて特異な市場経済に変えてしまっている。

これは日本の儒教と似ている。幕末の儒学者、横井小楠は儒教を根本的に学ぶ中で日本の儒学が本来の儒教の姿をねじ曲げてしまっていることに気づいた。本来の儒教では禅譲といって能力主義だったはずが、日本の儒教では血縁主義になっていた。本来の儒学ではそれは大間違いであるのに、日本の儒学者たちはそのことを黙認してしまっていた。結局、日本では歪められた儒教が定着してしまっていた。そのことを指摘した横井小楠は日本人からは社会を根本から破壊する過激派と危険視されてしまう。

現在の日本の資本主義もそれと同じだ。市場経済・資本主義と銘打っていても、実際はかなり歪められたものになっている。最たるものが規制だ。新規参入を阻むために規制を設けて既得権益層が安定して利益を上げられるように歪めた市場にしてしまっている。その結果、日本経済は世界経済からどんどん遅れをとっている。不合理なことばかりやっているから当然そうなる。

国内のくだらぬ規制を撤廃して市場原理が正常に機能するように市場を真っ当なものにすることが解決策だ。市場原理が正常に機能するようなれば、日本の企業は自然と淘汰されて大企業と個人商店の2つに二極化すると思う。

3つめが『分権とネットワーク』だ。これまでの日本は工業国モデルで中央集権型のツリー構造だった。戦後の高度経済成長期はそれで良かった。しかし、知識社会へ移行するためには中央集権型のツリー構造では現実に対応しきれない。まず、中央集権型から地方分権型に変える必要がある。幹を作るときには中央集権型は優れているが、幹を作り終わったあとの枝葉をその地域に張り巡らせるときには地方分権型の方が優れているからだ。今の日本は枝葉を作る段階にある。

さらにシンプルなツリー構造だけでは真に豊かにはなれない。ツリーを横断するネットワークの活躍がそこには必要だ。(それは大脳のシナプスに似ている。言語とはまさにツリーを横断するネットワークだ。)問題はネットワークを張り巡らせるには時間が必要なことだ。あ、それと個人個人の一個人の能力の高さも必要だが、それこそインターネットがそれを可能にすると思う。時間を作るためには労働時間を定時できっちり終わらせることとテレビを見ないことだ。日本人の共通感覚を養うためにテレビは共通の話題として役立ってきた。しかし、多様な個人の生き方を認める社会なのだから、共通の話題はそれほど必要としない。ニュースを見る必要はあるが、バラエティを見る必要はない。可処分時間をネットワークのための時間や個人の能力を高める学習の時間に使うべきだと思う。

最後の4つめが『記録と蓄積』だ。とにかく、日本人は意思決定過程を記録するというのが苦手だ。その根底には道理で物事を決めることが苦手だというのがある。集団心理で雰囲気で物事を決めている。それは無謬性とイジメの心理だ。考えてみれば愚かな話だ。人間は完璧ではない、間違いをときには犯す。それを受け入れて、振り返って修正していくためにも、道理で考え、その記録を残し、後日検証して、改善していくという当たり前のことができていない。だから、それを改善するためには記録することだ。そして、振り返って改善してゆく。ひと言でいえば、PDCAサイクルだ。ちなみに、政治や社会のチェックを行うのがジャーナリズムだ。ジャーナリズムを正常に機能させるためには、ジャーナリズムは独立した存在でなければならない。ジャーナリズムにはお金を払おう。ただし、ジャーナリズムに対しても無批判であってはならないので、自分の目でよく確かめることを怠ってはならない。

以上、4つの提案を行った。こうやって並べると新しい日本のグランドデザインが見えてこないだろうか?まず、日本的家族の呪縛から解放して個人を確立する。歪んだ規制を撤廃して市場経済を正常に機能させる。中央集権型から地方分権にして頭脳を地方に分散する。同時にネットワークを張り巡らせて硬直したツリーを補完する。そして、記録して振り返ってシステムを改善してゆく。これらが21世紀の日本が進むべき道だと思う。


2020年7月5日日曜日

日本を変革する(4)記録・蓄積

日本を変革するシリーズの最後です。最初、家族を変えるから始まり、市場を変える、日本の構造を変えると続きました。最後は、それを永続的なもの、持続可能なものにするための方策です。それは記録すること、そして、その記録を蓄積することです。

(1)意思決定過程を記録する

日本に一番欠けているものは意思決定過程を記録しないことです。ひと言で言えば、公文書管理がなっていません。なぜそうなるかは簡単です。物事を空気で決めるからです。もし意思決定過程を記録に残してしまうと責任の所在がハッキリしてしまうからです。道理がなくて空気で決めているので、意思決定過程を記録してしまうと、もろに責任が当人に降りかかるからです。

物事を空気で決めてしまうのは、いくつか理由があります。一つは日本人は議論ができない。議論をケンカだと思っている。物事を道理で決めるためには議論が必要なのにそれができないのです。もう一つは物事を道理で考えることがとても苦手です。日本人は抽象的に考えるのが苦手なので、道理で考えるのも苦手です。ロジックを積み上げるのが苦手なのです。さらに物事の大小が区別できない。具体的なものなら大小が区別できるが、抽象的なものになると大小の区別ができない。しかも、大小の区別ができないから枝葉末節にこだわる。枝葉末節を大なるものと勘違いしている。さらにそれが枝葉末節であると他人から指摘されても、議論が苦手なので他人の意見を受け入れられない。自説を曲げられない。ロジックの組み上げは共同作業のはずなのに、まるで勝敗を決める将棋の対戦でもしているかと勘違いしている。そのため、議論そのものが成り立たない。以上のような傾向があるから、日本人は空気で物事を決めるのが良いと思っていて、それを実践している。

そして、空気で物事を決めてしまうと、意思決定過程を記録するのが困難になる。なぜなら、そこにロジック、道理がないからです。日本人の意思決定は、ただなんとなく、その場のモヤモヤ~っとした雰囲気で決まっただけなのですから。なので、記録ができないのです。

さらに、議論の行方を黙ってうかがっている人の中には損得勘定を働かせている者もいます。黙って議論を見守り、自分の得になりそうな機会があれば、自分の損得勘定を他者に悟られないように注意しながら、議論の方向をそれとなく自分が得になる方向に向かうように促したりします。こういうたちの悪い輩が黙っている者の中には隠れています。

さて、こういった問題は教育の問題だと思います。学校教育で複数人における議論と意思決定過程の記録をする訓練をしておくべきです。なんでも良いのですが、例えば10人の昼食費1万円が与えられたときに何を食べるかを意思決定させる練習をするのです。同じものなのか、バラバラなのか、あるいは、みんな同じ店か、ばらばらに買いに行くかすべて自由です。どういった選択をしてもかまいません。ただ、議論とそれを記録するということだけはしっかりやる。

