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2020年6月28日日曜日

日本を変革する(3)地方分権とネットワーク

日本を変革するシリーズの第3弾。前々回は家族を変革し、前回は企業を変革するだった。今回は地方分権とネットワークがテーマとなる。

(1)中央集権から地方分権へ

1990年代半ばあたりから言われていることだが、国を中央集権から地方分権に変える。集中型から分散型に変えることだ。ずっと言われてきたように道州制の導入だ。税の配分を中央に集中させるのではなく、地方に分散する。そして、分散するのは、お金だけではない。政治もエネルギーも食料も地方に分散する。

ただし、分散型システムは中央集権型システムよりは非効率ではある。中央ではなく、地方が意思決定していかなくてはならない。地方議会が意思決定して差配していかなくてはならない。ふざけた地方議会ではすぐに立ちいかなくなるし、不正が横行することもあるだろう。質の高い人材が地方で求められる。そういった人材をスカウトするか、地方で育てていかなければならない。

今までは良くも悪くも中央に任せていれば良かった。責任も中央にあった。しかし、これからは自分たち自身に責任がある。豊かになるのも、落ちぶれるのも自分たち次第だ。今までは国が集めたお金を地方にばら撒いていた。しかし、これからはそうではない。自分たちで集め、自分たちで配分していくべきだ。

これまでは中央から地方へトップダウンのツリー構造だった。これからは地方ごとにトップをおく分散型のツリー構造にする。簡単に言えば、英米の連邦制のようなものだ。


(2)ネットワークを育てる

経済的な豊かさを向上させるには市場原理に則って競争しなければならない。しかし、市場は万能ではない。市場原理に則れば、すべてが良くなり、満足な暮らしが手に入るというわけではない。地方分権では、市場ではなく、社会を育てなければならない。社会を育てるのは行政のようなツリー構造のものではない。様々なコミュニティや拠点が横断的に繋がるネットワークが適している。具体的には、大学であったり、NPOであったり、宗教法人だったりする。もちろん、小さな自治体が拠点になることもあるだろうし、文化施設のもたらす一時的なコミュニティが拠点にあることもあるだろう。いずれにしても、多様なコミュニティや拠点がゆるやかに繋がるネットワークが地方分権には適している。地方行政や地方議会がツリーだとするならば、様々なコミュニティがネットワークだ。そういったネットワークを増やしていくことだ。

そして、忘れてはならないのが、チェック機能や情報発信機能を担うジャーナリズムだ。権力が不正を働かないように常にチェックしなければならないし、地域の埋もれやすい情報をしっかりと発信するのもジャーナリズムの役割だ。民主主義社会を機能させ、より良く改善していくサイクルはPDCAと同じで、そこでチェック機能を果たすジャーナリズムの存在が欠かせないのだ。

(3)時間が必要だ。

さて、上記を実現するために日本にとって一番何が必要かというと、それは時間だ。日本人は兎角、枝葉末節にこだわる。些末なことに高い完成度を求める。そのため、多くの時間を失ってきた。会社人間と言われたように、日本人は会社が人生そのものだった。会社が日本人の多くの時間を奪ってきた。しかし、これからは違う。会社は人生の一部でしかない。会社のために使う時間はキッチリと限定すべきだ。そして、自由にできる時間を作ることで、その時間を会社以外のことに使うべきだ。つまり、社会を育てる時間に充てるのだ。

また、会社勤めをしていない若者や主婦はテレビを見ないことだと思う。共通の話題としてテレビ番組の話題を取り上げることが多い。(特にバラエティ。)しかし、マスを意識した日本のテレビ番組はあまりに幼稚で低俗すぎる。昨今のテレビ離れは良いことで、もっと時間を有意義なものに使うべきだ。

まとめ

今までは国がトップのツリー構造で、会社も産業のツリー構造の一部だった。日本は全体的にツリー構造だった。しかし今後は、まず中央集権から地方分権に変える。次に様々なネットワークを育てるのだ。つまり、日本をツリー構造から地方分権と多様なネットワークに変えるのだ。しかし、そのためには、可処分時間が必要だ。そこで重要になってくるのが残業を減らすこととテレビを見ないことだ。

余談
余談になるが、『21世紀の生存戦略』で私は人間知について書いたが、自分自身を知るためにまず最初にすることは、自分のログを残すということだ。自分自身の観察記録を残すのだ。そして、自分の傾向をデータ的に知ることで、次はこうしたらいいとか改善策を考えられる。そしてそれを試してみて上手く行かなかったら、また別の方法を考える。この繰り返しだ。つまり、PDCAサイクルだ。これは自分自身を知るためだけでなく、ビッグデータや科学的実験など幅広く応用されると思う。ハラリのいうデータ主義も要はログを残すことに等しい。なので、まず最初の一歩はログを残すことだ。すべてはそこから始まると言っても過言ではない。