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2021年11月30日火曜日

NEWS2021.11

 
11月1日(月)
リベラルの敗北に気分が沈んだ。ツイッターに書いた通りで有権者が愚かだったのが主な原因だと思う。そして、日本ではリベラルは第三政党的な少数派としてしか存在を示せないと思った。やはり、日本では保守>リバタリアン>リベラルの順なのだと思う。今後は政策を特化した政治家個人を応援することで政策に光が当たることを期待しようと思う。政権交代は期待しない。もちろん、諦めずに頑張って欲しいと思うが、個人的にはそちらに労力を注ぐよりは、リベラルのコミュニティやネットワークに力を注いで助け合っていく方に力を入れた方が良いように思う。幸いにもネットの時代なので外と繋がれるのが唯一の救いだと感じている。

11月10日(水)
ふむ。

さて、どうなるか。

希望の党は保守やリバタリアンだろうからなあ。リベラルを目指すなら分裂した方が良いんだろうけど、二大政党制からは離れてしまうだろうなあ。

11月12日(金)
インフラ、半導体、デバイスの3つに分社化するらしい。


野党第一党病か。連立政権か。やはり、この条件で負けるというのは、リベラルは日本では人気が無いんだなあ。社会が変わったのかもという発言もあったが、そうかもしれない。辻元さん落選、実に惜しいなあ。

11月13日(土)
決着がついたらしい。良かった。

落選運動の勉強になった。韓国でも落選運動は盛んだったはず。


今週も衆院選のショックが抜けなかった。以前、日本では、保守>リバタリアン>リベラルの順だと言ったけど、保守とリバタリアンの区別はかなりあやふやだと思う。保守>>リベラルくらいで正しいかもしれない。3:1くらいの割合かなあ。400議席中、保守300議席、リベラル100議席がせいぜいかもしれない。いや、リベラルはもっと減る可能性がある。残念だけどそれが現実だと思う。ポリタスTVで辻元さんが社会が変わったかもしれないと言っていたが、たしかに格差が広がって中間層が目減りしたら、リベラルは減っていく傾向にあると思う。考えれば考えるほどため息が出る。社会に余裕が無くなれば無くなるほどリベラルは減っていくように思う。以前の南米がそうだったんじゃなかろうか。その場合、南米は社会主義に走っていくのだけれど、日本の場合、それは難しいと思う。公安が仕事が増えて喜ぶだけだろうなあ。それにそもそも日本人に社会主義は広まらないと思う。あっても超少数派になる。戦前がそう。また、中東ならば社会主義がダメならイスラム原理主義に走ったりするけど、日本にはそういうのも無い。すごく嫌なことだけど、日本は弱者は自殺に追い込まれていくんじゃないかなあ。日本人には愛が無いから、誰も救いの手を差し伸べることなく、自殺に追い詰めていくと思う。

日本の財政がかなり悪いのだが、日本人は誰も危ないと思わないのだろうか?他国は債務をGDPの100%で抑えようとしているが、日本だけ260%にまで膨らんでいる。根拠もなく大丈夫と言い切っているが、他国はリスクが高いからそんな債務を残さないようにしているわけで。MMTとかでも亀とアキレスの話に似ていて、先にスタートしている亀はアキレスが追いつこうとしても亀はその分先に進んでいるから大丈夫と言っているに等しい。現実はいつか亀はアキレスに抜かれる。それと同じでいつか破裂する。アイルランドやギリシャは日本よりも財政は悪くなかったのに経済危機を向かえた。日本には最早頼れる産業も無くなりつつある。そうなったら恐ろしいことになる。日本の資産を叩き売ることになる。一等地だけでなく、皇居も京都も富士山も売ることになるかもしれない。沖縄なんかも琉球共和国として独立した方が得かもしれない。まさかと思うかもしれないが餓死者が多くでることになると思う。愚かなバラマキなんかやっている場合ではない。