私の周囲の大人たちを見ていても複数人での意思決定が苦手だと感じます。大抵、遠慮がちです。ここでの遠慮がちは美徳ではありません。空気をうかがっているのです。合理的な選択や自由意思を尊重しようという気配はありません。日本人が気にしているのは集団心理です。極端な言い方をすると、自分が集団からいじめられないように周囲に気を配っているのです。これは人間の心理というよりは、サルの心理に近いです。彼らは道理が大切なのではなく、ボス猿のご機嫌が大切なのです。

(余談ですが、日本人の心理には、『浦島太郎』の古来からいじめがセットされていて、現在も学校教育がそれを培養しています。日本人がより良く変わるためには、いじめを克服する必要があると思います。)

(2)データを蓄積する

さて、記録を習慣化できれば、あとはそれを持続することです。そうすれば、記録がどんどん蓄積されていきます。そして、記録を振り返ることで何らかの知見が得られるはずです。ところが、日本人は記録を蓄積することが苦手です。日本人の生き方は刹那的です。「今が良ければ良い、明日のことは知らない」という人が意外と多いです。

なぜそうなるのか?日本人は記録というよりは書類を作っていると感じています。つまり、極端に言えば、お役所に必要な書類を作っているのです。お役所に必要な面倒な書類作成だと思っているのです。だから、面倒な仕事は増やしたくない。お役所が要求する書類だけ作っていればいいという感覚です。

それともう1つ、日本人は物は重視しますが、情報や知識、そして人間を軽視しています。情報や知識は抽象的な部類に入るようで物のように大切に扱われません。そして、人間。人物は複雑です。人物は物ではありません。人格は複雑なソフトウェアです。日本人の人物評、人間観察力は単線的で浅いです。人間を軽く見ています。個人の自由意思や人権を軽視しています。日本人の大切なものは、物とお金です。知識や個人を軽視しています。世界が知識社会に移行したとき、日本はついて行けませんでしたが、理由は簡単で、知識を軽視したからです。日本の没落の原因のひとつがそこにあります。

話が脱線しましたが、繰り返しになりますが、記録を蓄積し、時々、振り返れば、そこから新しい知見が得られると思います。後はPDCAサイクルでシステムが改善されていくと思います。なので、徹底的にデータを蓄積していくことです。

まとめ
変革の方策はとてもシンプルです。記録すること。そして、その記録を蓄積することです。そして、時々、それらを振り返って改善してゆくことです。



2020年6月28日日曜日

NEWS2020.06


6月2日(火)
トランプ米大統領、反ファシスト「アンティファ」をテロ組織に指定すると発言
アンティファについては、以前、シャーロッツヴィルで車で突っ込んだ極右に対して、一斉に警棒みたいな棒で反撃したデモ参加者たちを見たことがある。このとき車に轢かれた女性が死亡したはず。今回のニュース、日本では「どっちもどっち」的な捉えられ方をするかもしれないが、明らかに極右が悪いと思う。極右が暴力を行使するために、対抗策としてアンティファも暴力で反撃するしかないのだと思う。それに、今回暴動を起こしているのは本当にアンティファだろうか?別の主義思想団体では?CNNを襲うなんて、トランプ支持者ではないのか?それにしても暴力を煽るトランプは酷い。このような人物が大統領とは・・・。また、日本の大手メディアと日本の大衆については言い出すと長くなるのでここでは言及しないが、浅はかな人ほどこういうニュースでネトウヨ化が進行する。

6月5日(金)
知らない間にYouTubeでまじめな性に関する動画が増えていることに気づいた。まじめと言っても学問的とかではなくて、当事者による啓蒙動画が増えていると思う。これはスゴイことだと私なんかには思える。もちろん、それはありえないことではない。日本は無意識の国だ。見えない縛りがあって、無意識に人々はその見えない縛りを超えないように生きている。ところが、YouTubeがお金になることもあって、無意識であるがゆえに無頓着にそういった縛りを簡単に超えてしまえる。これは日本人の性に関する意識を大きく変える可能性がある。日本の学校教育は性教育を疎かにしてきたが、これを大きく改善する力を秘めている。こういう性の啓蒙動画がどんどん増えて日本人の性意識を変えて欲しいと思う。そして、改めて思う。YouTube、スゴイ!

ところで、YouTuberの共通点は、みんな、歯がキレイ!歯が白い!たぶん、みんな、ホワイトニングしているんだろうなぁ。

6月7日(日)
マル激トーク・オン・ディマンド 第1000回『ようやく見えてきたコロナの正体』

児玉龍彦氏によるコロナの話は理路整然としていて大変勉強になった。さらに現在の日本の科学技術や行政に対する評価は必見の内容だった。同時にそれは恐るべき内容でもあった。そして、児玉氏によるビデオニュースの評価には涙がこみ上げるほど感動した。「自分の足で立つ。自分の頭で考える。これを次の世代に」という言葉、まさに「これだ!」と思った。

いろいろなキーワードが印象に残った。曝露量、フィードバック、分散型などなど。専門家会議で正解は最初は少数意見だがフィードバックでだんだんそれが正解だと分かってくるという話も面白かった。空気を読むような日本の会議で問題を解決する正解が生まれるはずがない。分散型システムが問題を解決しようと失敗を恐れずにいろいろ試行錯誤してやっと結果が得られるのだと思う。もちろん、試行錯誤の中では、ダメなものもたくさん出てくるが、その中から良いものが出てくる。これは市場原理にも合致すると思う。まさに市場経済の分散型システムの強みだと思う。失敗は山ほど出てくるだろうけれど、失敗なくして成功はない。クラウドファンディングの話が出てくるのも偶然ではないと思う。

先端研が最初に取り組んだものが、徐々に他の機関にも拡がっていくというのも面白かった。ビデオニュースのような取り組みも(大変失礼な言い方で申し訳ないが)小さな小石のような取り組みかもしれないが、それが波紋のように波及して大きな波を起こして相転移のようにして日本を大きく変える可能性だってある。

やっぱり、失敗を恐れてはいけないし、失敗をあげつらう文化も良くない。過程をしっかり残してそれを検証して、新たに問題解決に生かしてゆく、ま、PDCAなんだけど、そのためにも意思決定の過程をちゃんと公文書で残して検証できるようにしていくべきなんだと思う。フィードバックという言葉はそういう問題解決のルーチンを端的に言い当てていると思う。

