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2020年5月17日日曜日

21世紀はセックス革命の時代

1.21世紀はセックス革命の時代

21世紀はセックス革命の時代だと思う。

世界では1990年代からIT革命が始まったし、日本では1995年のWindows95からインターネットが普及しはじめてIT革命が始まったと思う。コンピュータ技術の進歩はこれからも続くと思う。

一方、1991年にソ連崩壊で冷戦構造が終焉を迎えて、2000年に中国がWTOに加盟して世界は本格的にグローバルな市場経済に突入していったと思う。そして中国が米国をも凌ぐ超大国になりうるまでに成長した。しかし、世界の人々の暮らしは全体的には豊かにはなったものの、ピケティが指摘するように長いスパンで見ればこれまでの経済に見られたように格差社会になりつつある。

このように人類の文明社会は技術革新によって目まぐるしく変わりながら、前進(?)しつづけている。

20世紀後半は資本主義vs共産主義の経済革命の時代だった。21世紀は何かというとセックス革命の時代だと思う。それはいわば、保守vsリベラルの構図だと思う。極端に言ってしまえば、性的マイノリティを容認するか拒絶するかの違いだ。多様か、一様かの違いでもある。

ところで、日本人は戦後の高度成長期からこれまでは一様だった。一億総中流だった。皆、日本人は同じだという無意識があった。家族のような無意識だ。テレビがそれを後押しした。同じテレビ番組について話す。そして、みんな、似たように感じるといった具合に。しかし、これからは違うと思う。テレビを見ない人たちが増えている。何を考えているか分からない。いや、それでいいんだ。何を考えているか分からない人たちともそれなりに助け合ったり、あるいは干渉せずに共存してゆくのが社会だ。しかし、「日本人はみな同じだ」という古い意識の日本人とそうではない多様な考えの日本人との間で軋轢が生じるようになると思う。先程、話した保守vsリベラルの構図だ。これは日本に限らず、様々な国で見られる現象だと思う。特に問題なのは強固な保守主義の国だ。イスラム教や中国のような国だ。そのような国がどうやって保守とリベラルが折り合いをつけてゆくか、あるいはどちらかが優位に立つかは分からない。

一応、断っておくと、私はリベラルだ。多様な社会が良いと思っている。

とにかく、広い意味で倫理が問われる局面が増えてくると思う。そして、摩擦を引き起こす大きなものとしてセクシャリティの問題が突出するのではないかと思う。

2.子供から大人へ:秘められた性から目覚める性

私の好きな映画に『Vフォー・ヴェンデッタ』がある。その中で象徴的な場面がある。レズビアンの女の子が両親にガールフレンドを紹介するんだが、父親は怒って喚き散らし、母親は悲しみに泣きじゃくってしまい、ついに父親は女の子の赤ん坊の頃の写真をゴミ箱に投げ捨てるという酷いシーンがある。この両親にはレズビアンのことが理解できなかった。おそらく、レズビアンを含めたLGBTQを理解・許容できなかったのだと思う。

人間というのは子供から大人へ成長する過程で性に目覚めてゆく。子供の頃は性は種子のように秘められた状態だ。しかし、次第に大人に成長することで性が成熟して開花する。それはまるで種子から芽が出て花を咲かせるようなものだ。どのような花を咲かせるかは子供のときには分からない。成長して花開いて初めてその子がどのような花なのか分かる。親はマジョリティの花でも、子供はLGBTQなどのマイノリティの花を咲かせることは往々にしてある。いや、マジョリティの花だって実際は多種多様だ。私たちが思っている以上に人間の性は多様だ。ジャングルのように様々な花があるのだ。旧体制の社会がそれをある一定の型に押し込めていたにすぎない。

ちなみに未成年への性行為が禁じられるのは、未成熟な人間に性行為を行うことで傷つけることになるからだ。まだ心身ともに成長していないからだ。

さて、親は子供がどのような性を秘めているのかは分からない。しかし、子供の成長とともに性が次第に展開してゆくことで子供の性がどのような性状のものか、分かってくる。ところが、親は子供の性が自分たちと同じものだと考えがちだ。しかし、親子であろうと性状が異なることは大いにある。そのため、先の映画のような悲劇が生まれる。

仮に、あなたが親だとして、子供がLGBTQだったら、あなたは子供を応援できるだろうか?私は子供を愛する親ならば、子供がどのような性であろうとも応援するのが当然だと思う。しかし、(こういう言い方は適切ではないかもしれないが、)それは綺麗事では済まされない。性というのは奇態なものでもある。たとえば、身体において性器以外の部位は顕花植物のような美しさがあるが、性器は隠花植物のような奇態さがある。あるいは、たとえばアナルセックスがデフォルトだったりするのを親の立場から応援することができるだろうか。答えはイエスだと思う。応援すべきだと思う。(もちろん、それは当人の問題で親がとやかく口出しすることではないが。)ともかく、知識として知っておいた方が良いと思う。

ところで、以前、20歳女性と50歳男性の年の差カップルに対してロリコンじゃないかと言った知り合いがいた。私はそれは違うと言ったが、その場では面倒なので説明しなかった。成人の年齢になった人間に性的魅力を感じることは別にロリコンではない。20歳であろうと30歳であろうと関係ないし、年の差がどんなに離れていようと関係ない。まだ成長していない未成年に対して性的魅力を感じることがロリコンだと思う。ところで、人間の成長はなにも成人になったからと言って止まってしまうわけではなくて、経験を積むことで徐々にでも成長してゆくと思う。ただ、性的には成人になる頃に大人として成熟するということだと思う。


時間と文才がないのでとりとめもなく書いた。20世紀後半は世界は資本主義か社会主義かの戦いだった。21世紀はおもにセクシャリティにおける保守かリベラルかの戦いになると思う。それは国のなかにおける戦いだったり、国と国との戦いだったりする。とりあえず、今は日本ではインターネットは分断されずに世界と繋がっている。性の知識は拡散する。国によっては国外との繋がりを遮断するところも出てくるかもしれない。その場合、性の知識は広まりにくくなる。しかし、これほど性が革命的に変わった時代は人類史上無かったと思う。この流れは止めるべきではない。なぜなら人間の可能性が大いに広がったからだ。多様性は可能性を見せてくる。そして、これまでは抑圧されてきた人々が個人の幸福の追求を邪魔されることなく行えるのは喜ばしいことだからだ。21世紀が幸福な性革命の時代になることを願う。

ちなみに性的に放縦になることを薦めているのではない。私は個人的にはどちらかというと禁欲を薦めている。大人になると食欲のように性欲がある。性欲が生活に組み込まれる。セックスライフ。食生活があるようにセックスライフがある。セックスライフについてはまた改めて書きたい。とりあえず、ひとまず筆を置くことにする。