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2024年12月29日日曜日

NEWS2024.12

 
12月4日(水)
ユンソンニョル大統領が戒厳令を出したというニュースが流れたとき「???」だった。「戒厳令を出す理由が無い。一体全体どういうことだ?」というのが正直な感想だった。ところが驚いたことに、戒厳令の布告には、一切の政治活動の禁止、報道や出版の統制、集会の禁止が謳われたいたらしい。あり得ない。案の定、市民によって戒厳令は潰された。これが一昔前なら軍が強権を発動して力で市民を抑え込んだかもしれない。しかし、21世紀でネットが普及している今、さすがに韓国でそれはないだろう。しかし、それなのにユンソンニョル大統領は戒厳令を発動した。狂気の沙汰としか言いようがない。そして、後日、理由を聞いて驚いた。政敵を倒すために発動したらしいのだ。その世界観はさすがにマズいと思う。まるで陰謀論者ではないか。しかし、実際、世界各国で保守と言われる人たちは陰謀論的なところがある。いや、保守だけに限らない。とても危ういものを感じる。

 とても勇気のある女性だ。やはり、韓国人は熱い。これは歴史に残るシーンになるだろう。
 
金慶珠さん、キレイだなあ。
 
12月5日(木)
野間易通氏によると地上波で韓国の戒厳令のニュースが、当初、ほとんど流れなかったそうだ。私自身、地上波を見なくなったので、地上波が流しているかどうか知らなかった。また、日本人のレベルの低さが指摘されていたが、まさにその通りだと思う。若手に歴史を継承していかなければならない。しかし、日本人にはなかなか難しいのだろう。それに今後ますます経済的に困窮していくから、そのような余裕はどんどん無くなっていく。クルド人の歴史は勉強になった。
 
12月8日(日)
アサド政権が崩壊したらしい。アサド政権の巻き返しはもう無いのだろうか?これからのシリアが民主的な体制になれば良いのだがと思う。同時に、アサド政権を支持していたロシアやイランはどう出るだろう?ロシアはやはりウクライナで手一杯でシリアへの支援が弱くなったから、今回、反体制派が勝利できたということなのだろうか?あるいは、米国の暗躍があったのだろうか?とにかく、内戦が終結するのであれば、それはきっと良いことなのだろう。ガザやウクライナの戦争も早く終結することを願う。
 
12月9日(月)
国内の要塞にでも退避したのかと思っていたら、ロシアに亡命していたとは驚いた。あっけない幕切れで、アサドの亡命は幕末の徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いで味方の軍勢を捨て置いて江戸へ逃げ帰ったのに似ている。
 
12月11日(水)
『とくダネ!』のメインキャスターで一時代を築いたと思う。彼はいろんなことに通じていて驚いたりした。 その後、彼に続くような人は現れなかったと思う。とても残念。合掌。
 
すでに11月に出ていたニュースらしいが知らなかった。トランプの当選によって多様性重視の取り組みを企業が縮小していくらしい。なんともはや。嫌なトランプ時代がすでに動き始めている。
 
12月12日(木)
表題は立花孝志包囲運動だが、メインはシリアの話だった。シリアの強制収容所のことなど知らなかったので大変勉強になった。21世紀にもなってまだ強制収容所があるとは驚いた。もちろん、米国がアルカイダを倒すために世界各国の米軍基地に拷問のための収容施設を作っていることは知っていたが。
 