結局、データ主義なんだろうなあ。ハラリの『ホモ・デウス』で言っているデータ教の範疇だと思う。この話を突き詰めてゆくとAIが人間の知性をいつか上回ると思う。でも、この流れは止められないと思うし、止める方向に向かうのも間違っていると思う。でも、ホーキング博士の懸念も払拭できない。あるいは恐竜が絶滅したように人類も絶滅する運命かもしれない。人間だけが永遠不滅なんて虫が良い考えかもしれないからだ。そして生命はAIにその役割をバトンタッチするのかもしれない。世界を経験するという役割、喜びと苦痛に満ちた生という経験・・・。宇宙の終焉、ビッグクランチへ向かう折り返し点くらいで交代するのかも。

日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も
安倍政権の対応としては驚きはない。もちろん、私としては批判声明に日本も参加してほしかった。ところで、ネトウヨたちはもはや超大国・中国を批判するだけの気概はないのかもしれない。そして、いっそう韓国を攻撃するようになるかもしれない。しかし、一人当たりのGDPで日本は韓国に抜かれた。サムスンやLGの活躍、5Gの特許数や米国大学への留学数を見ても韓国が日本を上回っていると思う。YouTubeで韓国の人たちのチャンネルを見ても日本よりオシャレだったり先進的じゃないかと思うことが多い。近い将来、日本のネトウヨは歪んだ優越感を失うことになるかもしれない。

6月8日(月)
10兆円「白紙委任」変わらず 政府、予備費半額の大枠明示
この国、ヤバい・・・。なにもかも腐っている・・・。

6月14日(日)
検察を市民社会が絶えず監視しなければならない理由
数年来のマル激の視聴者である私としては、おさらい的な内容の話だったが、しかし、とても大切なこと。日本人はフローとストックでいうと、フロー重視でどんどん忘れていってしまう。しかし、こういう構造的な問題はときどき思い出して、まだ問題として残っていることを再認識しないと忘れてしまう。ま、昨今の黒川問題でいやが上にも思い出さされた問題ではあるが。

ただ、気になるのは「市民社会が監視する」とあるが、具体的にその目になるのはジャーナリズムだ。第4の権力。そして、情報の真偽を常に気にしなくてはいけない今の時代、単純に白黒の判断を下せないもどかしさと不安。常に懐疑的にならざるをえないシンドさ。その上、忙しい日常生活の中で効率良く情報を摂取しなければならない時間の無さ。いっそ、自分がピックアップしたニュースをストックしておいて人工知能にアドバイスしてもらいたい(苦笑)。「あなたはこの間までニュース界隈でこんなことを考えていたんですよ」と。なんか良い方法はないものか・・・。

6月16日(火)
性的少数者だからと解雇するのは違法 米最高裁が初の判断 
今の米国最高裁でこのような判決が出たことに驚く。嬉しい驚き。

れいわ・山本代表、都知事選出馬を表明 五輪中止、10万円給付を公約
山本太郎氏の支持層は低所得者層いわゆる下層だと思う。経済政策はMMT。私はMMTには懐疑的。10万円給付などは下層が喜びそうな政策。基本的には下層ターゲットのポピュリズムだと思う。それが悪いとは言わない。民主主義なのだから自分を支持してくれそうな層にフィットする政策を提示するのは当然ではある。ただ、私自身は日本のバーニー・サンダース的な草の根運動と堅実な政策を提示する宇都宮健児氏を支持する。反小池陣営からは山本太郎が立候補することで票が割れると非難する声があるが、そういう面も多少あるとは思うが同時に支持層は案外違う気もするが、いずれにしろ当人の自由で当人なりの考えに基づいて立候補するのだからそれは致し方ないと思う。ただ、私は都民ではないので投票できないのだが。

北朝鮮が南北連絡事務所を爆破か 韓国
なんとまあ・・・。いくらなんでもやりすぎだろう。

河井案里氏秘書に有罪判決 連座制適用対象の量刑判断
この事件、選挙資金の配分が10倍違うし、あからさまに買収しろという選挙資金としか読めないわけで・・・。

「技術的不備」イージス・アショア事実上撤回 安倍政権の求心力低下不可避
なんだろう?瓦解?

6月17日(水)
中印が係争地で衝突 インド兵20人死亡
核保有国同士の衝突って怖い。まあ、カシミール紛争ではパキスタンも加わって核保有国の3ヶ国での衝突でもう怖すぎるんだが・・・。

まもなく逮捕へ……河井克行・案里夫妻の“買収問題” 東京地検特捜部は全貌を解明できるか
東京高検検事長が黒川弘務から林眞琴に代わったので、さてどこまでやるのかに注目が集まる。

政府・与党、検察定年延長の特例削除へ 公務員法改正案は廃案
なんかもう、腐敗しているとしか・・・。

山尾氏、国民に入党届
立憲と国民の合併話もあるから、それも計算に入れてのことなのかもしれないが。それにしても、保守かリベラルかは大事な違いだと思うのだが、とはいえ、そもそも立憲自身が保守だとも言えるわけで、もう日本は総じて保守ばっかりなんだよなと。ま、日本国民が保守ばっかりだから仕方ないんだろうけど。やはり、日本ではリベラルは少数派なんだろうなあ。共産党も根っこは保守だからねぇ。やれやれ・・・。

立憲・須藤参院議員が離党届 都知事選で山本太郎氏応援
須藤元気の支持層は山本太郎の支持層と似たような層なんだと思う。だから、須藤氏の生き残り策としてはれいわ新選組に合流したいのだろうと思う。ただ、経済政策は彼らは財政出動型なんだと思うが、財源問題があるわけで、彼らはMMTを裏付けとするんだろうけど、私は甚だ危うい考えだと思っていて、むしろ日本の財政破綻を心配している。避けられないだろうけど・・・。それにしても、節操の無さを感じる。まあ、生き残るために必死なんだろうけど。ただ、昔からなんだと思う。幕末でも、みんな、節操がないもの。尊皇攘夷が一夜にして開国に変わっちゃう国だからね。みんな、命がけで「攘夷!、攘夷!」って言ってて、切った張ったしてたのにさ。もし、このときの意思決定過程を書いたら、もうムチャクチャだったと思う。複雑系的な意思決定過程だったりしてさ(笑)。それは哲学じゃなくて、大脳内の何らかの変化だよね。モヤモヤ~とした(笑)。

6月21日(日)
人種差別と収束しないコロナに対する怒りがトランプのアメリカを変え始めている
米国の人種差別について大変勉強になった。トランプ大統領と軍との経緯、デモの段階的経緯など勉強になった。また、身分証明書の出し方など驚かされた。また、最高裁判決の解説も大変勉強になった。

