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2021年12月2日木曜日

NEWS2021.12

 
12月1日(水)
21世紀の日本が戦前の日本のようになりつつあるという恐ろしい話。笑いながら話されていたが、内容はかなり深刻な話だった。その原因は日本人の国民性にあるというかなり悲惨な話だ。事例として連合が戦前の産業報国会と質的には同じで自発的にそうなったということを挙げていた。私たちは日本というディストピアを生きている。日本人はその国民性において全体主義に向かう志向があるのだろうと思う。今、雪崩をうってそういう方向に向いつつある。しかも経済は下降しており、そのシワ寄せは弱者に向けられる。日本の経済的な繁栄の時代は終わったし、こういった国では文化的にも良質なものは生まれないと思う。リベラルという言葉がずっとカタカナであるように、自分たちの内側からリベラルが立ち上がってくることがないのだろうと思う。以前、フランスでオバマ元大統領をフランスの大統領にという声があったが、日本ではオバマは理解されないだろうし、オバマが出馬しても日本では落選するだろう。日本にリベラルは根付かないのだと思う。日本のリベラルは外部に可能性を見出すしかないのだと思う。今度は満州ではなく米国に期待すべきだと思う。今はネットがあるので、何か方法があるような気がする。


12月6日(月)
「自民党長岡支部というのはなんと恥知らずか」と思うニュースであった。

12月7日(火)
「外交はボイコットするけど選手団は派遣する」という何だかなあというボイコットではあるが、ウイグル問題は真実は定かではないが、その疑いは濃厚ではあるので、看過できない案件ではある。

12月8日(水)
クリミア問題は微妙で、ロシアとウクライナの反目は難しい。

維新についての床屋政談。正直、あまり感心しなかった。歴史を歪めてしまうかもしれない。とはいえ、歴史を歪めてしまうのを恐れて歴史を語ることを止めてしまうのも、またよろしくないことではある。

確かに私も坂本龍馬や坂の上の雲を持ち上げるのはどうかと思う気持ちはある。坂本龍馬好きに走るのはカンパニー志向、昔でいう青年実業家になりたい起業家志望の若者に多いのだと思う。また、坂の上の雲に関しては司馬遼太郎が第二次大戦で敗戦した日本人が誇りを取り戻すために「日本、凄い!」を描いた小説だと思う。しかし、主人公の秋山真之は日露戦争で参謀として活躍したようだけど、実際はメディアへの広報もやってたので自画自賛してた可能性が高い。なので、英雄に憧れる目で彼らを見ているのであって、歴史を冷静に見ているとは考えにくい。

大阪維新が党勢を増すのは面白くないが、しかし、果たして大阪維新がどこまで排外主義的かは分からない。そもそも大阪維新のおおもとは二重行政を無くすなどの既得権益との闘いだったと思う。彼らは民間は苦労して稼いでいるのに公務員は楽して高い給料を貰っているというイメージを持っている。確かにそういう一面が無いではないと思う。しかし、だからといって教職員や生活保護を敵視するのも間違っている。なのに、自分たちに都合良く権力を集中するためにそういった人たちまで批判するという有様だった。結局、彼らは建前は既得権益の打破でありながら、本音は権力の簒奪であり下剋上なのだと思う。ただ、彼らは地域政党だったはずだが、それが今回全国的に躍進している。大阪という地域から全国に拡大する中でナショナリズムに傾いた感がある。しかし、おおもとはやはり地域政党だとは思う。大阪の在日韓国朝鮮人に対して維新がどの程度排外主義的なのかが私にはよく分からない。あまりそういった声は聞こえてこない気がするのだが。