12月14日(土)
可決されて良かった。戒厳令で報道規制や政治集会の禁止、出版の統制などあり得ない布告を出していたし、戒厳令を解除するための国会議事堂に集まってきた議員を軍隊を使って排除しようとしたり、あきらかに尹錫悦大統領による違法行為だろう。職務停止になって本当に良かったと思う。それにしても韓国の国民がすぐに国会議事堂に集合して議員たちを支援したのは本当に凄いと思った。日本人はあのように行動できるかどうか疑問に思う。日本の保守は相変わらず韓国の悪口を言っているが、かつて中国の悪口を言っている間にあれよあれよという間に中国に経済力や技術力で抜かれてしまい大国と小国の力の差をまざまざと見せつけられてしまったが、今回の韓国の件も同様で、韓国の悪口を言っている間に韓国に国のクオリティで抜かれてしまうのだろうなあと思う。ただ、もう私個人は諦めてしまった。日本はダメだと。そのダメな日本でいかに生きるかが課題だと思っている。日本はなんでも換骨奪胎して自分たちに都合の良いものに変えてしまう。だから日本のシステムは本質的には変わらない。民主主義も換骨奪胎して自分たちの都合の良いものに変えてしまった。「解釈改憲」という言葉がそれをよく表している。白いものでも解釈次第で黒いものに変えてしまう。なので、日本はダメだと私は諦めてしまった。ところで、話は変わるが、私は大統領制については肯定的に捉えていたのだが、トランプや今回の尹錫悦のことを考えると、大統領制もいかがなものかと思えてきた。かつては三権分立を考えたとき、日本の議院内閣制では立法と行政がタッグを組んでしまい、強力な権力体制になってしまうと思えて、大統領制にして行政と立法が互いに牽制し合う体制にした方が良いのではと思っていた。しかし、大統領がとんでもないと政府がとんでもない人事になったり、大統領が血迷うと戒厳令を出したりとリスクが高いような気がしてきた。逆に議院内閣制だととんでもない総理大臣が出現すると議員が引きずり下ろせる。自民党の総理大臣が今までけっこう目まぐるしく変わったように。ただし、安倍晋三の事例もあるから必ずしもそうできるとは限らないが。いずれにしても、日本の場合、もっと司法の権限を強くした方が良いように思う。最高裁をもっと強力にできないものだろうか。日本の最高裁は政府の顔色ばかりうかがってしまいがちだ。最高裁自体が法をねじ曲げてさえしてしまう。ともかく、最高裁をもっと強くした方が良いように思う。ただし、検察は問題が多いから、そこは気をつけなければならない。
 
そういえば立花孝志の件を忘れていた。まあ、立花孝志はデマゴーグなんだろう。石丸や斎藤とは違う。石丸は新しいタイプだろう。斎藤も少し石丸に似ている。一方、立花孝志は古いタイプだ。ただ、立花孝志はかなり自暴自棄になってやり過ぎている感があって、いつか捕まる可能性が高いと思う。それに人々もいつまでも彼の口車に乗せられていないと思う。彼はどこか過剰で普通の政治家は勤まらない気がする。仮に、もう少し地道な道があったなら、彼の過剰さをもう少し抑制していれば、彼は政治家として成功していたかもしれない。ところで、忘れてならないのはNHKの課金制度の問題だ。やはり、NHKの課金制度は間違っていると思う。それを見過ごしたままにしておくのが問題だと思う。そもそもこの歪んだ課金制度があるから立花孝志のような人物が勢いを持てたのだと思う。問題の根源にあるNHKの歪んだ課金制度を誰か正してくれないものだろうか。問題の根本はNHKの歪んだ課金制度にある。
 
12月17日(火)
 教員の残業問題で最も大きな負担が先生が部活動の顧問をしなければならないことだったが、神戸市では学校が部活動を運営するのを止める方針を打ち出したとのこと。欧米ではすでに地域社会が部活動の指導をしていたが、日本では教員が指導していた。 そのため教員の負担が大きく、本来、教育に充てるべき時間を部活動に大きく取られていた。部活動の負担を教員から取り除き、その分、本来の教育に充てることができれば生徒のレベルアップに寄与できることになる。しかし、その一方で、部活動が減少してその面での生徒の育成が減ってしまう。欧米のように地域社会で負担することが日本でもできるかというとなかなか難しいものがある。神戸市の場合は地域のスポーツ団体が運営主体となるらしいがどこまでやれるか分からないことも多いと思う。私の考えでは、今まで教員の負担があまりに大き過ぎると思うので、教員から部活動の負担が減ることは良いことと思う。それに学校は、本来、勉学の場なので、教員が学習指導にもっと力を入れられるのは本筋として良いことだと思う。部活動を外部に委託するのは様々な問題を引き起こすとは思うけれど、それは一つ一つ問題解決してゆくしかないと思う。これまでの教員の負担が過大過ぎたのが異常だったのだと思う。
 