米国の最高裁については下記の本を読むと勉強になる。判事が随分入れ替わったので、ちょっと古くなってしまったけれど、それでもこれまでの経緯を掴むのに参考になると思う。長くて読むのが大変だけど、でも面白く読めると思う。


6月25日(木)
菅原前経産相を不起訴処分に 香典問題、起訴猶予か
結局、検事長が黒川弘務から林眞琴に代わっても同じか・・・。ガッカリだ。

6月28日(日)
ポストコロナが問う、日本は外国人と共生できる国なのか
先日、見知った人から工場で外国人が解雇されたという話を聞いたばかりだったので、タイムリーな話だった。そのときは外国人が解雇されたことをさも当たり前に受け止める感じに日本人って薄情だと思ったものだ。とはいえ、私自身、何もできないのだが・・・。それにしても日本に来る外国人が減っている話は驚いたが、同時にさもありなんという感じだった。経済的にも制度的にも日本は魅力のない国になりつつあるし、そのうち出稼ぎに行く日本人も増えるだろうが、外国人にこんな酷い仕打ちをしておいて、そのときどんな気持ちで行くことになるのかと考えないのだろうか。

今月のまとめ
国内政治では、河井夫妻逮捕が私にとって一番大きいニュースだった。黒川検事長定年延長問題で検察と安倍政権との軋轢がどのように進展するか注目していたが、その後、菅原一秀議員の香典問題が不起訴処分になったので検察に対して落胆した。

海外問題では、BLM運動(Black Lives Matter)が世界中に広まったことが大きなニュースだった。そして、いろんな物議を醸した。驚いたことは白人警官の中には白人至上主義者がいて、家に強盗が入ったと通報した黒人女性が駆けつけた警官に射殺されて、こういうことが起こるのはよくあるらしく、黒人が警官を呼ぶのはリスクがあるという話に驚いた。また、日本の在日コリアに対する差別に言及するツイートもあったりして、私自身、在日コリア差別について勉強不足で勉強せねばと反省した。

嬉しいニュースとしては、米国最高裁の判決で性的少数者を理由に解雇するのは違憲という判決が出たことだった。トランプ大統領になって保守派の判事が増えたので、せっかくオバマ大統領が進めたLGBTQ政策が後退するのを心配していたので、この判決は嬉しかった。

イージス・アショア停止の件も驚いた。走り出したら止まらない日本で、珍しくストップをかけた。すっかり忘れていた話だったので、寝耳に水のような不意打ち感があったが、この件は大きいと思う。

山尾志桜里女史や須藤元気氏の動きに落ち着かない感じでなにやらムズムズしたが、山本太郎の令和新選組が存在感を増しているのを感じる。民主党が立憲民主党と国民民主党に分裂して、しかも曖昧なまま、再び合流話が出たり引っ込んだりと落ち着かない中で、山本太郎の令和新選組はそれなりにある一定の層に訴えるものがあると思う。

都知事選が始まったが、まず立候補者が宣伝目的で立候補しているのが目につく。とはいえ、宇都宮健児氏も選挙が支持者を増やす運動と捉えるならば、彼らのような立候補も民主主義としては否定できないとも思う。でも、宣伝目的は邪な野心には違いないので無視したいところ。

北朝鮮問題。どうも北朝鮮国内で政権の交代があったのではないかと思う。金正恩の健康問題が取りざたされていたし、金与正に政権が渡ったのではないだろうか?金正日から金正恩に政権が移行したときも北朝鮮は軍事行動に出たし、おそらく、北朝鮮国内の反乱を恐れてのことだと思う。独裁者が怖いのは国外の敵ではなく、国内の反乱勢力だから。それにしても、ソ連の書記長が死んだときにクラシックが流れるのをちょっと思い出した。

香港の安全法問題。周庭さんが心配。カナダにでも移住してほしい。それにしても、世界が中国を止められなくなりつつある。中国の覇権が強大になりすぎて。

日本の国家財政が心配。10兆円も白紙委任するとか信じられない。経済指標は悪いのに株価だけは上がったりするが、世論調査の支持率低下と株価が連動しているのは明白。日本経済・日本の国家財政の将来を考えると背筋が寒い。

ビデオニュースの1000回がとにかく印象に残った、というか感動した。とにかく、「自分の足で立つ。自分の頭で考える。次世代にこれを伝える」、これがすべての答えだと強く思った。

コロナは東京では再び広がりつつあるようだ。私の住んでいる地方では今のところ収束しつつある。ただし、都市圏から再びもたらされるリスクはある。ただ、人々は外出が増えるなど日常を取り戻しつつある。それとマスクが手に入りやすくなった。ただし、まだコロナ以前ほど安くはない。ちなみに、個人的には月前半はコロナの影響で人員が減ったため、却って仕事が多忙を極めた。月後半になって人員が元に戻って落ち着いたが、先月の落ち込みに対する反動もあって仕事は例年よりは忙しかった。なので、過労でかなり体調を悪くした。来月は少し落ち着いてほしいものだ。

なにもかもが停滞している感じがしたが、YouTubeだけは賑やかな感じがした。もっともYouTuberたちもコロナでネタがないとこぼしていたりするのだが、見ている方はYouTubeに人が集まっていることに変わりはないと感じている。

安倍政権やトランプ政権が進歩を止めてしまっている感じる。一方、中国の経済力が世界を変えているが、共産党政権の全体主義も力を増しているので『1984』のようにならないか今後が心配だ。

日本を変革する(3)地方分権とネットワーク

日本を変革するシリーズの第3弾。前々回は家族を変革し、前回は企業を変革するだった。今回は地方分権とネットワークがテーマとなる。

(1)中央集権から地方分権へ

1990年代半ばあたりから言われていることだが、国を中央集権から地方分権に変える。集中型から分散型に変えることだ。ずっと言われてきたように道州制の導入だ。税の配分を中央に集中させるのではなく、地方に分散する。そして、分散するのは、お金だけではない。政治もエネルギーも食料も地方に分散する。

ただし、分散型システムは中央集権型システムよりは非効率ではある。中央ではなく、地方が意思決定していかなくてはならない。地方議会が意思決定して差配していかなくてはならない。ふざけた地方議会ではすぐに立ちいかなくなるし、不正が横行することもあるだろう。質の高い人材が地方で求められる。そういった人材をスカウトするか、地方で育てていかなければならない。

今までは良くも悪くも中央に任せていれば良かった。責任も中央にあった。しかし、これからは自分たち自身に責任がある。豊かになるのも、落ちぶれるのも自分たち次第だ。今までは国が集めたお金を地方にばら撒いていた。しかし、これからはそうではない。自分たちで集め、自分たちで配分していくべきだ。

