ページ

2020年7月26日日曜日

日本の構造問題


(1)中央集権型ツリー構造


単純化していうと日本の構造は上図のような中央集権型ツリー構造だ。政治も内閣に権限が集中しているし、経済も戦時経済体制を継承した統制資本主義だ。工業国としては中央集権体制は適した体制だった。しかし、インフラが成熟した知識社会の場合、中央集権型ツリー構造では豊かな社会を構築するのには向いていない。成長した大木の場合、幹ではなく枝葉を豊かに繁らせなくてはならない。枝葉を豊かにするには、それぞれの太い枝が末端の枝葉をどの方向に向けるかを決めなければならない。すべてを中央で決めるのではなく、各々の太い枝で方向性を決めるのが適している。

(2)分散型ツリー構造
したがって、中央集権型ツリー構造を下図のような分散型ツリー構造に変えるべきだ。



これは政治に見立てたら、以前から言われていた道州制だ。国がお金を持つのではなく、それぞれの地方がお金を持ってその地方に適したお金を配分する。ひと言で言えば、連邦制だ。

(3)ツリー横断型ネットワーク
さらに知識社会は情報社会だ。知識やマネーが縦横無尽に流通するネットワークが必要だ。インターネットというインフラを人類は手に入れた。情報を末端まで流通させるテクノロジーは可能になった。そこで分散型ツリー構造を補完するために下図の赤線のような、ツリーを横断するリゾーム状のネットワークを形成する。実際には、専門化・特化した組織(NPOやNGOや企業)がそれぞれの得意分野を生かしてツリー構造をバイパスして補完する。

(※リゾーム状にツリーを横断するバイパスのような描画にしたかったのだが、上手く描けなかった。)

(4)弊害
いまだに日本は中央集権型ツリー構造の夢を見ている。その典型例がリニア中央新幹線だ。「新幹線の成功をもう一度」という夢から同じことをしようとしている。しかし、すでに新幹線があるのに、似たようなものを作ることにあまり意味はない。むしろ、莫大なお金が注ぎ込まれて弊害の方が大きいだろう。(今後も無用の長物を作ろうとする愚行が日本が破綻するまで続けられる可能性が高い。)

(5)構造転換は可能か?
中央集権型ツリー構造から分散型ツリー構造+横断ネットワークへの転換は可能だろうか?それはかなり難しいと考えられる。理由は転換によって既得権益層が利益を手放すことになるからだ。既得権益層は権益を手放すよりはジリ貧になる方を選ぶ。ガラポン(=リセット)されていきなり利益がゼロになるよりは、いずれ衰退しようができるだけ現在の構造で利益を手に入れようと抵抗するだろう。

(6)メディアも国民も同罪
権力を監視するメディア(=ジャーナリズム)も同じだ。例えば、新聞では日本はまれにみる全国紙が強い国だ。中央集権型ツリー構造だから中央に張り付いている全国紙は強い。しかし、分散型ツリー構造になれば地方紙が優位になってしまう。全国紙が地方紙に利益を譲ることなど考えられない。2000年代、全国紙は「総論賛成、各論反対」だった。敵を作らず、適当に茶を濁してきた。すべての読者によい顔を見せようとして個別具体的な批判を避けてきた。テレビもまったく同じ構造だ。(ダム建設批判や原発事故後の電力批判が視聴者やスポンサーの顔色を窺っていつの間にか雲散霧消した。)

そして、国民自身も同じだった。自らが所属する組織を守るために「総論賛成、各論反対」を続けてきた。言わば日本国民全員が構造転換に反対だった。これでは構造転換など不可能だ。したがって、日本はこのままジリ貧に衰退してゆく。当然の帰結だ。衰退の責任は一部の既得権益層だけでなく国民自身にもある。

(7)まとめ
構造転換が必要なのは明らかだが、統制された中央集権型ツリー構造の日本はそれを変えることが構造的にできないでいる。政治もメディアも機能していない。逆に規制によって構造を強化して、構造転換が難しくなるようにさえしている。結果、既得権益層を守るために、切り捨てられるのは弱者や未来の可能性だ。

考えてみれば、繁栄はいつまでも続かないということなのだろう。日本も同じだ。明治維新でアジアで先駆けて繁栄したが、戦争を起こして衰退し、戦後、運良く繁栄したが、90年代から始まる工業国から知識社会へ移行する段階で適応できずに躓いた。そして、2000年にWTOに加盟した眠れる獅子の中国は経済大国として目覚め、もはや中国の覇権を誰も止められなくなった。世界史的に見て、強大な超大国・中国を近隣にした日本の今度の停滞はかなり長期になると思う。そればかりかチベットやウイグルを見ていると日本は消滅する可能性さえあると思う。

諸行無常なり。