さて、維新というのが王政復古という意味なのは勉強になった。しかし、多くの人たちが維新と聞いてイメージするのは革新だと思う。

アジア蔑視のルーツがどこにあるのかはよく分からない。西郷隆盛の征韓論は違うと思う。そもそも廃藩置県があって武士の不満が高まっており、そのはけ口として朝鮮と戦争をするという考えだったと思う。西郷に蔑視の感情は無かったと思う。西郷は朝鮮との交渉で死に場所を探していた節もある。結局、戦争なんかしている場合ではないと大久保や岩倉らの反対にあって断念している。その結果、明治6年の政変で板垣らとともに下野している。ちなみに不平武士の反乱で西郷や江藤新平らは殺される。板垣は司法・立法・行政の三権分立の一つである立法に食い込むために自由民権運動を始める。確かに建前は民主主義だが、結局、権力闘争の一貫だったと思う。ちなみに伊藤博文はシュタインに学んで行政に力を入れる。能力主義で大学を作ったり官僚制を整えたりする。立憲政友会も官僚から政治に向かう道筋を作るためだった。一方、山県有朋は三権ではなく軍を掌握して王国を作る。軍部大臣現役武官制と統帥権で国家の中に国家を作ってしまう。軍部の予算が気に入らければ軍部大臣を出さないことで内閣を解散に追い込んだりしている。これが後に昭和の軍部の暴走を許す元になる。一方、昭和維新の2.26事件の背景には日本の農家が取り残された悲惨な状況があった。日本の近代化の中で農家は若い男性は徴兵に取られたり女性は女工や女郎で売られたりして、残された農家は近代化されていない昔ながらの遅れた農業技術で過酷に働くしかなかった。時代はややズレるが、福沢諭吉などは自分は苦学して経済的にも苦しかったがその努力があったればこそ今の自分があるわけで、そういった努力を全然していない農家などは自業自得だと思ったことだろう。軍が暴走する原因の一つにはそういった不満があった。皇道派や統制派などが生まれた背景もそういった苦しい状況があったからだと思う。戦後、自民党が農家を票田にしたのも戦前の反省があったからだし、地方への分配を重視したのも同じ理由からだ。しかし、そこに矛盾やムダが生まれる。人がほとんどいない地方に立派な道路を作って誰が走るのか?単に地方を潤すためだけのバラマキではないかと。そこで維新や道州制のようなもっと合理化しようという動きが出てきた。そのこと自体は間違いではないと思う。英国を見れば地方自治が進んでいる。現在では独立さえ叫び出している。話が随分脱線してしまった。アジア蔑視のルーツだったな。江戸時代にアジア蔑視は無かったと思う。一方、戦後の高度成長時にはすでにアジア蔑視はあったと思う。日清戦争のときにすでにアジア蔑視らしいものはあったように思う。それは民衆の中に。氷川清話なんかはそれに対する反対声明に感じる。福沢諭吉なんかはあったかもしれないが、彼の場合はちょっと特殊だと思う。ただ、民衆は脱亜入欧の中で次第にアジア蔑視になっていったように思う。ただ、戦前の日本の産業で輸出で大きなウェイトを占めたのは紡績業だと思うけれど、その輸出先で最大だったのは中国だったはず。すごく矛盾している。

ところで、倒幕するまでは尊皇攘夷だったが、倒幕した後は開国に180度転回したので、決してずっと尊皇攘夷だったわけではない。むしろ、「江戸幕府は勝手に開国してけしからん」と言って戦争を始めておきながら、倒幕したら「やっぱり、開国します」って、あまりにも大義名分が立たないだろということを日本人は平気でやっている。ただし、鳥羽の戦いでも分かるのだが、薩長軍と幕府軍に日本が二分していたわけではなくて、どちらが優勢になるか見守っていたその他多数の藩が第三勢力としてあった。このその他多数は、結局、どっちにつくのが得になるか見定めていただけだった。単なる損得勘定だ。だから、攘夷から開国に変わっても別にどうでも良かったのだろう。似たような話に板垣退助が会津藩を攻めているときに会津の農民が弁当を広げて会津城に大砲が撃ち込まれているのを見物しているのを見て、板垣はなんと愛国心のない奴らだと嘆いたらしい。もっとも会津の農民は会津の武士が重税を課すので憎んでいたという背景もある。だが、昔から日本人というのは真の愛国心とか情というものはあまり持ち合わせていないのだと思う。小栗忠順が米国へ行く船の中で米国人船長が死んだ船員の水葬で涙を流しているのを見て、米国人は情が深いと驚く話があった。自分などは部下が死んでも家畜が死んだ程度にしか思わないとまで言っている。外国映画を見ても友人が国に追われて亡命しようとして逃げるときにかくまったりする場面があるが、日本人の多くは友人に関わりたくないと逆に戸を閉ざすように思う。