これまでは中央から地方へトップダウンのツリー構造だった。これからは地方ごとにトップをおく分散型のツリー構造にする。簡単に言えば、英米の連邦制のようなものだ。


(2)ネットワークを育てる

経済的な豊かさを向上させるには市場原理に則って競争しなければならない。しかし、市場は万能ではない。市場原理に則れば、すべてが良くなり、満足な暮らしが手に入るというわけではない。地方分権では、市場ではなく、社会を育てなければならない。社会を育てるのは行政のようなツリー構造のものではない。様々なコミュニティや拠点が横断的に繋がるネットワークが適している。具体的には、大学であったり、NPOであったり、宗教法人だったりする。もちろん、小さな自治体が拠点になることもあるだろうし、文化施設のもたらす一時的なコミュニティが拠点にあることもあるだろう。いずれにしても、多様なコミュニティや拠点がゆるやかに繋がるネットワークが地方分権には適している。地方行政や地方議会がツリーだとするならば、様々なコミュニティがネットワークだ。そういったネットワークを増やしていくことだ。

そして、忘れてはならないのが、チェック機能や情報発信機能を担うジャーナリズムだ。権力が不正を働かないように常にチェックしなければならないし、地域の埋もれやすい情報をしっかりと発信するのもジャーナリズムの役割だ。民主主義社会を機能させ、より良く改善していくサイクルはPDCAと同じで、そこでチェック機能を果たすジャーナリズムの存在が欠かせないのだ。

(3)時間が必要だ。

さて、上記を実現するために日本にとって一番何が必要かというと、それは時間だ。日本人は兎角、枝葉末節にこだわる。些末なことに高い完成度を求める。そのため、多くの時間を失ってきた。会社人間と言われたように、日本人は会社が人生そのものだった。会社が日本人の多くの時間を奪ってきた。しかし、これからは違う。会社は人生の一部でしかない。会社のために使う時間はキッチリと限定すべきだ。そして、自由にできる時間を作ることで、その時間を会社以外のことに使うべきだ。つまり、社会を育てる時間に充てるのだ。

また、会社勤めをしていない若者や主婦はテレビを見ないことだと思う。共通の話題としてテレビ番組の話題を取り上げることが多い。(特にバラエティ。)しかし、マスを意識した日本のテレビ番組はあまりに幼稚で低俗すぎる。昨今のテレビ離れは良いことで、もっと時間を有意義なものに使うべきだ。

まとめ

今までは国がトップのツリー構造で、会社も産業のツリー構造の一部だった。日本は全体的にツリー構造だった。しかし今後は、まず中央集権から地方分権に変える。次に様々なネットワークを育てるのだ。つまり、日本をツリー構造から地方分権と多様なネットワークに変えるのだ。しかし、そのためには、可処分時間が必要だ。そこで重要になってくるのが残業を減らすこととテレビを見ないことだ。

余談
余談になるが、『21世紀の生存戦略』で私は人間知について書いたが、自分自身を知るためにまず最初にすることは、自分のログを残すということだ。自分自身の観察記録を残すのだ。そして、自分の傾向をデータ的に知ることで、次はこうしたらいいとか改善策を考えられる。そしてそれを試してみて上手く行かなかったら、また別の方法を考える。この繰り返しだ。つまり、PDCAサイクルだ。これは自分自身を知るためだけでなく、ビッグデータや科学的実験など幅広く応用されると思う。ハラリのいうデータ主義も要はログを残すことに等しい。なので、まず最初の一歩はログを残すことだ。すべてはそこから始まると言っても過言ではない。


2020年6月20日土曜日

日本を変革する(2)市場を真っ当にする

前回は日本を変革するためには家族を変えなければいけないと提言した。子供中心の家庭から夫婦中心の家庭に変えること、夫婦のセックスを家庭で行われる当たり前のこととして夫婦のプライベートな寝室をセッティングすることを提案した。また、親子関係において人権を導入して個人の自由意思や選択の自由を尊重することを提案した。親といえども子供を尊重してズケズケと立ち入らないような距離感をしっかりとることを提案した。というわけで、前回は家族がテーマだった。で、今回はガラリと変わって、企業がテーマとなる。

(1)大企業と個人商店の二極化へ
大企業に求められるのは効率だ。大量生産することによって単価を著しく下げることができる。しかし、それでは市場の需要すべてに応えることはできない。しかし、大企業が需要のすべてに応える必要はない。8割の需要に応えられればよい。残りの2割は他のより小さな企業、個人商店に任せればよい。小さな企業は効率は悪いが細かい要望には応えられる。しかし、多くの需要に応えられるだけのキャパシティはない。だが、元々、2割が最大限なのでそれで問題はない。大企業と個人商店はこのような相補関係にある。

「ちょっと待って!その個人商店というのは中小企業に相当するのではないか」という声が聞こえてくるかもしれない。ところがそうではない。日本の中小企業は新規参入を規制によって阻むことで、生産性が低くても、また細かな専門性がなくても生き残っていけるようになっている。市場の競争原理が働かないからだ。結局、その犠牲になっているのは消費者だ。消費者は中小企業の不満足な商品やサービスでも他に選択肢がないのでそれで我慢しなければならないからだ。ちなみに中小企業の従業員も犠牲者だ。大企業ならもっと合理化されて負担の少ない労働条件であるはずなのに、小さいがために一人当たりにかかる負担は大きくなってしまう。結局、儲かっているのは中小企業の経営者だ。規制によって競争がないので経営者としても手腕を問われないし鍛えられない。安い労働力を使役して儲けを出している。こんな不公正なことはない。

現在、ITや3Dプリンタなど技術革新によって個人の技術者や職人で扱える機械が増えてきている。そして、専門性は個人や小さなチームでこそ洗練・深化されてゆくものだ。すなわち、個人商店であっても十分に市場で通用するだけの環境が整いつつある。物量面では大企業に敵わないかもしれないが、少量であれば中小企業に負けないだけの力がある。そもそも不満足な商品やサービスしか提供できない中小企業がのさばれば、社会が進歩するはずがない。あぐらをかいたツケは、結局、社会にまわってくるのだ。それに比べて、個人が専門性を追求してそれで生業が成り立つならば、それは生き生きとした社会になる。みんな、組織に縛られて不自由に生きるよりは、個人が自由に生きられる方を望む。たしかに個人商店は風が吹けばすぐに倒れる不安定なものに見える。しかし、ネットワーク化されれば、あるいはブロックチェーンによってあたかも一つの組織であるかのように疑似組織化されれば、それほど不安定なものにはならないだろう。むしろ、かなり柔軟な対応が可能になり、変化に即応しやすくなる。大型戦艦の時代から空母というプラットフォームから発進した多数の戦闘機の時代に変わったように。