日本というのは本当に「一度走ったら止められない国」なんだなあと思う。震災であれだけ懲りたはずなのに。本当に何を考えているのか!廃炉にするのも高コストなのに。将来、日本だけ電力がずば抜けて高額になるかもしれない。それに地震で汚染地域ができたら目も当てられないことになるだろうし。一方、世界はどんどん再生可能エネルギーにシフトしているのに。将来、原発が日本のものすごいネックになる可能性がある。日本を貧困国にしてしまうかもしれない。本当に愚か過ぎる。
 
石破首相は「日本全体の幸福度にとってプラスの影響を与える」との認識を示したとのこと。それはそうだ。

12月18日(水)
いずれは値上がりせざるを得ないんだろうけど。

12月19日(木)
鴻海による日産買収の動きに対抗してとのことらしい。そして、日産がそもそも業績が悪いことに原因があるとのこと。そもそもゴーンさんで業績を立て直しておきながら、そのゴーンさんを追い出して、昔の旧体質に戻った日産が再び業績悪化の道を辿ったというのは日産の経営陣の悪さが問題だと思う。ホンダが日産を引き受けるのはなんか止めた方が良いのではと思う。半導体やテレビで統合した結果、悲惨な結果になった前例があるからだ。もし、引き受けるんだったら、フェアレディZやスカイラインGT-Rだけ貰うとか、人気車種だけ貰うようにした方が良いと思う。レノボがIBMのThinkPadだけ貰ったように。ちなみに三菱の合流は論外だと思う。まあ、私は自動車産業のことはまったく素人で分からないのだけれど。
 
ついに渡辺恒雄も亡くなったか。全然異なる思想の持ち主だが、池田大作となぜかセットに思えてしまう人物だった。合掌。
 
12月20日(金)
昔、日本人が近隣アジア諸国でやってたことが、今度は日本が貧しくなったから、日本人が今度はその立場になったという感じ。ところで、日本にはソープランドというものがあるけれど、路上売春よりそちらの方が良いのではなかろうかという気もするのだが。逆に他のアジア諸国でもソープランドのようなシステムを取り入れている国はあるのではないのだろうか?売春を非難するよりも、セックスワーカーが安全に仕事できるような仕組みを作る方がより現実的で大事ではなかろうか。それと売春する原因にホストが上げられているけれど本当なんだろうか?ホストは女性にとってそんなに良いものなんだろうか?非難する意味ではなくて、女性の欲求が叶えられる要素がそんなに詰まっているのかと不思議に思うからだ。

12月21日(土)
面白かった。要するに、米国の産業構造が転換する中で、それに取り残された人たちによる階級闘争がトランプ現象を引き起こしたということだろうと思う。不法移民に対する排斥も賃下げに対する抵抗の結果として起こっていることだと。で、トランプの背後にいる一人として、ピーター・ティールを挙げており、最終的にはテクノロジーによる救済を掲げているらしい。ただし、目の前の対策としてはニューディール政策とのこと。また、宮台さんによる日本の場合は世代間の継承が断絶しているので、昔は良かった的な思い出が継承されていないという指摘も面白かった。
 