どうも取りとめのない話になってしまった。日本は哲学や道理のない国だと思う。日本は特殊な神権政治の国のように思う。天皇が国の中心にいる。ただし、それは中空だ。中空構造になっている権力。天皇を祭り上げて実権は別の誰かが担う。ただし、その誰かがまっさきに天皇に平伏して、その下の者たちがそれにならって平伏する。西郷が天皇を玉(ぎょく)と表したように天皇をとれば天下を従えられる。道理ではなく、天皇を掌中に収めれば日本を治められるという、実に原始的な社会だ。歴史を振り返れば、日本をダメにしているのは天皇制だ。天皇制を廃止すれば、責任を他人に押し付けられなくなり、自分の頭で考えて行動するようになる。ならざるをえなくなる。しかし、悲しいかな。日本人は自分たちで天皇制を廃止することはできない。まあ、日本人は特殊な民族として珍重されるかもしれない。

取りとめがなくなったので、いったんここで止めておこう。


12月10日(金)
新しい流れだなあ。ところでシモーン・バイルス選手ってキレイだなあ。

12月12日(日)
今回のマル激は個人的に大変良かった。以前に私の近辺でゼロ日死亡の事件があって大変ショックを受けていたのだが、その問題解決の方法が私には全然分からなかった。しかし、今回のマル激を見てフィンランドのネウボラや子育て世代包括支援センターなるものを知ることができて、そこに希望の光を見出すことができたからだ。それにしても私は知らないことばかりで自分の無知を思い知らされることしきりだった。ともかく、日本社会は変わらなければいけないと思う。このままの状態を放置していたら悲劇がどんどん繰り返されるばかりだ。ただし、厄介なのはそこに利権も絡んでくることだと思う。日本は換骨奪胎の恐るべき伝統芸を持っている。外国のどんなに素晴らしいシステムも日本に導入された途端、本来の意義は失われて利権を貪るための仕組みにすり替えられてしまう。そして、ジャーナリズムという監視チェック機能が機能しないから、どんどん本末転倒なものに変わっていく。そうならないことを切に願う。それと同時に、日本経済はこれからどんどん悪くなるだろう。そういった中で福祉を充実させていけるかどうか、困難を極めるのではないかという不安がある。しかし、何が大事かということをよく考えて、ヒトこそが最も重要なんだということをよく考えてもらいたい。

最近、人にはカウンセリングが必要なんじゃないかという気がする。生き方のアドバイスをするカウンセラーが要るような気がする。人はそれぞれ個性や性分があって、その人に合った生き方は一つではない。その人の性分を見極めてその人に合いそうな生き方をアドバイスするカウンセラーが要るような気がする。かつては親や友人がそれらの役割を担っていたかもしれないが、それにはどうしても限界がある気がする。客観的立場からアドバイスするカウンセラーが要る気がする。カウンセラーと話すことによって本人も自分を別の視点から、ある意味の客観視ができる、気付きがあるような気がする。子育て支援もそれに近い面があるのではないだろうか。

日本は変わる努力を怠った。小泉政権前後の頃、「変わらなきゃ」が盛んに言われたが、結局、変われなかった。その結果がこれ。

12月14日(火)
トヨタであろうとなりふり構わずにやるべきだと思う。

12月15日(水)
かつてGDPの粉飾は難しいのではないかと言われていた。しかし、明石弁護士が国会でその他項目の詳細を尋ねたところ不明との回答だった。そして、今回、基幹統計を書き換えていたことが分かった。もはや日本がGDPを粉飾しているのは間違いないだろう。ほとんど経済成長していないどころか、マイナス成長の可能性さえある。しかも、その間に債務は増えている。企業なら成長していないのに投資だけ続けているようなものだ。借金を返すあてもないのにずっと借金を続けている。日本はそれを30年間ずっと続けてきた。もう借金は止めるべきだ。日本の経済危機が目前に迫っている。


日本という国が腐っているのが分かる。政治家も腐っているし、そういう政治家を選んだ有権者も腐っている。

これって本当なの?