まとめると、不公正な規制で守られた中小企業を解体して、それらの人々を、大企業もしくは個人商店に収斂させてゆくのだ。


(2)市場を真っ当なものにする

かつて工業国だった日本の産業構造は垂直統合型だった。大企業の系列によって下請け、孫請と工場はツリー構造を成していた。しかし、最初は海外に工場が移転して次第に国内工場は骨抜きになり、しまいにはボロボロになってしまった。そして、いつしか本体である大企業までも外国企業に買収される始末となった。アップルのように技術とデザインだけ残して生産は中国で行うというようなファブレス化して大きな利益を出しながら生き残る企業もあるが、日本の企業には真似できなかった。なぜ真似できなかったのか?まず、デザインに関してはセンスが無かった。なぜそうなったかはデザインを軽視してきたからに他ならない。日本人は機能重視でデザインを軽視する傾向が強い。生活を生き生きとしたものにするためにデザインは重要なんだが、日本人の生活は全然生き生きしていない。次に技術を継承できなかった。なぜか?本質を見極める目、戦略を立てる目が無かった。じゃあ、何をしていたか?日本人は組織の中で席次争いをしていた。周りの空気を読んでできるだけ美味しい想いができるように雰囲気で意思決定していた。そんなことだから、高度な技術を究めてゆくなんてことはできなかったのだ。それから、もう一つ。失敗を容認できなかった。市場は試行錯誤と失敗の繰り返しだ。その中から成功がほんの僅か生まれる。ところが、日本人は少しの失敗を許さない。一度失敗したら落伍者の烙印が押される。今回は失敗したが、また次があるとはなかなかならない。これは市場原理に反する。しかし、それが日本ではまかり通る。これでは少しも良くならないし、いずれ競争に負ける。さらに、上記でも指摘したように規制によって公正な競争が阻まれている。これでは市場原理が真っ当に働かない。

戦後、高度経済成長を経験したときに投げかけられた疑問は「本当に市場経済で良いのか?市場経済では格差が拡大して貧富の差がさらに広がるのではないか?本当は資本主義ではなく社会主義の方が持続可能な経済体制なのではないか?」といった疑問だった。しかし、実際の日本の市場は公正な市場ではなく、規制によって制限された不公正・不公平な市場だった。右肩上がりのときはその非効率は見えにくかった。しかし、いったん下り坂になるとそれがいかに日本経済を、日本社会を歪めているかが分かる。いや、日本の中に住んでいる人には見えないのかもしれない。なぜなら不公正が日常になってしまっているからだ。

いまや日本の国家財政がボロボロであるように、日本の産業もボロボロだ。そして、その原因は日本自身にある。日本が進歩しようとしなかったからだ。なぜ、進歩できなかったかというと、市場を歪めてしまったからだ。結果、世界との競争に負けた。さらに国内では市場が歪んだままだから、格差がまだら模様に偏在することになった。

解決策は単純で、日本の市場を真っ当なものにすることだ。そして、普通にフェアに競争することだ。そうすれば、おのずと市場に合わせて日本の産業構造が変化してゆく。中小企業を守るなどといって市場を歪めて、結局は自分たちの首を絞めている。政府は個人を守りこそすれ、法人を守る必要はないのだ。市場原理によって不合理なもの(規制に守られた中小企業)は早々に退場させて、より合理的なもの(大企業と個人商店)に入れ替えるべきなのだ。日本は市場を規制で歪めるから、個人も経済も社会もダメになってしまうのだ。

まとめ
日本の企業を大企業もしくは個人商店に二分化する。言い換えれば、規制に守られた非効率な中小企業を退場させる。現代は組織に縛られない生き方を望む者が増えたはずだ。そして、個人でもやっていける環境(←ITや3Dプリンタなど)が整ってきた。

次に日本の市場から不合理な規制を無くし、フェアな競争原理が働くように市場を正すことだ。なんなら市場を監視する公的機関を設けてもよい。ただし、中小企業の経営者は既得権益を守るために政治家に働きかけたりするだろう。政治はそういったものをはねつけるだけの力が必要になる。おそらく、それはネットを介した市場の力がそういった力になると思う。なぜなら、非効率な中小企業を退場させた方が市場としては合理的でかつ利益を生むからだ。市場は万能ではないが、市場の力が正しく発動すればこのような不合理は排除できると思う。日本では、市場はまだ真価を発揮していない。

2020年6月13日土曜日

日本を変革する(1)夫婦中心の家庭へ

私はこれまで『21世紀はセックス革命の時代』、『21世紀は格差社会の時代』、『21世紀の生存戦略』の三本の記事を書いてきた。(それと万人向けではない個人的な推奨として『仏教のすすめ』も書いた。)セックス革命では人々の性が大きく変わると予想した。格差社会では格差が生じる問題と対策を論じた。生存戦略ではこれからを生き抜くための個人の生存戦略を提示した。これらは日本のみならず世界的な視野で書いた。それで、これからはしばらく日本を対象として、日本を変革するための方法を提示しようと思う。

日本を変革するためには、まず、第一に日本の家族を変革しなければならないと思う。

(1)子供中心の家庭から夫婦中心の家庭へ

日本の家庭は子供中心の家庭だと言われる。実際にそうだと私も思う。例えば、大人になれば人間には性欲があって夫婦はセックスするものだが、子供にはその事実がひたすら隠されている。つまり、夫婦が寝室に入って睡眠するだけでなくセックスしていることは隠されている。子供はセックスがいかなるものかを知らなくて、おぼろげに大人たちが何かをしていることさえも知らないし知らされない。睡眠しているだけでなく、大人たちが愛を交わしていること、愛を交わすことの必要性・重要性を教えられずにいる。これは家庭だけでなく社会にまで拡大されている。家の外で、公共の場で、社会で、恋人たちがキスしたり抱擁したりすることを隠そうとする。大人であれば、人間であれば、当然行われる行為、性欲を満たし愛を交わす行為であるはずなのに、それがあたかも悪いことでもあるかのように隠されている。社会は子供のためだけのものではない。社会は大人と子供のためのものだ。いや、積極的に言えば成人した人間のためにある。子供はまだ未熟であり、成長の途中にあるからだ。なのに、その成長の途中にある子供に合わせて日本は社会を作ってしまっている。本来ならば、基本的には成長した大人のための社会にすべきだ。