亀田製菓CEOのジュネジャ・レカ・ラジュ氏が移民受け入れをと提言したことに対して、河合悠祐が亀田製菓本社前で抗議の演説をしたらしい。さて、亀田製菓のカレーせんべいは、以前、よく食べていたので亀田製菓自体は知っていたのだが、CEOがいて、さらにインド出身なんてことは知らなかったので勉強になった。移民受け入れの提言についても、1年間の出生数が70万人を下回るとのことだったので、生産人口を考えると、移民受け入れは必然ではないかと思う。今の日本の外国人労働者の受け入れ体制が酷くて、ベトナム人はもう来てくれないと思う。私の近所で見かけるのはおそらくペルー人だと思う。石破首相が最初に訪問したのもペルーで外国人労働者確保が喫緊の課題なんだろうと思う。しかし、今の受け入れ体制が酷いので外国人労働者は定着してくれないと思う。こんなことを続けていたら、日本の産業はどんどん衰退していく一方だと思う。河合悠祐は外国人への生活保護も批判していたが、移民を受け入れて少しでもGDPを押し上げて国の財源を増やして、生活保護へ回す方が余程良いと思う。河合悠祐は外国人に対して日本のルールを守れといっているけれど、例えばゴミ問題にしてもクルド人の方が余程ルールを守り地域社会の美化に努めていると思える。私の近所なんかは、むしろ、日本人の方がルールを守っていないことが多いかもしれない。日本の場合、もっと移民を増やさないと、経済の衰退はもっと酷くなると思う。日本の過去の産業的遺産がすり減って無くなってしまう前に移民を増やして巻き返しを図った方が日本のためだと思う。移民が入ってくれば摩擦は増えるだろうけど、生き残るためには変わらなければいけない。また、河合は「日本人の心」とか言っているけれど、日本人の心を継承してゆくような伝承行為を彼は何かやっているのだろうか?以前にも書いたけれど日系移民の方がよほど伝承に努めている。逆に今のネトウヨには伝えるべき伝統をそもそも持っていないと思う。彼らは日本の伝統から断絶しているのではないかと思う。彼らは建前で日本の伝統を謳いながら、本音ではレイシズムで弱い者いじめしたいだけだと思う。ともかく、自分たちを保守だというのなら、海外の日本人学校がやっているような日本の伝統を守るための伝承にもっと力を入れたらどうかと思う。
 
12月24日(火)
尹錫悦大統領弾劾集会の旗が大変面白かった。「全国後回しにする連合」とか「手足冷え性連合」とか「全国家で寝っ転がっている連合」とか「内気な人たち連合」とかとても笑えた。こういうスタイルがこれからの日本のプロテストには必要なのかもしれない。あ、でも、すでに日本でもやっている人たちもいるんじゃないかと思う。
 
12月28日(土)
米国では労働組合によるストが起こっていたらしい。ただ、米国のトラック運転手の労働組合は特殊で半ばマフィアっぽいから、アマゾン相手でもストが可能だったのかもしれない。ちなみにこの労働組合はNetflixでヤクザ映画としてドラマになっていたと思う。たしか『アイリッシュマン』だったと思う。ともかく、賃上げ闘争で労働組合がストを起こせるのは良いことだと思う。労働組合の加入率が低くなっている米国であっても、ストが起こるのは凄いと思う。
 
米が高い。秋の米不足で高かった時期が過ぎて、新米が入荷して安くなるのかと思ったらずっと高いまま。半端でない値上がりだ。どうにかしてほしいでござる。
 
今月の振り返り
今月は韓国の戒厳令騒動、シリアのアサド政権崩壊、斎藤元彦兵庫県知事の公選法違反疑惑、立花孝志の脅迫罪疑惑などが大きな話題だった。戒厳令騒動では韓国市民の底力を見せられて感動した。兵士も発砲せずに偉かったと思う。これもまた韓国の民度の高さだと思った。逆に尹大統領がネトウヨYouTuberに傾倒していることに驚愕した。しかも戒厳令の内容があまりに酷すぎて言葉を失う。次にアサド政権の崩壊だが、強制収容所の存在に愕然とした。この現代にまだ強制収容所があるのかと驚愕した。それから、斎藤元彦兵庫県知事の公選法疑惑については、郷原さんの話に基づけば、間違いなく有罪だと思う。それでも彼は最後まで県知事の座に居座り続けるんだろうなあと思う。昔のひとと今のひととの違いで、昔のひとは自ら身を引いていたが、今のひとはそういうことはしないんだなあと思った。立花孝志氏については、もうどこの選挙区で立候補しても得票は得られないんじゃないかなと思う。あとは二馬力選挙で他候補の応援をするくらいしかできないんじゃないかと思うが、それはいずれは違法とされてしまうと思う。応援される方も迷惑と思うようになると思う。となれば、二馬力選挙も今後はなかなか成立しなくなるんじゃないかと思う。となれば、立花孝志氏としては、今後のシノギがかなり難しくなるんじゃないかと思う。立花孝志氏は政治家としてはかなり危ういデマゴーグになってしまうが、セールスマンになっていればなかなか優秀な成績を残すセールスマンになっていたのではないかと思う。今からでも真っ当なセールスマンに転職した方がいいのではないかと思うのだが。
 