日本のヘイトクライムについて勉強になった。ホームレスや外国人、在日韓国朝鮮人、被差別部落など日本のヘイトクライムの歴史の勉強になった。ヘイトは日本人のメンタリティに深く根づいていると感じた。連綿と続いてきたのだと。そして『カムイ伝』を思い出した。日本はインドのような階級社会ではないと思うけど、日本は日本独特の階級意識があるように思う。それと島国根性と言われたような閉鎖的なメンタリティがあると思う。その典型的な症状に「イジメ」があると思う。そう考えると日本人は人間性という面において問題のある国民性なんじゃないかと思えてくる。全員がそうではないが、実は日本人のけっこうな多数が人間性に問題があるように思う。暴論に聞こえるかもしれない。しかし、いじめが起こったときの対処を見ているといまだに大多数に問題があると思うからだ。いじめが起こったとき、正しく対処できている大人が日本には意外に少ないのだ。そして、それは日本社会に対する不信につながっている。

12月20日(月)
財務省の財政規律が無くなって久しいが、ついに政治家と国民の経済観念が吹っ飛んでしまったのだろう。日本人がオカシイと思わなくなった。しかし、非常に危険な狂気じみたことをやっている。

12月21日(火)
残念だ。

未知のウィルスに対処するため、ある程度の失敗は仕方ないと思うけれど、やっぱり、もったいないとは思う。それにこれのお金関係、非常に怪しくないかと不審に思う。

12月22日(水)
これも利権が絡んでいるんだろうなあ、医療業界の。



12月23日(木)
中国は黙ってないよなあ。世界は欧米と中露に二分されるのかなあ。でも、企業は中国市場があまりに魅力があるから捨てられないだろうし。しかし、いずれ中国はCPUも独自で作るだろうけど、そうなったら情報を支配するかもしれない。

12月29日(水)



2021年の振り返り
私にとって2021年の最大のニュースは10月31日に行われた衆院選だ。安倍政権の数多くの腐敗政治、緊急事態宣言下での東京五輪強行によって菅政権の不支持率が高まりで、リベラル政党は何もしなくても勝って当然だと思っていた。ところが、選挙結果は自民党はほとんど議席を減らすことなく、維新が躍進して、リベラルは議席を伸ばすことができなかった。この状況で勝てないのは敗北に等しい。しかも維新はかなり問題の多い政党なのに、そこが議席を伸ばすという有権者の無知無能ぶりが際立った。その後の展開は野党共闘を脅威に捉えた保守派が共産党をスケープゴートにして野党共闘を叩くというお決まりのパターンだ。立憲もかつて希望の党に鞍替えしようとした内部の保守派が勢力を盛り返して徐々に右傾化していく傾向を強めている。確かに選挙に勝てなかったのだからリベラルが不人気だという理由から保守へ鞍替えするというロジックは成り立つ。結局、日本はリベラルが少数派でしかないのだ。選挙前は鼻をつまんで野党に投票したが、選挙後は野党は変質して保守化してしまった。現在の野党を支持しても次第に保守化してしまうので、リベラル派としては支持しても意味がない。人物個人を見て個々のリベラルな政治家を応援するしかないと思う。

次に東京五輪についてだが、私はまったく見なかったので特に感想はない。

日本の産業については、半導体がほぼ壊滅してしまった。東芝も解体される。経産省が手を突っ込もうとしているが、モスピーダやジャパンディスプレイのようにダメになる可能性の方が高いだろう。かつて電子立国と言っていたが、それは過去の話になってしまった。日本の家電や半導体などの電機産業は終焉するだろう。さらにトヨタやアニメ産業も衰退のリスクが高まっている。

