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2013年6月19日水曜日

アニミズムとシャーマニズム

久しぶりに宗教について再び考えてみます。(前回、宗教について考えた記事はここを参照して下さい。)

さて、宗教とは何でしょうか?この問いに対して私なりの見解を述べてみます。今回は歴史的な経緯としてどのように宗教が生まれてきたかをおおざっぱに考えます。ただし、これから述べる見解は私の推測であって、学術的な裏付けはありません。


1.アニミズムとシャーマニズム

まず、遥か昔、文明社会が生まれる以前の人間社会には、最初はアニミズムとシャーマニズムがあったと考えています。

アニミズムとは精霊信仰のことで自然の中などいろんなところに精霊が存在するという考えで、次第に精霊を神秘的なものとして敬うようになっていったのだと思います。現代人の私たちも雄大な自然を見たりするとそこに何かしらの神々しさを感じたりしますが、アニミズムはそのような人間の基本的な感覚がもとになって形成されたのだと思います。

次にシャーマニズムですが、実はシャーマニズムとは何なのかはよく分かりません。シャーマニズムはシャーマンという専門家が行なっていたもので人を呪ったり癒したりしていたようです。例えば呪医(メディスンマン)といわれるように治療師であったり、黒魔術師といわれるように破壊者でもあったりしたようです。ただし、それはシャーマンが生活するための生業に過ぎず、シャーマンが実際に何をしていたのかはよく分かりません。学者の研究で共通して分かっているのはシャーマンは脱魂と憑依という技術を持っていたらしいということだけです。それらが本当は何を意味するのかよく分かりません。しかも同時代に生きた周囲の普通の人々でさえ、シャーマンが何をしているのか、シャーマニズムが何なのかよく分からなかったようです。

いずれにしろ、話を整理すると、文明社会が出現する以前は宗教と呼ばれるようなものとしてはアニミズムとシャーマニズムの2つがありました。ところが、人類社会が文明社会に変化したときにそれらも大きく変容していったようです。そのとき、いわゆる宗教が出現したのだと思います。


2.アニミズムから宗教へ

さて、人類社会が文明社会に変化したとき、アニミズムは一神教や多神教など神を崇拝したり信仰したりする宗教へと変わっていきました。都市化した文明社会ではアニミズムは次第に体系化されて、多神教や一神教に収斂していったのだと思います。例えば、インドのヒンドゥー教や古代オリエントの多神教、あるいはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教のように洗練されていったのだと思います。しかし、文明社会の周縁ではアニミズムが残ったところもあります。例えば、日本の神道がそうです。神道はアニミズムに近い形で残りました。あるいはアメリカインディアンの精霊信仰はアニミズムの原形を非常に色濃くとどめていると思います。

基本的には宗教はこのように神を崇拝するものだと思います。


3.シャーマニズムの衰退

では、アニミズムが宗教に変わったとき、シャーマニズムは何に変わったのでしょうか?実はあまり変わらなかったといえるかもしれません。というのもアニミズムと違ってシャーマニズムは継承者が少数でしたし、治療師などの特殊な技術の専門家でしたのでそのままの形態で残る場合が多かったようです。ただし、文明化が進むにつれて次第にシャーマニズムは減少していったようです。当時の人々の間でよく言われていたのは昔のシャーマンに比べると文明化が進むにつれてシャーマンの力が弱くなっていったそうです。そのため、シャーマニズムは人々に必要とされなくなり、次第に衰退していったようです。


4.仏教とは何か?

ところで、仏教とは何なのでしょうか?