11月15日(月)
やれやれ。

11月16日(火)
東芝は消滅してサザエさんもいつか中国資本の下に置かれるんだろうなあ。

11月17日(水)
中国ほどの大きな規模なら当然そうするだろう。当たり前。

岸田首相のいう新しい資本主義がこれなんだろう。格差社会の推進。低所得層と外国人労働者はいずれ同等になると思う。そこは平等かもしれない。

国内産業はボロボロだから成長は難しいだろうなあ。観光くらいは伸びるんじゃないかな。

キャンセルカルチャーについて勉強になった。言論の自由を守りつつ抗議する姿勢とか批判の矛先などについて理解が明瞭になる助けになった。

温泉の萌え絵についてだが、私も萌え絵は嫌いだ。随分前に真面目な書籍なのに萌え絵を使ったりするものもあってゲンナリしたりした覚えがある。(結局、そういう本の表紙の場合は中身が真面目で興味としてちょっと魅力的でも買わなかった。)最近は何でも擬人化して萌え絵キャラに置き換える風潮がある。嘆かわしいと思っている。今から20年くらい前に書店の漫画コーナーに行くと萌え絵が増えて女性の描き方が胸やお尻をかなりデフォルメして描いていてすごく病的に感じた。その頃くらいから漫画をほとんど読まなくなった。日本の若者が萌え絵に魅力を感じるのは性的に未熟だからだと思うし、性的に未熟なまま大人になってしまっていると思う。性教育が不十分だからそうなってしまうと私は考えている。性的に未熟な大人が増えてしまい、そのまま放置した結果が、萌え絵の氾濫になったと思っている。なので、私としては性教育をもっと充実させるように変えるべきだと思っている。幸い、YouTubeなどで性の啓蒙番組が増えてきているので少し希望があると思っている。

それから、日本の温泉文化についてだが、自分は全然詳しくないのだが、温泉には家族と楽しむものと大人が楽しむものと2つあるように感じている。前者はスーパー銭湯が典型だと思っている。後者は地方の温泉でコンパニオンと称する地方のセックスワーカーが出入りしているイメージがある。今でもあるのかどうかは知らない。私の昔のイメージでは団体の男性客たちが地方の温泉で買春している印象がある。売春する側としても団体の方が収入が多くなるので喜ばれるような気がする。なので乱交パーティ好きが集まる場というイメージがある。古くは川端康成の『雪国』なんかもそれに類するような気がする。主人公自身は単身だけど、宴会などでは団体客が描かれていたように思う。さて、私はそういうのは嫌いだ。しかし、乱交パーティ好きという嗜好の持ち主も世の中にはいる。まあ、悪趣味だとは思うけど。ともかく、そういうのは若衆宿的な伝統といえるかもしれない。(欧州でも南欧あたりでは似たような風習があったんじゃかったかな?)で、今回の萌え絵の件である。正直、萌え絵も悪趣味だと思う。しかし、一方で古い温泉売春も悪趣味だと思う。悪趣味のニュアンスが違うものの、どちらも悪趣味ではある。私がイメージしている地方の温泉が今もあるのだとしたら、当事者たちはどう思っているのか?売る側と買う側双方がどう思っているのか?ちょっと気になる。それと大人が楽しむ温泉と家族が楽しむ温泉を分ければいいとも思うが、分けるだけの経済力が無いかもしれない。もし、そういう大人の温泉がもはや無いのであれば、萌え絵キャラなんか止めてしまえばいいと思う。しかし、大人の温泉が残っていてそういった客を呼び込むための萌え絵キャラだった場合、それは有りなのか無しなのかちょっと微妙な気はする。なので、ちょっとモヤモヤしている。個人的には悪趣味だから萌え絵は無くした方がいいとは思う。しかし、私は利用しない大人の温泉が残っていた場合は当事者の話を聞かないと一方的に無くせとは言いづらい気もしている。

11月18日(木)
日本は貧しくなったし、格差も広がった。技術力は低下の一方で未来はかなり暗い。

11月21日(日)
先週は疲れていて視聴できず、一週間遅れで視聴した。まず、日本人の人権意識の低さが根底にある。それと統計的に日本だけオカシイ。一つは利権が絡んでいる可能性が高い。原発にしろ医療にしろ、日本は業界の村社会になっていてチェック(批判)を受け付けない構造になっている。業界をチェックするジャーナリズムが機能していない。

以前、メタボ健診で専門家と話したとき、私は相手に「科学的根拠はないですよね」と否定的に言ったら、相手は「でも、日本ではそうなっているんです」と返事された。科学教育を受けている専門家なのに科学を否定するような返答が返ってきた。まあ、詰まるところ彼らの働き口の問題なんだろう。統計的にも効果が疑わしいと出ているのに、逆に基準値を厳しくしてより範囲を広げるという。それってお金の無駄遣いなんだけど、自分たちさえ儲かればいいという考えで、医療業界だから好き勝手しても誰からも批判されないと思っているのだろう。他にも検査をやたら薦めるようになってきた。とにかく、医療業界の金儲け主義が甚だしくなってきていると思う。