それ以外のニュースでは、原発回帰のニュースには驚いた。ほとぼりが冷めたら原発回帰するというのはあまりに酷いと思う。世界は再生可能エネルギーにシフトしているのに、本当に逆行している。発電と送電を完全に分離して再エネをどんどん増やす方向にすべきなのだが、電力業界の利権が失われるのを恐れて原発回帰に戻ろうとしている。これは地震大国日本であるために、国を滅ぼす選択になりかねない。
 
それから日産の会見を見て思ったが、日産は身売りする立場だと思うのだが、「どちらが上でどちらが下というわけではない」と日産の社長が言っていたのに驚いた。 大企業の社長というのは、自分たちの経営が悪くて身売りする結果になったのに、それでも悪びれずに「どちらが上、どちらが下ではない」と言えるんだと。厚顔無恥というか大企業病というか。このような会社は潰した方が良いと思うようになった。
 
今月読んだ本
 
儒教とは何か
 著者は加地伸行氏という学者で、保守の論客でもあるらしい。そのためか、保守的思想が散見されて私としてはやや読みづらい箇所もあった。全体としては、儒教の宗教性にフォーカスした本であった。儒教に対する理解としては礼教性の面にフォーカスしたものが多いが、そうではなくて、儒教の宗教性にできるだけフォーカスして儒教を捉えようとしたのが本書だと思う。そういう意味では儒教理解に新たな側面を得られて儒教に対する認識がより深いものになったと思う。個人的には、仏壇や墓参りや遺影について昔から不思議に思っていたので、その謎が解けたようで良かった。また、大乗仏教が中国や朝鮮や日本に広まったのは分かるような気がした。要は救済の宗教がそれまで無かったのだと思う。儒教に救済の側面はあまり無いと思う。儒教は祖先崇拝で血縁集団の損得であって、そういったものを超えて苦しんでいる人々を救済する宗教でなかったところに、大乗仏教という救済の宗教が入ってきて人々の心を捉えたのではないかと思う。さて、本書では孔子以前の儒教、原儒時代というのがあったと説明されいていて、それが儒教の原点だと指摘していた。なるほどそうだろうと思うのだが、その原儒時代の起源についてもう少し詳しく歴史的なプロセスを書いていてくれたら良かったのにとも思った。ともかく、私としては儒教を儒学として捉えがちだったので、儒教の宗教性について知見を得られたので大変勉強になった本だった。
 
それから、脳死や臓器移植を扱った終章の一節に医学部で行われている献体に対する心のこもった慰霊祭の話があった。最近、美容外科医が献体の写真をSNSで楽しそうに投稿して問題になった。ただ、ちょっと気になるのは「けしからん」という人は、じゃあ、ガザやウクライナ戦争の映像は見ていないのだろうかと思う。目を覆いたくなるようなボロボロになったガザの子どもの遺体、その遺体を抱えて泣き叫ぶ大人たち、ウクライナ戦争でドローンに殺される兵士の無惨な死。「けしからん」と怒るひとたちは、今、この世界で起こっている悲惨な悲劇には思い至らないのだろうか。東日本大震災でも日本の報道機関は死体を見せなかった。一方、米国の新聞などでは死者への尊厳を保ちつつ死体を見せた。確かに死体を見ることは辛く、人によっては心に大きな傷を負うこともある。しかし、この悲惨な現実を心に刻むためには死から目をそらさずに死を直視することも必要だと思う。日本人はすぐに忘れてしまう民族だ。しかし、この悲惨な死は決して忘れていいものではない。死を忘れないためにも、日本人も死を直視すべきだと思う。