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2013年7月2日火曜日

アレックス・アベラ『ランド 世界を支配した研究所』

 

今回はアレックス・アベラの『ランド 世界を支配した研究所』を取り上げます。


この本はRAND研究所について、その成り立ちから現在に至るまでを描いたノンフィクションです。RANDというのは「Research and Development」(研究と開発)の略に由来した名称で主に米国の国防に関わる研究をしているシンクタンクです。米国の軍事的覇権を構築するのに多大な功績を残した知る人ぞ知る研究所です。特徴としてはすべてを数値化して合理的にするという“合理性の帝国”とも言われた徹底した姿勢です。そして、何よりも特筆すべきはRANDの中心的人物で希代の戦略家アルバート・ウォルステッターの存在です。

多くの日本人は彼のことを知らないかもしれませんが、彼こそは核の戦略家と呼ばれ、今日の核の世界の基礎を築いた人物のひとりです。本書はRAND研究所の歩みを描いたものではあるのですが、これをウォルステッターの歩みと言い換えてもいいくらいウォルステッターはRANDを語る上で欠かせない中心的人物なのです。ただ、このウォルステッターは筋金入りのタカ派ではあるものの、なかなかユニークな人物でもあります。というのも、元々、彼は数学者でした。学生の頃の彼はニューヨーク市立大学シティカレッジの数理論理学の学生で、彼の論文を見たアインシュタインは「私がこれまで読んだものとしては、数理論理学の最も明快な外挿法である」と誉めて、自宅に彼を招いたというエピソードもあるくらいなのです。その一方で、彼には現代アートをこよなく愛する芸術愛好家としての側面もありました。彼自身、絵を描いたりしていたようですし、モダンアートの最新作のチェックはもちろんのこと、芸術史家マイヤー・シャピロの助手を務めたり、ル・コルビジェが東海岸に来たときにはガイド兼ドライバーをしたこともあったそうです。しかし、彼にはもう1つ隠された過去があって、これは随分後になって明らかになったのですが、実は学生の頃、彼は共産主義の分派集団「革命労働者党同盟」という地下組織に所属していたことがあったそうです。この集団は新トロッキー主義の集団だったようです。いずれにしても彼のこんな過去がもしバレていたアメリカの安全保障の要職に就くことなど絶対になかったでしょう。しかし、幸か不幸かまったくバレることなく、彼はRANDの要職を全うします。アメリカにとってこれは絶対にプラスだったと私などは思います。これについては面白いエピソードがあります。赤狩りの頃、ハリウッドを追われた脚本家夫婦をウォルステッターの自宅に泊めたのですが、案の定、FBIが嫌がらせの電話を夜中にしてきたのです。FBIは電話で「何をたくらんでいるんだ?」とか「誰とわるだくみをしているんだ?」とか当人に関わる周囲の人物に誰彼と関係なく詰問して嫌がらせするわけです。このFBIからの嫌がらせを恐れて周囲の人々が当人たちから離れてゆくように仕向けるわけですね。(フィリップ・K・ディックの小説『アルベマス』にも似たようなシーンがありましたね。)ところが、ウォルステッターはおもむろに電話に出ると「二人は私の友人です。あなたの質問に答える必要はありません。もうこれで十分質問に答えているでしょう。二度と電話しないで下さい」と堂々と言ってのけたのでした。核という国家の最高機密を扱う人間がFBIに逆らったのです。しかも、彼は、昔、共産主義の地下組織に属していたという過去があるにも関わらずです。なかなか大胆というか、怖いもの知らずというか、それにもまして国家権力などに囚われない自由な精神というか、彼の役職を考えるとなかなか不思議なメンタリティに感じられます。しかし、彼は別に二重人格とか表裏があるいうわけでは決してありません。むしろ、まっすぐな人格だったようにさえ感じられます。そういう人物がいったいどのような思想に基いて核の世界を築いたのか、非常に興味深いと思いませんか?この本はそういう疑問を解きほぐしてくれるので、そういう点でもこの本は読むに値する文献だと思います。

さて、この本は他にも面白い言及がなされています。例えば、マッドサイエンティストの象徴にもなっているハーマン・カーンについても書かれています。スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』で狂気の科学者ストレンジラブ博士のモデルとなった人物です。また、RANDが設立されるきっかけになったのは実は東京大空襲にあったことや、ベトナム戦争時の国防長官として有名なマクナマラとRANDとの関わりなどについても書かれています。さらにかの悪名高きネオコンとの関係についても書かれています。このように、この本はアメリカの知られざる中枢を知るには欠かせない一冊だと思います。是非、読んでみて下さい。

追記
アメリカにはウォルステッターのように歴史に残る優秀なテクノクラートというのがいます。彼以外にも、記事の中でも出てきましたが、ロバート・マクナマラがいます。マクナマラはベトナム戦争の失敗があるためにアメリカ国内では随分低い評価をされているようですが、優秀さという点では彼ほど優秀なテクノクラートはいなかったのではないでしょうか?しかも単に頭の良い優秀さだけでなく、その軍曹風な風貌とは裏腹に知的な教養人であり、人格的にもとても優れた人物だったと思います。だからと言って、彼が指揮したベトナム戦争が許されるわけではありませんし、その指揮において間違いも犯しています。ベトナムに兵力を逐次投入して多大な犠牲を出したのはマクナマラの責任ではあるでしょう。しかし、予算改革など彼が残した業績は極めて優れたものだったと言わざるをえないと思います。また、国防長官を辞職した後は世界銀行の総裁になって貧困の撲滅に尽力したとも言われています。ともかく、20世紀のアメリカの覇権を築くにあたっては優れたテクノクラートがアメリカにはいたのです。日本人はまだまだ多くのことを彼らから学ぶことができると思います。

余談ですが、分析哲学をアカデミズムという狭いフィールドで学ぶよりは、ウォルステッターやマクナマラのような人物がどのように思考し、どのように行動したか、そして、その結果、どのような結果になったかを学ぶ方がより実践的な分析哲学になるのではないかという気が私にはしています。学問としての分析哲学は、所詮、狭い枠組みの中でのゲームに過ぎないように私には感じられるのです。もちろん、それはそれで優れた思考の軌跡であり、学問的には一定の価値があるとは思います。しかし、極端に言えば、結局はアカデミズムという狭い世界での勝った負けたのゲームにしか過ぎないのではないでしょうか。実験室の中のような不自然に純粋に保たれた空間ではなくて、すべてが入り乱れて何が起こるか分からないリアルな世界において分析哲学的な思考を実践に結びつけて役立ててゆくためには、むしろ彼らの軌跡を追う方が役立つのではないでしょうか。