それから、精神障害者が入院する原因のひとつに日本社会の多様性に対する不寛容、多様性に対する狭量さがあると思う。精神障害者は日本社会では生きづらいのではないかと感じる。数十年前の入社式の写真と昨今の入社式の写真を見たら、昨今の入社式はみんな同じ服装でどこの全体主義国家と思うような風景だった。出る杭は打たれる。できるだけ目立たないように同じ格好をする。それが今の日本社会だ。多様性が大事と口では言うが、実際は真逆に進んでいる。精神障害者も健常者と同じように見られるように努力を促される。そうではあるまい。精神障害者はありのままの自分の感性で生きて、例えば奇抜な服装や髪型をした場合、それに文句を言う奴を批判するのが多様性な社会であるはずだ。ところが、そうはなっていない。精神障害者自身、健常者と同じになりたがっている。すでに差別が当事者にも内在化されている。ひとと違っていいんだと思える社会になっていない。ところが、無理に健常者と同じ枠にはめようとするから精神障害者は生きづらくなる。なので、入院も増えるんじゃないかと思う。

「キモい」という表現についてちょっと悩む。それがルッキズムを含む場合もあれば、含まない場合もある。萌え絵に対して私がキモいと感じるのはそこに性的未熟さを感じ取るからだ。他者の性的嗜好に対してキモいと感じるのとは少し違う。キモいと感じる性的嗜好もあればキモくないと感じる性的嗜好もある。性的未熟さをキモく感じるのは、極端化すれば、私の場合、そこに幼児性愛を感じるからだと思う。とにかく、日本はロリコン趣味の人たちが多い。その場合、当人たちも性的にかなり未熟な感性をしていると思う。性的に未熟なまま大人になった人たちが性的に未熟な未成年たちを性指向の対象にしてしまい、その結果、未成年たちを心身ともに傷つけるという道が見えるからだ。当人たちは自分たちが性的に未熟だという自覚がなく、ロリコン趣味であることが自然で当たり前だと思っている場合、成人同士がセックスを楽しむように未成年に手を出すのではないかと心配されるからだと思う。その感覚が「キモい」に私には繋がっている。一方で同性愛やトランスジェンダーやクィアに対して「キモい」と使われる場合がある。これは慣れの問題な気がしている。子供が大人のセックスを見た場合、「キモい」と感じるかもしれない。しかし、大人になれば「キモい」と感じなくなる。それと似ていて同性愛やトランスのポルノを見続けると慣れてきて「キモい」とは感じなくなった。←私の場合だが。子供はセックスに慣れていない。それと同じように異性愛者は異性愛以外のセックスに慣れていない。そのため、子供がセックスをキモいと感じるように異性愛以外のセックスをキモいと感じるのかもしれない。(それに異性愛のセックスでもキモいと感じるセックスもあるだろう。ポルノはセックスをキモく無いように工夫してキレイに撮っている。)逆に同性愛者が異性愛者たちのセックスを見れば「キモい」と感じるかもしれない。いや、例えば、自分が女性に生まれ変わった場合、男性の知り合いに抱かれるのを想像した場合、死んだ方がマシだと思ったりもする(笑)。いや、もちろん、その逆もあって、私に抱かれるくらいなら死んだ方がマシだと思う女性は世の中に数多くいるだろう。要は「キモい」は主観なのではないか?統計的には「キモい」に偏りが生じるだろう。しかし、それは客観ではない。あくまで主観の統計をとったらたまたまそういう結果になったというだけだ。ところで、何気ない一言で人生を狂わしてしまう場合がある。ルッキズムに基づく一言が。言葉としてはその一言は軽い。しかし、狂わされる人にとっては大変な事態を招いてしまう。そう思うとその一言は飲み込んだ方が無難な気がする。もちろん、表現の自由があるから、時と場合によっては使えばいいと思う。しかし、その破壊力を考えると実はあまり気軽に使うのは危険な気がしている。

11月24日(水)
野間さんが「アメリカのケツ舐め」って言っていて吹いた(笑)。なんか浸透している。

11月27日(土)
このまま行けば日本の財政破綻は避けられない
たぶん、GDPの3倍、債務1500兆円で財政破綻するんじゃないかと思う。その場合、価値は単純計算で3分の1になる。しかも弱味があるから資産を叩き売りすることになるし、生きられない人が多数生じる。地獄であるし、再起も百年は無いと思う。ソ連が崩壊したとき、あまり表沙汰になってないかもしれないけれど、餓死や自殺した老人が多数いたんじゃないかなあ。バラマキなんかやってる場合ではない。

11月28日(日)
現場に基づいた話だったので大変勉強になった。ただ、私自身はリベラルが負けたのは有権者が愚かだったからだと今でも思っている。日本人はリベラルが嫌いなのだ。理由はあとづけに過ぎない。なので、聴く耳を持たない彼らにいくら言っても意味が無いと思っている。番組の最後の方ではかなり悲惨な末路が待っていそうな話になった。実際、私の周囲ではそうなりつつあるのを感じている。