日本では仏様を崇拝する宗教のように勘違いする人もいるかもしれませんが、本来の仏教は仏様を神のように崇拝するものではありません。そういう意味では仏教はアニミズムから発展していった宗教とは違うと思います。

では、一体仏教とは何から発展したものでしょうか?確かに仏教は釈迦が突然変異的に始めた宗教と見ることもできるでしょう。しかし、私はそうではなくて仏教も過去の継承から生じたものではないかと考えています。釈迦という天才が何の脈絡もなく仏教という知の体系を突然に創り出すというのは少しおかしいと思うのです。何らかの歴史的な過去からの知の継承があるのではないかと。では、一体それは何なのか?実はシャーマニズムが変容した結果、仏教に変化したのではないかと私は考えています。文明化が進んだときアニミズムが体系化されて宗教に変容したように、シャーマニズムも体系化・言語化されて仏教という形態になったのではないかと思っています。まあ、そのような歴史的な痕跡は実際にはないと思います。あえて極端なことを言えばバラモン教の神秘主義をさらに変化させて生まれてきたのが仏教といえるかもしれません。

では、シャーマニズムから変容したものは仏教だけでしょうか?世の中には神秘主義と言われるものがありますが、私が思うに神秘主義といわれるものもシャーマニズムから変容したものではないかと考えています。すべての神秘主義がそうというわけではありませんが、神秘主義のいくつかは、極端な言い方をすれば、シャーマニズムが変容して神秘主義になったと言えると思います。そういう意味では仏教は神秘主義の1つだと思います。あるいは、言い方を変えると神秘主義の中でもシャーマニズムを最もよく継承しているのは仏教ではないかと思います。


5.宗教と神秘主義

さて、宗教というと私たち日本人は仏教や神道を想像してしまいます。しかし、上述したように一般に宗教と呼ばれるようなものと仏教は随分違いますし、神道も宗教以前のアニミズムに近いもので一般に言われる宗教とは少しニュアンスが違います。

繰り返しますが、一般的にいって宗教とは神を崇拝するものです。人間が持っているアニミズムの感覚が残って洗練されて神を崇拝し信仰するようになったものが宗教だと思います。それが一神教の場合もあれば、多神教の場合もあるのでしょう。しかし、いずれにしても神を崇拝するという意味では同じだと思います。

ところが、仏教はそれとは違います。神を崇拝するわけではないからです。現代人は仏教も一緒くたにして宗教とひと括りにして言いますが、それはあまり正しくないと思います。仏教は本質的には神秘主義です。

ただし、ややこしいのは宗教の中にも神秘主義といわれるものがあります。例えばイスラム教の中にはスーフィズムと呼ばれる神秘主義があります。どうもイスラム教に限らず他の宗教でも突き詰めてゆくと往々にして神秘主義に辿り着く場合があるようです。果たしてそれらは宗教なのでしょうか?それとも神秘主義なのでしょうか?実際、それらをどちらに判別すればよいのか分からないことが多いと思います。

それから、読者の中には「神秘主義も宗教の1つに過ぎない」という意見もあると思います。それはその通りで、そのようにカテゴライズする考え方もアリだと思います。ただ、私が言いたいのは宗教の起源を考えたとき、アニミズムとシャーマニズムの2つがあり、アニミズムからは神を崇拝・信仰する宗教が生まれ、シャーマニズムからは神秘体験を基本とする神秘主義や仏教が生まれたのだということです。このように2つの流れがあるのに多くの人はこの2つの違いを無視して混同してしまっていると思うのです。

6.宗教と哲学

さて、ようやく哲学の話です。宗教と哲学には密接な関わりがあります。哲学の起源をギリシャ哲学とする見方がありますが、そのギリシャ哲学も後にイスラム教神学に取り入れられたり、さらにキリスト教神学に取り入れられたりして神学としてある意味高度化されます。それらは一神教的な存在論ではありますが、高度な哲学をそこに構築しました。また、仏教などは中観や唯識などのように独自の哲学を積み上げてゆきました。このように哲学はかつては宗教だったとさえいえるかもしれません。その中には古の賢人たちの知恵が詰まっています。確かにそれらをそのままの形で使うことは出来ないでしょう。しかし、それらをまったく参考にしないのはちょっと勿体無いと思います。ですから、哲学を学ぶために宗教を知っておくことは決してムダではないと思います。