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2022年5月29日日曜日

NEWS2022.05


5月1日(日)
こういう不正が行わるように社会が変わってきたんだと思う。嘆いているというわけではなくて、知識社会への移行がこのような不正を生じさせるようになったのだと思う。

5月4日(水)


5月7日(土)
見田宗介教授の追悼番組。ゲストは大澤真幸氏。見田宗介教授のことはあまりよく知らないので勉強になった。ただ、私の本棚にはちくま文庫版の『気流の鳴る音』が一応あるでござる。

5月11日(水)

5月13日(金)




5月14日(土)
沖縄返還の際に日本政府が沖縄の基地を自由に使用して良いと容認した密約を米国と結んでいた話。そして、当時の政治的事情や日本のジャーナリズムの話。

私が印象に残ったのは、トークの最後の方で宮台氏が語った日本は差別的な国であるという話。差別に無自覚であること、沖縄を差別をしていることの話。

私は日本人についてはほぼ諦めの気持ちでいる。かつて経済的に繁栄したけれど、そこから立派な市民になれるかと期待したけれど、残念ながらそうはならず、物事の本質や意味が捉えられない、道理ではなく空気で意思決定してしまう烏合の衆から日本人は抜け出せなかった。ただし、そこに巣食う日本型権力者たちがいて、彼らは彼らの利権を守るシステムを構築しており、その利権システムを守るために陰湿に人々を囲い込んで反抗できないようにする圧力を持っている。彼らは反抗的な異端者は徹底して叩く。だから、日本を内側から変えるのはほぼ不可能に近い。日本人のオカシさに気づいた人は脱日本人化するに限る。立脚点を外に持つこと。外から日本のオカシさを言うしかないと思う。

5月18日(水)
凄くね?でも、一方で民業圧迫になりそう。




5月19日(木)
この力を技術的に可能にすれば、みんな、モテモテになれるんじゃ?いつかバオーなれるかもしれんなあ。

うむむ。高いなあ。これって正しいんだろうか?どうなんだろう?

5月21日(土)
戦争研究所の話は大変勉強になった。ネオコンが生き続けていることも分かって良かった。いや、ネオコンは嫌いだが、脅威が過去のものでないことが分かったのが良かったという意味で。それにしても、世界が後退しているように感じるのは私だけだろうか?

ところで、私のツイッターの界隈ではAV新法でいろいろともめているようなのだが、このニュースはちゃんとトレースできていないので、よく分からないでいる。私自身はポルノは必要だと思うし、一方でポルノに出演することで傷つくひとがいることも理解できる。どこかで線引する必要があるんだろうとは思う。ただし、ポルノを悪と決めつけるのは間違っていると思う。ポルノはセックスライフを豊かにするものでもあるからだ。基本的に性教育が最も重要なのだと思っている。それと私たちの性に関する知識がまだまだ貧しいのだと思う。性に関する知識が貧しいから、ポルノの製作者が間違いを犯したり、法律を作って取り締まろうとするフェミニストが間違った認識で取り締まろうとするのだと思う。

5月25日(水)
特集は2022年バッファロー銃乱射事件について。様々な言葉や数字の意味など野間さんの解説がとても勉強になった。西村博之氏の日本社会の扱い方がおかしいのじゃないかという野間さんの指摘も確かにその通りだと思った。


まとめ
マリウポリが陥落した。しかし戦争が終結する兆しが見えない。私はマリウポリが陥落すれば戦闘は終わるのではないかと希望的観測をしていたが、予想は外れたようだ。どうもロシアはドンバス地方の領土をもっと拡大したいようだし、ウクライナとその支援国はそれを阻止しようとしているようだ。戦闘が長引くほど憎悪が増大する。そうなればますます流れる血は増える。そうならないように、どこかの国が早期停戦(手打ち)のために間に入らないものかと思う。(戦いを長引かせること、ウクライナの軍事支援をすることで、兵器産業が儲かってるんじゃないかと思ったりもする。)

イーロン・マスクによるツイッター買収の件、どうなっているのか分からなくなってきた。トランプのような人物を勢いづかせるSNSでもあるのでウォッチしておかなければいけないと思っているのだが。

今月は『教育と愛国』が印象的だった。愛国教育はボディーブローのように効いてくるので看過できないのだが、おそらく、数年後には日本の若者のネトウヨ化を増進していることだろうと憂鬱に思う。

それとAV新法が今月は目立ったトピックだった。しかし、私自身はどういった経緯になっているか、よく分かっていない。私はポルノはセックスライフの充実に必要なものだと思うし、一方でポルノに出演したことで傷つくひとがいることも理解できる。ただし、ポルノ産業を悪であるとして一方的に叩くやり方は問題だと思っている。ポルノは必要だし、ポルノに出演したことで傷つくひとが一定数出てくることも自然だと思う。「自分は出演しても大丈夫だと思っていたら、実際に出演してみたら大丈夫ではなかった」ということは人間だからありうることだ。人間は間違える生き物だからだ。そういった場合のケアの体制を整えることだと思う。

セックスワーカーについても、当人たちが自由意思で決定したのなら、問題ないと思う。人間には性欲があって、必ずしもセックスと愛がセットでなければならないと決めてしまうのは間違っていると思う。セックスと愛を切り離して、単にセックスだけを楽しむための関係があってもいいと思う。むしろ、買春の側に人権感覚が欠如していることが問題だと思う。サービスを買っているのであって人間を買っているのではないのに、あたかも人間の尊厳を傷つけるような感覚を持っている場合がある。プレイとしてそういう遊びは許容されるけど、それは事前に双方が同意した上で決めるプレイであって、あたかも現実がそうだと勘違いしてはいけない。日本人に勘違いしている人が多いのは日本社会で権力が上下関係として幅を利かせていることが多いからではないかと推測する。上に媚びへつらう輩は逆に下に対して頭を下げろと要求することが多いと感じる。日本人は権力に飼い慣らされている家畜のような人間が多いのだと思う。彼らは自己と相手の互いの尊厳を尊重する対等な人間関係を持てないのだと思う。

沖縄本土復帰50年も印象に残ったトピックだった。そして、日米地位協定を思い知らされた。かつての枢軸国ですら米国と対等になっているし、かつて日本だった韓国すら、米国と対等なのではないかと思う。それなのに日本と米国の関係を比較した場合、日本は米国の下に位置づけられる。米国から見れば、韓国の方が日本よりも地位が高いことになるんじゃなかろうか。保守はこの事実をどう考えるのだろう?日本国憲法前文には「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」とあるが、日本は自国の主権を維持してるのかと疑問に思ってしまう。保守はこの前文も変えたいのだろうなあ。もちろん、皮肉だが。