まとめ
今月はリベラルの衆院選の敗北が大きなショックだった。体調も悪かったこともあるが、今月はそのショックで憂鬱な日々を過ごすことが多かった。

最近、日本人の無意識に刷り込まれている差別の内在化に気づくことが多くなった。しかし、憎悪主義や差別主義が今後ますます表面化するかもしれない。差別の対象は人種、性的マイノリティ、障害者だ。日本人がダメだと外から気付かされたとき、日本の差別の内在化に気づくかもしれない。だが、どちらかというと、日本は再び階級社会、世襲社会に向かう可能性の方が高い気がする。ピケティが指摘したように労働者階級はいくら働いても資産家階級のように豊かにはなれないのだから、低所得層は富裕層により一層媚びるようになると思う。弱者は正義よりも自己防衛的になる。哀しき弱者の末路。身も心も奴隷になる。

日本人の多くが経済や政治に疎すぎたと思う。また、社会のコミュニティ機能がほとんど失われてしまったことも大きい。つまり、日本は政治、経済、社会が本当に劣化にしてしまった。そして、とうとう日本は坂道を転がり始めた。すべてが悪い方向に動き始めた。もう、この崩壊に何を言っても無力でしかない。今は黙って根を張るしかないと思う。崩壊後の瓦礫の中で再生するために。



最近、日本の医療に対する不信感が募っている。やたらと検査を奨められる。しかも不安を煽って。医者と患者との間には情報の非対称がある。簡単に言ってしまえば、医者は専門知識があるが、患者は素人なのでまるで分からない。リスクがあると医者に言われれば、そのまま不安に受け取ってしまう。しかし、私の場合はメタボ健診などで鍛えられたおかげで、どうも医者の持ち出している基準値が去年と今年では異なっているのではないかという気がしている。つまり、去年はこの数値なら安全だったが、今年は基準値が厳しく設定されたために危険とされるようになったという具合に。検査を推奨するために参考にする数値も去年なら問題にされなかった値なのに、今年は急に問題視されて検査を推奨されるようになったように思う。その背景にはコロナの影響で検査を忌避するひとが増えたため、検査の売上が減少したためではないかと思われる。そして、最近になってコロナが落ち着いてきたので、ここぞとばかりに検査に患者を送り込んで検査費を稼ごうとしているように思えるのだ。患者としては医者からリスクがあると言われればつい心配になって検査を受けようかと思いがちだ。しかし、生きている限りリスクはゼロではない。医者はウソはついていないが、しかしその推奨は果たして妥当なものかどうか非常に怪しいように思う。メタボ健診に限っていえば、そもそも生活習慣病になってからでは治療費がかかるし、治療そのものも困難になるので予防しておけば治療費も安くなるし治療そのものも容易なものになるという考えから、メタボ検診を始めたはずだ。ところが、いざ始めてみたら、どんどんそこにお金をかける体制になってしまった。統計的には効果が疑わしいと指摘する声まである。にもかかわらず、今度は基準値をもっと厳しくするという。効果が無いなら、コストの観点から基準値を下げて対象を減らすことでコストを下げるのが当たり前だ。ところが、それと真逆のことをやって対象を増やしてお金だけを稼ごうという魂胆が見える。医療業界というのはジャーナリズムが機能していないのだろう。とにかく、走り出したら止められないし、どれだけお金をむしりとれるかという金儲け主義に染まってしまっている。ジャーナリズムが無いから誰も批判しない。やりたい放題だ。今回、コロナで先進国ではどこもPCR検査の全数調査を行った。しかし、日本だけは実施しなかった。どうも利権が絡んでいるらしい。医療業界の利権を守るためにPCR検査の全数調査を拒んだらしい。つまり、日本の医療業界は国民の生命より業界の利権を優先したということだ。政府すらそれを変えさせることはできなった。医療業界は政府すら手を出せないし、ジャーナリズムも機能しない。専門知識に疎い一般人は医療業界のいいなりだ。もうやりたい放題だ。その一方で、健康保険に加入していない低所得層は病院も受診できず、仕事も休めず、コミュニティに信頼できるひとがおらず、出産しても子供を死なせてしまう。特異な事例だろうか?全国ニュースにならないだけで、私の近辺でも似たような事件が起こっている。こんなことが起こるなんておかしいだろう。国や社会保障はお金の使い方を間違えている。本当に困っているひとを助けないで、お金が儲かるかどうかだけで決めている。こんなことをしていてはダメだ。悲惨な現実から目をそらさずにちゃんと批判していかないとダメだ。日本が豊かだったころに作られた医療制度を儲かるからという理由だけで維持している。しかし、日本はもはやそんな豊かな国ではなくなった。また、社会も日本ではコミュニティとしてほとんど機能しなくなった。自分たちの置かれた悲惨な現状をちゃんと認識して、手を打たないと悲劇はどんどん増えてしまう。恥や外聞など上っ面なことを言っている場合ではない。憤り、怒りをおぼえる。