だから、家庭を子供中心の家庭から夫婦中心の家庭へ変えるのが良いと考える。そこで重要になるのが寝室だ。夫婦は寝室で寝る。子供は子供部屋で寝る。夫婦の寝室に子供は、例えば夜9時以降入ってはいけない。子供には、大人になれば夫婦は寝室で愛を交わす夜の営み、セックスがあること、それが必要なことを上手に教えなければいけない。一方、親は子供の性の開花に合わせて適切に性教育を行った方が良い。(もちろん、性教育を専門家に任せるのも選択肢としてはあると思う。)また、子供がどのような性を開花させても親は子供の応援をすべきだと思う。ただし、親子であっても、性はプライベートなことなので、親にとっても子供にとっても、とても慎重にデリケートに扱わなければいけないが・・・。

ともかく、大人になれば人間には性欲がありセックスするということを家庭に組み込み、子供にもちゃんと教えるべきだと思う。

(2)親子関係と人権の尊重と魂の孤独

もう1つは日本の家族は親子の距離の近さがある。とにかく親子の距離が近い、近すぎる。親はまるで子供を自分の所有物か、自分の一部と思っているフシがある。子供は自分と独立した人間であるのが当たり前なのに、まるでそうではないかのように近しいものとして扱う。ひとによっては親は子供の自由意思や選択の自由を頭ごなしに否定することさえある。親が「細く長く生きるライフスタイル」であるのに対して、子供は「太く短く生きるライフスタイル」を選択したいと思っているのに、親は子供に自分と同じ「細く長く生きるライフスタイル」を無理強いしたりするなんてことがざらにある。どんなライフスタイルを選択するのも子供の自由のはずなのに、だ。どうも親は子供を自分の分身とでも思っているようだ。こういったことは親が子供との距離を近いものと考えていることに原因があると思う。

私の提案としては、人権というラインを引くことが解決策だと思う。たとえ親子であっても人権をナイガシロにすることは許されない。個人の自由意思の尊重、選択の自由の尊重などだ。これは子供だけでなく親に対しても適用される。子供に人権があるように、親にも人権がある。互いの人権を尊重すべきだ。

親子の間に人権のラインを引くことをすごく他人行儀だと考えるかもしれない。しかし、私は親が子供の人権を踏みにじることの方が問題だと思う。日本人は子供の自由意思を軽んじる傾向が強い。例えば「失敗するのが目に見えているから、正しい方向に導いてやるのだ」というパターナリズムがまかり通る。しかし、私は失敗のリスクをサジェストしながら、子供に選択の自由を与えるべきだと思う。「失敗するのは良くない」と考えるのが違うと思う。失敗を経験することも大事だからだ。また、納得することも大事だからだ。ま、これは一例に過ぎない。愛はギフト、みかえりを求めずにただ与えることであって、みかえりを求めて与えるのは交換だ。親が子供を愛するならば、みかえりを求めずに与えることを学ばねばならない。親の意思を子供に押しつけるのは愛ではない。それは支配欲だ。子供は独立した人間であり自由意思を持った存在であり、親の一部ではない。支配してはならない。子供が糸の切れた凧のようにさ迷っても、それが子供の自由意思ならば子供の自由意思を尊重すべきだ。もちろん、子供が救いを求めてきたら親の愛でもってサジェストしたりサポートしたりすればいいが。

ともかく、日本人の親は子供との距離が近い人が多い。そういった親は人権というラインを引いて、子供との距離をとるべきだ。

ひとによっては親が子供の内面を傷つけるようなことを平気で言う人もいる。もっと酷くなれば毒親になる。たとえ親子であっても相手の心を傷つけるようなことを言っていいはずがない。ところが、日本人は子供の心を傷つけることに無頓着な親が多い。すべては親子関係の距離が極めて近いという認識に基づいている。しかし、これは間違った認識だ。実際は人間の魂は孤独なものだ。それぞれの魂は繋がってはいない。繋がっていないものが近づきすぎればそこに衝突や摩擦が生じるのは当たり前の話だ。日本人は魂の孤独と向き合うことを恐れている。その恐怖と不安が親子の魂はつながっているという誤った認識、願望になっている。その結果、近すぎる距離は摩擦や衝突を起こす。


まとめ
日本を変革するためには、まず、日本の家庭を子供中心から夫婦中心に変える。そして、家庭生活にはセックスを組み込む。具体的には夫婦だけの寝室を作る。家では落ち着いてセックスできないのでラブホテルを利用するという夫婦がいるが、家で落ち着いてセックスできる環境を作る。

ちなみに英国のコンドームメーカーが50カ国で夫婦間での年間のセックス回数をアンケート調査した結果、日本は最下位の50位で年間約45回だった。49位は年間約90回であり、1位は110回くらいだった。つまり、日本人の夫婦は世界の夫婦と比べると年間のセックス回数が約半分なのだ。日本だけ異常に回数が少ないのだ。労働時間の長さが影響もしているがそれでも日本よりも労働時間が長い国でも日本の倍以上セックスしている。家庭で夫婦が同じベッドで寝ないことも大きな要因だと思う。日本は戦後に布団で寝る文化が生まれたが、布団は基本的に一人寝用だ。一方、世界ではベッドや寝台の文化で夫婦はともに寝る。子供が入れない夫婦の寝室がないのも日本の特徴だろう。日本では親子で川の字になって寝る。夫婦のセックスは子供がいない隙きにチャチャッと済ませるなんてことになっていないだろうか?二人だけの寝室でじっくりと愛を交わすセックスなんて無くて、とにかく子供がいない隙きに性欲を処理してしまうなんてことになっていないだろうか?そもそも日本人はセックスを悪しきものと考えていないだろうか?日本人の性への理解が性悪説になっていないだろうか?日本のアダルトビデオを見ると女性を侮辱する内容が世界のポルノに比べると著しく多くないだろうか?セックスに対する基本的な理解やエロスの複雑さを日本人は理解していないのではないだろうか・・・。

次に親子関係に距離をとる。具体的には人権というラインを引く。子供の人権を尊重する。子供の自由意思や選択の自由を尊重する。子供に親の意思を無理強いしてはならない。親の孤独の埋め合わせとして子供を利用してはならない。親は自分の魂の孤独と自分自身で向き合うべきだ。

私が好きな映画に『リンカーン』があるのだが、私がこの映画が好きなのはリンカーンと夫人との喧嘩のシーンがあるからだ。いつもは夫人に優しいリンカーンが極めて大事な状況で夫人を突き放す場面があるのだ。それは魂の孤独にまつわる話で、たとえ夫婦であっても魂の孤独からは逃れられないことを知るのには格好の材料だからだ。リンカーン夫婦に夫婦愛がないわけではない。むしろ、夫婦愛があるからこそ、相手を信じているからこそ、突き放すという、これは映画を見てみない分からない極めて絶妙な場面があるのだ。夫婦は人生の同じ時間を過ごすが、親子はズレた人生の時間を過ごす。つまり、子供には子供の人生がある。日本の親子の距離はもっと離れていてしかるべきだと思う。