日本の財政もコロナの影響でさらに悪化している。愚かなバラマキが拍車をかけている。それにGDPなど政府の統計も虚偽で粉飾されているようだ。ジャパンクライシスが忍び寄っている。

日本は政治や経済だけでなく、社会も劣化している。地域社会が新住民で崩れてしまったが、さらに家族が空洞化してしまっているようだ。元々、日本人は愛ではなく金だった。そして経済が低迷することで、金も乏しくなって、家族が空洞化してしまったのだろう。そして、その連鎖が再生産されていく。これに歯止めをかけるのはかなり困難だ。

というわけで、日本は政治、経済、社会が劣化してしまった。日本人は西側の政治体制を採用してはいるものの、日本独特の全体主義国家へと変貌するように思う。いや、元々、そうだったのだろう。誰も物事の意味をちゃんと考えられない。無意識でそのときの空気で意思決定してしまう。意思決定のプロセスをロジカルに言語化できていないから公文書も残せない。その象徴が天皇制で、為政者が解釈によって憲法まで変えてしまう。日本がどこに着地するのかは誰にも分からない。無意識の雲に覆われているので、その雲がどのような挙動をしめすのか誰も予測できないと思う。

中国について。香港の民主化は終わった。ウイグルもチベットと同様の道を歩むだろう。次は台湾だ。中国の力が強大化しているので、おそらく台湾有事が起こるか台湾自身が内部崩壊を起こすだろう。米国も世界もそれを止められないと思う。中国の強大化は人類社会にとっては退行現象だが、残念ながら誰にも止められないのだと思う。中国が内部分裂すれば再び前進する可能性はあるが、それにはまだまだ時間を要するだろう。しかし、そうなる前に周辺国は中国に養分を吸い取られてしまうと思う。今後、数世紀はアジアは中国で苦しむことになると思う。

入管や外国人就労の問題について。日本の人権感覚が異常なのだ。ただ、日本が貧しくなって、外国人にとって就労の魅力が無くなれば、誰も来なくなる。日本人自身は同胞との格差社会を形成して同胞だけのピラミッド構造を作るようになるのではと思う。日本に来る外国人は観光客だけになる気がする。

GAFAMについて。FacebookがMetaに変わった。GAFAMからGAMAMに変わるのだろうか?さて、仮想通貨によってGAFAMの支配力がさらに強化されるような気がしていたが、やや停滞しているのかもしれない。しかし、Amazonの経済に対する支配力はかなり増大していると思う。逆にFacebookは将来は消えるかもしれない。ただし、Metaとして生き残るかもしれない。おそらく、メタバース、仮想現実、セカンドライフなど、それらはゲームの世界として大きな領域を占めると思う。人々は現実世界と同じくらいの量にゲーム世界を構築すると思う。経済圏が生じるとすればゲーム世界だと思う。ノンポリの人たちはゲーム世界に生涯没入して生きるのだと思う。もちろん、ゲームの世界は一つではない。複数の世界を形成する。現実世界に目を背けた人たちはゲームの世界を生きることで満足するだろう。いや、むしろ、ゲームの世界の方にこそ生きがいを見出すかもしれない。現実の世界に魅力を見いだせなくなる。そういう人たちがかなり多くなっていくと思う。

中東情勢について。アフガンは以前から懸念されていたようにタリバンの手に落ちた。イランは超保守派が大統領になってしまった。イスラエルはネタニヤフが退陣してベネットなる人物が首相に就任したらしい。ネタニヤフよりマシかどうか分からない。

そういえば、ドイツのメルケル首相が引退した。EUから英国が脱退し、フランスも中は火の車ではなかろうか。EUが理想を貫けるかどうか。

世界はポストモダンに移行したのだろう。トランプが大統領になったときは驚いたが、今はそれがポストモダンであったことが分かった。これからはポストモダンでの世界の生き方を人々は模索しなけれならない。

それと日本は泥舟だ。泥舟に固執していては船とともに沈んでしまう。日本に囚われない生き方をしなければいけない。