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2013年5月13日月曜日

雑感 ヘイトスピーチから経済体制の違いまで

とりとめもなく思ったことをメモしておこう。

ヘイトスピーチ法制化の件。私自身はヘイトスピーチを法律で規制することには反対だ。理由は言論の自由、表現の自由が損なわれるのではないかと危惧するからだ。何らかの形で法律で規制されれば、法の解釈が拡大されることによって自由な言論や自由な表現が規制されてしまうかもしれない。それに何をもってヘイトスピーチと規定するかもかなり難しい。そう簡単に線引できるものではないと思う。線引が難しいものほど解釈があやふやで拡大解釈の原因になりやすいと思う。したがって、ヘイトスピーチを法律で規制することには反対だ。

では、どうやってヘイトスピーチを止めさせるのか?以前、ツイッターでつぶやいたが、フィリップ・K・ディックの小説『ユービック』ではエスパーに対して反エスパー部隊を組織してエスパー狩りを行なっている。これと同じでネット右翼に対しても反ネット右翼を組織してヘイトスピーチに対抗すればよいと考える。在特会に対するレイシストをしばき隊がその対抗勢力だということだ。

私は人間というものは誰しも問題を抱えていると思っている。しかし、それと同時に人間は少しずつではあるが、問題を解決する能力を持っていると思う。問題が出てきてもそれを何とか解決してゆくのではないかと信じている。今から30年前を考えると、同性愛や性同一障害は決して日本社会で認められたものではなかった。少なくとも私が住んでいた地域社会は異端視していたし、彼らの権利を認めていなかった。しかし、LGBTの運動によって今やストレートな人たちと同じ権利が認められつつある。もし、LGBTたちがデモなど規制されたら、社会に認知されることはなかったのではないか。しかし、30年前には彼らを見る社会は決して理解があったとは言い難い。長い時間をかけて彼らはやっと権利を認めさせることに成功したのだ。だから、どんなにエキセントリックに見えても言論の自由や表現の自由を阻害してはいけないと思う。ヘイトスピーチの規制はそれらを阻害するかもしれない。それくらい、最初は異端視されたのだ。これは善い、これは悪いと簡単に見極めできるものではない。問題を乗り越えられると信じて、問題が表出することを恐れてはいけない。

人種の件。日本人というと単一民族という潜在的なイメージが今でも強いと思う。しかし、実際にはアイヌ民族もいるし、琉球人もいる。朝鮮系日本人もいるし、中国系日本人もいるだろう。大事なことはそれぞれ民族固有の文化を尊重することだ。例えば、日本に帰化したロシア人がいたとする。彼をロシア系日本人とする。当然、彼は日本人だ。しかし、母語はロシア語になる。文化もロシア文化だ。このように日本人だからといって、必ずしも母語が日本語で伝統文化が日本文化とは限らないのだ。彼を日本に同化させる必要はない。文化に優劣はない。それぞれの文化を尊重すべきであり、彼がどの文化を選択するかは個人の自由だ。このように考えると、オバマ大統領の演説を思い出す。

黒人のアメリカ、白人のアメリカ、ラテン系のアメリカ、アジアのアメリカなどない。
あるのはアメリカ合衆国だけだ

日本ももはや単一民族ではない。いや、人類学的には単一民族ではなかったのだ。ますますグローバル化する世界、日本もそろそろ古いイメージを捨てるときだ。(モンゴル・ツングース系の日本人、いわゆる大和民族は大和系日本人と言った方が良いのかもしれない。不勉強で知らないのだけど、学術的にはちゃんとした呼び名があるのかな?)

国語と日本語。日本の日本語教育は特殊で日本語といわず、国語と言う。確かに日本語と言わずに国語と言った方がその内容に沿うように感じる。というのも国語は単なる日本語教育ではないからだ。国語には思想が込められていると感じる。それは日本の思想だ。日本の教育は日本語教育と謳いつつ、その実、思想教育をしているとさえ見ることができる。まあ、国語という思想教育はそんなに悪いものではないように感じる。けれども、果たしてそれが正しいことかどうかはやや疑問が残る。もし、どうしても日本思想の教育をしたいのであれば、むしろ、日本語と日本思想を分けて教育しても良いのではないか。私自身は国語は好きな科目だった。だから、英語教育のように無味乾燥な日本語教育になってしまうのは勿体ないと感じる。しかし、国語を日本語教育かという違和感もある。ここはよく再考したほうがいいと思う。

相変わらず、在特会に端を発する思考が多い。しかし、在特会の問題自体はそろそろ収束するのではないかと思っている。というのもレイシズム反対などのアンチ在特会の市民運動がどんどん大きくなっていると感じるから。どう見たって在特会はチンピラかヤクザだし、どう考えたって在特会が悪でレイシストをしばき隊が正義だ。在特会たちネット右翼がカウンター運動で消滅させられるのも時間の問題ではないかと思う。いや、そう期待している。私も在特会のデモをYouTubeで見るたびに中指を突き立てて「在特、帰れ!」と叫びたくなる衝動に駆られる。早く在特会の問題を片付けて、自民党の憲法改正問題に取り組みたいものだ。いや、まあ、私の勝手な思考の話なんだけどさ。

それから、経済体制について、基本的なことだけど改めて書いておこう。

右翼・左翼  → 統制経済
リベラル    → 市場経済
保守     → 市場経済?(それとも統制経済?)
右翼がナチスのような国家社会主義の場合、統制経済になる。戦前の日本は自由主義経済の市場経済だったが、戦時になると日本も統制経済になった。また、左翼は社会主義だから当然計画経済であり、すなわち、国家が統制する統制経済だ。一方、リベラルは市場が決定する市場経済だ。保守はどうか?現状の経済体制を容認するなら市場経済になるのかな?やや、曖昧ではある。というのも保守の言動を聞くと企業を統制しようという意見が多いように見受けられるからだ。いずれにしても、市場経済を否定できないのではないか?まず、市場経済を受け入れて、それをどう修正・制御してゆくかが大切なのではないか。(文系アカデミズムが資本主義に批判的なのは仕方がないとしても、批判をさらに超えて市場経済に否定的になってしまい、その結果、市場経済のシステム修正を怠ってしまったのではないか?米国に比べて日本の市場経済の仕組みが遅れているように感じられる。問題が生じたとき、米国は制度を修正したのに対して、日本は人事を修正したのではないか。つまり、組織の責任者が責任をとって辞めるという慣習だ。しかし、本当は制度を修正すべきだったのではないか。)