2020年6月6日土曜日

仏教のすすめ


1.別の生き方ー文明社会批判

私は文明社会だけが人間の唯一の生き方だと決めてしまうのはリスクが高いと思っている。人間の価値観は1つではないと思うからだ。人間は様々な価値観で自分が好きなように生きていっていい。日本国憲法でも前文で個人の幸福の追求は自由だと謳っている。それに生物は植物や動物、昆虫や細菌など様々に異なった形態で生存戦略をとっている。たとえ環境が大きく変化しても、いずれかの種が変化に対応できるだろう。生物は多様な生存戦略をとることで生物全体が絶滅するリスクは軽減している。だから、人間も文明社会だけが唯一の生き方だとは決めつけない方がいいと思う。

もちろん、文明社会も単一の文明社会とは限らない。欧米型もあれば中国型もあるだろう。イスラム型やアフリカ型、インド型や東欧型もあるかもしれない。様々な文明社会があってもいい。(とはいえ、グローバル化によって文明社会はどれも似たようなものに収斂しつつあるのだが・・・。)ただし、個人の自由でそれらを選択できればなお良い。世界人権宣言では個人の自由が謳われているが、実際にそれが世界の隅々で実践されているかは分からない。

ともかく、話を戻すと、文明社会だけが唯一の生き方だとは決めつけない方がいい。では、文明社会以外にどんな生き方があるのか?

2.仏教のすすめ

文化人類学者のレヴィストロースは未開社会にも文明社会に匹敵する人間のあり方を提示した。文明社会が絶対ではなく、未開社会という生き方もあることを示すことで文明社会を相対化した。だから、文明社会から離れて、ソローのような森の生活を選択するのもありだと思う。私自身は仏教のような生き方を推奨したい。

ここで話は随分飛ぶが、おおまかにいって、農業が興って人々が文明を築き始めたときに今日でいう宗教が生まれたと私は考えている。それ以前は狩猟採集生活でアニミズムとシャーマニズムが人々の精神生活を占めていたと思っている。ただし、アニミズムは当時の人々にも理解できた一方で、シャーマニズムは当時の人々にさえもよく分からないものとして捉えられていたと思う。シャーマニズムはシャーマンにしか分からなかった。いや、シャーマンさえもその全体像を把握しているものは少なかったのではないかと思える。おそらく、シャーマニズムは探求の途上にあったのではないかと思うのだ。それが比較的整理されたのが仏教ではないかと私は考えている。つまり、仏教はシャーマニズムの継承者ではないかと考えている。

ところで、日本では仏教は大きく誤解されていると私は思っている。日本で仏教というと「悟りを開く」ということだと多くのひとは考えると思う。「悟りを開く」ことで「心の平安を得る」というのが単純化された図式ではないかと思う。でも、それは本来の仏教とは随分違うのではないかと私は思う。人間である限り、苦悩やストレスからは完全には逃れられないと思う。

私の考える仏教は、人間には魂があって魂が身体に宿っていると考えていると思う。そして、魂が身体から離れるとき、すなわち、死ぬとき、一般人は魂が輪廻に絡め取られるのだが、修行者は魂が輪廻に刈り取られずに、魂が輪廻から解放されるようにする、いわゆる解脱するというのが、仏教の目標ではないかと思う。だから仏教では解脱するために様々な修行をする。これは他の宗教が生前の行いによって魂が天国へ行くか地獄に落ちるかに似てはいるが、仏教はそれとは大きく異なると私は考えている。いずれにしろ、仏教は、人間には魂があり、魂が輪廻から解放されることを目指すものだと思う。

3.文明と自然の往還

話がさらに脱線するが、動物は自然環境に適応するように生まれついている。一方、人間は文明を構築することで環境を大きく変えてしまった。仏教の考え方を適用すれば、現在の畜産における家畜の惨状はいずれ輪廻転生した人間たちにもはね返ってくる。そういう意味では、ヴィーガンは案外仏教的な考え方に近いとも言える。ともかく、動物が動物のままで幸福に生を全うすることを考えると、たとえ弱肉強食であっても自然環境で暮らすのが幸せではないかと思う。人間が地球全部をわがものとして文明で覆い尽くすのは誤りであり傲慢ではないかと思う。動物たちが自然に暮らせるように地球の半分くらいの土地を野生のままに残すべきではないかと思う。現在のアマゾンのように。私は南米大陸かアフリカ大陸かオーストラリア大陸か、いずれか1つの大陸を自然に戻すべきだと思っている。もちろん、その土地で生まれ育ち暮らしている人たちにとっては許しがたいことだと思えるだろうけれど・・・。

ただ、仮にそういった自然大陸を作ったとき、文明社会から離れて、そこで再び狩猟採集での暮らしをひととき選ぶ人たちも出てくると思う。もちろん、そこでの暮らしは命がけだし、実際に生命を落とす人たちも出てくると思う。しかし、それでも生の活力を求めて自然大陸での暮らしを選ぶ人たちが出てくると私は確信している。日本人は里山的な農村暮らしが自然な生き方だと思いがちだが、真に自然な生き方とは農業が興る以前の狩猟採集時代だ。真に自然な生き方は農業ではない。狩猟生活こそ自然な生き方だ。

4.まとめ

随分、支離滅裂になってしまった。言いたいことは2つだ。まず、大前提として文明社会が人間の生き方のすべてではないということ。文明社会とは別の生き方として、一つは仏教の生き方があるし、他にも自然の中で狩猟採集生活を生きる生き方がある。これら別の生き方は個人の生き方であり、個人の選択の自由だ。私は別の生き方として仏教を推奨する。

個人は文明と自然の往還が可能だと考える。もちろん、文明社会をより良きものにするために尽力することも可能だ。ただし、それは個人の生き方であって、宗教団体を作って文明の中に小さな共同体を作ることではない。文明社会をより良きものにするのは一市民としてだが、一個人の生き方としては仏教や狩人を選択もできるということだと思う。文明と自然を融合しようとしても難しく(←これまで融合しようとして人は宗教団体や思想団体、あるいは思想的な農村を作っては失敗を繰り返してきた。自然な生き方として農業にこだわる人が多いが、何度も言うが農業は決して自然な生き方ではないと思う。)、文明と自然を分離して、個人は文明と自然を往還すればいいと私は思う。

英国の哲学者にしてSF作家のオラフ・ステープルドン(1886-1950)が1930年に書いた小説『最後にして最初の人類』の中で、文明と自然との往還を描いた箇所が物語の最後の方にあります。著者の視座の遠く未来まで見通せることに脱帽です。こんな偉大な先人が、しかも1930年にいたことに驚きます。